トリップ先のあれやこれ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
桜が満開の並木道を歩いている少女がいた。
胸までのまっすぐな黒い髪、パッチリとした目。着ているのは椚ヶ丘中学校の制服。
彼女は昔、肩までの髪で寝癖がひどい時はピーチ・マキにそっくりだったが、原作知識が薄れてきている本人はそんなことは覚えていない。
というか漫画なんて顔は同じで髪型だけ違うということがよくある。
例えば、漫画「D r.スランプ」では作者が女性となると同じ顔しか描けないことから、木緑あかねが山吹みどりに変装した事が何度かある。
菜々ははため息をついた。せっかくの春休みなのに何でわざわざ学校に行って勉強をしなければならないのだろうと。
彼女は椚ヶ丘中学校に通っていた。
両親に頼んでみたところ、二つ返事で承知してもらえたのだ。
この世界の両親は自営業を行なっているらしい。大きい会社ではないがそれなりに儲かっているようだ。
中学受験をするにあたり、塾にも通わせてもらったので感謝している。
特別勉強会のお知らせ。
一年間中学校生活に耐え、春休みに羽を伸ばそうと思っていたのだが、修了式にそんなプリントが配られてしまった。
両親にプリントが見つかり、タダなのだから参加しろと言われた挙句、弁当を持たされて笑顔で送り出されたら行かない事なんてできるわけがない。
菜々は昨日も殺人現場で優作と会ってしまい、気が滅入っているので金田一少年の事件簿を読みたかった。
主人公の友人や知人、子供や犯人まで死んでしまうことがある漫画を読んで、この世界にトリップしなかっただけまだましだと自分に言い聞かせたかったのだ。
「サボりたい」
菜々は呟いた。特別勉強会は自由参加だ。
「気持ちはわからなくはないけど……」
天蓋は学校の様子を思い出していた。
ごく少数の生徒を差別する事で大半の生徒が緊張感と優越感を持ち、頑張る。
合理的な仕組みだが、楽しい学校生活とは言えないだろう。
「まあ、勉強会に行かなくても大丈夫な成績なんじゃない?」
「天蓋さんもそう言っている事だし、サボってもいいですよね?」
「別にいいけど、記録はするわよ」
沙華に言われて言葉につまる菜々。
吼々処。大叫喚地獄の十六小地獄の一つで、恩を仇で返した者、自分を信頼してくれる古くからの友人に嘘をついた者が落ちるとされている。今では、自分を信頼してくれた人に嘘をついた者が落ちる地獄となっている。
昔、沙華に教えてもらった内容が頭をよぎった。
顎に穴を開けられ、舌を引き出さて、毒の泥を塗られて焼けただれたところに毒虫がたかるという拷問が行われるはずだ。
勉強会をサボる程度なら大した罪に問われないだろうが、色々とやらかしている菜々としては、できるだけ抜け穴を探したい。
何か良い手はないだろうかと思考にふけっていると、目の前をよぎったものがあった。
菜々はおもわず目を見張った。
普通の人はこんな道端で見ることはないだろう。
「稲荷の狐ね」
沙華がそう言った瞬間、菜々は走り出した。
「まさかとは思うけど、あの狐の跡をつけるつもりじゃないよね?」
「そのまさかです」
そう言いながら菜々は走る。(体が)小さい頃から犯人から逃げ回っていたので持久力には自信がある。
狐はE組校舎がある山に向かっていた。
「私は稲荷の狐に興味を持って尾行し、勉強会に行けなかった。これなら少なからず地獄にも責任があるので減刑対象になると思います」
「稲荷の狐なんて何回も見た事あるでしょ!」
「地獄に責任なんてないと思うよ」
沙華と天蓋がくちぐちに突っ込む。
やがて狐が山に入り、菜々も入る。
勉強に集中するために部堂道場を辞めさせられてから、体を鍛えるためにこの山を走っていた菜々には慣れた道のりだった。
しばらく走っていると狐は山道からそれ、獣道に入った。
旧校舎に行くなら橋を渡った後は右に曲がるが、狐はそのまままっすぐ進み林の中を通る。
林を抜けると、狐の姿は影も形も無くなっていた。
菜々の目の前には教室一つ分くらいの草原が広がっており、その先は行き止まり。随分と殺風景だ。
視線を上に移すと、地面が続いていることが分かった。ここは崖の下なのだろう。
あの狐は崖を飛び越えたのだろうか。
とにかく、菜々は崖に近づいた。どうせ、このまますぐに本校舎に戻っても遅刻する。
よくよく見てみると崖壁には人が一人通れるくらいの小さな割れ目があった。
好奇心に負け、菜々はそこに立ち入った。
暗かったので、阿笠に作ってもらった腕時計型ライトであたりを照らしながら進んでいくと、地響きのような音が聞こえてきた。
「今すぐ戻りなさい!」
だんだん周りが明るくなってきた頃、ここがどこなのかをいち早く理解した沙華が叫んだがもう遅かった。
菜々のすぐ近くにティラノサウルスがいた。
「ここって地獄門?」
天蓋が思わず口走った通り、ここは地獄の入り口だ。
幸い、ティラノサウルスは寝ている。さっきから聞こえてきた音はティラノサウルスのいびきのようだ。
このままこっそり戻ろう、と提案しようとした天蓋だったが、菜々の言葉の方が早かった。
「このまま進みます。背を向けた瞬間やられるって私の本能が言ってるので」
沙華は菜々の意見に賛成だった。菜々の勘は命の危機がある場合のみよく当たる。
もちろん、ティラノサウルスは霊体なので人間に害はないはずだが菜々は違う。
思い出してみると彼女は簡単に亡者に触れていた。
沙華が賛成の意を示すと、菜々は一歩踏み出した。
事件に巻き込まれ、犯人に追いかけられるようになってから、ある程度気配を消せるようになっていた菜々は思っていたよりも簡単に地獄門を通過できた。もちろん、倶生神が道案内をしてくれたのも大きい。
「とりあえず鬼灯様のところに行った方がいいわね」
沙華が閻魔でなく鬼灯の名前を真っ先に出すことから、地獄の黒幕が誰なのかよくわかる。
しばらく歩くと人だかりが見えた。
「だからよォ!」
桃を全力で主張した格好をしている男性の怒鳴り声が響き渡る。
「ここで一番強い奴連れて来いっつってんの!」
なんかこんなような話があったような気がする。
確かあれは桃太郎でなんだかんだあって桃太郎は白澤のところで、犬猿雉は不喜処で働くことになったはずだ。
ここまで思い出すのに随分と時間がかかった。やはり記憶が薄れているな。
菜々はそんなことを思いながら近くにあった木に登った。
茄子が鬼灯を連れてきた時、菜々は木の枝の上であの世に送り届けた亡者を記録しているノートと筆記用具を取り出していた。
メモを取る気まんまんだ。
「「何やってんの!」」
そんな倶生神たちの突っ込みに対し、
「こんなおもしろ……貴重な体験は記録に残すべきです」
と答えた菜々は記録を取り始めた。
全員の就職先が決まった時、菜々は息をついた。
記録は一言も間違えずに取ることができた。
中学校の授業のペースが早いせいで、ノートをとっているうちに早筆が得意になっていたからだ。
すごい。そんな言葉が菜々の頭でいっぱいになっていた。
