そしかいする度に時間が巻き戻るようになった

「犯人は橘境子だ。そして動機は羽場の自殺。となればやることは一つ」
「「羽場の逮捕を阻止する」」
「え、」

 萩原と松田が導き出した答えを聞いて秋は目を丸くする。
 彼らが当たり前に導き出した方法を自分は思いつきすらしなかった。犯人が判明したらすぐに殺すつもりで、どのように橘を殺害するかしか考えていなかったからだ。

「……あ、ああ。羽場の逮捕ね。逮捕後の取り調べで何かがあって自殺するんだから逮捕さえ防げば羽場は自殺せず、結果として橘境子の動機も消える。うん、私も同じこと考えてたよ」

 秋はとっさにごまかした。

 松田と知り合って五ヶ月、萩原に至っては半年にもなる。
 彼らとの差異を自覚するには充分な時間だ。
 二人と一人との間には決定的な違いがあるし、それが埋まることはない。
 それでも表面上は彼らと同じでいたかった。

 自分を偽っている緊張からか、ペラペラと言葉が出てくる。


「じゃあ羽場のゲーム会社侵入を止める感じ? まだ動機もわかってないのに? 悠長に調べてる時間なんてないでしょ」

「動機は橘境子だろ。彼女は羽場にとって恋人であると同時に、行く宛のない自分を雇ってくれた恩人のはず。その恩人は受け持つ仕事すべてで惨敗してる」

 羽場はどうすると思う? と言いたげに萩原が視線をよこした。

「公安から指示されてわざと負けているわけだけど、裏事情を知らない羽場はどうにかしたいって考える……?」

 羽場には自己満足的な正義感を暴走させた過去がある。昔と同じよう暴走して、橘の勝利のために犯罪を犯してもおかしくない。
 秋がそこまで思い至ったところで萩原が締める。

「現在橘が弁護してる被告人が有罪だって決定的な証拠を隠滅するためにゲーム会社に侵入して逮捕されるって流れだろうぜ」

 次に口を開いたのは松田だった。

「問題はどうやって防ぐかだよな。班長殺害みてえに、阻止しても阻止しても別の方法で決行に踏み切られちゃイタチごっこにしかならねえ」

「それは問題ないぜ。確かに何度試しても変わらない事象は存在していて、それらには決まって明確な意志が介在している。例えば陣平ちゃんが仕事で大阪に行くとして、乗るはずだった新幹線が爆破されていたら自動車や飛行機で向かうだろ」

 真っ先に思いつく具体例が新幹線の爆破だなんて、米花町で探偵をやっているだけある。とても嫌な具体例だ。

「一方、大阪での用事がそこまで気が進まないものだったら? まあいいかってなるはずだ」

 萩原の言う「明確な意志」とは、先程の例での仕事にあたる。
 相手に明確な意志があれば、結果に行き着く道すじの一つを潰しても、別の手段を探されて前と同じ未来へと向かうだけ。
 反対に明確な意志が存在しない事象なら、過程のどれか一つを潰すだけで未来を変えられる。

「羽場はゲーム会社侵入に対して確固たる意志なんて持っちゃいない。恋人を裁判で勝たせてあげたいから証拠を握り潰そうってひらめいた末の犯罪行為なんだ。常に迷いを孕んでいたに決まっている。ていうかそうじゃなきゃ怖えよ」

 だから羽場のゲーム会社侵入は阻止できる。侵入を試みるたびに邪魔が入ればやがて諦めるだろう。
 これが最終的に出された結論だった。

 後は簡単だ。組織の下っ端に命じて、ガラの悪い連中を現場周辺にたむろさせればいい。
 今までは萩原たちに繋がる情報を残したくなくて組織の力を使えなかったが、ゲーム会社と彼らの接点はゼロ。たどり着けるわけがない。


 ……簡単だと思っていた。
 しかし羽場はゲーム会社に侵入して逮捕され、最終的に自殺した。
 スコッチの自殺と同じく、すぐに解決とはいかないらしい。



 * * *



 羽場の逮捕防止作戦が失敗に終わった今、残された手段はただ一つ。
 伊達を轢き殺そうと車で突っ込んできた橘を捕まえて、今までの推理と先ほど伊達を殺そうとした事実を突きつけ、混乱に乗じて自首を引きだす計画だ。


 六月一日。早朝。
 秋はしきりにスマホ画面へ視線を落としながら住宅街にある道を歩いていた。
 曲がり角に到着すると奥を確認してスマホに視線を戻し、ため息まじりに首を振る動作をくり返す。はたから見れば、迷ってマップと睨めっこしているように見えるはずだ。
 もちろん本当に迷っているわけではない。犯人探しのカモフラージュである。

