トリップ先のあれやこれ
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トランプクラブに着くが早いが、皆に外で待っているように言い残してからコナンは裏口から中の様子を探りに行った。
「なあ、アイツについて行かないか?」
諸星秀樹が取り巻き達に声をかけた。彼が拳銃を所持している事を知っている滝沢進也以外は乗り気ではなさそうだ。
小百合は止めようとしたが、すぐに思い直す。何を言っても彼らーー特に諸星は聞かないだろう。それどころか言い合いにでもなったら敵に見つかる可能性が増す。
中に入っていった三人は大丈夫だろうかと皆が気を揉んでいると、建物の中から銃声が聞こえて来た。
咄嗟に蘭が走り出す。
「俺達も行こうぜ!」
少年探偵団のリーダーを自称している元太に他の団員が続く。
江守晃と菊川清一郎も走り出した。
「全員参加ってまずくないか……」
「別にいいんじゃない?」
「私達で最後だよ。行こう」
男子の集団と喧嘩をする事が多いからか、情報判断力が高い小百合は難色を示したが皆について行くことにした。
トランプクラブでは乱闘が起こっていた。
小百合は襲いかかってくる男を避け、店の奥へと向かう。
「小百合ちゃん、どうしたの?」
横から飛び出して来た男の足を蹴り、バランスを崩して転んだのを確認して一子が尋ねる。
「いきなり奇襲を受けたらどうする? しかも敵はやり手でなかなか捕まえる事ができない」
「……助けを呼ぶ」
「そう! だから助けが来る前に扉を塞ぐなりして私達がどうにかしなくちゃいけない!」
彼女は奥に続く扉を見据えながら説明する。
「別に普通に全員倒しちゃえばいいんじゃない?」
二子の何気ない提案に小百合は目を見開いた。
「できるのか?」
「「うん」」
地獄最凶の鬼や米花町で生き抜いてきた事件ホイホイや最高の殺し屋から一種の英才教育を受けて来た座敷童子にとって、複数の大人を無力化するのはさほど難しい事ではなかった。
奥の部屋に滑り込み、音を立てないように細心の注意をはらって扉を閉める。
「ゲームに熱中しているおかげで、まだ別室の乱闘に気がついていないみたい」
扉の横に置いてあった観葉植物の物陰から室内の様子を伺っていた一子が敵の様子を小声で伝えた。残りの二人が頷いて見せる。
「敵は全員で八人。近くのテーブルでトランプをしている四人と、右側にあるテーブルについて話している男が四人」
「じゃあ私達が突っ込んで行くから、小百合ちゃんは扉を守っておいて」
おそらく武器であろう折り畳み傘のようなものを取り出した後、座敷童子達はリュックを床に置く。
小百合は了承するついでに、今まで抱えていたモヤのようなものの存在を思い出して何気なく尋ねてみた。
「そういやどこかで会った事あるか? 誰かに似てるような気がするんだ。顔じゃなくて雰囲気とか」
「私達は会った事ないよ」
そう告げると、二人は同時に飛び上がった。
「は?」
小百合は思わず素っ頓狂な声をあげる。
飛び上がったと思ったら、一子、二子とそれぞれ名乗っていた少女が天井を走り始めたのだ。
かと思いきや、天井から足を離し(落ちただけかもしれないが小百合にはそう見えた)トランプをしている手前の男達のうち、二人の上に勢いをつけて飛び乗る。
潰れたカエルのようなうめき声をあげたかと思うと、二人の男は静かになった。
「何だこいつら!?」
「とにかく捕まえろ!」
一瞬放心状態だったが、すぐに一人の男が声を張り上げる。
彼がこの中ではリーダー格なのだろうと予想し、座敷童子はそれぞれ手に持っていた折り畳み傘の持ち手を引っ張る。
伸ばした持ち手を握り、傘が折りたたまれているはずの部分で一子は脛を、二子はあろう事か股間を狙った。
折り畳み傘で殴ったにしてはやけに重い一撃。
あれは折り畳み傘ではなく鈍器なのだろうと物陰から様子を伺っている小百合は予想する。
先程の攻撃でリーダー格の男が倒れた。
「私、右側に行く」
「じゃあ私は左側」
二手に分かれる座敷童子。
折り畳み傘のような何かを振り回して攻撃し、縦横無尽に動き回る。
場合によっては机を持ち上げてぶん投げたり、頭突きで股間に強烈な一撃を放ったりしている。
座敷童子は、大の大人を吹っ飛ばしたり鉄でできた拷問道具を振り回したりできるほど怪力なのだ。
「クソッ!!」
「あ!」
全員の敵を倒し終わったかと思った矢先に、真っ先に倒された一人の男が扉に向かって走り出した。
「小百合ちゃん!」
頭に強い衝撃を受けたせいで足取りは若干おぼつかないものの、鬼気迫る表情で向かって来る男の目には、今まで見たことの無い炎が宿っていた。
小百合は思わず後ずさりそうになったが、グッと堪える。
「どけ!! 餓鬼ィ!」
「誰がどくか!」
小百合は男の鳩尾を殴った。そのパンチは近所のいじめっ子に毎回お見舞いしているものだ。
いつもなら相手は痛みに負けて戦意を失う攻撃だが、大人であり怒りに身を任せている男には効かなかった。
「女は引っ込んどけ!」
男が小百合を払いのけようと右手を振りかぶりながら怒鳴った。男の右腕と口が、やけにゆっくりと動いて見える。パラパラ漫画を一枚ずつ見ているようだ。
小百合の視界が真っ赤になる。男が放った言葉は彼女にとって一番言われたくない言葉だった。
どうせもう退場だ。しかし、目の前の男には一言言ってやらないと気が済まない。相手がデータだと分かっていても、小百合は怒りを抑えることができなかった。そして抑えるつもりもなかった。
「女って言うな! そんな事私が一番分かってんだよ! でも約束したんだ!!」
このステージでは傷を負ったら退場になる。
そして男の手は目前まで迫っている。
「一子! 二子! 後は任せたぞ!」
小百合はそう叫んで消えて行く……はずだった。
突然目の前の男が倒れ込んで来る。かと思うといきなり目線が高くなり、見えるものが全て逆さになる。
自分が逆さになっているのだと小百合が気がつくのに、そう時間はかからなかった。
「わっ!」
急に浮遊感に襲われる。つぶった目を開けてみると、二子に抱きかかえられる状態で床に着地していた。
「大丈夫?」
「あ、ありがと……」
二子に降ろされて、男に乗ったままの一子を確認する。
一子に後ろから攻撃されて倒れて来る男の下敷きにならないようにと二子が避難させてくれたのだ。
「とりあえず、関節外して動けないようにしておこう」
小百合は過激すぎる提案に言葉を失った。
「これに詳しい方法が載っているから見て」