よくあんなにも、相手を最も落ち込ませる言葉がすぐに出てくるな、と。訳がわからない理由で人殺しをした輩と定期的に顔を合わせる米花町民として是非とも参考にしたい。
「いい加減、おりてきたらどうですか?」
周りに誰もいなくなったことを確認してから、鬼灯が木に向かってため息混じりに話しかけた。
「気づかれていましたか」
答えると菜々は木から飛び降りた。
蘭は二階から飛び降りて、車で逃げようとする人間を窓ガラス越しに蹴ったことがあるのだ。
少し前、蘭と同じように電柱にヒビを入れようとして失敗した菜々だが(弁償の二文字が頭をよぎったせいだと菜々は言い張っている)、これくらいのことはできる。
制服姿だが、いつもスカートの下に体操服のズボンをはいている彼女に死角はなかった。
鬼灯は倶生神をチラリと見る。
「生者ですか」
そう呟くと、「ついてきなさい」と言って踵を返した。
しばらく無言が続く。
菜々はキョロキョロと辺りを見渡していたが、ふと違和感を感じた。鬼灯の歩く速さだ。
木の上から見ていたときより歩くのが遅い。自分に合わせてくれているのだとしたら、結構優しい人なんじゃないかと菜々は思った。
閻魔殿に到着し、法廷に入った時の鬼灯の目に飛び込んできたのは閻魔の周りに群がる獄卒たちと、机の上に積まれた大量の書類だった。
閻魔は鬼灯が舌打ちをしたのに気づかず、助けを求めた。
「鬼灯君、ちょっと助け……」
閻魔の声はそこで途切れた。鬼灯が投げた金棒が顔にクリーンヒットしたからだ。
顔から大量の血を出す閻魔を見て、菜々は「この人が優しいわけがない」と思い直した。
少し待っていてください、と菜々に言ってから鬼灯は獄卒の話を聞いた。
「阿鼻地獄で川が氾濫? 応急処置として亡者で防ぎなさい」
「黒縄地獄は経費を見直す。拷問道具に凝りすぎなんですよ。新たに拷問道具を買うとき、許可は大王でなく私にもらいに来てください」
「亡者があふれかえっている? 牛頭馬頭さんがいないせいでしょう。確か賽の河原の子供向けの乳搾り体験と乗馬体験に駆り出されていたはずです。もうすぐ終わるのですぐに門の番に戻るでしょう」
「臭気覆処の改定案は会議で出してください」
次々と問題を片付けていく鬼灯に菜々は目を奪われた。
やはり、この人はすごい。性格はともかく。
獄卒はいなくなり、閻魔は鬼灯に確認してもらう書類を渡そうとして菜々に気がついた。
「あれ、その子は?」
「倶生神がいるので生者でしょう。篁さんと同じです」
閻魔は適当にあしらわれたことを感じ取ったのかブツブツ言っていたが、彼は無視を決め込んで菜々を執務室に通した。
「あなたがお迎え課で有名な……」
倶生神から菜々が、亡者をあの世に送ることを手伝っている事と、獄卒になるために勉強をしている事、地獄に来た理由を聞いた鬼灯が呟いた。
「そんなに殺人事件に巻き込まれるということは、お迎え課ブラックリストに載っている町に住んでいるんですか?」
「米花町です」
「なるほど」
鬼灯と沙華が菜々にはわからない会話をし始めた。
「それで私が死んだら獄卒にしてもらえますか?」
とりあえず菜々は頼んでみた。
「倶生神から聞いた話によると、下手したらそこらへんの獄卒よりも知識が多い。また、亡者を捕まえるために容赦なく股間を蹴り上げたり、目に塩を投げつけたりする姿勢もすばらしい。この歳にして人脈があることから運があり、世渡りが上手いと分かります。何より地獄に迷い込んで記録をとるという行動に出たあたりにミステリーをハントできる可能性を感じるので採用します」
鬼灯の決断に天蓋は突っ込みたかった。
重要な要件を閻魔に相談せずに決めるのはいつものことなので気にしないが、菜々を獄卒にすることにした最後の理由がおかしい。
しかし、その考えを言葉にすると恐ろしいことになりそうなので何も言わなかった。
「じゃあ、今まで捕まえた亡者のことがなくても獄卒になれていましたか?」
その問いに、鬼灯が頷いたので菜々は交渉を始めた。
「それならその働き分、お金ください」
交渉ののち、今までお迎え課の力を借りずに、あの世まで行くことの説得に成功した場合は八百五十円、お迎え課が来るまでの間、足止めをしていた場合は五百円支払われることとなった。
「現世の金に両替して現金で渡しましょうか? それとも振込支払いにして、死後給料を受け取りますか?」
「振込支払いでお願いします」
そんな会話により、銀行口座を作っていると、結構時間が経っていた。腕時計を確認してみると、地獄に来たのは九時頃だったのに、もう昼に近かった。
菜々が今回得た大金に浮かれていると、鬼灯に話しかけられた。
今は銀行から閻魔殿に戻っている途中だ。鬼灯によって椅子に縛り付けられた閻魔は必死に仕事を片づけている事だろう。
「お迎え課でバイトしません? あなたが見つけた亡者を捕まえて、地獄に送るという内容です」
「どうやって地獄に届けるんですか? もしも私が地獄で死んだら大問題になると思いますよ」
「亡者の運搬は稲荷の狐に任せます。金額はさっきと一緒で。必要ならその狐に現世の金に両替したバイト代を持って行ってもらえばいい」
その話に乗った菜々はそのまま鬼灯と一緒にお迎え課に出向いた。縛り付けられた閻魔をほったらかしにして。
「ありがとうございます!!」
そんな男性の声と一緒に鞭で叩く音がお迎え課から廊下に聞こえてきた。
「そういえばお迎え課はマゾの巣窟になっています」
真顔でそう言う鬼灯に菜々はもっと早く言って欲しかったと思った。
お迎え課に入ると女性の周りに何人かの男が転がっていた。
女性が鞭を握っていること、男性たちの背中に鞭の跡があることから、原作知識を思い出した菜々はその女性が荼枳尼だとわかった。
鬼灯が事情を話すと、彼女は適当な狐を差し出した。
「私、その子の事あまり覚えてないから詳しいことは本人に聞いて」
荼枳尼にサインをもらってから菜々はお迎え課を後にした。
その後、このようなことが起こった原因を聞いたり、仕事の様子を見せてもらったりしてから菜々は帰路に着いた。
黄泉竈食ひという死後の世界の物を食べたら元の世界に戻れないというルールのせいで空腹だった。
*
ミーン、ミーンという蝉の鳴き声が聞こえてくる。
地獄でアルバイトをすることが決まってから時間が経ち、夏休みになっていた。
「暇だ……。ソラ、なんか面白い話ない?」
沙華に口を酸っぱくして言われたため、課題をさっさと片付けてしまっていた菜々は暇をもてあましていた。
ソラというのは地獄から菜々のサポートとして来た稲荷の狐だ。ちなみにメス。
荼枳尼からちゃんとした説明をしてもらえなかったし、名前を尋ねても分からないと言われたので菜々がつけた。
空狐だから「空」を訓読みして「ソラ」という安直な理由だが、本人は気に入っていたりする。
菜々とソラはすっかり仲良くなっていた。
「確かもうすぐこの近くにある乱舞璃神社でお祭りがあるんじゃなかったっけ?」
「まだまだ先だよ」
そんな話をしている菜々だが、側から見ると一人で喋っているように見える。
