トリップ先のあれやこれ
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公立である都立永田町高校に入学する事を菜々が決めた理由はいくつかある。
殺せんせーに説明した「親にこれ以上負担をかけたくないから」というのは二番目の理由だ。
一番の理由は米花町から離れているから。
呪われし町、米花町。最近では一日に数件殺人事件が起こるようになってしまった。
トリップしたばかりの時はせいぜい二日に一度だったのにだ。
菜々は新一が物心ついたせいだと睨んでいた。
彼はまだ小学生だというのに探偵の真似事をしている。主人公が推理をし始めたら回想などで話が作れる。
とにかく、菜々は少しでも米花町から離れたかった。
最後の理由としては米花町から永田町まで行く時に椚ヶ丘駅を通るからだ。つまり登下校中に地獄に寄ることが出来る。
今日も菜々は放課後に地獄に来ていた。
まだ春なのに暑いのは地獄だからだろうかと思いながら、出された冷たい麦茶で喉を潤す。
学校が終わった時間帯なので元気な子供達の声が窓の外から聞こえてくる。
浅野塾。菜々が学校が終わってから真っ先に訪れた場所だった。
「どうしたの? 勉強で分からないところでもあった?」
席を外していた沙華が職員室に窓から入ってきた。
急に第二の教え子が訪ねてきたとあぐりから聞いて急いで戻ってきたのだ。どうやら電話では済ますことが出来ない内容らしい。
「聞きたいことがあるんです。会社を繁栄させる妖怪なんていましたっけ?」
菜々の父親は小さな会社を経営している。
彼女が私立である椚ヶ丘中学校に通わせてもらったのは父の会社がそれなりに儲かっているからだ。
ただし「それなり」止まり。従業員が二十人もいない小さな会社だったはずだ。
しかし、菜々はテレビをつけた時に高いビルの前で笑っている自分の父を見た。
そのビルが父の会社である事を理解してすぐ、母に電話をかけた。
『なに言ってるの? お父さん何度も会社が大きくなったって言ってたじゃん』
予想外の答えを聞いて菜々は絶句した。
「どうせちゃんと話を聞いていなかったんでしょ」
「その通りです……」
近くにいた天蓋に痛い所を突かれて菜々は小さくなる。
「とにかく、あのお父さんが会社を大きく出来るわけがありません! これは妖怪のせいです!」
ただ会社が大きくなるだけならいいが、そうはいかないだろう。日本の妖怪はメリットがあるならデメリットもあるのだ。
「妖怪ね……。座敷わらしとか?」
なんとなく気がついていた菜々はうなだれた。
座敷わらしは家人が欲に溺れ、努力を怠るようになった途端出て行ってしまう。その上、その家は一気に没落してしまうのだ。
「取り敢えず、ずっと居座ってもらうようにおはぎ持って交渉してきます」
菜々は出された麦茶を全て飲みきってから立ち上がった。
父の会社に居るであろう座敷わらしはあの座敷わらし達ではないかと思いはしたが頭から振り払う。
『菜々さん。現世の携帯にお父さんからメールが届いているようです』
地獄用のスマホに映った律の言葉を聞き、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
*
現世に戻ってメールを確認するとすぐに帰ってくるようにと書かれていたので、何事かと急いで帰宅したらいきなり父が土下座してきた。
土下座を極めている菜々は直感した。この土下座は崖っぷちに立たされた挙句、誰かを巻き込んでしまった人間の物だと。
「会社が倒産した……」
ここまでは予想通りだったので菜々は特に驚かなかった。
持っているコネを最大限使って父の転職先を探そうと頭の片隅で考えるくらいには余裕があった。
「……三千万借金がある。二千万は集まったが、残りの一千万が……」
一瞬思考が停止してしまったが、菜々はすぐに頭を回す。
殺せんせーの賞金は旧校舎のある山の分の金額と皆の将来の学費の頭金だけを貰い、後は国に返した。
高校も大学も公立志望だったのでほとんど賞金を貰っていない。
今まで亡者回収で稼いだ金額と、大学に行く際の下宿代の頭金を合わせてざっと七百万。三百万足りない。
旧校舎がある山でニホンカワウソでも捕まえようかと考え始めた時、ソラに小突かれた。
意識を再び父の言葉に向ける。
「一千万を返す当てはあるが、菜々次第だ。嫌なら嫌と言ってもらって構わない。遺産相続を拒否すれば俺達の死後、借金を払う必要は無い」
「分かった。取り敢えずその当てって奴を教えて」
*
借金を返す当てというのは要するに政略結婚だった。
相手はYASASHISA SEIMEIの次期社長である亜久妙隆。
小学四年生の時クリスマスに一度会ったことがあるらしいが、優作のインパクトが強すぎてあまり覚えていない。せいぜい、「なんかめんどくさいおっさんがいたな」くらいの認識だ。
取り敢えずは一緒に食事でもという話になり、土曜日に高級感漂ようイタリアレストランに連れていかれた。牛丼を頬張っている方が好きな菜々にとっては結構な苦痛だったが、料金は全て向こう持ちという事だったので気にせず食べることにした。
菜々はパスタを頬張りながら目の前に座っている男を盗み見る。
こいつ絶対ロリコンだろ、と思っていると目が合った。
「なんで僕が君の結婚を条件に借金を肩代わりする提案をしたのかって顔してるね」
「そうですね。こんなちんちくりんのために一千万も払う理由が分からない」
「初めて会ったクリスマスの日、僕が君に心を奪われたからさ」
何言ってんだコイツという目で菜々は相手を見つめたが、さすがに失礼だったので謝ろうと口を開く。
結婚はせずに上手いこと借金を肩代わりしてもらえないだろうかと考え始めたのだ。
「その蔑んだ目、素晴らしい!!」
菜々は謝ろうとしていた事を忘れて、口をポカンと開けた。
「覚えていないかい? 初めて会った日、君は僕に『全身爪楊枝で刺してやろうか』と言ったんだ! あの日から僕は新しい世界を知った」
あれ、聞こえていたのか、と菜々は遠い目をした。
自慢話に嫌気がさしてボソッと呟いてしまったのだ。
自分に責任はあるものの、ロリコンの上にマゾまで加わってしまった。正直結婚したくないどころか同じ空間にいるだけでも嫌だ。しかし、そう思えば思うほど相手は喜ぶ。
これからどうするかと菜々はため息をついた。
どうせなら殺せんせーの賞金を大目に貰っておけばよかった。それとも理事長に株で儲ける方法を伝授してもらおうか。
*
菜々は縁側に腰掛けて金魚草を見上げていた。
これからの事を考えるだけで気が滅入る。
