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椚ヶ丘市のとある山。ある時は私塾が、ある時は名門校の落ちこぼれ生徒が集まる教室が存在した場所だ。地獄と現世との境目でもある。そこでは今、同窓会が行われていた。
「こちらキノコディレクター! 狙撃中のギャルゲーの主人公を発見! 中二半、指示は!?」
「キノコディレクターは引き続き偵察ね。近くで潜伏中の性別が行く」
「貧乏委員だ! 赤松の林付近に勉強できるバカが出現!」
「さては錯乱しにきたな。五分間だけ持ちこたえて!」
磯貝はインカムからの指示に「了解」とだけ返し、かつてのクラスメイトと向き合う。
「加藤さんはこのゲームに参加していないはずだろ? なんで銃とナイフを装備してここに来たんだ?」
「そんなの……カルマ君チームが勝ったら『あははは☆うふふふ ♥ 彼ピッピのために裏社会に来ちゃった☆』系頭悪い十四歳を、莉桜ちゃんチームが勝ったら血をこよなく愛するマッドサイエンティストを演じないといけないからに決まってるでしょ! どっちもヤダ!」
「諦めも大事だと思うぞ……うん」
同窓会(という名の打ち合わせ)が始まって早々、「ちょっと菜々に黒の組織に潜入してきてもらうわ。潜入捜査官と思われなさそうなぶっ飛んだ設定決めといてちょうだい」とイリーナが告げ、悪ノリしたカルマを筆頭にダーツやらすごろくやらで候補が決められ、最終選考に残った二つの案のどちらを取るかを決めている最中なのだ。
あみだくじで分かれた二チームで戦い、どちらが勝つかによって菜々が演じるキャラが決まってしまうのである。
どちらも断固拒否して「依頼は全てこなす伝説の暗殺者」あたりを演じたい菜々は両チームを全滅させればいいじゃないかと思い至ったのだ。
「確か、地獄の住人は現世の事柄に必要以上に関わっちゃいけないって法律があるんだろ? それを理由に断ってみたら?」
「地獄側は乗り気なんだよ。組織関連は全部日本地獄に押し付けられてるから、現世の住人──新一君とか優作さんとかをごまかす理由づけもこっちがしないといけなくて。防衛省諜報部の一員って建前にしておいた方が楽なんだよね。私の両親、人間だからそっちもごまかさないといけないし。迷惑かけてる自覚はあるから強く言えなくて」
「うんうん」
菜々の「強く言う」は爆弾を巻きつけたロボットを敵陣に突撃させることだが、磯貝は深く突っ込まずに相槌だけにとどめた。
菜々はすでに武器を地面に置いて話す体制を取っている。
「毎年視察って名目でお盆に帰って、他の日は県外で事件に巻き込まれたこととかにしたり律に情報操作してもらったりして乗り切ってる状態だからさー。いっそのこと私が死んだことにしようかとも考えたけどそうする勇気もなくて……。というかそれ以前に役職的に断れない」
「うんうん……。ところで中村チーム全滅して俺たちのチームが勝ったらしいぞ」
「まさか……あの相槌は……!」
「カルマに頼まれて時間稼いでた。ごめん」
菜々は叫んだ。
公務員の拷問官の彼氏がいる頭が弱い十四歳の女の子として黒の組織に潜入しなくてはならなくなったのだ。こんな意味不明なキャラじゃなくってもっとカッコいいキャラが良かった。
*
「ビッチ先生。お慈悲を、お慈悲を……!」
「無駄に綺麗な土下座をキメてもダメよ。え、ちょっとそれどうなってんの!? ほんとに土下座!? 後ろに光輪が見えるんだけど!?」
かつての教室では菜々が額から生えたツノを地面に擦り付けていた。地獄では結構偉い立場なのにこれである。
「ねえ、この潜入捜査の目的覚えてる?」
「現世側と地獄側の利害が一致した結果です。捜査官同士が手を取り合うことが決定し、組織の壊滅が近づいているけど、組織の末端や取引相手が全て判明しているわけじゃない。また、組織を潰しても下っ端が逃げ延びれば第二、第三の黒の組織が誕生する可能性が残ってしまう。一方、地獄の思い通りになるように壊滅作戦に手を加えるため、私は作戦内で重要な位置につく必要がある。この二つの問題を踏まえた結果、私が組織に潜入することが決まりました」
「そうよ。あんたは組織の末端や取引相手を知ることができるくらい重要な地位に短期間で登りつめる必要がある。律に調べてもらった情報をあんたが調べ上げたってことにするためにね。そのためには、スパイだと疑われることは一切あってはならない。疑われないためにはどうするか。絶対に諜報部員じゃないと思わせる設定にするのよ。倫理観がぶっ飛んでいてもよし、未成年でもよし、とんでもない変人でもよし」
「そこであの設定ですか。……日本地獄としては、ビッチ先生と烏間先生へのゴマすり、触手を現世から確実に消滅させることも目的としています。あと、鬼灯さんあたりが絶対楽しんでる」
菜々の目が濁る。とんでも設定を忘れようと日本地獄の方針を述べていたのに、また思い出してしまったのだ。
「さあ、設定を確認するわよ。張方舞印。十四歳」
