トリップ先のあれやこれ
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「あの三人って親子に見えますよね」
「確かに母親に捨てられた父親と双子の娘に見えますね」
予想外の返答に殺せんせーはガックリとうなだれた。
母親は誰かと考えて恥ずかしがる菜々を見たかったのだろう。
父親の会社が倒産した原因が分かった。そう連絡を受けて出向いてみれば、法廷には案の定座敷童子が居た。
「あの会社の社長、だんだん怠け出したんだよね」
「うん。最後の方はばっちい本か漫画読んでるかのどっちかだった」
父の名前を出せばそんな答えが返ってくる。
「だからエロ本がごっそり無くなってたのか……」
どうやら父が隠し場所を変えたわけではないらしい。
家の三分の一を占めているのではないかと囁かれている父の漫画もいつのまにか無くなっていた事を菜々は思い出した。
その後、座敷童子達は白澤の店である極楽満月に住むことになった。
*
いらない気を利かせた殺せんせーの提案で菜々も唐瓜と茄子の里帰りに着いて行ったが、鬼灯とは何も起きずに時は流れていた。(わざわざ休暇を取った殺せんせーが四六時中物陰から覗いて来たせいだと菜々は思っている。)
校庭に植わった木が全ての葉を落とした頃、菜々は霊感少女志穂から依頼を受けていた。
彼女の両親が経営している喫茶店「カフェファラオ」に面倒な亡者が居座ってしまい、怪奇現象ばかり起こすせいで客足が遠のいてしまったらしい。
今では一部のオカルトマニアが居座っているようだ。
自分に亡者が見えているのは大妖怪の封印を守っている組織の一員だと説明した際、金さえ払えばこの手の話を引き受けるとも伝えておいたおかげで仕事が舞い込んで来た。
内容としてはアルバイトとして店に出入りし、人知れず除霊を行って欲しいという簡単なもの。
「地獄からもお金貰ってるのに、志穂ちゃんから依頼料貰っちゃっていいの?」
「あれは受付手数料」
志穂の姿が見えなくなってからソラに尋ねられたが、菜々は飄々と返した。
件の亡者はバイト初日に腕力で倒し、菜々はバイトを続けていた。バイト代の他に賄いも出るのが主な理由だ。
今では分単位で事件が起こるようになってしまった米花町に職場があるのが唯一の難点だが、この一週間店の周辺で何も起こっていないので特に気にしていない。
「いらっしゃいませ!」
扉に取り付けられた鈴がなったので菜々はテーブルを拭く手を止める。
金が関わっている時だけ発動する営業スマイルを浮かべた瞬間、入ってきた男を見て菜々は口を半開きにした。
尋常ではない殺気を放っている目つきの悪い男。
スーツを着ている事と今がお昼時であることから、現世視察中に昼食を取りに来たのだろうと予想し、菜々は作業に戻った。
皿を洗いながら鬼灯をチラチラと盗み見る。
「やっぱ若い。あれか。いつもは真ん中で髪が分かれているせいでぱっと見ハゲかかった中年に見えるからか」
「散々言ってるけど、後でどうなっても知らないよ」
ソラが呆れつつ警告した時、男の叫び声が店の奥のほうから聞こえて来た。あの方向にあるのは洗面所だ。
洗面所といえば、客から扉の鍵が閉まっていると苦情が来たので店長であり志穂の父親である男が鍵を持って確認に行ったはず。
洗面所にはトイレの個室が横一列に三つ設置してあり、扉はいつも開け放しているので店長が訝しんでいたことが記憶に残っている。
菜々は洗っていた皿を叩きつけるかのように置くと、一目散に駆け出した。
洗面所に足を踏み入れた菜々が真っ先に目にしたのは、尻餅をついた男性と大量の赤い液体だった。
被害者のものであろう血は、唯一鍵がかけられている真ん中の個室から流れ出ている。
いつも通り、被害者の安全確認をしようと菜々は思考を巡らす。
被害者に当たるとまずいので扉を蹴破るのはやめたほうがいい。
菜々は個室に向かって走り、近づいたところで脚に力を込める。
飛び上がると扉の上の隙間に右手を突っ込み、扉を掴む。
今度は腕に力を込めて頭を天井すれすれまで持って行き、個室の様子を伺う。
血だらけの男性が視界に入った瞬間引っ張り上げた体を横にねじり、隙間を通り抜けた。
床が血だらけだったせいで滑りそうになったものの無事着地し、取り敢えず応急処置を施すため被害者に触れようとして、菜々は動きを止めた。
ここには鬼灯がいる。
いつもは適当な嘘をでっち上げて被害者を助けざるをえない状況だったのだと報告書に書いていたが、彼の目はごまかせない。
しかし、すぐにかぶりを振る。
菜々は何百年と進展がなかった米花町の視察の要だ。地獄としても下手な真似はできないだろう。
菜々は止血するために被害者に触れたが、ゆっくりと腕を下ろした。
「志穂ちゃん。救急車は呼ばなくていいよ。警察だけ呼んで」
もう手遅れだった。
*
警察が現場に到着してからかなり経ったが捜査に進展はなかった。
捜査にあたっている刑事の一人である山田の階級は警部補であり、そこそこ優秀。駆けつけた刑事達の能力に問題があるわけではない。
事件が不可解すぎるのだ。
菜々が証明した通り、鍵をかけた個室に侵入するのは可能だ。逆もまた然り。
しかし、店長が洗面所に通じる扉には鍵が掛かっていたと証言した。
出入り口はその扉だけ。通風孔があるにはあるが、四つん這いになったとしても大の大人が通れるような大きさではない。
つまり密室殺人だ。
死亡推定時刻は発見の二十分程前。その間に洗面所に入った者が容疑者となり、一通り調べられたが何も出なかった。
被害者は頸動脈を小型のナイフで切られていることが明らかとなり、今度は店内にいた者全員が調べられたが、これまた何も出ない。
もちろん店内を隈なく探しても見つからない。
捜査が難航している理由の一つとして、凶器が発見されないことが挙げられる。
後一つは現場に残されていた真っ赤な彼岸花。造花だが犯人が持ち込んだものであることは間違いない。
*
「よし、じゃあ今度はおでこにう◯こを描こう!」
「そればっかだよね」
油性ペンを握りしめた菜々が嬉々として提案すると、ソラはあきれ返る。
「でもおかしいよね。これだけやっても反応が無いなんて……」
見物に徹していた志穂が口を挟む。
彼女の目には先程捕まえられて縄で縛られた被害者の亡者が映っていた。
被害者は顔に幼稚な落書きをされているのに全く反応を示さない。
「じゃあもう頭にう◯こを乗せるか、オナラに火をつけるマジックをするか」
「ここ調理場!」
「それってマジックなの?」
志穂が叫んだ通り、ここは調理場だ。
調べ終わったので出入りを許可されたが一箇所に固まっていたほうが安心なのか、誰も中に入ろうとしなかった。
人目が無い場所を探していた菜々は亡者をここで尋問することにした。
その際、殺人事件に巻き込まれた時の対処法を教えると言って志穂も引っ張ってきた。
「亡者が反応を示さないことは稀にあるよ。多分事件にショックを受けているんだと思う。情報を聞き出すのは諦めて、今度は倶生神に聞き込みをしよう」
菜々が倶生神について分かりやすく説明している間、ソラは容疑者の倶生神に聞き込みを行った。
「私には何も見えないけど……」
「霊感があっても倶生神は見えないことが多いよ」
志穂の呟きに答えながら、菜々はどこからともなく引っ張ってきた椅子に腰を下ろす。
生者に倶生神について教えるのはあまり良い事ではない。
今まで菜々のような例が無かったため、法律に現世の人間との接し方について事細かに記入されていないが、いずれ裁判を受ける者に記録者の存在を知られるのが良いとは言えないだろう。
しかし、志穂の両親は米花町に店を構えている。
彼女がこれからも事件に巻き込まれる確率は高い。
霊感がある人間が事件に巻き込まれたとなると、あの世の住人に害を加えられる確率が一気に高くなる。
恨みを持った被害者が自分が見える人間に助けを求めて怪奇現象を引き起こすかもしれない。
事件現場に漂うエネルギーに引き寄せられて、逃げ出した悪霊がやって来るかもしれない。
それらの事態を回避するのに一番有効なのは、さっさと事件を解決してその場を離れる事だ。
あの世の者が原因で死んだとなると、後々裁判が面倒臭くなる。
だからこそ正しい対応を教えた。
決して過去の自分に重ねたわけではないと菜々は自分に言い聞かせていた。
*
「全ての倶生神が自分の担当の人間は犯人じゃないって言ってた」
ソラからの報告に菜々は目を見開く。
鬼灯がこの場にいるし、倶生神は観察対象の人間に情を抱かないので、彼らが嘘をつくとは到底思えない。
かといって、店内の人間以外の犯行だとは考えられない。
現場は密室だったはずだし、仮に洗面所から抜け出したとしても、出入り口は二つだけ。
客が入店するための入り口には鈴がつけられているので、出入りがあればすぐに気がつく。被害者の死亡推定時刻よりも後にこの扉を開けた者はいないはずだ。
もう一つの出入り口は調理場を通らなければ到着できない裏口。
調理場にいた菜々は誰も裏口を使っていない事を知っている。
