そしかいする度に時間が巻き戻るようになった
伊達航が殺される未来を変えるための話し合いの場として指定されたのは、どこにでもあるありふれた居酒屋の個室だった。しっかりとした壁に囲まれているので盗み聞きをされる心配はなさそうだ。
ジョッキやいかにも家庭料理らしいお惣菜が置かれたテーブルを挟んで、秋の目の前には萩原が座っている。その隣には癖毛の男。
萩原は隣席の男に秋を紹介すると、彼に親指を向けた。
「で、こいつが松田陣平。俺の親友。ちょっと態度が悪いかもしれないけど良いやつだよ」
「どーも」
秋もつられて頭を下げた。萩原とは対照的にぶっきらぼうな男だ。説明通り態度が悪く、粗暴な印象を受ける。
それならこちらも同じように対応しよう。それで気分を害さないのなら秋としては文句がない。むしろ普段通りの振る舞いができるのでありがたいくらいだ。
「今回集まってもらったのは伊達班長の死を防ぐためだ。間宮ちゃんは俺と同じくループしていて、陣平ちゃんにはループ関連のことを全て伝えてある。どの周でも協力してもらってるんだ」
「どうやって信じさせたの?」
秋の問いに、萩原は松田と顔を見合わせた。
ややあって、あっけらかんと松田が答える。
「んなもん、そう言われたらすんなり信じるだろ。萩は意味のない嘘つかねえし」
松田の声を聞いてから、意味を理解するまでに時間を要した。秋は意味もなく唇を開いたり閉じたりする。
理解不能だった。
萩原は信じてもらえなかった場合のことを考えたのだろうか。そのせいで関係性にヒビが入ることを普通は懸念するだろうに。
あっさりと信じる松田も松田だ。
秋は数秒間逡巡したのち、彼らは自分とは全く別の生き物なのだと結論づける。これ以上考えてはいけないと脳が警報を鳴らしていた。
秋が折り合いをつけ終わったと察したのだろう。萩原が会話内容を本題へと戻した。
「じゃあ伊達班長が死ぬ経緯について説明するな」
曰く、萩原たちと警察学校での同期である伊達航はどの周でも死ぬらしい。
ループ者が未来を変えるために動かなければ今度の二月七日に交通事故で死ぬ。
これを避けると、六月一日に轢き逃げに遭う。さらにそれを避けても七月一日に何らかの形で死ぬといった具合に、来年の六月を節目に毎月一日に命を落としかねない状況に襲われるらしい。
今は十二月のはじめ。交通事故まで約二ヶ月であり、エンドレス殺害開始まであと六ヶ月ほどだ。
思っていたよりも時間がない。
「伊達航は何者かによって事故に見せかけて殺害されるって考えてるんだね」
「ああ」
「質問いいか?」
萩原が頷いたところで松田が口をはさむ。いつの間にかサングラスを外していた。意外と童顔だ。
「言いにくいんだけど、伊達の死はあらかじめ決められてるものだって可能性はないのか? 俺たちがどんなに頑張っても変えられない運命みたいなもんがあって、それが班長の死だったら? だからって俺は諦める気はないけど、仮にそうだとしたら対策とか色々変わってくるだろ」
癖毛をガシガシと掻いて、松田は居心地悪そうに視線を逸らした。
それはないだろう、と秋は思った。
明確な根拠はない。
しかし伊達の死のように、何度くり返しても変わらないと思われたスコッチの死を回避したという事実が、運命の存在を否定している気がした。
「その線はないと思うぜ。現に、俺も陣平ちゃんも生きてるじゃん」
「たりめーだろ」
「それがそうでもないんだな。正史のままだったら二人とも死んでるんだよ。俺が爆死して、陣平ちゃんが俺の仇を取ろうとその爆弾犯を追いかけて、結局爆死。ちなみに俺が殉職を回避しても陣平ちゃんは仇を取ろうとして死んだ。運命ってやつに打ち勝った生き証人が二人もいるんだぜ」
「おい、お前が爆死したってどういうことだよ」
松田に詰め寄られて萩原は簡潔に説明した。爆弾をしかけて十億円強奪をもくろんだ二人がいたらしい。犯人らの本名や行動、萩原が手を回している今回はすでに逮捕されていることを聞き出すと、松田は気が済んだようだった。
「なるほど。悪ぃ、話の腰を折ったな。班長の説明に戻ってくれ」
「オッケー。犯人は巧妙に事故に見せかけて殺す。誰もが伊達は事故死だと思ってた。俺も、何度防ごうとしても死ぬことを確認してやっと殺人だって気づいたくらいだ。
殺害方法は基本的に轢き逃げ。俺や陣平ちゃんが伊達に張り付いて殺されるのを防いでいることを勘づかれると、別の殺害方法にシフトする。それも、確実に殺せるように被害が大きくなる方法にだ。火災や爆発事故に巻きこまれたかのように偽装する手口が多いっけ」
