トリップ先のあれやこれ
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二〇一七年九月二日土曜日。
菜々はベッドに寝転び、漫画を読んでいた。
明後日は始業式。夏休みはあと二日。
今さっき課題を全て終わらせ、残り少ない夏休みを満喫している。
残り少ないとはいえ今は夏休みであり、課題も全て終わらしているので遊び放題だ。菜々はこの時期を毎年満喫しているが、今年は憂鬱だった。
中学三年生のため、進路を決めなければならない。この時期は人生の分かれ目だとよく言われる。
しかし、彼女には、たいして行きたい高校もなければなりたい職業もない。
──担任が殺せんせーだったらこんな事考えなくて良かったのかな。
──どうせ就職するなら地獄がいいな。
職場で起こった、おもしろおかしい出来事を記録して出版すれば、けっこう儲かりそうだし。
鬼灯様に止められるだろうから無理か。
そんなとりとめのない事を考えながら漫画を読んでいた菜々だったが、睡魔に襲われ、やがて意識を手放した。
*
「おはよう。朝だよ。ピピピピ。ピピピピ。おはよう。朝だよ。ピピ……」
そんな陽気な声が耳に届く。
菜々は反射的に腕を伸ばし、赤いキャラクターの頭についているボタンを押した。
「今日も、一日、がんばろう!」
そんな声が部屋に響きわたったとき、菜々の意識は覚醒した。
──なんで、コ○ショの目覚まし時計がある!?
某教材のキャラクターである、ランドセルの妖精の目覚まし時計は、昔捨てたはずだ。
第一、 菜々はもうチャ◯ンジの教材を取っていないし、小学四年生から某妖精は登場しなくなった。
彼女は疑問を抱いたものの、まあいいか、とすぐに思い直した。
今日は夏休み最終日だ。そんなささいな事を気にしている暇はない。
二度寝したいところだが、あいにく目がしっかりと覚めてしまったため遊ぶことにした。
一般論だと勉強するべきだろう。朝は頭が働きやすいし、菜々は受験生だ。
しかし、彼女にはそんな考えは毛頭なっかた。
あるとすれば、ありったけゴロゴロして新学期に備えなければならないという自論だけだ。
とりあえず昨日の続きを読もうと、昨日まで読んでいた漫画を探したが見つからない。
初めは頭だけ動かして探していた菜々だったが、なかなか見つからないのでベットから出て探すことにした。
ベットを出ようと布団をめくった時、違和感を感じた。
いつもより部屋が大きく感じたのだ。
──目を覚ましたら体が縮んでしまっていた。
某名探偵のセリフが脳裏をよぎる。
そんなはずはない、と頭ではわかっているものの、菜々はフラフラと洗面所に向かいはじめた。
まるで何かに取り憑かれたようだ、と彼女は思った。頭で考えていることと行動が全然伴っていない。
やはりいつもより大きく感じられる自分の部屋の扉を開け、廊下を横切って、洗面所の扉を開ける。
足をせわしなく動かして洗面所の奥にある、手洗い場の上についている鏡に向かう。なぜかいつもよりも遠いような気がする。
手洗い場もいつもより大きく感じられる。これはどういうことだろうか。
そう思いながら鏡を覗き込んでみた菜々は、鏡の奥から見つめ返している人物を見て絶句した。
見慣れた顔ではあったが、自分とは似ても似つかない顔だったからだ。
その顔は、彼女が昨日読んでいた漫画に出てくる地獄アイドル、ピーチ・マキにそっくりだった。
思わず叫びそうになったが、驚きのあまり声が出ない。
しばらく、菜々の頭が真っ白になった。
やっとフリーズしていた頭が動き出し、真っ先に出てきた答えは「これは夢だ」だった。
顔がアニメ調になっているなんてありえないというのが主な理由だ。
こんなことはありえない、と菜々が自分に心の中で言い聞かせていると、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。
