そしかいする度に時間が巻き戻るようになった

 居酒屋の個室にはどんよりとした空気が漂っていた。
 テーブルに置かれているのは食事と烏龍茶のみ。誰もアルコールを注文しなかったし、食事はほとんど手をつけられていない。

 重い空気の中、はじめに口を開いたのは松田だった。


「……橘境子は犯人じゃなかったんだって?」

「まあね。でも全てにおいて秀でたこの私がいるんだし大丈夫でしょ」

「声に覇気がねえぞ。お前でも落ち込むんだな」


 秋は口を真一文字に結んだ。


「しかも七月一日以降は爆殺に切り替わるから、被害を拡大させないためにも一ヶ月以内に犯人を見つけ出してとっ捕まえないといけない。え、やばくね?」

「まあね。でもこの私がいる限り、」

「お前一旦黙っとけ。話してる内容と声のトーンが合ってねえんだよ」


 ついつい自画自賛を始める秋。それに突っ込む松田。
 いつまでも終わらなそうなやりとりを中断したのは萩原の報告だった。


「今日は陣平ちゃんが仕事してるあいだ、間宮ちゃんと犯人が乗り捨てた車のナンバーを辿ってたんだ。レンタカー店で偽名を使って借りられたものだって分かったけど店内に監視カメラはなし。おまけに店員はどんな客だったのか覚えてないってさ。前の周で何回かナンバープレートから辿ったことがあったけど、その時も同じ状況だったし、これ以上の情報は望めないだろうな」

「橘のアリバイが立証されたってのに車から得られる手がかりは皆無か……。手痛いな。にしても羽場の敵討ちをしそうなのって橘境子くらいだろ。そいつの無実が証明されたってことは、やっぱ班長の殺害と羽場は関係ないのか?」

「それはないでしょ」


 秋はすぐさま否定した。
 今までその可能性を考えては何度も否定してきたのだ。考えは固まっている。


「伊達航殺害動機が羽場の自殺ではなかったと仮定しよう。そうなると私たちが見落としている新事実がまだ隠れていることになる。でも時間が巻き戻るたびに萩原と松田が何度も調べて、この私まで調査に全面協力したっていうのに見落としなんてあると思う? ないよね。つまり仮定が間違っていたってことで、伊達殺害の動機は羽場だって証明される」

「最もらしく言ってるけど、俺たち三人が調べたって事実を根拠にしてるとかガバガバ理論じゃねえか」

「まーまー、それだけ俺たちを信用してくれてるってことだろ」

「いやだな、一番信用してるのは自分自身に決まってるじゃん。二人はおまけ」

「ブレねえなお前」

「ともかく、犯人は伊達が公安の協力者だって気がついて、羽場の監視をしていたことにも思い至って、羽場の自殺は伊達のせいだって考えるわけでしょ。でも風見との報告会を目撃しただけで協力者だと気づくのは無理。犯人がその結論に至るために必要な条件は三つある」


 秋は人差し指をたてて説明し始めた。


「一つ目。伊達と風見の報告会を見て伊達が協力者だって思い浮かぶくらい、犯人は公安の事情に精通している」


 伊達と風見が落ち合っているのは国営公園。背中合わせになる形でベンチに腰かけて言葉を交わしている。
 二人の口が動いていると気づいたとしても、「公安刑事とその協力者の密会だ!」とはならない。
 しかし犯人はその結論に達した。それだけ公安の事情が身近なものだからだ。

 指をもう一本増やす。


「そしてふた、」

「二つ目。風見さんが公安刑事だって知っている」


 萩原にセリフを奪われた。
 推理ショー中の探偵は特に、一つの言葉を複数の人間で分けて言う傾向がある。その名残だろう。

 秋は気を取り直して三つ目の条件を口にしようとするが、今度は松田が言葉を被せてきた。


「みっつ、」

「そして三つ目。班長が後々公安の管轄となる殺人事件を担当することが多いと知っている人物。そういった前情報もなくあの場面を見て公安の協力者だと考えるわけがねえ。流石に発想が飛躍しすぎだ」

「……」


 秋が二人に物言いたげな視線を送っているというのに、萩原は平然と話を続ける。


「改めて振り返ってみると橘境子って全部の条件満たしてるよな。自分自身も風見さんの協力者だし」


 日に日に自分の扱いが雑になっていくのを感じる。
 初めのうちはこっちを気遣うそぶりを見せていたのに最近は遠慮がなくなってきた。それだけ親しくなった証拠なのかもしれない。

