トリップ先のあれやこれ
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キッドは走っていた。
エレベーターを使うには専用ICキーが必要なので非常階段を登るしかないのだが、階段はバラバラに配置されている。そのため、最上階に行くには長い距離を移動しなくてはならないのだ。
三階の中広間に差し掛かったとき、大きな足音とともに曲がり角から銃を構えた黒服の男が現れる。
トランプ銃を乱射することで目眩しをし、階段を目指して一直線に進む。
息が弾む。足がもつれる。
それでもがむしゃらに走った。最上階にはパンドラがある。
六階のテラス・ラウンジは一目で乱闘が起こったのだとわかる状態だった。
椅子やテーブルは倒れ、留め具が撃ち抜かれたらしい吊り照明器具は落ちている。床に散らばった酒瓶は割れているし、窓ガラスは腕の悪い泥棒が無理やり押し入ったような有様だ。
中央ではSATの隊員たちが二人の男を取り囲んで銃を向けている。
「カルバドス、SAT共を蹴散らすぞ!」
「悪いな」
カルバドスと呼ばれた男はサングラスを床に投げ捨て、顔の皮を剥がした。マスクが剥がれる音とともに素顔が現れる。
「MI6の赤井務武だ」
「アンタは……! 死んだんじゃなかったのかよ!」
MI6の人間が銀髪の男に銃を向ける。SATの集団も一斉に銀髪の男に銃口を向け──。
それからどうなったのかはわからない。彼らの横を通り越したからだ。かろうじて激しい銃撃戦を繰り広げ始めた男たちの声が届く。
「キッド!?」
「おい、アイツ何が起こってるのか知ってるのか!?」
「誰かがついて行ったほうがい──」
声が途切れた。
何かが倒れ込む音が廊下に響く。
振り返ると、小型の銃を握った大柄の男が倒れ込んでいた。自分を狙っていたのだろうと思い至り冷や汗が流れる。
そして、倒れている男の横に立つ人物がいた。真っ黒なスーツを身にまとっており、目つきが悪い。前に会ったことがなければ彼が黒ずくめの男の仲間だと勘違いしてしまっただろう。
「確か、加々知さんでしたよね。天空の船以来でしょうか」
「今は素で大丈夫ですよ」
「……どこまで知っている」
「あなたと私の目的が一致していることは確かです」
「なあ、アンタもしかしてあの世の関係者なんじゃねえか?」
ベルツリー一世号で盗一と一緒にいたのが目の前の男だ。紅子の話を踏まえて推測すると、十中八九鬼灯はあの世関係者である。
「防衛省諜報部の者、ということになっています」
「なるほど。永遠の命を手に入れることができる宝石なんかが現世にあったら、死んだ人間を裁く地獄が混乱に陥るから来たのか。防衛省の人間っていう設定を使えるってことは防衛省に協力者でもいるとか?」
「まあ、そんなところです」
面倒なことになった。鬼灯は内心ため息をつく。同級生の一人が魔女のため、そういった方面に理解がある分ややこしいことにならなそうなのが救いだ。
「とにかく、パンドラがある場所まで走りますよ。敵は私が倒します」
*
烏丸は淡々とした口調で語る。
「私はテイラー家という由緒正しい家に生まれた。妾の子ではあったが唯一の男子だったため跡取りとして育てられた。母の姿を見たことは一度もない。家のことしか考えていない父にとって私は一つの駒だった。親戚連中は遺産が欲しいらしく、跡取りである私の陰口を叩くばかり。使用人はロボットのよう。私を唯一気にかけてくれたのは姉だけだった。しかし、姉は家の『儀式』を受けてから変わってしまった。永遠の美貌と命を手に入れたのだ。姉は驚きの方が優っていたが私はすぐに気がついた。永遠の命なんて生き地獄だ。姉は将来、ひどく苦しむに違いない。全人類は姉がどんなに欲しても手に入れられないもの──いつか死ぬことができるという事実を持っている。私は考えた。ならば、権力者たちを、やがては全人類を不老不死にしてしまえばいい」
カルマたち三人は無言で耳を傾けていた。
「幸い、テイラー家の跡取りとなった私には権力があった。世界中から人材を集め、不老不死に関する研究をさせた。晩年、それらしき薬が出来上がったので、私は迷わず飲んだ。それからはテイラー家の当主が死んだと偽装し、日本に移り住んだ。黄金神教を作り、裏で人体実験を行った。さらなる薬の改良のために作った組織に姉を呼び、ベルモットという名を与えた。宮野夫妻が一錠で十歳分若返るAPTXを開発した。それでも、改良を重ねる必要があった。なぜ黄金神教で作り出した薬を改良する必要があったのか、なぜAPTXにも改良の必要があったのかわかるか?」
「黄金神教の方の薬は若返った後でも成長が続くからか?」
木村が答える。
相手が組織のボスだと確信してから、木村は敬語を取り払っていた。
「黄金神教で作られた薬の進化版であるAPTXを飲んだ人間は成長しない。帝丹小学校の健康診断も行なっている新出さんに変装していたベルモットがコナン君たちの正体に気がついたのはそれが理由だ。カルテを見たときに二人の身長が伸びていないことが分かったはずだからな」
「正解だ。一方で宮野夫婦が作り出した薬は飲んだら成長しない。それでもまだ、私は薬を世に出すことができなかった」
「老いはなくても、飲んだ人間が死のうと思えば死ねるから」
今度はカルマが答える。
「いくら不老不死を望んでいてもそうなってみれば生き地獄だと気がつき、命を断とうとする人間が続出するはず。だから飲んだ瞬間、傷を負ってもすぐさま修復され、毒を注入しても意味がない体になる薬に改良しようとしていた」
「じゃあ、宮野志保さんが作らされていた薬っていうのは……」
「赤羽が言った通りのものだ」
姉を孤独にしないために全人類を不老不死にする。その先にあるのが地獄だろうと構わない。それが烏丸の思いだった。
「もう少しだった。飲んだら若返ると同時に成長が止まる薬の開発に成功した。自律思考固定砲台が完璧な不老不死の薬を作り出したらすぐ権力者共に行き渡るようにレールも引いた。もう少しで、もう少しで……!」
「そんなことして、ベルモットは喜ぶのか? そもそも、ベルモットはお前が何をしようとしていたのか知っているのか?」
寺坂の問いに木村が答える。
