そしかいする度に時間が巻き戻るようになった

「真犯人がわかったって!?」


 どっぷりと日が暮れたころ、いつも利用している居酒屋の個室の扉が勢いよく開かれた。鋭い声とともに松田が姿を現す。
 松田はそのままズカズカと個室に入り、暗黙の了解で決まっている定位置にドカリと腰をおろした。
 走ってきたのだろう。若干息が切れている。

 彼は息苦しそうにネクタイを緩め、水を一気に流しこんでから個室内を見渡した。


「ところで萩は?」

「席はずしてる。真犯人を突き止めたと言っても、あるのはループ知識が前提の状況証拠だけなんだよね。これだけだと逮捕は無理だから、公安警察の友達にかけ合ってみるとかで」

「なるほどな」


 松田の反応はあっさりしていた。
 普通、親友に公安とのコネがあると知ったらもっと驚くはずだ。もしかしたら公安の友人というのは松田との共通の知り合いで、前からその存在を知っていたからこの反応なのかもしれない。

 些細な思いつきを頭の片隅に追いやってメニューを広げる。
 長時間居座るのだからそのぶん注文をしなくてはならない。



 松田と適当に決めた品がすべて届いてから、秋は直球で本題に入った。


「真犯人は日下部誠だった」

「日下部? 確かに条件に当てはまっちゃいるが羽場との接点は皆無だったろ」

「それがそうでもないんだよね。日下部犯人説にたどり着いた経緯から説明するけど……」


 秋は少々自分の活躍を盛って、裁判所で起こった一連の出来事を語った。
 秋が盛った部分をすべて指摘した後、松田は納得の色を見せる。


「その状況なら日下部が犯人で間違いねえな」

「でしょ。私たちもそう考えて日下部の周りの人に話を聞きに行ったんだよ。ま、萩原が世間話の体で女性から色々聞き出したって表現したほうが正しいけど」

「だろーな」

「日下部はかなり過激な思想を持ってたみたいでね。公安検察は公安警察と同等の権限を有するべきだ、検察の違法捜査も許されるのが正しいあり方だっていたる所で主張してたのが判明した」


 公安警察と公安検察との間には力関係が存在している。捜査員の人数やノウハウに雲泥の差があるためだ。公安検察には公安警察ほどの権限を使いこなす力がないと判断され、今の状態に落ち着いている、らしい。


「だから日下部は強硬手段に出たんじゃない? 認められないのなら勝手に違法捜査をしてしまえってことで秘密裏に協力者を抱え込んだ」

「おい、それって、」

「そう。羽場二三一ふみかずは日下部の協力者だった。だから証拠を見つけるために日下部の頼みでゲーム会社に侵入して逮捕されたんだよ」


 警察に逮捕された犯人の起訴・不起訴を決定するために、検察官は改めて捜査を行う。その捜査に協力していたのが羽場だったのだ。

 日下部は検察官。羽場の恋人である橘と裁判で争う関係性である。早い話、敵同士だ。
 しかも橘は公安警察の協力者としての立場と羽場への恋心で揺れ動いているし、羽場と日下部は固い絆で結ばれている。


 関係性ドッロドロだなあと秋は思った。
 どうでもいいことを考えている秋とは正反対に、松田が苦々しい顔で言う。


「動機は協力者として育んできた絆? 一緒に悪いことをした相手と妙な一体感が生まれる感覚はわかるが……。そんな理由で班長はずっと殺され続けてきたのかよ」


 最後に小さく吐き出された言葉には、静かな怒りがにじんでいた。


 伊達航が殺されたあとの顛末について萩原から聞いたことがある。
 伊達の死にショックを受けた恋人のナタリーは自殺。彼女の両親も娘の遺体を引き取りに来る途中で交通事故に遭って他界。
 このまま行けば、日下部の犯行はさらなる負の連鎖を引き起こす。

 松田の怒りはもっともだ。
 そう思うと同時にどこか冷めている自分がいた。それどころか日下部を援護する言葉ばかり頭に浮かんでくる。
 本当に日下部に非がないと思っているわけではない。道理を曲げたから別の場所にシワ寄せがいって悲劇が起こるものだと重々承知している。

 日下部を庇ってしまうのは、彼の罪が許されてほしいと思っているからだ。
 どうしてか考えようとして、心臓にヒヤリと冷たいものが触れた。
 頭が警報を鳴らす。駄目だ、これ以上考えてはいけない。この先には直視したくない現実が待っている。