「隣の岩盤浴のお店を窓から覗いていた亡者達の証言で犯人は人間だって分かってるし……。まずくない?」
「うん。かなりまずい」
幼い頃から事件解決に貢献してきたと言っても、菜々は亡者や倶生神の証言から真実を知っていただけだ。
さりげなく刑事達にヒントを出してみたり、あたかも自分が答えを導き出したかのように真相を語ったりするのは得意だが、一から推理するのは得意ではない。
「しょうがないから別の人に事件を解いてもらおう! 私は電話して来るから志穂ちゃんは亡者見張ってて。後でお祓いするから」
「え?」
志穂が目をやったのはソラ。
なぜ彼女まで電話についていくのかと疑問に思ったのだろう。
「そりゃあソラは昔封印された大妖怪の」
「あ、うん。分かった。私はこの人見張っとくよ」
適当にあしらわれたが菜々は気にせず、調理場を後にした。
*
「浄玻璃鏡で犯行現場を見るのは駄目だよね」
「うん。微調整ができないから裁判の間の休憩中には調べてもらえないと思う」
店の奥にある観葉植物の陰に隠れて菜々とソラは小声で話し合っていた。
「それじゃあどうするの? 優作さんに助けを求めるつもり?」
「いや、それはしない。あの人のことだから事件現場に来そうだし。関係のない人が現場に来るのはあまり良くないし、ここには鬼灯さんがいる」
「確かに二人が会うとややこしい事になりそうだね」
観葉植物から一メートル程離れている壁にもたれかかり、菜々は地獄産の携帯を取り出した。
数コールで相手が電話に出る。
「もしもし、沙華さん。ちょっと聞きたい事が……」
『また何かやらかしたの?』
菜々が頼ったのは人間だった頃、ずっと一緒にいた記録係の片割れ。
初めて遭遇した殺人事件の真相に辿り着いたのが沙華だったため、菜々は彼女の推理力を信頼していた。
『誰が犯人なのか。どのような方法で密室を作り出したのか。全く分からないわ』
事件のあらましを説明し終わった後の沙華の言葉に菜々はずっこけそうになった。
『だいたい、現場を直接見たわけじゃないのに分かるわけないじゃない』
菜々が伝え忘れていることがあるかもしれないし、言葉で説明するには限度がある。
『現場に残されていた彼岸花の意味なら分かるんだけどね』
「やっぱり花言葉ですか?」
『そう。赤い彼岸花の花言葉は想うはあなた一人、また会う日を楽しみに』
いつもよりも柔らかい声だ。何かを懐かしんでいるような、それでいて大切に思っているような。
『どんなにありえないと思っても少しでも可能性があるのなら最後まで検証しなさい。私がいつも心がけていることよ。じゃあね』
早口で伝えられ、一方的に電話を切られた。
ツーツーという音が、耳から離した携帯から微かに聞こえてくる。
何か急用が入ったとは思えない。沙華の性格から考えると、一言断るはずだ。
では、予想外のことが起こったか。
菜々は変な事を口走ったわけではない。
だとすると、言うつもりのない事を言ってしまった線が高い。
ムクムクと湧いて来た好奇心に従って、菜々は彼岸花について携帯で検索してみた。
――彼岸花の別名は「死人花」「曼珠沙華」「天蓋花」「捨て子花」
全てのピースが繋がった。
説明はまだ続いていたが菜々は顔を上げ、後で天蓋を問い詰めようと決めた。
倶生神にはお互いに番と認め合った者同士で名前を送る習性がある事を彼女が知るのは、もう少し先の話だ。
菜々は店内を見渡してみる。
すると、年が一桁であろう男の子が目に留まった。
今は昼過ぎ。
大きめの黒いパーカーを羽織り黒っぽい長ズボンを履いている男の子がこんな場所に居ていい時間ではないはずだ。
しかし菜々は、母親と来ているようだし自分と同じように学校が休みなのだろうと結論を出して視線を逸らした。
今度は鬼灯が目に留まる。
「どう見ても堅気の人間じゃない……」
目つきが悪いところを見ると、眠くなる成分の入った安い薬を使用しているのだろう。
「菜々ちゃん、こんな所に居たのか」
鬼灯を眺めていると急に声をかけられ、菜々は咄嗟に足元にある通風孔を眺めているふりをした。
「何か分かったか?」
「被害者と店で待ち合わせをしていた女性が浮気相手だったって事は分かってます」
山田に向き直り、菜々は簡潔に答える。
「被害者は入店した時、左手の薬指にはめた指輪を取ってました」
「なるほど。被害者のポケットから出て来た指輪は結婚指輪か。そういえば、被害者は女遊びが激しかったらしい」
菜々は顎に手を当てて考え込む。
――彼岸花の花言葉。
――女遊びの激しかった被害者。
――密室の現場。出入り口といえば大人では入ることのできない通風孔くらいだ。
――ダボダボの服を着た男の子。よく見ると首に紐をかけている。
「犯人が分かりました。信じられないような内容ですけど」
*
菜々の推理は正しかった。
被害者の命を奪ったのは幼い男の子。
子供だと思って油断した被害者の殺害後トイレの個室に鍵をかけ、彼岸花を置いて扉の上の隙間から出る。
水道で返り血を洗い流し、袋に入れた凶器を首からかけて服の下に仕舞い、通風孔に入る。
後は、菜々が電話をかけていた場所にある人目につかない通風孔から脱出し、何もなかったかのように席に戻るだけだ。
ただし、この計画を立てたのは少年の母親。少年は被害者の息子でもあった。
「あの彼岸花はあの世で会おうって言うメッセージだったんですよ」
少年と母親が警察に連れていかれた時、菜々は被害者の顔にヒゲを書き足しながら言い放った。
「ソラ、今のうちにお迎え課に連絡して」
警察が撤収しようとしている今、志穂はこちらに注目していない。
見ただけで鬼だと分かるお迎え課の者を志穂に見られるのは避けたい。
菜々があの世の者と交流があると知られると、ごまかしが効かなくなってくるからだ。
「菜々さん、バイトって何時頃終わりますか?」
店内にいた人間が我先にと店を後にしていると、鬼灯に尋ねられた。
「六時半ですけど……」
「米花町は物騒でしょう。あなたを狙った犯罪者が死んだら裁判がややこしくなる」
菜々の疑問を察したのだろう。
「ところで、刑事さん達がずっと見てくるんですけど何ででしょう?」
「犯罪者よりも犯罪者っぽい目つきしてるからじゃないですか?」
菜々は見当違いな答えを出した。
刑事達の間で行われている賭けについて、彼女はまだ知らない。
*
最近は日没が早くなって来ており、菜々が店から出ると外はすっかり暗くなっていた。
彼女の頭には化かしで作られた帽子が乗っている。バイトが終わった途端に急用ができたと言い出したソラが自分の代わりに置いていったものだ。気を利かせたつもりなのだろう。
ツノと耳がしっかりと隠れているのを窓ガラスで再度確認してから、菜々は店の前に佇んでいた鬼灯に声をかける。
「待ちましたか?」
「今来たところです」
角ばった手に握られているホットココアを見て彼がしばらく待っていたのを察したが、気遣いを無駄にしないために指摘を控えた。
それにしても妙な気恥ずかしさがつのる。
現世では刑事達が、あの世では殺せんせーが邪魔してくるせいで、しばらく二人っきりになっていないのも要因だろう。
緊張を隠すために菜々がとった行動は、仕事の話に持っていく事だった。
「鬼灯さん、相談があります。浄玻璃鏡の改良についてです」
律が浄玻璃鏡にアクセスできるようにして検索機能を設ける。
技術課と変成庁の力を合わせれば可能ではないか。
浄玻璃鏡の元となっているのが希少な照魔鏡のため、開発には時間がかかるかもしれないが、裁判の効率化を考えるのならかなり有効な手段のはずだ。
「試してみる価値はありますね。後で技術課に伝えておきます」
鬼灯から許可が降りたので息をつこうとした瞬間、体積が大きい物が風を切る音を菜々の耳は捉えた。
彼女が身を翻してその場を飛び退くのと鉄筋が地面にめり込むのはほぼ同時だった。
「鉄骨が落ちて来たぞ!」
「事故か!? それとも事件か!?」
「別の場所で起こった事件の時間差トリックに使われたんだろう」
仕事の話で誤魔化すことですっかり普段の調子を取り戻していた菜々は、集まってきた野次馬の間を縫って平然と歩き続けた。
「ライオンだ!」
「何でこんな所にいるんだ!?」
「ニュース見てないのか!? 動物園から逃げ出したんだ!」
「やっぱり米花町は呪われてる!」
ライオンが突進して来たが菜々はかかと落としを食らわせてノックアウトした。
銀行強盗に人質にされが鳩尾を殴って相手を倒し、通報を野次馬に任せた頃、菜々は何かあるのではないかと勘ぐり出した。
全て自分を狙っていたように感じられる。
ライオンをけしかけるのは人間では無理なので亡者の仕業だろうか。
しかし、亡者の姿は見られない。彼らのほとんどは死ぬまでただの一般人だったのだ。隠密行動が上手いわけがない。
何か思い当たる節はないかと記憶をたどる。今までの攻撃では、菜々の横を歩く鬼灯が狙われていない。
その上、鉄筋もライオンも強盗も鬼灯と菜々の間に割って入って来た。
今が十一月である事、一時的に生まれ育った世界に戻った時に確認した原作の内容。