(伊達は警視庁に向かう途中、ここらで轢き殺される。犯行時間まであと三十分くらいか。それまでに近辺で待機している犯人の車を見つけないと……)

 大通りからひとつ逸れたこの道は、車一台通るのがやっとの細さだ。
 入り組んだ場所にあるからか、人影も通りすぎる車もない。
 伊達が登庁するときに通る道の中で、もっとも目撃者が出なさそうな場所を殺害現場に定めたのだろう。


 曲がり角の先を確認しながら一本道を歩いていると、やがてそれらしき車を発見した。黒いスポーツカーだ。
 角を曲がらず住宅の影に隠れる位置に陣取って、スマホを操作する。萩原は数コールで電話に出た。

「殺害現場から右折したところに停車してる。乗ってるのは黒いスポーツカーだね。車内に橘境子がいるかどうか確認しようか?」

『いや、前と同じなら性別すらわからないくらい変装してるはずだ。計画通りナンバープレートを確認して発信機を取り付けたら合流しよう。そこからさらに右折した道に移動しとく』

「わかった」

 秋はスマホをポケットに滑り込ませると角を曲がった。

 チラリと太陽に目をやる。ここ数日で日差しの強さが増していた。
 嫌そうに顔をしかめてから道路沿いに視線をさまよわせる。スポーツカーの少し先にある自販機を発見すると表情を明るくした。
 これで、思いのほか強い日差しにやられて飲み物を求めているように見えるはずだ。


 気持ち早足で自販機に向かう。
 その途中、スポーツカーの真後ろに差しかかったところで小銭入れを取り出してボタンを外す。
 途端、手を滑らせた。
 小銭がアスファルトに散らばる。狙い通り、車の下にも小銭がいくつか転がっていった。
 秋はしゃがみ込み、小銭を拾うふりをして車の裏側に発信機を取り付ける。ついでにナンバープレートを盗み見た。



 カモフラージュのために購入した飲み物を片手にぶら下げながら萩原の車に近づく。
 細い道に停車している車は一台だけだったのですぐに見つかった。
 スポーツカーだろうか。シュッとしたデザインである。バーボンが乗っている車と同じ種類かもしれない。

 秋は助手席に乗り込んだ。

「ドリンクホルダーにペットボトル置くね」
「いや、ちょーっと運転が荒くなるかもだしグローブボックスにしとけよ」

 秋は言われた通りペットボトルをグローブボックスに入れて、ついでに中から預かってもらっていたタブレットを取り出した。

 タブレットを操作して、赤いランプが点滅する画面を開いた。先ほど取り付けた発信機の現在地が表示されているのだ。
 タブレットを膝に置く。
 今度はスマホを取り出して通話アプリを開いた。発信機が動いたらすぐに松田へ連絡するためだ。

 準備を終えてタブレットへ視線を落としたところで、運転席に座った萩原が言った。

「シートベルト」
「……はいはい」

 面倒だが大人しく従う。

 シートベルトをつけ終わってスマホを持ち直したと同時に、ずっと鼻をくすぐっていた香りの正体に思い当たった。女性ものの香水だ。それも複数。
 秋が鼻をひくつかせたのに目ざとく気づいた萩原が問いかけてくる。

「悪い、香水の匂いきつかった?」
「気になる程ではないけど、恋人を乗せるときには気をつけたほうがいいかもね」
「それなら問題ないな。今フリーだし」
「私と松田に伊達の尾行を押し付けてクリスマスデートした相手は?」
「いやあ、タイミングに恵まれなかったっていうか……」

 やはりデートだったらしい。
 秋たちが虚無を抱えながら伊達の尾行を行っている間、萩原は女性と楽しく過ごしていたのが確定した。
 秋はわざとらしく悲しそうな顔を作ってため息をつく。

「松田は怪しげなキャッチに引っかかったって汚名を被ってまで伊達の尾行を遂行したっていうのに」

「その汚名被せたの間宮ちゃんだけどな」

「その間萩原は女性とよろしくやっていて、結局振られたと。『車と女の扱いなら負けないぜ』とか言ってたくせに」

「だーかーらー、あれはタイミングが悪かったんだって。仲が深まる前に探偵だって知られちまって、デートのたびに事件に巻き込まれるのはお断りよ! ってビンタされてさー」

