不死川実弥は今、鬼殺隊で話題の人である。

鬼殺隊という組織は一部例外を除いて親兄弟、恋人を鬼により失い、悪鬼滅殺を胸に日々鬼狩りに勤しむ集団である。
鬼狩りというのは命がけで、兎に角暗い話題に事欠かさない。
だからこそなのか明るい話題に飢えている傾向は強く、やれ良い人が出来た、やれ結婚等明るい話題は正に電光石火の勢いで顔見知りから顔も見知らぬ隊士にまで伝わる。
一般隊士さえそれなのでこれが鬼殺隊を代表する柱の話題となると未確定の話でさえ鬼殺隊中を瞬時に駆け巡る。

「よお！不死川。お前とうとう結婚するんだってな」

片手を挙げてにこにこと近付いて来た宇髄に実弥は苦々しい顔をした。
そんな実弥の様子に構わず、肩を抱き、結婚は良いぞと語り出す宇髄に実弥は深々と、腹の底からうんざりとした気持ちを吐き出す様に深い息を吐いた。

「30人」

「ん？」

「そのふざけた話をして来たのはお前で30人目だ」

因みにこの30人は今日だけの数である。
ここ数日、実弥は隊士や隠、柱、と会う度に見に覚えのない祝辞を告げられる。
婚約、結婚、終いには既に相手の腹には実弥の子がいるなどと話は尾鰭に背鰭、何なら翅も生やして跳躍している。
そんな話をされる度に実弥は元から鋭い眼光をより鋭くさせ否定しているのだが流石に疲れた。
どうしてこんな事になった。
実弥は覚えの無い話に疲れ果てていた。

「何だよやっぱりガセかよ」

「あったり前だろうがぁ！！！」

こんな時世で結婚にうつつを抜かす暇があるなら少しでも多くの鬼の頸を狩りたい所である。

「お前はそういう男だよな」

うんうんと頷き納得する宇髄であるが何処か残念そうに見えるのは気の所為であろうか。

「けど、結婚はガセでもこれはいんだろ」

これ、と実弥の前に出された小指。
恋人の意であるその仕草に実弥は顔歪ませる。

「何だよ隠すなよ。お前が年上の女と密会してるのは何人も見てんだぞ」

そもそも実弥が婚約、結婚という噂の原因は何人もの隊士や隠、加えて恋柱と蛇柱が見かけたというその密会が原因である。
その密会の様子を見た彼等は口々に言うのだ。

「とても親密でした」

「距離が近かったですね」

「近くで見ていてとてもきゅんきゅんしたわ」

そんな彼等の証言もあり、実弥の密会が一人歩きをして結婚の話に迄飛躍したのであるが宇髄から噂の経緯を聞いた実弥は声を荒げる。
違う、勘弁してくれ、と苦悶の声を漏らし己の髪を掻き毟る実弥に宇髄は驚いた。
噂によると相手の女性は目を引く程の美人でも無いが顔が悪いという話は聞かない。
そんな女性との現場を何度も見られているのだから決して実弥も満更では無いだろうにと宇髄がそんな事を漏らせば怒りの臨界点は越えたのか至極冷静な声で説明された。
実弥は付き纏いにあっているのだという。



「実弥さん」

目の前のその顔にまた出た等と口に出さなかった自分は偉いと褒める程、頻繁に己の前に現れる灯里に実弥は辟易していた。
余り知られていないが灯里は岩柱である悲鳴嶼の妻で、今は悲鳴嶼の元で継子をしている実弥の弟、玄弥の世話をしてくれている人物である。
それに関しては口にしないながらも感謝している実弥であるのだが、ただ一点灯里には困る事があった。

「それで実弥さんはいつ家に引っ越して来てくれるんですか？」

これである。
灯里は実弥と会うと必ずこの質問をしてくるのだ。
その度に実弥は「行かねぇ」「引っ越さねぇ」ときっぱり断りを入れているのだが、それでも灯里は次回会った際には同じ質問をしてくるのである。
最早こう何度も同じ質問をされると灯里の頭を心配してしまう実弥であるが灯里はその質問を除けば至って正常であった。
玄弥と共におはぎを作ったからお裾分けに来たという灯里をそのまま帰すのも忍びなく、屋敷に上げてお茶を出すと灯里は実弥が尋ねる間もなく屋敷での玄弥の様子を話し始めた。
これが灯里以外の人間であれば「俺に弟はいねぇ」と凄んでいる所であるが、灯里に以前同じ事をした所無言ではらはらと涙を溢されたのは実弥には苦々しい記憶である。
どうも灯里に泣かれてしまうと亡き母親の姿が重なってしまい実弥は居心地が悪かった。
そんな事もあり灯里から聞かされる玄弥の話題には大人しく耳を傾ける実弥であるが近頃聞かされる内容が余りにも酷い。
何が酷いかと言うと思春期男子に行うには恐ろしく悪夢の様な所業で、最早人の心が無いのかとさえ疑ってしまう程である。
余りにも玄弥が可哀想なのでいっそ自分の屋敷で引き取ってしまった方が良いのでは、という考えに至った実弥は慌てて首を振るいその考えを己の頭から追い出した。
そして代わりの話題に実弥は以前から聞きたかった事を尋ねる。

