そしかいする度に時間が巻き戻るようになった

「私以外のループ者に出会ったことは?」

「ない。間宮ちゃんが初めてだよ」

「ま、そうそう出会うものでもないよね。私たち以外のループ者が存在するかどうかもわかんないし」


 主役に緊急の呼び出しが入ったせいで松田の失恋を慰める会がお開きになり、残された二人は約束通りループ知識の共有をしていた。伊達航死亡を食い止める手伝いをする代わりに萩原が知っているループに関する情報を教えてもらう取り決めだったのだ。

 他にもいくつか質問を投げかけてみるがどれも予想通りの答えが返ってくる。
 二人ともループの開始地点は十五歳の春、終了地点は組織壊滅から数日後。同じ『繰り返し』を共有していると見て間違いない。

 用意していた質問も尽きてきた。
 秋は何気ない様子を装って本命の質問を最後にぶつける。


「そういえば萩原の『後悔』って何なの?」


 ループ現象を引き起こすトリガーは何かしらの後悔を抱くこと。ただし後悔を抱いてもループが起きない場合もある。ループが起こるか起こらないかの相違点はずっと不明だった。
 しかし同じループ者である萩原と出会って一つの仮説が浮かんできたのだ。萩原と秋、二人が同時に『後悔』を抱いた場合にのみ時間が巻き戻るのではないか。その仮説を検証するための質問である。

 しかし秋の期待とは正反対に、彼は不思議そうに首を傾げた。


「後悔……?」

「私はそう呼んでるんだけどね。ほら、ループ発生の条件って後悔とか心残りを感じることじゃん。で、それを解決すれば時間の繰り返しが終わって元の時間の流れが戻ってくるあれ」

「……」


 萩原はより一層不可解な表情を浮かべた。
 視線を右上に動かし、何やら考えこむこと十数秒。


「待ってくれ」


 口元に手をやりながら萩原が言う。瞳には困惑がありありと浮かび上がっていた。


「その言い方、間宮ちゃんはこの十五年間がくり返される事象以外に同じような経験をしてるのか?」

「え、逆に萩原は違うの?」

「ああ」

「……じゃあ萩原はループ体質じゃない? ループを観測できるようになったのは後天的なもので、私の体質で引き起こされてると考えられる今回のループに偶然巻き込まれただけの可能性も……?」


 考えを整理するために小さく口に出してみる。
 秋は多少混乱したし驚いたが、逆に言えばそれだけだった。
 数ヶ月前の彼女だったらいずれ敵対するかもしれない相手に下手な情報を与えてしまったと慌てただろう。
 些細な自分の変化がくすぐったくて、秋は少々大げさに呆れた表情を作ってみせた。


「にしてもあの態度からして何か重要な情報握ってるかと思ってたのに、まさか私よりもループについて知らないとはね。骨折り損のくたびれ儲けだよ、ほんと」

「でもさぁ、日下部さん捕まえるときに発砲したじゃん? 俺から情報を引き出すのが目的ならあそこまでする必要ないだろ。つまりいつの間にか間宮ちゃんの目的が俺たちを利用して情報を得ることから班長を助けることにシフトしてたわけで、それだけ俺たちに絆されてたってことに……なんで突然取り出した手鏡をしげしげ眺めてんの?」

「改めて私の顔がいいなって」

「誤魔化しかた下手すぎるだろ」

「…………なんのことかな」

「あー、うん。まあいいや。間宮ちゃんの話によるとその『後悔』ってのを解決できればループが終わるんだよな」

「そう。言ってなかったけど私部分的な記憶喪失でさ。忘れてる内容を思い出すのがループ終了条件だと思うんだけど……」

「違うな」


 萩原が言葉をかぶせてきた。彼は力強く断定する。


「間宮ちゃんが思い出さなくてもループは終わる。『後悔』は別のものだ」


 どうして断言できるのだろう。
 前から萩原はそうだった。まるで何かを知っているかのような不可解な言動が見え隠れしている。
 秋は不思議に思いつつもそれ以上追求しなかった。出来なかったと表現したほうが正しいかもしれない。





 * * *




 そして月日は流れ、伊達殺害を阻止するために萩原や松田と駆け回った日々から一年が経った六月。
 秋は重い足取りで屋内駐車場を歩いていた。一歩踏み出すごとに足音が反響する。
 急なあの方からの命令でジンを始めとした幹部の集団と合流するハメになった。彼ら実行部隊とは顔を合わせただけで罵り合うほど仲が悪いため憂鬱である。

 屋内駐車場の一番奥にポルシェを発見する。一台分スペースを空けてその隣に停まっているのはキャンティかコルンどちらかの車だったはずだ。
 秋は最後に大きなため息をこぼしてから、両車の間にズカズカと入っていった。
 ポルシェの助手席側の窓を叩く。嫌なことにジンが座っていた。ウォッカならまだマシだったのに。
 ジンは窓を開けると苦々しげに言った。