「探偵の風評被害がひどい」

 秋は遠い目をする。その瞬間、

「──動いた!」

 発信機が動いた。
 萩原がアクセルを踏み、秋はスマホの通話ボタンを押す。画面に表示された発信相手は松田。


 松田は今朝、伊達と一緒に登庁する約束を取り付けている。秋からのコール音が鳴ったらすぐさま周囲を警戒し、轢き殺そうと突っ込んでくる自動車から伊達を庇うためだ。

 殺害に失敗した犯人は伊達を深追いせずすぐに撤収するので、そのまま犯人を追いかけて確保すれば作戦は成功する。


 エンジンが唸った。萩原が勢いよくアクセルを踏み込むと、反動で秋の体が背もたれに沈む。
 街並みが飛ぶような速さで後ろへ流れていく。すぐに殺害予定現場に到着し、一瞬で通り過ぎた。
 その一瞬で窓の外を確認する。突然の出来事に目を丸くしている伊達と、彼の腕を引っ張った状態の松田が見えた。二人とも無傷だ。ひとまず第一条件はクリアした。


「いた! 黒いスカイライン400R!」

 叫ぶと、萩原がさらにアクセルを踏み込む。気持ちのよい高音とともにスピードメーターが勢いよく回った。

 相手は追跡されていることに気が付いたらしい。向こうもスピードを上げて、再び両車の距離が離れる。

 萩原がチラリと右前を一瞥した。
 軽自動車が通れるか通れないかくらいの細さの路地がある。どう考えても萩原の車は入らない。
 しかし萩原は右手にハンドルを切った。


「間宮ちゃん、舌噛むんじゃねえぞ」

 普段の間延びした話し方からは想像がつかないほど真剣みを帯びた声だった。
 思わず萩原を見る。彼は眼光をかっぴらいて狂気的な笑みを浮かべていた。

(い、嫌な予感がする……)

 前に視線を戻す。予感は見事的中していた。
 ぐんぐんと細い路地に迫っていくが、道幅よりも車体の方が大きいのだ。どう考えても激突する。
 秋は力を込めて目をつぶった。

 途端、浮遊間に襲われる。ジェットコースターが落ちる寸前の妙な気持ち悪さにそっくりだ。
 不安定な場所を走っているのか体が小刻みに揺れるが、事故による衝撃は一向に伝わってこない。
 秋は恐々と目を開けた。

 そして目を開けたのを後悔した。喉から引きつった音が漏れる。

 世界が傾いていた。違う。秋たちが乗っている車が傾いているのだ。
 ガガガと何かが削れる音から察するに、車体の半分をコンクリート塀に乗り上げて爆走している状態なのだろう。


 路地の終わりはすぐに見えてきた。その奥には路地と垂直になる形で車道が横たわっている。

 路地から抜け出すタイミングで萩原はハンドルを回す。
 車道の上に投げ出されたと同時に、車が宙で九十度回転する。道路を走っている他の車と同じ方向を向いた。

 萩原のスポーツカーが轟音とともに車道へ降り立つ。タイヤに吸収されきらなかった衝撃で、秋の体が再び浮いた。

 心臓が縮み上がった。
 一度完全に止まって、数拍おいてから再び動き出す。心臓が耳に移動したのかと思うほど大きな音でバクバクいっている。
 脂汗がブワッと吹き出す。死ぬかと思った。


 とんでもない運転を披露した萩原は平然としている。ここで取り乱すわけにはいかない。
 秋は平然を取り戻そうとあたりを見渡し、目の前を走る黒いスポーツカーに気づいた。

(あれ、犯人の……)

 車内でひとつの人影が揺れる。姿かたちはよく見えないが犯人で間違いない。

 そこまで思い浮かんだところで車が減速した。
 忙しなく動いていた鼓動が少しだけ遅くなる。恐怖でこわばった体がわずかにゆるんだ。


 余裕が出てきたおかげで周りが見えてくる。
 街中を走っていた。犯人の数メートル先には赤く瞬く踏み切り。踏み切りがしまっているから萩原は減速したのだ。

 しかし犯人はためらわなかった。
 踏み切りの前で、黒いスポーツカーが勢いよく回転する。そのまま横向きに踏み切りへ突っ込んだ。
 遮断機がへし折られる。
 犯人の車は踏み切りを超えて、その先へと進んでいく。
 車がまばらなのを良いことに萩原も後に続いた。



 それからは恐ろしかった。
 秋は早々に目を開けているのを諦めてまぶたを閉じた。目から入る情報をシャットダウンすれば、アトラクションに乗っているのと変わらないはずだと自分に言い聞かせる。
  
 ガンガンと何かにぶつかる衝撃。宙に浮くときの妙なくすぐったさ。



「──ちゃん、間宮ちゃん!」
「……っ!」

 萩原に呼ばれて目を覚ました。
 車は高速道路を走っていた。一般的な速度だし、全てのタイヤがちゃんとアスファルトに接している。
 ややあって、フロントガラスの先に犯人の車が見えないのに気づいた。
 カーチェイスは終了したらしい。
 記憶が途切れていることから考えるに、数分間は気絶していたようだ。