その二つを思い出して菜々は結論にたどり着いた。現世縁結びの話だ。
殺せんせーは死神と地獄の植物を見に行くと言っていた。
閻魔が縁結びの札に名前を書き込んだ時、現場に居合わせなかった可能性が高い。
彼が居れば鬼灯と菜々の名前を書くように仕向けるか、E組のメンバー同士をくっつけようとしただろう。
それも踏まえて考えると、ターゲットは鬼灯とマキだ。
その証拠に、撮影をしているアイドル達が見えてきた。
*
いい絵面が欲しいのなら視察をしていた会社に行くといいと鬼灯が提案したので、菜々もついて行くことにした。
しかし、五分後には自分の判断を悔いていた。
「着きましたよ」
鬼灯が入って行くのは大きなビル。
取り付けられた看板には「YASASHISA SEIMEI」と書かれていた。
「この前、この会社の社長さんに喧嘩売ったばかりなんだけど……」
誰に言うでもなく呟いた後、菜々は意を決して足を踏み出した。
「まさかとは思いますけど、心霊写真撮りたかったからこの亡者達放っておいたわけじゃないですよね?」
マキミキが胴と頭が分かれた亡者に釘付けになっている時、菜々は天井にこべりついた亡者の首を見上げながら尋ねた。
鬼灯はごく自然な動きで目を逸らした。
「あ、こちらをずっと見ている方がいますよ。私以外の人の格好が会社員ではないので怪しんでいるのでしょう。一旦離れましょう」
話題を変えたがっているのだとすぐに見抜いたが、鬼灯が見つけた男性に心当たりがあった菜々はすぐに賛成した。
「ちょっと待ってくれ! 君も視えるんだろ!?」
小太りの男が駆け寄ってくる。
「今日まで派遣で来ていた加々知君だろ?」
男はこの会社の社長だと名乗った後相談を始めた。
曰く、最近霊感に目覚めて自分の首を抱えた亡者に手を焼いていると。
「このまま祓い屋として目覚める第二の人生があってもいいけど……ん?」
社長はとある一点に釘付けになった。
数度瞬きしたかと思うと目を擦りだす。
目の前の景色が変わっていない事を確認するや否や、血色の良い顔がみるみる青ざめていった。
「加々知君、ここに居るはずのない奴がいるんだが生き霊とかかね? それとも私が疲れているせいで幻覚が見えるのか……」
「菜々さんのことなら本人ですよ」
鬼灯の答えが耳に届いた瞬間、社長はものすごい速さで後ずさりした。
「なぜだ!? なぜここに疫病神がいる!?」
「面白い亡者がいると聞いて……」
本当の事を言うわけにもいかないので、信じてもらえそうな内容を伝えた。
「クソッ、息子に変な趣味を持たせおって!」
「いや、私だってそんな趣味持って欲しくなかったですよ!? ちゃんといいお店紹介したので許してください」
「息子が変な店に通ってると思ったらお前のせいだったのか! 予想してた!」
「息子さんは毎日楽しくて私は紹介料が入った。全員が得してるんだからいいじゃないですか」
「こっちは損しかしてない! 後継者があんなんってどうなんだ……」
床に手足をついて、社長はブツブツ言い始めた。
襲撃や大損害などの単語も聞こえてくる。
「でも、これで良かったと思いますよ。……息子さんは変な趣味はあるけど、あなたみたいな経営方法をとる気は無いみたいですし。この会社は安泰でしょう」
「さっきから思っていたんだが、息子の名前忘れてるだろ。それと私はまだ死ぬ気は無い」
「でもあなた、もう亡くなってますよ?」
菜々の言葉を理解できなかったのか、社長は放心状態になった。自分の名前も忘れているのではないかと指摘する気力もない。
「は?」
しかしすぐに思考を再開し、床についていた手に力を込めて立ち上がると、社長は菜々の肩を揺さぶって問い詰め出した。
「どういう事だ!?」
「あれ見てください」
菜々が社長の背後を指差した時、彼はやっと先程から聞こえていたサイレン音の存在に気がついた。
背筋に冷たいものが走り、一瞬動きが止まったが確認しない事には何も始まらない。
ぎごちなく首を動かし、後ろで何が起こっているのかを理解した途端、社長の口から小さく息を呑む音が聞こえた。
「どいてください!」
「ハイ、通してください!」
「社長!」
「息がないぞ!?」
「持病が……」
脳が考える事を拒否したらしく、社長は身動き一つしない。
「この会社異常なんですよ」
よく通る低い声が空気に浸透する。
我に帰った社長は鬼灯に向き直って訳を訪ねようとしたが、彼が天井を見上げている事に気がついて同じようにした。
何度目かの衝撃が彼を襲う。
「亡者の数が」
マキとミキが騒いでいる中、鬼灯は淡々と続ける。
「過失致死なのか過労死なのかもっとヤバい事なのか。こういう会社が稀にあるから現世は恐ろしい」
米花町には結構あるのだが、話の腰を折るだけなので菜々は黙っておいた。
「せっかくなので私と地獄へ逝きましょう」
社長の肩に手を置いておどろおどろしい雰囲気を出しながら鬼灯は言い放った。
*
「ギョウザと白い飯が食べたい……」
「金魚草パンでよければありますよ」
マキの調子が急に悪くなったのでミキがマネージャーを呼びに行く。
「お嬢さん大丈夫かね? まあ私はもう死んだがね……」
「縛られてますけど何かに目覚めました?」
哀愁を漂わせる亡者を木の枝で突きながら菜々は尋ねる。
「私と息子を一緒にするな!」
文句を聞き流しながら、菜々は縁結び中であろう神を探した。
近くにいる毛虫が目に留まったので全力で放り投げる。
数メートル先から叫び声が聞こえたが菜々は気にしなかった。
「ちょっと飲み物買ってきます」
適当な理由でその場を離れた菜々の手には、昆虫と人間を掛け合わせたような生き物の腕が握られていた。
「あなたは虫の神ですか? それとも虫の王を名乗っているメルエムとかいう奴ですか?」
「虫の神だ。だいたいメルエムと共通点あるか? 尻尾ないし色だって違うだろ」
「ヘルメットを被った坊主頭みたいな頭の形」
狭い裏路地で向き合っているせいか、心なしか顔の距離が近い。
「いくつか要求があります。都立永田町高校の来年の二年生のクラス分けに手を加える事。同じ高校で、誰がどのクラスになるかを教える事」
「いや、私は虫の神なんだが……」
「八百万もいるんだし、別の神様に頼めばいいじゃないですか。それと、一人称は余にしてください」
「そのネタまだ引っ張るのか……」
呆れはしたものの、神としては断るわけにはいかない。
その理由として、菜々や縁結び対象の事を人間だと認識している事が挙げられる。
神からすれば霊感のある人間に見つかり、縁結び対象にバラされるかもしれない状況なのだ。
普通の人間は神がいるだなんて信じないだろうが、あれだけ様々な事が起これば信じるかもしれない。
だとするとかなりの失態。
その上ここは米花町。事件がよく起こるせいで命の危険にさらされる事が多いためか、米花町の人間は抜け目のない事で有名だ。
少しの判断ミスで死ぬような環境ではそのような人間しか生き残れないだけかもしれないが。
断れば自分が考えているよりも効率が良く効果的な方法で言いふらされる。神は瞬時に判断した。
「分かった。要求を飲もう」
質言は取ったが、菜々は釘を刺しておく事にした。
ネチネチと脅しに近い形で念を押してくる菜々に対し、神は疑問を覚える。
「二つ質問いいか? 一つ、なぜあんな要求をしたのか」
「私は友達を作りにくい体質だからです。だったらいっそ、友達と一緒のクラスになればいいと考えました」
「それ体質っていうよりもお前の性格に難があるんじゃないか?」
菜々はその質問をスルーした。
彼女が許した二つの質問の中に含まれていないからだ。
また、磯貝と片岡を一緒のクラスにして仲を見守るという思惑もあるものの、そこまでは答えなくていいだろう。
「新しいクラスのメンバーを教えて欲しかったのは、賭けに必ず勝つためです。クラス替えの結果予想大会で一儲けします」
この歳で借金を抱えている以上、儲けられるチャンスを逃すわけにはいかない。
「では最後の質問だ。お前はどうしようもない怒りを私にぶつけている気がするんだが……」
「なんのことでしょう?」
菜々は今まで直視していた神の目から視線を外した。
鬼灯が階段から落ちてきたマキを受け止めている頃、閻魔庁では「なんでだよ!?」と突っ込みを入れる閻魔と篁、「アイドルがライバルとかも良いですねえ」と呟きながらメモを取る殺せんせーが目撃されたらしい。
*
「鬼灯様、私達名前欲しい」
双子の座敷童子の片方がねだる。
薬を届けに来たついでに座敷童子についての説明を聞いていた桃太郎と、彼と話していた鬼灯は座敷童子を見下ろした。
「にゅや?」
超生物姿になって巻物整理をしていた殺せんせーが彼らに注目したため、恩師の目線を菜々も追う。
ぶつくさ言いつつ殺せんせーの手伝いをしていた手を止め、何事だろうかと見守る事にした。
今は裁判が無いため閻魔は寝ているし、契約上は巻物整理をする必要が無いのでサボっても良いはずだ。
本当は声をかけたいが、超生物姿となった殺せんせーから目を離すと取り返しのつかない事に成るかもしれないので我慢する。