「アドニス……どうしてテメエがここに居るんだ」

「あの方からの緊急命令。第二の暗殺計画で使用するはずだった狙撃場所が変更になったから教えてやれって」

「……」


 ジンは思案するようにダッシュボードへ目をやった。開け放された窓から金属がカチャカチャいう音が聞こえてくる。どうせ意味もなく拳銃をいじっているのだろう。変なプレッシャーがかかるからやめてほしい。


「狙撃場所の変更ぉ? なんでそんな事態になったんだい!?」


 背後の車からキャンティの喚き声がした。ジンや、その奥に座っているウォッカにも聞こえるように話しているせいか音量が大きい。


「もともと使う予定だった建物が二軒とも爆発四散してね。ほら、米花町の近くの杯戸町だし」

「……嫌と言うほど納得できたよ。でもどうしてあのお方は作戦決行場所に杯戸町なんか選んだのさ!? あの事件発生率なんだからトラブルが起こるのは予想できたじゃないか! おかげでクソ女と顔を合わせるハメになるし……」

「木を隠すなら森の中。事件を隠すなら事件の中。あの地区なら暗殺を行っても『いつものやつか』で流されるからだよ。にしても、クソ女? 大幹部であるアドニス様によくそんな態度取れるよね。尊敬するよ。私の素晴らしさに嫉妬してるとか?」

「どっちも自称だけどね! アンタが大幹部だなんて世迷い事信じてるのなんて組織に入ったばかりで内情をよく知らない新米のペーペーだけさ!」

「フッ……」


 秋は全く反論できなかったので意味深に笑って誤魔化しておいた。

 彼女は基本的に組織の人間から嫌われている。だからバーボンはアドニスへの憎悪を隠そうとしないしその態度がむしろ賞賛されているのだ。

 証拠に、今度はコルンとウォッカが両側から口を挟んできた。


「お前、うざったい」

「そういうところが一々癪に触るんだろうが」


「二人の言う通りさ。でもねぇ! 一番気に食わないのはそこじゃないんだよ!」


 言いながらキャンティが勢いよくドアを開けて外に出る。そのまま後ろ手でドアを叩きつけるように閉めてからズカズカと近づいてきた。

 怒りで目を見開いているせいで左目まわりのアゲハ蝶のタトゥーが変形しているのが確認できるほど接近してからキャンティは喚き散らした。
 直情的で荒っぽい彼女は顔を合わせるたびにこうして突っかかってくるのだ。


「我慢ならないのは凡人風情が釣り合わない立場に納まってる現状だよ! 確かにアンタは裏社会で生き抜くだけの小手先の技術は持っている。組織で使い捨てに毛が生えた程度のネームドになる実力もある。でもそこ止まりさ! 裏社会の最奥も最奥、裏社会の人間たちですら存在していると断言できないほど謎に包まれたこの組織で、私たちと対等に話せる立場にのし上がれるだけの技術も能力も覚悟だってない」

「ああ、その通りだ」


 後ろのポルシェから声がしたのでふり返る。
 タバコをくわえた口を忌々しげに歪めてジンがうなった。


「だと言うのにテメエがある意味特別扱いを受けているのは事実だ。だからテメエの主張を信じる新人なんかも出てくる。……アドニス、お前はずっと危険な任務を免除されているな。狙撃場所を伝えるだけだなんてガキでもできる要件であっても今日この場に来たのが珍しく思えるくれえには、死んだり逮捕される危険のある任務にテメエが駆り出されることはない。
なァ、才能も技術も何も持っていないお前ごときがどうして特別扱いされている? その立場を手に入れるのにどんな汚い手を使ったんだ?」

 文字通り命を懸けて組織に尽くしている面々からすれば、なんの対価もなく優遇されているように見える自分の立ち位置が気にくわないのだ。
 溢れんばかりの殺気と憎悪を向けられて、秋は視線を宙に放った。


(汚い手ねぇ)


 一周目で発見した裏技を使ってさっさと優遇される立場になっただけなのだが、素直に答えるわけにはいかないので普段のドヤ顔を貼り付けておく。一目見れば感涙に咽び泣くほど素晴らしい笑顔だ。


「おい、見るだけではらわたが煮えくり返る顔をさらすな」

「ははは聞こえないね! 私が特別扱いされてる理由? そこにいるだけで利益をもたらすからかな。ていうかさっきの言いがかりといい、私に敵意向けてくるのって要するに醜い嫉妬だよね。僕たちはあのお方のために頑張ってるのに一人だけずるいーって小学生レベルの」

