そしかいする度に時間が巻き戻るようになった
※映画「ゼロの執行人」の重大なネタバレが登場します。
年が明けた。
伊達の尾行を開始して二ヶ月ほどが経ち、容疑者が全員出揃った時期に、再び全員で集まることとなった。
会場は毛利探偵事務所だ。
平日の探偵事務所は何かと便利なのである。
毛利小五郎は競馬かパチンコ、たまに依頼で出かけており、彼の一人娘は学校。妻とは別居している。
萩原は留守番という名目で事務所にいるが、大抵の依頼人は休日に訪れる。
結果、盗み聞きされる心配がなくて自由に使える空間ができあがる。
暖房がついた事務所内は暖かく、外気に晒されて凍りついた体がじんわりと溶けていく感じがした。
来客用スペースに近づく。萩原はテーブルに写真を並べている最中だった。写った人物は全員カメラに視線を向けていない。どれも秋が撮影した盗撮写真だ。
伊達殺害犯を炙り出すため、伊達と接触している人物の写真をひとしきり撮って萩原に送ったのだ。並べられているのはそこからピックアップされた、どの周でもアリバイがない人物のものである。
こうしてみると随分と少ない。
「少ないな。十人もいないじゃねえか」
秋の心情を松田が代弁してくれた。彼は自分の前に大皿を引き寄せ、皿から一つサンドイッチをとる。
「あ、これ昼飯な。間宮の分もあるぞ」
松田が言った。続いて萩原が「ハムサンド食べやすいし陣平ちゃんの前に座れよ」と声をかけてくる。
大皿の横に置かれているのはポアロのロゴが刻印されたお手拭き。下の喫茶店でテイクアウトしたもののようだ。
秋がソファーに座ったのを確認してから萩原が松田の問いに答えた。
「で、容疑者が少ないって話だっけ? これは単に、周ごとの出来事が微妙に違うってループの特性のおかげだな」
「って言うと?」
「ループのあいだ班長殺害は何度も起こってるけど、どれも同一犯なわけだろ? つまりどこか一つの周で犯行不可能だと証明されてれば、その人物は犯人候補から外れる。
たとえば殺人事件を起こして犯行当日は刑務所にいるとか。ループのどこかで殺されたことがあるとか。伊達殺害が始まる前に自殺しているなんてのもあったな」
「具体例が物騒すぎない?」
「ま、班長の知り合いって事件関係者か米花町の人間が多いし」
「おい萩。逆に言えば写真の連中はどの周でもアリバイがなかったんだよな」
「そーそー」
脱いだコートをたたみ、おしぼりで手を拭き終わると同時に会話が終了した。秋は静かになったタイミングでハムサンドに手を伸ばして一口かじる。
(ん?)
咀嚼しながら引っかかりを覚えた。どこかで食べたことのある味だ。
記憶の糸をたどっていくと、やがて同じ味の正体に思い当たる。スコッチが作るサンドイッチだ。レシピが同じなのだろう。
どこで食べた味なのか思い出そうと集中していたのを、味わっていると勘違いしたらしい。松田がニッと笑って得意げに言った。
「美味いだろ。前に話した、新しく入ったバイトが考案したメニューなんだぜ」
「ああ、ポアロで作戦会議できなくなった原因の。頭が切れる探偵なんだっけ」
それにしても、どうして松田が得意げにするのだろう。彼が我が事のように自慢するのは古い友人関連だと相場が決まっているが、ポアロのバイトとは出会って日が浅いはずだ。
「……」
その様子を萩原がじっと見つめていた。何か考え事をしている顔だ。
不思議に思いつつ、わざわざ指摘するほど気になるわけではなかったので、秋は彼の反応に触れずにハムサンドを食べ進めた。
無言でサンドイッチを口に押し込んでいると、松田が声を発する。彼は容疑者の写真に添えられた説明文に視線を落としていた。
「ん? この日下部誠って容疑者、公安検事って書いてあるじゃねえか。なんで捜査一課の伊達と知り合いなんだよ」
「ああ、日下部さんね」
松田の言う通り、彼の写真の下には「東京地検公安部所属の検事」と書かれている。
「班長が担当していた事件が公安警察の管轄になるってパターンが何度かあるんだよ。で、たまに裁判に証人として出廷したり、事件の担当検事である日下部さんが話を聞きに来たりしてて、そこそこ関わりができてる」
「ああ、はじめは捜査一課の管轄だった事件を公安に奪われたーってやつか。確かによくあるパターンだもんな」
一言で公安と言っても、文脈によって意味が変わるので非常にややこしい。