結婚相手候補と会ってから、ソラにこの事を上に報告した方がいいと言われた。鬼と人間が結婚するのはタブーだ。
頭では分かっているものの、菜々は報告するのをためらっていた。
彼女の両親を助けるメリットが地獄には無い。
所詮はバイトだし成人すらしていない。殺せんせーの件で功績を挙げはしたが権力はまるっきりないのだ。
このような状況になってしまった以上、強制的に地獄に住まなくてはならなくなるだろう。両親を助けるなんてなおさら無理だ。
「どうしたんですか?」
気がついたら鬼灯が横に立っていた。水撒き機を持っているところを見ると休憩中なのだろう。
だんまりを決め込んでいても打つ手がないのだから意味がないと判断し、菜々は重い口を開いた。
一連の出来事を全てを話し終えると、鬼灯は顎に手を当てて思案し始めた。いつのまにか水撒き機を下に置いて、隣に腰掛けている。
「菜々さん、脳みそ入り味噌汁って飲めますか?」
鬼灯が口を切る。
「よっぽどまずくない限り飲めると思いますけど……」
「じゃあ、私でいいじゃないですか」
一斉に揺れていた金魚草の中の一匹が目をギョロッと動かし、鳴き始める。それにつられて他の金魚草も鳴き始め、不気味な鳴き声が響き渡った。
急に吹いてきた地獄特有の生暖かい風が頬をなで、髪が舞う。
地獄のアニメを毎回食堂のテレビで見るのがキツイので、これからは死神の部屋に無理やり押しかけようかと、風になびく髪を目の端で捉えながら菜々はぼんやり思った。
なぜこのような事を考え始めたのか。事の発端を思い起こして菜々は凍りつく。
鬼灯の言葉が理解できず、思わず現実逃避をしてしまったようだ。
一連の出来事を思い出した途端、疑問が次から次へと湧いてくる。
なにから尋ねるべきかと考える事もなく、無意識のうちに菜々は質問していた。
「鬼灯さんってロリコンですか?」
「違います」
即答だったのが余計に怪しいと菜々が訝っていると、鬼灯が堰を切ったかのように話し始める。
すでに米花町の視察が検討されているため、今さら変更できないらしい。
現在米花町がある場所では昔から事件が起こっていた。
しょっちゅう人が死ぬせいで、亡者の一割が米花町出身だという都市伝説が存在するくらいだ。
殺人や窃盗、誘拐などの犯罪が頻繁に起これば、親しい人が殺された、屈辱的な事をされたなどの理由で恨みを持つ人間も増えてくる。
恨みを持つ人間が増えれば周辺に負のエネルギーが漂い、亡者が寄せ付けられる。
人が死に、その恨みでさらに亡者が集まってくる。
そのせいで米花町を担当しているお迎え課の人員をどれだけ増やしても、亡者が次々と現れる。
地獄では早いうちから問題視されていたが解決する事が出来なかった。
視察に行っても事件に巻き込まれ、容疑者となってしまうのだ。
おそらく、地獄一面に漂っている負のエネルギーをまとっているせいだろう。
容疑者となれば当然疑いの目を向けられる。
面倒くさい事に米花町には頭の切れる者がいた。工藤家の連中だ。
彼らはめっぽう推理力が高い。容疑者の一人が何か隠していることなどすぐに見抜いた。
その頃はホモサピエンス擬態薬なんてなかったので正体がバレてしまい、ろくに視察する事が出来なかった。
ただ一つ分かったことといえば、工藤家の人間が事件を引き寄せているらしいと言う事だ。
毎度視察に行った者が事件に巻き込まれるため一度方法を見直そうと言う話になって来た頃、現世では日本が世界に進出していた。
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦などの戦争が次々と起こったのだ。
戦争をするとなれば当然死者は多くなる。
その上外国で死亡する人間が多発し、地獄は大忙しとなった。
さらに地獄の仕組みが現世に合わなくなるたびに改正し、外交も活発になったりとさまざまな要因が重なって米花町については後回しにされて来た。
EU地獄と平和条約を結び終わり、米花町に住んでいる上に問題の工藤家の人間と面識のある菜々の協力を得られる事になったので、もうそろそろ本腰を入れて米花町の視察をしようという話になっていた頃、別の問題が浮上した。
来年地球を滅ぼすかもしれないマッハ二〇の超生物。
しかも超生物は現世日本に居座ることとなり、日本地獄は余計に忙しくなった。
「ゴタゴタがやっと片付いたというのに、米花町の視察の要とも言える菜々さんの協力が得られなくなったら元も子もありません」
米花町視察の歴史を語った後鬼灯はそう締めくくった。
「つまり?」
「借金は全て私が肩代わりします。私が菜々さんと結婚するのは周りに納得させるためです」
*
鬼灯の仕事は早かった。
まずは菜々の親戚達を納得させるためのシナリオを作る。
と言っても彼女の両親が学生のうちに籍を入れた関係で猛反対していた母方の親戚とは疎遠になっており、実質絶縁状態に近い状態だ。また、父の両親はすでに他界している。それらの理由から、説明する必要があるのは両親と刑事である伯父だけだ。
殺し屋をしていた以上、人の心理に詳しいであろう死神にもシナリオ作りの協力を仰いだ。殺せんせーに声をかけなかったのは、声をかけるとめんどくさい事になりそうだったからだ。
どう言えば違和感がないか。同情を誘って相手の判断力を鈍らすにはどうすればいいか。意見を出し合い、持っている知識全てを使って虚構を紡ぐ。
シナリオを作る上で参考になりそうな情報の収集は律に手伝ってもらい、E組の皆に口裏を合わせてもらうように頼む。
鬼灯の戸籍の偽装も律に手伝ってもらった。
上司である閻魔に結婚する旨を伝えた時は驚かれたが、理由を話すと呆れられた。
菜々が結婚を提案されてから一週間後。全ての準備が整い、彼女の両親に事情を話すこととなった。
*
「フハハハハ。来たな、加藤菜々! どうだ気持ち悪いだろう! これでお前は家に入る事が、フゲフッ」
人の家の前でブリッジをしてガサゴソとゴキブリのように動いていたムキムキの亡者は、菜々に蹴り飛ばされた。
何事もなかったかのように二度目の蹴りを入れている菜々とお迎え課に連絡しているソラを見て、これはいつもの事なのだろうと鬼灯は悟る。
目的地に着くまで、米花町で嫌という程亡者を見た。
どれだけ捕まえてもキリがないと言われているのが頷ける。
逃げ出さないようにと菜々が木に亡者を結びつけている時、沈黙に耐えられなくなったソラが鬼灯に話しかけた。
「髪、切ったんですね」
「ああ。さすがにいつもの髪型で行くのはまずいと口を揃えて言われまして」
自力では無理なので意を決して美容院に出向き、「現世朝ニュースの安心イケメンアナウンサー風で!」と叫びながら殴り込みに近い入店をした事を鬼灯が告げる。