「いや、知らないはずだ。彼女は不老不死の自分を羨んだため弟がここまでのことをしたと思い込んでいる」
「それならこいつがやってきたことは無駄じゃねえか。あの女も自分の大切な人に自分と同じ苦しみを味わって欲しくねえだろ」
ベルモットがエンジェルと呼ぶ少女、表の世界の友人である工藤有希子。彼女の息子で、ベルモットが気にかけているらしい工藤新一。
烏丸の脳裏に三人の存在が過ぎる。その瞬間、烏丸蓮耶という男は事実上息を引き取った。三人の男も、輝くシャンデリアも、冷めたコーヒーも、全てがモノクロに見えた。椅子の上にいるのは烏丸蓮耶と便利上呼ばれる容器にすぎない。
「ベルモットを救うもう一つの方法、考えたことないのか?」
寺坂が声をかける。
「怖くて自分で死ぬことができないなら、誰かに殺してもらえばいい」
師に殺されるとき穏やかな顔をしていた男を知っている寺坂だからこそ出てきた言葉だった。
*
「あった!」
長い階段を上り切り、最上階に到着したキッドが部屋に窓から潜入し、取り付けられた金庫を開けると、爆弾に貼り付けられている宝石が現れた。
「幹部捕獲作戦を始める前にホテル内の爆弾は全部解体したはずですが……」
「この部屋、カードキーがないと入れないしな。俺たちも窓から潜入したし。残っていたことも頷ける。にしても、なんで爆弾にパンドラを貼りつけてるんだ? 永遠の命を手に入れることができる鍵を破壊するようなマネ、普通するか?」
「快斗さん、黒ずくめの男たちが所属していた組織であり、あなたと敵対していた組織の裏についていた組織の目的、知っていますか?」
キッドは無言で首を横に振る。
「全人類を不老不死にすることですよ」
「は?」
「組織のボスは、不老不死となった人間が死にたいと願っても死ぬことができない世界を作りたがっているんです。永遠の命を得ることができるというパンドラを研究され、不老不死の薬の解毒剤が作り出されることを防ぐためにパンドラを破壊しようとしていたんでしょう」
鬼灯は説明しながら爆弾と宝石をくっつけていたガムテープを剥がす。
「すみませんが、パンドラはこちらで回収させていただきます。どうやら生活に困ったフラメルさんが現世に売った賢者の石がパンドラらしくて」
現世では破壊される予定であの世の人間が回収しようとしていたってことは俺の頑張りって無駄だったんじゃないかなーと快斗は思った。将来、マジシャンになる時の良い予行練習だったと信じたい。
一方、鬼灯は月明かりにかざして目当ての宝石であることを確認するとズボンのポケットにパンドラを押し込み、口を開く。
「それと、盗一さんからの伝言です。『次に会う時は私を超えるマジシャンになっていなさい』」
快斗が息を飲む。
ベルツリー一世号で話した内容だけでは足りず、ごねまくって伝言を頼んできたことは伝えないほうがいいだろうと鬼灯は判断した。
「そしてこれが千影さん宛ての手紙です。渡しておいてください」
「分厚っ!」
「あ、こっそり読んだりしないほうがいいですよ。クソ恥ずかしいポエムで愛が綴られていますから」
「あんた読んだのかよ!?」
「いや、盗一さんが職場でぶつくさ言いながら書いていたので知りたくもないのに内容を知ってしまったんです」
「父が、すみません……」
「ともかく、快斗さんは屋上まで行ってハンググライダーで脱出してください。私は爆弾解除が得意な知り合いに連絡して爆弾をどうにかした後、階段で下に降りながら亡者の回収をします」
*
トロピカルランド付近に居た人たちの避難先はカオスを極めていた。
高木と佐藤が一緒に避難誘導をしていたら二人がデートをしていると勘違いした佐藤美和子絶対防衛線の面々がやってきたのである。
佐藤美和子ファン兼刑事である彼らは避難誘導を手伝ってくれたが、ずっと高木に圧をかけていた。
「なあ伊達。捜査一課ってずっとあんな感じなのか?」
「ずっとあんな感じだ。松田が佐藤といい感じになっていた時もあの人たちすごかったぞ」
「マジか、全く気がつかなかった」
「お前、萩原の仇を討つことしか頭になかったもんな」
亡者となった鷹岡を捕まえる役割の火車が怠けないように見張るのが彼らの仕事である。
火車はすでにもう一人の触手生物を捕まえるべく普久間島に向かったので、二人は呑気に雑談しているのだ。
「あの様子なら、これからの捜査一課も大丈夫そうだな」
「嘘だろお前。なんであの光景見てそんなこと言えるんだよ」
「高木もしっかりやっているみたいだし。先輩である俺の役目は終わったってこった」
「いや、あのファンクラブどうすんだよ。やべえぞ。佐藤は全く気がついてないし」
「もうすぐ米花町の呪いが解かれて、事件ばっかり起きなくなるって話は知ってるか?」
「ああ」
「米花町も管轄していた警視庁、特に捜査一課の連中はメンタルがやばかった。そこで佐藤を崇めることで正気を保っていたんだろう」
「マジかよ」
「マジ。多分、あれもだいぶマシになると思うぜ」
ふと、ニット帽をかぶった不健康そうな男が松田の目に止まった。同時に、彼のまわりをフヨフヨと飛んでいる女性の亡者の姿も目に入る。
「なあ、あんたも亡者だろ? あの世に案内してやるから──」
松田の声を女性の懇願が遮る。
「一週間、一週間だけ待って。一週間後、妹の誕生日なの。その時あの子はテープを聴くわ。そして大きな心の傷を負ってしまう。だから、それまでにテープをどうにかしないといけないの」
「とりあえず、初めから話してみろ」
「わかった。でも、私たちの生い立ちからになるからそうとう長いわよ」
そうして女性の亡者──宮野明美は語り始めた。
しばらくすると、明美が死んだ後の話になる。
「私は、志保があんなに取り乱すだなんて思っていなかったの。冷静に私の死を受け止めて、組織に従うフリをしながら私が何か残していないか探ると思っていたわ。FBI捜査官の大くん──ニット帽をかぶった男性で私の元彼だけど──彼という切り札も用意していたから、志保は組織を抜けて証人保護プログラムを受けれると思っていた。結局は幼児化しちゃったんだけどね。……そして、ここからが本題なんだけど、私が死んだあと志保の手に渡るようにしておいたカセットテープがあるの。一から二十の番号が振ってあって、母から志保に向けたメッセージが誕生日ごとに録音されているもの。十八歳までは問題ないわ。でも、志保が十九歳になって、カセットテープを聞いたら両親や志保がどんな薬を作っていたのかが明らかになる。志保の手に渡る前に内容を確認した方がいいだろうと思って私も聞いたけど、恐ろしい内容だった」