警察庁公安部やら、警視庁公安部、検察の公安部なんかもあるから面倒なのだ。前提となる知識がないとごっちゃになる。
秋も訳知り顔で二人の会話に頷いているが、正直ちゃんと理解できていない。今度スコッチに訊こう。
「っていうか日下部さんって何だよ。お前いつも容疑者はフルネームの呼び捨てで呼んでるだろ。『前』に関わりでもあったのか?」
「いやぁ、毎回世話になってるっていうか……。世話? マッチポンプみたいなもんではあるんだけど……」
途端に萩原は歯切れが悪くなった。その上さりげなくスッと視線を左に移動させる。怪しい。
松田も不審に思ったらしく、萩原の方向に体を向けて追及するように目を細めた。
数秒無言が続いたが、やがて一歩も引く様子のない松田に根負けした萩原が渋々口を割る。
「……毎回俺を取り調べるのが日下部さんなんだ」
「取り調べ!? どういうことだよ」
「テロ容疑でな。もちろん誤認逮捕だぜ」
「ええ……探偵って誤認逮捕までされるの? 採算取れなさすぎじゃん」
秋はドン引いた。
毎日のように殺人事件に巻き込まれ、月一くらいで爆破事件に巻き込まれるくせに誤認逮捕までされるとは。そのうえ同業者は江戸川コナンとかいう死神。
何があっても探偵だけにはならないでおこう。
「ん? ていうかさっきの発言を踏まえるとその犯人って……」
「そう、実は日下部さんなんだ」
「そう、じゃねえよ! なに毎回逮捕されてやがる!」
「いやー、あれは不可抗力っていうか……」
彼らの話を聞いていると段々と記憶が蘇ってきた。
どの周でも日下部誠が起こしたIoTテロは世間を賑わせているし、言われてみれば日下部が逮捕される前に探偵助手が犯人だと報じられていた。
(にしても、伊達航はたくさんの公安事件に関わっていて、容疑者に公安検事がいるだなんて、公安って単語出てきすぎじゃない?)
「もしかして他にも公安と関係のある情報があったりして」
「あるぜ」
「あるんだ」
何気なくこぼしたら瞬時に反応された。会話の流れを変える機会をうかがっていたのだろう。
萩原はすばやくスマホを取り出して画面に指を滑らせる。数秒後、一枚の盗撮写真を表示させてこちらに向けた。伊達航尾行中に秋が送った元容疑者の写真だ。
「強いて言うならこの人だな。羽場二三一 。公安事件をよく担当する弁護士の事務員。公安担当の裁判関連で班長とよく顔を合わせてるって間宮ちゃんが報告してくれたけど、どの周でもそうなんだ」
「たしか伊達殺害が始まる前に自殺してるから容疑者から外れてる人だっけ」
「ああ。毎回五月一日に拘置所でな。しかも自殺直前には異例の公安警察による取り調べが行われたらしい」
また公安警察だ。さすがに出てきすぎじゃないだろうか。
言いながら萩原も気が付いたらしく、数秒考えこむそぶりを見せてからポツリと呟いた。
「そういや班長、どの周でも今回と同じくらいの公安事件に関与してたな。大規模爆発といい、米花町の事件は公安が関与しそうなものも多いから疑問に思ってなかったけど……」
「不自然ではあるよな。それに羽場が自殺しなかった周はないんだろ? で、二月七日に交通事故で死ぬ場合を除いて、伊達が殺されなかった周もない。つまり羽場の自殺と班長殺害に因果関係がないとは言い切れねえ」
松田が続けた言葉を聞くと、ますます疑念が深まる。しかしピースが足りないのか、それ以上真実に近づく気配はなかった。
* * *
二月七日。
秋はかじかんだ手をコートの袖に引っ込めて白線の内側を歩く。早朝だからか道路はガランとしていた。
反対側から歩いてくる背の高い男二人を確認すると、わざと顔をうつむける。同時にマフラーをたくし上げ、寒さを通り越して痛みを感じている頬をうずめた。頬の痛みが少し和らぐ。
そのまま彼らの方に早足で進み、わざと伊達にぶつかった。
「っと、すみません」
彼の第一の死因は居眠り運転による事故死。落とした手帳を拾おうと屈んだ瞬間をトラックに轢かれる。こうして手帳を取り出す前に動きを止めさせれば事故は防げるのだ。
現に、謝罪すると同時に背後でトラックが勢いよく通り抜ける音がした。
「なに!?」
伊達がギョッとした。おおよそ予想がついていたのに思わず振り返ってしまう。
ガードレールにめり込んだトラックが見えた。まだタイヤは回ったままだ。
「高木ィ! 救急車を呼べ!」
「は、はい!」
鋭く後輩に指示を飛ばしながら、伊達自身は運転手の安否確認に向かう。