「ちょっと待ってください。偽名、そのまますぎません? あとせめて十六歳にして欲しいです。義務教育真っ只中の年齢で悪の組織の一員はさすがに無理があるかと」
張方舞印。読み方を変えれば「ちょうほうぶいん」。ふざけている。
「年齢の件は考慮するけど偽名は変えないわ。どうせ大丈夫だし。──特技は土下座と催眠術。一回り以上年上の恋人あり。尋ねると『彼ピッピはー、仕事熱心な公務員さん! 趣味は拷問と呪いの品集め。得意料理の脳味噌のみそ汁は絶品だよ!』とどう聞いてもヤベー返事をしてくる。自分を鬼と信じて疑わない。額のツノと尖った耳がトレードマーク。要するに、鬼の姿のままでいればいいのよ。知り合いのダイキリって幹部だけど、普段は警視庁にいるせいで顔を見せないらしいから素顔で行きなさい。ベルモットって幹部がマスクつけてるとすぐ見抜いてくるらしいからガッツリ変装するのは無理だし、未成年であることの裏付けになる顔をわざわざ隠す必要がないわ。組織に潜り込むまでの間に知り合いに会いそうになったらお面かぶればいいし。あのキャラならいけるわ。あ、米花町出身って言っておけば生い立ちを深く突っ込まれることはないはずだから」
「いやあの、バーボンにも会ったことあるんですけど」
「そんなの木村に上手くやってもらえばいいのよ」
木村が警察庁警備局警備企画課所属であることがカルマにバレたと律が言っていたことを思い出す。カルマ、烏間、イリーナの間で情報共有がされているのだろう。
このままだと木村が大変な目に遭うが、カルマと手を組もうと思ったなら避けては通れない道だ。
それよりも自分のことである。このままだと訳のわからないキャラを演じる羽目になる。
菜々は助けを求めて烏間に視線を向けた。笑いをこらえていた。
「じゃあ、演技の練習しよっか!」
「俺、今から潜入用の服装考えるけどなにか要望とかある?」
「強いて言うなら動きやすいやつ」
セーラー服にしか見えないデザイン画を描き始めた菅谷の横で、今や国際的な女優となったあかりから指導を受ける。
「いい? この設定には事実が結構混ざってるでしょ? 演技をするときに元の自分と共通点があるとグンと演じやすくなるの。全員がそうだとは限らないけど……。とにかく、すっごい女優さんにもバレないような演技に仕上げなくちゃ! 一度自己紹介やってみて」
「十六歳のマイちゃんだよ! 気軽にマイたんって呼んでね! 特技は土下座と催眠術! 彼ピッピがいるからお誘いには乗らないからよろしく!」
クルンと一回転して、両手の親指と人差し指を伸ばし、腕を曲げて右側に向ける。片足立ちして腰をくねらせ、ウインクをすることも忘れない。かつて新一から「何にも考えてなさそう」とお墨付きをもらったアホっぽい笑みを浮かべておいた。
「……うん」
「……とりあえず、ウインクの練習から始めよっか」
「笑って!? むしろ笑って!?」
「違和感が仕事しない」
「似合ってはいる。いつもバカっぽいオーラ出してるからめちゃくちゃしっくりくる。両目閉じてたけど」
菜々は胃薬でも注文しようかと思った。
かつて職員室の机に胃薬を常備していた烏間の気持ちがやっと理解できた。
*
「諸君 俺は美和子ちゃんが好きだ
諸君 俺は美和子ちゃんが好きだ
諸君 俺は美和子ちゃんが大好きだ。
あの顔が好きだ
あの目が好きだ
あの口が好きだ
あの声が好きだ
あの腕が好きだ
あの手が好きだ
あの指が好きだ
あの足が好きだ
あの髪が好きだ
警視庁で 現場で
会議で 街中で
道路で 列車で
船上で 遊園地で
飲み会で ラーメン屋で
この世で目撃できるありとあらゆる佐藤美和子が大好きだ。
ナイフを振り回す犯人に発砲し武器を奪う時の凜々しさが好きだ
犯人に関節技をかけている様子を目撃すると心がおどる
左手の薬指の意味を知らないピュアさが好きだ
悲鳴のような大声をあげて燃え盛る山から車で飛び出してきた時など胸がすくような気持ちだった
推理をしている横顔を盗み見るのが好きだ
悩ましげな眉に真っ直ぐな瞳、顎に軽く添えられている美しい手には感動すら覚える
敗北主義の逃亡犯達を捕まえていく様などはもうたまらない
怒り叫ぶ犯人達を諭し、現実を見つめさせ、更生に導く慈悲深さも最高だ
哀れな犯罪者達がナイフや拳銃で無謀にも抵抗してきたのをニューナンブM60で対抗し、見事制圧した時など絶頂すら覚える
妄想の中で美和子ちゃんを滅茶苦茶にするのが好きだ
父親の形見である手錠を見つめて物思いにふけっている様子を見るのははとてもとても悲しいものだ
辛い過去があるのにまっすぐ前を見つめているのが好きだ
高木に美和子ちゃんを取られたのは屈辱の極みだ 」
彼は訴える。佐藤美和子絶対防衛線はこのままで良いのか。佐藤への愛がいまいち感じられない山田にトップを任せたままで良いのか。否、断じて否。今こそ反旗を翻し、佐藤美和子絶対防衛線を新しく作り変えるべきなのだ。
「諸君 俺は戦争を 地獄の様な戦争を望んでいる
諸君 俺の同志である佐藤美和子信者諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なる戦争を望むか?