 秋はムスッとしたものの文句を垂れたりはせずに萩原のぼやきに答える。遠慮のない態度が親しくなった証拠だとするなら悪い気はしない。


「他に条件満たしてる人物って言われてすぐに思いつくのは警察官なんだけどね。同僚なら伊達の担当事件も知ってるだろうし。容疑者の中に何人かいなかったっけ」

「そりゃあいるけど、あの中の誰かが犯人だとは思えねえな。羽場との接点なんてなさそうだし」

「そこなんだよねぇ」


 犯人の動機は羽場の自殺による逆恨み。
 しかしそれだけ羽場を大切に思っていそうな人物は伊達の周辺にいない。


「まあ取りあえず、容疑者たちと羽場に関わりがないか調べるところから始めるか」

「それと班長の尾行も再開しようぜ。何か新情報が見つかるかもしれねえし」


 提案した本人たちも渋い顔をしている。
 それだけで犯人がわかるとは思えなかった。やらないよりもマシだから提案しているだけで、全部無駄に終わる確率が高い。
 それでも、こうなったら僅かな可能性に縋るしかないのだ。
 秋もほか二人と同じ表情で承諾した。





 * * *





 六月三十日。未だに真犯人は見つかっていない。

 羽場と親しい容疑者はいなかった。
 強いて言えば羽場が偶然現場に居合わせた殺人事件を担当した刑事や、裁判所でよく顔を合わせる検事などがいたが、自殺した羽場の仇をとるほど親しい間柄ではない。



 黒と明るい茶色で構成されたフォーマルな廊下を歩く。裁判所の廊下は広々としていながらも、どこかかっちりとしたデザインをしている。

 今はNAZU不正アクセス事件の裁判が行われ、被告人が犯した殺人事件を一時担当した刑事として伊達が証言台に立った直後だ。
 休廷時間なので伊達は廊下を歩いている。彼から距離をとって、秋は軽く変装した萩原と一緒に尾行を行っていた。松田は仕事中なので居ない。



 数メートル先を歩く伊達が、長い廊下の突き当たりに差しかかった。彼は曲がり角から出てきた橘境子に呼び止められて歩みを止める。そのまま二人はわきに逸れた。

 秋は萩原と視線を交わし、次に自販機の横にあるベンチを指す。
 萩原がうなずき返したのを確認して、二人はベンチへ移動して腰かけた。尾行対象が立ち止まった今、歩き続けるわけにもいかない。


「何話してんだろ」

「待って、読唇術する。あ、そうそう、これは探偵に教えてもらってね」

「……探偵は万能の言い訳じゃないからな」

「えーと……『伊達刑事、お久しぶりです』──検察側の証人と弁護士が仲良くしてるってどうなんだろ」

「ま、橘境子は裁判に勝つ気ないしねぇ」

「『ああ、二条院大学過激派事件の裁判以来だな。六月一日の』『ええ、確かそうです。あれ、その指輪……』『実は婚約が決まってな。明日式場の見学に行くんだ』──うわ、えっぐ。橘境子の恋人が自殺した直後だって伊達は知らないんだろうなあ。公安が二人の監視理由詳しく教えてるとは思えないし。……ていうか後で話の要約を伝える形でいい?」

「もちろん」


 萩原から許可が出たのでしばらく唇の動きに集中する。
 橘が一礼して立ち去ったのを見届けてから、読み取った内容を伝えた。


「羽場が窃盗事件を起こした理由を知らないかって橘が尋ねて、伊達は知らないって答えてた。まさか自分のために犯罪を犯しただなんて考えてもいないんだろうね」


 言いながら小骨が引っかかったような違和感を覚える。
 しかしどの部分に違和感を覚えたのか、深く考えを巡らす時間はなかった。新たな伊達との接触者が発生したからだ。

 伊達は、反対側の曲がり角から歩いてきた人物に声をかけた。
 髪をかっちりと固めた四十代前後の男。検事の日下部誠だ。
 羽場との繋がりは見つからないものの、犯人の条件は満たしている人物の一人である。


(ついでに将来起こるIoTテロの犯人)


 IoTテロのあらましを思い返す。
 あらゆる家電が一斉に爆発したり、火を吹いた家電がきっかけで大規模爆発が起こったりと、相当な騒ぎになっていたはずだ。

 ──また違和感を覚えて眉を寄せる。似たような話をどこかで聞いたことがある気がした。



 伊達は日下部と何やら話し込んでいる。
 彼らの動作と唇の動きから読み解いた内容によると、二ヶ月前に日下部が落としたペンケースを伊達が届けたらしい。
 前回裁判所で一緒になった日は声をかけるタイミングが掴めず、届けるのが遅くなってしまったと謝っていた。


 ふと思い出す。
 伊達が前回裁判所を訪れたのは六月一日。伊達殺害日当日だ。

 そして歴代の殺害方法からして、犯人は伊達の行動を逐一監視できる手段を持っている。ペンケースの中に発信機でも忍ばせておけば行動を把握できるな、と頭によぎった。



 ゾワリと背中に冷たいものが走った。

 橘が羽場の行動理由に思い当たっていない事実。IoTテロ。ペンケース。
 何かが掴めそうな気がする。


 秋は隣に座る萩原をチラリと盗み見た。違和感を覚えている様子はない。


(おかしい)


 絶対に認めはしないが、秋よりも萩原の方が洞察力に長けている。だというのに、彼をさしおいて自分が違和感に気づくだなんてあり得るだろうか。


 じっと考えこむ。喧騒が消え失せる。

 しばらくそうしていると眼前を肌色の何かが行き来した。突然黙りこくった秋を心配してか、萩原が顔の前でひらひらと手を振っている。
 手首にかかった手錠の幻覚が見えて、すべてが繋がった。


(そっか! 伊達殺害とIoTテロとは密接な繋がりがあるのに、毛利探偵事務所で働く萩原にとってあの程度のテロや誤認逮捕は日常の一コマでしかない! IoTテロに特別性を見出していないからヒントも見落としているんだ!)