「はた迷惑なやつだな」
「いや、火災はまだわかるけど一般人が爆発事故を起こす手段が思いつかないんだけど。どうやってるの?」
「んなもん米花町にある適当な高い建物探せば爆弾が手に入るじゃねえか」
「一から爆弾作るのも割と簡単だしな」
米花町の高い建物に爆弾があるのはわかる。なにせ米花町だ。
しかし萩原の意見には反対だった。世界的な犯罪組織の幹部を務める秋ならまだしも、一般人がそう簡単に爆弾を作れてたまるか。
萩原は職場が米花町。
捜査一課に所属している松田が仕事で出向く先はほぼ米花町。
可哀想に、彼らは米花町に毒されているのだろう。
あそこは木を隠すなら森の中理論によって、組織が起こす犯罪の隠れ蓑にされるような場所である。
長らくそんなところに身を置いていれば、そこでまかり通っている常識が一般的なものだと錯覚してもおかしくない。
秋は心の中で彼らに合掌する。藪をつついて蛇を出すのも嫌なのでこの件には触れないでおこう。
「この時点で分かっていることはいくつかある。一つ、通り魔的犯行ではない」
萩原が人差し指を立てた。
松田への解説も兼ねて秋が付け加える。
「もしもそうなら毎回伊達航が狙われるのはおかしいもんね。犯人が何となく伊達航を選んだのなら、次は若い女性や老人がターゲットになるかもしれない」
「そーそー。分かってること二つ目、犯人は伊達の行動を把握できるか、もしくは操れる人物である」
「そうじゃなきゃ轢き殺したり、班長がいる建物を爆破するなんて芸当できないよな」
「そういうこと。ま、GPSでも事前にくっつけておけば伊達がどこにいるかなんてすぐにわかるから、容疑者を絞りこむ手がかりにはならないけどな」
「轢き逃げならそれでいけるかもしれねえけど、爆発事故は無理だろ。事前に爆弾しかけとく必要があるんだし」
「それがそうでもないんだよねえ」
萩原がのんびりとした口調で言った。
「爆発に乗じて殺された場合、どの周でも現場から爆弾らしきものは見つからなかった。大規模な爆発だったから爆弾の破片すら残らなかっただけかもしれねえけど」
となると、爆弾による爆破事件ではない可能性がある。一瞬違和感を覚えたものの何もおかしなところはない。
米花町周辺ではやけに爆弾が使用されるので忘れかけていたが、わざわざ爆弾を用意して設置するのは面倒だ。爆弾を使用するメリットは低い。
爆弾以外の手段を用いたとなれば、発信機によって伊達が条件を満たしている建物に入ったことを確認してから爆発の準備をしても間に合うのかもしれない。しかしその手段とやらに見当がついていない現状では妄想の域を出ない思いつきだ。
松田は首に手をやりながら唸った。
「今の時点であれこれ考えても仕方ないな。それより対策を考えねえと。俺にしたみたいに伊達にもループのことを打ち明けるってのは駄目なのか?」
「何度か試したけど失敗した。やらない方がいい」
萩原は卵焼きをつつきながら話す。
「信じてはくれるんだけどさ。伊達班長、なーんか隠し事してるみたいなんだよね。決まって心当たりはないって言うけど、それも本当かどうかわからない。
しかも俺たちに対する警戒心が強くなって犯人探しの調査は難航するし。
班長に命を狙われてる自覚ができて交通事故は自分で回避してくれるのはいいんだけど、交通事故に見せかける作戦が失敗したら爆発事故に見せかけて殺されるじゃん。仮にこれも避けられたとしても被害が大きくなる。
班長には知られずに俺たちで犯人を見つけ出してとっ捕まえるのが一番確実なわけよ」
秋としては目的さえ達成できれば被害が大きくなっても構わないのだが、二人は違うのだろう。
伊達の隠し事には触れず、松田が尋ねた。
「んじゃ、今までは犯人を見つけるために何をしてたんだ?」
「伊達と親しい人や、伊達が担当した事件の関係者全員が容疑者ってことでしらみ潰しに調べてた。事件のデータは陣平ちゃんに横流ししてもらう形で。今回もやってくれるか?」
「ダチの命が懸かってるんだからそれは全然構わねえけどよ。しらみ潰しってお前、マジかよ……」
秋も絶句した。
米花町の殺人事件発生率はそりゃあもう多い。そしてそれらをまとめて担当しているのが、伊達が所属している捜査一課である。担当事件件数なんて余裕で三桁超えるんじゃないだろうか。
萩原は何でもないように続ける。