 秋は思考を放棄した。


 タイミングよく松田のスマホが鳴る。着信相手は萩原だった。
 松田は取り出したスマホを耳に当てて数言交わしてから、通話を切ったスマホをポケットに戻す。


「荷物が多いから運び入れるのに手を貸してくれってさ。ちょっと行ってくるわ」


 松田が席を立ったことで一方的に感じていた気まずさが強制的にリセットされた。





 松田と一緒に戻ってきたのは萩原と、二人の腕に抱えられた大量の段ボール箱だった。


「何それ」

「日下部誠が担当した裁判資料諸々」

「……なんで? どうやって?」


 短く発した秋の問いに、段ボールを机に下ろしてから萩原が答える。


「日下部をどうにかするため公安の知り合いに話を通してみるって言っただろ。その結果がこれ」


 今度は松田が段ボールを置いた。
 その横で萩原が段ボールをパシリと叩く。


「この資料、本来は閲覧申請してから許可が降りるまで数週間かかるし、閲覧場所や時間が決められてるほど制約でギッチギチな代物なんだけどな。ま、公安警察が命令すれば規則くらいねじ曲げられるってこった」


 公安警察。今までもそうだったが、萩原は相手が警察庁と警視庁、どちらに所属しているのか口を滑らせない。秋に情報を与えないように気を張っているのだろう。飄々としているようでいて隙がない。


「いやー、さすがの公安警察でも証拠もなしに日下部の逮捕はできないらしくってさ。頑張って食い下がった結果、証拠を見つけ出したら取り合ってくれるって約束に漕ぎつけたわけよ」

「証拠ォ?」


 手首を回しながら松田が眉根を寄せた。


「推理だってループ知識があってこそ成立するもんだし、ちゃんとした証拠なんて存在しねえだろ。強いて言えば日下部の自宅にテロを計画している証拠があるかもしれねえが、それを得るためには公安に家宅捜査をしてもらう必要がある。でも公安は証拠がないと取り合わないと言ってる。……つまり推理を突きつけて自白を引き出す、そうだな?」

「ああ、披露する推理にループの知識は使えないから、その代わりとなる根拠を裁判記録から探し出そうってわけ」


 秋は机を埋め尽くす勢いで置かれた段ボールの山を盗み見た。
 次に、壁に貼られたポップに目を向ける。朝まで営業していますの文字。
 思わず引きつった笑いが漏れた。
 どう考えても徹夜作業である。





 * * *





 朝日が眩しい。
 七月に入っただけあって窓から入りこむ日差しは強かった。
 秋は思わず目を細めて、そのまま瞼を閉じる。眠気のピークに抗いつづけた結果一周まわって目が冴えているのでうっかり寝ることはないだろう。
 眼球の上を軽く抑えた。書類とのにらめっこが続いたせいか目がズキズキと痛む。

 揺れが止まった。目を開けると窓の外の景色は動いていない。住宅街の道端に車を止めたらしい。
 外に降りて、横にそびえるマンションを見上げた。

 自白を引き出す材料をすべて揃えて日下部のマンション前に到着したのは、すっかり日が昇りきった時刻だった。



「うっし、今のうちに復習するぞ。日下部さんを問い詰めるための根拠は、羽場との協力関係がスタートしたであろう二年前から調書の精度が段違いに上がっていたこと。そして日下部さんが作成した調書には違法捜査を行わない限り手に入らない証拠が多数見受けられた」

「その件については裏取りをとって別紙にまとめてある。コピーするのが大変だったぜ」


 松田が紙束を持ち上げて見せた。


「あとはこれらを根拠に揺さぶりをかけて自白を引き出し、家宅捜査に漕ぎつける。そうすれば伊達航殺害およびIoTテロ計画の証拠が発見されて、無事日下部は逮捕される」


 そう言ったっきり秋は口を閉じた。不必要な雑談をするほど体力に余裕はない。

 米花町付近の事件発生率が異常なせいで日下部が担当した事件は膨大で、つまり確認するべき調書は山のようにあった。
 伊達航の尾行、真犯人判明後の調査のあとに待ち構えていた大量の書類精査。おまけに不可解な点の裏取りが必須なせいで現場に赴くこと多数。

 体は鉛のように重い。

 秋はマンションの出入り口をぼんやりと眺めていた。日下部が外出するにはあそこを通らなくてはならない。
 待ち人が来る前に外出されても困るので意識を向けておくべきだ。



