南雲対東雲
道場の裏手の静かな日陰に、紅蘭はいた。
みんなとは離れ、虫の声と風の音が心地いい静かな場所。
「こんなとこにいたのか」
ぱしゃっ
詩はいきなりその紅蘭の顔に水をかける。
「なっなにする!」
案の定怒る紅蘭。
しかし対照的に詩の表情はやわらかかった。
「休憩くらい気ぬけよー。
顔、こえーぞー」
ふいっと顔をそらす紅蘭。
「ほっとけ。
ひとりにしてくれ」
詩はふぅっとため息をつく。
「残念ながら、俺はそういう顔したやつをほっとけない性格なんだ」
棗の鋭い眼、まわりを遠ざけようとする態度。
そして何より、紅蘭の抱える寂しさが、幼い頃の自分と重なった。
ーじじーに会いたい...
「うるさい。
おせっかいだ。
昨日の礼は稽古で返す。
だからそれ以外関わるな。
この山からも、早く出て行け...」
そんな冷たい言葉にも、詩は笑う。
「ふっ...お前、やさしいな」
予想しなかった言葉に、紅蘭は詩にぱっと目を向ける。
「私が、やさしい...?」
詩は頷く。
「やさしいよ。
山から出て行けって言いつつも、狐面に勝てるように稽古つけてくれてるじゃん」
「だからそれは...っ!」
言いかけて、ふっと紅蘭は語気を緩めた。
「てまりが、大切なんだ...
あいつは、私が守ってやらなきゃいけないんだ...」
小さくつぶやくも、その瞳はとても強いものだった。
「寧々さんにきいたの...?
私に親がいないって...」
「ああ」
詩は静かに頷いた。
「それで同情しにきたのか」
紅蘭は、冷たく軽蔑した目で詩を見た。
しかしそれよりも真剣な目で、詩は見つめ返した。
「違う」
確かな質量のある言葉が、偽りでないことは紅蘭にでも容易にわかった。
しかしそれが、逆に紅蘭を混乱させた。
なんで、こいつは私に...
どんな顔をしたらいいか、わからないでいた。
「お前が、ひとりにしないでって言ってたから、俺はここにいる」
「は...何言って...私はそんなこと...」
紅蘭は眉を寄せる。
「俺の特殊な能力だ。
助けてほしいくせに、助けてって言えないやつにおせっかいをやく。
隣でただ、笑ってる」
そういう詩は、ふわっと風が通ったミルクティー色の髪の奥で笑っていた。
笑顔が、よく似合うと思った。
前髪なんか切ればいいのに、と思った。
「...なにその能力。
いつ使うんだよ」
つぶやく紅蘭に、自信満々に言う詩。
「今に決まってんだろ」
がしっと紅蘭の頭をつかむようにしてなでる。
「はっやめろっ」
紅蘭はそう言うが、ふと、自分に笑みがこぼれたのに気づく。
詩は、満足そうに笑う。
「その顔。
それがいい。
お前はもっと、笑ったほうがいい。
ひとりで何もかも背負うことない。
お前より強いやつなんてたくさんいるんだから、そいつらに頼れ。
お前らが崇拝する南雲もいる、寧々さんだって...
もちろん、俺もな」
からっと笑う詩。
「何言って...
お前は私より...」
「強くなって証明する!
今日と、明日で、絶対に南雲のじいちゃんの出した課題を達成してみせる」
言い切った詩。
あと2日しかないのに...
稽古にも、ついてくるのがやっとのくせに...
でも、その前髪の奥の瞳は確かに、強かった。
こいつならもしかして...
そう思わせる、不思議な力があった。
その瞳に、いつのまにか引き込まれていた。
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