閑静な朝の道路は一気に騒がしくなった。
慌てて消防署に連絡する高木の意識が完全にこちらから逸れた隙に秋は立ち去る。
どれだけ声を荒げても応答しない運転手を救出するため、伊達がトラックの窓ガラスを破る音が聞こえた。
事故現場から少し離れた位置にある裏路地に入ると、安堵の息を吐きながら帽子と眼鏡を取る。端にフレームが入り込んでくる視界には慣れないが、尾行対象と接触するので念には念を入れたのだ。
これで今日、伊達航が事故死する未来は避けられた。
次に彼が死ぬ危険があるのは六月一日。殺害ラッシュの開始日である。ひとまず最初の山場は乗り越えた。
簡易的な変装道具をバッグにしまいながら考える。
伊達は徹夜で張り込みをしていたはずだ。事故の後処理が終われば帰宅許可が降りるし、翌日まで仕事はない。
(ま、家に帰ったら動きはないだろうけど一応夜まで近くで待機しておくか。相互監視アプリで動きを確認したらすぐに尾行を開始できるし)
結果、伊達は夕方に出かけた。仮眠は数時間だけ。元気すぎやしないだろうか。本当に自分と同い年なのか疑問に思えてくる。
伊達は何度も道を折れた。遠回りになるはずなのに右左折する場合もある。わざとジグザグに歩いているのは明白だ。
(何度も角を曲がっているのにずっと足音がついてきたらすぐに尾行に気づける。尾行対策だろうな)
そろそろ手を打たないと、いつまでも着いてくる足音を不審に思われる頃合いだ。
秋は脳内でこの住宅街の地図を思い描いた。ここ周辺の入り組んだ道路はそこそこ交通量があるため、カーブミラーが完備されているはず。
ターゲットが右左折を繰り返すとしても、カーブミラーが設置されているのなら話は簡単だ。
秋は靴紐をなおすふりをしてしゃがみこみ、伊達が先に角を曲がるのを待った。伊達が次の道の中腹に差しかかったであろう頃に立ち上がると再び歩き出す。
これで彼との間にひとつ角を挟めた。あとはこの距離を保つだけだ。
距離を空けておけば気配にも足音にも気付かれないし、万が一伊達が振り返っても角を挟んでいるので秋の姿は見つからない。
さらに、角を曲がった直後ならカーブミラーに伊達の姿が映っているため、彼がどちらの道に折れたのかわかる。後はこれをくり返せばいいだけだ。
しばらく歩いていると、カーブミラーが設置されていない曲がり角に行きあたった。秋は慣れた動作でスマホを取り出す。
このスマホは仕事用でもプライベート用でもない。相互監視アプリをダウンロードしてある、対伊達航専用のスマホだ。その日尾行を担当する人物が所有する決まりとなっている。
ただ一つ新たにダウンロードされたアプリを開いて、伊達の位置情報を確認する。カーブミラーが設置されていない曲がり角の先で立ち止まったままだった。
コンクリート塀に寄りかかってスマホを眺める。しばらくすると伊達は再び動き始めた。
尾行に勘づいたわけではない。定期的に伊達はこのような動きをとるのだ。尾行を警戒しているのだろう。
そして、こういった日の行き先は決まっている。国営公園だ。
さらに十分ほど歩くと大きな公園にたどり着いた。
伊達とナタリーのクリスマスデート先であり、尾行中の秋と松田がお互いに虚無を抱えて歩いた場所である。
伊達が尾行に注意してここに訪れたのは三度目だった。前回も前々回も同じ時間帯に一人で公園に訪れて、しばらくの間何をするでもなくベンチに腰かけていたのだ。
鬱の前兆じゃないかと秋は思う。いくらタフネスな刑事でも、米花町の事件件数は多すぎるのだろう。
尾行に注意しているのは妄想と現実の区別がつかなくなっているのだろうか。だとすると重症だ。
黒の組織が未解決事件を増やしている自覚があるのでいたたまれない。
数メートル先から観察していると今回も伊達はベンチに陣取った。
秋は数メートル先の自販機で適当に飲み物を買い、自販機の横に置かれたベンチに座る。厚手のパンツ越しでもベンチが冷え切っているのがわかった。
手の中で先ほど買った缶コーヒーを転がしながら噴水を眺める。その奥にいる伊達を視界の端で捉えることに成功した。
切るように冷たい風が吹きとおる。伊達航はコートの襟を立てて顔をうずめた。
伊達がかすかに動いたおかげで、彼の影になっていた男の後ろ姿が現れる。伊達の背後に座った、深緑色のスーツを着た男だ。仕事終わりに訪れたサラリーマンだろうか。
(……ん?)