「今度美容院に行く時は連れてってください! 私のせいでわざわざ髪まで切ってもらった事を謝るべきなんでしょうけど……なにそれ超見たい!!」
わめいていた亡者の顔に蹴りを入れた後、菜々が会話に加わって来た。
チャイムを鳴らしてから少し経つと家の中から足音が聞こえ、ガチャリと扉を開ける音が聞こえる。
「どこの組の方ですか?」
亜久妙隆と籍を入れる以外に借金を返済する方法が見つかったと言っていた娘の後ろにいる男を一目見ると、母が疑問を零した。
「お母さん、違うからね。確かに凶相だけど」
家に上がり、勧められた席に着いたところで菜々が口を開く。
父がソワソワとしているのに対し、母は割といつも通りだった。
「なんとなく予想がついているとは思うけど、この人が私の婚約者候補その二。加々知鬼灯さん」
鬼灯が頭を下げる。ホモサピエンス擬態薬の副作用で眠気が酷いため、かなり凶悪な面構えだ。
「一連の流れを聞いて、私は前から想いを寄せていた娘さんにプロポーズしました。もしも結婚を許していただければ、借金全て肩代わりします」
「あのロリコンマゾ男よりはいいと思うよ。性格がちょっとアレな事を除けばスペック高いし」
菜々はすかさず合いの手を入れる。
「あー、加々知君。まだ若いのにそんな金があるのか?」
よっぽど高給取りなのか親が金を持っているのか、急な遺産相続で大金を得たか。いや、もしかすると裏社会の人間かもしれない。
父の質問からそのような考えを察して菜々は思わず背筋を伸ばした。
「おそらく口止めの意味もあったのでしょう。政府から殺せんせー関連で巻き込んでしまった謝罪という名目で、一生遊んで暮らせる大金を貰ったばかりなんです」
「そう。ヤのつく方じゃなくて殺し屋だったの……」
「お母さん、違うからね!? この人裏社会の人間じゃないからね!?」
とっさに菜々が否定するが、両親はまだ信じきれていないようだった。
「米花町ではしょっちゅう裏社会の人間を見る。君の目は彼らにそっくりだ」
「菜々がそうしたいのなら殺し屋に嫁いでもいいよ……。あなたは人を見る目があると思うし」
「お母さん、さすがに放任主義すぎるのはどうかと思うよ!? いや、信頼してくれてるのは嬉しいけど……。そしてお父さんは一旦黙れ」
元はと言えばお前のせいだろうが、という想いを込めてジト目で睨むと父は押し黙った。
UMAの目撃情報を得て山に来たところ殺せんせーに鉢合わせてしまっただけであり、鬼灯は後ろめたい事をしているわけではないと信じさせるのにかなりの時間を費やした。
「そんなに悪人ヅラですか?」
「下手したら指名手配犯よりも指名手配犯っぽいですよ」
呑気に尋ねている鬼灯を見て、自分が化かした方が良かったんじゃないかとソラは思い始めた。
「じゃあ職業は?」
大金が転がり込んだ事を理由に辞めていたらどうしようかと、父の顔に書いてある。
「派遣社員に登録していますが、なかなか仕事がないのでバイトもしています。あ、大金を手に入れた後も仕事は続けていますよ。人間、サボる事を覚えると一気に堕落するので」
感心している母とは対照的に、父は余計に不安になった。
「派遣社員に登録しているけどなかなか仕事が無い?」
「鬼灯さん優秀だから! 定職につけないのは社会問題のせいだから!」
とっさに菜々が反論する中、鬼灯は落ち着いた声色で尋ねた。
「黄金神教事件をご存知ですか?」
黄金神教事件。二十年ほど前に起こった事件であり、一人の大富豪が開いた宗教――黄金神教が元になった事件である。
黄金神教とは、黄金神とされる金色のカラスの置物に祈りを捧げ、山の中で信者達が集団生活を送って精神を高めるという教えだ。
それらの事は自由の範疇とされていたが、しばらく経って信者が殉教の名のもと次々と自殺をしている事が判明。マスコミに取り上げられて社会問題となり、警察が介入する事となった。
やがて、孤児院から引き取った子供達を一人ずつ洞窟に閉じ込めて餓死させて「生贄」としていた事、幹部達が法外な寄付金を使って贅沢な暮らしをしていた事も判明した。
余りの酷さからこの事件は大きく取り上げられ、黄金神教と関わっていたというだけで白い目で見られるようになった。
親に連れられて山で生活していたいわゆる「二世代」の子供達が、実力があっても正規雇用で採用されないなど。今でも黄金神教が元となったさまざまな社会問題が根強く残っている。
「私は黄金神教に引き取られた孤児でした」
予想外の言葉に両親は目を見開く。てっきり彼は親に連れられて山で生活していた「二世代」だと思っていたのだ。
生贄となる事が決まり、洞窟に閉じ込められたが穴を掘って脱出。警察に保護されるまでの数日間、信者達に見つからないように気を付けながら、カエルやトカゲを焼いたり食べられる草を探したりして餓死を逃れた。
壮大な幼少期に両親が目を見開いているのを見て、菜々は今のところ怪しまれていない事に安堵した。米花町の人間は感覚が狂っており、普通の人が信じないような話でも簡単に信じてしまう節がある。
「私が脱出できたのは掘りかけの穴があったからです。その穴の周りには子供の白骨死体が大量にありました」
「そうか……悪い事を聞いたね」
自分のせいだと理解しているので強くは言えないものの、鬼灯を敵視していた父が謝る。
「ふ、二人の出会いは?」
明るい話題にしようと母は咄嗟に尋ねた。
「私が蹴り飛ばした強盗犯が鬼灯さんの方に飛んでった」
「は?」
「で、私はとっさに足四の字固めを……」
この嘘は死神のお墨付きだ。
菜々はさすがにどうかと思ったが、「君達ならこれくらいインパクトある出会いじゃないと逆に怪しい」とまで言われてしまった。
実際、稲荷の狐を追いかけて地獄に迷い込むという出会いをしている事を考えると妥当な判断かもしれない。
だからこの二人惹かれあったのか、と両親はやけに納得したので結果としては良かったのは確かだ。
それから両親から浴びせられる質問に対して、あらかじめ決めておいた受け答えをしていく作業が開始された。
一通りの説明が終わり、菜々が紙を取り出して両親に見せる。
「で、私が十六歳になったら籍を入れようと思うんだけど、いくつか取り決めをした。この契約書確認して」
一、成人するまでは手を出さないこと。もしも約束を破った場合は無くなった方が人類にとって良いと見なし、再起不能にする。
「どこをだよ!?」
父が突っ込んだが、母は気にせず読み進めた。
二、世間体もあるので高校を卒業するまで、婚約者に今までの姓を名乗らせること。