 目を見開く。
 秋の意識が現実に引き戻されると、萩原は手を振るのをやめた。


「おーい、班長の尾行再開しないといけないからもう行こうぜ」

「その必要はないよ。犯人が分かったんだから」


 冷静な声を心がけて告げるが、興奮が隠しきれずに自然と唇がつりあがった。
 鏡を見なくても分かる。自分は今、ドヤ顔で自信満々な笑みを浮かべているはずだ。


「ところでさ、日下部誠が将来起こすIoTテロの手口ってどんなのだっけ」


 突拍子のない問いを投げかける。
 萩原は不審そうにしながらも律儀に答えてくれた。


「今裁判やってるNAZU不正アクセス事件と同じで、Norってソフトを使ってIoT家電に不正アクセスするんだ。最近よくあるインターネットと家電が繋がったものがIoT家電な。スマホで遠隔操作ができたりするやつ。
 不正アクセスして遠隔操作したIoT家電を発火させて、同じくIoT家電のガス栓を事前に開けておけば爆発が起こせる。これがサミット会場爆破の手口だって報道されてたぜ」

「……つまりIoTテロの手口を使えば、爆弾を使わずに大規模な爆発を起こせる。そうだよね?」


 秋の言葉に萩原が動きを止めた。みるみるうちに目が見開かれる。

 ひき逃げに失敗した犯人は作戦を爆殺に切り替えてくる。
 しかし爆発に乗じて伊達が殺された場合、どの周でも現場から爆弾らしきものは見つからなかった。大規模な爆発だったので爆弾の破片すら残らなかっただけかもしれないが、爆弾によって爆発を起こしたわけではない可能性が高い。


「発火物がIoT家電で、ガスに引火して爆発が起こったから何も見つからなかったとしたら? おまけにIoT家電は遠隔操作ができるから現場にいなくても爆発を起こせる。……犯人は、将来IoTテロを企てる日下部誠だよ」


 重々しく告げる。
 人が行き来する廊下はガヤガヤと騒がしい。そんな中、二人が座っているベンチだけ静寂と緊張感に支配されている気がした。

 決まった。我ながら完璧だ。
 秋はフッと息を吐いた。キメ顔のまま前髪をかき上げるべきか迷う。流石にそれは狙いすぎな気もするが、やはりここはかき上げたほうが綺麗に決まるかもしれない。

 くっだらないことに秋が思考を持っていかれていると、隣の男がハッと息をのむ。


「そうか……! おかしいと思ってたんだ! 橘境子は公安の協力者として動けるほど頭が切れるのに、羽場が自分を裁判で勝たせるために侵入した線を考えてすらいなかった。ゲーム会社に証拠があるって知らなかったからだ! 
 そうなると前提条件が崩れてくる。ゲーム会社に証拠があると羽場に教えたのは橘じゃない。じゃあ誰に教えられた? あんな情報を手に入れられる人物はごく僅かだ。被告人から話を聞ける立場の人物。担当弁護士か検察官しかいない……!」


 頭の回転が早いだけある。
 萩原は一瞬で秋に追いついた。彼よりも優位に立っているおかげで一時的に得ていた安堵感が四散する。


 彼が指摘した事実も、秋が犯人にたどり着くための手がかりとなったピースの一つだ。
 羽場にゲーム会社のことを教えたのは橘ではなく日下部。
 日下部が情報を流した理由は不明なままだが、残り時間で日下部周辺を重点的に調べて羽場との関係性を突き止めるしかないだろう。
 それに、隠されていた羽場との関係を突き止めるのは動機解明にも繋がってくる。

 秋がそれを伝えると萩原は同意を示した。


「だな。その前に仕事終わったらすぐに合流しろって陣平ちゃんに連絡しといてくれ」

「萩原は?」

「ちょっとしたコネを当たってみる。ダメ元だけどな」


 萩原が席を立って移動する。秋には会話内容を聞かれたくないのだろう。
 萩原の姿が見えなくなってから、秋はスマホを取り出した。松田の連絡先を開くと、画面の上部分に表示された時刻が目に入る。
 午後三時。
 日付がまわって二度目の伊達航殺害日を迎えるまで、あと九時間だった。
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