 ──待ち人。
 それこそが、こうして三人が日下部の部屋に突入せず外で待機している理由である。

 改めて萩原が公安の友人とやらに交渉した結果、部下を一人貸してもらえることになったのだ。今はその公安刑事を待っている。


(にしても、交渉のときシフト表がどうのとか聞こえたけどあれなんだったんだろ)


 カツン、と革靴の音が背後から響いた。
 すぐさま三人は振り返った。

 眼鏡の男がこちらに歩いてきている。彼は大きな体を縮こまらせて、特徴的な形の眉を下げていた。
 困っているのが一目でわかる表情で、彼は耳に当てたスマホへ話しかけている。


「はい、はい。日下部誠を逮捕するんですね。ところでマンション前に控えている彼らは……え、ちょっと、ふる……切れた」


 呆然と呟いてから風見はこちらの視線に気づく。一部始終を見られていたのを悟ると、彼は慌てて姿勢を正して咳払いをした。


「……オホン、インターホンを押して日下部が出てきたところで推理を突きつけ、自白を引き出す。そこを俺が逮捕するという流れでいいんだな?」


 萩原は風見に、「うわあ、可哀想……」と言わんばかりの表情を向けた。
 秋は横足で松田の隣に移動してささやく。


「何もごまかせてないよね、あれ」

「普段のお前もあんな感じだぞ」

「うっそでしょ」





 全員がそろったので、四人はマンション内へ移動した。
 エレベーターから降りて少し歩くと日下部の部屋前に到着する。
 代表して萩原がインターホンを押した。
 数秒待ってもなにも起きない。そればかりか、耳を澄ましても玄関に向かう足音が拾えなかった。
 三人はすばやくアイコンタクトを取る。何かがおかしい。
 今度は松田がインターホンを押す。やはりなにも起きない。


「おっかしいなあ……。証拠が出揃ってすぐに飛んできたからまだ午前中だし、こんな朝っぱらから出かける用事なんて……」


 ぼやきながら、秋は徹夜明けのまわらない頭で考える。

 風見を待っている間、マンションから日下部は出てこなかった。
 つまり秋たち三人がマンションに到着する前に外出していたことになる。
 日下部が外出する目的となると……。


「「式場の下見!」」


 秋と同じタイミングで萩原も気づき、二人が同時に叫ぶ結果となった。
 勢いよく顔を見合わせて口々に言いあう。


「伊達は裁判所で、今日の午前中に結婚式場の下見に行くって話してた! 橘に、日下部が通りかかる少し前にね。それを日下部が聞いていたとしたら? 結婚式場で伊達を殺そうと考えたら?」

「昨日の会話では見学時間を言ってなかった! いつ班長が到着するのか知らない日下部さんは事前に現場で待ち構えるのを選んだんだ! 班長は今どこに!?」


 言いながら、萩原が相互監視アプリをインストールしているスマホを取り出してGPS機能を確認する。
 伊達の現在地を表しているピンは、けっこうなスピードで移動していた。


「この速度、車で移動してるぞ! きっと式場見学に向かってる真っ最中だ。班長、どこの式場に行くか言ってなかったか!?」

「言ってない! 日下部は別の機会の雑談かなにかで場所を聞き出していたんだろうけど……」


 秋は思わず歯噛みした。
 ここまで来て完全に手詰まりだ。
 伊達が現場に向かっている今、猶予は刻々と迫っているのに場所がわからない。


 松田が萩原の横からスマホを覗き込んだ。
 彼はそのまま手を伸ばしてスマホ画面を拡大する。


「この方向ならあの老舗ホテルじゃねえか? ほら、披露宴にもってこいって売り出してる」

「!?」

「仕事の合間に班長が調べてた式場候補にあったんだよ。その方面なら該当するのは一つだけだ」

「でかした!」


 三人は弾かれたように走り出す。風見の呼び止める声が聞こえた気がしたが全員無視した。
 すぐにエレベーター前に到着し、扉横のボタンを連打する。
 扉が開く。中に乗り込んで下に降りながら松田が萩原に尋ねた。


「ここから向かうと何分で着く?」

「通常なら四十分」

「お前なら?」

「事故を起こさないように気をつけて二十分ちょい」

「よし!」


 少年のようにニヤリと歯を見せて笑いあう二人とは反対に、秋は一人で肩を落とした。
 萩原は馬鹿みたいに荒いあの運転を披露する気満々だ。当然その車に秋も乗るわけで。

 とてつもなく嫌だが、伊達航殺害防止作戦は終盤に差しかかっている。こうなったら最後まで付き合ってやろう。秋は腹をくくった。


 チャイム音とともにエレベーターが地上に到着する。
 小さなエントランスを突っ切って外に出て、脇に止めてあった萩原の車に乗り込んだ。運転席には萩原、後部座席には秋と松田が座る。