三、高校卒業までは一緒に暮らさない。家に泊めるのも同様。ただしそれ相応の理由がある場合は除く。
四、結婚のことは親戚以外の人間に極力気づかれないようにする。
このような内容が延々と続いていた。
「これに拇印を押してもらおうと思うんだけど、この内容で良い?」
両親が書類に一通り目を通した事を確認してから菜々が尋ねる。
幼い頃から犯罪に巻き込まれていたため対処法を嫌という程知っている娘なら、自分の身は自分で守るだろうと判断して両親は頷いた。
*
「今日はありがとうございました。それと、わざわざ現世で部屋まで買ってもらちゃってすみません……」
夜、菜々は鬼灯に電話をかけていた。
目の前の勉強机の上には教科書が散らばっている。
『別にいいです。去年の獄内運動会前に書かされた契約書のこともありましたし』
淡々とした鬼灯の声を聞いて、菜々はやっと契約書の存在を思い出した。どうやら思っていたよりも慌てていたらしい。
『それと部屋については前々から計画していた事だったので、ホモ・サピエンス擬態薬と一緒に経費で落としました』
米花町の視察を本腰入れて開始する前に現世のマンションの一室を買っておこうと、十王やその補佐官の間で話がなされていたようだ。
米花町の視察をするという事は、現世で何度も事件に巻き込まれることを意味する。その上、米花町で事件が起こるとなると高確率で工藤家の誰かが関わってくる。
一度だけの視察なら住所や職業などを適当にでっち上げておけばいいが、数回続くとなるとそれは出来ない。
過去に何度も探りを入れられたことから地獄側は慎重になっていた。
菜々は小さくため息をついた。やはり鬼灯に恋愛感情は一切無かったようだ。
彼は仕事のためなら結婚くらい簡単にしてしまうような男だし仕方がない。
ロリコンでなかったことに安堵するべきか意識されていないことに落ち込むべきか考え込む前に、鬼灯が疑問を口にした。
『そういえば部屋を買う時、なんか誓わされたんですけどあれなんだったんですか?』
「米花町ではよくあることです……」
米花町の建物がほぼ事故物件である事は、それだけ犯罪が多いことを示唆している。
家を買う際それを承知で買うものの、住み始めた家で怪奇現象が起こったり事件が起こったりすると家を手放そうとする者が大勢いる。
ただでさえ買い手が少ない事故物件を手放されるなんて、不動産屋からしたらたまったものではない。
需要はないのに家ばかり余る。この現象を打開するために不動産屋は誓いを立てさせることにした。
「お前は帰ってきたら家で見ず知らずの人間が死んでいても、怪奇現象が起こっても家を手放さないと誓うか!」
「イエス、マム!」
このようなやり取りが聞こえてくると、米花町の人間は春を感じるのだ。この日常に慣れてしまったことに気がついた時、菜々はゾッとした。
「それと肩代わりしてもらった借金なんですけど、全部返します。今ある貯金のほとんどを借金返済に充てますし、これからはバイト代から五割取ってください」
用件を伝え、電話を切ると菜々は大きく息をついてベッドに倒れこんだ。
*
加藤文弘。菜々から見たら父よりも十年以上長く生きている伯父であり刑事だ。
彼は若い頃からかなり苦労していた。というのも、早いうちに両親が他界してしまったからだ。
文弘が高校生で、菜々の父は五歳かそこらだった時。いつも通り眠りについて朝目を覚ますと、菜々の祖父母は帰らぬ人となっていた。父から事件に巻き込まれたと聞いている。
神()が言っていた「公安だった祖父は殉職した」という話と父の話が矛盾しているが、菜々は特に気にしていなかった。
そんなことより、彼女にとっては漫画やアニメ、元クラスメイト達の恋愛模様の方が重要なのだ。
借金返済方法について話している間、伯父は口を挟まなかった。
「……そうか。俺は何も言わない」
話が終わるとはっきりと告げられる。
鬼灯が軽く頭を下げた時、文弘は菜々が一度も見たことが無い表情をしていた。
あの表情は共感だ。彼は両親を失ってすぐ、菜々の父と別々に引き取られたが兄弟共々あまり良い待遇を受けなかったらしい。
文弘は大学に行かず父親の後を追うかのように警察学校に入り、すぐに職について菜々の父と一緒に暮らすようになったくらいだ。よっぽど辛かったのだろう。
「向こうにはなんて説明するんだ?」
文弘の尋ね方は純粋な好奇心といった感じだ。
「もう話はつけましたよ。媚を売りつつ借金肩代わりしてもらって、結婚はしない流れに持っていくのは難しかったですけど、散々やらかして向こうから断ってくるように仕向けるのは得意なので」
結婚云々の話は亜久妙隆の独断だと菜々はすぐに見抜いた。自分にそこまで魅力は無いし、父の会社を乗っ取るメリットも無いからだ。
周りは反対している。だったらもっと反対するような状況を作り出せばいい。
そう判断して、相手の家族の目の前で自分の素を思う存分出してみたらその場で断られた。
「黄金神教事件か……」
文弘が何かに想いを馳せて呟く。菜々の発言は特に気にしていないようだ。
黄金神教事件。悲惨さから世間を賑わせた事件だったが、厳重な情報規制が敷かれていた。
その上、事件に関わった刑事が皆殺されている。殺された刑事の中に文弘の知り合いもいたのかもしれない。
ここまで考えていたのだろうか。そう思いながら、菜々は鬼灯を盗み見た。今日もホモサピエンス擬態薬を飲んでいるせいか、目つきが悪い。少量だが殺気も出ている気がする。
黄金神教事件に関わっていたという嘘をつくのは両親の同情を誘うのと、見抜かれにくい嘘のつき方に乗っ取ってのことだと思っていた。
しかし伯父の様子を見ると、彼の反応も視野に入れていたのだと思える。
まだまだ彼には追いつけなさそうだ。そう思うのと同時に、鬼灯が出しているのであろう殺気に誰も気がつかないようにと菜々は願った。
*
菜々はベッドに寝転び、天井を見上げて律から聞いた話を思い出していた。
事件に関わっていた刑事達が殺された時、警視庁に保管してあった黄金神教事件のデータが雲散霧消したらしい。(つまり生贄にされた子供が保護された事を確認する手段がないため、あんな嘘を使うことが出来た。)
黄金神教に関する内容がほとんど世間に発表されていなかったというのに、社会問題が起こっているのは誰かが情報をネットに流したからだ。
「事件のにおいがプンプンする」
菜々は一瞬考え込んだが、すぐに思考を放棄する。
そんなことよりも、ロミオとジュリエットのような関係になってしまっている磯貝と片岡をなんとかしなければならない。