あの世の住民であるソラは特殊な光を浴びない限り普通の人には見えない。
今回の仕事では、人間に見えていない方が都合がいいのでその光を浴びていないのだ。
ソラが変化が得意と知った菜々は、漫画の登場人物に化けて欲しかったが断られた。
モフモフした狐姿のソラは、夏だと見ているだけで暑苦しいのでなんとかしたかったが失敗に終わった。
やることがなく、昼間からベッドに横になる菜々。
あれから一度も地獄に行っていない。
また行きたいな、と彼女は思った。なぜそんな事を思ったのかわからなかったが、すぐに「漫画の舞台だからだろう」と納得した。
思い返してみれば貴重な体験だった。今度はゆっくりとあの世を見学したい。
そんな事を思っていると、菜々が地獄に来た時に通った道について鬼灯が話していた事を思い出した。
──椚ヶ丘中学校の特別校舎は昔、椚ヶ丘中学校の理事長である浅野學峯さんが開いていた塾の校舎でした。
彼が滅多に人が訪れることがなかったあの山を買った時、今回菜々さんが通って来たあの世への入り口を塞ぐべきだという案が挙がりました。
しかし、封印するときは手続きがめんどくさいし、中学受験のための塾だったので生徒は小学生。
小学生なら入り口があるところまで行けないだろうし、學峯さんも、山の危険な場所の探索なんてしなかったので保留となっていました。
やがて學峯さんは塾をたたみ、新たに作った椚ヶ丘中学校の落ちこぼれクラスとして山にある旧校舎を使った。
落ちこぼれクラスに落ちた生徒には山を探索する気力なんてなかったのでまたもや保留に。
そんな事をしていたら、菜々さんがその入り口を通って来たというわけです。
保留を決定したのは大王なので、こんな事になった責任も大王にある。
なのでこのまま椅子に縛り付けたままでもなんら問題ないです。
思いがけず、菜々は理事長の過去を知ってしまった。
確かに、漫画やアニメで語られていたのはそんな内容だった気がする。
いい加減この原作知識が薄れていくのを止めなくてはならない。そう、彼女が決意した時に電話がかかってきた。
携帯を見てみると「三池苗子」という文字が映し出されていた。
三池の要件は「肝試しに付き合ってほしい」という内容だった。
帝丹小学校に伝わる七不思議を順番に確認するものらしい。
『お母さんが、菜々がついていくなら行ってもいいって言ったの』
三池は昔、菜々のことを「菜々お姉さん」と呼んでいたのにいつのまにか呼び捨てになっていた。
三池が呼び捨てするようになったのは、菜々が学芸会の時、時間つなぎのためにう◯このウンチクについて語ったからなのだが、本人は知らない。
「肝試しって誰が来るの?」
菜々がそう尋ねてみると、米原桜子や千葉和伸などの知っている名前が出てきた。
三池の思いを知っている菜々は千葉和伸が来ると聞いて行くことにした。
あたりが暗くなった頃、校舎の前に肝試しに行くメンバーが集まった。
三池苗子、米原桜子、千葉和伸、山田輝、加藤菜々の五人だ。彼らの関係性を一言で表すなら幼馴染である。
「菜々、鍵を手に入れたんだよね?」
三池の問いに、校舎の鍵を取り出して菜々は頷く。
「どうやって手に入れたの?」
「桜子ちゃん。世の中には知らない方がいいこともあるんだよ」
純粋な目をして質問してきた桜子の肩に手を乗せ、菜々は返した。
ソラに盗んできてもらっただけだ。
警備員は酒を飲んで寝ていたので特に邪魔もなく彼らは校舎に入った。
菜々は今日、三池から聞いた七不思議の内容を思い出していた。
二階から三階に上がる東階段の段が増える。廊下に夜な夜な声が聞こえるが誰もいない。屋上に人魂が出る。何もないところを蹴っている怪しい生徒がいる。
四つしかないが、大抵の七不思議はそんなものだろう。
「怪しい生徒は多分私のことだから」
一応、菜々は知らせておく。
おおかた、亡者を蹴っているところを見られたのだろう。
何やってるの! と突っ込まれつつ、菜々は懐中電灯であたりを照らしながら進んでいった。
階段は数え間違いだったので、姿なき声が聞こえるという廊下に向かった。
廊下には一つの扉があったが、壊れたまま放って置かれているらしい。
ガヤガヤと声が聞こえてきた。扉の向こう側から聞こえて来るような気がする。
「私が扉を蹴破ったら、すぐに中の写真を撮って」
三池にカメラを渡して菜々は頼んだ。
何かが吹っ飛んだ音が校舎に響き渡り、扉の向こう側にいた人物たちの動きが止まった。
一瞬固まってしまったが、三池はすぐにシャッターを切った。
扉が開かず、ずっと放って置かれていたはずの空き教室には何人かの教師がいた。
手に缶ビールを持っているし、床にはつまみが広げてあることから、何をやっていたのかは容易に想像できた。
「私たちがここにいたことを誰かに行ったら、この写真を全校集会中にばら撒きますよ!」
菜々が三池から受け取ったカメラを掲げて叫んだ。
もう卒業したはずなのにどうやって写真をばらまくんだ、と突っ込む余裕のある人はいなかった。
教師たちはたまに空き教室に集まって、愚痴をこぼしていたらしい。
扉の横の壁を蹴ると扉が開くので、こっそり集まるのに適していたようだ。
肝試しをしていることを話すと、つまみ用に買ったであろう菓子を国上がくれた。
「死神先生がお菓子をくれた……」
千葉和伸は心底驚いていた。陰険でケチな性格の国上が菓子をくれるなんて、と顔に書いてある。
しかも扉を壊した事をとがめられていない。
「結構いい先生だよ。脅……頼めば大抵のことはやってくれるし」
そんな事を話していると屋上に着いた。
「何もいないね」
噂通りなら屋上に青白い火の玉が浮いているはずなのだが、彼らには何も変わったところは無いように見えた。
やがて、人魂も見間違えだったのだろうという結論になり、帰ることとなった。
三池と桜子を家に送り届け、菜々はもう一度小学校に戻った。
三池たちには見えていなかったようだが、菜々は人魂を見た。
こんなような話、どこかで聞いたような……と菜々はしばらく考えると思い出した。
あれは地獄に行った時のことだ。
お迎え課に行き、理事長の過去を思いがけない形で知ってしまった後、菜々は鬼灯の仕事を見学することとなった。
「ちょ、鬼灯君。いい加減ほどいて! 漏れるって!」
いまだに椅子に縛り付けられていた閻魔が頼み込む。
仕事を全て終わらせている事を確認してから鬼灯は縄をといた。
その瞬間、閻魔はトイレに早歩きで向かった。
走ることができないくらいヤバイ状態なのだろう。
しばらくして、戻ってきた閻魔が鬼灯に「君も確認しといて」と巻物を渡した。
気になったので、閻魔に断ってから菜々も巻物を覗き込んでみる。
烏天狗警察からの指名手配者リストのようだ。「一,民谷伊右衛門 二,鬼火(現世に逃亡中)……」
そんなふうに指名手配者の名前が続き、最後に現世に逃走した鬼火について書かれていた。
──この鬼火を捕獲した方には賞金五十万を差し上げます。
酒盛りをしていた教師たちに見つからないように、帝丹小学校の屋上に戻る。
「こんばんは。加藤菜々です。東京都、椚ヶ丘中学校の二年生です」