渡された文庫本ほどの厚みの冊子にはタコの絵が書かれており、表紙にはでかでかと「殺せんせーの役に立つ実践講座~総まとめ編~」と書かれていた。
「殺せんせー?」
「それはあだ名。本当は分厚すぎて大きなアコーディオンみたいになってたんだけど、殺せんせーの弟子の人が重要なところだけまとめてくれたの」
「お財布に五百円しか無い時のお土産の選び方とか、デパ地下の試食コーナーだけでお昼を乗り切る方法とかどう考えてもいらないものがたくさんあったから……」
「え……関節の外し方は必要だって判断されたのか!?」
ゲームの中とはいえ人間の関節を外すなんて行為はしたくない。そんな小百合の思いが通じたのか、渡された本は白紙だった。
座敷童子に全て任せっきりになってしまったことに口では謝罪しつつ小百合が安堵した後、皆が居るはずの部屋に戻ってみると、さっきは見かけなかった老人がいた。
表口の方にいるということは、訪ねてきたばかりなのだろう。
他に目立つのは、机の上に乗ってワイン瓶を掲げているコナンと拳銃を構えているモラン大佐。
「モリアーティ様が皆様とお話がしたいとおっしゃっています」
金のボタンがついた、黒い洋服を着て帽子を目深にかぶった老人がお辞儀をしながら告げる。
「馬車でお待ちでございます。こちらへどうぞ」
「お待ちください!」
思わずといった様子で声を荒げたモラン大佐は、老人にモリアーティ教授に逆らうつもりかと問われて口をつぐんだ。
元太、歩美、光彦、菊川清一郎。四人も脱落者が出た事に驚いたが、触れられたくないだろうと思い、三人は何も言わない事にした。
老人の後を歩きながら先程の状況を整理する。
コナンが掲げていたワイン瓶は敵の一人が大事そうに抱えていたはずだ。
そして、男の数と席の数があっていなかった。さらに空席だったと思われる椅子は特別に装飾されていた。
空席にはモリアーティ教授が座る予定で、ワイン瓶は彼のために用意されたものなのだろうと想像がつく。
だからこそコナンは自分を撃てばワイン瓶が割れる状況を作り出したのだ。
そのコナンは、黒い洋服を着た従者のような老人がモリアーティ教授だと見抜き、ジャック・ザ・リッパーを捕まえるのに協力してもらう約束を取り付けていた。
明日の新聞にジャック・ザ・リッパーへのメッセージを載せるとだけ伝えてモリアーティ教授は去って行く。
「なあメガネ……。悪かったな。俺たちのせいで四人もゲームオーバーになって……」
諸星が代表して謝罪する。他の面々の顔にも悔やんでいると書いてあるのを見て、コナン達は暖かい言葉をかけた。
*
ゲーム内における次の日。皆は新聞の広告欄に「MよりJへ」と書かれた欄を確認した。
――今宵、オペラ劇場の掃除をされたし。
短い文章を読んですぐ今夜オペラ劇場で行われる劇の内容を調べてみるとアイリーン・アドラーの名前が出てきた。
「アイリーン・アドラーって誰なんだ?」
諸星の問いに、座敷童子達がすかさず答える。
「痴女だよ」
「裸で登場した人」
「あれはドラマで付け加えられたシーンであって、原作にはそんな描写一切ない! だいたいドラマでアイリーン・アドラーが裸だったのは、相手の洋服、アクセサリー、時計などの持ち物からどんな人生、生活を送っているか推測するホームズより有利な立場に立つためだ!」
コナンが反論する横で、座敷童子のホームズ知識には耳を貸さない方がいいと小百合は判断した。
「ホームズが唯一愛したと言われている女性よ」
蘭の説明でやっと少年達は納得した表情になる。
「なあ、お前らにその事を教えたのってまさか……」
「うん、この前話した保護者の中の一人」
「やっぱり俺、その人に決闘を申し込む」
「ちょっと江戸川君!?」
散々座敷童子のことを警戒していたくせに危険な橋を渡ろうとしているコナンに対して灰原が咎めるような声を出したが意味はなかった。
あたりが暗くなった頃。ビックベンの針に自分達の肩に五十人の命が懸かっていることを告げられ、皆は気を引き締めた。いざとなれば律がハッキングなりなんなりするので助かるだろうと思っている座敷童子以外だが。
オペラ劇場の中に入り込み、アイリーンの控え室に向かっていると男性に見つかってしまった。
ここからは関係者以外立ち入り禁止だと告げられるが、前もって用意していた花束を取り出してアイリーンの知り合いだと伝える。
「控え室なら一番奥で扉にポスターが貼ってあるよ」
ゲームの中というのもあるのだろうが警備がザルすぎた。
無事に控え室を見つけてアイリーンに警告したが、コナン達が守ってくれるのだからとアイリーンは舞台に出る。
また、殺せんせーから交渉術も教えられていた座敷童子の活躍のおかげで、舞台裏から様子を伺える事となった。
コナンがせわしなく目を動かしてジャック・ザ・リッパーを探していると、爆発音が会場に響く。
観客が騒ぎ出したとき、天井に取り付けられてきた照明器具がアイリーンめがけて落下してきた。弾かれたように駆け出した江守と滝沢。彼らはアイリーンを突き飛ばした代わりにゲームオーバーとなる。
アイリーンからお礼を言われて人を助ける喜びを知り、諸星に後を頼んだところで二人は消えた。
感傷に浸りたかったところだが、各地から聞こえてくる爆発音がそれを許してくれない。
どこかにいたらしいモリアーティ教授が「この世を地獄に変えろ」と厨二病のような事をのたまっていたが、優先順位は限りなく低かった。現実世界ではすぐにでも逮捕しなければいけない人物だが、このゲームの中では彼がどうなってもいい。殺されないように気をつけていれば良いだけの人物なのだ。
「早く裏口に!」
コナン、蘭、灰原の建物の爆破をよく経験している三人がアイリーンを先導している。
ゲームクリアの条件にアイリーンの安否も関係ないのだが、彼らにとってそんなことは関係ないようだ。もしも彼女を見捨てるとノアズ・アークから見放されてゲームを強制終了させられる可能性も少なからずあるが、彼らがそこまで考えているようには見えない。ただ単に目の前の人を見捨てることができないくらいお人好しなのだ。
そこまで考えて座敷童子は彼らが獄卒になるのは難しそうだという結論を出した。
意味はあるものの、自分の命の危険がない状態で一方的に相手を攻撃することを彼らは好まないだろう。
蘭は整った顔と自分の身を守る方法を持っていることから衆合地獄の誘惑係もいけそうだと考えていただけに残念だ。
裏方ならワンチャンあるかもしれないが、彼らはそんな性格ではない。しかも灰原は工藤新一と同じく縮んだ人間。
その証拠に、銅像の下敷きになりそうだったコナンの身代わりになった後、コナンのことを「工藤君」と呼んでいる。