秋は何かが引っかかって眉根を寄せた。しばらく考え込んで違和感の正体を探り当てる。
(あのスーツの男、今までも同じ場所にいなかったっけ)
思い返してみれば、前回も前々回も、深緑色のスーツ姿が伊達の後ろにあった。
秋は立ち上がる。空になった缶をゴミ箱に放り投げると、大きく回り込んで伊達の背後側に出た。つまりスーツの男の顔が確認できる位置に移動した。
少し離れた先でスマホを取り出す。
風景の写真を撮るふりをしてスマホを掲げ、彼の顔を画面に入れた。スマホのカメラをズームにすれば虫眼鏡のように男の顔が拡大される。
シャッターを押しながら小さく目を見開いた。
(クリスマスデートのとき、伊達航の隣に移動した人と同一人物だ!)
それだけではない。
遠目からではわからなかったが、スーツの男は一人で座っているにも関わらず口を動かしていた。
秋には伊達も同じ動きをしているはずだと確信があった。
SNSアプリを開いて先ほどの盗撮写真と共に、彼に見覚えがないかを尋ねるメッセージを送る。
萩原からの返事はすぐに来た。
──警視庁公安部所属の風見刑事だ
また公安が登場した。
年が明けた。
伊達の尾行を開始して二ヶ月ほどが経ち、容疑者が全員出揃った時期に、再び全員で集まることとなった。
会場は毛利探偵事務所だ。
平日の探偵事務所は何かと便利なのである。
毛利小五郎は競馬かパチンコ、たまに依頼で出かけており、彼の一人娘は学校。妻とは別居している。
萩原は留守番という名目で事務所にいるが、大抵の依頼人は休日に訪れる。
結果、盗み聞きされる心配がなくて自由に使える空間ができあがる。
暖房がついた事務所内は暖かく、外気に晒されて凍りついた体がじんわりと溶けていく感じがした。
来客用スペースに近づく。萩原はテーブルに写真を並べている最中だった。写った人物は全員カメラに視線を向けていない。どれも秋が撮影した盗撮写真だ。
伊達殺害犯を炙り出すため、伊達と接触している人物の写真をひとしきり撮って萩原に送ったのだ。並べられているのはそこからピックアップされた、どの周でもアリバイがない人物のものである。
こうしてみると随分と少ない。
「少ないな。十人もいないじゃねえか」
秋の心情を松田が代弁してくれた。彼は自分の前に大皿を引き寄せ、皿から一つサンドイッチをとる。
「あ、これ昼飯な。間宮の分もあるぞ」
松田が言った。続いて萩原が「ハムサンド食べやすいし陣平ちゃんの前に座れよ」と声をかけてくる。
大皿の横に置かれているのはポアロのロゴが刻印されたお手拭き。下の喫茶店でテイクアウトしたもののようだ。
秋がソファーに座ったのを確認してから萩原が松田の問いに答えた。
「で、容疑者が少ないって話だっけ? これは単に、周ごとの出来事が微妙に違うってループの特性のおかげだな」
「って言うと?」
「ループのあいだ班長殺害は何度も起こってるけど、どれも同一犯なわけだろ? つまりどこか一つの周で犯行不可能だと証明されてれば、その人物は犯人候補から外れる。
たとえば殺人事件を起こして犯行当日は刑務所にいるとか。ループのどこかで殺されたことがあるとか。伊達殺害が始まる前に自殺しているなんてのもあったな」
「具体例が物騒すぎない?」
「ま、班長の知り合いって事件関係者か米花町の人間が多いし」
「おい萩。逆に言えば写真の連中はどの周でもアリバイがなかったんだよな」
「そーそー」
脱いだコートをたたみ、おしぼりで手を拭き終わると同時に会話が終了した。秋は静かになったタイミングでハムサンドに手を伸ばして一口かじる。
(ん?)