ベッドから起きあがり、机の上にノートを広げて「委員長コンビくっつけ計画」を練り始めた菜々は、後々クラスメイトと父に疑われる事になると知らなかった。
殺せんせーに説明した「親にこれ以上負担をかけたくないから」というのは二番目の理由だ。
一番の理由は米花町から離れているから。
呪われし町、米花町。最近では一日に数件殺人事件が起こるようになってしまった。
トリップしたばかりの時はせいぜい二日に一度だったのにだ。
菜々は新一が物心ついたせいだと睨んでいた。
彼はまだ小学生だというのに探偵の真似事をしている。主人公が推理をし始めたら回想などで話が作れる。
とにかく、菜々は少しでも米花町から離れたかった。
最後の理由としては米花町から永田町まで行く時に椚ヶ丘駅を通るからだ。つまり登下校中に地獄に寄ることが出来る。
今日も菜々は放課後に地獄に来ていた。
まだ春なのに暑いのは地獄だからだろうかと思いながら、出された冷たい麦茶で喉を潤す。
学校が終わった時間帯なので元気な子供達の声が窓の外から聞こえてくる。
浅野塾。菜々が学校が終わってから真っ先に訪れた場所だった。
「どうしたの? 勉強で分からないところでもあった?」
席を外していた沙華が職員室に窓から入ってきた。
急に第二の教え子が訪ねてきたとあぐりから聞いて急いで戻ってきたのだ。どうやら電話では済ますことが出来ない内容らしい。
「聞きたいことがあるんです。会社を繁栄させる妖怪なんていましたっけ?」
菜々の父親は小さな会社を経営している。
彼女が私立である椚ヶ丘中学校に通わせてもらったのは父の会社がそれなりに儲かっているからだ。
ただし「それなり」止まり。従業員が二十人もいない小さな会社だったはずだ。
しかし、菜々はテレビをつけた時に高いビルの前で笑っている自分の父を見た。
そのビルが父の会社である事を理解してすぐ、母に電話をかけた。
『なに言ってるの? お父さん何度も会社が大きくなったって言ってたじゃん』
予想外の答えを聞いて菜々は絶句した。
「どうせちゃんと話を聞いていなかったんでしょ」
「その通りです……」
近くにいた天蓋に痛い所を突かれて菜々は小さくなる。
「とにかく、あのお父さんが会社を大きく出来るわけがありません! これは妖怪のせいです!」
ただ会社が大きくなるだけならいいが、そうはいかないだろう。日本の妖怪はメリットがあるならデメリットもあるのだ。
「妖怪ね……。座敷わらしとか?」
なんとなく気がついていた菜々はうなだれた。
座敷わらしは家人が欲に溺れ、努力を怠るようになった途端出て行ってしまう。その上、その家は一気に没落してしまうのだ。
「取り敢えず、ずっと居座ってもらうようにおはぎ持って交渉してきます」
菜々は出された麦茶を全て飲みきってから立ち上がった。
父の会社に居るであろう座敷わらしはあの座敷わらし達ではないかと思いはしたが頭から振り払う。
『菜々さん。現世の携帯にお父さんからメールが届いているようです』
地獄用のスマホに映った律の言葉を聞き、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
*
現世に戻ってメールを確認するとすぐに帰ってくるようにと書かれていたので、何事かと急いで帰宅したらいきなり父が土下座してきた。
土下座を極めている菜々は直感した。この土下座は崖っぷちに立たされた挙句、誰かを巻き込んでしまった人間の物だと。
「会社が倒産した……」
ここまでは予想通りだったので菜々は特に驚かなかった。
持っているコネを最大限使って父の転職先を探そうと頭の片隅で考えるくらいには余裕があった。
「……三千万借金がある。二千万は集まったが、残りの一千万が……」
一瞬思考が停止してしまったが、菜々はすぐに頭を回す。
殺せんせーの賞金は旧校舎のある山の分の金額と皆の将来の学費の頭金だけを貰い、後は国に返した。
高校も大学も公立志望だったのでほとんど賞金を貰っていない。
今まで亡者回収で稼いだ金額と、大学に行く際の下宿代の頭金を合わせてざっと七百万。三百万足りない。
旧校舎がある山でニホンカワウソでも捕まえようかと考え始めた時、ソラに小突かれた。
意識を再び父の言葉に向ける。
「一千万を返す当てはあるが、菜々次第だ。嫌なら嫌と言ってもらって構わない。遺産相続を拒否すれば俺達の死後、借金を払う必要は無い」
「分かった。取り敢えずその当てって奴を教えて」
*
借金を返す当てというのは要するに政略結婚だった。
相手はYASASHISA SEIMEIの次期社長である亜久妙隆。
小学四年生の時クリスマスに一度会ったことがあるらしいが、優作のインパクトが強すぎてあまり覚えていない。せいぜい、「なんかめんどくさいおっさんがいたな」くらいの認識だ。
取り敢えずは一緒に食事でもという話になり、土曜日に高級感漂ようイタリアレストランに連れていかれた。牛丼を頬張っている方が好きな菜々にとっては結構な苦痛だったが、料金は全て向こう持ちという事だったので気にせず食べることにした。
菜々はパスタを頬張りながら目の前に座っている男を盗み見る。
こいつ絶対ロリコンだろ、と思っていると目が合った。
「なんで僕が君の結婚を条件に借金を肩代わりする提案をしたのかって顔してるね」
「そうですね。こんなちんちくりんのために一千万も払う理由が分からない」
「初めて会ったクリスマスの日、僕が君に心を奪われたからさ」
何言ってんだコイツという目で菜々は相手を見つめたが、さすがに失礼だったので謝ろうと口を開く。
結婚はせずに上手いこと借金を肩代わりしてもらえないだろうかと考え始めたのだ。
「その蔑んだ目、素晴らしい!!」
菜々は謝ろうとしていた事を忘れて、口をポカンと開けた。
「覚えていないかい? 初めて会った日、君は僕に『全身爪楊枝で刺してやろうか』と言ったんだ! あの日から僕は新しい世界を知った」
あれ、聞こえていたのか、と菜々は遠い目をした。
自慢話に嫌気がさしてボソッと呟いてしまったのだ。
自分に責任はあるものの、ロリコンの上にマゾまで加わってしまった。正直結婚したくないどころか同じ空間にいるだけでも嫌だ。しかし、そう思えば思うほど相手は喜ぶ。
これからどうするかと菜々はため息をついた。
どうせなら殺せんせーの賞金を大目に貰っておけばよかった。それとも理事長に株で儲ける方法を伝授してもらおうか。
*
菜々は縁側に腰掛けて金魚草を見上げていた。
これからの事を考えるだけで気が滅入る。
結婚相手候補と会ってから、ソラにこの事を上に報告した方がいいと言われた。鬼と人間が結婚するのはタブーだ。