松田と伊達は明美の言葉を無言で待つ。
明美は眉のあたりに決意の色を浮かべた。
「両親が作っていた薬は二つ。若返るけどそれ以上成長しなくなる薬と老け薬よ。この二つの薬と、ハッカーの力があれば、同じ人間が別人として生きていくことができる。やろうと思えば日本を牛耳れると思うわ。私はなんとしてでもその部分を志保に聞かせてはならない。でも、名前の由来とかも十九歳用のカセットテープには入っているからそこは聞かせてあげたいし……」
「分かった。とりあえず上の人に聞いてみるから普久間島に行くぞ。伊達、火車さん呼んでくれ。触手を移植した亡者を二人ともあの世に送り届けている頃だから、呼べばすぐに連れてってくれるだろ」
*
「いや、組織の本来の目的はそこじゃなかったし、どっちみち組織崩壊したし、薬のデータが出回ることはないから大丈夫ですよ。それより、志保ちゃんの名前の由来を教えてもらっても?」
菜々は明美からカセットテープの内容を聞き出して考える。灰原哀が元の姿に戻る決定的な理由ができたかもしれない。
*
「あれ? 他の方はどうしたんですか?」
降谷が目を丸くして尋ねた。
組織壊滅作戦が終了した今、書類作成のためにFBIと打ち合わせをする予定だったのだが集合場所にキャメルしかいなかったのだ。
「ジョディさんは潮田渚さんと話し込んでいて声をかけづらかったんだ。ベルモットを殺した後だし」
降谷はベルモットの安らかな死顔を思い出す。
不老不死である彼女が生きていると、新たな不老不死の人間が生まれる可能性がある。だからこそ、ベルモットは秘密裏に殺されることが決定していたのだ。
ジョディは復讐を誓っていたベルモットの表情や行動に思うところがあったのだろう。今回の件に関わることができたのがごく少人数だったせいで民間人でありながら鷹岡を手にかけた潮田渚と話し込んでいるのも頷ける。
「ジェームズさんは一時帰国中で、赤井さんは昨日姿をくらましたと思ったら今朝ひょこり帰ってきて、『ちょっと考えたいことがある』とか言ってまたどこかに行ってしまったから私だけが来た」
「おのれ赤井。僕はこの短い期間で二度もフランスに飛んだというのにあいつは仕事すらまともにしていないのか……!」
キャメルはなんとも言えない顔をした。ことあるごとにFBIを罵倒してくる降谷に良い感情を持っていないことは確かだが赤井の行動には思うところがあるのだ。
コナンは二人の様子をぼんやりと眺める。
全てが終わった。事後処理で大人たちは大変な思いをしているらしいが、APTXのデータを元に灰原が作る解毒剤を待つだけのコナンは何もすることがない。
ただ一つ突っ込ませて欲しい。
なぜ自分の家が黒の組織壊滅作戦に関わった面々の顔合わせ場になっているのだろうか。
チャイムが鳴った。今までの流れから予想すると、組織壊滅に携わった誰かが訪ねてきたのだろうと思いながら玄関に向かい、鍵を開ける。
「菜々?」
「新一君、烏間先生いる?」
「……いつから気づいてたんだよ」
「割と初めからかな」
「烏間さんならいねえぞ」
「あー、無駄足だったか」
「まあ、とりあえず上がってけよ。コーヒーくらい出してやる。すげえクマだぞ」
「事後処理とか大変だからね。でも、うちの職場忙しい時期は七十二時間ぶっ通しで働いて十二時間寝てまた七十二時間働くってサイクルだからそこまで負担じゃないよ」
「防衛省もやべえ」
実際、地獄は忙しかった。
現世でやばいことが起こったらすぐに把握できるように倶生神と連絡をとりやすくしたり、マニュアルを作成したり、触手生物のような奴が現れたときの対処法を話し合ったり、旧校舎がある山の地獄と現世を繋ぐ道を封印するための手続きをしたり。
倶生神がついていないため烏丸蓮耶はアメリカ地獄の管轄だったはずなのに、「烏丸蓮耶は長いこと日本にいたのにやべえ計画に気がつかなかったんだから日本地獄が担当してよ」とか向こうがほざいてきたのでその対処もあった。
リビングに着くと、菜々の足が止まる。
原因は明白だと思いながら、コナンは冷めた目で父親を見た。
「いやあ、まさか浅野さんがこんなにも話がわかる方だったとは。暗号『踊る人形』での文通、楽しみにしています」
「私もです。ところで、私が経営している塾で企画している講演会に参加していただけませんか?」
「ええ。全身全霊でホームズのすばらしさを伝えさせていただきます」
「いえ。ホームズはどうでもよくて……」
「ホームズがどうでもいい!? 何を言うんですか! コナン・ドイルがライヘンバッハの滝でホームズを殺した時なんて彼の元に『お前の選択肢はホームズを復活させるか死ぬかのどちらかだ』という手紙が大量に届いたり、毎週のようにホームズの葬列がコナン・ドイルの自宅周辺で行われたりしたんですよ!」
「あ、はい。そうですね」
「あの理事長がたじろいでる。優作さんすごい」
「図書室、行こうぜ」
コナンは逃げることにした。
*
「聞いたぜ。オメーが防衛省に勤めてるって話」
「いまさらだけど高校生が知っていい内容じゃないよ」
「組織の支部を潰すとき知恵を貸したりした関係でいろいろ情報が入ってくるようになったんだよ。オメーが中学生のときに何があったのかもだいたい聞いたし、トロピカルランドが破壊されまくったことも聞いた」
「まあ、あれは事件が起きまくって職を失う人が多い関係で再就職先を探しやすい米花町だからこそできた作戦だったよね」
階段に腰かけ、インスタントコーヒーを飲みながら二人は話す。どこもかしこも各国の捜査官が話し合いをしているため、静かな場所がここくらいしかなかったのだ。
「なあ、他の町の人と結婚する米花町民はゼロに近いってことが証明されてるって知ってるか?」
「普通に考えてそうだろうなとは思う」
