そしかいする度に時間が巻き戻るようになった

 江戸川コナンにビビったりシェリーの爆弾発言に動揺していただけなのに、気づいた時には全てが解決していた。
 バーボンが勝手にスコッチ生存へとたどり着き、二人の引き合わせに成功してしまったのである。公安にいる内通者の捜索も快く引き受けてもらえた。
 訳がわからない。何がどうなってるんだ。

 秋が頭を抱えているうちに事態はとんとん拍子に進み、半年後には組織が崩壊していた。赤井秀一と降谷零が中心になって色々やったらしい。
 事態が目まぐるしく変わっているのに何が起こっているのかいまいち把握できていないのが正直なところだ。


 現在、秋は公安に身柄を拘束されている。
 座っているのはパイプ椅子。目の前にはアクリル板。部屋は一面無機質なコンクリート壁で、椅子以外の家具はない。アクリル板の向こうには、こちら側と同じ殺風景な空間が広がっている。面会室だ。

 公安が非公式に所有している拘置所のような施設に入れられ、施設に併設された面会室と独房を行き来する生活を送るようになるのはループでのお決まりのパターンである。

 もちろん一周目の終盤も今と同じ状況だった。
 あの時の自分も、今と同じように面会に訪れる降谷を待っていたことを思い出す。程なくしてやって来た降谷はいくつかの質問を投げかけ、一通り質問が終わるとスコッチの死の真相を話し始めた。
 あれから全てが始まったのだと思うと、我がことながら少々呆気なく感じる。同じ時間が延々と繰り返される現象の幕開けにしては随分とゆるやかだ。
 これが映画だったら、ループが始まるきっかけはもっと劇的なものだっただろう。


(ベタな設定だと恋人の死とか)


 取り止めのない思考がそこまで及んだところで、やっと扉がノックされた。
 秋が返事をすると同時に降谷が入ってくる。グレーのスーツのくたびれ具合から、忙しい日々を送っているのだと察する。組織壊滅に伴って仕事量が急増したのだろう。

 彼は大股で向かいの椅子へ移動し、ドサリと座る。動きまでも慌ただしい。


「頼まれていた内通者探しの報告をするために今回の面会があるわけだが……」


 彼は間髪を入れずに本題へ入った。


「そんな話だったね。結局誰だったの?」

「結論から言うといなかった」

「…………ごめん、なんて?」

「裏切り者も内通者もいなかったんだ。実のところ公安では君の証言を疑問視する声も上がっている」

「……いや、そんなはずは、」


 声に困惑が色濃く表れた。
 発声よりも思考に意識が引っ張られて、言葉がどんどんと尻すぼみになる。

 スコッチのNOCバレの経緯は異様の一言に尽きる。それなのに公安内部に原因がない? 降谷が出し抜かれたのかと一瞬考えたが、組織随一の切れ者の名を欲しいがままにしていたバーボンの能力はよく知っている。それは無い。
 原因が公安内部にないのは確かなのだろう。
 となると、考えられるのはただ一つ。確率が低すぎて検討する価値もないと無意識のうちに切り捨ててきた瑣末な可能性。


(……いや、後にしよう)


 秋はゆるりと首を振った。思考の先に待っている最悪の仮説に今たどり着いたら降谷の前で取り乱すことになってしまう。
 彼女は自分に言い聞かせる狙いもあって呟いた。


「……まぁ今考えても仕方ないか」

「だな。ヒロのNOCバレについてはこっちでも調べてみるさ」


 ヒロというのがスコッチのあだ名であることは文脈で分かった。初めて聞く呼び名だ。

 鉄格子がついた窓から日の光が差し込み、降谷を照らした。代わりに秋に落ちた影がより濃くなった。

 彼女は逸れそうになる気持ちを制して、降谷との会話により一層集中する。
 降谷は次の話題へと移った。


「それとNOCバレの一件以外で要望は? 可能な限り叶えよう」

「鏡がほしいかな。獄中での楽しみなんて芸術品の鑑賞だけだし、そろそろアクリル板以外で自分の顔を眺めたくてね。そう、世界の創造主が一目見ようものなら大地に花が咲き乱れ、天に虹がかかり、祝福を与えるため天使たちを降臨させること間違いなしな……」