咀嚼しながら引っかかりを覚えた。どこかで食べたことのある味だ。
記憶の糸をたどっていくと、やがて同じ味の正体に思い当たる。スコッチが作るサンドイッチだ。レシピが同じなのだろう。
どこで食べた味なのか思い出そうと集中していたのを、味わっていると勘違いしたらしい。松田がニッと笑って得意げに言った。
「美味いだろ。前に話した、新しく入ったバイトが考案したメニューなんだぜ」
「ああ、ポアロで作戦会議できなくなった原因の。頭が切れる探偵なんだっけ」
それにしても、どうして松田が得意げにするのだろう。彼が我が事のように自慢するのは古い友人関連だと相場が決まっているが、ポアロのバイトとは出会って日が浅いはずだ。
「……」
その様子を萩原がじっと見つめていた。何か考え事をしている顔だ。
不思議に思いつつ、わざわざ指摘するほど気になるわけではなかったので、秋は彼の反応に触れずにハムサンドを食べ進めた。
無言でサンドイッチを口に押し込んでいると、松田が声を発する。彼は容疑者の写真に添えられた説明文に視線を落としていた。
「ん? この日下部誠って容疑者、公安検事って書いてあるじゃねえか。なんで捜査一課の伊達と知り合いなんだよ」
「ああ、日下部さんね」
松田の言う通り、彼の写真の下には「東京地検公安部所属の検事」と書かれている。
「班長が担当していた事件が公安警察の管轄になるってパターンが何度かあるんだよ。で、たまに裁判に証人として出廷したり、事件の担当検事である日下部さんが話を聞きに来たりしてて、そこそこ関わりができてる」
「ああ、はじめは捜査一課の管轄だった事件を公安に奪われたーってやつか。確かによくあるパターンだもんな」
一言で公安と言っても、文脈によって意味が変わるので非常にややこしい。
警察庁公安部やら、警視庁公安部、検察の公安部なんかもあるから面倒なのだ。前提となる知識がないとごっちゃになる。
秋も訳知り顔で二人の会話に頷いているが、正直ちゃんと理解できていない。今度スコッチに訊こう。
「っていうか日下部さんって何だよ。お前いつも容疑者はフルネームの呼び捨てで呼んでるだろ。『前』に関わりでもあったのか?」
「いやぁ、毎回世話になってるっていうか……。世話? マッチポンプみたいなもんではあるんだけど……」
途端に萩原は歯切れが悪くなった。その上さりげなくスッと視線を左に移動させる。怪しい。
松田も不審に思ったらしく、萩原の方向に体を向けて追及するように目を細めた。
数秒無言が続いたが、やがて一歩も引く様子のない松田に根負けした萩原が渋々口を割る。
「……毎回俺を取り調べるのが日下部さんなんだ」
「取り調べ!? どういうことだよ」
「テロ容疑でな。もちろん誤認逮捕だぜ」
「ええ……探偵って誤認逮捕までされるの? 採算取れなさすぎじゃん」
秋はドン引いた。
毎日のように殺人事件に巻き込まれ、月一くらいで爆破事件に巻き込まれるくせに誤認逮捕までされるとは。そのうえ同業者は江戸川コナンとかいう死神。
何があっても探偵だけにはならないでおこう。
「ん? ていうかさっきの発言を踏まえるとその犯人って……」
「そう、実は日下部さんなんだ」
「そう、じゃねえよ! なに毎回逮捕されてやがる!」
「いやー、あれは不可抗力っていうか……」
彼らの話を聞いていると段々と記憶が蘇ってきた。
どの周でも日下部誠が起こしたIoTテロは世間を賑わせているし、言われてみれば日下部が逮捕される前に探偵助手が犯人だと報じられていた。
(にしても、伊達航はたくさんの公安事件に関わっていて、容疑者に公安検事がいるだなんて、公安って単語出てきすぎじゃない?)
