ヴィルの専属お針子
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「駄目、ダメ、これも駄目!」
勢いよく床へと投げつけられた白いワイシャツをエペルはぼんやりと眺めていた。
あれで何枚目のワイシャツか、エペルの周りには無惨にもヴィルにより投げ捨てられたワイシャツの山があり、それは全てヴィルがエペルに当てて「違う」と断じて投げ捨てた物である。
始めこそはルークが拾い、畳んでいたが数が増えるにつれて後で纏める事にしたのかルークは少し離れた場所で優雅に紅茶を飲んでいた。
ナイトレイブンカレッジに入学して二日目。
新入生向けのオリエンテーションを終えて寮に戻って来たエペルは寮長であるヴィルに捕まった。
文字通り、シャツの襟首掴まれて。
突然の息苦しさに混乱したエペルであるがすぐに襟首を掴む手は離され、咽せながらも一息吐こうとした所でヴィルの弾丸トーク。
要約するにエペルが着ていた規定のワイシャツがヴィルはお気に召さないと言う。
エペルはちょっと言ってる意味が分からなかった。
気に入らないも何もワイシャツも制服の一部であるのだから似合おうが似合わないが仕方がない。
最早言いがかりをつけられている様な気さえしてきたエペルであるがヴィルの凄まじい勢いには勝てなかった。
そのままヴィルに手首を掴まれたエペルはヴィルの部屋まで連行され、かれこれ三時間程シャツの合わせをしていた。
合わせるも何もワイシャツも制服なのだから指定外の物を着るのは無茶な話だと思ったエペルであるがルーク曰く普段であればシャツは自由であるらしい。
それを聞いたエペルはパーカーやセーターを着ていた先輩を思い出し、出来れば自分も動きやすいパーカーの方が良いなと思った。
思ったが見るからに苛ついて見えるヴィルに入学したてのエペルは物申す勇気が湧かなかった。
「ああ、もう!」
とうとう、ヴィルのクローゼットにはエペルが似合う物は無かったらしい。
苦惜しげにぶつぶつ独り言を言うヴィルに怖ろしさを感じ後ずさったエペルをルークは手招く。
テーブルにはエペルとヴィルの分であろう紅茶が用意されていた。
招かれるがままにエペルは席に着いた。
「えーっとルークサン。もう帰っても良いですか?」
「まあ、待ちたまえムシュー・姫林檎。もうすぐ面白い物が見れる」
ルークに姫林檎と呼ばれたエペルは酷く顔を顰め、その表情のまま彼が指差す先を見た。
そこにはスマホを手に、誰かと通話するヴィル。
様子から一方的にヴィルが喋っている様で、通話中、一度も口を止めなかったヴィルはそのまま電話を切った。
誰かと通話して少しばかり落ち着いた様子のヴィルと光る床。
「って、あれ召喚術の光じゃないですか?!」
何をやっているんだと驚いたエペルは立ち上がった。
そんなエペルにルークは己の口に人差し指を当てて静かにするよう伝える。
「さあ、ヴィルのとっておきがお出ましさ」
小さな爆発の様な音の後、部屋中は白い煙に包まれた。
その煙の発生源、あの光っていた床の場所には一人の女がいた。
「酷いわヴィル君。私、夕食を食べてたのよ」
「こんな遅い時間に食べてるからいけないのよ。言ったでしょ?夕食は8時迄に済ませなさいって」
「しょうがないじゃない。閉店間際にお客様が駆け込んできたんだもの!」
私の夕飯!と嘆いて床に伏せる女にエペルは呆然とした。
召喚術なのだからてっきりモンスターなり、使い魔なり、何か恐ろしい物が召喚されると思っていただけにエペルは二人のやりとりに拍子抜けであった。
ヴィルはわんわん嘆く女を前に片膝をつくとと彼女の顎を掴み、無理やりに顔を上げさせる。
「そんな事言って良いの?せっかくアンタ好みの子を紹介してあげようと思ったのに」
「その子綺麗?」
「他のジャガイモに比べればまあまあね」
そう言ってヴィルは女の顔をエペルへと向けさせた。
ヴィルが女の顎を掴んでいた手を離すと女は立ち上がり、一気にエペルとの距離を縮める。
そしてエペルの前に立った女はじろじろとエペルを眺めた。
その女から送られる不躾な視線に居心地の悪さを感じるエペルであるが、女は急にエペルを見るのを止めると振り返り「この子すっごく綺麗!」と興奮を交えた大きな声でヴィルへと告げた。
「うんうん。まさか人生で二度も美少年を見れる何て感激だな」
「アンタ、本当に好きよね」
「大好き!」
ヴィルの言葉に元気よく答えた女。
そんな女に対し、何故かヴィルは少しばかり苦い顔をしたがすぐにいつもの表情へと戻した。
「あ、そういえば美少年君にはまだ名乗ってなかったね」
名をエギーユと名乗った彼女は自分がヴィルの幼なじみである事も告げた。
よろしくと出された手に、エペルも自身の名を名乗って出された手を握る。
「それで、さっきも電話で話したけどこの子に似合うシャツを何着か仕立てて欲しいのよ」
「え、仕立て?!」
ヴィルの言った仕立てという単語にエペルは過剰に反応を示した。