「主な理由は二つ。些細なことが原因で殺人を犯す奴ばかりだから結婚したがる物好きはいないこと。そして、米花町民と結婚したら自分も米花町に移り住まないといけないことだ。また、幼馴染みと結婚する米花町民は七割ほど。さっき言ったように他の町の人との結婚は難しいから米花町の中から結婚相手を選ばなくてはならないわけだが、二分の一が加害者となる人種なので幼い頃から人となりを知っている相手が一番安全だと本能にインプットされているんだ。米花町民は無意識のうちに幼少期の行動によって相手を見極めている」
コナンは真剣な顔で話す。
「小学生の頃に黒歴史を量産しまくってたオメーが結婚できるわけがないと言われ続けているのはこれが理由だ」
「新一君は私に何か恨みでもあるの?」
「オメーと加々知さんは利害の一致で籍を入れたんじゃねえか?」
コナンは菜々の問いを無視して話し続ける。
「防衛省諜報部所属の加々知さんは超生物暗殺の一環でE組に定期的に顔を出していたんだろう。そこで、生粋の米花町民であることから顔に似合わず高スペックなオメーに目をつけ、将来自分の職場に引き入れようと思った。しかし一年後、不測の事態が発生する。菜々の父親の会社倒産。このままでは菜々は家族のために高校を中退して仕事についてしまう。そう思った加々知さんは考えたんだ。父親の借金を肩代わりする代わりに自分に手を貸してもらい、大学卒業後正式に防衛省に入ってもらおうってな。諜報部は過去を問わないから高校を中退していても入れるが出世はできない。菜々に可能性を見出していた加々知さんはもったいないと考え、オメーが一流大学を出られる環境を整えることにした。すなわち父親の借金肩代わり。しかし諜報部所属の人間は家族にすら仕事について教えることができない。加々知さんが借金肩代わりをする両親向けの理由が必要だった。そこで結婚だ。そもそも、同じ職場に夫婦や恋人がいると判断力が鈍るという理由で諜報部はそういった状況にならないようになっているはずだ。だから契約結婚であると見抜けた。まあ、推理したのは親父だけどな」
自分の両親も同じように勘違いしていたことを菜々は思い出す。仕事の関係で遠くに行くのだと説明しようとしたら自分たちの推理をいきなり語られたのだ。
「ここに来たのは烏間先生を探す目的もあったけど、新一君たちに挨拶したいってのもあったんだ。私、仕事の関係で遠くに行くから。多分、これから先、生きて会うことはないと思う」
菜々は地獄で結構高い役職についている。正確に言うと、あの世にも影響が出る可能性があることが現世で起こった場合解決にあたる最高責任者である。
主な権限としては、問題が解決するまでは簡単に現世に行くことができる、現世でとれる行動が通常ほど制限されていないというものが挙げられる。
だから組織が壊滅した今、菜々が現世に行く理由がなくなる。さらに矛盾が生じるのを防ぐため、「加藤(もしくは加々知)菜々」を知る人物が死ぬまではよっぽどのことがない限り現世に行くことができない。
つまり、菜々が姿を消すことは決定している。
「そっか。……それで、オメーに恨みがあるのかって話だけど」
「あ、戻るんだ」
「恨みはある。ホームズを馬鹿にしやがって!」
「あ、あー。えーと、志保ちゃんは元の姿に戻ることにしたの?」
「あからさまに話題変えたな。灰原は元の姿に戻る。母親からの誕生日テープで名前の由来を聞いたらしい。『志保って名前は両親からの初めての贈り物だから、簡単に捨てちゃいけないと思う』って言ってたぜ。もうすぐ解毒剤が完成するらしいし、メアリーさんはすでに元の姿に戻ってるし、殺せんせーが作ったアドバイスブックの『警察上層部が悪の組織に加担していたため上司に報告せずに悪の組織を潰した場合、罰を受けなくて済む方法』を元に親父や浅野さんが計画を立てたから全員元の生活に戻れたし、丸く収まりつつあるよ」
コーヒーが湯気を立てなくなった。菜々がコップに口をつける。
「もう会うことはないんだろ? だったら最後に話聞いてくれねえか?」
「あの世では会えると思うよ」
そう言った後、目で話を促すと、コナンはポツポツと話し始めた。
「俺さ、許されないことをしたんだ。赤井さんの死亡偽装のために死体損壊・遺棄をした。赤井さんと二人で計画を立てたんだ。でも、未成年がこの件に関わっているといろいろ問題があるらしくって俺の罪は無かったことにされた。昨日、赤井さんだけが遺族に頭を下げに行った。そして今朝、赤井さんに会った。頬が腫れてたよ」
コナンは懺悔したかった。しかるべき罰を受けたかった。
最近よく考える。江戸川コナンという人物はもうすぐ消える。江戸川コナンがいなくなったら彼の罪も一緒に消えるのだろうか。仮にそうだとしてもそんなのは間違っている。
「俺はホームズに憧れて、ずっとホームズみたいになりたいと思っていた。ホームズは同じ手を使ったと思うか? もっといい手があったんじゃねえか? そもそも、蘭の言う通り本の中の人に憧れるのが間違いだったんじゃ──」
「別に、本の中の人だろうと人間じゃなかろうと、憧れるものは憧れるし、相手に近づくためにがむしゃらに進み始めるものだよ。私もそうだった。もっといい手があるかもしれないけど止まっている時間が惜しくってとにかく行動する」
菜々は鬼になった日のことを思い出す。
あの時は無意識だった。無意識のうちに鬼灯に憧れ、彼に近づくためだけに悪手を選択したのだ。
「それに米花町民なら尊敬する人が実在しない人物なんてよくあるよ。尊敬していた人が父親を殺した犯人だったとかざらにあることだから、本能的に米花町民は米花町民に憧れを抱かないんだと思う」
「そうだな」
心が軽くなった。コナンの表情が晴れやかになる。
*
「コーヒーごちそうさま。じゃあね」
「ああ」
菜々が玄関の扉を開け、外に出る。
次の瞬間、コナンはとっさに動いていた。
靴を適当に履き、扉を勢いよく開けて声を張り上げる。
「菜々!」
「どうしたの?」
門に差し掛かっていた彼女が振り返り、尋ねた。
「何かが引っかかる。どこかがおかしい。……なあ、オメー、一体何者なんだ?」
「やっぱり気づかれちゃったか。昔のよしみで教えてあげるよ。……あの世でね」
そう言い残して、菜々は立ち去った。