とりあえず鬼火に自己紹介をする。
「何が目的だ?」
駆け引きは苦手な鬼火は率直に聞いた。
「私に捕まりませんか?」
目に五十万と書かれた菜々が言った。
「嫌だ」
「現世にとどまる目的は何ですか?」
「人間に入り、完全な鬼になることだ」
「じゃあ、私に入りませんか?」
倶生神は「またか」という顔をし、ソラは目を点にしたが、菜々が稲荷の狐を追いかけて地獄に迷い込んだ事を思い出して納得した。
二度目の人生だし、元の世界に戻るつもりなので、菜々は気の向くままに生きている。
倶生神に「前世の記憶がある」と言ってしまった菜々は、死後の裁判を避ける必要があった。
獄卒になる約束を取り付けはしたが、死後の裁判を受けなくていいとは言いきれない。
裁判を受けている途中、前世の記憶があると言ったことが知られ、調べられたら一発で嘘だとバレる。
また、人頭杖や浄玻璃鏡で調べられたら全てが知られる。
それを避けるために鬼になろう、という思考が一瞬のうちに働いたのだ。
また、体が丈夫な鬼になっておけばちょっとやそっとの事では死なない。
合気道を習っていて(この世界の基準では)それなりに強いし、勉強だって出来る方だ。何より五十万欲しい。
そんなことを力説している菜々と合体することを鬼火は決めた。
「お前が鬼になりたい理由が他にもありそうだな。自分では気づいていないようだが……。それを知るためにお前の中に入るのも悪く無いだろう」
そう言い残し、鬼火は菜々の中に入った。
かすかに暖かいものが胸の中に入ってくる感触がした。
「「何やってんの!!」」
倶生神に突っ込まれ、菜々はしばらく怒られた。
ソラは開いた口が塞がらなかった。
「鬼火、一個だけだったのに完全な鬼になれたみたいですね。それだけ妖力が強かったってことでしょうか?」
菜々は自分の耳やツノをさわりながら倶生神に尋ねていたが、すぐに青ざめた。
「これ、どうやって親に説明しよう?」
気にすることはもっと他にあるのだが、彼女はそんなことを言っていた。
「今は亡者と同じで霊感がある人にしか見えないから。とりあえず、私が化かしておいてあげるよ」
そう言って、ソラは体から白く輝く火の玉を出した。縦十五センチ、直径十センチくらいだ。
火の玉は菜々の顔に当たって消えた。おそるおそる彼女が顔をさわってみると耳は丸くなっていて、ツノは無くなっている。
ソラいわく、これで普通の人にも見えるようになったらしい。
地獄にはソラに連絡してもらい、明日の朝鬼灯のもとへ行くこととなった。
「胃が痛い」
菜々は呟いた。
今は電車に揺られて、椚ヶ丘中学校に向かっている。
額に生えた一本のツノと、とがった耳はキャスケットで隠してある。
鬼になってから眉毛の形が変わっていたが、知り合いの前ではないので特に何もしていない。
通勤時間よりも遅いため、車内にはほとんど人がいない。
「菜々のせいでしょ。驚きすぎて止めることができなかった私たちにも責任はあるけど」
「始末書で済むかな……」
閻魔はそこまで怖くないが鬼灯は怖い。
「罰は全て私が引き受けます」
ほんと、何であんなことしちゃったんだろう。
菜々は鬼になったことを後悔していた。
生きているうちに地獄に迷い込んだ挙句、鬼になるなんて地獄からしたらかなり稀な例だ。
倶生神の記録を取っておかれるに決まっている。
すると前世の記憶がないことがバレ、浄玻璃鏡などで調べられる確率が上がる。
また、勝手に鬼になってしまったのだから罰を受けなければならないだろうし、元の世界に戻るときに影響が出るかもしれない。
それ以前に、鬼になってしまった今、どこで暮らしていけばいいのだろうか。
──お前が鬼になりたい理由が他にもありそうだな。自分では気づいていないようだが……。
鬼火の言葉を思い出した。
鬼火に言わなかった、トリップしたことがバレないようにしたいという理由はあったが、自分でも気づいていない?
菜々が考え込んでいると、電車は椚ヶ丘についた。
前に通った道を進み、地獄門に着いた。
今回は牛頭と馬頭がいたのでサインをもらおうとしたが、ノートが小さすぎるし、二人とも蹄があるためペンを持てないので握手だけにした。
こんなときに何やってるんだという目で倶生神とソラが見てきたが、菜々は無視した。
「特に罰はありません」
鬼灯に言われ、菜々は胸をなでおろした。
ここは閻魔殿の法廷。閻魔や烏天狗警察もいる。
「あの鬼火は鬼になるため、人間と合体しようとしていたのです。なんでも、ぎっくり腰がひどくなってきたので鬼になることで別の体になろうとしていたとか」
「腰なんてあるんですか?」
菜々は思わず質問してしまった。
「とにかく、人間がいきなり鬼になることを恐れられていたのですが、本人の了承を得て鬼になったので問題はないです」
「賞金はどうなりますか?」
「もちろん支払われます」
烏天狗警察の一人が答える。菜々は思わずガッツポーズをした。
烏天狗警察は菜々に賞金を渡した後、帰って行った。
さっきいたのは源義経ではなかっただろうか。サインもらっておけばよかった。
そんなことを菜々が考えていると鬼灯に話しかけられた。
「これからの事ですが、鬼になってしまった以上、現世で暮らすのは難しいです。地獄に住むため、あなたは死んだことにする方向で話が進んでいるのですが……」
異論はありますか? と鬼灯の目が言っていた。
「それは難しいと思います」
菜々は反論した。
鬼灯の目は今まで会ってきた殺人犯たちの誰よりも怖かったので、彼女は今すぐ逃げ出したかった。
「私の知り合いに刑事さんがたくさんいるんです。工藤優作さんっていう頭がかなり切れる推理作家さんとも知り合いですし、よっぽどうまくやらない限り、私が死んだと納得させるのは難しいと思います」
小学校を卒業するまでに、全都道府県県警の刑事と知り合いになってしまったほどだ。
原因として挙げられるのは、菜々の事件に遭遇しやすい体質だけではなく、米花町に住んでいる人が旅行に行きやすいということも挙げられる。
トリップしたばかりの時は、平日だろうがなんだろうが泊りがけの旅行に行くなんてしょっちゅうなことに菜々は驚いた。
しかし、それくらいの頻度で旅行に出かけていなければ、コナンが県外で巻き込まれた(この場合呼び寄せたと言った方が正しいかもしれない)事件の数の多さの説明がつかないと自分を納得させた。
「たしかにそれは面倒ですね。では別の案の説明をします。名付けて『ドキドキハラハラ☆現世滞在計画』」
「名付ける必要ある!?」
閻魔が思わず身を乗り出して横から突っ込んできた。鬼灯は無視して話を進めた。
「お迎え課ブラックリストに載っている工藤優作さんと知り合いなら生きていることにしておいたほうが都合がいいです。とりあえず普段は帽子で耳とツノを隠しておいてください。帽子がかぶれない時はソラさんに化かしてもらうこと。時間ができたらぜひ、菜々さんを通じて優作さんを観察してみたいです。
そのため、今まで通り現世の学校に通ってもらいます。社会人になったら『外国に行く』とでも言って地獄に来れば獄卒として雇います。それまでは今まで通りアルバイトを続けてください」