「っつても、二人が考えてるほど大変な作業じゃないぜ。周によって起こる出来事が微妙に違うこと、間宮ちゃんも気付いてるだろ?」
当然だ。
秋は二周目──またもやループが始まったと発覚した周に、あらゆる事故や大規模爆発など、巻きこまれたくない事象のリストを暗記した。しかしその試みは徒労に終わった。
爆破事件も、事故も、自然災害も、『前回』とは違ったのだ。
もちろん前と同じように起こるものもある。しかし発生しなかったり、逆に『前』は何も起きなかった場所で事故が起こったりする。
何度かループ現象を経験していたのにこの時初めて、周ごとの出来事は微妙に違うのだと知った。
おそらく今までのループではくり返す期間が短すぎて、比較に必要な情報を十分に手に入れられなかったからだろう。
「例えば陣平ちゃんが今朝白米を食べたとしよう」
秋がしっかりと頷き返したのを確認してから、萩原は松田への詳細な説明を始めた。
「何が何でも朝は米じゃないと嫌だって確固たる信念があるわけじゃない。ただ何となく炊飯器に残っていた米を食べただけだ。別にパンでもよかった」
「他の周の俺はパンを食べてるかもしれねえってことか」
「そう。そしてそのパンにカビが生えていることに気づかず、完食してたら? 陣平ちゃんは職場で腹を下す。本来予定していた聞きこみには行けなくなった」
「んで、その聞きこみ現場に爆弾がしかけられてたら一つ爆破事件が増えるってわけだ。一方、俺が米を食べた周では聞きこみに行った俺が爆弾を見つけて爆発前に無事解体していたと」
萩原の説は秋が掲げているものと同じだった。
確かに歴史の大軸は変わらない。
世界を前に進める大きな出来事の核には強固な意志がある。そして、どれだけループしても変わらない事象の条件は強固な意志だ。そのため世界の成長の流れに変化が生じない。
伊達航殺害犯にも強固な意志があって、だからこそどの周でも伊達が死ぬのだろう。
その一方で、些細な変化は起こる。
本当に些細なものだから、十五年間をくり返すループを経験するまで、秋はその存在に気がついていなかった。変化した事象を見つけても、知らず知らずのうちに自分が『前』とは異なる行動をとったからだろうと思っていた。
しかし今回のループを経験してサンプルが増えたため気がついた。
周ごとに起こる事象は、人々の何気ない決断の上に成り立っているのだ。だから微妙な変化が生じる。
秋が考えている間に、萩原は話を進める。
「こんなふうにループしてない人の何気ない選択によっても変化は引き起こされてる。同じように、伊達班長の担当事件も周によって異なるし、事件の関係者なんかも違ってくる」
「なるほど。どの周でも犯人は同一人物。だから、全部の周で伊達の担当事件関係者である人物、もしくはどの周でも伊達と親しくしてる人だけが容疑者ってことになるのか」
秋は二人の会話を聞いていて引っかかりを覚えた。
さっきのは萩原が今までの周の容疑者を全員覚えていて、該当しない人物を選別できる前提での発言だった。
ループするごとに数が減っていくとはいえ、一周目の容疑者は途方もない人数だったはずだ。それを全部覚えてるって?
思い返してみれば、萩原は事件を未然に防いでまわっている。
前に起こった事件の詳細を正確に覚えていないとできない芸当だ。記憶力が良すぎないだろうか。
困惑が顔に出ていたのだろう。松田が「萩の記憶力はピカイチだからな」と胸を張った。なんでも幼少期に一度見かけただけの伊達航の父親の行動を覚えていたこともあるらしい。どうして松田が得意げにするんだ。
特殊能力を持っている探偵は多いのでその類だろう、と秋は無理やり自分を納得させて会話に意識を戻す。
「事件関係者と同じく、班長と親しい人のピックアップにも陣平ちゃんの協力は欠かせない。これもあんまり褒められた方法じゃないんだけど……」
「んなこと気にしてる場合かよ。どーせ『褒められる方法』ってやつだけでどうにかしようとしても無理だったんだろ。具体的に何するんだ?」
「相互監視アプリを使う」
「相互監視アプリぃ?」
「お互いに自分のスマホから相手のスマホを見ることができるアプリだ。浮気を疑うカップルなんかがよく使っている。相手のスマホに保存されている画像、動画、連絡先、通話記録やSNSの履歴なんかの閲覧もできるな。ついでに位置情報も確認できるぜ」
世の中のカップルは何を考えているんだ。プライバシーがゼロじゃないか。
松田も同じことを思ったらしく顔を引き攣らせていた。