情け容赦のない糞の様な戦争を望むか?
警視庁だけにとどまらず全県警をも巻き込むであろう嵐の様な闘争を望むか?」
「「「戦争! 戦争! 戦争!」」」
「よろしい、ならば戦争だ。
我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ。
だがこの暗い闇の底で三ヶ月もの間堪え続けてきた我々にただの戦争ではもはや足りない!!
大戦争を!! 一心不乱の大戦争を!! 」
この日、警視庁はかつてないほどの人手不足に陥っていた。
黒の組織の幹部であり、周りを欺くために白鳥から佐藤美和子絶対防衛線トップの座を譲り受けた山田は謎の悪寒を感じた。
*
スネイクは困っていた。怪盗キッドを殺し損ねた時よりも困っていた。原因は最近部下となったマイである。仕事を任せると成果を上げてくるが、やり方がまずい。この前は組織を裏切ろうとしていた議員を殺せと命じたら、女性物の下着のみをつけて裏通りで狂ったように踊っている合成動画をネットにあげて社会的に殺していた。彼女はなぜか社会的抹殺を好むのだ。ついでに言うと性格もアレだ。
そして、頭痛の種である部下に向き合っている黒ずくめの男。彼はスネイクよりもずっと上の立場である。スネイクが属している組織の上についている組織の幹部なのだ。
「マイだったな。お前の噂は幹部まで届いている。早速だがこいつを社会的に殺してくれ」
「えーと、確かウォッ母さんだよねー? 銀髪の妖精さんは元気?」
「だめだ会話が成り立たねえ」
*
『新しい幹部のカルーア・ミルクです。この前、見事任務を遂行したことが評価されて昇格しました』
ラムが機械越しに告げる。手が空いているため集まることができた幹部は目の前の少女に眉をひそめた。
真っ黒のセーラー服を着て「気軽にカルーアタソって呼んでね。マイでもいいよ☆」と下手くそなウインクをしながらアホ丸出しの自己紹介をしてきた。口を半開きにしていることもアホっぽさに輪をかけている。
「コイツがかい?」
キャンティが不審な目を向ける。
『大丈夫です。ちょっと……かなりぶっ飛んでますがこう見えて仕事はできます』
ラムはそう告げると一方的に通信を切った。
「フン、せいぜい日本に湧いて出てきたFBIどもに気をつけることだな。お前のたりない脳みそのせいで、いつのまにかケルベロスが目の前にいた、なんてことになっても知らねえぜ」
「マイ、厨二語わかんなーい」
ジンがニヒルに笑いながら告げた言葉に、菜々はあっけらかんと返した。
「イギリス語とアメリカ語とー、オーストラリア語、あとツンデレ語ならわかるけどそれ以外の外国語、わかんなーい。ジンジンはなんて言ってたの?」
空気が凍りついた。キールは神妙な顔を作りながら、内部分裂が起きることを期待していた。
「……ハエはFBIのことだ」
沈黙に耐えきれなくなったウォッカが解説する。
「兄貴は、頭が悪そうなお前がヘマしてFBIとやりあって死ぬかもしれないから気をつけろと言っているんだ」
「じゃあハエがたかってる組織はう◯こ?」
「違う。黒い大砲だ」
ウォッカが慌てて訂正を入れるなかジンは懐の拳銃に手を伸ばす。その様子を横目で見つつ、バーボンは混乱していた。どう見てもこの前調べた加々知菜々だ。
裏社会の人間だが素性を偽って組織に入ったか、自分と同じ潜入捜査官か。彼女について探ろうとしたら防衛省から邪魔が入ったことを考えると防衛省諜報部の一員かもしれない。
新しく入ってきた変な幹部扱いするのが無難だろう。
「ウォッカ、後は任せた」
それだけ言ってジンは踵を返した。あいつ逃げやがった、とウォッカ以外全員思った。
「カルーア。これからいくつか質問をする」
ウォッカが丸椅子に腰掛ける。菜々もそれに続いた。
薄暗い酒場のような場所だ。棚には酒が陳列しており、所々にカラスを模したマークが見られる。いかにも厨二病が好みそうな場所だというのが菜々の感想だった。
「まずはいくつか質問する。お前ら、何か聞きたいことはあるか?」
ウォッカの問いにキールが挙手する。
「ずっと聞きたかったんだけど、そのツノと耳は?」
「マイ、鬼なんだよ」
「へー」
キールは適当にあしらうことにしたらしい。
「全く演技している様子が見られない。本気で信じてるわよ、あの子……」
ベルモットは恐怖で震えた。
「なるほど。あとで薬やっていないか調べる必要があるな。他に質問は?」
「はーい!」
菜々は先程出されたまんじゅうを頬張りながら手を挙げた。
「まだ自己紹介してもらってない。お母さんと今はいないロリコンなら知ってるけど」
「ロリコン?」
「シェリーシェリーうるさいってみんな言ってる」
「あぁ」
「おいコルン! 兄貴に失礼だろ! 何納得してやがる!!」
ウォッカがお母さんであることには誰も突っ込まない。キールはヒールで自分の足を踏み、笑いをこらえていた。