縮んだのなら裏社会に関わっていた可能性が高い。工藤新一が縮んだのは偶然が重なったからであり、普通の人間がそんな目にあう確率なんてゼロに等しい。
新一の場合は、相手がたまたま検出できない毒を持っていてたまたま副作用で縮んだだけに過ぎない。
副作用が出る場合も珍しいだろうが、毒で殺されること自体が滅多にない。
周りに警察がいないのなら普通は拳銃で撃たれるし、殺人快楽者だったら酷い目に合わせて殺すかもしれない。薬漬けにされる可能性もあるし、洗脳される可能性も、一生モルモットにされる可能性もある。
さらに、被害者の周りの人間も問答無用で殺される可能性だってある。
よって、ただの一般人がたまたま薬を飲む可能性なんてたかが知れている。
それよりも、隠し持っていた毒薬を自殺するために飲んだり、副作用を知っていて一か八かの勝負に出た、という経緯の方があり得る話だ。
ということは、灰原は何らかの形で毒薬を入手することができた元裏社会の人間。今はともかく昔は悪事を働いていたのだろう。
だとすると裁判で地獄行きにならないかも怪しい。まあそこは地獄に戻ってから確認すれば良いことなので座敷童子達は置いておくことにした。
彼女達は「江戸川コナンの観察および、将来有望そうな子供のピックアップ」という仕事を全うしていた。
思考の海に繰り出している間に、無事劇場の外に避難することができた。
アイリーンを警察に託し、目線の先に居るジャック・ザ・リッパーに意識を集中させる。
今回で三人の犠牲が出てしまったので残りは六人となっていた。
*
ジャック・ザ・リッパーは電車に逃げ込む。コナン達も全員乗り込むことに成功するが、その間にジャック・ザ・リッパーが乗客に紛れ込んでしまった。
(見た目が)最年長者である蘭がそのことを伝え、乗客を一箇所に集めてもらうことに成功。
誰もジャック・ザ・リッパーの顔を見ていなかったのに見つけることができるのかという小百合の心配は杞憂に終わった。
コナンが車掌に耳打ちをして乗客に両手を上げてもらったところで、彼の目は真相を映し出した。
コナンは自分の推理をホームズの推理だと偽って語り出す。
二人目の犠牲者であるハニー・チャールストンの殺害現場に残された二つの指輪は同じデザインなのにサイズが合っていない。
これは、被害者とジャック・ザ・リッパーの親子の絆を象徴しているのだろう。
さらに、ハニーが殺害された日にホワイト・チャペル地区の教会で親子で作ったものを持ち寄るバザーが行われていた。
つまり、ジャック・ザ・リッパーは母親と一緒にバザーに参加したかったという気持ちを込めて指輪を置いた。
「ってことは一人目に無関係な女性を選んだのは捜査を撹乱させるため……」
「その通り」
小百合が呟いた内容をコナンは肯定する。
「でも犠牲者は三人目、四人目って……」
「モリアーティ教授がジャック・ザ・リッパーを異常性格犯罪者に育て上げてしまい、母親を殺しても似たような女性を殺すようになってしまったんだ」
諸星に犯人を問われ、コナンは獲物を狩る肉食動物のような顔つきをする。
「子供の頃から同じサイズの指輪をはめ続けていたらその指はどうなると思う?」
「「細くなる」」
座敷童子達が同時に答える。
「そう。ジャック・ザ・リッパーはお前だ!」
コナンが指差したのは儚げな女性。
一つに束ねられた長い髪。紅を塗られた唇。揺れるイヤリング。そんな中、凍りついた瞳が印象的だ。
彼女、いや彼は細くなった右手の薬指を見せると着ていたワンピースを破る。
袖の部分が網タイツのようなシャツの上にチェストリッグ。ベルトをした長ズボンに厚底ブーツ。
「「変態だ!」」
座敷童子達が叫んだ内容に誰もが心の中で同意した。
「変態に慈悲はない」
「本当は倒したところでよろけたふりをして股間を踏みたいけどそれは無理だね」
「それをやっても良いのは場慣れしている性犯罪者に対してって言われたじゃん」
「そうだった。それに今は鉄板を底に仕込んだ靴じゃないからそこまでの痛みを与えられない」
コナンはどこがとは言わないが急に寒気を感じた。
誰かが突っ込む前に目配せをして同時に懐から取り出した水風船を投げつける座敷童子達。しばらく一緒に行動してきた面々は、あれがただの水風船でないことを察した。
何が起こるのだろうかと戦々恐々としていたコナン達の予想に反し、水風船が破れて毒々しい色の液体がかかったジャック・ザ・リッパーに異変は見受けられなかった。
「やっぱり異臭を放つ液体も無臭になってる」
「残念だね」
「なんでそんな物持ってるんだよ!?」
小百合は今からラスボスとの戦いが始まろうとしていることを忘れて突っ込んだ。ジャック・ザ・リッパーですらあっけにとられて動きが止まっているのだから彼女は悪くない。
「米花町は物騒だからって保護者に持たされた」
「その保護者、危険物を持ちすぎてたから金属探知機に引っかかって半分くらい武器没収されてたけど」
「そういや金属探知機の近くが騒がしかったような……」
コナンはその騒ぎを知らない。大きな組織の一員であろう人間の顔を確認する機会を逃してしまったことに落胆したが、すぐに思考を切り替える。
「なあ、お前らたまに物騒な事を口にしてるけど、それも保護者の入れ知恵か?」
座敷童子の腹を探ろうとするコナン。もはやゲームの流れを忘れている。いつもなら彼を止める灰原がいないので状況は絶望的だが、ノアズ・アークは空気を読んで話を進めないでいてくれた。
「まあそうだね」
「割と事件に巻き込まれた時の対処に詳しい人が保護者の中にいるから色々教えてもらってる」
「隙あり!」
蘭が叫びながらジャック・ザ・リッパーに蹴りかかった事で、皆が今の状況を思い出す。
「ダメ、蘭姉ちゃん!」
コナンが血相を変えたが少し遅かった。
ジャック・ザ・リッパーは煙幕を張ることで視界を奪う。
急いで皆で窓を開け、煙が晴れた頃には蘭とジャック・ザ・リッパーの姿が見えないばかりか乗客も一人残らず消えていた。
蘭を探しつつ機関室に向かい列車を止めようという話になったが、いざ到着すると運転手がいないことが発覚した。
しかもブレーキが破壊されており、石炭を掻き出すスコップの類も無い。
だとすると、列車を止めるには機関車と客車の連結部分を切り離すしかない。そのためには力がある蘭を助け出さないといけない。
列車内は機関室に行く途中に全て探したので、消去法によって蘭がいるのは列車の上だと分かる。
皆が真実に気がつき、コナンが真っ先にはしごを登る。
「いた!!」
小さな人影を二つ確認し、皆がその方向に駆け出す。
「蘭姉ちゃん!」