「そのアプリを使う連中のことは一旦置いとくとして、相互監視アプリを伊達のスマホにインストールすれば、定期的に連絡を取ってる相手を知れるってことか」
「ああ。陣平ちゃんには隙を見てそのアプリをインストールしてほしい」
「そりゃあ職場が同じなんだし松田にそういった機会はあるだろうけど、勝手にアプリがインストールされてたら気づくでしょ」
「それがそうでもないんだな」
萩原は空になった大皿を重ねながら答えた。
「このアプリのアイコンが表示されるのは設定画面のアプリ一覧だけだ。ソフトウェアすら更新しない機械音痴の伊達は気づくわけない」
なるほど。つくづく悪用できそうなアプリである。
「まとめると、私たちが調べるのは伊達航と親しい人物、もしくは彼が担当した事件関係者。毎月一日に殺害チャレンジをしかけてくることから、犯人は伊達の行動を把握できてる。担当した事件によって逆恨みしているだけの犯人が伊達の行動を把握できるかは微妙だけど、盗聴器や発信機を持ち歩いてるような六歳児もいることだし、すれ違いざまに発信機をつけることもできるだろうって線で考えてる、と」
「おい待てなんだよその六歳児」
江戸川コナンのことは後で萩原が説明してくれるだろう。将来彼の職場に居候する少年なわけだし。
話が逸れるので秋は松田を無視した。
「前に萩原が言っていた通り、どれだけくり返しても変わらない事柄には強い意志が介在している。今回の強い意志は『絶対に伊達航を殺してやる』っていう犯人のもの。つまり通り魔的犯行ではないし、すべての周の伊達殺害は同一犯。言い換えれば、ループの中で一度でも容疑者じゃなかった人は全員シロ。この条件でだいぶ絞られるね」
萩原は言わずもかな、一時間ちょっと一緒に過ごしただけだが、松田も優秀なのはわかる。頭の回転が早くて思い切りもいい。
「萩原と松田が何度も調べていて、条件も絞られてきたっていうのに、手がかりすら掴めてないってかなりまずくない?」
「ああ。だから今回から捜査範囲を広げようと思ってる」
「具体的にどうやって?」
「親しい人の定義を下げる。親族や恋人、俺たちくらい親しい友人や同僚だけじゃなく、行きつけの店での顔なじみなんかも含めるつもりだ。ちょうど人手も増えたし」
萩原は笑顔を秋に向けた。秋も笑顔を返した。若干顔がこわばっていたかもしれない。
「あー、一応聞くけど、定義を下げた親しい人の割り出し方は?」
「そりゃあ最も手軽で強力な方法さ」
「つまり?」
「足を使う」
「……私は大変優秀だからどこからも引っ張りだこでかなり忙しいんだけど、二人はどれくらい尾行できる?」
「あー、はいはい」
萩原は慣れた様子で適当な反応をした。
一方で松田は突然自画自賛し始めた秋にギョッとする。彼は萩原を横目で見て、親友がまったく意に介していないのを確認すると、ため息とともに喉まででかかっていたであろう異議を吐き出した。大人な対応だ。
「俺は担当事件が伊達と被ればそれこそつきっきりになれる。それに、仕事が終わる時間が伊達と同じ場合も帰宅まで尾けれるな。どっちも結構かぶるぜ。このために捜査一課に移動したんだし手回しはバッチリだ」
「このため?」
思わずこぼす。横から萩原が補足した。
「陣平ちゃん、元々は爆発物処理班に所属してたんだけど、伊達が死ぬ経緯を打ち明けたらすぐに異動を申請したんだ。仕事中も一緒に行動できてればトラックに轢かれそうになっても助けられるだろ、って。かっこいいだろ。なーんで佐藤ちゃんは振り向いてくれねえんだろうな」
「萩原、やめろ」
ガチトーンだった。あだ名でなく苗字で呼んでいるところから真剣さがうかがえる。詳しいことを聞き出すのは後日にしておこう。
「仕事中は高確率で松田が見張れるんだね。萩原はどれくらい尾行できる?」
「自由業だから融通はきくぜ。ちょくちょく事件現場で顔合わせるし」
「融通をきかせて捻出した時間で女の尻を追いかけてる、と」
「佐藤ちゃんに触れたのは悪かったって」
容疑者を割り出すには少なく見積もっても数ヶ月間は伊達を尾行しなくてはならない。
仕事中は松田に任せるとして、それ以外の時間はピッタリ張り付いている必要がある。たとえ誰にも会わなそうな状況でも、その間に事件に遭遇する可能性を考えると見張ってないといけないからだ。
クッソ面倒くさい。できれば今すぐ投げ出したい。
しかしこの話から降りると伝えようものなら、萩原は「やっぱ間宮ちゃんには荷が重かったか」などと言うに決まっている。そんな扱いを受けるのはプライド的に耐えられない。