そんな中、ウォッカが怒りで赤くなっていた顔を真っ青にした。
「……お前、そのまんじゅう食べた瞬間死に至る猛毒が入ってるんだぞ!? なんで平気なんだ!?」
「え、入社試験に毒入りまんじゅう出すの? さすが悪の組織、すぐに人手が足りなくなって社員が過労死一直線の方針だねー」
「……何者だ? ただの馬鹿なガキじゃないことは確かだろ」
「だーかーらー、イケメンな彼ピッピがいるピッチピチの十六歳だって。まだ覚えてなかったの? 強いて言うなら米花町民」
これで幹部たちは察した。米花町民なら未成年のくせに悪事に手を染めるようになった理由も毒に免疫がある理由も説明がつく。
一通り自己紹介をしたところで話に戻った。
「えーと、バー◯ンドはなんで悪の組織の幹部やってるの? ホストやったほうがガッポガッポ稼げるよ」
「バーボンです。そういえば」
「おい、お前。今から検査に行くぞ」
ウォッカが話を遮る。この前会ったことを覚えているか尋ねようと思ったらこれだ。いつものことなのでバーボンは口をつぐんだ。
「何の?」
「乱用薬物検査」
「これは連絡先だよ。じゃあそういうことで!」
叫びながら、菜々は窓を突き破って飛び降りた。菜々は鬼である。検査結果は人間とは違うので、検査をしないに越したことはないのだ。
「あいつ、やっぱり薬やってやがる……」
ウォッカは決意した。あいつが薬をキメていることを証明して組織から追い出し、尊敬してやまない兄貴分の胃を守ることを。ジンはああ見えて任務にかこつけてジェットコースターに乗ろうとするくらいにはお茶目で純粋なのだ。
*
「寺坂くん、君はあの赤羽氏とクラスメイトだったらしいね」
「はい」
寺坂の声は硬い。彼は柄にもなく緊張していた。目の前に座る男の地位はかなり高いのだ。
「彼についてどう思っている?」
男の目が細められる。寺坂はこの瞳を嫌という程知っている。かつて「シロ」と名乗っていた男が自分に共戦を持ちかけてきた時と同じものだ。
彼が何かをたくらんでいることは確か。カルマを邪魔に思い、蹴落とそうと画策しているのだろうか。相手の真意を図るべく、寺坂は本心とかけ離れた答えを口にした。
「昔から嫌なやつです」
やっと使うことに違和感を覚えることが少なくなった敬語で話しながら、男の唇が歪み始めたことを確認する。
「相手を見下して馬鹿にする。俺はあいつらに地獄を見せるためにこの道を志しました。いつか、俺を馬鹿にしたことを後悔させてやる……!」
男の唇がより歪められる。
「そうか。それなら彼の弱みを見つけてくれ。その後、連絡をくれれば続きを話そう」
「それだけ聞いて俺が納得すると?」
「……官房長官である大黒連太郎氏を筆頭に、あらゆる業界の権力者たちで構成されるグループ。君も政治家の端くれなら噂くらい聞いたことがあるだろう」
寺坂は目を見開く。男が語ったグループの話をカルマから聞いたことがある。きな臭い動きをしているから探りたいのだと。
*
「なるほど。単純バカの寺坂を使って俺を潰しに来たか。それにあの人はまだ若い。暗殺教室のことは知らないに決まってる」
盗聴器が仕掛けられていないことを確認して早々カルマが語り始めた。寺坂は黙って耳を傾ける。
「オーケー。ダミーの情報を流そう。防衛省の人間と何度も密会している、とか」
防衛省の人間。すなわち烏間。この情報を知られたとしてもこちらは痛くもかゆくもないどころか、相手が詳しいことを知ろうとすれば防衛省から警告が届くだろう。
「……そういえばいいの? 俺のこと売るいい機会だよ? ここで相手の言う通り俺の本当の弱みを探って伝えれば寺坂は大出世。上層部の人間に目をかけてもらえるばかりか、いつも悪態をついてる原因である俺を排除できる」
「はっ! お前に弱みなんざねえだろ」
「まあね」
カルマは笑う。返り討ちにした不良を見るときも同じ顔をしていた。悪魔のツノと尻尾の幻覚が見え、寺坂は目を瞬いた。
そして、寺坂も笑ってみせた。
「俺は短絡的だ。目をかけてもらえるって言ってもどうせ操られるし、なんなら捨て駒にされる可能性がある。昔のようにな。……言っただろ? 操られる相手ぐらいは選びたいって」
*
「寺坂君。君の参加を嬉しく思うよ。……なぜ、昔からの友を売ってまでもこの会に?」
「友? あいつはそんなんじゃない。聞いたことくらいあるはずです。俺が彼を嫌っていると」
「ああ。確かに君達はしょっ中言い争っていると言われている。ただのじゃれあいだと思っていたが……。そうか。そんなに彼が憎いか」
「当然です。何をしてでもアイツを──赤羽を嵌める。できるならぶっ殺す。俺はそのためだけに動いているんですから」
「なるほど」
男──大黒は内心ほくそ笑んだ。彼の憎悪は本物らしい。これは良い捨て駒になる。
一方、寺坂のネクタイピンの形をした盗聴器越しに二人の会話を聞いていたカルマも心の中で舌を出す。
