記憶の扉
南雲の屋敷は松や竹、紅葉などに囲まれた立派な日本家屋だった。
竹でできた門戸をひき、平らな石が続く玄関への道を翔の後ろについて歩く。
ガラガラガラ
玄関の戸を開け、中へ招きいれる翔。
入ったとたんに、畳の香りがしてなんだか懐かしい気持ちになった。
靴を脱いで、静かな屋内の廊下を進む。
翔と十次が住む家にしては広いなと思った。
家の奥、縁側に十次はいた。
小さな庭を見つめる十次は、絵になる後ろ姿だった。
南雲の定位置だろうか。
落ち着きがあって、良い場所だと感じた。
「じじい、連れてきたぞ」
え...?
詩は耳を疑った。
しかし翔は気にすることなく、縁側に十次と少し離れて座った。
すると、主人の帰りを待っていたのか飼い犬が寄ってくる。
「よしよし、クロ...」
翔は、笑顔でその犬をなでまわす。
クロと呼ばれ、だいぶなついているようだ。
いや、どこも黒くないんだけど...
茶色いふわふわの毛がきもちよさそうな柴犬をみて、詩は心の中でそっと思った。
「ったく、汚い言葉を使いおって...」
そんな十次のぼやきは、翔には届いていなかった。
「ほれ、詩もここに座れ」
詩は言われた通りに、翔とは反対側の十次の隣に腰を下ろした。
それにしても、翔の変わりように詩は驚いていた。
みんなの前での冷静で無表情の“南雲様”は今はどこにもなかった。
飼い犬クロを見つめ、かわいがる翔は、とてもやさしく表情が豊かに見えた。
そっちのほうがいいのに...
詩はそう思い、翔を見つめた。
「まず、お主を試すようなことをして悪かった」
そう、話を切りだす十次。
「いきなり現れたトキの孫...
わしは国もアリス学園も信用しておらん。
確かめる必要があった。
結果はさっきも言ったが期待以上。
お主は正真正銘トキの孫の、式神使いじゃ」
十次に認められるのは、子どもたちみんなから認められるのとはまた違った嬉しさと安堵感があった。
それと同時に、山頂に来てからずっと確かめたいことがあった。
意を決して詩は切りだす。
「...式神のアリスは、嫌いですか?」
恐る恐るきく詩。
誰かが言っていた。
十次は式神のアリスを嫌っていると...
それが事実ならば、そのアリスや詩だけでなく、時をも否定することになる。
怖かった。
否定されることが、怖かった。
「好きか、嫌いか...」
十次はぽつりとつぶやく。
「難しい質問じゃ」
その曖昧な答えを、どう受け取ればよいかわからなかった。
「でも、...」
十次の語気があがって、詩はぱっと顔をあげる。
「どちらかと言えば、わしは嫌いじゃ...
式神のアリスなど...」
そういう十次は、面でわからないがきっと悲しい顔をしているんだなと思った。
「あの時代のわしらは、強くなることでしか生きる道はなかった。
大切なものの命が明日なくなるかもしれないという不安に打ち勝つには、“強い”ことが最低限の条件だった。
アリス学園では、半世紀以上前の世界大戦をなんと伝え聞く?」
詩はあまり勤勉ではないがゆえ、記憶を必死に手繰り寄せる。
「アリスの兵士が活躍するも、日本は負けたと、教えられました」
いうと、十次ははっはっはと声をあげて笑った。
庭に響く、豪快な声。
何がおかしいのか、笑いはおさまらない。
笑っているのに、まるで泣いているかのようだった。
クロとたわむれる翔の表情も、少し険しく見えた。
「...教科書ではあの時代をその一行で収めてしまうのだな...。
そんな歴史が、誰の心に残ろう...」
十次の声は、寂しげだった。
「わしとトキ...
いや、もっとじゃ...
多くの日本兵が身を削ったあの時代...
わしらは時代とアリスという能力に翻弄され、血を流し、多くの人と永遠の別れをし、生き残った。
時はその中でも、その式神というアリスのおかげで、過酷な運命を強いられた。
わしはそれをそばで見ていることしかできなかった。
その式神をみると、どうしてもあの時代を思い出してしまう...
自分の無力さを思い知らされる日々、大切な友が傷つく戦場、プレッシャーと期待をすべて背負って敵の前に立つ背中、式神に食い荒らされる心と身体...」
ぽつりぽつりという十次は、辛そうだった。
「わしは、式神が嫌いじゃ...
でも、その運命に翻弄されながらも底抜けに明るい時を、式神に打ち勝つお前の祖父のことを、
とても好きだった」
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