「来ちゃダメ!」
「このお嬢さんとはロープで繋がっている。俺が落ちたら彼女も一緒に落ちるというわけだ」
ここで蘭を失うわけにはいかない。コナンは歯ぎしりをした。
「なあ、本当にあの人助けなきゃダメなのか?」
ジャック・ザ・リッパーと対面しているコナン達から少し離れた場所で小百合が呟く。
「このゲームのプレイヤーは高校生以下ってなってるけど、ほとんどが幼稚園児か小学生。力がある子供がこのステージに参加すると決まってるわけではないのに、解決方法が機関車と客車の連結部分を切り離すってだけなのはおかしい気がするんだけど」
「確かに」
「一理ある」
座敷童子も同意する。
「あとは蘭さんがジャック・ザ・リッパーを倒すために飛び降りる時に縄をナイフで切られないように気をつけ、子供だけでも助かる事ができる方法を考え出せば……!」
蘭と出会ってから少ししか経っていないが、小百合は蘭ならコナンを信頼して迷わず自分を犠牲にするだろうと確信していた。
「小百合ちゃんはなんでそんなに頭が切れるの?」
一子がずっと引っかかっていた疑問を口にする。
皆の頭脳であるコナンが攻撃されそうになったら助けられるように飛び道具を構えながら、二子も耳を傾ける。
「いろんな事を勉強したんだ。そしてどんな角度からでも物事を見るように気をつけている」
「お前の望みはなんだ?」
「生き続ける事だ! 俺に流れる凶悪な血をノアの方舟に乗せて次の世代へとな!」
そんな会話の後、ジャック・ザ・リッパーはナイフでコナンに切りかかる。蘭の存在もあってか、コナンは攻撃を避けることしかできない。
「逃げてばかりでは俺を捕まえられないぞ! 後十分で終着駅だ。運転士のいないこの列車はどうなるかな?」
全員の目の色が変わる。
「皆! 後ろ!!」
蘭の叫び声でトンネルが迫って来ていることに気がつき、とっさに身を伏せる。
しかし、トンネルを抜けた矢先にジャック・ザ・リッパーがコナンをねじ伏せた。
「ここまでだ、小僧!」
諸星が飛びかかろうとするが、それよりも早くありえない速度でパチンコ玉が飛んでくる。
「っなんだ!?」
ジャックザリッパーは反射的に玉を避けた。蘭の蹴りをかわした彼の反射神経はかなりの物らしい。
しかし、玉が擦った頬が薄く切れる。
「一子、あとはお願い」
さまざまな思いを込めてそれだけ口にすると二子は足に力を入れ、前に向かって跳んだ。
刹那、パチンコ玉を打った相手を確認するために振り返っていたジャック・ザ・リッパーは目を見開く。離れた場所にいた子供が目前に迫っていたのだ。
タックルを決められてバランスを崩し、衝撃のあまりコナンを押さえつけていた手を動かしてしまう。
「二子ちゃん!」
勢い余って列車から落ちていく二子。彼女を見て、蘭はとある出来事を思い出した。
あれは新一とトロピカルランドに行った時だ。
「俺はその時のホームズのセリフで気に入っているやつがあるんだ。なんだか分かるか?」
ジェットコースターに乗り、発車を待っている状態でもホームズの話をしてくる新一に呆れ返っていたため、彼の言葉を半分聞き流していたのだが、先ほどの出来事で思い出す。
「それはさ、『君を確実に破滅させる事が出来れば、公共の利益のために僕は喜んで死を受け入れよう』」
「コナン君、ライヘンバッハの滝よ!」
ライヘンバッハの滝。ホームズがモリアーティ教授との戦いで、彼と一緒に落ちて行ったとされていた滝だ。実際ホームズは助かっていたのだが、彼はその時自分も死ぬ覚悟だったという。
座敷童子から保護者に教えてもらったらしい変な情報も交えてその話を聞いていた小百合は、彼女が何をしようとしているのかに気がつく。
蘭の行動を無駄にするわけにはいかない。
小百合はジャック・ザ・リッパーへ向かって駆け出した。
立ち上がって微笑む蘭。血相を変えるコナン。蘭と繋がっているロープを切ろうとナイフを振り上げるジャック・ザ・リッパー。ナイフを握った彼の手に飛びかかる小百合。
「させるか!」
小百合の声に気を取られ、一瞬動きを止めたジャック・ザ・リッパーはすんでのところで避ける事ができず、ロープに引っ張られて彼女と一緒に奈落の底に消えて行った。
*
「おい、お前ら! 鬼に勝つための計画を立てるぞ!!」
「えー鬼に勝つなんて無理だよ。やめようよ碼紫愛君」
監視役の獄卒の目を盗みながら、賽の河原の子供達は鬼に勝って転生する計画を立てていた。しかし、ガキ大将の木村碼紫愛以外は乗り気ではない。
二年ほど前に獄卒を人質に取って反乱を起こしたが、対子供用リーサルウェポンという名の注射器の前に屈してしまったのだ。
「くっ! でもまだ勝機はある! 俺たちの味方をしてくれる鬼を見つけたんだ!!」
「「えっ!?」」
「いや、味方っていうよりただ単に面白そうだから関わってみたかっただけ……。減給とか嫌だから地獄の情報とかは教えられないけど、反乱の計画にアドバイスするくらいならできるよ」
碼紫愛の横から顔を出したのはまだ学生の鬼女。基本的に面白いか否かで行動している菜々である。
「そういう経験ならそれなりにあるつもりだよ。職員室をハイジャックしようとしたり市長に直接訴えるために会議中に乗り込んだりしてたから。あの時は若かった……」
「この人やばい人じゃん!」
「本当にこの人に協力してもらって大丈夫!?」
「多分……」
重い空気の中しばらく沈黙が続いた。
「取り敢えず、第二の刃を持つ事が大事らしいよ。恩師の受け売りだけど」
その後、殺せんせーに教えてもらった内容を話せば尊敬の眼差しを向けられた。
「スゲー! その先生って今何してんだ?」
「鬼灯さんにゴマ擦ってる」
「やっぱりあの鬼最強じゃねーか……」
「でもさ、転生してもあんまり良いことないよ」
菜々は遠い目をした。
「何をやっても増え続ける犯罪。爆発する建物。三日に一度くらいはお目にかかる変態。出かけたら必ず現れる死体……」
「そういやそうだった……」
「もうさ、碼紫愛君転生したら日本を牛耳って犯罪をなくしてよ。大事なのは知識欲と視野の広さ!」
「何だその無茶振り……」
それから数日後、鬼灯が少し早く転生の申請をしてくれたため、碼紫愛は現世に旅立つこととなった。
「あなたは面白い。ぜひ来世もヤンチャに過ごしてください」
ライバルだと認めた鬼からそんな言葉をかけられる。
「次の名前は爬例硫椰だと面白いと思います!」
「俺が決めるわけじゃねーよ! でもしいて言うなら雅治が良い!」
賑やか見送りの中、碼紫愛は決意する。
来世は日本を動かすほどの男になり、鬼灯という鬼と対等になれるような人生を送る。そのためには第二、第三の刃を研ぎ澄ますことも忘れない。
