記憶の扉
「詩、お主は式神のアリスが好きか...」
腹の底から響く、十次の声にはっとする。
「学園に来たばかりの頃は、式神のアリスが嫌いだった」
詩は空を仰いでいった。
「何もかも傷つけ、切り裂く、化け物の力...
そう思って憎んだ。
...でも、ある先生が俺と、俺のアリスと真正面から向き合ってくれて
言ってくれた」
詩は思い出して笑う。
「“そのアリスをもって生まれてきたことは意味のあることだ”って」
翔も、静かにその言葉をきいていた。
「それから少しずつ、何かを、誰かを憎むのはやめようと、努力した。
それから...俺のアリスをひっくるめて、俺を愛してくれている人が周りにたくさんいることに気づけた。
俺には大切な人たちがたくさんいる。
だから今は、この式神のアリスが好きだ...っ」
詩の清々しく笑う姿に、十次は時を重ねていた。
ー「東雲、お前はお前のアリス、好きになれるか...」
訓練の帰り、ふとつぶやいた。
この頃の俺は、疲れていた。
毎日のように人が死ぬ狂った世界を生きることに...
昨日は隣で飯を食ってた仲間、おとといは5つも下の兵士、1週間前は銃が隊で一番得意だったあいつ...
せめてアリスじゃなければ...こんな悲惨な世界から目を背けて生きてこれたのに...
ー「急にどうしたんだよ、十次っ」
相変わらず、呑気な時。
数歩先を行く彼は、くるっと振り返る。
その顔はやっぱり笑っていて...
ー「そんなの、好きに決まってるっ」
迷いなく言い切る彼は、清々しい。
まるで、光を見せまいと立ち込める暗雲が一気に晴れたよう。
ー「このアリスがなきゃ、俺はお前に会えなかった。
なっ最高の相棒!」
恥ずかし気もなく平気でそんなことを言って、身体を弾ませそのままの勢いで十次の肩に腕を回す時。
時...いつだってお前は、俺の...光だった。
隣で笑う、時の孫、詩。
こいつもきっと、式神のアリスに翻弄されて生きてきただろうに、それを感じさせない明るさ。
そういうところが時によく似ていたし、生き写しのようだった。
「でもよかった。
式神は嫌いでも、俺のじじいのことは好きだって言ってたから...
やっぱ南雲のじいちゃんと俺のじじい、友だちだったんだな」
安堵して笑う詩。
「友だちなどではない」
響く、低い声。
詩は、え、とつぶやく。
「わしらの関係は、友だちと呼ぶほど美しいものではない。
わしらの思い出は、戦争一色に染まってしまっている。
運命を共にする仲間、戦場で命を預け合う相棒、血を血で洗う共犯者...
少なくともあの時代は、時でさえわしらの関係を友とは呼ばなかった」
友を失くす辛さは身に染みてわかっていたから、お互いそう意識しないように、言葉にしないようにしていた。
「大変な時代だったのは...バカな俺でも伝わったよ...。
じじいからそんな話、一言もきかなかった...」
十次はふっと笑う。
「あいつらしいな。
わしとあいつの性格は正反対じゃ。
あいつはいつだって、明るい未来を信じて疑わなかった。
過ぎた昔話など、話さないだろうな。
不確定な未来でも希望をもって、信じ続けた。
...しかしわしは違う。
わしは今も疑いようのない真実だけをみて、信じれる者だけを信じ、疑いのあるものはすべて排除する。
それが、わしのたどり着いた大切なものを守る手段じゃ。
そしてわしは、愚かな人間が同じ過ちを繰り返さぬよう、この歴史を語り継がなければならない。
それが後生残り少ない老人に課せられた使命だと、信じて今を生きている」
アリス村への思いの強さが、その言葉からひしひしと伝わってくる。
「俺は、じじいと、南雲のじいちゃんの話がききたい」
詩の静かな目に、十次は頷いた。
「じじいが生きた時代について知らなきゃいけない気がする。
このアリスを持って、この時代に生まれたこと...
意味のあることだと思いたいから...
このアリスを知って、俺はもっと、強くならなきゃいけない...」
式神のアリスを知るために...
同じアリスをもつ、大好きなじじいの生きた時間を知るために...
「付き合ってくれるか...年寄の昔話に...」
詩はしっかりと頷いた。
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