彼女の後ろ姿を眺めながら、コナンは本能的に理解した。アイツとはもう二度と会えないのだ。
エレベーターを使うには専用ICキーが必要なので非常階段を登るしかないのだが、階段はバラバラに配置されている。そのため、最上階に行くには長い距離を移動しなくてはならないのだ。
三階の中広間に差し掛かったとき、大きな足音とともに曲がり角から銃を構えた黒服の男が現れる。
トランプ銃を乱射することで目眩しをし、階段を目指して一直線に進む。
息が弾む。足がもつれる。
それでもがむしゃらに走った。最上階にはパンドラがある。
六階のテラス・ラウンジは一目で乱闘が起こったのだとわかる状態だった。
椅子やテーブルは倒れ、留め具が撃ち抜かれたらしい吊り照明器具は落ちている。床に散らばった酒瓶は割れているし、窓ガラスは腕の悪い泥棒が無理やり押し入ったような有様だ。
中央ではSATの隊員たちが二人の男を取り囲んで銃を向けている。
「カルバドス、SAT共を蹴散らすぞ!」
「悪いな」
カルバドスと呼ばれた男はサングラスを床に投げ捨て、顔の皮を剥がした。マスクが剥がれる音とともに素顔が現れる。
「MI6の赤井務武だ」
「アンタは……! 死んだんじゃなかったのかよ!」
MI6の人間が銀髪の男に銃を向ける。SATの集団も一斉に銀髪の男に銃口を向け──。
それからどうなったのかはわからない。彼らの横を通り越したからだ。かろうじて激しい銃撃戦を繰り広げ始めた男たちの声が届く。
「キッド!?」
「おい、アイツ何が起こってるのか知ってるのか!?」
「誰かがついて行ったほうがい──」
声が途切れた。
何かが倒れ込む音が廊下に響く。
振り返ると、小型の銃を握った大柄の男が倒れ込んでいた。自分を狙っていたのだろうと思い至り冷や汗が流れる。
そして、倒れている男の横に立つ人物がいた。真っ黒なスーツを身にまとっており、目つきが悪い。前に会ったことがなければ彼が黒ずくめの男の仲間だと勘違いしてしまっただろう。
「確か、加々知さんでしたよね。天空の船以来でしょうか」
「今は素で大丈夫ですよ」
「……どこまで知っている」
「あなたと私の目的が一致していることは確かです」
「なあ、アンタもしかしてあの世の関係者なんじゃねえか?」
ベルツリー一世号で盗一と一緒にいたのが目の前の男だ。紅子の話を踏まえて推測すると、十中八九鬼灯はあの世関係者である。
「防衛省諜報部の者、ということになっています」
「なるほど。永遠の命を手に入れることができる宝石なんかが現世にあったら、死んだ人間を裁く地獄が混乱に陥るから来たのか。防衛省の人間っていう設定を使えるってことは防衛省に協力者でもいるとか?」
「まあ、そんなところです」
面倒なことになった。鬼灯は内心ため息をつく。同級生の一人が魔女のため、そういった方面に理解がある分ややこしいことにならなそうなのが救いだ。
「とにかく、パンドラがある場所まで走りますよ。敵は私が倒します」
*
烏丸は淡々とした口調で語る。
「私はテイラー家という由緒正しい家に生まれた。妾の子ではあったが唯一の男子だったため跡取りとして育てられた。母の姿を見たことは一度もない。家のことしか考えていない父にとって私は一つの駒だった。親戚連中は遺産が欲しいらしく、跡取りである私の陰口を叩くばかり。使用人はロボットのよう。私を唯一気にかけてくれたのは姉だけだった。しかし、姉は家の『儀式』を受けてから変わってしまった。永遠の美貌と命を手に入れたのだ。姉は驚きの方が優っていたが私はすぐに気がついた。永遠の命なんて生き地獄だ。姉は将来、ひどく苦しむに違いない。全人類は姉がどんなに欲しても手に入れられないもの──いつか死ぬことができるという事実を持っている。私は考えた。ならば、権力者たちを、やがては全人類を不老不死にしてしまえばいい」
カルマたち三人は無言で耳を傾けていた。
「幸い、テイラー家の跡取りとなった私には権力があった。世界中から人材を集め、不老不死に関する研究をさせた。晩年、それらしき薬が出来上がったので、私は迷わず飲んだ。それからはテイラー家の当主が死んだと偽装し、日本に移り住んだ。黄金神教を作り、裏で人体実験を行った。さらなる薬の改良のために作った組織に姉を呼び、ベルモットという名を与えた。宮野夫妻が一錠で十歳分若返るAPTXを開発した。それでも、改良を重ねる必要があった。なぜ黄金神教で作り出した薬を改良する必要があったのか、なぜAPTXにも改良の必要があったのかわかるか?」
「黄金神教の方の薬は若返った後でも成長が続くからか?」
木村が答える。
相手が組織のボスだと確信してから、木村は敬語を取り払っていた。
「黄金神教で作られた薬の進化版であるAPTXを飲んだ人間は成長しない。帝丹小学校の健康診断も行なっている新出さんに変装していたベルモットがコナン君たちの正体に気がついたのはそれが理由だ。カルテを見たときに二人の身長が伸びていないことが分かったはずだからな」
「正解だ。一方で宮野夫婦が作り出した薬は飲んだら成長しない。それでもまだ、私は薬を世に出すことができなかった」
「老いはなくても、飲んだ人間が死のうと思えば死ねるから」
今度はカルマが答える。
「いくら不老不死を望んでいてもそうなってみれば生き地獄だと気がつき、命を断とうとする人間が続出するはず。だから飲んだ瞬間、傷を負ってもすぐさま修復され、毒を注入しても意味がない体になる薬に改良しようとしていた」
「じゃあ、宮野志保さんが作らされていた薬っていうのは……」
「赤羽が言った通りのものだ」
姉を孤独にしないために全人類を不老不死にする。その先にあるのが地獄だろうと構わない。それが烏丸の思いだった。
「もう少しだった。飲んだら若返ると同時に成長が止まる薬の開発に成功した。自律思考固定砲台が完璧な不老不死の薬を作り出したらすぐ権力者共に行き渡るようにレールも引いた。もう少しで、もう少しで……!」
「そんなことして、ベルモットは喜ぶのか? そもそも、ベルモットはお前が何をしようとしていたのか知っているのか?」
寺坂の問いに木村が答える。
「いや、知らないはずだ。彼女は不老不死の自分を羨んだため弟がここまでのことをしたと思い込んでいる」