秋は戯れている二人を眺めながら、しばらく忙しい日が続きそうだと内心ため息をついた。
ジョッキやいかにも家庭料理らしいお惣菜が置かれたテーブルを挟んで、秋の目の前には萩原が座っている。その隣には癖毛の男。
萩原は隣席の男に秋を紹介すると、彼に親指を向けた。
「で、こいつが松田陣平。俺の親友。ちょっと態度が悪いかもしれないけど良いやつだよ」
「どーも」
秋もつられて頭を下げた。萩原とは対照的にぶっきらぼうな男だ。説明通り態度が悪く、粗暴な印象を受ける。
それならこちらも同じように対応しよう。それで気分を害さないのなら秋としては文句がない。むしろ普段通りの振る舞いができるのでありがたいくらいだ。
「今回集まってもらったのは伊達班長の死を防ぐためだ。間宮ちゃんは俺と同じくループしていて、陣平ちゃんにはループ関連のことを全て伝えてある。どの周でも協力してもらってるんだ」
「どうやって信じさせたの?」
秋の問いに、萩原は松田と顔を見合わせた。
ややあって、あっけらかんと松田が答える。
「んなもん、そう言われたらすんなり信じるだろ。萩は意味のない嘘つかねえし」
松田の声を聞いてから、意味を理解するまでに時間を要した。秋は意味もなく唇を開いたり閉じたりする。
理解不能だった。
萩原は信じてもらえなかった場合のことを考えたのだろうか。そのせいで関係性にヒビが入ることを普通は懸念するだろうに。
あっさりと信じる松田も松田だ。
秋は数秒間逡巡したのち、彼らは自分とは全く別の生き物なのだと結論づける。これ以上考えてはいけないと脳が警報を鳴らしていた。
秋が折り合いをつけ終わったと察したのだろう。萩原が会話内容を本題へと戻した。
「じゃあ伊達班長が死ぬ経緯について説明するな」
曰く、萩原たちと警察学校での同期である伊達航はどの周でも死ぬらしい。
ループ者が未来を変えるために動かなければ今度の二月七日に交通事故で死ぬ。
これを避けると、六月一日に轢き逃げに遭う。さらにそれを避けても七月一日に何らかの形で死ぬといった具合に、来年の六月を節目に毎月一日に命を落としかねない状況に襲われるらしい。
今は十二月のはじめ。交通事故まで約二ヶ月であり、エンドレス殺害開始まであと六ヶ月ほどだ。
思っていたよりも時間がない。
「伊達航は何者かによって事故に見せかけて殺害されるって考えてるんだね」
「ああ」
「質問いいか?」
萩原が頷いたところで松田が口をはさむ。いつの間にかサングラスを外していた。意外と童顔だ。
「言いにくいんだけど、伊達の死はあらかじめ決められてるものだって可能性はないのか? 俺たちがどんなに頑張っても変えられない運命みたいなもんがあって、それが班長の死だったら? だからって俺は諦める気はないけど、仮にそうだとしたら対策とか色々変わってくるだろ」
癖毛をガシガシと掻いて、松田は居心地悪そうに視線を逸らした。
それはないだろう、と秋は思った。
明確な根拠はない。
しかし伊達の死のように、何度くり返しても変わらないと思われたスコッチの死を回避したという事実が、運命の存在を否定している気がした。
「その線はないと思うぜ。現に、俺も陣平ちゃんも生きてるじゃん」
「たりめーだろ」
「それがそうでもないんだな。正史のままだったら二人とも死んでるんだよ。俺が爆死して、陣平ちゃんが俺の仇を取ろうとその爆弾犯を追いかけて、結局爆死。ちなみに俺が殉職を回避しても陣平ちゃんは仇を取ろうとして死んだ。運命ってやつに打ち勝った生き証人が二人もいるんだぜ」
「おい、お前が爆死したってどういうことだよ」
松田に詰め寄られて萩原は簡潔に説明した。爆弾をしかけて十億円強奪をもくろんだ二人がいたらしい。犯人らの本名や行動、萩原が手を回している今回はすでに逮捕されていることを聞き出すと、松田は気が済んだようだった。
「なるほど。悪ぃ、話の腰を折ったな。班長の説明に戻ってくれ」
「オッケー。犯人は巧妙に事故に見せかけて殺す。誰もが伊達は事故死だと思ってた。俺も、何度防ごうとしても死ぬことを確認してやっと殺人だって気づいたくらいだ。
殺害方法は基本的に轢き逃げ。俺や陣平ちゃんが伊達に張り付いて殺されるのを防いでいることを勘づかれると、別の殺害方法にシフトする。それも、確実に殺せるように被害が大きくなる方法にだ。火災や爆発事故に巻きこまれたかのように偽装する手口が多いっけ」
「はた迷惑なやつだな」