「使い方によっては武器にも自傷の道具にもなる。駄目だ」

「ケチ」

「……ふざけてないで真面目に答えた方が賢明だと思うけどね。ベルツリー急行では随分とシェリーの話が気になっている様子だったし」


 バーボンらしさが頭を覗かせた。鼻につく物言いや含みを持たせた口調もそうだが、片目を閉じながら話すのがそれらしい。


「あの様子じゃ公安が真相を掴めてるとも思えなかったけど、そんな事を言い出すなんて何か情報が?」

「いいや。シェリーとの面会を取り付けるよう尽力すると言っているのさ」

「死んだ相手と?」

「彼女は生きている」

「は?」


 目を丸くした秋に対して唇だけを釣り上げた笑いを見せてから、降谷はベルツリー急行での真実を話して聞かせた。
 あの時のシェリーは怪盗キッドが変装した姿で、キッドは爆発とともに隠しておいたハンググライダーで逃げ出したらしい。
 中身が別人だったら話が食い違いそうなものだが、別の場所に控えていたシェリーが指示を出していたそうだ。
 つまりベルツリー急行で告げられた言葉はシェリー本人のもので間違いない。言われてみればあの時の彼女は事情を知らない第三者が聞いても理解できない言葉選びをしていた。


「だからこそシェリーは無事だし、君が望むのなら彼女と話す機会を設けられるよう掛け合うけど、どうする?」

「お願い。にしてもやけに親切だね。スコッチを助けた恩を感じてるとか?」

「もちろんそれもあるさ」


 降谷は一呼吸置いた。
 彼の目が怪しく光る。またもやバーボンの影がチラついた。目が、自分に有利な取引を気取られずに持ちかける時のバーボンだ。


「一番の目的は対等交換。なに、そこまで難しい話でもない。今からここへ来る人物に可能な限り協力してほしいだけだ」


 彼は、取引相手を出し抜いた後のバーボンそっくりな綺麗な笑顔を浮かべて言った。
 先に報酬を掴まされたのだと理解して秋は叫んだ。


「嵌められた!」

「はははは。これからは気をつけた方がいい。君は騙しやすいからね」

「クッソ!」

「……おっと、もうすぐ到着するな」


 言われて、外からする足音に気がつく。二人分だ。

 ややあって足音が止まると、扉の前に控えている見張りに開錠の指示を出す聞き慣れた声がした。どうやら片方はスコッチらしい。
 遅れて鍵束のものであろう金属音。

 身柄を拘束されてからというものスコッチと顔を合わせる機会がなかった秋はともかく、降谷ですら少々緊張した面持ちで彼らの入室を待っている。
 面会室は無音だった。
 だからこそスコッチが連れに尋ねた内容がはっきりと聞き取れた。


「そういえばゼロに聞いたよ。警察をやめて毛利探偵事務所に再就職したんだって? どうしてまた……」


 もう片方が鼻で笑う。続いた答えには自嘲が混じっているように感じられる。


「幹部サマを問い詰めるとき一緒に聞かせてやるよ」


 ついにギィと軋んだ音を立てて扉が開いた。スコッチたちが入ってくる。もう一人が誰なのか判明した瞬間、カウンターに置いていた腕が滑った。
 勝手に唇が動いて訪問者の名前を示す。


(──松田)


 驚愕のあまり声が出なかったのは救いだった。殉職の原因となる爆破事件を起こさないために手を回しはしたが、『今回』の彼と直接顔を合わせたわけではない。面識がないのだから、呟いた名前を聞かれると少々面倒な事態になる。

 天然パーマとサングラスは記憶の通り。服装と雰囲気だけが違う。
 松田は喪服のように真っ黒なスーツを着て、鋭いナイフのような空気を纏っていた。
 一つ前の周、伊達殺害犯探しのために萩原を加えた三人で集まっていた時の彼とは在り方が違うのだとひと目で理解する。そして変化の原因にもすぐに思い至った。ループ開始時点──今から十五年前に突如として萩原が消えたせいだ。
 ループを知覚できないために、ループ開始前と『今回』の周とが地続きになっていると認識している松田視点では、萩原は十五年前に忽然と姿を消したことになっている。十五年前に萩原の姉から聞いた話では、誘拐事件として扱われたらしい。

 松田がズカズカと近づいてきた。彼は勢いに任せてカウンターに手を置き身を乗り出す。


「酒の名前で呼び合う犯罪集団が瓦解して、その幹部の身柄を公安が抑えてるって聞いたんでな。ゼロに頼んでアンタに会わせてもらった。訊きてえことがある。──萩原研二を知ってるか?」