菜々に異論はなかった。
胸までのまっすぐな黒い髪、パッチリとした目。着ているのは椚ヶ丘中学校の制服。
彼女は昔、肩までの髪で寝癖がひどい時はピーチ・マキにそっくりだったが、原作知識が薄れてきている本人はそんなことは覚えていない。
というか漫画なんて顔は同じで髪型だけ違うということがよくある。
例えば、漫画「D r.スランプ」では作者が女性となると同じ顔しか描けないことから、木緑あかねが山吹みどりに変装した事が何度かある。
菜々ははため息をついた。せっかくの春休みなのに何でわざわざ学校に行って勉強をしなければならないのだろうと。
彼女は椚ヶ丘中学校に通っていた。
両親に頼んでみたところ、二つ返事で承知してもらえたのだ。
この世界の両親は自営業を行なっているらしい。大きい会社ではないがそれなりに儲かっているようだ。
中学受験をするにあたり、塾にも通わせてもらったので感謝している。
特別勉強会のお知らせ。
一年間中学校生活に耐え、春休みに羽を伸ばそうと思っていたのだが、修了式にそんなプリントが配られてしまった。
両親にプリントが見つかり、タダなのだから参加しろと言われた挙句、弁当を持たされて笑顔で送り出されたら行かない事なんてできるわけがない。
菜々は昨日も殺人現場で優作と会ってしまい、気が滅入っているので金田一少年の事件簿を読みたかった。
主人公の友人や知人、子供や犯人まで死んでしまうことがある漫画を読んで、この世界にトリップしなかっただけまだましだと自分に言い聞かせたかったのだ。
「サボりたい」
菜々は呟いた。特別勉強会は自由参加だ。
「気持ちはわからなくはないけど……」
天蓋は学校の様子を思い出していた。
ごく少数の生徒を差別する事で大半の生徒が緊張感と優越感を持ち、頑張る。
合理的な仕組みだが、楽しい学校生活とは言えないだろう。
「まあ、勉強会に行かなくても大丈夫な成績なんじゃない?」
「天蓋さんもそう言っている事だし、サボってもいいですよね?」
「別にいいけど、記録はするわよ」
沙華に言われて言葉につまる菜々。
吼々処。大叫喚地獄の十六小地獄の一つで、恩を仇で返した者、自分を信頼してくれる古くからの友人に嘘をついた者が落ちるとされている。今では、自分を信頼してくれた人に嘘をついた者が落ちる地獄となっている。
昔、沙華に教えてもらった内容が頭をよぎった。
顎に穴を開けられ、舌を引き出さて、毒の泥を塗られて焼けただれたところに毒虫がたかるという拷問が行われるはずだ。
勉強会をサボる程度なら大した罪に問われないだろうが、色々とやらかしている菜々としては、できるだけ抜け穴を探したい。
何か良い手はないだろうかと思考にふけっていると、目の前をよぎったものがあった。
菜々はおもわず目を見張った。
普通の人はこんな道端で見ることはないだろう。
「稲荷の狐ね」
沙華がそう言った瞬間、菜々は走り出した。
「まさかとは思うけど、あの狐の跡をつけるつもりじゃないよね?」
「そのまさかです」
そう言いながら菜々は走る。(体が)小さい頃から犯人から逃げ回っていたので持久力には自信がある。
狐はE組校舎がある山に向かっていた。
「私は稲荷の狐に興味を持って尾行し、勉強会に行けなかった。これなら少なからず地獄にも責任があるので減刑対象になると思います」
「稲荷の狐なんて何回も見た事あるでしょ!」
「地獄に責任なんてないと思うよ」
沙華と天蓋がくちぐちに突っ込む。
やがて狐が山に入り、菜々も入る。
勉強に集中するために部堂道場を辞めさせられてから、体を鍛えるためにこの山を走っていた菜々には慣れた道のりだった。
しばらく走っていると狐は山道からそれ、獣道に入った。
旧校舎に行くなら橋を渡った後は右に曲がるが、狐はそのまままっすぐ進み林の中を通る。
林を抜けると、狐の姿は影も形も無くなっていた。
菜々の目の前には教室一つ分くらいの草原が広がっており、その先は行き止まり。随分と殺風景だ。
視線を上に移すと、地面が続いていることが分かった。ここは崖の下なのだろう。
あの狐は崖を飛び越えたのだろうか。
とにかく、菜々は崖に近づいた。どうせ、このまますぐに本校舎に戻っても遅刻する。
よくよく見てみると崖壁には人が一人通れるくらいの小さな割れ目があった。
好奇心に負け、菜々はそこに立ち入った。
暗かったので、阿笠に作ってもらった腕時計型ライトであたりを照らしながら進んでいくと、地響きのような音が聞こえてきた。
「今すぐ戻りなさい!」
だんだん周りが明るくなってきた頃、ここがどこなのかをいち早く理解した沙華が叫んだがもう遅かった。
菜々のすぐ近くにティラノサウルスがいた。
「ここって地獄門?」
天蓋が思わず口走った通り、ここは地獄の入り口だ。
幸い、ティラノサウルスは寝ている。さっきから聞こえてきた音はティラノサウルスのいびきのようだ。
このままこっそり戻ろう、と提案しようとした天蓋だったが、菜々の言葉の方が早かった。
「このまま進みます。背を向けた瞬間やられるって私の本能が言ってるので」
沙華は菜々の意見に賛成だった。菜々の勘は命の危機がある場合のみよく当たる。
もちろん、ティラノサウルスは霊体なので人間に害はないはずだが菜々は違う。
思い出してみると彼女は簡単に亡者に触れていた。
沙華が賛成の意を示すと、菜々は一歩踏み出した。
事件に巻き込まれ、犯人に追いかけられるようになってから、ある程度気配を消せるようになっていた菜々は思っていたよりも簡単に地獄門を通過できた。もちろん、倶生神が道案内をしてくれたのも大きい。
「とりあえず鬼灯様のところに行った方がいいわね」
沙華が閻魔でなく鬼灯の名前を真っ先に出すことから、地獄の黒幕が誰なのかよくわかる。
しばらく歩くと人だかりが見えた。
「だからよォ!」
桃を全力で主張した格好をしている男性の怒鳴り声が響き渡る。
「ここで一番強い奴連れて来いっつってんの!」
なんかこんなような話があったような気がする。
確かあれは桃太郎でなんだかんだあって桃太郎は白澤のところで、犬猿雉は不喜処で働くことになったはずだ。
ここまで思い出すのに随分と時間がかかった。やはり記憶が薄れているな。
菜々はそんなことを思いながら近くにあった木に登った。
茄子が鬼灯を連れてきた時、菜々は木の枝の上であの世に送り届けた亡者を記録しているノートと筆記用具を取り出していた。
メモを取る気まんまんだ。
「「何やってんの!」」
そんな倶生神たちの突っ込みに対し、
「こんなおもしろ……貴重な体験は記録に残すべきです」
と答えた菜々は記録を取り始めた。
全員の就職先が決まった時、菜々は息をついた。
記録は一言も間違えずに取ることができた。
中学校の授業のペースが早いせいで、ノートをとっているうちに早筆が得意になっていたからだ。
すごい。そんな言葉が菜々の頭でいっぱいになっていた。
よくあんなにも、相手を最も落ち込ませる言葉がすぐに出てくるな、と。訳がわからない理由で人殺しをした輩と定期的に顔を合わせる米花町民として是非とも参考にしたい。