とある病院で小百合という名の男勝りな女の子が生まれるのは、数時間後の事である。
「なあ、アイツについて行かないか?」
諸星秀樹が取り巻き達に声をかけた。彼が拳銃を所持している事を知っている滝沢進也以外は乗り気ではなさそうだ。
小百合は止めようとしたが、すぐに思い直す。何を言っても彼らーー特に諸星は聞かないだろう。それどころか言い合いにでもなったら敵に見つかる可能性が増す。
中に入っていった三人は大丈夫だろうかと皆が気を揉んでいると、建物の中から銃声が聞こえて来た。
咄嗟に蘭が走り出す。
「俺達も行こうぜ!」
少年探偵団のリーダーを自称している元太に他の団員が続く。
江守晃と菊川清一郎も走り出した。
「全員参加ってまずくないか……」
「別にいいんじゃない?」
「私達で最後だよ。行こう」
男子の集団と喧嘩をする事が多いからか、情報判断力が高い小百合は難色を示したが皆について行くことにした。
トランプクラブでは乱闘が起こっていた。
小百合は襲いかかってくる男を避け、店の奥へと向かう。
「小百合ちゃん、どうしたの?」
横から飛び出して来た男の足を蹴り、バランスを崩して転んだのを確認して一子が尋ねる。
「いきなり奇襲を受けたらどうする? しかも敵はやり手でなかなか捕まえる事ができない」
「……助けを呼ぶ」
「そう! だから助けが来る前に扉を塞ぐなりして私達がどうにかしなくちゃいけない!」
彼女は奥に続く扉を見据えながら説明する。
「別に普通に全員倒しちゃえばいいんじゃない?」
二子の何気ない提案に小百合は目を見開いた。
「できるのか?」
「「うん」」
地獄最凶の鬼や米花町で生き抜いてきた事件ホイホイや最高の殺し屋から一種の英才教育を受けて来た座敷童子にとって、複数の大人を無力化するのはさほど難しい事ではなかった。
奥の部屋に滑り込み、音を立てないように細心の注意をはらって扉を閉める。
「ゲームに熱中しているおかげで、まだ別室の乱闘に気がついていないみたい」
扉の横に置いてあった観葉植物の物陰から室内の様子を伺っていた一子が敵の様子を小声で伝えた。残りの二人が頷いて見せる。
「敵は全員で八人。近くのテーブルでトランプをしている四人と、右側にあるテーブルについて話している男が四人」
「じゃあ私達が突っ込んで行くから、小百合ちゃんは扉を守っておいて」
おそらく武器であろう折り畳み傘のようなものを取り出した後、座敷童子達はリュックを床に置く。
小百合は了承するついでに、今まで抱えていたモヤのようなものの存在を思い出して何気なく尋ねてみた。
「そういやどこかで会った事あるか? 誰かに似てるような気がするんだ。顔じゃなくて雰囲気とか」
「私達は会った事ないよ」
そう告げると、二人は同時に飛び上がった。
「は?」
小百合は思わず素っ頓狂な声をあげる。
飛び上がったと思ったら、一子、二子とそれぞれ名乗っていた少女が天井を走り始めたのだ。
かと思いきや、天井から足を離し(落ちただけかもしれないが小百合にはそう見えた)トランプをしている手前の男達のうち、二人の上に勢いをつけて飛び乗る。
潰れたカエルのようなうめき声をあげたかと思うと、二人の男は静かになった。
「何だこいつら!?」
「とにかく捕まえろ!」
一瞬放心状態だったが、すぐに一人の男が声を張り上げる。
彼がこの中ではリーダー格なのだろうと予想し、座敷童子はそれぞれ手に持っていた折り畳み傘の持ち手を引っ張る。
伸ばした持ち手を握り、傘が折りたたまれているはずの部分で一子は脛を、二子はあろう事か股間を狙った。
折り畳み傘で殴ったにしてはやけに重い一撃。
あれは折り畳み傘ではなく鈍器なのだろうと物陰から様子を伺っている小百合は予想する。
先程の攻撃でリーダー格の男が倒れた。
「私、右側に行く」
「じゃあ私は左側」
二手に分かれる座敷童子。
折り畳み傘のような何かを振り回して攻撃し、縦横無尽に動き回る。
場合によっては机を持ち上げてぶん投げたり、頭突きで股間に強烈な一撃を放ったりしている。
座敷童子は、大の大人を吹っ飛ばしたり鉄でできた拷問道具を振り回したりできるほど怪力なのだ。
「クソッ!!」
「あ!」
全員の敵を倒し終わったかと思った矢先に、真っ先に倒された一人の男が扉に向かって走り出した。
「小百合ちゃん!」
頭に強い衝撃を受けたせいで足取りは若干おぼつかないものの、鬼気迫る表情で向かって来る男の目には、今まで見たことの無い炎が宿っていた。
小百合は思わず後ずさりそうになったが、グッと堪える。
「どけ!! 餓鬼ィ!」
「誰がどくか!」
小百合は男の鳩尾を殴った。そのパンチは近所のいじめっ子に毎回お見舞いしているものだ。
いつもなら相手は痛みに負けて戦意を失う攻撃だが、大人であり怒りに身を任せている男には効かなかった。
「女は引っ込んどけ!」
男が小百合を払いのけようと右手を振りかぶりながら怒鳴った。男の右腕と口が、やけにゆっくりと動いて見える。パラパラ漫画を一枚ずつ見ているようだ。
小百合の視界が真っ赤になる。男が放った言葉は彼女にとって一番言われたくない言葉だった。
どうせもう退場だ。しかし、目の前の男には一言言ってやらないと気が済まない。相手がデータだと分かっていても、小百合は怒りを抑えることができなかった。そして抑えるつもりもなかった。
「女って言うな! そんな事私が一番分かってんだよ! でも約束したんだ!!」
このステージでは傷を負ったら退場になる。
そして男の手は目前まで迫っている。
「一子! 二子! 後は任せたぞ!」
小百合はそう叫んで消えて行く……はずだった。
突然目の前の男が倒れ込んで来る。かと思うといきなり目線が高くなり、見えるものが全て逆さになる。
自分が逆さになっているのだと小百合が気がつくのに、そう時間はかからなかった。
「わっ!」
急に浮遊感に襲われる。つぶった目を開けてみると、二子に抱きかかえられる状態で床に着地していた。
「大丈夫?」
「あ、ありがと……」
二子に降ろされて、男に乗ったままの一子を確認する。
一子に後ろから攻撃されて倒れて来る男の下敷きにならないようにと二子が避難させてくれたのだ。
「とりあえず、関節外して動けないようにしておこう」
小百合は過激すぎる提案に言葉を失った。
「これに詳しい方法が載っているから見て」
渡された文庫本ほどの厚みの冊子にはタコの絵が書かれており、表紙にはでかでかと「殺せんせーの役に立つ実践講座~総まとめ編~」と書かれていた。
「殺せんせー?」
