青い彼岸花の少年




青い彼岸花

それは秋の野に咲く花を指す名称ではなく葵枝の実家に伝わる伝承だという。

昔々、とある夫婦の遅がけに出来た一人娘が流行り病により生死の境を彷徨っていた。
夫婦はありったけの金で町一番の医者に治療を求めるが当時の技術では病の治療は難しく、医者は己の身の可愛さに娘の診察をしようともしてくれなかった。
只、死を待つしかない己が娘に父親は藁にも縋る思いで近くの寺へと駆け込むと只只管に娘の快気を仏に願った。
寝食を忘れて三日三晩仏に願い続けた父親はとうとう昏倒してしまう。
父親は気付くと見知らぬ丘の上にいて、何処からともなく現れた眩しく輝く人に声をかけられた。
曰く父親の熱心な願いに応えるべく天上より降りてきたという名のあるその輝く人は青い彼岸花を一輪差し出す。
その珍しい色をした花は天上の花で、その甘い蜜はどんな怪我も病気も治すという。
けれど天上の花であるが故、地上の空気に耐え切れず地上に持ち込んだ途端に萎びてしまうのだとか。
それを聞いて娘の病気が治ると期待した父親は見るからに落胆した。
そんな父親に輝く人は一案を授ける。
花を食みなさいと、輝く人は言った。
蜜は薬であるが花自体は毒を孕む。
只の人間が花を食めばその毒が全身に廻り、途轍もない苦しみを味わう事になるがその苦しみを乗り越えれば花を食んだ者は花となり、体を巡る水は花の持つ蜜と同等の力を得る。
特に血の効果は凄まじく、それを娘に飲ませれば病の完治も可能だと輝く人は言った。
父親はその話を聞いて己の身はどうなっても良いと迷わず渡された青い彼岸花を食べた。
嚥下した直後、腹から痛みが湧き上がると次第にそれは全身を廻り、酷い苦しみにのたうち回り、吐いて、喉を掻き毟り、その内意識が遠のいて、目が醒めると父親は寺の前に倒れていた。
空腹と睡眠不足の末に意識を失っていたのだと理解した父親であるがその際に見た夢が只の夢と思えず慌てて家に戻ると徐に指先を切って虫の息であった娘に切り口から零れる血を飲ませた。
するとたちどころに娘の荒い息遣いは穏やかなものに変わり、数日と待たずに病は完治した。
それから娘と家族は酷い病や怪我に悩まされる事もなく健やかに暮らして

めでたしめでたし

と終わるかと思いきや、話はそれで終わらない。
何故かそれ以来その一族は幾ら代を重ねてもそう言った不思議な血を持つ者が産まれた。
その不思議な血を持つ者は決まって三日三晩高熱に魘されて、青い彼岸花を食む夢を見て目を覚ますという。
そんな彼等は皆が皆、揃って短命であった。
具体的に何歳迄というのは無いが始めの父親を除いた者達は皆、三十の歳を迎えられずこの世を去ったという。
そんな話からいつしかそうした不思議な血を持つ者は短命という正に花の様な儚さも相まって青い彼岸花と呼ばれる様になった。



葵枝からそんなお伽話の様な話を聞き、炭治郎は勿論の事兄妹達もまさか、と信じなかった。
炭治郎は熱も夢も只の偶然だと顔色の悪い葵枝を懸命に宥めた。
それから数日、体調が落ち着いてきた炭治郎であるが己の身体の違和感に頭を傾げていた。

「身体が変?」

「ああ、何て言えば良いのか。まるで自分の身体じゃないみたいなんだ」

炭治郎が以前と比べて変わったと思えるのは己が体力である。
それまでであれば売り物の炭を籠いっぱいに背負い下山して町で売り歩き、山を登るだけの体力があったが今日、家の周りを何周か歩くだけで炭治郎の息は乱れた。
炭治郎の相談を受けた禰豆子は縫物をしながらそれは病みあがりだからだろうと答えると考え込む炭治郎に早く眠る様に促した。
明日は病みあがりの身体を慣らすために炭治郎は竹雄と木を切りに行く約束をしているのだ。
葵枝や兄妹達が既に眠っている中、炭治郎は禰豆子がまだ眠らない事を気にしていたが禰豆子は縫物をきりのいい所まで済ましてしまいたいからと炭治郎に再度眠る様に促す。
ほぼ一日を布団の上にいた炭治郎であるが葵枝や禰豆子の代わりに幼い兄妹を見ていて疲れたのだろう入眠は早く、穏やかな寝息が聞こえた。
炭治郎と話す間は笑みを絶やさなかった禰豆子は炭治郎が眠った途端に眉を下げて布団の上に置かれた炭治郎の腕に触れた。
炭治郎は自身の体力の低下を気にしていたが禰豆子はそれよりも気になる事がある。
昼間、竹雄が布団の上で下の兄妹達の面倒を見る炭治郎を父親の様だと言った。
優しい面持ちで兄妹を見守る炭治郎に父性を感じて出た言葉ではない。
禰豆子は竹雄の言葉を聞くまで気付かなかった。
いや、気付いていたけれどまるで病床の父親を彷彿させる炭治郎の姿に目を背けていたのかもしれない。
炭治郎は以前に比べて明らかに痩せ細っていた。
元々満足に食べれていなかったし高熱を出した折には三日も食べれず目を覚ましても食事は重湯から始まった。
けれど今は自分達と同じ物を食べて少なくとも栄養は取れている。
だというのにこの肉の薄さは、たった三日で人間はこんなにも枯れ木の様に痩せ細ってしまうのか禰豆子は信じられなかった。

