記憶の扉
次の日の朝から、本格的な訓練が始まった。
海が近いこともあり、浜辺での走り込みや筋トレ、山では泥にまみれながら実践の訓練を行った。
「おい、南雲って、あの南雲だろ?」
訓練中、ひとりの兵士が話しかけてくる。
どうやら同じアリスのようで、同い年らしいが隊の中では東雲同様の古株らしかった。
「なあ、東雲と相部屋大丈夫だったか?」
教官に見つからないようにさぼる術は心得ているらしかった。
緊張感を保ちながら、声だけはリラックスしている。
「なにも...」
そう答えるも、大丈夫とは、どういう意味なのだろう。
その言葉がひっかかった。
「ならよかった。
でも気をつけろよ。
あいつ、根がいいやつなのは知ってるけど、所詮化け物だからさ。
同じアリスでも、あいつは種類が違うよ」
じゃあまたあとでな、と言ってそいつは行ってしまった。
化け物...
東雲は、影でそう言われているらしかった。
さらに注意してみているとわかる。
休憩中、東雲と親しそうに話すあいつも、苦しい訓練で東雲に手を借りるあいつも、笑ってあいさつを交わすあいつも、影ではみんな、東雲を化け物と噂していた。
それはアリスでない者も、アリスの者も同じだった。
だが、そう言われても仕方ない所以には心当たりがある。
長年、そのアリスの性質上、両者を高め合いながら共に繁栄していった一族同士。
南雲家は、東雲家のアリスが強大で危険であることを一番よく知っていた。
しかしながら、十次個人としては、“化け物”という言葉には違和感をもっていた。
俺の知っている東雲家は、その強すぎるアリスを制御するのに長けていた。
そのアリスをもって生まれたことに恥じぬ鍛錬を日々積み重ね、強靭な鎧をまとうかのごとく、心身ともに尊敬に値する強さをもっていた。
そしてそれは、間違っても化け物なんて言葉で表現される代物ではない。
現に、東雲は隊での訓練は一番優秀で、他との差は歴然だった。
作りこまれた身体、武芸の染み付いた所作、対峙しただけで相手がひるむような圧。
すべてにおいて群を抜いていた。
南雲も一等兵に恥じぬ鍛錬は積んでいたが、東雲のそれははるかに上だった。
その日の夜、十次は駐屯地の中心地にしてこの地で一番安全な場所へ向かった。
そこは要塞のように守られており、地下にその主な施設があった。
隊長を含め、この国で一番の強さを誇る第一部隊の中心人物の宿舎であり作戦本部だった。
そこに、会いたい人物がいた。
初日は面会の許可が下りなかったが、今日の夜、やっとその許可がおりた。
施設の屋上に、その姿があった。
「叔父上。
お久しぶりです」
ぴしっと敬礼して、敬意をはらう。
「おお、十次。
おっきくなったなあ」
そう言って笑う叔父は、少し老けたなと思った。
幼い頃に会ったきりだったから無理もないかもしれない。
南雲家の象徴といえる赤髪を無造作に伸ばし、髭が生えていた。
軍人らしくないが、その雰囲気が昔の叔父と変わりなく、安心する。
南雲 勇次、十次の父の弟だった。
そして今はこの駐屯地の守り、つまりは結界を一任されている。
勇次は結界のアリスの名家である南雲家でも、指折りの結界使いで、このあらゆる分野の精鋭が集う国の最重要基地の守りを任されるのには納得がいく。
ここが空襲にあわないのも、爆弾が直撃しないのも、勇次のおかげといえる。
「十次が来てくれたのは頼もしいな。
ここのところ、空襲が増えてる。
敵の武器の精度もあがってきてるからな」
険しい表情の勇次。
「まあでも、お前はこんなとここなくたってよかったのに。
兄さんから聞いたよ、お前がわざわざ志願してここへ来たって。
しかも俺の手伝いじゃなくて、兵士になりにきたっていうのにはさすがに驚いた」
はははっと勇次は笑う。
「すみません。
守りの方も、いつでもお力添えはするつもりです...」
そんな十次をみて、勇次はさらに笑う。
「そんなお前まで軍人ごっこするな。
俺たちは同じ血の通った一族、家族だ。
俺の前では等級も関係ない。
昔みたいに接していいよ」
遠くを見つめ、勇次は煙草に火をつける。
「まあなんにせよ、俺もまだ現役ばりばりだ。
これしきの土地、守ってみせるよ。
だからお前は心配すんな」
くしゃくしゃっと、十次の頭をなでる。
「髪も短くしちまって...」
坊主に近いその髪を惜しそうに見つめる勇次。
南雲家は皆赤髪で、その象徴として長髪にするものが多かった。
十次も長髪だったが、軍に入る前に丸めたのだった。
赤髪なんか、何の役にも立たない...
ただのプライドの塊にしか思えなかった。
そんな十次の複雑な心境を知ってか知らずか、十次はふっと笑いながら煙草をふかすのだった。
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