「それならこいつがやってきたことは無駄じゃねえか。あの女も自分の大切な人に自分と同じ苦しみを味わって欲しくねえだろ」
ベルモットがエンジェルと呼ぶ少女、表の世界の友人である工藤有希子。彼女の息子で、ベルモットが気にかけているらしい工藤新一。
烏丸の脳裏に三人の存在が過ぎる。その瞬間、烏丸蓮耶という男は事実上息を引き取った。三人の男も、輝くシャンデリアも、冷めたコーヒーも、全てがモノクロに見えた。椅子の上にいるのは烏丸蓮耶と便利上呼ばれる容器にすぎない。
「ベルモットを救うもう一つの方法、考えたことないのか?」
寺坂が声をかける。
「怖くて自分で死ぬことができないなら、誰かに殺してもらえばいい」
師に殺されるとき穏やかな顔をしていた男を知っている寺坂だからこそ出てきた言葉だった。
*
「あった!」
長い階段を上り切り、最上階に到着したキッドが部屋に窓から潜入し、取り付けられた金庫を開けると、爆弾に貼り付けられている宝石が現れた。
「幹部捕獲作戦を始める前にホテル内の爆弾は全部解体したはずですが……」
「この部屋、カードキーがないと入れないしな。俺たちも窓から潜入したし。残っていたことも頷ける。にしても、なんで爆弾にパンドラを貼りつけてるんだ? 永遠の命を手に入れることができる鍵を破壊するようなマネ、普通するか?」
「快斗さん、黒ずくめの男たちが所属していた組織であり、あなたと敵対していた組織の裏についていた組織の目的、知っていますか?」
キッドは無言で首を横に振る。
「全人類を不老不死にすることですよ」
「は?」
「組織のボスは、不老不死となった人間が死にたいと願っても死ぬことができない世界を作りたがっているんです。永遠の命を得ることができるというパンドラを研究され、不老不死の薬の解毒剤が作り出されることを防ぐためにパンドラを破壊しようとしていたんでしょう」
鬼灯は説明しながら爆弾と宝石をくっつけていたガムテープを剥がす。
「すみませんが、パンドラはこちらで回収させていただきます。どうやら生活に困ったフラメルさんが現世に売った賢者の石がパンドラらしくて」
現世では破壊される予定であの世の人間が回収しようとしていたってことは俺の頑張りって無駄だったんじゃないかなーと快斗は思った。将来、マジシャンになる時の良い予行練習だったと信じたい。
一方、鬼灯は月明かりにかざして目当ての宝石であることを確認するとズボンのポケットにパンドラを押し込み、口を開く。
「それと、盗一さんからの伝言です。『次に会う時は私を超えるマジシャンになっていなさい』」
快斗が息を飲む。
ベルツリー一世号で話した内容だけでは足りず、ごねまくって伝言を頼んできたことは伝えないほうがいいだろうと鬼灯は判断した。
「そしてこれが千影さん宛ての手紙です。渡しておいてください」
「分厚っ!」
「あ、こっそり読んだりしないほうがいいですよ。クソ恥ずかしいポエムで愛が綴られていますから」
「あんた読んだのかよ!?」
「いや、盗一さんが職場でぶつくさ言いながら書いていたので知りたくもないのに内容を知ってしまったんです」
「父が、すみません……」
「ともかく、快斗さんは屋上まで行ってハンググライダーで脱出してください。私は爆弾解除が得意な知り合いに連絡して爆弾をどうにかした後、階段で下に降りながら亡者の回収をします」
*
トロピカルランド付近に居た人たちの避難先はカオスを極めていた。
高木と佐藤が一緒に避難誘導をしていたら二人がデートをしていると勘違いした佐藤美和子絶対防衛線の面々がやってきたのである。
佐藤美和子ファン兼刑事である彼らは避難誘導を手伝ってくれたが、ずっと高木に圧をかけていた。
「なあ伊達。捜査一課ってずっとあんな感じなのか?」
「ずっとあんな感じだ。松田が佐藤といい感じになっていた時もあの人たちすごかったぞ」
「マジか、全く気がつかなかった」
「お前、萩原の仇を討つことしか頭になかったもんな」
亡者となった鷹岡を捕まえる役割の火車が怠けないように見張るのが彼らの仕事である。
火車はすでにもう一人の触手生物を捕まえるべく普久間島に向かったので、二人は呑気に雑談しているのだ。
「あの様子なら、これからの捜査一課も大丈夫そうだな」
「嘘だろお前。なんであの光景見てそんなこと言えるんだよ」
「高木もしっかりやっているみたいだし。先輩である俺の役目は終わったってこった」
「いや、あのファンクラブどうすんだよ。やべえぞ。佐藤は全く気がついてないし」
「もうすぐ米花町の呪いが解かれて、事件ばっかり起きなくなるって話は知ってるか?」
「ああ」
「米花町も管轄していた警視庁、特に捜査一課の連中はメンタルがやばかった。そこで佐藤を崇めることで正気を保っていたんだろう」
「マジかよ」
「マジ。多分、あれもだいぶマシになると思うぜ」
ふと、ニット帽をかぶった不健康そうな男が松田の目に止まった。同時に、彼のまわりをフヨフヨと飛んでいる女性の亡者の姿も目に入る。
「なあ、あんたも亡者だろ? あの世に案内してやるから──」
松田の声を女性の懇願が遮る。
「一週間、一週間だけ待って。一週間後、妹の誕生日なの。その時あの子はテープを聴くわ。そして大きな心の傷を負ってしまう。だから、それまでにテープをどうにかしないといけないの」
「とりあえず、初めから話してみろ」
「わかった。でも、私たちの生い立ちからになるからそうとう長いわよ」
そうして女性の亡者──宮野明美は語り始めた。
しばらくすると、明美が死んだ後の話になる。
「私は、志保があんなに取り乱すだなんて思っていなかったの。冷静に私の死を受け止めて、組織に従うフリをしながら私が何か残していないか探ると思っていたわ。FBI捜査官の大くん──ニット帽をかぶった男性で私の元彼だけど──彼という切り札も用意していたから、志保は組織を抜けて証人保護プログラムを受けれると思っていた。結局は幼児化しちゃったんだけどね。……そして、ここからが本題なんだけど、私が死んだあと志保の手に渡るようにしておいたカセットテープがあるの。一から二十の番号が振ってあって、母から志保に向けたメッセージが誕生日ごとに録音されているもの。十八歳までは問題ないわ。でも、志保が十九歳になって、カセットテープを聞いたら両親や志保がどんな薬を作っていたのかが明らかになる。志保の手に渡る前に内容を確認した方がいいだろうと思って私も聞いたけど、恐ろしい内容だった」