「いや、火災はまだわかるけど一般人が爆発事故を起こす手段が思いつかないんだけど。どうやってるの?」
「んなもん米花町にある適当な高い建物探せば爆弾が手に入るじゃねえか」
「一から爆弾作るのも割と簡単だしな」
米花町の高い建物に爆弾があるのはわかる。なにせ米花町だ。
しかし萩原の意見には反対だった。世界的な犯罪組織の幹部を務める秋ならまだしも、一般人がそう簡単に爆弾を作れてたまるか。
萩原は職場が米花町。
捜査一課に所属している松田が仕事で出向く先はほぼ米花町。
可哀想に、彼らは米花町に毒されているのだろう。
あそこは木を隠すなら森の中理論によって、組織が起こす犯罪の隠れ蓑にされるような場所である。
長らくそんなところに身を置いていれば、そこでまかり通っている常識が一般的なものだと錯覚してもおかしくない。
秋は心の中で彼らに合掌する。藪をつついて蛇を出すのも嫌なのでこの件には触れないでおこう。
「この時点で分かっていることはいくつかある。一つ、通り魔的犯行ではない」
萩原が人差し指を立てた。
松田への解説も兼ねて秋が付け加える。
「もしもそうなら毎回伊達航が狙われるのはおかしいもんね。犯人が何となく伊達航を選んだのなら、次は若い女性や老人がターゲットになるかもしれない」
「そーそー。分かってること二つ目、犯人は伊達の行動を把握できるか、もしくは操れる人物である」
「そうじゃなきゃ轢き殺したり、班長がいる建物を爆破するなんて芸当できないよな」
「そういうこと。ま、GPSでも事前にくっつけておけば伊達がどこにいるかなんてすぐにわかるから、容疑者を絞りこむ手がかりにはならないけどな」
「轢き逃げならそれでいけるかもしれねえけど、爆発事故は無理だろ。事前に爆弾しかけとく必要があるんだし」
「それがそうでもないんだよねえ」
萩原がのんびりとした口調で言った。
「爆発に乗じて殺された場合、どの周でも現場から爆弾らしきものは見つからなかった。大規模な爆発だったから爆弾の破片すら残らなかっただけかもしれねえけど」
となると、爆弾による爆破事件ではない可能性がある。一瞬違和感を覚えたものの何もおかしなところはない。
米花町周辺ではやけに爆弾が使用されるので忘れかけていたが、わざわざ爆弾を用意して設置するのは面倒だ。爆弾を使用するメリットは低い。
爆弾以外の手段を用いたとなれば、発信機によって伊達が条件を満たしている建物に入ったことを確認してから爆発の準備をしても間に合うのかもしれない。しかしその手段とやらに見当がついていない現状では妄想の域を出ない思いつきだ。
松田は首に手をやりながら唸った。
「今の時点であれこれ考えても仕方ないな。それより対策を考えねえと。俺にしたみたいに伊達にもループのことを打ち明けるってのは駄目なのか?」
「何度か試したけど失敗した。やらない方がいい」
萩原は卵焼きをつつきながら話す。
「信じてはくれるんだけどさ。伊達班長、なーんか隠し事してるみたいなんだよね。決まって心当たりはないって言うけど、それも本当かどうかわからない。
しかも俺たちに対する警戒心が強くなって犯人探しの調査は難航するし。
班長に命を狙われてる自覚ができて交通事故は自分で回避してくれるのはいいんだけど、交通事故に見せかける作戦が失敗したら爆発事故に見せかけて殺されるじゃん。仮にこれも避けられたとしても被害が大きくなる。
班長には知られずに俺たちで犯人を見つけ出してとっ捕まえるのが一番確実なわけよ」
秋としては目的さえ達成できれば被害が大きくなっても構わないのだが、二人は違うのだろう。
伊達の隠し事には触れず、松田が尋ねた。
「んじゃ、今までは犯人を見つけるために何をしてたんだ?」
「伊達と親しい人や、伊達が担当した事件の関係者全員が容疑者ってことでしらみ潰しに調べてた。事件のデータは陣平ちゃんに横流ししてもらう形で。今回もやってくれるか?」
「ダチの命が懸かってるんだからそれは全然構わねえけどよ。しらみ潰しってお前、マジかよ……」
秋も絶句した。
米花町の殺人事件発生率はそりゃあもう多い。そしてそれらをまとめて担当しているのが、伊達が所属している捜査一課である。担当事件件数なんて余裕で三桁超えるんじゃないだろうか。
萩原は何でもないように続ける。
「っつても、二人が考えてるほど大変な作業じゃないぜ。周によって起こる出来事が微妙に違うこと、間宮ちゃんも気付いてるだろ?」
当然だ。