「それはあだ名。本当は分厚すぎて大きなアコーディオンみたいになってたんだけど、殺せんせーの弟子の人が重要なところだけまとめてくれたの」
「お財布に五百円しか無い時のお土産の選び方とか、デパ地下の試食コーナーだけでお昼を乗り切る方法とかどう考えてもいらないものがたくさんあったから……」
「え……関節の外し方は必要だって判断されたのか!?」
ゲームの中とはいえ人間の関節を外すなんて行為はしたくない。そんな小百合の思いが通じたのか、渡された本は白紙だった。
座敷童子に全て任せっきりになってしまったことに口では謝罪しつつ小百合が安堵した後、皆が居るはずの部屋に戻ってみると、さっきは見かけなかった老人がいた。
表口の方にいるということは、訪ねてきたばかりなのだろう。
他に目立つのは、机の上に乗ってワイン瓶を掲げているコナンと拳銃を構えているモラン大佐。
「モリアーティ様が皆様とお話がしたいとおっしゃっています」
金のボタンがついた、黒い洋服を着て帽子を目深にかぶった老人がお辞儀をしながら告げる。
「馬車でお待ちでございます。こちらへどうぞ」
「お待ちください!」
思わずといった様子で声を荒げたモラン大佐は、老人にモリアーティ教授に逆らうつもりかと問われて口をつぐんだ。
元太、歩美、光彦、菊川清一郎。四人も脱落者が出た事に驚いたが、触れられたくないだろうと思い、三人は何も言わない事にした。
老人の後を歩きながら先程の状況を整理する。
コナンが掲げていたワイン瓶は敵の一人が大事そうに抱えていたはずだ。
そして、男の数と席の数があっていなかった。さらに空席だったと思われる椅子は特別に装飾されていた。
空席にはモリアーティ教授が座る予定で、ワイン瓶は彼のために用意されたものなのだろうと想像がつく。
だからこそコナンは自分を撃てばワイン瓶が割れる状況を作り出したのだ。
そのコナンは、黒い洋服を着た従者のような老人がモリアーティ教授だと見抜き、ジャック・ザ・リッパーを捕まえるのに協力してもらう約束を取り付けていた。
明日の新聞にジャック・ザ・リッパーへのメッセージを載せるとだけ伝えてモリアーティ教授は去って行く。
「なあメガネ……。悪かったな。俺たちのせいで四人もゲームオーバーになって……」
諸星が代表して謝罪する。他の面々の顔にも悔やんでいると書いてあるのを見て、コナン達は暖かい言葉をかけた。
*
ゲーム内における次の日。皆は新聞の広告欄に「MよりJへ」と書かれた欄を確認した。
――今宵、オペラ劇場の掃除をされたし。
短い文章を読んですぐ今夜オペラ劇場で行われる劇の内容を調べてみるとアイリーン・アドラーの名前が出てきた。
「アイリーン・アドラーって誰なんだ?」
諸星の問いに、座敷童子達がすかさず答える。
「痴女だよ」
「裸で登場した人」
「あれはドラマで付け加えられたシーンであって、原作にはそんな描写一切ない! だいたいドラマでアイリーン・アドラーが裸だったのは、相手の洋服、アクセサリー、時計などの持ち物からどんな人生、生活を送っているか推測するホームズより有利な立場に立つためだ!」
コナンが反論する横で、座敷童子のホームズ知識には耳を貸さない方がいいと小百合は判断した。
「ホームズが唯一愛したと言われている女性よ」
蘭の説明でやっと少年達は納得した表情になる。
「なあ、お前らにその事を教えたのってまさか……」
「うん、この前話した保護者の中の一人」
「やっぱり俺、その人に決闘を申し込む」
「ちょっと江戸川君!?」
散々座敷童子のことを警戒していたくせに危険な橋を渡ろうとしているコナンに対して灰原が咎めるような声を出したが意味はなかった。
あたりが暗くなった頃。ビックベンの針に自分達の肩に五十人の命が懸かっていることを告げられ、皆は気を引き締めた。いざとなれば律がハッキングなりなんなりするので助かるだろうと思っている座敷童子以外だが。
オペラ劇場の中に入り込み、アイリーンの控え室に向かっていると男性に見つかってしまった。
ここからは関係者以外立ち入り禁止だと告げられるが、前もって用意していた花束を取り出してアイリーンの知り合いだと伝える。
「控え室なら一番奥で扉にポスターが貼ってあるよ」
ゲームの中というのもあるのだろうが警備がザルすぎた。
無事に控え室を見つけてアイリーンに警告したが、コナン達が守ってくれるのだからとアイリーンは舞台に出る。
また、殺せんせーから交渉術も教えられていた座敷童子の活躍のおかげで、舞台裏から様子を伺える事となった。
コナンがせわしなく目を動かしてジャック・ザ・リッパーを探していると、爆発音が会場に響く。
観客が騒ぎ出したとき、天井に取り付けられてきた照明器具がアイリーンめがけて落下してきた。弾かれたように駆け出した江守と滝沢。彼らはアイリーンを突き飛ばした代わりにゲームオーバーとなる。
アイリーンからお礼を言われて人を助ける喜びを知り、諸星に後を頼んだところで二人は消えた。
感傷に浸りたかったところだが、各地から聞こえてくる爆発音がそれを許してくれない。
どこかにいたらしいモリアーティ教授が「この世を地獄に変えろ」と厨二病のような事をのたまっていたが、優先順位は限りなく低かった。現実世界ではすぐにでも逮捕しなければいけない人物だが、このゲームの中では彼がどうなってもいい。殺されないように気をつけていれば良いだけの人物なのだ。
「早く裏口に!」
コナン、蘭、灰原の建物の爆破をよく経験している三人がアイリーンを先導している。
ゲームクリアの条件にアイリーンの安否も関係ないのだが、彼らにとってそんなことは関係ないようだ。もしも彼女を見捨てるとノアズ・アークから見放されてゲームを強制終了させられる可能性も少なからずあるが、彼らがそこまで考えているようには見えない。ただ単に目の前の人を見捨てることができないくらいお人好しなのだ。
そこまで考えて座敷童子は彼らが獄卒になるのは難しそうだという結論を出した。
意味はあるものの、自分の命の危険がない状態で一方的に相手を攻撃することを彼らは好まないだろう。
蘭は整った顔と自分の身を守る方法を持っていることから衆合地獄の誘惑係もいけそうだと考えていただけに残念だ。
裏方ならワンチャンあるかもしれないが、彼らはそんな性格ではない。しかも灰原は工藤新一と同じく縮んだ人間。
その証拠に、銅像の下敷きになりそうだったコナンの身代わりになった後、コナンのことを「工藤君」と呼んでいる。
縮んだのなら裏社会に関わっていた可能性が高い。工藤新一が縮んだのは偶然が重なったからであり、普通の人間がそんな目にあう確率なんてゼロに等しい。