頭では分かっているものの、菜々は報告するのをためらっていた。
彼女の両親を助けるメリットが地獄には無い。
所詮はバイトだし成人すらしていない。殺せんせーの件で功績を挙げはしたが権力はまるっきりないのだ。
このような状況になってしまった以上、強制的に地獄に住まなくてはならなくなるだろう。両親を助けるなんてなおさら無理だ。
「どうしたんですか?」
気がついたら鬼灯が横に立っていた。水撒き機を持っているところを見ると休憩中なのだろう。
だんまりを決め込んでいても打つ手がないのだから意味がないと判断し、菜々は重い口を開いた。
一連の出来事を全てを話し終えると、鬼灯は顎に手を当てて思案し始めた。いつのまにか水撒き機を下に置いて、隣に腰掛けている。
「菜々さん、脳みそ入り味噌汁って飲めますか?」
鬼灯が口を切る。
「よっぽどまずくない限り飲めると思いますけど……」
「じゃあ、私でいいじゃないですか」
一斉に揺れていた金魚草の中の一匹が目をギョロッと動かし、鳴き始める。それにつられて他の金魚草も鳴き始め、不気味な鳴き声が響き渡った。
急に吹いてきた地獄特有の生暖かい風が頬をなで、髪が舞う。
地獄のアニメを毎回食堂のテレビで見るのがキツイので、これからは死神の部屋に無理やり押しかけようかと、風になびく髪を目の端で捉えながら菜々はぼんやり思った。
なぜこのような事を考え始めたのか。事の発端を思い起こして菜々は凍りつく。
鬼灯の言葉が理解できず、思わず現実逃避をしてしまったようだ。
一連の出来事を思い出した途端、疑問が次から次へと湧いてくる。
なにから尋ねるべきかと考える事もなく、無意識のうちに菜々は質問していた。
「鬼灯さんってロリコンですか?」
「違います」
即答だったのが余計に怪しいと菜々が訝っていると、鬼灯が堰を切ったかのように話し始める。
すでに米花町の視察が検討されているため、今さら変更できないらしい。
現在米花町がある場所では昔から事件が起こっていた。
しょっちゅう人が死ぬせいで、亡者の一割が米花町出身だという都市伝説が存在するくらいだ。
殺人や窃盗、誘拐などの犯罪が頻繁に起これば、親しい人が殺された、屈辱的な事をされたなどの理由で恨みを持つ人間も増えてくる。
恨みを持つ人間が増えれば周辺に負のエネルギーが漂い、亡者が寄せ付けられる。
人が死に、その恨みでさらに亡者が集まってくる。
そのせいで米花町を担当しているお迎え課の人員をどれだけ増やしても、亡者が次々と現れる。
地獄では早いうちから問題視されていたが解決する事が出来なかった。
視察に行っても事件に巻き込まれ、容疑者となってしまうのだ。
おそらく、地獄一面に漂っている負のエネルギーをまとっているせいだろう。
容疑者となれば当然疑いの目を向けられる。
面倒くさい事に米花町には頭の切れる者がいた。工藤家の連中だ。
彼らはめっぽう推理力が高い。容疑者の一人が何か隠していることなどすぐに見抜いた。
その頃はホモサピエンス擬態薬なんてなかったので正体がバレてしまい、ろくに視察する事が出来なかった。
ただ一つ分かったことといえば、工藤家の人間が事件を引き寄せているらしいと言う事だ。
毎度視察に行った者が事件に巻き込まれるため一度方法を見直そうと言う話になって来た頃、現世では日本が世界に進出していた。
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦などの戦争が次々と起こったのだ。
戦争をするとなれば当然死者は多くなる。
その上外国で死亡する人間が多発し、地獄は大忙しとなった。
さらに地獄の仕組みが現世に合わなくなるたびに改正し、外交も活発になったりとさまざまな要因が重なって米花町については後回しにされて来た。
EU地獄と平和条約を結び終わり、米花町に住んでいる上に問題の工藤家の人間と面識のある菜々の協力を得られる事になったので、もうそろそろ本腰を入れて米花町の視察をしようという話になっていた頃、別の問題が浮上した。
来年地球を滅ぼすかもしれないマッハ二〇の超生物。
しかも超生物は現世日本に居座ることとなり、日本地獄は余計に忙しくなった。
「ゴタゴタがやっと片付いたというのに、米花町の視察の要とも言える菜々さんの協力が得られなくなったら元も子もありません」
米花町視察の歴史を語った後鬼灯はそう締めくくった。
「つまり?」
「借金は全て私が肩代わりします。私が菜々さんと結婚するのは周りに納得させるためです」
*
鬼灯の仕事は早かった。
まずは菜々の親戚達を納得させるためのシナリオを作る。
と言っても彼女の両親が学生のうちに籍を入れた関係で猛反対していた母方の親戚とは疎遠になっており、実質絶縁状態に近い状態だ。また、父の両親はすでに他界している。それらの理由から、説明する必要があるのは両親と刑事である伯父だけだ。
殺し屋をしていた以上、人の心理に詳しいであろう死神にもシナリオ作りの協力を仰いだ。殺せんせーに声をかけなかったのは、声をかけるとめんどくさい事になりそうだったからだ。
どう言えば違和感がないか。同情を誘って相手の判断力を鈍らすにはどうすればいいか。意見を出し合い、持っている知識全てを使って虚構を紡ぐ。
シナリオを作る上で参考になりそうな情報の収集は律に手伝ってもらい、E組の皆に口裏を合わせてもらうように頼む。
鬼灯の戸籍の偽装も律に手伝ってもらった。
上司である閻魔に結婚する旨を伝えた時は驚かれたが、理由を話すと呆れられた。
菜々が結婚を提案されてから一週間後。全ての準備が整い、彼女の両親に事情を話すこととなった。
*
「フハハハハ。来たな、加藤菜々! どうだ気持ち悪いだろう! これでお前は家に入る事が、フゲフッ」
人の家の前でブリッジをしてガサゴソとゴキブリのように動いていたムキムキの亡者は、菜々に蹴り飛ばされた。
何事もなかったかのように二度目の蹴りを入れている菜々とお迎え課に連絡しているソラを見て、これはいつもの事なのだろうと鬼灯は悟る。
目的地に着くまで、米花町で嫌という程亡者を見た。
どれだけ捕まえてもキリがないと言われているのが頷ける。
逃げ出さないようにと菜々が木に亡者を結びつけている時、沈黙に耐えられなくなったソラが鬼灯に話しかけた。
「髪、切ったんですね」
「ああ。さすがにいつもの髪型で行くのはまずいと口を揃えて言われまして」
自力では無理なので意を決して美容院に出向き、「現世朝ニュースの安心イケメンアナウンサー風で!」と叫びながら殴り込みに近い入店をした事を鬼灯が告げる。