最後に笑うのは大黒ではない。自分たちだ。
「こちらキノコディレクター! 狙撃中のギャルゲーの主人公を発見! 中二半、指示は!?」
「キノコディレクターは引き続き偵察ね。近くで潜伏中の性別が行く」
「貧乏委員だ! 赤松の林付近に勉強できるバカが出現!」
「さては錯乱しにきたな。五分間だけ持ちこたえて!」
磯貝はインカムからの指示に「了解」とだけ返し、かつてのクラスメイトと向き合う。
「加藤さんはこのゲームに参加していないはずだろ? なんで銃とナイフを装備してここに来たんだ?」
「そんなの……カルマ君チームが勝ったら『あははは☆うふふふ ♥ 彼ピッピのために裏社会に来ちゃった☆』系頭悪い十四歳を、莉桜ちゃんチームが勝ったら血をこよなく愛するマッドサイエンティストを演じないといけないからに決まってるでしょ! どっちもヤダ!」
「諦めも大事だと思うぞ……うん」
同窓会(という名の打ち合わせ)が始まって早々、「ちょっと菜々に黒の組織に潜入してきてもらうわ。潜入捜査官と思われなさそうなぶっ飛んだ設定決めといてちょうだい」とイリーナが告げ、悪ノリしたカルマを筆頭にダーツやらすごろくやらで候補が決められ、最終選考に残った二つの案のどちらを取るかを決めている最中なのだ。
あみだくじで分かれた二チームで戦い、どちらが勝つかによって菜々が演じるキャラが決まってしまうのである。
どちらも断固拒否して「依頼は全てこなす伝説の暗殺者」あたりを演じたい菜々は両チームを全滅させればいいじゃないかと思い至ったのだ。
「確か、地獄の住人は現世の事柄に必要以上に関わっちゃいけないって法律があるんだろ? それを理由に断ってみたら?」
「地獄側は乗り気なんだよ。組織関連は全部日本地獄に押し付けられてるから、現世の住人──新一君とか優作さんとかをごまかす理由づけもこっちがしないといけなくて。防衛省諜報部の一員って建前にしておいた方が楽なんだよね。私の両親、人間だからそっちもごまかさないといけないし。迷惑かけてる自覚はあるから強く言えなくて」
「うんうん」
菜々の「強く言う」は爆弾を巻きつけたロボットを敵陣に突撃させることだが、磯貝は深く突っ込まずに相槌だけにとどめた。
菜々はすでに武器を地面に置いて話す体制を取っている。
「毎年視察って名目でお盆に帰って、他の日は県外で事件に巻き込まれたこととかにしたり律に情報操作してもらったりして乗り切ってる状態だからさー。いっそのこと私が死んだことにしようかとも考えたけどそうする勇気もなくて……。というかそれ以前に役職的に断れない」
「うんうん……。ところで中村チーム全滅して俺たちのチームが勝ったらしいぞ」
「まさか……あの相槌は……!」
「カルマに頼まれて時間稼いでた。ごめん」
菜々は叫んだ。
公務員の拷問官の彼氏がいる頭が弱い十四歳の女の子として黒の組織に潜入しなくてはならなくなったのだ。こんな意味不明なキャラじゃなくってもっとカッコいいキャラが良かった。
*
「ビッチ先生。お慈悲を、お慈悲を……!」
「無駄に綺麗な土下座をキメてもダメよ。え、ちょっとそれどうなってんの!? ほんとに土下座!? 後ろに光輪が見えるんだけど!?」
かつての教室では菜々が額から生えたツノを地面に擦り付けていた。地獄では結構偉い立場なのにこれである。
「ねえ、この潜入捜査の目的覚えてる?」
「現世側と地獄側の利害が一致した結果です。捜査官同士が手を取り合うことが決定し、組織の壊滅が近づいているけど、組織の末端や取引相手が全て判明しているわけじゃない。また、組織を潰しても下っ端が逃げ延びれば第二、第三の黒の組織が誕生する可能性が残ってしまう。一方、地獄の思い通りになるように壊滅作戦に手を加えるため、私は作戦内で重要な位置につく必要がある。この二つの問題を踏まえた結果、私が組織に潜入することが決まりました」
「そうよ。あんたは組織の末端や取引相手を知ることができるくらい重要な地位に短期間で登りつめる必要がある。律に調べてもらった情報をあんたが調べ上げたってことにするためにね。そのためには、スパイだと疑われることは一切あってはならない。疑われないためにはどうするか。絶対に諜報部員じゃないと思わせる設定にするのよ。倫理観がぶっ飛んでいてもよし、未成年でもよし、とんでもない変人でもよし」
「そこであの設定ですか。……日本地獄としては、ビッチ先生と烏間先生へのゴマすり、触手を現世から確実に消滅させることも目的としています。あと、鬼灯さんあたりが絶対楽しんでる」
菜々の目が濁る。とんでも設定を忘れようと日本地獄の方針を述べていたのに、また思い出してしまったのだ。
「さあ、設定を確認するわよ。張方舞印。十四歳」
「ちょっと待ってください。偽名、そのまますぎません? あとせめて十六歳にして欲しいです。義務教育真っ只中の年齢で悪の組織の一員はさすがに無理があるかと」