松田と伊達は明美の言葉を無言で待つ。
明美は眉のあたりに決意の色を浮かべた。
「両親が作っていた薬は二つ。若返るけどそれ以上成長しなくなる薬と老け薬よ。この二つの薬と、ハッカーの力があれば、同じ人間が別人として生きていくことができる。やろうと思えば日本を牛耳れると思うわ。私はなんとしてでもその部分を志保に聞かせてはならない。でも、名前の由来とかも十九歳用のカセットテープには入っているからそこは聞かせてあげたいし……」
「分かった。とりあえず上の人に聞いてみるから普久間島に行くぞ。伊達、火車さん呼んでくれ。触手を移植した亡者を二人ともあの世に送り届けている頃だから、呼べばすぐに連れてってくれるだろ」
*
「いや、組織の本来の目的はそこじゃなかったし、どっちみち組織崩壊したし、薬のデータが出回ることはないから大丈夫ですよ。それより、志保ちゃんの名前の由来を教えてもらっても?」
菜々は明美からカセットテープの内容を聞き出して考える。灰原哀が元の姿に戻る決定的な理由ができたかもしれない。
*
「あれ? 他の方はどうしたんですか?」
降谷が目を丸くして尋ねた。
組織壊滅作戦が終了した今、書類作成のためにFBIと打ち合わせをする予定だったのだが集合場所にキャメルしかいなかったのだ。
「ジョディさんは潮田渚さんと話し込んでいて声をかけづらかったんだ。ベルモットを殺した後だし」
降谷はベルモットの安らかな死顔を思い出す。
不老不死である彼女が生きていると、新たな不老不死の人間が生まれる可能性がある。だからこそ、ベルモットは秘密裏に殺されることが決定していたのだ。
ジョディは復讐を誓っていたベルモットの表情や行動に思うところがあったのだろう。今回の件に関わることができたのがごく少人数だったせいで民間人でありながら鷹岡を手にかけた潮田渚と話し込んでいるのも頷ける。
「ジェームズさんは一時帰国中で、赤井さんは昨日姿をくらましたと思ったら今朝ひょこり帰ってきて、『ちょっと考えたいことがある』とか言ってまたどこかに行ってしまったから私だけが来た」
「おのれ赤井。僕はこの短い期間で二度もフランスに飛んだというのにあいつは仕事すらまともにしていないのか……!」
キャメルはなんとも言えない顔をした。ことあるごとにFBIを罵倒してくる降谷に良い感情を持っていないことは確かだが赤井の行動には思うところがあるのだ。
コナンは二人の様子をぼんやりと眺める。
全てが終わった。事後処理で大人たちは大変な思いをしているらしいが、APTXのデータを元に灰原が作る解毒剤を待つだけのコナンは何もすることがない。
ただ一つ突っ込ませて欲しい。
なぜ自分の家が黒の組織壊滅作戦に関わった面々の顔合わせ場になっているのだろうか。
チャイムが鳴った。今までの流れから予想すると、組織壊滅に携わった誰かが訪ねてきたのだろうと思いながら玄関に向かい、鍵を開ける。
「菜々?」
「新一君、烏間先生いる?」
「……いつから気づいてたんだよ」
「割と初めからかな」
「烏間さんならいねえぞ」
「あー、無駄足だったか」
「まあ、とりあえず上がってけよ。コーヒーくらい出してやる。すげえクマだぞ」
「事後処理とか大変だからね。でも、うちの職場忙しい時期は七十二時間ぶっ通しで働いて十二時間寝てまた七十二時間働くってサイクルだからそこまで負担じゃないよ」
「防衛省もやべえ」
実際、地獄は忙しかった。
現世でやばいことが起こったらすぐに把握できるように倶生神と連絡をとりやすくしたり、マニュアルを作成したり、触手生物のような奴が現れたときの対処法を話し合ったり、旧校舎がある山の地獄と現世を繋ぐ道を封印するための手続きをしたり。
倶生神がついていないため烏丸蓮耶はアメリカ地獄の管轄だったはずなのに、「烏丸蓮耶は長いこと日本にいたのにやべえ計画に気がつかなかったんだから日本地獄が担当してよ」とか向こうがほざいてきたのでその対処もあった。
リビングに着くと、菜々の足が止まる。
原因は明白だと思いながら、コナンは冷めた目で父親を見た。
「いやあ、まさか浅野さんがこんなにも話がわかる方だったとは。暗号『踊る人形』での文通、楽しみにしています」
「私もです。ところで、私が経営している塾で企画している講演会に参加していただけませんか?」
「ええ。全身全霊でホームズのすばらしさを伝えさせていただきます」
「いえ。ホームズはどうでもよくて……」
「ホームズがどうでもいい!? 何を言うんですか! コナン・ドイルがライヘンバッハの滝でホームズを殺した時なんて彼の元に『お前の選択肢はホームズを復活させるか死ぬかのどちらかだ』という手紙が大量に届いたり、毎週のようにホームズの葬列がコナン・ドイルの自宅周辺で行われたりしたんですよ!」
「あ、はい。そうですね」
「あの理事長がたじろいでる。優作さんすごい」
「図書室、行こうぜ」
コナンは逃げることにした。
*
「聞いたぜ。オメーが防衛省に勤めてるって話」
「いまさらだけど高校生が知っていい内容じゃないよ」
「組織の支部を潰すとき知恵を貸したりした関係でいろいろ情報が入ってくるようになったんだよ。オメーが中学生のときに何があったのかもだいたい聞いたし、トロピカルランドが破壊されまくったことも聞いた」
「まあ、あれは事件が起きまくって職を失う人が多い関係で再就職先を探しやすい米花町だからこそできた作戦だったよね」
階段に腰かけ、インスタントコーヒーを飲みながら二人は話す。どこもかしこも各国の捜査官が話し合いをしているため、静かな場所がここくらいしかなかったのだ。
「なあ、他の町の人と結婚する米花町民はゼロに近いってことが証明されてるって知ってるか?」
「普通に考えてそうだろうなとは思う」
