青い彼岸花の少年

竈門炭治郎は身体の弱い子供である。
季節の変わり目には必ず風邪を引いたし、数いる兄妹の内の誰かがくしゃみをすれば必ず炭治郎が次の日には熱を出して寝込んでいた。
家族はそれが分かっていたから普段から病気の予防に気をつけていたがそれでも何かしらの要因で熱を出す。
炭治郎は今や一日の大半を布団の上で過ごしている。
そんな身体の弱い炭治郎であるが生まれつき身体が弱かった訳では無い。
産声を上げた時は家の外に迄聞こえる程の声を上げたし、四つん這いで動ける様になればそれはもう母親も祖母もあっちこっち動く炭治郎に手を焼いた。
歩ける様になれば外に飛び出し晴れでも雪の日でも庭兼山を走り周り、後に生まれた兄妹の面倒をよく見て家業も家事も誰より手伝った。
炭治郎は生まれた当初、健康的で何処にでもいる男児であった。
それが何故、今は身体が弱いのかというと父親が死んで暫くの事である。


炭治郎は夢を見た。
深き紺青の空に星が瞬き真上には朧げに輝く満月。
炭治郎は葉先の短い草が生い茂る小さな丘の上に一人立っていた。
その丘には月の柔らかな光を受けて輝く青い花が一輪生えていて、その美しさに炭治郎は近づき息を漏らす。
それは秋の山でよく見かける彼岸花で、山でも見たことの無い鮮やかな青に炭治郎は思わず見惚れた。
始めこそは柄にもなく珍しい色合いに鑑賞していた炭治郎であるが無性に腹の底から空腹を感じた。
さっきまで綺麗だと思ったその青い花が段々と美味しそうに見えて口内は涎に満たされる。
まるで誘われる様に青い花の前に膝をついた炭治郎は手を伸ばし、花を手折ると口元までそれを運び、一口。
それは野に生えた花とは思えぬ程甘くてまるですぐ下の妹の好物である金平糖の様だと炭治郎は思った。
それ程大きくもないその花は三口もあれば炭治郎の腹に収まってしまう。
それでも先程迄の空腹は嘘の様に腹は満たされるのだが炭治郎はその直後酷い吐き気に襲われて口元を押さえた。
まるで腹の底で何かが暴れているかの様に痛み、脂汗が身体中から噴き出る。
段々と体が底冷えしてきて手足が痙攣した。
痙攣する足では膝立ちしていられず、息がするのが苦しくなり炭治郎は己の胸倉を掴みながら地面へと倒れ込む。
ぜぇぜぇと浅く荒い呼吸を繰り返す炭治郎は朦朧とする意識の中、この場にはいない筈の母、葵枝の声を聞いた気がした。

「炭治郎!」

強く呼ばれた己の名に炭治郎は瞼を開けた。
炭治郎の視界に映ったのは家の天井で、酷く憔悴した様子の葵枝と瞳に涙を溜めた禰豆子が炭治郎の顔を覗き込む様に見下ろしている。
その二人の様子に驚いた炭治郎はどうやら横になっていたらしい体を起こそうとするのだが

「あ、れ?」

何故か体は思う様に起き上がらない。
どれだけ起き上がろうとしても背中が少し浮き上がるだけで炭治郎の体は下に敷かれた布団へと後戻りする。
おかしいのは体だけでなく、喉はまるで暫く使っていなかったかの様に声は嗄れ、渇き、ひりついていた。

「無理して起き上がらなくても良いのよ炭治郎」

「そうよ!お兄ちゃん三日も目を覚まさなかったんだから」

禰豆子の言葉に炭治郎は驚きの声を出そうとしたが代わりに出たのは咳だった。
咳き込む炭治郎の体を起こした葵枝は背中を摩り、咳が落ち着くのを待って用意していた白湯を少しずつ嚥下させる。
喉が楽になるのを感じた炭治郎は二人に自分が目覚める迄の事を尋ねた。

炭治郎の異変に始めに気が付いたのは次男の竹雄だった。
炭治郎と一緒に朝から木を切る約束をしていた竹雄は楽しみのあまり誰よりも早く目を覚ました。
弟、妹の寝相でずれた布団をかけ直してやり身支度をしていた所未だ眠る炭治郎から苦しげな声が聴こえる。
始めこそ悪夢でも見ているのだろうと思った竹雄であるが炭治郎の顔を覗き込めば顔色は蒼ざめていて額からは大粒の汗が噴き出していた。
そんな炭治郎の様子に只事では無いと感じた竹雄は母親の葵枝を起こし、その騒ぎで禰豆子や兄妹達も目を覚ました。
葵枝は炭治郎に呼び掛けるが応答は無く、額に触れて熱を測ればそこは酷く熱を溜めている。
お医者様を、と漏らした葵枝の言葉に竹雄は
すぐさま呼応して葵枝の制止の声も聞かずに家を飛び出すと町から起き抜けに連れて来られたのであろう寝間着姿の医者を連れて戻って来た。
慌てた竹雄は医者に碌な説明をせずに連れて来たのだろう、酷く困惑した様子であった医者は布団の上で浅い息を繰り返す顔色の悪い炭治郎を見てすぐに診察を始めてくれた。
触診や心拍、葵枝から炭治郎の昨晩の様子を尋ねた医者の診断は原因不明の高熱だった。
医者は申し訳無さそうに数日分の解熱剤を置くと行きと同じく道案内役の竹雄に付いて下山した。
それから葵枝と禰豆子が交代で熱に魘される炭治郎の看病をし、その間竹雄は下の兄妹達の面倒を見た。