どうしてこんなにも自分に構うのか

そう尋ねれば灯里は笑って答える。
灯里の主張はこうである。

悲鳴嶼の継子である玄弥は謂わば悲鳴嶼の息子。

悲鳴嶼の息子である玄弥は悲鳴嶼の妻である灯里の息子。

実弥は玄弥の兄であるからやはり自分達の息子。

ならば実弥はまだ未婚であるわけであるし、家族皆で同じ家に住むのは当然の道理である。

「ちょっと待て」

灯里のとんでも理論に実弥は思わず待ったをかけた。
実弥の様子に何かおかしい事でも言っただろうかと頭を傾げた灯里に実弥はそもそも継子は師弟の様な関係であり親子関係ではないと説明するのだが灯里はいまいち要領を得ない。
このままでは玄弥が勝手に不死川から悲鳴嶼の養子にされるのではと恐怖を抱いた実弥は懇々とあの手この手を変えて説明するのだが灯里は理解しなかった。
「結局玄弥さんはあの人の息子、という事でしょう？」という事に帰結してしまうのだ。
説明のし過ぎで疲れた実弥は客人である灯里に構わず机に突っ伏す。

「失礼する」

そんな厳しい声に頭を上げれば庭に悲鳴嶼が立っていた。
灯里を迎えに来たという悲鳴嶼に灯里はここにいる事を伝えていなかったのか驚いて見せる。

「まあまあ、あなた。どうされたんですか？」

「鴉からお前がここにいると聞いたのだ」

そう言った悲鳴嶼の大きな肩には彼の鴉がおり、悲鳴嶼の言葉を肯定する様に一鳴きした。
丁度近く迄来たので迎えに来たと言う悲鳴嶼は始め、玄関から声をかけたのだが応答は無く、仕方ないので庭へと回り込んで来たという。
実弥は説明に、灯里はその説明を聞いていて二人は全く気づかなかった。
悲鳴嶼の迎えに嬉しそうな笑みを浮かべて立ち上がった灯里は湯呑みを片付けてようとするが、すかさずそれを実弥は止める。

「折角、悲鳴嶼さんが迎えに来たんだからあんたは気にせずさっさと帰れ」

灯里は実弥の言葉に甘え、お茶の礼を告げると軽い足取りで玄関へ向かう。
相変わらず机に凭れ疲れ果てた実弥を察してなのか悲鳴嶼は労りの言葉をかける。

「ああ、妻が何時も言っていると思うが私も歓迎しているぞ」

「悲鳴嶼さん、あんたまでそんな事言うのかよ」

勘弁してくれと頭を抱える実弥に悲鳴嶼は冗談だと笑い、礼を告げるとその場を後にした。
屋敷の入り口迄戻れば灯里が既に待っており、悲鳴嶼に声をかけるとするりと己の腕を絡ませる。
それは悲鳴嶼が寺にいた頃からの灯里の癖であり、最近は忙しさの余りこうして二人並んで歩くのは久しぶりだという事に気づく。
暫く他愛無い話をしながら歩いていた悲鳴嶼は灯里と共に歩きながら実弥に去り際で「あんたの奥さんどうにかしてくれ」と言っていた事を思い出し、その話題に触れた。

「お前があまりに引っ越して来いと言うから困っていた」

そんなに実弥に引っ越して来てもらいたいのか尋ねれば灯里は折角屋敷に玄弥がいるのだから実弥も引っ越してくれば兄弟水入らず過ごせるのに実弥が意地を張って困ると頬に手を当てて言った。
灯里が実弥に言っていた玄弥は悲鳴嶼の息子だからその兄の実弥も息子という理論についてはただの建前らしい。

「私だって誰も彼も無闇矢鱈に己の息子認定しません」

灯里としては兄弟仲良く過ごせれるのなら玄弥が実弥の所に行っても良いのだが玄弥は悲鳴嶼の継子であるし、向こうの屋敷では炊事洗濯と自分達でする事が多い。
反対に実弥が引っ越してくればそれら雑務は己がするので兄弟仲良く修行も趣味も何でも好きに過ごせるのにという事らしい。

次こそは実弥を頷かせてみせると意気込む灯里に程々に、とやんわり嗜めながら悲鳴嶼は何かと己の妻に弱い実弥のらしくない困り果てた声を想像して笑った。