「いい加減、おりてきたらどうですか?」
周りに誰もいなくなったことを確認してから、鬼灯が木に向かってため息混じりに話しかけた。
「気づかれていましたか」
答えると菜々は木から飛び降りた。
蘭は二階から飛び降りて、車で逃げようとする人間を窓ガラス越しに蹴ったことがあるのだ。
少し前、蘭と同じように電柱にヒビを入れようとして失敗した菜々だが(弁償の二文字が頭をよぎったせいだと菜々は言い張っている)、これくらいのことはできる。
制服姿だが、いつもスカートの下に体操服のズボンをはいている彼女に死角はなかった。
鬼灯は倶生神をチラリと見る。
「生者ですか」
そう呟くと、「ついてきなさい」と言って踵を返した。
しばらく無言が続く。
菜々はキョロキョロと辺りを見渡していたが、ふと違和感を感じた。鬼灯の歩く速さだ。
木の上から見ていたときより歩くのが遅い。自分に合わせてくれているのだとしたら、結構優しい人なんじゃないかと菜々は思った。
閻魔殿に到着し、法廷に入った時の鬼灯の目に飛び込んできたのは閻魔の周りに群がる獄卒たちと、机の上に積まれた大量の書類だった。
閻魔は鬼灯が舌打ちをしたのに気づかず、助けを求めた。
「鬼灯君、ちょっと助け……」
閻魔の声はそこで途切れた。鬼灯が投げた金棒が顔にクリーンヒットしたからだ。
顔から大量の血を出す閻魔を見て、菜々は「この人が優しいわけがない」と思い直した。
少し待っていてください、と菜々に言ってから鬼灯は獄卒の話を聞いた。
「阿鼻地獄で川が氾濫? 応急処置として亡者で防ぎなさい」
「黒縄地獄は経費を見直す。拷問道具に凝りすぎなんですよ。新たに拷問道具を買うとき、許可は大王でなく私にもらいに来てください」
「亡者があふれかえっている? 牛頭馬頭さんがいないせいでしょう。確か賽の河原の子供向けの乳搾り体験と乗馬体験に駆り出されていたはずです。もうすぐ終わるのですぐに門の番に戻るでしょう」
「臭気覆処の改定案は会議で出してください」
次々と問題を片付けていく鬼灯に菜々は目を奪われた。
やはり、この人はすごい。性格はともかく。
獄卒はいなくなり、閻魔は鬼灯に確認してもらう書類を渡そうとして菜々に気がついた。
「あれ、その子は?」
「倶生神がいるので生者でしょう。篁さんと同じです」
閻魔は適当にあしらわれたことを感じ取ったのかブツブツ言っていたが、彼は無視を決め込んで菜々を執務室に通した。
「あなたがお迎え課で有名な……」
倶生神から菜々が、亡者をあの世に送ることを手伝っている事と、獄卒になるために勉強をしている事、地獄に来た理由を聞いた鬼灯が呟いた。
「そんなに殺人事件に巻き込まれるということは、お迎え課ブラックリストに載っている町に住んでいるんですか?」
「米花町です」
「なるほど」
鬼灯と沙華が菜々にはわからない会話をし始めた。
「それで私が死んだら獄卒にしてもらえますか?」
とりあえず菜々は頼んでみた。
「倶生神から聞いた話によると、下手したらそこらへんの獄卒よりも知識が多い。また、亡者を捕まえるために容赦なく股間を蹴り上げたり、目に塩を投げつけたりする姿勢もすばらしい。この歳にして人脈があることから運があり、世渡りが上手いと分かります。何より地獄に迷い込んで記録をとるという行動に出たあたりにミステリーをハントできる可能性を感じるので採用します」
鬼灯の決断に天蓋は突っ込みたかった。
重要な要件を閻魔に相談せずに決めるのはいつものことなので気にしないが、菜々を獄卒にすることにした最後の理由がおかしい。
しかし、その考えを言葉にすると恐ろしいことになりそうなので何も言わなかった。
「じゃあ、今まで捕まえた亡者のことがなくても獄卒になれていましたか?」
その問いに、鬼灯が頷いたので菜々は交渉を始めた。
「それならその働き分、お金ください」
交渉ののち、今までお迎え課の力を借りずに、あの世まで行くことの説得に成功した場合は八百五十円、お迎え課が来るまでの間、足止めをしていた場合は五百円支払われることとなった。
「現世の金に両替して現金で渡しましょうか? それとも振込支払いにして、死後給料を受け取りますか?」
「振込支払いでお願いします」
そんな会話により、銀行口座を作っていると、結構時間が経っていた。腕時計を確認してみると、地獄に来たのは九時頃だったのに、もう昼に近かった。
菜々が今回得た大金に浮かれていると、鬼灯に話しかけられた。
今は銀行から閻魔殿に戻っている途中だ。鬼灯によって椅子に縛り付けられた閻魔は必死に仕事を片づけている事だろう。
「お迎え課でバイトしません? あなたが見つけた亡者を捕まえて、地獄に送るという内容です」
「どうやって地獄に届けるんですか? もしも私が地獄で死んだら大問題になると思いますよ」
「亡者の運搬は稲荷の狐に任せます。金額はさっきと一緒で。必要ならその狐に現世の金に両替したバイト代を持って行ってもらえばいい」
その話に乗った菜々はそのまま鬼灯と一緒にお迎え課に出向いた。縛り付けられた閻魔をほったらかしにして。
「ありがとうございます!!」
そんな男性の声と一緒に鞭で叩く音がお迎え課から廊下に聞こえてきた。
「そういえばお迎え課はマゾの巣窟になっています」
真顔でそう言う鬼灯に菜々はもっと早く言って欲しかったと思った。
お迎え課に入ると女性の周りに何人かの男が転がっていた。
女性が鞭を握っていること、男性たちの背中に鞭の跡があることから、原作知識を思い出した菜々はその女性が荼枳尼だとわかった。
鬼灯が事情を話すと、彼女は適当な狐を差し出した。
「私、その子の事あまり覚えてないから詳しいことは本人に聞いて」
荼枳尼にサインをもらってから菜々はお迎え課を後にした。
その後、このようなことが起こった原因を聞いたり、仕事の様子を見せてもらったりしてから菜々は帰路に着いた。
黄泉竈食ひという死後の世界の物を食べたら元の世界に戻れないというルールのせいで空腹だった。
*
ミーン、ミーンという蝉の鳴き声が聞こえてくる。
地獄でアルバイトをすることが決まってから時間が経ち、夏休みになっていた。
「暇だ……。ソラ、なんか面白い話ない?」
沙華に口を酸っぱくして言われたため、課題をさっさと片付けてしまっていた菜々は暇をもてあましていた。
ソラというのは地獄から菜々のサポートとして来た稲荷の狐だ。ちなみにメス。
荼枳尼からちゃんとした説明をしてもらえなかったし、名前を尋ねても分からないと言われたので菜々がつけた。
空狐だから「空」を訓読みして「ソラ」という安直な理由だが、本人は気に入っていたりする。
菜々とソラはすっかり仲良くなっていた。
「確かもうすぐこの近くにある乱舞璃神社でお祭りがあるんじゃなかったっけ?」
「まだまだ先だよ」
そんな話をしている菜々だが、側から見ると一人で喋っているように見える。
あの世の住民であるソラは特殊な光を浴びない限り普通の人には見えない。
今回の仕事では、人間に見えていない方が都合がいいのでその光を浴びていないのだ。