張方舞印。読み方を変えれば「ちょうほうぶいん」。ふざけている。
「年齢の件は考慮するけど偽名は変えないわ。どうせ大丈夫だし。──特技は土下座と催眠術。一回り以上年上の恋人あり。尋ねると『彼ピッピはー、仕事熱心な公務員さん! 趣味は拷問と呪いの品集め。得意料理の脳味噌のみそ汁は絶品だよ!』とどう聞いてもヤベー返事をしてくる。自分を鬼と信じて疑わない。額のツノと尖った耳がトレードマーク。要するに、鬼の姿のままでいればいいのよ。知り合いのダイキリって幹部だけど、普段は警視庁にいるせいで顔を見せないらしいから素顔で行きなさい。ベルモットって幹部がマスクつけてるとすぐ見抜いてくるらしいからガッツリ変装するのは無理だし、未成年であることの裏付けになる顔をわざわざ隠す必要がないわ。組織に潜り込むまでの間に知り合いに会いそうになったらお面かぶればいいし。あのキャラならいけるわ。あ、米花町出身って言っておけば生い立ちを深く突っ込まれることはないはずだから」
「いやあの、バーボンにも会ったことあるんですけど」
「そんなの木村に上手くやってもらえばいいのよ」
木村が警察庁警備局警備企画課所属であることがカルマにバレたと律が言っていたことを思い出す。カルマ、烏間、イリーナの間で情報共有がされているのだろう。
このままだと木村が大変な目に遭うが、カルマと手を組もうと思ったなら避けては通れない道だ。
それよりも自分のことである。このままだと訳のわからないキャラを演じる羽目になる。
菜々は助けを求めて烏間に視線を向けた。笑いをこらえていた。
「じゃあ、演技の練習しよっか!」
「俺、今から潜入用の服装考えるけどなにか要望とかある?」
「強いて言うなら動きやすいやつ」
セーラー服にしか見えないデザイン画を描き始めた菅谷の横で、今や国際的な女優となったあかりから指導を受ける。
「いい? この設定には事実が結構混ざってるでしょ? 演技をするときに元の自分と共通点があるとグンと演じやすくなるの。全員がそうだとは限らないけど……。とにかく、すっごい女優さんにもバレないような演技に仕上げなくちゃ! 一度自己紹介やってみて」
「十六歳のマイちゃんだよ! 気軽にマイたんって呼んでね! 特技は土下座と催眠術! 彼ピッピがいるからお誘いには乗らないからよろしく!」
クルンと一回転して、両手の親指と人差し指を伸ばし、腕を曲げて右側に向ける。片足立ちして腰をくねらせ、ウインクをすることも忘れない。かつて新一から「何にも考えてなさそう」とお墨付きをもらったアホっぽい笑みを浮かべておいた。
「……うん」
「……とりあえず、ウインクの練習から始めよっか」
「笑って!? むしろ笑って!?」
「違和感が仕事しない」
「似合ってはいる。いつもバカっぽいオーラ出してるからめちゃくちゃしっくりくる。両目閉じてたけど」
菜々は胃薬でも注文しようかと思った。
かつて職員室の机に胃薬を常備していた烏間の気持ちがやっと理解できた。
*
「諸君 俺は美和子ちゃんが好きだ
諸君 俺は美和子ちゃんが好きだ
諸君 俺は美和子ちゃんが大好きだ。
あの顔が好きだ
あの目が好きだ
あの口が好きだ
あの声が好きだ
あの腕が好きだ
あの手が好きだ
あの指が好きだ
あの足が好きだ
あの髪が好きだ
警視庁で 現場で
会議で 街中で
道路で 列車で
船上で 遊園地で
飲み会で ラーメン屋で
この世で目撃できるありとあらゆる佐藤美和子が大好きだ。
ナイフを振り回す犯人に発砲し武器を奪う時の凜々しさが好きだ
犯人に関節技をかけている様子を目撃すると心がおどる
左手の薬指の意味を知らないピュアさが好きだ
悲鳴のような大声をあげて燃え盛る山から車で飛び出してきた時など胸がすくような気持ちだった
推理をしている横顔を盗み見るのが好きだ
悩ましげな眉に真っ直ぐな瞳、顎に軽く添えられている美しい手には感動すら覚える
敗北主義の逃亡犯達を捕まえていく様などはもうたまらない
怒り叫ぶ犯人達を諭し、現実を見つめさせ、更生に導く慈悲深さも最高だ
哀れな犯罪者達がナイフや拳銃で無謀にも抵抗してきたのをニューナンブM60で対抗し、見事制圧した時など絶頂すら覚える
妄想の中で美和子ちゃんを滅茶苦茶にするのが好きだ
父親の形見である手錠を見つめて物思いにふけっている様子を見るのははとてもとても悲しいものだ
辛い過去があるのにまっすぐ前を見つめているのが好きだ
高木に美和子ちゃんを取られたのは屈辱の極みだ 」
彼は訴える。佐藤美和子絶対防衛線はこのままで良いのか。佐藤への愛がいまいち感じられない山田にトップを任せたままで良いのか。否、断じて否。今こそ反旗を翻し、佐藤美和子絶対防衛線を新しく作り変えるべきなのだ。
「諸君 俺は戦争を 地獄の様な戦争を望んでいる
諸君 俺の同志である佐藤美和子信者諸君
君達は一体何を望んでいる?