「様子を見に行きましょうか」
そわそわし始めた菜々の気持ちを汲み取り、殺せんせーは一瞬で巻き物を仕分けする。
「できるんならさっさとやってくださいよ」
顔には怒った様子が無いものの文句を言いつつ、菜々は法廷の真ん中付近で話し込んでいる一同の元に向かった。
人型に戻った殺せんせーもネタ帳を持ってついてくる。地獄に来た今でも、彼は現世で愛用していたアカデミックドレスに似た物に身を包んでいた。
背伸びすると三メートル位である超生物姿でも着ることができるサイズのため、人型に戻った時は服がブカブカになるのだが、折りたたんで裾が足首に差し掛かるくらいの長さにしている。
ズボンを履いていないので、それくらいがちょうど良いのかもしれない。
「そういえば、殺せんせーってパンツ履いてるんですか?」
「失礼な。ちゃんと技術科の皆さんに作ってもらった特別なパンツを履いてます。……あれちゃんとパンツですよね?」
「知りません。ただ、パンツ=モラルらしいですよ」
教師と生徒の会話とは思えない会話をしながら、二人は並んで歩いた。
手っ取り早く「ざしき」と「わらし」にしたらどうかと提案した桃太郎が顔を引っ張られている頃、殺せんせーは顎に手を当てて考えていた。
「このメンバーで名前を考えること事態が間違っている気がします」
「二人の髪の色で黒と白……じゃなくて黒子と白子!」
殺せんせーがもっともな事を言ったが、菜々は聞いていないのか名前の提案をした。
途中で天真爛漫な犬を思い出して慌てて変更しているところを見ると、適当に考えたのだろう。
「それってどこのバスケ漫画の主人公?」
「じゃあ、桃太郎さんの案の『童子』を使って、黒童子……じゃなくて黒童子と白童子は?」
「私、奈落の分身じゃない」
「菜々さん、あなたネーミングセンス無いんだから黙っててください。この中では一番センスが良い私が考えます」
殺せんせーが割って入ってくる。
菜々の父親は「サイヤ人のように強い子になるように」という願いを込めて娘の名前をつけた男だ。
彼女のネーミングセンスにおいては、殺せんせーの言い分が正しい。
「殺せんせーのネーミングセンスだってひどいじゃないですか。E組の皆を勝手に使って書いた恋愛小説の題名『ドキドキ★ラブラブ魔法学園』だったし」
「……分かりやすさも大事だと思うんですよ」
そんな会話を二人が繰り広げている中、鬼灯と桃太郎も話を進めていた。
「あ、じゃあ一と二でいいじゃないですか」
「牧場の羊か!? 俺よりひどいな!」
「二はやだ」
「では菜々さんがしたように、子をつけて一子と二子で」
「閻魔大王に決めてもらうのが一番良かったんじゃ……」
殺せんせーが呟くが誰も聞いていない。
桃太郎と鬼灯は話しており、座敷童子達は今しがた貰った名前をしたためるために筆と紙を取りに行った。
一方、菜々は気を抜くと緩みそうになる顔に力を入れるのに必死だ。
勝手な想像だが、鬼灯が座敷童子を引き取ったのは過去の自分に重ねたからかもしれないと菜々は考えている。
家も名前も無い子供に、昔閻魔がしてくれたように名前をつける。本人は気がついていないかもしれないが、どれだけ特別な事だろうか。
*
「すみません。梓さん、ちょっとお願いが……苗子ちゃん、何やってるの?」
休日に居酒屋あずさを訪れた菜々は、予想外の人物が居る事に驚きをあらわにした。
調理場に立っている蛍と三池、その様子を微笑みながら眺めている梓。そして漂ってくる甘い匂い。
もうすぐ二月十四日である事も含めて考えると、自ずと答えは見えてくる。
「味見でもしようか? この前桜子ちゃんの事も手伝ったし」
「そう言えば、チョコを作っていたら菜々が突然押しかけてきたって桜子が言っていたような……」
「それより梓さん。仕事引き受けてもらえませんか?」
店に入り、カウンターの前に立って菜々が尋ねる。
さりげなく話題を逸らすことに成功した。
「六月に中学の時の先生が結婚するんですけど、ちょっとしたお祝いを皆でする事になったんです。料理も出そうって話にもなってるんですけど、私達だけだと大変なので手伝ってもらえませんか? もちろんお金は払います」
「菜々ちゃんもチョコ作って行ったら? わざわざここまで来てくれたんだし」
菜々の頼みを快く引き受けた後、梓は提案した。
「バイトのついでですよ。隣の店のバイトが終わった直後で」
何気なく菜々が口にした一言で店内が凍りつく。
居酒屋あずさの隣に位置する店の名前は「SMバー」だ。その上、たまに服(主に背中)が破けた男や肌に細い痕がたくさん残っている男が店から出てくるのが目撃されることもある。
「バイトって言っても昼に店の掃除をしたり仕込みを手伝ったりするくらいですよ!?」
慌てて弁解するが、何の仕込みなのかを明確にしなかったせいで、余計に微妙な空気になった。
「と、取り敢えず菜々もこっちに来なよ。本命チョコまだ作ってなかったら一緒に作ろう」
「本命チョコ?」
内心では冷や汗をダラダラ流しているものの、顔に出さないように細心の注意を払いながら、菜々は聞き返す。
「全部知ってるよ。刑事さん達が聞き込みに来た」
「あの人達仕事してるのかな……」
思わずジト目になってしまう。
最近は疎遠になってしまった伯父に一度確認した方がいいかもしれない。
それはさておき、三池のところに刑事が来たとなると桜子のところにも来たのだろう。
野生の勘に従って桜子の家に突然押しかけた日、まだ明るいのに電気スタンドを顔に近づけられて根掘り葉掘り聞かれた理由が判明した。
この前の事を思い出して菜々が何とも言えない気分になっている時、三池は安堵していた。
菜々の反応を見て刑事達の言い分が正しいのだろうと察したのだ。
菜々は問題児だった。こんな事が出来るのは小学生までだとか、馬鹿やってると嫌なことも忘れるなどと主張して割と好き勝手やっていた。
生徒達の間で評判の悪い教師である国上には初っ端から喧嘩を売ったらしく、週一ペースで果たし状を送りあっていた。
卒業式の日に河原まで走って行って殴り合った後堅く握手を交わした事は、もはや伝説になっている。
あの時は太陽が真上に登っていたはずなのに、なぜか夕焼けが広がっているように見えたと皆が口を揃えて証言したのも印象深い。
今でも国上との戦いは続いているらしく、オンラインで対戦したりどちらが多くのアリの巣に小石を詰める事が出来るか競ったりしている。もはや何をしたいのかすら分からない。
顔はいいので初めのうちは男子の目を引くこともあるが、三日と経たないうちに本性がバレて遠巻きにされる。それが菜々の立ち位置だった。
本人にこそ言わなかったが、昔は桜子と一緒に菜々の将来について心配しあったものだ。
「じゃあ、どんなチョコを作るか考えようよ」
今の相手を逃したら菜々は一生結婚できないと三池は一瞬で結論を出した。
「ねえ、それ何? クッキー作ってて菜々のことを見張ってなかった私も悪いけど」
「今回は無難にハート形にしようって結論になったじゃん」
「それハート形って言うより心臓だよね!?」
「これはお約束だと思う」
蛍と作っていたクッキーが完成し、一人で別のチョコの制作に取り組んでいた菜々はどうなったかと三池が何気なく横を見てみると、ありえない形のチョコが目に留まった。
「この肺静脈とか頑張ったんだよ」
こんな事なら梓に見張っておいてもらうべきだったと後悔している三池の心情を知らず、菜々は見当違いな事を言っていた。
「苗子ちゃん諦めなよ。相手が相手なんだし」
蛍に肩を優しく叩かれて、三池は思わず涙ぐみそうになる。
「菜々、今回誕生日プレゼント貰ったんだよね? それのお返しも兼ねてのチョコがやけにリアルな実物大の心臓チョコってどうかと思うけど」
「でも何かあるんだと思うんだよ。今回は普通の物で……」
死装束、喪服と続いていたので今度は棺桶あたりが来るかと思いきや、渡されたのは金魚があしらわれたかんざしだった。
尋ねてみたが呪いの品でも凶器になるものでもないらしい。
菜々が途方に暮れているといつのまにかその場に居た殺せんせーが、昔は指輪の代わりにかんざしを送る習慣があったのだと教えてきた。
「高校卒業してすぐ、過去に囚われている鬼灯様を何気ない言葉で救って、生まれてきた子供に『丁』と名付ける。いいですねえ。それにしても鬼灯様の過去は美味しい」
ブツブツと呟いてメモをする殺せんせーを見て、菜々は自分も同じような事をしていた事を思い出し、小さじ一杯分くらい反省した。
「前は『慣れないのでしばらくは加々知さんとお呼びしてもいいですか?』とか言っていたのに……」
「しょうがないじゃないですか、減給の危機ですし」
「ゴマ擦っても変わらないと思いますよ」
お香にもかんざしを買っていた事を思い出し、ゴチャゴチャになった思考をリセットするためにそんな会話をしていた事は覚えている。
今回は普通の物だから何かあると思う。
それを聞いて、三池は悟った。同族だから心臓型のチョコでも大丈夫だと。
去年は呪いのチョコを渡したと聞き、三池が死んだ魚のような目をするのは十分後の事である。