「ジン! DJの前にコイツのドタマぶち抜いていいかい!?」

「え、DJってなに? 誰?」

「フン、そうしたいのは山々だが……」

「無視かよ」

「どうやらそうも言ってられねえみたいだぜ。メンバーが揃った」


 ニヒルに笑いながらジンが目で指し示した先には一台の車があった。窓から運転者が顔を覗かせる。


「遅れたのは謝るけど、そこにいられると車が停められないのだけど」


 最後の暗殺メンバー。表向きはアナウンサーとして働く黒の組織の幹部にして、その正体はCIAのNOC。キールだ。
 彼女は迷惑そうに眉をしかめてクラクションを鳴らした。




 ジンにせっつかれて渋々座ったポルシェの後部座席で、秋は半目になって目の前で繰り広げられているやりとりを眺めていた。


「どうした、キール。約束は十時のはずだぞ」

「ごめんなさいね。気になる車がついて来ていたから念のために撒いたのよ」

「問題はねぇんだろうな?」

「ええ、ただの思い過ごし。だからドア越しに構えているそのベレッタ、サヤに納めてくれない? 妙な勘ぐりで私を撃てばDJは殺れないんじゃなくて?」

「まあいい。このビルの五百メートル四方には我々の目が届いてる。妙な車が近づけばすぐにわかるだろうからな」


 車の並びは奥から順にジンのポルシェ、キールの車、スナイパーコンビが乗る車だ。
 彼らは車に入ったまま窓だけ開けて話している。
 運転席に座っているキールと助手席に座っているジンは二車の扉を挟んで隣に座っている状態とはいえ、このまま話すのはどうなのだろうか。
 ジンなどは二台隣のキャンティたちに聴こえる音量で話しているせいでかなり声が大きい。
 万が一誰かが通りかかったら会話内容が全て筒抜けだが、ジンは平然と会話を続ける。


「じゃあ最終確認だ。第一の作戦を言ってみろ」

「時間は十三時、場所はエディP。インタビュアーの私はDJを例の位置に誘導する」

「そうそう、待ってるよ、キール! アタイのこのスコープのど真ん中に獲物を突っ込んで興奮させてちょうだいね」

「あらキャンティ。コルンも一緒ね。頼りにしてるわよ。私たちの功績は日の目を見ることはないけれど、失敗はすぐに知れ渡ってしまうんだから」

「フン、成功しても失敗しても世間に知られることはない。それが組織のやり方だ」

「ああ、そうだったわね」


 秋は思った。エディPってなんだよ。
 DJといい訳のわからない符号が登場しすぎだ。
 改めて尋ねれば教えてもらえるだろうが理解していないと知られるのは癪なので、秋は訳知り顔で頷いておいた。





 * * *





 DJは衆議院選挙に出馬した土門康輝やすてる、エディPは杯戸公園のことだった。第一の暗殺作戦が終わったから判明した事実である。
 なお、せっかくコルンが標的を捉えたのにジンが「邪魔な羊が多すぎる……」などと言い始めたせいでタイミングを逃してしまい、第一の暗殺作戦は失敗した。秋は散々からかっておいた。


 第二の暗殺作戦について詳しいことを話すため、組織のメンバーは古びた倉庫に移動する。時折組織が待機場所として利用している廃倉庫に降り立つとジンが説明を始めた。


「十六時ごろDJは橋の上を通る。そこが暗殺場所だ」


 その後行われたやり取りをまとめると次のような作戦だった。
 二人のボディーガードを連れて車で移動している土門を外に引きずり出すため変装したベルモットが車の前で転倒。正義感の強い土門が出てきたところで、後ろからバイクで追いついたキールが頭を撃ち抜く。最後に二人のボディーガードをキャンティとコルンが始末する。


「そして狙撃場所が変更になっているらしいが……。アドニス、場所を教えろ」

「人に物を頼むときはそれ相応の態度ってものがあると思うけどなぁ」


 秋は悪どい笑顔を浮かべた。
 先ほどボロクソに言われた仕返しをしてやろう。

 人差し指を立てて幼子に言い聞かせるような口調でゆっくりと言う。


「お願いしますアドニス様、どうぞこの無知な私に教えてください」


 瞬間、重い音が響いた。顔の真横を突風が駆け抜ける。髪から焦げ臭いにおいが漂ってきた。


「は? え?」


 ジンの手元に視線を落とす。黒光りする拳銃が握られていた。
 振り返って背後の壁を確認する。銃弾がめり込んでいた。
 状況を理解した途端ガタガタと足が震え出しそうになる。頬スレスレをジンが撃った銃弾が掠めていったのだ。