「犯人を見失った。発信機の反応はどうなってる!?」
「あ、ああ。発信機ね、発信機」

 秋は慌ててあたりに視線を走らせて、足元に落ちているタブレットを発見した。
 荒い運転のせいでうっかり取り落としてしまったと言わんばかりの態度で拾い上げる。
 電源を入れて、発信機の現在地が表示されている画面を見せた。

「オーケー、鳥矢大橋方面だな」

 秋は気絶していたとは悟られないように普段通りの表情を心がけて頷いた。
 減らず口でも叩いておけば完璧だったのだが、後追いでやってきた恐怖に喉がひきつっていて言葉を発することができなかったのだ。



 * * *



 発信機が示していたコンビニの駐車場には乗り捨てられた車だけが待っていた。
 あれだけ怖い思いをしたのに橘境子の現行犯逮捕は叶わないらしい。

 萩原が乗り捨てられた車を調べている間、秋はガムで貼り付けてあった発信機を回収する。
 やがて二人は車内に戻った。あれだけ用意周到な犯人が証拠を残しているわけがなく、大した収穫は得られなかった。

 秋はカーチェイスが始まる前に自販機で買ったお茶を飲みながら、窓に肘をついた体勢でぼやく。

「ていうかあの運転技術といい、橘境子ポテンシャル高すぎない?」
「面倒なことに犯人の中でも有能な部類だな」
「……次の犯行は七月一日なわけだけど、その時にまた現行犯逮捕を狙う?」

 萩原はゆるゆると首を横に振った。上半身を背もたれに投げ出す。

「現行犯逮捕は駄目だ。言っただろ、犯行計画が露呈してるって勘づいた犯人は、すぐに爆殺に切り替えてくるって。今回の追跡で俺らの存在がバレたし、次回の犯行からは規模が格段に大きくなる」

「あー、新たな犯行を起こす前にどうにかしないといけないのか。そうなると自首に持ってくとか?」

「それが無難だな。繰り返してる間に手に入れた諸々の情報と、今さっき轢き逃げしようとしたって事実を突きつければなんとかなるだろうし」

「だね。もしも失敗したら次回は松田も連れてこっか。刑事にプレッシャーかけられたら吐くでしょ」

「職権濫用させる気満々じゃねえか」

「事件を未然に防いで回るほど正義感が強い萩原には抵抗あるかもしれないけどさー」

「ま、それしかないよな。それに、何やら勘違いしてるみたいだけど正義感から事件を防いでるわけじゃないぜ。俺は物事を変えただけだ。世界をより良くしようだなんて一度も思ったことはない」

 飄々としながらも、真剣みをおびた声だった。本心からの言葉だ。
 彼はやや逡巡した素振りを見せてから言葉を続けた。

「俺が毛利探偵事務所に入った目的は人探しだ」
「人探し?」

 困惑が強くて思わず聞き返してしまう。
 予想外の答えだったのもそうだし、人探しのために毛利探偵事務所に就職する流れがそもそも不可解だ。

 警察よりも探偵助手の方が適した人探しなどそうそう無い。
 最もありそうなのは、事件、事故の根拠がない成人の失踪を調べているため職務として人探しをするのが叶わず、時間を工面するために転職した線だ。
 しかし時間に融通が利きやすい自由業かつ、人探しの理解を得やすい職場を求めた結果だとしても、なぜ毛利探偵事務所だったのか。元警察官が営んでいる探偵事務所など沢山ある。
 萩原は毎回庇っているが、毛利小五郎が有能な上司だとは思いにくい。身辺調査をした時に知った散財癖を考えると、給料がまともに払われているのかも怪しい。

 だとしたら、求めたのは探偵という職業ではなく毛利探偵事務所そのものか。

「毛利探偵事務所に縁のある人を探しているとか?」
「んー、まあそんな感じ」

 半ば確信して尋ねると、軽い口調ではぐらかされた。真意が読めない笑顔で、これ以上立ち入らないよう線を引かれる。

「ま、俺が動いてるのはただの私情だってこと。そろそろ向かうか」

 彼は自ら話を畳み、秋が何か言う前にアクセルを踏んだ。鈍感なふりをして追及できる雰囲気ではなかったし、そこまでの興味もなかったので秋は沈黙に身を任せた。窓の外の景色が後ろに流れ始める。



 * * *



 橘境子は留置所にいた。
 彼女は八時半から秋たちが会いにいくまでずっと、被告人の面会を行っていたらしい。留置所の職員にも確認を取ったので間違いない。
 そして伊達の殺害未遂があったのは八時半過ぎ。

 橘境子には完璧なアリバイがあった。
 捜査は振り出しに戻った。
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