作中トリック:江戸川乱歩の「魔術師」より
「確かに母親に捨てられた父親と双子の娘に見えますね」
予想外の返答に殺せんせーはガックリとうなだれた。
母親は誰かと考えて恥ずかしがる菜々を見たかったのだろう。
父親の会社が倒産した原因が分かった。そう連絡を受けて出向いてみれば、法廷には案の定座敷童子が居た。
「あの会社の社長、だんだん怠け出したんだよね」
「うん。最後の方はばっちい本か漫画読んでるかのどっちかだった」
父の名前を出せばそんな答えが返ってくる。
「だからエロ本がごっそり無くなってたのか……」
どうやら父が隠し場所を変えたわけではないらしい。
家の三分の一を占めているのではないかと囁かれている父の漫画もいつのまにか無くなっていた事を菜々は思い出した。
その後、座敷童子達は白澤の店である極楽満月に住むことになった。
*
いらない気を利かせた殺せんせーの提案で菜々も唐瓜と茄子の里帰りに着いて行ったが、鬼灯とは何も起きずに時は流れていた。(わざわざ休暇を取った殺せんせーが四六時中物陰から覗いて来たせいだと菜々は思っている。)
校庭に植わった木が全ての葉を落とした頃、菜々は霊感少女志穂から依頼を受けていた。
彼女の両親が経営している喫茶店「カフェファラオ」に面倒な亡者が居座ってしまい、怪奇現象ばかり起こすせいで客足が遠のいてしまったらしい。
今では一部のオカルトマニアが居座っているようだ。
自分に亡者が見えているのは大妖怪の封印を守っている組織の一員だと説明した際、金さえ払えばこの手の話を引き受けるとも伝えておいたおかげで仕事が舞い込んで来た。
内容としてはアルバイトとして店に出入りし、人知れず除霊を行って欲しいという簡単なもの。
「地獄からもお金貰ってるのに、志穂ちゃんから依頼料貰っちゃっていいの?」
「あれは受付手数料」
志穂の姿が見えなくなってからソラに尋ねられたが、菜々は飄々と返した。
件の亡者はバイト初日に腕力で倒し、菜々はバイトを続けていた。バイト代の他に賄いも出るのが主な理由だ。
今では分単位で事件が起こるようになってしまった米花町に職場があるのが唯一の難点だが、この一週間店の周辺で何も起こっていないので特に気にしていない。
「いらっしゃいませ!」
扉に取り付けられた鈴がなったので菜々はテーブルを拭く手を止める。
金が関わっている時だけ発動する営業スマイルを浮かべた瞬間、入ってきた男を見て菜々は口を半開きにした。
尋常ではない殺気を放っている目つきの悪い男。
スーツを着ている事と今がお昼時であることから、現世視察中に昼食を取りに来たのだろうと予想し、菜々は作業に戻った。
皿を洗いながら鬼灯をチラチラと盗み見る。
「やっぱ若い。あれか。いつもは真ん中で髪が分かれているせいでぱっと見ハゲかかった中年に見えるからか」
「散々言ってるけど、後でどうなっても知らないよ」
ソラが呆れつつ警告した時、男の叫び声が店の奥のほうから聞こえて来た。あの方向にあるのは洗面所だ。
洗面所といえば、客から扉の鍵が閉まっていると苦情が来たので店長であり志穂の父親である男が鍵を持って確認に行ったはず。
洗面所にはトイレの個室が横一列に三つ設置してあり、扉はいつも開け放しているので店長が訝しんでいたことが記憶に残っている。
菜々は洗っていた皿を叩きつけるかのように置くと、一目散に駆け出した。
洗面所に足を踏み入れた菜々が真っ先に目にしたのは、尻餅をついた男性と大量の赤い液体だった。
被害者のものであろう血は、唯一鍵がかけられている真ん中の個室から流れ出ている。
いつも通り、被害者の安全確認をしようと菜々は思考を巡らす。
被害者に当たるとまずいので扉を蹴破るのはやめたほうがいい。
菜々は個室に向かって走り、近づいたところで脚に力を込める。
飛び上がると扉の上の隙間に右手を突っ込み、扉を掴む。
今度は腕に力を込めて頭を天井すれすれまで持って行き、個室の様子を伺う。
血だらけの男性が視界に入った瞬間引っ張り上げた体を横にねじり、隙間を通り抜けた。
床が血だらけだったせいで滑りそうになったものの無事着地し、取り敢えず応急処置を施すため被害者に触れようとして、菜々は動きを止めた。
ここには鬼灯がいる。
いつもは適当な嘘をでっち上げて被害者を助けざるをえない状況だったのだと報告書に書いていたが、彼の目はごまかせない。
しかし、すぐにかぶりを振る。
菜々は何百年と進展がなかった米花町の視察の要だ。地獄としても下手な真似はできないだろう。
菜々は止血するために被害者に触れたが、ゆっくりと腕を下ろした。
「志穂ちゃん。救急車は呼ばなくていいよ。警察だけ呼んで」
もう手遅れだった。
*
警察が現場に到着してからかなり経ったが捜査に進展はなかった。
捜査にあたっている刑事の一人である山田の階級は警部補であり、そこそこ優秀。駆けつけた刑事達の能力に問題があるわけではない。
事件が不可解すぎるのだ。
菜々が証明した通り、鍵をかけた個室に侵入するのは可能だ。逆もまた然り。
しかし、店長が洗面所に通じる扉には鍵が掛かっていたと証言した。
出入り口はその扉だけ。通風孔があるにはあるが、四つん這いになったとしても大の大人が通れるような大きさではない。
つまり密室殺人だ。
死亡推定時刻は発見の二十分程前。その間に洗面所に入った者が容疑者となり、一通り調べられたが何も出なかった。
被害者は頸動脈を小型のナイフで切られていることが明らかとなり、今度は店内にいた者全員が調べられたが、これまた何も出ない。
もちろん店内を隈なく探しても見つからない。
捜査が難航している理由の一つとして、凶器が発見されないことが挙げられる。
後一つは現場に残されていた真っ赤な彼岸花。造花だが犯人が持ち込んだものであることは間違いない。
*
「よし、じゃあ今度はおでこにう◯こを描こう!」
「そればっかだよね」
油性ペンを握りしめた菜々が嬉々として提案すると、ソラはあきれ返る。
「でもおかしいよね。これだけやっても反応が無いなんて……」
見物に徹していた志穂が口を挟む。
彼女の目には先程捕まえられて縄で縛られた被害者の亡者が映っていた。
被害者は顔に幼稚な落書きをされているのに全く反応を示さない。
「じゃあもう頭にう◯こを乗せるか、オナラに火をつけるマジックをするか」
「ここ調理場!」
「それってマジックなの?」
志穂が叫んだ通り、ここは調理場だ。
調べ終わったので出入りを許可されたが一箇所に固まっていたほうが安心なのか、誰も中に入ろうとしなかった。
人目が無い場所を探していた菜々は亡者をここで尋問することにした。
その際、殺人事件に巻き込まれた時の対処法を教えると言って志穂も引っ張ってきた。
「亡者が反応を示さないことは稀にあるよ。多分事件にショックを受けているんだと思う。情報を聞き出すのは諦めて、今度は倶生神に聞き込みをしよう」
菜々が倶生神について分かりやすく説明している間、ソラは容疑者の倶生神に聞き込みを行った。
「私には何も見えないけど……」
「霊感があっても倶生神は見えないことが多いよ」
志穂の呟きに答えながら、菜々はどこからともなく引っ張ってきた椅子に腰を下ろす。
生者に倶生神について教えるのはあまり良い事ではない。
今まで菜々のような例が無かったため、法律に現世の人間との接し方について事細かに記入されていないが、いずれ裁判を受ける者に記録者の存在を知られるのが良いとは言えないだろう。
しかし、志穂の両親は米花町に店を構えている。
彼女がこれからも事件に巻き込まれる確率は高い。
霊感がある人間が事件に巻き込まれたとなると、あの世の住人に害を加えられる確率が一気に高くなる。
恨みを持った被害者が自分が見える人間に助けを求めて怪奇現象を引き起こすかもしれない。
事件現場に漂うエネルギーに引き寄せられて、逃げ出した悪霊がやって来るかもしれない。
それらの事態を回避するのに一番有効なのは、さっさと事件を解決してその場を離れる事だ。
あの世の者が原因で死んだとなると、後々裁判が面倒臭くなる。
だからこそ正しい対応を教えた。
決して過去の自分に重ねたわけではないと菜々は自分に言い聞かせていた。
*
「全ての倶生神が自分の担当の人間は犯人じゃないって言ってた」
ソラからの報告に菜々は目を見開く。
鬼灯がこの場にいるし、倶生神は観察対象の人間に情を抱かないので、彼らが嘘をつくとは到底思えない。
かといって、店内の人間以外の犯行だとは考えられない。
現場は密室だったはずだし、仮に洗面所から抜け出したとしても、出入り口は二つだけ。
客が入店するための入り口には鈴がつけられているので、出入りがあればすぐに気がつく。被害者の死亡推定時刻よりも後にこの扉を開けた者はいないはずだ。
もう一つの出入り口は調理場を通らなければ到着できない裏口。
調理場にいた菜々は誰も裏口を使っていない事を知っている。
「隣の岩盤浴のお店を窓から覗いていた亡者達の証言で犯人は人間だって分かってるし……。まずくない?」