というのも仕立てというと、エペルにとってはお金持ちや高貴な人が行うものという認識であり、とても自分の様な庶民には縁がないと思っていたからである。
そんなエペルの反応を楽しむ様にエギーユは笑った。
「仕立てって言っても私はプロでも何でもないし材料費しか貰わないから安心して」
そう告げられてそれならばと胸を撫で下ろすエペル。
エギーユは言葉を続ける。
「後、今回は入学祝いという事でお姉さんが奢っちゃう!」
「アンタねえ」
エギーユの発言に呆れ、物言いたげなヴィルに構わずエギーユは首に掛けていた巻尺を手にエペルの採寸を始めた。
エペルは言われるがままに腕を上げ、背筋を伸ばす。
あらかたの採寸を終えたエギーユはルークの用意した紅茶を飲んでいたヴィルへと声をかけた。
「ちょっとそこの扉借りるね」
「好きにしてちょうだい」
エギーユがそこ、と言ったのは部屋から廊下へと出る扉で、エペルはエギーユの言う扉を借りるという言葉の意味が分からなかった。
エペルがエギーユを注視していれば彼女は小さな杖を扉に向かって振るう。
そしてそのまま扉の向こうに消えたのだが
「お待たせ」
ものの数分で戻ってきた上、試作のシャツを着せられたトルソーを連れて戻ってきたエギーユにエペルは驚いた。
対してヴィルもルークも慣れた様子で、エギーユに労りの言葉をかけている。
「シャツのシルエット自体は出来るだけ学園支給の物に近づけて、襟と袖は大胆に改造しました」
「悪くはないわね」
椅子から立ち上がり、トルソーにピンで止められた試作のワイシャツを見るヴィル。
先程の一見するだけで気に入らないとシャツを放り投げていた人物と同じとは思えずエペルは驚く。
裾の始末、肩の形を間近で見ていたヴィルであるが、その彼の瞳はトルソーの首を飾る精巧なレースへと向かう。
「これ」
「あ、そのレース良い出来でしょ?本当はヴィル君にと思って作ったものなんだけど合わせてみたら意外に合うから「合わない。全く合わないから別のレースにしてちょうだい」」
エギーユの言葉を遮って迄はっきりと言い切ったヴィルにエギーユは苦笑いを浮かべ、頬を掻く。
「そうなると市販のレースになるんだけど」
「それで十分よ」
「それじゃあ、ちょっと待っててね」
エギーユはそう言って再び扉の向こうへと消えた。
見るから不機嫌なヴィルに萎縮するエペルに対し、ルークの表情は何故か燦然としている。
ヴィルの不機嫌な理由が分からないエペルは居心地悪気に冷めた紅茶を飲んでいるとエギーユが戻って来た。
手にはハンガーにかけられたワイシャツが二着。
エギーユが扉の向こうに消えてやはりものの数分だというのに出来上がったワイシャツにエペルは驚く。
ヴィルはそのワイシャツの内の一着をエギーユの手から拐うと立たせたエペルに当てがいじっくり見た。
「やっぱり市販のレースとなるとこれが限界ね」
「だったらエペル君用に新しいレースを用意しようか?」
「まだ良いわ。新じゃが程度でアンタの用意したレースを身に纏ってもその真価を発揮出来ないもの」
そう言い切ったヴィルはエペルに持っていたワイシャツとエギーユの手にあった一着を押し付けた。
「これと同じ物を後三着お願い」
「納品は三日後になるけど」
「構わないわ」
同じ物を三着と聞いて驚き慌てたエペルであるが、エギーユ曰くそれも先程話していた入学祝いの内に入るらしい。
「そのかわり大切に着てくれると嬉しいな」
「もちろん!大切に着ます」
思わず身を乗り出し答えたエペルにエギーユは微笑み、頭を撫でた。
その優しげな手付きに故郷の祖母を思い出したエペルは頬を緩める。
そんな和やかな雰囲気の二人を見つめるのは腕を組み、片眉を吊り上げたヴィルであった。
「それじゃあエペル、もう部屋へ戻って良いわよ」
ヴィルがペンを振るうとエペルの襟首は勢いよく引っ張られ扉の向こうへと出された。
半ば投げ出される様に部屋を追い出されたエペルは見事に尻餅を付く。
「いたたたっ」
床に打ち付けたお尻をエペルがさすっていると自力で来たのかルークが部屋から出てきた。
扉の向こうではヴィルのエペルに対する仕打ちに怒っているらしいエギーユがヴィルに何やら言っている。
そこで部屋の扉はルークにより閉じられた。
「今回は幸運だったねムシュー・姫林檎」
「不運じゃなくてですか?」
自分の事を姫林檎と呼称し出した辺りから何を言っているんだこの人とルークに対し思っていたエペルであるが今の発言でますますルークという人間が分からなくなった。
エペルとしては寮に戻ってから色々したい事があったのに突然拉致され、好き勝手に着せ替え人形にされつつ長時間拘束されて、最後は乱暴に部屋からの追い出し。
これの何処が幸運と言えるのかエペルは理解が出来なかった。
「彼女はヴィルのお気に入りのお針子なんだ。そんな彼女の作品を得られたのだから幸運以外の何物でもない」
「はあ」
「よく分からないという顔をしているね。大丈夫、そのシャツの価値は直に分かるよ」
そう笑って言ったルークにエペルは半信半疑な気持ちであったが、後々その言葉の意味を知る事となる。