「もしかして他にも公安と関係のある情報があったりして」
「あるぜ」
「あるんだ」
何気なくこぼしたら瞬時に反応された。会話の流れを変える機会をうかがっていたのだろう。
萩原はすばやくスマホを取り出して画面に指を滑らせる。数秒後、一枚の盗撮写真を表示させてこちらに向けた。伊達航尾行中に秋が送った元容疑者の写真だ。
「強いて言うならこの人だな。羽場
「たしか伊達殺害が始まる前に自殺してるから容疑者から外れてる人だっけ」
「ああ。毎回五月一日に拘置所でな。しかも自殺直前には異例の公安警察による取り調べが行われたらしい」
また公安警察だ。さすがに出てきすぎじゃないだろうか。
言いながら萩原も気が付いたらしく、数秒考えこむそぶりを見せてからポツリと呟いた。
「そういや班長、どの周でも今回と同じくらいの公安事件に関与してたな。大規模爆発といい、米花町の事件は公安が関与しそうなものも多いから疑問に思ってなかったけど……」
「不自然ではあるよな。それに羽場が自殺しなかった周はないんだろ? で、二月七日に交通事故で死ぬ場合を除いて、伊達が殺されなかった周もない。つまり羽場の自殺と班長殺害に因果関係がないとは言い切れねえ」
松田が続けた言葉を聞くと、ますます疑念が深まる。しかしピースが足りないのか、それ以上真実に近づく気配はなかった。
* * *
二月七日。
秋はかじかんだ手をコートの袖に引っ込めて白線の内側を歩く。早朝だからか道路はガランとしていた。
反対側から歩いてくる背の高い男二人を確認すると、わざと顔をうつむける。同時にマフラーをたくし上げ、寒さを通り越して痛みを感じている頬をうずめた。頬の痛みが少し和らぐ。
そのまま彼らの方に早足で進み、わざと伊達にぶつかった。
「っと、すみません」
彼の第一の死因は居眠り運転による事故死。落とした手帳を拾おうと屈んだ瞬間をトラックに轢かれる。こうして手帳を取り出す前に動きを止めさせれば事故は防げるのだ。
現に、謝罪すると同時に背後でトラックが勢いよく通り抜ける音がした。
「なに!?」
伊達がギョッとした。おおよそ予想がついていたのに思わず振り返ってしまう。
ガードレールにめり込んだトラックが見えた。まだタイヤは回ったままだ。
「高木ィ! 救急車を呼べ!」
「は、はい!」
鋭く後輩に指示を飛ばしながら、伊達自身は運転手の安否確認に向かう。
閑静な朝の道路は一気に騒がしくなった。
慌てて消防署に連絡する高木の意識が完全にこちらから逸れた隙に秋は立ち去る。
どれだけ声を荒げても応答しない運転手を救出するため、伊達がトラックの窓ガラスを破る音が聞こえた。
事故現場から少し離れた位置にある裏路地に入ると、安堵の息を吐きながら帽子と眼鏡を取る。端にフレームが入り込んでくる視界には慣れないが、尾行対象と接触するので念には念を入れたのだ。
これで今日、伊達航が事故死する未来は避けられた。
次に彼が死ぬ危険があるのは六月一日。殺害ラッシュの開始日である。ひとまず最初の山場は乗り越えた。
簡易的な変装道具をバッグにしまいながら考える。
伊達は徹夜で張り込みをしていたはずだ。事故の後処理が終われば帰宅許可が降りるし、翌日まで仕事はない。
(ま、家に帰ったら動きはないだろうけど一応夜まで近くで待機しておくか。相互監視アプリで動きを確認したらすぐに尾行を開始できるし)
結果、伊達は夕方に出かけた。仮眠は数時間だけ。元気すぎやしないだろうか。本当に自分と同い年なのか疑問に思えてくる。
伊達は何度も道を折れた。遠回りになるはずなのに右左折する場合もある。わざとジグザグに歩いているのは明白だ。
(何度も角を曲がっているのにずっと足音がついてきたらすぐに尾行に気づける。尾行対策だろうな)
そろそろ手を打たないと、いつまでも着いてくる足音を不審に思われる頃合いだ。
秋は脳内でこの住宅街の地図を思い描いた。ここ周辺の入り組んだ道路はそこそこ交通量があるため、カーブミラーが完備されているはず。