「うん。かなりまずい」
幼い頃から事件解決に貢献してきたと言っても、菜々は亡者や倶生神の証言から真実を知っていただけだ。
さりげなく刑事達にヒントを出してみたり、あたかも自分が答えを導き出したかのように真相を語ったりするのは得意だが、一から推理するのは得意ではない。
「しょうがないから別の人に事件を解いてもらおう! 私は電話して来るから志穂ちゃんは亡者見張ってて。後でお祓いするから」
「え?」
志穂が目をやったのはソラ。
なぜ彼女まで電話についていくのかと疑問に思ったのだろう。
「そりゃあソラは昔封印された大妖怪の」
「あ、うん。分かった。私はこの人見張っとくよ」
適当にあしらわれたが菜々は気にせず、調理場を後にした。
*
「浄玻璃鏡で犯行現場を見るのは駄目だよね」
「うん。微調整ができないから裁判の間の休憩中には調べてもらえないと思う」
店の奥にある観葉植物の陰に隠れて菜々とソラは小声で話し合っていた。
「それじゃあどうするの? 優作さんに助けを求めるつもり?」
「いや、それはしない。あの人のことだから事件現場に来そうだし。関係のない人が現場に来るのはあまり良くないし、ここには鬼灯さんがいる」
「確かに二人が会うとややこしい事になりそうだね」
観葉植物から一メートル程離れている壁にもたれかかり、菜々は地獄産の携帯を取り出した。
数コールで相手が電話に出る。
「もしもし、沙華さん。ちょっと聞きたい事が……」
『また何かやらかしたの?』
菜々が頼ったのは人間だった頃、ずっと一緒にいた記録係の片割れ。
初めて遭遇した殺人事件の真相に辿り着いたのが沙華だったため、菜々は彼女の推理力を信頼していた。
『誰が犯人なのか。どのような方法で密室を作り出したのか。全く分からないわ』
事件のあらましを説明し終わった後の沙華の言葉に菜々はずっこけそうになった。
『だいたい、現場を直接見たわけじゃないのに分かるわけないじゃない』
菜々が伝え忘れていることがあるかもしれないし、言葉で説明するには限度がある。
『現場に残されていた彼岸花の意味なら分かるんだけどね』
「やっぱり花言葉ですか?」
『そう。赤い彼岸花の花言葉は想うはあなた一人、また会う日を楽しみに』
いつもよりも柔らかい声だ。何かを懐かしんでいるような、それでいて大切に思っているような。
『どんなにありえないと思っても少しでも可能性があるのなら最後まで検証しなさい。私がいつも心がけていることよ。じゃあね』
早口で伝えられ、一方的に電話を切られた。
ツーツーという音が、耳から離した携帯から微かに聞こえてくる。
何か急用が入ったとは思えない。沙華の性格から考えると、一言断るはずだ。
では、予想外のことが起こったか。
菜々は変な事を口走ったわけではない。
だとすると、言うつもりのない事を言ってしまった線が高い。
ムクムクと湧いて来た好奇心に従って、菜々は彼岸花について携帯で検索してみた。
――彼岸花の別名は「死人花」「曼珠沙華」「天蓋花」「捨て子花」
全てのピースが繋がった。
説明はまだ続いていたが菜々は顔を上げ、後で天蓋を問い詰めようと決めた。
倶生神にはお互いに番と認め合った者同士で名前を送る習性がある事を彼女が知るのは、もう少し先の話だ。
菜々は店内を見渡してみる。
すると、年が一桁であろう男の子が目に留まった。
今は昼過ぎ。
大きめの黒いパーカーを羽織り黒っぽい長ズボンを履いている男の子がこんな場所に居ていい時間ではないはずだ。
しかし菜々は、母親と来ているようだし自分と同じように学校が休みなのだろうと結論を出して視線を逸らした。
今度は鬼灯が目に留まる。
「どう見ても堅気の人間じゃない……」
目つきが悪いところを見ると、眠くなる成分の入った安い薬を使用しているのだろう。
「菜々ちゃん、こんな所に居たのか」
鬼灯を眺めていると急に声をかけられ、菜々は咄嗟に足元にある通風孔を眺めているふりをした。
「何か分かったか?」
「被害者と店で待ち合わせをしていた女性が浮気相手だったって事は分かってます」
山田に向き直り、菜々は簡潔に答える。
「被害者は入店した時、左手の薬指にはめた指輪を取ってました」
「なるほど。被害者のポケットから出て来た指輪は結婚指輪か。そういえば、被害者は女遊びが激しかったらしい」
菜々は顎に手を当てて考え込む。
――彼岸花の花言葉。
――女遊びの激しかった被害者。
――密室の現場。出入り口といえば大人では入ることのできない通風孔くらいだ。
――ダボダボの服を着た男の子。よく見ると首に紐をかけている。
「犯人が分かりました。信じられないような内容ですけど」
*
菜々の推理は正しかった。
被害者の命を奪ったのは幼い男の子。
子供だと思って油断した被害者の殺害後トイレの個室に鍵をかけ、彼岸花を置いて扉の上の隙間から出る。
水道で返り血を洗い流し、袋に入れた凶器を首からかけて服の下に仕舞い、通風孔に入る。
後は、菜々が電話をかけていた場所にある人目につかない通風孔から脱出し、何もなかったかのように席に戻るだけだ。
ただし、この計画を立てたのは少年の母親。少年は被害者の息子でもあった。
「あの彼岸花はあの世で会おうって言うメッセージだったんですよ」
少年と母親が警察に連れていかれた時、菜々は被害者の顔にヒゲを書き足しながら言い放った。
「ソラ、今のうちにお迎え課に連絡して」
警察が撤収しようとしている今、志穂はこちらに注目していない。
見ただけで鬼だと分かるお迎え課の者を志穂に見られるのは避けたい。
菜々があの世の者と交流があると知られると、ごまかしが効かなくなってくるからだ。
「菜々さん、バイトって何時頃終わりますか?」
店内にいた人間が我先にと店を後にしていると、鬼灯に尋ねられた。
「六時半ですけど……」
「米花町は物騒でしょう。あなたを狙った犯罪者が死んだら裁判がややこしくなる」
菜々の疑問を察したのだろう。
「ところで、刑事さん達がずっと見てくるんですけど何ででしょう?」
「犯罪者よりも犯罪者っぽい目つきしてるからじゃないですか?」
菜々は見当違いな答えを出した。
刑事達の間で行われている賭けについて、彼女はまだ知らない。
*
最近は日没が早くなって来ており、菜々が店から出ると外はすっかり暗くなっていた。
彼女の頭には化かしで作られた帽子が乗っている。バイトが終わった途端に急用ができたと言い出したソラが自分の代わりに置いていったものだ。気を利かせたつもりなのだろう。
ツノと耳がしっかりと隠れているのを窓ガラスで再度確認してから、菜々は店の前に佇んでいた鬼灯に声をかける。
「待ちましたか?」
「今来たところです」
角ばった手に握られているホットココアを見て彼がしばらく待っていたのを察したが、気遣いを無駄にしないために指摘を控えた。
それにしても妙な気恥ずかしさがつのる。
現世では刑事達が、あの世では殺せんせーが邪魔してくるせいで、しばらく二人っきりになっていないのも要因だろう。
緊張を隠すために菜々がとった行動は、仕事の話に持っていく事だった。
「鬼灯さん、相談があります。浄玻璃鏡の改良についてです」
律が浄玻璃鏡にアクセスできるようにして検索機能を設ける。
技術課と変成庁の力を合わせれば可能ではないか。
浄玻璃鏡の元となっているのが希少な照魔鏡のため、開発には時間がかかるかもしれないが、裁判の効率化を考えるのならかなり有効な手段のはずだ。
「試してみる価値はありますね。後で技術課に伝えておきます」
鬼灯から許可が降りたので息をつこうとした瞬間、体積が大きい物が風を切る音を菜々の耳は捉えた。
彼女が身を翻してその場を飛び退くのと鉄筋が地面にめり込むのはほぼ同時だった。
「鉄骨が落ちて来たぞ!」
「事故か!? それとも事件か!?」
「別の場所で起こった事件の時間差トリックに使われたんだろう」
仕事の話で誤魔化すことですっかり普段の調子を取り戻していた菜々は、集まってきた野次馬の間を縫って平然と歩き続けた。
「ライオンだ!」
「何でこんな所にいるんだ!?」
「ニュース見てないのか!? 動物園から逃げ出したんだ!」
「やっぱり米花町は呪われてる!」
ライオンが突進して来たが菜々はかかと落としを食らわせてノックアウトした。
銀行強盗に人質にされが鳩尾を殴って相手を倒し、通報を野次馬に任せた頃、菜々は何かあるのではないかと勘ぐり出した。
全て自分を狙っていたように感じられる。
ライオンをけしかけるのは人間では無理なので亡者の仕業だろうか。
しかし、亡者の姿は見られない。彼らのほとんどは死ぬまでただの一般人だったのだ。隠密行動が上手いわけがない。
何か思い当たる節はないかと記憶をたどる。今までの攻撃では、菜々の横を歩く鬼灯が狙われていない。
その上、鉄筋もライオンも強盗も鬼灯と菜々の間に割って入って来た。
今が十一月である事、一時的に生まれ育った世界に戻った時に確認した原作の内容。
その二つを思い出して菜々は結論にたどり着いた。現世縁結びの話だ。