ソラが変化が得意と知った菜々は、漫画の登場人物に化けて欲しかったが断られた。
モフモフした狐姿のソラは、夏だと見ているだけで暑苦しいのでなんとかしたかったが失敗に終わった。
やることがなく、昼間からベッドに横になる菜々。
あれから一度も地獄に行っていない。
また行きたいな、と彼女は思った。なぜそんな事を思ったのかわからなかったが、すぐに「漫画の舞台だからだろう」と納得した。
思い返してみれば貴重な体験だった。今度はゆっくりとあの世を見学したい。
そんな事を思っていると、菜々が地獄に来た時に通った道について鬼灯が話していた事を思い出した。
──椚ヶ丘中学校の特別校舎は昔、椚ヶ丘中学校の理事長である浅野學峯さんが開いていた塾の校舎でした。
彼が滅多に人が訪れることがなかったあの山を買った時、今回菜々さんが通って来たあの世への入り口を塞ぐべきだという案が挙がりました。
しかし、封印するときは手続きがめんどくさいし、中学受験のための塾だったので生徒は小学生。
小学生なら入り口があるところまで行けないだろうし、學峯さんも、山の危険な場所の探索なんてしなかったので保留となっていました。
やがて學峯さんは塾をたたみ、新たに作った椚ヶ丘中学校の落ちこぼれクラスとして山にある旧校舎を使った。
落ちこぼれクラスに落ちた生徒には山を探索する気力なんてなかったのでまたもや保留に。
そんな事をしていたら、菜々さんがその入り口を通って来たというわけです。
保留を決定したのは大王なので、こんな事になった責任も大王にある。
なのでこのまま椅子に縛り付けたままでもなんら問題ないです。
思いがけず、菜々は理事長の過去を知ってしまった。
確かに、漫画やアニメで語られていたのはそんな内容だった気がする。
いい加減この原作知識が薄れていくのを止めなくてはならない。そう、彼女が決意した時に電話がかかってきた。
携帯を見てみると「三池苗子」という文字が映し出されていた。
三池の要件は「肝試しに付き合ってほしい」という内容だった。
帝丹小学校に伝わる七不思議を順番に確認するものらしい。
『お母さんが、菜々がついていくなら行ってもいいって言ったの』
三池は昔、菜々のことを「菜々お姉さん」と呼んでいたのにいつのまにか呼び捨てになっていた。
三池が呼び捨てするようになったのは、菜々が学芸会の時、時間つなぎのためにう◯このウンチクについて語ったからなのだが、本人は知らない。
「肝試しって誰が来るの?」
菜々がそう尋ねてみると、米原桜子や千葉和伸などの知っている名前が出てきた。
三池の思いを知っている菜々は千葉和伸が来ると聞いて行くことにした。
あたりが暗くなった頃、校舎の前に肝試しに行くメンバーが集まった。
三池苗子、米原桜子、千葉和伸、山田輝、加藤菜々の五人だ。彼らの関係性を一言で表すなら幼馴染である。
「菜々、鍵を手に入れたんだよね?」
三池の問いに、校舎の鍵を取り出して菜々は頷く。
「どうやって手に入れたの?」
「桜子ちゃん。世の中には知らない方がいいこともあるんだよ」
純粋な目をして質問してきた桜子の肩に手を乗せ、菜々は返した。
ソラに盗んできてもらっただけだ。
警備員は酒を飲んで寝ていたので特に邪魔もなく彼らは校舎に入った。
菜々は今日、三池から聞いた七不思議の内容を思い出していた。
二階から三階に上がる東階段の段が増える。廊下に夜な夜な声が聞こえるが誰もいない。屋上に人魂が出る。何もないところを蹴っている怪しい生徒がいる。
四つしかないが、大抵の七不思議はそんなものだろう。
「怪しい生徒は多分私のことだから」
一応、菜々は知らせておく。
おおかた、亡者を蹴っているところを見られたのだろう。
何やってるの! と突っ込まれつつ、菜々は懐中電灯であたりを照らしながら進んでいった。
階段は数え間違いだったので、姿なき声が聞こえるという廊下に向かった。
廊下には一つの扉があったが、壊れたまま放って置かれているらしい。
ガヤガヤと声が聞こえてきた。扉の向こう側から聞こえて来るような気がする。
「私が扉を蹴破ったら、すぐに中の写真を撮って」
三池にカメラを渡して菜々は頼んだ。
何かが吹っ飛んだ音が校舎に響き渡り、扉の向こう側にいた人物たちの動きが止まった。
一瞬固まってしまったが、三池はすぐにシャッターを切った。
扉が開かず、ずっと放って置かれていたはずの空き教室には何人かの教師がいた。
手に缶ビールを持っているし、床にはつまみが広げてあることから、何をやっていたのかは容易に想像できた。
「私たちがここにいたことを誰かに行ったら、この写真を全校集会中にばら撒きますよ!」
菜々が三池から受け取ったカメラを掲げて叫んだ。
もう卒業したはずなのにどうやって写真をばらまくんだ、と突っ込む余裕のある人はいなかった。
教師たちはたまに空き教室に集まって、愚痴をこぼしていたらしい。
扉の横の壁を蹴ると扉が開くので、こっそり集まるのに適していたようだ。
肝試しをしていることを話すと、つまみ用に買ったであろう菓子を国上がくれた。
「死神先生がお菓子をくれた……」
千葉和伸は心底驚いていた。陰険でケチな性格の国上が菓子をくれるなんて、と顔に書いてある。
しかも扉を壊した事をとがめられていない。
「結構いい先生だよ。脅……頼めば大抵のことはやってくれるし」
そんな事を話していると屋上に着いた。
「何もいないね」
噂通りなら屋上に青白い火の玉が浮いているはずなのだが、彼らには何も変わったところは無いように見えた。
やがて、人魂も見間違えだったのだろうという結論になり、帰ることとなった。
三池と桜子を家に送り届け、菜々はもう一度小学校に戻った。
三池たちには見えていなかったようだが、菜々は人魂を見た。
こんなような話、どこかで聞いたような……と菜々はしばらく考えると思い出した。
あれは地獄に行った時のことだ。
お迎え課に行き、理事長の過去を思いがけない形で知ってしまった後、菜々は鬼灯の仕事を見学することとなった。
「ちょ、鬼灯君。いい加減ほどいて! 漏れるって!」
いまだに椅子に縛り付けられていた閻魔が頼み込む。
仕事を全て終わらせている事を確認してから鬼灯は縄をといた。
その瞬間、閻魔はトイレに早歩きで向かった。
走ることができないくらいヤバイ状態なのだろう。
しばらくして、戻ってきた閻魔が鬼灯に「君も確認しといて」と巻物を渡した。
気になったので、閻魔に断ってから菜々も巻物を覗き込んでみる。
烏天狗警察からの指名手配者リストのようだ。「一,民谷伊右衛門 二,鬼火(現世に逃亡中)……」
そんなふうに指名手配者の名前が続き、最後に現世に逃走した鬼火について書かれていた。
──この鬼火を捕獲した方には賞金五十万を差し上げます。
酒盛りをしていた教師たちに見つからないように、帝丹小学校の屋上に戻る。
「こんばんは。加藤菜々です。東京都、椚ヶ丘中学校の二年生です」
とりあえず鬼火に自己紹介をする。
「何が目的だ?」
駆け引きは苦手な鬼火は率直に聞いた。