更なる戦争を望むか?
情け容赦のない糞の様な戦争を望むか?
警視庁だけにとどまらず全県警をも巻き込むであろう嵐の様な闘争を望むか?」
「「「戦争! 戦争! 戦争!」」」
「よろしい、ならば戦争だ。
我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ。
だがこの暗い闇の底で三ヶ月もの間堪え続けてきた我々にただの戦争ではもはや足りない!!
大戦争を!! 一心不乱の大戦争を!! 」
この日、警視庁はかつてないほどの人手不足に陥っていた。
黒の組織の幹部であり、周りを欺くために白鳥から佐藤美和子絶対防衛線トップの座を譲り受けた山田は謎の悪寒を感じた。
*
スネイクは困っていた。怪盗キッドを殺し損ねた時よりも困っていた。原因は最近部下となったマイである。仕事を任せると成果を上げてくるが、やり方がまずい。この前は組織を裏切ろうとしていた議員を殺せと命じたら、女性物の下着のみをつけて裏通りで狂ったように踊っている合成動画をネットにあげて社会的に殺していた。彼女はなぜか社会的抹殺を好むのだ。ついでに言うと性格もアレだ。
そして、頭痛の種である部下に向き合っている黒ずくめの男。彼はスネイクよりもずっと上の立場である。スネイクが属している組織の上についている組織の幹部なのだ。
「マイだったな。お前の噂は幹部まで届いている。早速だがこいつを社会的に殺してくれ」
「えーと、確かウォッ母さんだよねー? 銀髪の妖精さんは元気?」
「だめだ会話が成り立たねえ」
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『新しい幹部のカルーア・ミルクです。この前、見事任務を遂行したことが評価されて昇格しました』
ラムが機械越しに告げる。手が空いているため集まることができた幹部は目の前の少女に眉をひそめた。
真っ黒のセーラー服を着て「気軽にカルーアタソって呼んでね。マイでもいいよ☆」と下手くそなウインクをしながらアホ丸出しの自己紹介をしてきた。口を半開きにしていることもアホっぽさに輪をかけている。
「コイツがかい?」
キャンティが不審な目を向ける。
『大丈夫です。ちょっと……かなりぶっ飛んでますがこう見えて仕事はできます』
ラムはそう告げると一方的に通信を切った。
「フン、せいぜい日本に湧いて出てきたFBIどもに気をつけることだな。お前のたりない脳みそのせいで、いつのまにかケルベロスが目の前にいた、なんてことになっても知らねえぜ」
「マイ、厨二語わかんなーい」
ジンがニヒルに笑いながら告げた言葉に、菜々はあっけらかんと返した。
「イギリス語とアメリカ語とー、オーストラリア語、あとツンデレ語ならわかるけどそれ以外の外国語、わかんなーい。ジンジンはなんて言ってたの?」
空気が凍りついた。キールは神妙な顔を作りながら、内部分裂が起きることを期待していた。
「……ハエはFBIのことだ」
沈黙に耐えきれなくなったウォッカが解説する。
「兄貴は、頭が悪そうなお前がヘマしてFBIとやりあって死ぬかもしれないから気をつけろと言っているんだ」
「じゃあハエがたかってる組織はう◯こ?」
「違う。黒い大砲だ」
ウォッカが慌てて訂正を入れるなかジンは懐の拳銃に手を伸ばす。その様子を横目で見つつ、バーボンは混乱していた。どう見てもこの前調べた加々知菜々だ。
裏社会の人間だが素性を偽って組織に入ったか、自分と同じ潜入捜査官か。彼女について探ろうとしたら防衛省から邪魔が入ったことを考えると防衛省諜報部の一員かもしれない。
新しく入ってきた変な幹部扱いするのが無難だろう。
「ウォッカ、後は任せた」
それだけ言ってジンは踵を返した。あいつ逃げやがった、とウォッカ以外全員思った。
「カルーア。これからいくつか質問をする」
ウォッカが丸椅子に腰掛ける。菜々もそれに続いた。
薄暗い酒場のような場所だ。棚には酒が陳列しており、所々にカラスを模したマークが見られる。いかにも厨二病が好みそうな場所だというのが菜々の感想だった。
「まずはいくつか質問する。お前ら、何か聞きたいことはあるか?」
ウォッカの問いにキールが挙手する。
「ずっと聞きたかったんだけど、そのツノと耳は?」
「マイ、鬼なんだよ」
「へー」
キールは適当にあしらうことにしたらしい。
「全く演技している様子が見られない。本気で信じてるわよ、あの子……」
ベルモットは恐怖で震えた。
「なるほど。あとで薬やっていないか調べる必要があるな。他に質問は?」
「はーい!」
菜々は先程出されたまんじゅうを頬張りながら手を挙げた。
「まだ自己紹介してもらってない。お母さんと今はいないロリコンなら知ってるけど」
「ロリコン?」
「シェリーシェリーうるさいってみんな言ってる」
「あぁ」
「おいコルン! 兄貴に失礼だろ! 何納得してやがる!!」
ウォッカがお母さんであることには誰も突っ込まない。キールはヒールで自分の足を踏み、笑いをこらえていた。
そんな中、ウォッカが怒りで赤くなっていた顔を真っ青にした。