殺せんせーは死神と地獄の植物を見に行くと言っていた。
閻魔が縁結びの札に名前を書き込んだ時、現場に居合わせなかった可能性が高い。
彼が居れば鬼灯と菜々の名前を書くように仕向けるか、E組のメンバー同士をくっつけようとしただろう。
それも踏まえて考えると、ターゲットは鬼灯とマキだ。
その証拠に、撮影をしているアイドル達が見えてきた。
*
いい絵面が欲しいのなら視察をしていた会社に行くといいと鬼灯が提案したので、菜々もついて行くことにした。
しかし、五分後には自分の判断を悔いていた。
「着きましたよ」
鬼灯が入って行くのは大きなビル。
取り付けられた看板には「YASASHISA SEIMEI」と書かれていた。
「この前、この会社の社長さんに喧嘩売ったばかりなんだけど……」
誰に言うでもなく呟いた後、菜々は意を決して足を踏み出した。
「まさかとは思いますけど、心霊写真撮りたかったからこの亡者達放っておいたわけじゃないですよね?」
マキミキが胴と頭が分かれた亡者に釘付けになっている時、菜々は天井にこべりついた亡者の首を見上げながら尋ねた。
鬼灯はごく自然な動きで目を逸らした。
「あ、こちらをずっと見ている方がいますよ。私以外の人の格好が会社員ではないので怪しんでいるのでしょう。一旦離れましょう」
話題を変えたがっているのだとすぐに見抜いたが、鬼灯が見つけた男性に心当たりがあった菜々はすぐに賛成した。
「ちょっと待ってくれ! 君も視えるんだろ!?」
小太りの男が駆け寄ってくる。
「今日まで派遣で来ていた加々知君だろ?」
男はこの会社の社長だと名乗った後相談を始めた。
曰く、最近霊感に目覚めて自分の首を抱えた亡者に手を焼いていると。
「このまま祓い屋として目覚める第二の人生があってもいいけど……ん?」
社長はとある一点に釘付けになった。
数度瞬きしたかと思うと目を擦りだす。
目の前の景色が変わっていない事を確認するや否や、血色の良い顔がみるみる青ざめていった。
「加々知君、ここに居るはずのない奴がいるんだが生き霊とかかね? それとも私が疲れているせいで幻覚が見えるのか……」
「菜々さんのことなら本人ですよ」
鬼灯の答えが耳に届いた瞬間、社長はものすごい速さで後ずさりした。
「なぜだ!? なぜここに疫病神がいる!?」
「面白い亡者がいると聞いて……」
本当の事を言うわけにもいかないので、信じてもらえそうな内容を伝えた。
「クソッ、息子に変な趣味を持たせおって!」
「いや、私だってそんな趣味持って欲しくなかったですよ!? ちゃんといいお店紹介したので許してください」
「息子が変な店に通ってると思ったらお前のせいだったのか! 予想してた!」
「息子さんは毎日楽しくて私は紹介料が入った。全員が得してるんだからいいじゃないですか」
「こっちは損しかしてない! 後継者があんなんってどうなんだ……」
床に手足をついて、社長はブツブツ言い始めた。
襲撃や大損害などの単語も聞こえてくる。
「でも、これで良かったと思いますよ。……息子さんは変な趣味はあるけど、あなたみたいな経営方法をとる気は無いみたいですし。この会社は安泰でしょう」
「さっきから思っていたんだが、息子の名前忘れてるだろ。それと私はまだ死ぬ気は無い」
「でもあなた、もう亡くなってますよ?」
菜々の言葉を理解できなかったのか、社長は放心状態になった。自分の名前も忘れているのではないかと指摘する気力もない。
「は?」
しかしすぐに思考を再開し、床についていた手に力を込めて立ち上がると、社長は菜々の肩を揺さぶって問い詰め出した。
「どういう事だ!?」
「あれ見てください」
菜々が社長の背後を指差した時、彼はやっと先程から聞こえていたサイレン音の存在に気がついた。
背筋に冷たいものが走り、一瞬動きが止まったが確認しない事には何も始まらない。
ぎごちなく首を動かし、後ろで何が起こっているのかを理解した途端、社長の口から小さく息を呑む音が聞こえた。
「どいてください!」
「ハイ、通してください!」
「社長!」
「息がないぞ!?」
「持病が……」
脳が考える事を拒否したらしく、社長は身動き一つしない。
「この会社異常なんですよ」
よく通る低い声が空気に浸透する。
我に帰った社長は鬼灯に向き直って訳を訪ねようとしたが、彼が天井を見上げている事に気がついて同じようにした。
何度目かの衝撃が彼を襲う。
「亡者の数が」
マキとミキが騒いでいる中、鬼灯は淡々と続ける。
「過失致死なのか過労死なのかもっとヤバい事なのか。こういう会社が稀にあるから現世は恐ろしい」
米花町には結構あるのだが、話の腰を折るだけなので菜々は黙っておいた。
「せっかくなので私と地獄へ逝きましょう」
社長の肩に手を置いておどろおどろしい雰囲気を出しながら鬼灯は言い放った。
*
「ギョウザと白い飯が食べたい……」
「金魚草パンでよければありますよ」
マキの調子が急に悪くなったのでミキがマネージャーを呼びに行く。
「お嬢さん大丈夫かね? まあ私はもう死んだがね……」
「縛られてますけど何かに目覚めました?」
哀愁を漂わせる亡者を木の枝で突きながら菜々は尋ねる。
「私と息子を一緒にするな!」
文句を聞き流しながら、菜々は縁結び中であろう神を探した。
近くにいる毛虫が目に留まったので全力で放り投げる。
数メートル先から叫び声が聞こえたが菜々は気にしなかった。
「ちょっと飲み物買ってきます」
適当な理由でその場を離れた菜々の手には、昆虫と人間を掛け合わせたような生き物の腕が握られていた。
「あなたは虫の神ですか? それとも虫の王を名乗っているメルエムとかいう奴ですか?」
「虫の神だ。だいたいメルエムと共通点あるか? 尻尾ないし色だって違うだろ」
「ヘルメットを被った坊主頭みたいな頭の形」
狭い裏路地で向き合っているせいか、心なしか顔の距離が近い。
「いくつか要求があります。都立永田町高校の来年の二年生のクラス分けに手を加える事。同じ高校で、誰がどのクラスになるかを教える事」
「いや、私は虫の神なんだが……」
「八百万もいるんだし、別の神様に頼めばいいじゃないですか。それと、一人称は余にしてください」
「そのネタまだ引っ張るのか……」
呆れはしたものの、神としては断るわけにはいかない。
その理由として、菜々や縁結び対象の事を人間だと認識している事が挙げられる。
神からすれば霊感のある人間に見つかり、縁結び対象にバラされるかもしれない状況なのだ。
普通の人間は神がいるだなんて信じないだろうが、あれだけ様々な事が起これば信じるかもしれない。
だとするとかなりの失態。
その上ここは米花町。事件がよく起こるせいで命の危険にさらされる事が多いためか、米花町の人間は抜け目のない事で有名だ。
少しの判断ミスで死ぬような環境ではそのような人間しか生き残れないだけかもしれないが。
断れば自分が考えているよりも効率が良く効果的な方法で言いふらされる。神は瞬時に判断した。
「分かった。要求を飲もう」
質言は取ったが、菜々は釘を刺しておく事にした。
ネチネチと脅しに近い形で念を押してくる菜々に対し、神は疑問を覚える。
「二つ質問いいか? 一つ、なぜあんな要求をしたのか」
「私は友達を作りにくい体質だからです。だったらいっそ、友達と一緒のクラスになればいいと考えました」
「それ体質っていうよりもお前の性格に難があるんじゃないか?」
菜々はその質問をスルーした。
彼女が許した二つの質問の中に含まれていないからだ。
また、磯貝と片岡を一緒のクラスにして仲を見守るという思惑もあるものの、そこまでは答えなくていいだろう。
「新しいクラスのメンバーを教えて欲しかったのは、賭けに必ず勝つためです。クラス替えの結果予想大会で一儲けします」
この歳で借金を抱えている以上、儲けられるチャンスを逃すわけにはいかない。
「では最後の質問だ。お前はどうしようもない怒りを私にぶつけている気がするんだが……」
「なんのことでしょう?」
菜々は今まで直視していた神の目から視線を外した。
鬼灯が階段から落ちてきたマキを受け止めている頃、閻魔庁では「なんでだよ!?」と突っ込みを入れる閻魔と篁、「アイドルがライバルとかも良いですねえ」と呟きながらメモを取る殺せんせーが目撃されたらしい。
*
「鬼灯様、私達名前欲しい」
双子の座敷童子の片方がねだる。
薬を届けに来たついでに座敷童子についての説明を聞いていた桃太郎と、彼と話していた鬼灯は座敷童子を見下ろした。
「にゅや?」
超生物姿になって巻物整理をしていた殺せんせーが彼らに注目したため、恩師の目線を菜々も追う。
ぶつくさ言いつつ殺せんせーの手伝いをしていた手を止め、何事だろうかと見守る事にした。
今は裁判が無いため閻魔は寝ているし、契約上は巻物整理をする必要が無いのでサボっても良いはずだ。
本当は声をかけたいが、超生物姿となった殺せんせーから目を離すと取り返しのつかない事に成るかもしれないので我慢する。
「様子を見に行きましょうか」