「私に捕まりませんか?」
目に五十万と書かれた菜々が言った。
「嫌だ」
「現世にとどまる目的は何ですか?」
「人間に入り、完全な鬼になることだ」
「じゃあ、私に入りませんか?」
倶生神は「またか」という顔をし、ソラは目を点にしたが、菜々が稲荷の狐を追いかけて地獄に迷い込んだ事を思い出して納得した。
二度目の人生だし、元の世界に戻るつもりなので、菜々は気の向くままに生きている。
倶生神に「前世の記憶がある」と言ってしまった菜々は、死後の裁判を避ける必要があった。
獄卒になる約束を取り付けはしたが、死後の裁判を受けなくていいとは言いきれない。
裁判を受けている途中、前世の記憶があると言ったことが知られ、調べられたら一発で嘘だとバレる。
また、人頭杖や浄玻璃鏡で調べられたら全てが知られる。
それを避けるために鬼になろう、という思考が一瞬のうちに働いたのだ。
また、体が丈夫な鬼になっておけばちょっとやそっとの事では死なない。
合気道を習っていて(この世界の基準では)それなりに強いし、勉強だって出来る方だ。何より五十万欲しい。
そんなことを力説している菜々と合体することを鬼火は決めた。
「お前が鬼になりたい理由が他にもありそうだな。自分では気づいていないようだが……。それを知るためにお前の中に入るのも悪く無いだろう」
そう言い残し、鬼火は菜々の中に入った。
かすかに暖かいものが胸の中に入ってくる感触がした。
「「何やってんの!!」」
倶生神に突っ込まれ、菜々はしばらく怒られた。
ソラは開いた口が塞がらなかった。
「鬼火、一個だけだったのに完全な鬼になれたみたいですね。それだけ妖力が強かったってことでしょうか?」
菜々は自分の耳やツノをさわりながら倶生神に尋ねていたが、すぐに青ざめた。
「これ、どうやって親に説明しよう?」
気にすることはもっと他にあるのだが、彼女はそんなことを言っていた。
「今は亡者と同じで霊感がある人にしか見えないから。とりあえず、私が化かしておいてあげるよ」
そう言って、ソラは体から白く輝く火の玉を出した。縦十五センチ、直径十センチくらいだ。
火の玉は菜々の顔に当たって消えた。おそるおそる彼女が顔をさわってみると耳は丸くなっていて、ツノは無くなっている。
ソラいわく、これで普通の人にも見えるようになったらしい。
地獄にはソラに連絡してもらい、明日の朝鬼灯のもとへ行くこととなった。
「胃が痛い」
菜々は呟いた。
今は電車に揺られて、椚ヶ丘中学校に向かっている。
額に生えた一本のツノと、とがった耳はキャスケットで隠してある。
鬼になってから眉毛の形が変わっていたが、知り合いの前ではないので特に何もしていない。
通勤時間よりも遅いため、車内にはほとんど人がいない。
「菜々のせいでしょ。驚きすぎて止めることができなかった私たちにも責任はあるけど」
「始末書で済むかな……」
閻魔はそこまで怖くないが鬼灯は怖い。
「罰は全て私が引き受けます」
ほんと、何であんなことしちゃったんだろう。
菜々は鬼になったことを後悔していた。
生きているうちに地獄に迷い込んだ挙句、鬼になるなんて地獄からしたらかなり稀な例だ。
倶生神の記録を取っておかれるに決まっている。
すると前世の記憶がないことがバレ、浄玻璃鏡などで調べられる確率が上がる。
また、勝手に鬼になってしまったのだから罰を受けなければならないだろうし、元の世界に戻るときに影響が出るかもしれない。
それ以前に、鬼になってしまった今、どこで暮らしていけばいいのだろうか。
──お前が鬼になりたい理由が他にもありそうだな。自分では気づいていないようだが……。
鬼火の言葉を思い出した。
鬼火に言わなかった、トリップしたことがバレないようにしたいという理由はあったが、自分でも気づいていない?
菜々が考え込んでいると、電車は椚ヶ丘についた。
前に通った道を進み、地獄門に着いた。
今回は牛頭と馬頭がいたのでサインをもらおうとしたが、ノートが小さすぎるし、二人とも蹄があるためペンを持てないので握手だけにした。
こんなときに何やってるんだという目で倶生神とソラが見てきたが、菜々は無視した。
「特に罰はありません」
鬼灯に言われ、菜々は胸をなでおろした。
ここは閻魔殿の法廷。閻魔や烏天狗警察もいる。
「あの鬼火は鬼になるため、人間と合体しようとしていたのです。なんでも、ぎっくり腰がひどくなってきたので鬼になることで別の体になろうとしていたとか」
「腰なんてあるんですか?」
菜々は思わず質問してしまった。
「とにかく、人間がいきなり鬼になることを恐れられていたのですが、本人の了承を得て鬼になったので問題はないです」
「賞金はどうなりますか?」
「もちろん支払われます」
烏天狗警察の一人が答える。菜々は思わずガッツポーズをした。
烏天狗警察は菜々に賞金を渡した後、帰って行った。
さっきいたのは源義経ではなかっただろうか。サインもらっておけばよかった。
そんなことを菜々が考えていると鬼灯に話しかけられた。
「これからの事ですが、鬼になってしまった以上、現世で暮らすのは難しいです。地獄に住むため、あなたは死んだことにする方向で話が進んでいるのですが……」
異論はありますか? と鬼灯の目が言っていた。
「それは難しいと思います」
菜々は反論した。
鬼灯の目は今まで会ってきた殺人犯たちの誰よりも怖かったので、彼女は今すぐ逃げ出したかった。
「私の知り合いに刑事さんがたくさんいるんです。工藤優作さんっていう頭がかなり切れる推理作家さんとも知り合いですし、よっぽどうまくやらない限り、私が死んだと納得させるのは難しいと思います」
小学校を卒業するまでに、全都道府県県警の刑事と知り合いになってしまったほどだ。
原因として挙げられるのは、菜々の事件に遭遇しやすい体質だけではなく、米花町に住んでいる人が旅行に行きやすいということも挙げられる。
トリップしたばかりの時は、平日だろうがなんだろうが泊りがけの旅行に行くなんてしょっちゅうなことに菜々は驚いた。
しかし、それくらいの頻度で旅行に出かけていなければ、コナンが県外で巻き込まれた(この場合呼び寄せたと言った方が正しいかもしれない)事件の数の多さの説明がつかないと自分を納得させた。
「たしかにそれは面倒ですね。では別の案の説明をします。名付けて『ドキドキハラハラ☆現世滞在計画』」
「名付ける必要ある!?」
閻魔が思わず身を乗り出して横から突っ込んできた。鬼灯は無視して話を進めた。
「お迎え課ブラックリストに載っている工藤優作さんと知り合いなら生きていることにしておいたほうが都合がいいです。とりあえず普段は帽子で耳とツノを隠しておいてください。帽子がかぶれない時はソラさんに化かしてもらうこと。時間ができたらぜひ、菜々さんを通じて優作さんを観察してみたいです。
そのため、今まで通り現世の学校に通ってもらいます。社会人になったら『外国に行く』とでも言って地獄に来れば獄卒として雇います。それまでは今まで通りアルバイトを続けてください」
菜々に異論はなかった。