「……お前、そのまんじゅう食べた瞬間死に至る猛毒が入ってるんだぞ!? なんで平気なんだ!?」
「え、入社試験に毒入りまんじゅう出すの? さすが悪の組織、すぐに人手が足りなくなって社員が過労死一直線の方針だねー」
「……何者だ? ただの馬鹿なガキじゃないことは確かだろ」
「だーかーらー、イケメンな彼ピッピがいるピッチピチの十六歳だって。まだ覚えてなかったの? 強いて言うなら米花町民」
これで幹部たちは察した。米花町民なら未成年のくせに悪事に手を染めるようになった理由も毒に免疫がある理由も説明がつく。
一通り自己紹介をしたところで話に戻った。
「えーと、バー◯ンドはなんで悪の組織の幹部やってるの? ホストやったほうがガッポガッポ稼げるよ」
「バーボンです。そういえば」
「おい、お前。今から検査に行くぞ」
ウォッカが話を遮る。この前会ったことを覚えているか尋ねようと思ったらこれだ。いつものことなのでバーボンは口をつぐんだ。
「何の?」
「乱用薬物検査」
「これは連絡先だよ。じゃあそういうことで!」
叫びながら、菜々は窓を突き破って飛び降りた。菜々は鬼である。検査結果は人間とは違うので、検査をしないに越したことはないのだ。
「あいつ、やっぱり薬やってやがる……」
ウォッカは決意した。あいつが薬をキメていることを証明して組織から追い出し、尊敬してやまない兄貴分の胃を守ることを。ジンはああ見えて任務にかこつけてジェットコースターに乗ろうとするくらいにはお茶目で純粋なのだ。
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「寺坂くん、君はあの赤羽氏とクラスメイトだったらしいね」
「はい」
寺坂の声は硬い。彼は柄にもなく緊張していた。目の前に座る男の地位はかなり高いのだ。
「彼についてどう思っている?」
男の目が細められる。寺坂はこの瞳を嫌という程知っている。かつて「シロ」と名乗っていた男が自分に共戦を持ちかけてきた時と同じものだ。
彼が何かをたくらんでいることは確か。カルマを邪魔に思い、蹴落とそうと画策しているのだろうか。相手の真意を図るべく、寺坂は本心とかけ離れた答えを口にした。
「昔から嫌なやつです」
やっと使うことに違和感を覚えることが少なくなった敬語で話しながら、男の唇が歪み始めたことを確認する。
「相手を見下して馬鹿にする。俺はあいつらに地獄を見せるためにこの道を志しました。いつか、俺を馬鹿にしたことを後悔させてやる……!」
男の唇がより歪められる。
「そうか。それなら彼の弱みを見つけてくれ。その後、連絡をくれれば続きを話そう」
「それだけ聞いて俺が納得すると?」
「……官房長官である大黒連太郎氏を筆頭に、あらゆる業界の権力者たちで構成されるグループ。君も政治家の端くれなら噂くらい聞いたことがあるだろう」
寺坂は目を見開く。男が語ったグループの話をカルマから聞いたことがある。きな臭い動きをしているから探りたいのだと。
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「なるほど。単純バカの寺坂を使って俺を潰しに来たか。それにあの人はまだ若い。暗殺教室のことは知らないに決まってる」
盗聴器が仕掛けられていないことを確認して早々カルマが語り始めた。寺坂は黙って耳を傾ける。
「オーケー。ダミーの情報を流そう。防衛省の人間と何度も密会している、とか」
防衛省の人間。すなわち烏間。この情報を知られたとしてもこちらは痛くもかゆくもないどころか、相手が詳しいことを知ろうとすれば防衛省から警告が届くだろう。
「……そういえばいいの? 俺のこと売るいい機会だよ? ここで相手の言う通り俺の本当の弱みを探って伝えれば寺坂は大出世。上層部の人間に目をかけてもらえるばかりか、いつも悪態をついてる原因である俺を排除できる」
「はっ! お前に弱みなんざねえだろ」
「まあね」
カルマは笑う。返り討ちにした不良を見るときも同じ顔をしていた。悪魔のツノと尻尾の幻覚が見え、寺坂は目を瞬いた。
そして、寺坂も笑ってみせた。
「俺は短絡的だ。目をかけてもらえるって言ってもどうせ操られるし、なんなら捨て駒にされる可能性がある。昔のようにな。……言っただろ? 操られる相手ぐらいは選びたいって」
*
「寺坂君。君の参加を嬉しく思うよ。……なぜ、昔からの友を売ってまでもこの会に?」
「友? あいつはそんなんじゃない。聞いたことくらいあるはずです。俺が彼を嫌っていると」
「ああ。確かに君達はしょっ中言い争っていると言われている。ただのじゃれあいだと思っていたが……。そうか。そんなに彼が憎いか」
「当然です。何をしてでもアイツを──赤羽を嵌める。できるならぶっ殺す。俺はそのためだけに動いているんですから」
「なるほど」
男──大黒は内心ほくそ笑んだ。彼の憎悪は本物らしい。これは良い捨て駒になる。
一方、寺坂のネクタイピンの形をした盗聴器越しに二人の会話を聞いていたカルマも心の中で舌を出す。
最後に笑うのは大黒ではない。自分たちだ。