 手早くシートベルトをつけると秋はタブレットを引っ張り出して目的地の公式サイトを開く。
 伊達が本日見学に向かい、日下部が待ち構えている現場は、冠婚葬祭などによく使われる老舗ホテルだ。
 建てられたのは昔。ほとんどの機材や設備は古いままなのでIoTが使われているのはせいぜい厨房だけだろう。
 しかし館内マップによると、結婚式場として使われる大会場に向かうまでの道と厨房とはかなり離れている。例え厨房のIoT家電を爆発させても伊達は殺せないはずだ。


「これIoTテロは無理じゃない? どうやって殺すつもりだろ」


 走行音を聞き流しながら秋がこぼす。すると隣から松田が覗き込んできてタブレットの画面をいじり始めた。
 写真つき館内マップをスクロールしたり拡大したりしながら彼が言う。


「殺すだけならIoTテロじゃなくてもいい。おそらく今までの爆破も殺害目的ってよりは証拠隠滅のためだったんだろ。んで、殺害方法として刺殺や撲殺なんかは無しだな。班長は血だらけでも犯人を確保するくらいタフだ。タイマンで勝ち目はない」

「萩原、このホテルで伊達が殺されたことは?」

「ない!」


 となるとサンプルは無しか。
 遠距離からの殺害方法として真っ先に思い浮かぶのは狙撃だが、日下部には無理だろう。
 秋が考え込んでいると松田にタブレットを奪い取られた。これ以上自分で持っていても意味がなさそうなので好きにさせておく。


「これだ!」


 少しすると松田が声を上げた。
 タブレットを少し傾けて、小広間の中央に置かれたアクアリウム水槽の写真を見せてくる。
 自然とタブレットを中心に身を寄せ合う形となった。

 途端、車が大きく揺れた。
 松田のジャケットがめくれて、その中に思わず目がいく。
 くたびれたシャツに黒いベルトが巻きつけられていた。ベルトにくくり付けられているのは黒い袋。あれは拳銃がしまわれている袋だ。

 秋は一巡したあと、拳銃をスッた。

 松田がどうして拳銃を持っているのかは知らない。
 真犯人判明の連絡を受けて慌てて駆けつけたから仕事で使った拳銃を返却し忘れたのかもしれないし、公安が持たせてくれたのかもしれない。
 しかし前者の場合、現役警察官である松田が取れる行動は限られている。事前に秋が盗んでおいた方が、せっかくの武器を役立てられるだろう。


 盗んだ拳銃を隠し終わるとほぼ同時に、松田が次の言葉を言った。


「水槽に取り付けられてる手のひら大の機械があるだろ。これはIoTを使用した遠隔監視システムだ。出先でも水槽の温度なんかをチェックできるよう取り付けられてる」


 今度はタブレットにうつった小広間の床の写真を拡大する。
 段差がついて円形にくぼんでおり、くぼみの中には演出照明用の電気ライトが取り付けられているのが見てとれた。


「この遠隔監視システムに負荷をかけて爆発させれば水槽のガラスが割れる。当然水がこぼれて床のくぼみに溜まる。そして、そのくぼみに取り付けられているのは電気ライト。電気の通るライトが水に浸かれば漏電するだろ?」

「伊達がくぼみに足を踏み入れたところで水槽を爆破して感電死させる計画か……! それにしてもよくあれがIoTの装置だってわかったね」

「ま、この前解体したばっかだからな」

「解体?」


 聞き返したところで、内臓が浮くような気持ち悪さに襲われた。ジェットコースターが落ちる直前の感覚に似ている。
 車が一瞬浮いたのだ。


「陣平ちゃんは解体魔! ガキの頃からなんでも解体してよく怒られてたぜ。いつも工具セットを持ち歩いてるのはその名残ってわけよ」


 萩原がすかさず解説してきた。
 思わず彼のほうに視線を向けて、すぐさま後悔する。
 フロントガラスの先には、傾いた細い道が見えた。車体を斜めにして爆走している最中なのだ。道理で先ほどから激しく揺れているわけである。