それが炭治郎が目覚める迄三日続いた。
家族に世話を掛けた事に申し訳無さそうにした炭治郎に葵枝も禰豆子も無事に目を覚ましたのだからと笑って見せた。
今まで姿の見えなかった兄妹達の声が戸口の向こうから聴こえる。

「竹雄達が帰って来たんだわ」

「みんな心配してたからきっとお兄ちゃんが目を覚ましたのを見て凄く驚くよ」

炭治郎に代わりに木を切りに行っていたという竹雄達を出迎えるべく葵枝は立ち上がると戸口へ向かい、禰豆子はこの後起こりうる騒ぎを想像して悪戯な笑みを浮かべた。

「あー!お兄ちゃん起きてる!」

「兄ちゃん!」

禰豆子の予想通り帰って来た兄妹達はようやく目を覚ました長男の姿に歓喜の嵐であった。
一番に炭治郎に抱きついたのは末の六太で、続いて花子。
茂は驚きと嬉しさに大粒の涙を零して「兄ちゃん、兄ちゃん」と泣きつき、竹雄は呆然と戸口で立ったまま兄妹に囲まれて微笑む炭治郎を見ていた。

「竹雄、心配かけて悪かったな」

何時迄も戸口に立って動かない竹雄に六太を抱いた炭治郎は声をかけた。
竹雄はくしゃくしゃな笑みを浮かべて、何処か安堵した表情で「本当だよ」と返す。
ふと和やかな雰囲気を壊す様にその音は鳴った。
まるで獣の唸り声の様な低い音の出所は炭治郎のお腹からで、炭治郎に抱かれていた六太は炭治郎のお腹を撫でた。

「兄ちゃんお腹空いた?」

「炭治郎は三日も寝込んでいたからね」

すぐに重湯を用意するという葵枝に炭治郎はお腹が空いていない、長男だからと何故か強がるが相変わらずお腹の虫は空腹を訴えて声を上げる。
そこで禰豆子は何か思い立ってか腰を上げると小さな包みを持って戻って来た。
一体何を持って来たのか興味津々に禰豆子の手元を覗く兄妹達に禰豆子は少し得意げな表情で包みを開く。
桃、緑、白と鮮やかな色合いに特徴的な形の小さな粒、それは禰豆子の好物である金平糖だった。

「これだったら今のお兄ちゃんでも食べれるでしょ?」

どうぞ、と差し出される金平糖に炭治郎は食べられないと首を振った。
別に甘いものが嫌いなわけでは無いが金平糖自体竈門家のお財布事情ではなかなか購入出来ない代物で、今禰豆子の手にある金平糖も炭治郎の炭売りに付いてきた幼い兄妹達に感心した町の人がくれた貰い物である。
それを炭治郎を除く兄妹達で分けていたが禰豆子は今の今までそれを大切に取っといていたのだろう。
そんな妹の好物を長男たる己が食べる等長男の風上にも置けないというのが炭治郎の論である。
が、禰豆子は構わず炭治郎の口に金平糖を放り込む。

「んん?!」

「お兄ちゃんは今、長男である前に病人なんだから遠慮しなくても良いの」

そう言って禰豆子は羨ましそうに金平糖を見る幼い兄妹達の口にも金平糖を放り込み、続いて頑なに口を閉ざしていた竹雄の口にも無理矢理捩じ込むと最後に己の口にも入れて頬を緩ませた。
炭治郎は口に入れてしまっては仕方が無いと、せめて口の中の金平糖を大切に大切に味わう。
そして、ふと己が寝込んでいる間に見ていた夢を思い出した。
夢の終盤は血反吐を吐く程に苦しい思いをしたがその夢の中で食べた花はこの金平糖の様に甘かった。

「そう言えば兄ちゃん、夢で青い彼岸花を食べたんだ」

炭治郎の漏らした言葉に誰よりも反応したのは竃の側で重湯を作っていた葵枝だった。
手を滑らせたのか、葵枝の手を離れた茶碗は幾つかの弧を描き、そのまま地面に落ちると派手な音をたてて割れた。
彼女の足下には落ちた茶碗が無残に割れて破片が辺りに散らばっている。
葵枝の表情は酷く青ざめていて唇は震えていた。
母親の只ならぬ様子に炭治郎は膝の上の六太を下ろして駆け寄ろうとするが、それを禰豆子に押し留められて代わりに動いた竹雄が葵枝の手を引いて皆のいる所へと連れて来る。
葵枝は炭治郎の痩けた頬に触れて涙を零すと何に対してなのか「ごめんね、ごめんね炭治郎」と只管に涙を零して謝った。
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