「今度美容院に行く時は連れてってください! 私のせいでわざわざ髪まで切ってもらった事を謝るべきなんでしょうけど……なにそれ超見たい!!」
わめいていた亡者の顔に蹴りを入れた後、菜々が会話に加わって来た。
チャイムを鳴らしてから少し経つと家の中から足音が聞こえ、ガチャリと扉を開ける音が聞こえる。
「どこの組の方ですか?」
亜久妙隆と籍を入れる以外に借金を返済する方法が見つかったと言っていた娘の後ろにいる男を一目見ると、母が疑問を零した。
「お母さん、違うからね。確かに凶相だけど」
家に上がり、勧められた席に着いたところで菜々が口を開く。
父がソワソワとしているのに対し、母は割といつも通りだった。
「なんとなく予想がついているとは思うけど、この人が私の婚約者候補その二。加々知鬼灯さん」
鬼灯が頭を下げる。ホモサピエンス擬態薬の副作用で眠気が酷いため、かなり凶悪な面構えだ。
「一連の流れを聞いて、私は前から想いを寄せていた娘さんにプロポーズしました。もしも結婚を許していただければ、借金全て肩代わりします」
「あのロリコンマゾ男よりはいいと思うよ。性格がちょっとアレな事を除けばスペック高いし」
菜々はすかさず合いの手を入れる。
「あー、加々知君。まだ若いのにそんな金があるのか?」
よっぽど高給取りなのか親が金を持っているのか、急な遺産相続で大金を得たか。いや、もしかすると裏社会の人間かもしれない。
父の質問からそのような考えを察して菜々は思わず背筋を伸ばした。
「おそらく口止めの意味もあったのでしょう。政府から殺せんせー関連で巻き込んでしまった謝罪という名目で、一生遊んで暮らせる大金を貰ったばかりなんです」
「そう。ヤのつく方じゃなくて殺し屋だったの……」
「お母さん、違うからね!? この人裏社会の人間じゃないからね!?」
とっさに菜々が否定するが、両親はまだ信じきれていないようだった。
「米花町ではしょっちゅう裏社会の人間を見る。君の目は彼らにそっくりだ」
「菜々がそうしたいのなら殺し屋に嫁いでもいいよ……。あなたは人を見る目があると思うし」
「お母さん、さすがに放任主義すぎるのはどうかと思うよ!? いや、信頼してくれてるのは嬉しいけど……。そしてお父さんは一旦黙れ」
元はと言えばお前のせいだろうが、という想いを込めてジト目で睨むと父は押し黙った。
UMAの目撃情報を得て山に来たところ殺せんせーに鉢合わせてしまっただけであり、鬼灯は後ろめたい事をしているわけではないと信じさせるのにかなりの時間を費やした。
「そんなに悪人ヅラですか?」
「下手したら指名手配犯よりも指名手配犯っぽいですよ」
呑気に尋ねている鬼灯を見て、自分が化かした方が良かったんじゃないかとソラは思い始めた。
「じゃあ職業は?」
大金が転がり込んだ事を理由に辞めていたらどうしようかと、父の顔に書いてある。
「派遣社員に登録していますが、なかなか仕事がないのでバイトもしています。あ、大金を手に入れた後も仕事は続けていますよ。人間、サボる事を覚えると一気に堕落するので」
感心している母とは対照的に、父は余計に不安になった。
「派遣社員に登録しているけどなかなか仕事が無い?」
「鬼灯さん優秀だから! 定職につけないのは社会問題のせいだから!」
とっさに菜々が反論する中、鬼灯は落ち着いた声色で尋ねた。
「黄金神教事件をご存知ですか?」
黄金神教事件。二十年ほど前に起こった事件であり、一人の大富豪が開いた宗教――黄金神教が元になった事件である。
黄金神教とは、黄金神とされる金色のカラスの置物に祈りを捧げ、山の中で信者達が集団生活を送って精神を高めるという教えだ。
それらの事は自由の範疇とされていたが、しばらく経って信者が殉教の名のもと次々と自殺をしている事が判明。マスコミに取り上げられて社会問題となり、警察が介入する事となった。
やがて、孤児院から引き取った子供達を一人ずつ洞窟に閉じ込めて餓死させて「生贄」としていた事、幹部達が法外な寄付金を使って贅沢な暮らしをしていた事も判明した。
余りの酷さからこの事件は大きく取り上げられ、黄金神教と関わっていたというだけで白い目で見られるようになった。
親に連れられて山で生活していたいわゆる「二世代」の子供達が、実力があっても正規雇用で採用されないなど。今でも黄金神教が元となったさまざまな社会問題が根強く残っている。
「私は黄金神教に引き取られた孤児でした」
予想外の言葉に両親は目を見開く。てっきり彼は親に連れられて山で生活していた「二世代」だと思っていたのだ。
生贄となる事が決まり、洞窟に閉じ込められたが穴を掘って脱出。警察に保護されるまでの数日間、信者達に見つからないように気を付けながら、カエルやトカゲを焼いたり食べられる草を探したりして餓死を逃れた。
壮大な幼少期に両親が目を見開いているのを見て、菜々は今のところ怪しまれていない事に安堵した。米花町の人間は感覚が狂っており、普通の人が信じないような話でも簡単に信じてしまう節がある。
「私が脱出できたのは掘りかけの穴があったからです。その穴の周りには子供の白骨死体が大量にありました」
「そうか……悪い事を聞いたね」
自分のせいだと理解しているので強くは言えないものの、鬼灯を敵視していた父が謝る。
「ふ、二人の出会いは?」
明るい話題にしようと母は咄嗟に尋ねた。
「私が蹴り飛ばした強盗犯が鬼灯さんの方に飛んでった」
「は?」
「で、私はとっさに足四の字固めを……」
この嘘は死神のお墨付きだ。
菜々はさすがにどうかと思ったが、「君達ならこれくらいインパクトある出会いじゃないと逆に怪しい」とまで言われてしまった。
実際、稲荷の狐を追いかけて地獄に迷い込むという出会いをしている事を考えると妥当な判断かもしれない。
だからこの二人惹かれあったのか、と両親はやけに納得したので結果としては良かったのは確かだ。
それから両親から浴びせられる質問に対して、あらかじめ決めておいた受け答えをしていく作業が開始された。
一通りの説明が終わり、菜々が紙を取り出して両親に見せる。
「で、私が十六歳になったら籍を入れようと思うんだけど、いくつか取り決めをした。この契約書確認して」
一、成人するまでは手を出さないこと。もしも約束を破った場合は無くなった方が人類にとって良いと見なし、再起不能にする。
「どこをだよ!?」
父が突っ込んだが、母は気にせず読み進めた。
二、世間体もあるので高校を卒業するまで、婚約者に今までの姓を名乗らせること。
三、高校卒業までは一緒に暮らさない。家に泊めるのも同様。ただしそれ相応の理由がある場合は除く。