 松田が現れたとき以上の衝撃と混乱が秋を襲った。

 彼が消えた親友を探すのは理解できる。
 彼はそういう人間だ。もしかしたら『今回』の松田が警察官になったのは、萩原の件も関係していたのかもしれない。

 問題は、降谷に話を通してまで組織の幹部に萩原のことを尋ねようとしたその行動だ。


 一時的に蓋をした瑣末な可能性が蘇る。
 もしもあの仮説が当たっていたとしたら。
 スコッチがNOCである証拠を流し続けた真犯人であろうあの人物が萩原消失に関わっていて、その証拠を松田が掴んでいるのなら全てが繋がる。繋がってしまう。

 息が浅くなる。まぶたが極限まで広がる。嫌な予感に全身を支配される。

 秋が萩原の名前に反応したのを見て、松田がさらに前のめりになった。アクリル板ギリギリまで顔を近づけて怒鳴られる。


「知ってるんだな!? どこで知った!? アイツはどうなった!?」


 鬼気迫る勢いだった。一層鋭くなった眼光は秋だけに向けられている。
 秋の答えに全神経を集中させていて他の物音は聞こえない状態なのだろう。様子がおかしい松田を心配する降谷やスコッチの言葉は届いていない様子だった。


「おい、松田!」


 とうとうスコッチが声を荒げる。
 肩を後ろから揺さぶられて、やっと松田は正気に戻った。


「……わりい。突然詰められても答えられるわけねえか」


 小さく謝ってから姿勢を戻す。背筋を伸ばしてネクタイを緩めたときにはもう、松田は冷静さを取り戻していた。


「公安二人への説明も兼ねて順に話してやるよ。俺は個人的に酒の名前で呼び合う連中を追っていた。通称は黒の組織だったか」


 松田の背後で、降谷とスコッチが困惑気味にアイコンタクトを交わした。二人とも初めて知ったのだろう。
 松田の言葉は続く。


「そこで安室透の登場だ。聞けばバーボンだなんて呼ばれてるそうじゃねえか。組織の幹部である安室透が毛利探偵事務所へ弟子入りしたとなれば、あの事務所には組織に繋がる何かがあると考えるのが筋だ」

「……それが警察を辞めてまで毛利探偵事務所に転がり込んだ理由か」

「まあな。一介の警察官がチマチマ調べるよりもよっぽど勝率が高いだろ」

「どうしてそこまで、」

「萩原研二。十五年前に姿を消した親友の消息を探るためさ」


 尋ねた降谷が息を呑んだ。それと連動するように秋の鼓動が早さを増す。耳を塞いで大声で喚き散らしたい衝動に襲われる。


「萩原は突然姿を消した。警察は誘拐の線で捜査したが目立った成果をあげられず数年後に捜査は打ち切り。でもそんなわけねえんだよ。俺は確かに目撃証言をした」

「まさか握り潰されたのか!?」

「ああ、今から思えば公安案件だったからな。調書に残さない方が都合が良かったんだろ。被害者の親友が事件当日不審な車を目撃していて、乗っていた連中は互いを酒の名前で呼び合う全身黒ずくめの男たちだっただなんて」


 息が止まった。

 萩原は時間が巻き戻る前に死んで、次の周での消失が確認された。だからこそ秋は「ループ者がループ中に死ぬと次の周以降で存在ごと消える」という仮説を立てたし、今日まで一度もその仮説を疑わなかった。萩原について考えないようにしていたと言った方が正しいだろうか。

 組織壊滅作戦時に萩原が死んで、次の周が始まってすぐ萩原が姿を消した。これら二つの事象からループ者消失説に至っただけであり、萩原が消える瞬間を目撃したわけではない。
 新たな条件が一つ加えられただけで仮説は簡単にひっくり返ってしまう。
 条件その三。時間が巻き戻ってすぐ萩原は組織の人間に誘拐された。


「もう一度聞く。萩原研二を知ってるか」


 再度問われるが秋には答える余裕などなかった。

 時間が巻き戻った直後、萩原は組織の人間に誘拐されている。タイミングからして偶然では済まされない。何者かが裏で糸を引いている。
 加えて、萩原と言えば死に方も不自然だった。