そわそわし始めた菜々の気持ちを汲み取り、殺せんせーは一瞬で巻き物を仕分けする。
「できるんならさっさとやってくださいよ」
顔には怒った様子が無いものの文句を言いつつ、菜々は法廷の真ん中付近で話し込んでいる一同の元に向かった。
人型に戻った殺せんせーもネタ帳を持ってついてくる。地獄に来た今でも、彼は現世で愛用していたアカデミックドレスに似た物に身を包んでいた。
背伸びすると三メートル位である超生物姿でも着ることができるサイズのため、人型に戻った時は服がブカブカになるのだが、折りたたんで裾が足首に差し掛かるくらいの長さにしている。
ズボンを履いていないので、それくらいがちょうど良いのかもしれない。
「そういえば、殺せんせーってパンツ履いてるんですか?」
「失礼な。ちゃんと技術科の皆さんに作ってもらった特別なパンツを履いてます。……あれちゃんとパンツですよね?」
「知りません。ただ、パンツ=モラルらしいですよ」
教師と生徒の会話とは思えない会話をしながら、二人は並んで歩いた。
手っ取り早く「ざしき」と「わらし」にしたらどうかと提案した桃太郎が顔を引っ張られている頃、殺せんせーは顎に手を当てて考えていた。
「このメンバーで名前を考えること事態が間違っている気がします」
「二人の髪の色で黒と白……じゃなくて黒子と白子!」
殺せんせーがもっともな事を言ったが、菜々は聞いていないのか名前の提案をした。
途中で天真爛漫な犬を思い出して慌てて変更しているところを見ると、適当に考えたのだろう。
「それってどこのバスケ漫画の主人公?」
「じゃあ、桃太郎さんの案の『童子』を使って、黒童子……じゃなくて黒童子と白童子は?」
「私、奈落の分身じゃない」
「菜々さん、あなたネーミングセンス無いんだから黙っててください。この中では一番センスが良い私が考えます」
殺せんせーが割って入ってくる。
菜々の父親は「サイヤ人のように強い子になるように」という願いを込めて娘の名前をつけた男だ。
彼女のネーミングセンスにおいては、殺せんせーの言い分が正しい。
「殺せんせーのネーミングセンスだってひどいじゃないですか。E組の皆を勝手に使って書いた恋愛小説の題名『ドキドキ★ラブラブ魔法学園』だったし」
「……分かりやすさも大事だと思うんですよ」
そんな会話を二人が繰り広げている中、鬼灯と桃太郎も話を進めていた。
「あ、じゃあ一と二でいいじゃないですか」
「牧場の羊か!? 俺よりひどいな!」
「二はやだ」
「では菜々さんがしたように、子をつけて一子と二子で」
「閻魔大王に決めてもらうのが一番良かったんじゃ……」
殺せんせーが呟くが誰も聞いていない。
桃太郎と鬼灯は話しており、座敷童子達は今しがた貰った名前をしたためるために筆と紙を取りに行った。
一方、菜々は気を抜くと緩みそうになる顔に力を入れるのに必死だ。
勝手な想像だが、鬼灯が座敷童子を引き取ったのは過去の自分に重ねたからかもしれないと菜々は考えている。
家も名前も無い子供に、昔閻魔がしてくれたように名前をつける。本人は気がついていないかもしれないが、どれだけ特別な事だろうか。
*
「すみません。梓さん、ちょっとお願いが……苗子ちゃん、何やってるの?」
休日に居酒屋あずさを訪れた菜々は、予想外の人物が居る事に驚きをあらわにした。
調理場に立っている蛍と三池、その様子を微笑みながら眺めている梓。そして漂ってくる甘い匂い。
もうすぐ二月十四日である事も含めて考えると、自ずと答えは見えてくる。
「味見でもしようか? この前桜子ちゃんの事も手伝ったし」
「そう言えば、チョコを作っていたら菜々が突然押しかけてきたって桜子が言っていたような……」
「それより梓さん。仕事引き受けてもらえませんか?」
店に入り、カウンターの前に立って菜々が尋ねる。
さりげなく話題を逸らすことに成功した。
「六月に中学の時の先生が結婚するんですけど、ちょっとしたお祝いを皆でする事になったんです。料理も出そうって話にもなってるんですけど、私達だけだと大変なので手伝ってもらえませんか? もちろんお金は払います」
「菜々ちゃんもチョコ作って行ったら? わざわざここまで来てくれたんだし」
菜々の頼みを快く引き受けた後、梓は提案した。
「バイトのついでですよ。隣の店のバイトが終わった直後で」
何気なく菜々が口にした一言で店内が凍りつく。
居酒屋あずさの隣に位置する店の名前は「SMバー」だ。その上、たまに服(主に背中)が破けた男や肌に細い痕がたくさん残っている男が店から出てくるのが目撃されることもある。
「バイトって言っても昼に店の掃除をしたり仕込みを手伝ったりするくらいですよ!?」
慌てて弁解するが、何の仕込みなのかを明確にしなかったせいで、余計に微妙な空気になった。
「と、取り敢えず菜々もこっちに来なよ。本命チョコまだ作ってなかったら一緒に作ろう」
「本命チョコ?」
内心では冷や汗をダラダラ流しているものの、顔に出さないように細心の注意を払いながら、菜々は聞き返す。
「全部知ってるよ。刑事さん達が聞き込みに来た」
「あの人達仕事してるのかな……」
思わずジト目になってしまう。
最近は疎遠になってしまった伯父に一度確認した方がいいかもしれない。
それはさておき、三池のところに刑事が来たとなると桜子のところにも来たのだろう。
野生の勘に従って桜子の家に突然押しかけた日、まだ明るいのに電気スタンドを顔に近づけられて根掘り葉掘り聞かれた理由が判明した。
この前の事を思い出して菜々が何とも言えない気分になっている時、三池は安堵していた。
菜々の反応を見て刑事達の言い分が正しいのだろうと察したのだ。
菜々は問題児だった。こんな事が出来るのは小学生までだとか、馬鹿やってると嫌なことも忘れるなどと主張して割と好き勝手やっていた。
生徒達の間で評判の悪い教師である国上には初っ端から喧嘩を売ったらしく、週一ペースで果たし状を送りあっていた。
卒業式の日に河原まで走って行って殴り合った後堅く握手を交わした事は、もはや伝説になっている。
あの時は太陽が真上に登っていたはずなのに、なぜか夕焼けが広がっているように見えたと皆が口を揃えて証言したのも印象深い。
今でも国上との戦いは続いているらしく、オンラインで対戦したりどちらが多くのアリの巣に小石を詰める事が出来るか競ったりしている。もはや何をしたいのかすら分からない。
顔はいいので初めのうちは男子の目を引くこともあるが、三日と経たないうちに本性がバレて遠巻きにされる。それが菜々の立ち位置だった。
本人にこそ言わなかったが、昔は桜子と一緒に菜々の将来について心配しあったものだ。
「じゃあ、どんなチョコを作るか考えようよ」
今の相手を逃したら菜々は一生結婚できないと三池は一瞬で結論を出した。
「ねえ、それ何? クッキー作ってて菜々のことを見張ってなかった私も悪いけど」
「今回は無難にハート形にしようって結論になったじゃん」
「それハート形って言うより心臓だよね!?」
「これはお約束だと思う」
蛍と作っていたクッキーが完成し、一人で別のチョコの制作に取り組んでいた菜々はどうなったかと三池が何気なく横を見てみると、ありえない形のチョコが目に留まった。
「この肺静脈とか頑張ったんだよ」
こんな事なら梓に見張っておいてもらうべきだったと後悔している三池の心情を知らず、菜々は見当違いな事を言っていた。
「苗子ちゃん諦めなよ。相手が相手なんだし」
蛍に肩を優しく叩かれて、三池は思わず涙ぐみそうになる。
「菜々、今回誕生日プレゼント貰ったんだよね? それのお返しも兼ねてのチョコがやけにリアルな実物大の心臓チョコってどうかと思うけど」
「でも何かあるんだと思うんだよ。今回は普通の物で……」
死装束、喪服と続いていたので今度は棺桶あたりが来るかと思いきや、渡されたのは金魚があしらわれたかんざしだった。
尋ねてみたが呪いの品でも凶器になるものでもないらしい。
菜々が途方に暮れているといつのまにかその場に居た殺せんせーが、昔は指輪の代わりにかんざしを送る習慣があったのだと教えてきた。
「高校卒業してすぐ、過去に囚われている鬼灯様を何気ない言葉で救って、生まれてきた子供に『丁』と名付ける。いいですねえ。それにしても鬼灯様の過去は美味しい」
ブツブツと呟いてメモをする殺せんせーを見て、菜々は自分も同じような事をしていた事を思い出し、小さじ一杯分くらい反省した。
「前は『慣れないのでしばらくは加々知さんとお呼びしてもいいですか?』とか言っていたのに……」
「しょうがないじゃないですか、減給の危機ですし」
「ゴマ擦っても変わらないと思いますよ」
お香にもかんざしを買っていた事を思い出し、ゴチャゴチャになった思考をリセットするためにそんな会話をしていた事は覚えている。
今回は普通の物だから何かあると思う。
それを聞いて、三池は悟った。同族だから心臓型のチョコでも大丈夫だと。
去年は呪いのチョコを渡したと聞き、三池が死んだ魚のような目をするのは十分後の事である。
作中トリック:江戸川乱歩の「魔術師」より