 恐怖のドライブは始まったばかりだった。





 * * *





 二回目なので気絶こそしなかったが、秋はひどい吐き気に襲われていた。
 体を引きずるようにして駐車場を歩く。
 ジリジリと焦げたアスファルトの熱気が顔まで伝わってきた。暑い。
 おまけに車酔いと寝不足が追い討ちをかけてくる。


(だってのにあの二人はどうしてああもピンピンしてるんだろ。駐車場に到着するなりホテルへ全力疾走してくし……。本当に同い年なのか不思議に思えてきた)


 言葉を発する余裕すらないので頭の中で考えるだけにとどめた。
 次に、移動中に推理した内容を思い返す。


(移動中に松田が確認した公式サイトのマップによると殺害予定場所は入り口から大会場の間にある小広間で、そこを見下ろせる吹き抜けの廊下に日下部は陣取ってるはず。二人はそこに向かったんだろうな)


 相互監視アプリの情報によると、伊達が現場に到着するまで少し時間がある。
 その間に日下部を無力化する取り決めだった。





 建物内に入って冷房の風を浴びたら気分が元に戻ってきた。
 広いエントランスホールを抜けて薄暗い廊下に入る。一人ぶんの足音は絨毯に吸収されていく。
 何度か曲がれば青く輝く巨大水槽が見えた。日下部が爆破するつもりの水槽だ。
 その隣。小広間の一歩手前に位置する太い柱の裏に萩原と松田がいる。
 秋は彼らに近づいて声をひそめて尋ねた。


「何やってるの?」


 松田が柱の奥を指さしてささやき返す。指の先には、小広間の奥にある吹き抜けの廊下があった。日下部が手すりに重心をかけるようにして立っている。右手にはスマホが握られていた。


「あそこに日下部がいるのが見えるだろ。で、その廊下まで登るには小広間横の階段を使うしかない。当然日下部には丸見えだ」

「先月の殺害未遂で班長を庇ったから、陣平ちゃんは日下部に顔を知られてるだろ? ついでにカーチェースの時にバックミラーを確認されてた場合は俺たちの顔も割れてる。無関係な人間を装って近づくのは危険すぎるし、どうしたもんかって話し合ってたところだ」

「たしかに。伊達殺害を阻止してくる人間がここまで追ってきたってバレたら手に持ってるスマホで厨房のIoT家電にハッキングされて大規模爆発を引き起こされるかもしれないしね。伊達は殺せなくても混乱の隙に逃げ出すことはできるから」


 非常に厄介な状態だが、自分は一つだけ状況をひっくり返す手札を持っている。
 秋はそれに思い至ると大げさにフッと息を吐いた。彼女には、自分が役立つ場面に遭遇すると調子に乗る悪癖があるのだ。


「なるほどなるほど。非常に厄介な状態だね。この私がいなければ、だけど」

「お前急にどうしたんだよ」


 白けた目を向けてくる松田に、秋は人差し指を振りながら偉そうな態度で説明する。うざったいことこの上ない。


「劣勢をひっくり返す手段があるって言ってるんだよ。ああ、感謝は後で聞くから。私が日下部のスマホを吹き飛ばした隙に二人は日下部を取り押さえて。二人の足の速さはさっき痛感したし、一分もしないうちに動きを封じれるでしょ」

「つってもどうやって、」



 萩原の言葉は途中で尻すぼみになって消えた。
 秋が懐から拳銃を取り出したからだ。

 松田が息をのむ。彼は慌てて自分の上半身をまさぐり、顔を青くした。


「おっま、それ俺の拳銃だろ! いつの間に……」

「ほら、後部座席でタブレットを覗き込んだとき密着したでしょ。あの時」

「あれかよ!」

「どうせ公安のオトモダチがなんとかしてくれるだろうし、細かいことは気にしなくて良くない? ほら、三秒後に撃つから」

「間宮ちゃん色々と隠す気なくなってるよな」


 隠すもなにも、プロ顔負けの射撃を披露しておいて「ハワイで親父に教えてもらったんですよ」で済ます高校生が将来現れるのだ。
 成人女性が多少拳銃を扱えたくらい、米花町に毒されている彼らならそこまで気にしないだろう。

 萩原と松田が小広間横の階段方向にむき直り、いつでも駆け出せるのを確認する。

 秋は手早くセーフティーを外し、拳銃を構えた。
 日下部は吹き抜けの廊下の手すりに重心をかけて立っている。その右手に握られたスマホに標準を合わせた。


「さーん、にーい、いち」


 ゼロ、と呟くと同時に発砲音が響き渡る。
 火花が散って、日下部のスマホが吹き飛んだ。
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