ターゲットが右左折を繰り返すとしても、カーブミラーが設置されているのなら話は簡単だ。
秋は靴紐をなおすふりをしてしゃがみこみ、伊達が先に角を曲がるのを待った。伊達が次の道の中腹に差しかかったであろう頃に立ち上がると再び歩き出す。
これで彼との間にひとつ角を挟めた。あとはこの距離を保つだけだ。
距離を空けておけば気配にも足音にも気付かれないし、万が一伊達が振り返っても角を挟んでいるので秋の姿は見つからない。
さらに、角を曲がった直後ならカーブミラーに伊達の姿が映っているため、彼がどちらの道に折れたのかわかる。後はこれをくり返せばいいだけだ。
しばらく歩いていると、カーブミラーが設置されていない曲がり角に行きあたった。秋は慣れた動作でスマホを取り出す。
このスマホは仕事用でもプライベート用でもない。相互監視アプリをダウンロードしてある、対伊達航専用のスマホだ。その日尾行を担当する人物が所有する決まりとなっている。
ただ一つ新たにダウンロードされたアプリを開いて、伊達の位置情報を確認する。カーブミラーが設置されていない曲がり角の先で立ち止まったままだった。
コンクリート塀に寄りかかってスマホを眺める。しばらくすると伊達は再び動き始めた。
尾行に勘づいたわけではない。定期的に伊達はこのような動きをとるのだ。尾行を警戒しているのだろう。
そして、こういった日の行き先は決まっている。国営公園だ。
さらに十分ほど歩くと大きな公園にたどり着いた。
伊達とナタリーのクリスマスデート先であり、尾行中の秋と松田がお互いに虚無を抱えて歩いた場所である。
伊達が尾行に注意してここに訪れたのは三度目だった。前回も前々回も同じ時間帯に一人で公園に訪れて、しばらくの間何をするでもなくベンチに腰かけていたのだ。
鬱の前兆じゃないかと秋は思う。いくらタフネスな刑事でも、米花町の事件件数は多すぎるのだろう。
尾行に注意しているのは妄想と現実の区別がつかなくなっているのだろうか。だとすると重症だ。
黒の組織が未解決事件を増やしている自覚があるのでいたたまれない。
数メートル先から観察していると今回も伊達はベンチに陣取った。
秋は数メートル先の自販機で適当に飲み物を買い、自販機の横に置かれたベンチに座る。厚手のパンツ越しでもベンチが冷え切っているのがわかった。
手の中で先ほど買った缶コーヒーを転がしながら噴水を眺める。その奥にいる伊達を視界の端で捉えることに成功した。
切るように冷たい風が吹きとおる。伊達航はコートの襟を立てて顔をうずめた。
伊達がかすかに動いたおかげで、彼の影になっていた男の後ろ姿が現れる。伊達の背後に座った、深緑色のスーツを着た男だ。仕事終わりに訪れたサラリーマンだろうか。
(……ん?)
秋は何かが引っかかって眉根を寄せた。しばらく考え込んで違和感の正体を探り当てる。
(あのスーツの男、今までも同じ場所にいなかったっけ)
思い返してみれば、前回も前々回も、深緑色のスーツ姿が伊達の後ろにあった。
秋は立ち上がる。空になった缶をゴミ箱に放り投げると、大きく回り込んで伊達の背後側に出た。つまりスーツの男の顔が確認できる位置に移動した。
少し離れた先でスマホを取り出す。
風景の写真を撮るふりをしてスマホを掲げ、彼の顔を画面に入れた。スマホのカメラをズームにすれば虫眼鏡のように男の顔が拡大される。
シャッターを押しながら小さく目を見開いた。
(クリスマスデートのとき、伊達航の隣に移動した人と同一人物だ!)
それだけではない。
遠目からではわからなかったが、スーツの男は一人で座っているにも関わらず口を動かしていた。
秋には伊達も同じ動きをしているはずだと確信があった。
SNSアプリを開いて先ほどの盗撮写真と共に、彼に見覚えがないかを尋ねるメッセージを送る。
萩原からの返事はすぐに来た。
──警視庁公安部所属の風見刑事だ
また公安が登場した。