「大丈夫。きっと後、数日ご飯をお腹いっぱい食べれば前のお兄ちゃんみたいに戻るんだから」

だから、きっと、と願う禰豆子の思いとは裏腹に炭治郎の身体は良くならなかった。
翌日、竹雄と共に近場迄木を切りに出かけた炭治郎は体調を崩して家に戻って来た。
熱に一晩魘されてそのまた翌日には回復したがそれ以降そんな事が何度か続き炭治郎の身体が良くなる事は無くなった。
空気が乾燥すれば咳を零し、事ある毎に熱を出し、季節の変わり目には必ず風邪を引く。
本来であれば兄妹で一番年上である自分が家族を支えていかなければならないのに世話かける事に心苦しく感じている炭治郎に生きていてくれるだけでいいのだと言う一方でまるで母親が話した話に出て来た父親の様だと、禰豆子と竹雄は思った。
けれど、まさか、そんなと思いつつ季節がいくつか過ぎた時の事である。
町で病が流行った。
風邪に似たそれは罹ると酷い喉と頭の痛み、高熱に魘されて体力のない年寄りや幼い子供達は次々に倒れた。
これといった治療薬はなく只管熱が下がるのを待つのみで、次第に看病疲れか体力のある大人の中にもその病に罹る者が現れた。

「本当に行くのかい」

葵枝は竹雄の肩を掴み止めるが竹雄は町に炭に売りに行くと聞かない。
竈門家は山の中に居を構え、近所に人もいない為か未だ家族の誰一人と流行り病に罹っていなかった。
時折、雪が舞う冬の時期に流行る病は何故か野に花が咲く時期になると終息する。
秋の内に竈門家は贅沢さえしなければ家族七人、冬を越すだけの備蓄は十分してある。
町で病が流行っている以上山を下りるべきでないと言う葵枝に竹雄はちらりと家を見た。

「確かに今、町に降りたら危ないかもしれないけどさ。
沢山食わしてやりたいんだ兄ちゃんに」

贅沢しなければ冬は越せるがそれだけである。
炭治郎を以前の様にと思うと今の備蓄では足りない。
そう言われてしまうと葵枝も強くは出れず、せめて何事もない様にと祈って見送った。
けれどその願いも虚しく竹雄は炭売りから四日後、高熱を訴えた。
熱い息を吐き出し魘される竹雄の側には六太が寝かされていた。
小さな子供や年寄りが罹りやすいという話の通り、竹雄が高熱を出して倒れた翌日に竈門家で一番幼い六太が発病した。
ふうふうと苦しげな息を吐き出す六太に何かしてやりたいと思う炭治郎であるが普段からなにかにつけて熱を出す炭治郎が六太の次に危ないからと一番離されていた。
病に苦しむ兄弟に何もしてやれず何が長男だと炭治郎は己の不甲斐なさに布団を強く握る。
その時炭治郎は閃いた。
炭治郎はちょうど土間にいた禰豆子に茶碗と包丁を取ってもらう様頼んだ。
禰豆子は何故そんな物が必要なのか分からなかったが取り敢えずそれらを厨から持ってくると炭治郎の布団の側に置いた。
炭治郎は徐に包丁を取ると突然、左中指の腹を傷付ける。

「お兄ちゃん!」

その突然の自傷行為に禰豆子は悲鳴を上げた。
ぽたりぽたりと指から滲む鮮血が玉になり、炭治郎の指から下に置いた茶碗へと滴り落ちる。
そして驚く事にその真っ赤な血は見る見る内に無色透明に変わっていた。
その明らかな色の変化に見ていた禰豆子も手拭いを持ってきて炭治郎の指の止血をしていた葵枝も驚き目を開いた。

「これを六太と竹雄に飲ましてみてくれ」

確かに炭治郎の指から流れた血だったそれは血液独特の鉄臭さはなく、寧ろ春の庭先で吸った花の蜜の様な甘い匂いがしていた。
禰豆子は半信半疑でまず熱に浮かされて浅い呼吸をする六太の上半身を起こすと茶碗を口元へと運ぶ。

「姉ちゃん?」

「六太、苦しいだろうけどこれを飲んで」

口元に当てた茶碗を傾け、半分程を嚥下させると熱の籠もった息を一度吐き出した六太は甘くて美味しいと笑みを浮かべた。

効果はすぐに現れた。
あんなにも浅い呼吸を繰り返していた六太の呼吸は平時と変わらぬものに戻っていた。
熱で体力を使っている為か再度横に寝かせれば少しして、先程とは一変して穏やかな寝息が六太から聞こえる。

「効いているみたいだな」

振り向けば安堵した様子の炭治郎。
けれど、禰豆子は全く安堵出来なかった。
この後、竹雄にも残ったそれを飲ませるとやはり効果はすぐに現れて熱に浮かされていた竹雄の表情は柔らかく、呼吸も落ち着きを取り戻す。
後、一晩すれば二人共に完治しそうであった。
それはとても喜ばしい事である。
本来であれば二人はまだ暫く熱に浮かされて、身体の小さな六太など熱に耐えきれず死んでいたかもしれなかった。
けれどそれが炭治郎の血を含んだ事で見て明らかな程に回復した。
とても喜ばしい事である。
けれどそれは炭治郎が昔話等ではなく本当に青い彼岸花なるものになってしまったのだという証明でもあった。
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