秋は二周目──またもやループが始まったと発覚した周に、あらゆる事故や大規模爆発など、巻きこまれたくない事象のリストを暗記した。しかしその試みは徒労に終わった。
爆破事件も、事故も、自然災害も、『前回』とは違ったのだ。
もちろん前と同じように起こるものもある。しかし発生しなかったり、逆に『前』は何も起きなかった場所で事故が起こったりする。
何度かループ現象を経験していたのにこの時初めて、周ごとの出来事は微妙に違うのだと知った。
おそらく今までのループではくり返す期間が短すぎて、比較に必要な情報を十分に手に入れられなかったからだろう。
「例えば陣平ちゃんが今朝白米を食べたとしよう」
秋がしっかりと頷き返したのを確認してから、萩原は松田への詳細な説明を始めた。
「何が何でも朝は米じゃないと嫌だって確固たる信念があるわけじゃない。ただ何となく炊飯器に残っていた米を食べただけだ。別にパンでもよかった」
「他の周の俺はパンを食べてるかもしれねえってことか」
「そう。そしてそのパンにカビが生えていることに気づかず、完食してたら? 陣平ちゃんは職場で腹を下す。本来予定していた聞きこみには行けなくなった」
「んで、その聞きこみ現場に爆弾がしかけられてたら一つ爆破事件が増えるってわけだ。一方、俺が米を食べた周では聞きこみに行った俺が爆弾を見つけて爆発前に無事解体していたと」
萩原の説は秋が掲げているものと同じだった。
確かに歴史の大軸は変わらない。
世界を前に進める大きな出来事の核には強固な意志がある。そして、どれだけループしても変わらない事象の条件は強固な意志だ。そのため世界の成長の流れに変化が生じない。
伊達航殺害犯にも強固な意志があって、だからこそどの周でも伊達が死ぬのだろう。
その一方で、些細な変化は起こる。
本当に些細なものだから、十五年間をくり返すループを経験するまで、秋はその存在に気がついていなかった。変化した事象を見つけても、知らず知らずのうちに自分が『前』とは異なる行動をとったからだろうと思っていた。
しかし今回のループを経験してサンプルが増えたため気がついた。
周ごとに起こる事象は、人々の何気ない決断の上に成り立っているのだ。だから微妙な変化が生じる。
秋が考えている間に、萩原は話を進める。
「こんなふうにループしてない人の何気ない選択によっても変化は引き起こされてる。同じように、伊達班長の担当事件も周によって異なるし、事件の関係者なんかも違ってくる」
「なるほど。どの周でも犯人は同一人物。だから、全部の周で伊達の担当事件関係者である人物、もしくはどの周でも伊達と親しくしてる人だけが容疑者ってことになるのか」
秋は二人の会話を聞いていて引っかかりを覚えた。
さっきのは萩原が今までの周の容疑者を全員覚えていて、該当しない人物を選別できる前提での発言だった。
ループするごとに数が減っていくとはいえ、一周目の容疑者は途方もない人数だったはずだ。それを全部覚えてるって?
思い返してみれば、萩原は事件を未然に防いでまわっている。
前に起こった事件の詳細を正確に覚えていないとできない芸当だ。記憶力が良すぎないだろうか。
困惑が顔に出ていたのだろう。松田が「萩の記憶力はピカイチだからな」と胸を張った。なんでも幼少期に一度見かけただけの伊達航の父親の行動を覚えていたこともあるらしい。どうして松田が得意げにするんだ。
特殊能力を持っている探偵は多いのでその類だろう、と秋は無理やり自分を納得させて会話に意識を戻す。
「事件関係者と同じく、班長と親しい人のピックアップにも陣平ちゃんの協力は欠かせない。これもあんまり褒められた方法じゃないんだけど……」
「んなこと気にしてる場合かよ。どーせ『褒められる方法』ってやつだけでどうにかしようとしても無理だったんだろ。具体的に何するんだ?」
「相互監視アプリを使う」
「相互監視アプリぃ?」
「お互いに自分のスマホから相手のスマホを見ることができるアプリだ。浮気を疑うカップルなんかがよく使っている。相手のスマホに保存されている画像、動画、連絡先、通話記録やSNSの履歴なんかの閲覧もできるな。ついでに位置情報も確認できるぜ」
世の中のカップルは何を考えているんだ。プライバシーがゼロじゃないか。
松田も同じことを思ったらしく顔を引き攣らせていた。
「そのアプリを使う連中のことは一旦置いとくとして、相互監視アプリを伊達のスマホにインストールすれば、定期的に連絡を取ってる相手を知れるってことか」