 こうは考えられないだろうか。何者かが何らかの方法で爆発を引き起こして萩原を殺し、時間が巻き戻った直後、秋が彼と合流する前に萩原を誘拐した。

 あまりにも手際とタイミングがいい以上、その人物も『前回』の知識を有しているのは確実。間違いなくループ者だ。
 そして、わずかな時間で組織の幹部に一般人の誘拐を命じられて、『前』の組織壊滅作戦真っ只中に爆発を引き起こすことが可能で、萩原を知り得た人物。
 同時にスコッチがNOCである証拠を用意し続けた人物。
 該当者は一人しか思いつかない。


(真犯人は第三のループ者であるあの方──烏丸蓮耶だ)


 萩原と接点を持ったそもそもの原因は、毛利探偵事務所を探れというあの方直々の命令だった。

 萩原は事件を未然に防いで回っていた。
 本来起こるはずの事件が発生していないこと。未発生事件の共通点からして毛利探偵事務所に近い何者かの仕業であること。この二つは萩原と出会うよりも前の秋ですら予想していた。
 自分たちと同じくループしているあの方が気づかないわけがない。

 萩原がループ者であり事件を防いで回っていると予想したあの方が、確信を得るために同じくループ者であろう秋と引き合わせたとしたら? スコッチの死を回避しようと動いていたのだから秋がループしていることは一発でバレただろう。


(組織内部にループ者がいることを想定して動かなかった時点で勝敗は決していたんだ)


 敵の強大さを自覚して途方もない恐怖に襲われる。いつしか握りしめていた拳の内側は汗でベトベトだった。
 ゆっくりと開く。手のひらには爪が食い込んだ痕が残っていた。
 三日月型の痕は恐怖によるものではない。恐怖と同時にやってきた激しい自責の念が原因だった。


(……私のせいだ)


 あの方は萩原に対する秋の反応によって彼のループを確信したはずだ。あの方のことだから秋に見張りでもつけていたのだろう。一年早く探偵事務所に居座るようになったバーボンが見張りだったのかもしれない。能力の高さが保証されているうえにスコッチの一件で秋を恨んでいる彼なら適任だ。

 そして、萩原の居場所をあの方が知っていたのも秋が原因だった。あの方から下された命令は毛利探偵事務所の関係者を調べ上げろというものだったのだ。
 彼らの個人情報は全て報告した。萩原の実家の住所も含めてだ。

 毛利探偵事務所を調べる表向きの理由に納得していたし、下手に情報を出し渋っても疑われる状況だった。
 だとしても、何も考えず流され続ける毎日を辞めていればあの方の不審さに気づけたかもしれない。


 萩原が消えた後の対応もそうだ。
 ループ者消失説はあくまで仮説の一つで、他の可能性も無数に存在していた。
 その上でループ者消失説を盲信したのは都合が良かったからに過ぎない。覆しようがない出来事が起こったのだと諦めて、後は考えないようにするのは楽だった。

 逃げずに萩原の身に何が起こったのか突き止めようとしていたら違ったのではないだろうか。
 あのとき萩原に何が起こったのか本当に知りたいと思ったら松田に協力を仰いでいたはずだ。そうすれば組織が絡んでいるとすぐに知ることができた。

 組織の内部だなんて最も探りやすい場所にいたくせに何もできなかったのは、ひとえに自分のせいだった。

 その上、他にもこの答えに繋がっていそうな糸はいくつかあった。自分が被検者となっているシェリーの研究。どれだけ握りつぶしても新たに湧いてくる、スコッチがNOCである証拠。
 全てを見逃していた。現実を直視したくないから真実に繋がりそうな糸を無意識のうちに除外して、深く考えないようにしてきた。
 全ては自分のくだらない逃げ癖が原因だった。





 気がつくと部屋には秋だけが残されていた。
 松田は日を改めると言い残して退室したらしい。放心状態から戻った秋に監視員が教えてくれた。

 それから特筆すべき出来事は起こらないまま『巻き戻り』の日はやってきた。松田が再び訪ねてくる前に時間が巻き戻って全てがリセットされたし、結局シェリーとは会えなかったためだ。どれだけ降谷に説得してもらっても「次の私に聞け」の一点張りで、面会を承諾してくれなかったらしい。


 十五年前、児童養護施設の一室で飛び起きた秋はやるべき事を理解する。今まで通り組織に入ってシェリーから話を聞かないことには何も始まらない。
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