四、結婚のことは親戚以外の人間に極力気づかれないようにする。
このような内容が延々と続いていた。
「これに拇印を押してもらおうと思うんだけど、この内容で良い?」
両親が書類に一通り目を通した事を確認してから菜々が尋ねる。
幼い頃から犯罪に巻き込まれていたため対処法を嫌という程知っている娘なら、自分の身は自分で守るだろうと判断して両親は頷いた。
*
「今日はありがとうございました。それと、わざわざ現世で部屋まで買ってもらちゃってすみません……」
夜、菜々は鬼灯に電話をかけていた。
目の前の勉強机の上には教科書が散らばっている。
『別にいいです。去年の獄内運動会前に書かされた契約書のこともありましたし』
淡々とした鬼灯の声を聞いて、菜々はやっと契約書の存在を思い出した。どうやら思っていたよりも慌てていたらしい。
『それと部屋については前々から計画していた事だったので、ホモ・サピエンス擬態薬と一緒に経費で落としました』
米花町の視察を本腰入れて開始する前に現世のマンションの一室を買っておこうと、十王やその補佐官の間で話がなされていたようだ。
米花町の視察をするという事は、現世で何度も事件に巻き込まれることを意味する。その上、米花町で事件が起こるとなると高確率で工藤家の誰かが関わってくる。
一度だけの視察なら住所や職業などを適当にでっち上げておけばいいが、数回続くとなるとそれは出来ない。
過去に何度も探りを入れられたことから地獄側は慎重になっていた。
菜々は小さくため息をついた。やはり鬼灯に恋愛感情は一切無かったようだ。
彼は仕事のためなら結婚くらい簡単にしてしまうような男だし仕方がない。
ロリコンでなかったことに安堵するべきか意識されていないことに落ち込むべきか考え込む前に、鬼灯が疑問を口にした。
『そういえば部屋を買う時、なんか誓わされたんですけどあれなんだったんですか?』
「米花町ではよくあることです……」
米花町の建物がほぼ事故物件である事は、それだけ犯罪が多いことを示唆している。
家を買う際それを承知で買うものの、住み始めた家で怪奇現象が起こったり事件が起こったりすると家を手放そうとする者が大勢いる。
ただでさえ買い手が少ない事故物件を手放されるなんて、不動産屋からしたらたまったものではない。
需要はないのに家ばかり余る。この現象を打開するために不動産屋は誓いを立てさせることにした。
「お前は帰ってきたら家で見ず知らずの人間が死んでいても、怪奇現象が起こっても家を手放さないと誓うか!」
「イエス、マム!」
このようなやり取りが聞こえてくると、米花町の人間は春を感じるのだ。この日常に慣れてしまったことに気がついた時、菜々はゾッとした。
「それと肩代わりしてもらった借金なんですけど、全部返します。今ある貯金のほとんどを借金返済に充てますし、これからはバイト代から五割取ってください」
用件を伝え、電話を切ると菜々は大きく息をついてベッドに倒れこんだ。
*
加藤文弘。菜々から見たら父よりも十年以上長く生きている伯父であり刑事だ。
彼は若い頃からかなり苦労していた。というのも、早いうちに両親が他界してしまったからだ。
文弘が高校生で、菜々の父は五歳かそこらだった時。いつも通り眠りについて朝目を覚ますと、菜々の祖父母は帰らぬ人となっていた。父から事件に巻き込まれたと聞いている。
神()が言っていた「公安だった祖父は殉職した」という話と父の話が矛盾しているが、菜々は特に気にしていなかった。
そんなことより、彼女にとっては漫画やアニメ、元クラスメイト達の恋愛模様の方が重要なのだ。
借金返済方法について話している間、伯父は口を挟まなかった。
「……そうか。俺は何も言わない」
話が終わるとはっきりと告げられる。
鬼灯が軽く頭を下げた時、文弘は菜々が一度も見たことが無い表情をしていた。
あの表情は共感だ。彼は両親を失ってすぐ、菜々の父と別々に引き取られたが兄弟共々あまり良い待遇を受けなかったらしい。
文弘は大学に行かず父親の後を追うかのように警察学校に入り、すぐに職について菜々の父と一緒に暮らすようになったくらいだ。よっぽど辛かったのだろう。
「向こうにはなんて説明するんだ?」
文弘の尋ね方は純粋な好奇心といった感じだ。
「もう話はつけましたよ。媚を売りつつ借金肩代わりしてもらって、結婚はしない流れに持っていくのは難しかったですけど、散々やらかして向こうから断ってくるように仕向けるのは得意なので」
結婚云々の話は亜久妙隆の独断だと菜々はすぐに見抜いた。自分にそこまで魅力は無いし、父の会社を乗っ取るメリットも無いからだ。
周りは反対している。だったらもっと反対するような状況を作り出せばいい。
そう判断して、相手の家族の目の前で自分の素を思う存分出してみたらその場で断られた。
「黄金神教事件か……」
文弘が何かに想いを馳せて呟く。菜々の発言は特に気にしていないようだ。
黄金神教事件。悲惨さから世間を賑わせた事件だったが、厳重な情報規制が敷かれていた。
その上、事件に関わった刑事が皆殺されている。殺された刑事の中に文弘の知り合いもいたのかもしれない。
ここまで考えていたのだろうか。そう思いながら、菜々は鬼灯を盗み見た。今日もホモサピエンス擬態薬を飲んでいるせいか、目つきが悪い。少量だが殺気も出ている気がする。
黄金神教事件に関わっていたという嘘をつくのは両親の同情を誘うのと、見抜かれにくい嘘のつき方に乗っ取ってのことだと思っていた。
しかし伯父の様子を見ると、彼の反応も視野に入れていたのだと思える。
まだまだ彼には追いつけなさそうだ。そう思うのと同時に、鬼灯が出しているのであろう殺気に誰も気がつかないようにと菜々は願った。
*
菜々はベッドに寝転び、天井を見上げて律から聞いた話を思い出していた。
事件に関わっていた刑事達が殺された時、警視庁に保管してあった黄金神教事件のデータが雲散霧消したらしい。(つまり生贄にされた子供が保護された事を確認する手段がないため、あんな嘘を使うことが出来た。)
黄金神教に関する内容がほとんど世間に発表されていなかったというのに、社会問題が起こっているのは誰かが情報をネットに流したからだ。
「事件のにおいがプンプンする」
菜々は一瞬考え込んだが、すぐに思考を放棄する。
そんなことよりも、ロミオとジュリエットのような関係になってしまっている磯貝と片岡をなんとかしなければならない。
ベッドから起きあがり、机の上にノートを広げて「委員長コンビくっつけ計画」を練り始めた菜々は、後々クラスメイトと父に疑われる事になると知らなかった。