「ああ。陣平ちゃんには隙を見てそのアプリをインストールしてほしい」
「そりゃあ職場が同じなんだし松田にそういった機会はあるだろうけど、勝手にアプリがインストールされてたら気づくでしょ」
「それがそうでもないんだな」
萩原は空になった大皿を重ねながら答えた。
「このアプリのアイコンが表示されるのは設定画面のアプリ一覧だけだ。ソフトウェアすら更新しない機械音痴の伊達は気づくわけない」
なるほど。つくづく悪用できそうなアプリである。
「まとめると、私たちが調べるのは伊達航と親しい人物、もしくは彼が担当した事件関係者。毎月一日に殺害チャレンジをしかけてくることから、犯人は伊達の行動を把握できてる。担当した事件によって逆恨みしているだけの犯人が伊達の行動を把握できるかは微妙だけど、盗聴器や発信機を持ち歩いてるような六歳児もいることだし、すれ違いざまに発信機をつけることもできるだろうって線で考えてる、と」
「おい待てなんだよその六歳児」
江戸川コナンのことは後で萩原が説明してくれるだろう。将来彼の職場に居候する少年なわけだし。
話が逸れるので秋は松田を無視した。
「前に萩原が言っていた通り、どれだけくり返しても変わらない事柄には強い意志が介在している。今回の強い意志は『絶対に伊達航を殺してやる』っていう犯人のもの。つまり通り魔的犯行ではないし、すべての周の伊達殺害は同一犯。言い換えれば、ループの中で一度でも容疑者じゃなかった人は全員シロ。この条件でだいぶ絞られるね」
萩原は言わずもかな、一時間ちょっと一緒に過ごしただけだが、松田も優秀なのはわかる。頭の回転が早くて思い切りもいい。
「萩原と松田が何度も調べていて、条件も絞られてきたっていうのに、手がかりすら掴めてないってかなりまずくない?」
「ああ。だから今回から捜査範囲を広げようと思ってる」
「具体的にどうやって?」
「親しい人の定義を下げる。親族や恋人、俺たちくらい親しい友人や同僚だけじゃなく、行きつけの店での顔なじみなんかも含めるつもりだ。ちょうど人手も増えたし」
萩原は笑顔を秋に向けた。秋も笑顔を返した。若干顔がこわばっていたかもしれない。
「あー、一応聞くけど、定義を下げた親しい人の割り出し方は?」
「そりゃあ最も手軽で強力な方法さ」
「つまり?」
「足を使う」
「……私は大変優秀だからどこからも引っ張りだこでかなり忙しいんだけど、二人はどれくらい尾行できる?」
「あー、はいはい」
萩原は慣れた様子で適当な反応をした。
一方で松田は突然自画自賛し始めた秋にギョッとする。彼は萩原を横目で見て、親友がまったく意に介していないのを確認すると、ため息とともに喉まででかかっていたであろう異議を吐き出した。大人な対応だ。
「俺は担当事件が伊達と被ればそれこそつきっきりになれる。それに、仕事が終わる時間が伊達と同じ場合も帰宅まで尾けれるな。どっちも結構かぶるぜ。このために捜査一課に移動したんだし手回しはバッチリだ」
「このため?」
思わずこぼす。横から萩原が補足した。
「陣平ちゃん、元々は爆発物処理班に所属してたんだけど、伊達が死ぬ経緯を打ち明けたらすぐに異動を申請したんだ。仕事中も一緒に行動できてればトラックに轢かれそうになっても助けられるだろ、って。かっこいいだろ。なーんで佐藤ちゃんは振り向いてくれねえんだろうな」
「萩原、やめろ」
ガチトーンだった。あだ名でなく苗字で呼んでいるところから真剣さがうかがえる。詳しいことを聞き出すのは後日にしておこう。
「仕事中は高確率で松田が見張れるんだね。萩原はどれくらい尾行できる?」
「自由業だから融通はきくぜ。ちょくちょく事件現場で顔合わせるし」
「融通をきかせて捻出した時間で女の尻を追いかけてる、と」
「佐藤ちゃんに触れたのは悪かったって」
容疑者を割り出すには少なく見積もっても数ヶ月間は伊達を尾行しなくてはならない。
仕事中は松田に任せるとして、それ以外の時間はピッタリ張り付いている必要がある。たとえ誰にも会わなそうな状況でも、その間に事件に遭遇する可能性を考えると見張ってないといけないからだ。
クッソ面倒くさい。できれば今すぐ投げ出したい。
しかしこの話から降りると伝えようものなら、萩原は「やっぱ間宮ちゃんには荷が重かったか」などと言うに決まっている。そんな扱いを受けるのはプライド的に耐えられない。
秋は戯れている二人を眺めながら、しばらく忙しい日が続きそうだと内心ため息をついた。