新一の場合は、相手がたまたま検出できない毒を持っていてたまたま副作用で縮んだだけに過ぎない。
副作用が出る場合も珍しいだろうが、毒で殺されること自体が滅多にない。
周りに警察がいないのなら普通は拳銃で撃たれるし、殺人快楽者だったら酷い目に合わせて殺すかもしれない。薬漬けにされる可能性もあるし、洗脳される可能性も、一生モルモットにされる可能性もある。
さらに、被害者の周りの人間も問答無用で殺される可能性だってある。
よって、ただの一般人がたまたま薬を飲む可能性なんてたかが知れている。
それよりも、隠し持っていた毒薬を自殺するために飲んだり、副作用を知っていて一か八かの勝負に出た、という経緯の方があり得る話だ。
ということは、灰原は何らかの形で毒薬を入手することができた元裏社会の人間。今はともかく昔は悪事を働いていたのだろう。
だとすると裁判で地獄行きにならないかも怪しい。まあそこは地獄に戻ってから確認すれば良いことなので座敷童子達は置いておくことにした。
彼女達は「江戸川コナンの観察および、将来有望そうな子供のピックアップ」という仕事を全うしていた。
思考の海に繰り出している間に、無事劇場の外に避難することができた。
アイリーンを警察に託し、目線の先に居るジャック・ザ・リッパーに意識を集中させる。
今回で三人の犠牲が出てしまったので残りは六人となっていた。
*
ジャック・ザ・リッパーは電車に逃げ込む。コナン達も全員乗り込むことに成功するが、その間にジャック・ザ・リッパーが乗客に紛れ込んでしまった。
(見た目が)最年長者である蘭がそのことを伝え、乗客を一箇所に集めてもらうことに成功。
誰もジャック・ザ・リッパーの顔を見ていなかったのに見つけることができるのかという小百合の心配は杞憂に終わった。
コナンが車掌に耳打ちをして乗客に両手を上げてもらったところで、彼の目は真相を映し出した。
コナンは自分の推理をホームズの推理だと偽って語り出す。
二人目の犠牲者であるハニー・チャールストンの殺害現場に残された二つの指輪は同じデザインなのにサイズが合っていない。
これは、被害者とジャック・ザ・リッパーの親子の絆を象徴しているのだろう。
さらに、ハニーが殺害された日にホワイト・チャペル地区の教会で親子で作ったものを持ち寄るバザーが行われていた。
つまり、ジャック・ザ・リッパーは母親と一緒にバザーに参加したかったという気持ちを込めて指輪を置いた。
「ってことは一人目に無関係な女性を選んだのは捜査を撹乱させるため……」
「その通り」
小百合が呟いた内容をコナンは肯定する。
「でも犠牲者は三人目、四人目って……」
「モリアーティ教授がジャック・ザ・リッパーを異常性格犯罪者に育て上げてしまい、母親を殺しても似たような女性を殺すようになってしまったんだ」
諸星に犯人を問われ、コナンは獲物を狩る肉食動物のような顔つきをする。
「子供の頃から同じサイズの指輪をはめ続けていたらその指はどうなると思う?」
「「細くなる」」
座敷童子達が同時に答える。
「そう。ジャック・ザ・リッパーはお前だ!」
コナンが指差したのは儚げな女性。
一つに束ねられた長い髪。紅を塗られた唇。揺れるイヤリング。そんな中、凍りついた瞳が印象的だ。
彼女、いや彼は細くなった右手の薬指を見せると着ていたワンピースを破る。
袖の部分が網タイツのようなシャツの上にチェストリッグ。ベルトをした長ズボンに厚底ブーツ。
「「変態だ!」」
座敷童子達が叫んだ内容に誰もが心の中で同意した。
「変態に慈悲はない」
「本当は倒したところでよろけたふりをして股間を踏みたいけどそれは無理だね」
「それをやっても良いのは場慣れしている性犯罪者に対してって言われたじゃん」
「そうだった。それに今は鉄板を底に仕込んだ靴じゃないからそこまでの痛みを与えられない」
コナンはどこがとは言わないが急に寒気を感じた。
誰かが突っ込む前に目配せをして同時に懐から取り出した水風船を投げつける座敷童子達。しばらく一緒に行動してきた面々は、あれがただの水風船でないことを察した。
何が起こるのだろうかと戦々恐々としていたコナン達の予想に反し、水風船が破れて毒々しい色の液体がかかったジャック・ザ・リッパーに異変は見受けられなかった。
「やっぱり異臭を放つ液体も無臭になってる」
「残念だね」
「なんでそんな物持ってるんだよ!?」
小百合は今からラスボスとの戦いが始まろうとしていることを忘れて突っ込んだ。ジャック・ザ・リッパーですらあっけにとられて動きが止まっているのだから彼女は悪くない。
「米花町は物騒だからって保護者に持たされた」
「その保護者、危険物を持ちすぎてたから金属探知機に引っかかって半分くらい武器没収されてたけど」
「そういや金属探知機の近くが騒がしかったような……」
コナンはその騒ぎを知らない。大きな組織の一員であろう人間の顔を確認する機会を逃してしまったことに落胆したが、すぐに思考を切り替える。
「なあ、お前らたまに物騒な事を口にしてるけど、それも保護者の入れ知恵か?」
座敷童子の腹を探ろうとするコナン。もはやゲームの流れを忘れている。いつもなら彼を止める灰原がいないので状況は絶望的だが、ノアズ・アークは空気を読んで話を進めないでいてくれた。
「まあそうだね」
「割と事件に巻き込まれた時の対処に詳しい人が保護者の中にいるから色々教えてもらってる」
「隙あり!」
蘭が叫びながらジャック・ザ・リッパーに蹴りかかった事で、皆が今の状況を思い出す。
「ダメ、蘭姉ちゃん!」
コナンが血相を変えたが少し遅かった。
ジャック・ザ・リッパーは煙幕を張ることで視界を奪う。
急いで皆で窓を開け、煙が晴れた頃には蘭とジャック・ザ・リッパーの姿が見えないばかりか乗客も一人残らず消えていた。
蘭を探しつつ機関室に向かい列車を止めようという話になったが、いざ到着すると運転手がいないことが発覚した。
しかもブレーキが破壊されており、石炭を掻き出すスコップの類も無い。
だとすると、列車を止めるには機関車と客車の連結部分を切り離すしかない。そのためには力がある蘭を助け出さないといけない。
列車内は機関室に行く途中に全て探したので、消去法によって蘭がいるのは列車の上だと分かる。
皆が真実に気がつき、コナンが真っ先にはしごを登る。
「いた!!」
小さな人影を二つ確認し、皆がその方向に駆け出す。
「蘭姉ちゃん!」
「来ちゃダメ!」
「このお嬢さんとはロープで繋がっている。俺が落ちたら彼女も一緒に落ちるというわけだ」