「主な理由は二つ。些細なことが原因で殺人を犯す奴ばかりだから結婚したがる物好きはいないこと。そして、米花町民と結婚したら自分も米花町に移り住まないといけないことだ。また、幼馴染みと結婚する米花町民は七割ほど。さっき言ったように他の町の人との結婚は難しいから米花町の中から結婚相手を選ばなくてはならないわけだが、二分の一が加害者となる人種なので幼い頃から人となりを知っている相手が一番安全だと本能にインプットされているんだ。米花町民は無意識のうちに幼少期の行動によって相手を見極めている」
コナンは真剣な顔で話す。
「小学生の頃に黒歴史を量産しまくってたオメーが結婚できるわけがないと言われ続けているのはこれが理由だ」
「新一君は私に何か恨みでもあるの?」
「オメーと加々知さんは利害の一致で籍を入れたんじゃねえか?」
コナンは菜々の問いを無視して話し続ける。
「防衛省諜報部所属の加々知さんは超生物暗殺の一環でE組に定期的に顔を出していたんだろう。そこで、生粋の米花町民であることから顔に似合わず高スペックなオメーに目をつけ、将来自分の職場に引き入れようと思った。しかし一年後、不測の事態が発生する。菜々の父親の会社倒産。このままでは菜々は家族のために高校を中退して仕事についてしまう。そう思った加々知さんは考えたんだ。父親の借金を肩代わりする代わりに自分に手を貸してもらい、大学卒業後正式に防衛省に入ってもらおうってな。諜報部は過去を問わないから高校を中退していても入れるが出世はできない。菜々に可能性を見出していた加々知さんはもったいないと考え、オメーが一流大学を出られる環境を整えることにした。すなわち父親の借金肩代わり。しかし諜報部所属の人間は家族にすら仕事について教えることができない。加々知さんが借金肩代わりをする両親向けの理由が必要だった。そこで結婚だ。そもそも、同じ職場に夫婦や恋人がいると判断力が鈍るという理由で諜報部はそういった状況にならないようになっているはずだ。だから契約結婚であると見抜けた。まあ、推理したのは親父だけどな」
自分の両親も同じように勘違いしていたことを菜々は思い出す。仕事の関係で遠くに行くのだと説明しようとしたら自分たちの推理をいきなり語られたのだ。
「ここに来たのは烏間先生を探す目的もあったけど、新一君たちに挨拶したいってのもあったんだ。私、仕事の関係で遠くに行くから。多分、これから先、生きて会うことはないと思う」
菜々は地獄で結構高い役職についている。正確に言うと、あの世にも影響が出る可能性があることが現世で起こった場合解決にあたる最高責任者である。
主な権限としては、問題が解決するまでは簡単に現世に行くことができる、現世でとれる行動が通常ほど制限されていないというものが挙げられる。
だから組織が壊滅した今、菜々が現世に行く理由がなくなる。さらに矛盾が生じるのを防ぐため、「加藤(もしくは加々知)菜々」を知る人物が死ぬまではよっぽどのことがない限り現世に行くことができない。
つまり、菜々が姿を消すことは決定している。
「そっか。……それで、オメーに恨みがあるのかって話だけど」
「あ、戻るんだ」
「恨みはある。ホームズを馬鹿にしやがって!」
「あ、あー。えーと、志保ちゃんは元の姿に戻ることにしたの?」
「あからさまに話題変えたな。灰原は元の姿に戻る。母親からの誕生日テープで名前の由来を聞いたらしい。『志保って名前は両親からの初めての贈り物だから、簡単に捨てちゃいけないと思う』って言ってたぜ。もうすぐ解毒剤が完成するらしいし、メアリーさんはすでに元の姿に戻ってるし、殺せんせーが作ったアドバイスブックの『警察上層部が悪の組織に加担していたため上司に報告せずに悪の組織を潰した場合、罰を受けなくて済む方法』を元に親父や浅野さんが計画を立てたから全員元の生活に戻れたし、丸く収まりつつあるよ」
コーヒーが湯気を立てなくなった。菜々がコップに口をつける。
「もう会うことはないんだろ? だったら最後に話聞いてくれねえか?」
「あの世では会えると思うよ」
そう言った後、目で話を促すと、コナンはポツポツと話し始めた。
「俺さ、許されないことをしたんだ。赤井さんの死亡偽装のために死体損壊・遺棄をした。赤井さんと二人で計画を立てたんだ。でも、未成年がこの件に関わっているといろいろ問題があるらしくって俺の罪は無かったことにされた。昨日、赤井さんだけが遺族に頭を下げに行った。そして今朝、赤井さんに会った。頬が腫れてたよ」
コナンは懺悔したかった。しかるべき罰を受けたかった。
最近よく考える。江戸川コナンという人物はもうすぐ消える。江戸川コナンがいなくなったら彼の罪も一緒に消えるのだろうか。仮にそうだとしてもそんなのは間違っている。
「俺はホームズに憧れて、ずっとホームズみたいになりたいと思っていた。ホームズは同じ手を使ったと思うか? もっといい手があったんじゃねえか? そもそも、蘭の言う通り本の中の人に憧れるのが間違いだったんじゃ──」
「別に、本の中の人だろうと人間じゃなかろうと、憧れるものは憧れるし、相手に近づくためにがむしゃらに進み始めるものだよ。私もそうだった。もっといい手があるかもしれないけど止まっている時間が惜しくってとにかく行動する」
菜々は鬼になった日のことを思い出す。
あの時は無意識だった。無意識のうちに鬼灯に憧れ、彼に近づくためだけに悪手を選択したのだ。
「それに米花町民なら尊敬する人が実在しない人物なんてよくあるよ。尊敬していた人が父親を殺した犯人だったとかざらにあることだから、本能的に米花町民は米花町民に憧れを抱かないんだと思う」
「そうだな」
心が軽くなった。コナンの表情が晴れやかになる。
*
「コーヒーごちそうさま。じゃあね」
「ああ」
菜々が玄関の扉を開け、外に出る。
次の瞬間、コナンはとっさに動いていた。
靴を適当に履き、扉を勢いよく開けて声を張り上げる。
「菜々!」
「どうしたの?」
門に差し掛かっていた彼女が振り返り、尋ねた。
「何かが引っかかる。どこかがおかしい。……なあ、オメー、一体何者なんだ?」
「やっぱり気づかれちゃったか。昔のよしみで教えてあげるよ。……あの世でね」
そう言い残して、菜々は立ち去った。
彼女の後ろ姿を眺めながら、コナンは本能的に理解した。アイツとはもう二度と会えないのだ。