 キャンティが両手を叩いて喜び、コルンが嬉しそうにはにかみ、ウォッカが「さっすが兄貴!」と声をあげている中、秋は叫んだ。


「ばっっっっかじゃないの!? なに銃ぶっ放してるの!?」

「ホォー、随分と慌てているな」

「…………銃弾残したら足取り掴まれるんじゃないかと思ってね。ジンの巻き添え食らうのは御免なんだけど」

「そんなもん下っ端に後処理させる。それで? 新しい狙撃場所ってのは?」


 何事もなかったかのように話を続けるジンを見て、秋は仕方がなさそうに首を振った。また銃をぶっ放されて下っ端の仕事が増えたら可哀想だし、という態度を心がけて小さく息を吐く。
 しかし膝は力を込めてもなお微かに震えたままだった。
 気づかれる前に大人な自分が折れた体で素直に従っておこう。


「まったく、仕方ないな。あそこだよ、新しく建った──」

「口で言うな、地図を指せ。盗聴対策だ」

「はいはい」


 ジンが視線で示した先には車の屋根に広げられた地図があった。ウォッカに準備させていたものだ。
 見ると、いくつか印がつけられている。一際目を引くのが鳥矢大橋につけられた赤丸と「ベインB」と書かれた文字だった。どうせDJやエディPと同じ痛々しい符号だろう。触れるだけ無駄だ。


「こことここね」


 急いで新たな狙撃場所を指さし、秋は地図に背を向けた。先ほどの発砲にビビり散らしていると悟られる前にさっさと逃げたい。


「じゃ、そういうことだから。役目は終わったし帰るよ」

「待て」


 ジンに言われて足を止める。
 引き止められた苛立ちを覆い隠して仕方がなさそうな態度で尋ねた。


「他に何か?」

「まさかテメエがここまで馬鹿だとはなァ」

「? ……あぁ、IQが20違うと話が通じないって言うもんね。あまりにも賢すぎる人間は常人には馬鹿に見えるってやつか」

「客観視すらできないほど頭が足りないテメエに教えてやるよ。狙撃場所変更の連絡なら電話で事足りるはずだ。あのお方がわざわざお前をここに寄越した理由を考えろ」

「えー、年寄りの判断ミスとかじゃない? 変なところで慎重だから通話を盗聴される場合を考えたとか。言っちゃ悪いけどあの勿体ぶった言い回しで伝達事故が起こらないと思ってるアホだし。あのポエムを交えた話し方、絶対勘違いに勘違いを生みまくってるって。直接的な話し方をしないから誰も気づいてないだけで」

「IQが20違うと話が通じないって言うもんなァ。馬鹿にあのお方のお心を理解させるのは無理だったようだ」

「こ、コイツ……!」

「ともかく最後まで付き合ってもらうぞ」






 * * *





 伝言を済ませれば帰れるはずだったのに、ジンの発言のせいで同行することになってしまった。
 特徴的なポルシェのエンジン音を聞きながら、秋は後部座席の窓から外を眺めていた。大きな水溜りの真上を走ったタイヤが水飛沫を散らす。

 最悪のドライブだった。
 相性最悪のジンと同じ空間にいるだけでも最悪なのに、ジンが唐突にキールの脱ぎたてホヤホヤの衣服を漁り始めたのだ。地獄みたいな絵面だった。


「なにやってるの……? シェリーからキールに乗り換えたとか……?」

「は? なに言ってるんだテメエ。キールが今まで履いてた靴に発信器と盗聴器がついてたんだよ」

「!?」

「発信器は潰したし、盗聴器は何重にも布で包んで音を拾われないようにしてあるがなァ」

「ごめん、盗聴対策だの言ってDJとかエディPとかベインBとか言ってたの、ただの厨二病ごっこかと思ってた。意味あったんだね」


 全く悪いと思っていなさそうな声色で言ったらバックミラー越しに睨みつけられた。しかしジンが言い返してくるよりも早く、車を運転しているウォッカが尋ねる。


「それで兄貴、どうするんですかい?」

「暗殺は取りやめだ。あのお方から連絡が返ってきたらキャンティたちにも伝えるが、どうせ許可は降りるだろうぜ」

「ええ!? なんでまた!?」

「ターゲットを変更するからさ。報告によると、キールが俺たちと合流する前に接触したのは毛利探偵事務所の面々だけ。しかも奴らは昨夜からキールの部屋に上がりこんでいたそうだ。たわいもない事件の捜査だったらしいがな。何日も前からが取り付けられていてキールが気が付かないわけがない。名探偵の毛利小五郎ならなおさらだ」

「つまり……?」

「あぁ、この盗聴器と発信器の持ち主は毛利小五郎しか考えられねえ」


 どうしようもなく嫌な予感に襲われた。指先から血の気がひく。
 秋が何か言う前にウォッカが問いかけた。


「ってことはターゲットって……」

「新たなターゲットは米花町五丁目、毛利探偵事務所だ。疑わしき者は殺す。もちろん毛利小五郎の周りの人間も全員な」


 ジンの言葉に心臓が凍った。
 毛利探偵事務所は萩原の職場だ。
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