ここで蘭を失うわけにはいかない。コナンは歯ぎしりをした。
「なあ、本当にあの人助けなきゃダメなのか?」
ジャック・ザ・リッパーと対面しているコナン達から少し離れた場所で小百合が呟く。
「このゲームのプレイヤーは高校生以下ってなってるけど、ほとんどが幼稚園児か小学生。力がある子供がこのステージに参加すると決まってるわけではないのに、解決方法が機関車と客車の連結部分を切り離すってだけなのはおかしい気がするんだけど」
「確かに」
「一理ある」
座敷童子も同意する。
「あとは蘭さんがジャック・ザ・リッパーを倒すために飛び降りる時に縄をナイフで切られないように気をつけ、子供だけでも助かる事ができる方法を考え出せば……!」
蘭と出会ってから少ししか経っていないが、小百合は蘭ならコナンを信頼して迷わず自分を犠牲にするだろうと確信していた。
「小百合ちゃんはなんでそんなに頭が切れるの?」
一子がずっと引っかかっていた疑問を口にする。
皆の頭脳であるコナンが攻撃されそうになったら助けられるように飛び道具を構えながら、二子も耳を傾ける。
「いろんな事を勉強したんだ。そしてどんな角度からでも物事を見るように気をつけている」
「お前の望みはなんだ?」
「生き続ける事だ! 俺に流れる凶悪な血をノアの方舟に乗せて次の世代へとな!」
そんな会話の後、ジャック・ザ・リッパーはナイフでコナンに切りかかる。蘭の存在もあってか、コナンは攻撃を避けることしかできない。
「逃げてばかりでは俺を捕まえられないぞ! 後十分で終着駅だ。運転士のいないこの列車はどうなるかな?」
全員の目の色が変わる。
「皆! 後ろ!!」
蘭の叫び声でトンネルが迫って来ていることに気がつき、とっさに身を伏せる。
しかし、トンネルを抜けた矢先にジャック・ザ・リッパーがコナンをねじ伏せた。
「ここまでだ、小僧!」
諸星が飛びかかろうとするが、それよりも早くありえない速度でパチンコ玉が飛んでくる。
「っなんだ!?」
ジャックザリッパーは反射的に玉を避けた。蘭の蹴りをかわした彼の反射神経はかなりの物らしい。
しかし、玉が擦った頬が薄く切れる。
「一子、あとはお願い」
さまざまな思いを込めてそれだけ口にすると二子は足に力を入れ、前に向かって跳んだ。
刹那、パチンコ玉を打った相手を確認するために振り返っていたジャック・ザ・リッパーは目を見開く。離れた場所にいた子供が目前に迫っていたのだ。
タックルを決められてバランスを崩し、衝撃のあまりコナンを押さえつけていた手を動かしてしまう。
「二子ちゃん!」
勢い余って列車から落ちていく二子。彼女を見て、蘭はとある出来事を思い出した。
あれは新一とトロピカルランドに行った時だ。
「俺はその時のホームズのセリフで気に入っているやつがあるんだ。なんだか分かるか?」
ジェットコースターに乗り、発車を待っている状態でもホームズの話をしてくる新一に呆れ返っていたため、彼の言葉を半分聞き流していたのだが、先ほどの出来事で思い出す。
「それはさ、『君を確実に破滅させる事が出来れば、公共の利益のために僕は喜んで死を受け入れよう』」
「コナン君、ライヘンバッハの滝よ!」
ライヘンバッハの滝。ホームズがモリアーティ教授との戦いで、彼と一緒に落ちて行ったとされていた滝だ。実際ホームズは助かっていたのだが、彼はその時自分も死ぬ覚悟だったという。
座敷童子から保護者に教えてもらったらしい変な情報も交えてその話を聞いていた小百合は、彼女が何をしようとしているのかに気がつく。
蘭の行動を無駄にするわけにはいかない。
小百合はジャック・ザ・リッパーへ向かって駆け出した。
立ち上がって微笑む蘭。血相を変えるコナン。蘭と繋がっているロープを切ろうとナイフを振り上げるジャック・ザ・リッパー。ナイフを握った彼の手に飛びかかる小百合。
「させるか!」
小百合の声に気を取られ、一瞬動きを止めたジャック・ザ・リッパーはすんでのところで避ける事ができず、ロープに引っ張られて彼女と一緒に奈落の底に消えて行った。
*
「おい、お前ら! 鬼に勝つための計画を立てるぞ!!」
「えー鬼に勝つなんて無理だよ。やめようよ碼紫愛君」
監視役の獄卒の目を盗みながら、賽の河原の子供達は鬼に勝って転生する計画を立てていた。しかし、ガキ大将の木村碼紫愛以外は乗り気ではない。
二年ほど前に獄卒を人質に取って反乱を起こしたが、対子供用リーサルウェポンという名の注射器の前に屈してしまったのだ。
「くっ! でもまだ勝機はある! 俺たちの味方をしてくれる鬼を見つけたんだ!!」
「「えっ!?」」
「いや、味方っていうよりただ単に面白そうだから関わってみたかっただけ……。減給とか嫌だから地獄の情報とかは教えられないけど、反乱の計画にアドバイスするくらいならできるよ」
碼紫愛の横から顔を出したのはまだ学生の鬼女。基本的に面白いか否かで行動している菜々である。
「そういう経験ならそれなりにあるつもりだよ。職員室をハイジャックしようとしたり市長に直接訴えるために会議中に乗り込んだりしてたから。あの時は若かった……」
「この人やばい人じゃん!」
「本当にこの人に協力してもらって大丈夫!?」
「多分……」
重い空気の中しばらく沈黙が続いた。
「取り敢えず、第二の刃を持つ事が大事らしいよ。恩師の受け売りだけど」
その後、殺せんせーに教えてもらった内容を話せば尊敬の眼差しを向けられた。
「スゲー! その先生って今何してんだ?」
「鬼灯さんにゴマ擦ってる」
「やっぱりあの鬼最強じゃねーか……」
「でもさ、転生してもあんまり良いことないよ」
菜々は遠い目をした。
「何をやっても増え続ける犯罪。爆発する建物。三日に一度くらいはお目にかかる変態。出かけたら必ず現れる死体……」
「そういやそうだった……」
「もうさ、碼紫愛君転生したら日本を牛耳って犯罪をなくしてよ。大事なのは知識欲と視野の広さ!」
「何だその無茶振り……」
それから数日後、鬼灯が少し早く転生の申請をしてくれたため、碼紫愛は現世に旅立つこととなった。
「あなたは面白い。ぜひ来世もヤンチャに過ごしてください」
ライバルだと認めた鬼からそんな言葉をかけられる。
「次の名前は爬例硫椰だと面白いと思います!」
「俺が決めるわけじゃねーよ! でもしいて言うなら雅治が良い!」
賑やか見送りの中、碼紫愛は決意する。
来世は日本を動かすほどの男になり、鬼灯という鬼と対等になれるような人生を送る。そのためには第二、第三の刃を研ぎ澄ますことも忘れない。
とある病院で小百合という名の男勝りな女の子が生まれるのは、数時間後の事である。