隠れた方が良いかと思案するも、これは夢なのだから関係ないとすぐに思い直す。
頭では大丈夫だと思っていても緊張は感じる。自分の心臓がかつてないほどの速さで脈打っているのを感じながら菜々は扉に目を向けた。
現れたのはきれいな女性だった。
黒くてまっすぐな肩までの髪。くりっとした大きな青い目。
一見、二十代に見えるが三十代前半だろうと菜々は判断した。自分の母親だからだ。
実物よりもかなり美化されているが、自分もそうだと思ったので突っ込まないことにした。
それより、この夢では人間関係がわかるらしい。
感心したが、大抵の夢はそんなものかと思い直した。
それにしても、と菜々は目の前の女性を盗み見て、今度はコナン風か、と心の中で呟いた。
"夢の中"の母親の顔は「名探偵コナン」の画風だったのだ。
「菜々、早くに起きれたね。さすが小学生」
この後、母親が話した内容によると、菜々は小学校一年生で、今日が入学式らしい。
菜々は素直に入学式に行くことにした。
夢の中とはいえ、名探偵コナンの登場人物に会えるかもしれないからだ。
玄関で靴を履きながら、前に立っている人物に視線を向ける。
男性特有の少しとがった目。太い眉。左側で自然に分けられてる前髪。
自分の父親のようだ。またもや実物とはかけ離れた美形である。
自分の顔のデザインが家族と違うことは気にしないことにして、外に出てからふと、「加藤」と書かれた表札を見た菜々は凍りついた。
夢の中でも名前は一緒なのか、とぼんやりと思うと同時に、これは夢ではないと気がついたのだ。
夢の中では文字が読めない。
トリップ。それ以外の理由を探そうとしたが、見つけることが出来なかった。
気がついたら小学校の前にいた。先程襲いかかってきた大きな衝撃のせいか、家を出てからのことをまったく覚えていない。
「ていたんしょうがっこうに ようこそ」
六歳児にも読めるように、看板にひらがなで書かれている文字を見て、菜々は自嘲気味に笑った。
入学式の会場である体育館に入り、教師の指示にしたがって席に着く。どうやら保護者と児童は別々に座るらしい。
辺りを見渡したが、小太りの男の子も、そばかすがある男の子も、カチューシャをつけた女の子もいない。コナン達とは同年代ではない事が確定した。
夢だと思っていた時は会いたかったが、現実だとわかった今は心底ホッとしている。
死神と同年代とか絶対に嫌だ。
また、名探偵コナンの主要キャラクターらしき人物は見当たらない。
だいぶ落ち着いてきたので、周りが見えるようになってきた。
──で、誰だ? この人達。
菜々の目の前には、絵本の中から飛び出してきたかのような生き物がいた。
小人。ドワーフ。妖精。
そんな表現がピッタリな見た目だ。
十センチほどの背たけで、背中からは布のようにも見える羽が生えている。帽子をかぶり、手には紙とペンを握っている。
誰だ? と思った菜々だったが、彼女は彼らが小人でも、ドワーフでも、妖精でもないことを知っている。
自分の今の顔を思い出した時からわかっていた。倶生神だ。
倶生神がいるということは、この世界は「名探偵コナン」と「鬼灯の冷徹」が混ざった世界らしい。
これはどういう事なのか考えこもうとした時、いきなり話しかけられて菜々は飛び上がった。
「私は同生。こっちは同名。地獄の従業員で、あなたの行動を記録しているからよろしく」
「えっ!? それってストー」
「仕事だよ!」
ストーカー、と言おうとした菜々の言葉をさえぎり、同名が叫んだ。
「えっと、加藤菜々です。同名さんって男性ですよね? 私がトイレやお風呂に入っている時ってどうしてるんですか?」
ここぞとばかりに、漫画を読んでいた時、気になっていた事を尋ねてみた。
「外に出てるからね!?」
憤慨する同名をよそに菜々はそれとなくあたりを確認する。
周りが騒がしいため、自分の話し声を聞いている人間はいない。
入学式早々、変人のレッテルを貼られずに済みそうだ。
「霊感に目覚めたみたいね。この事、あまり人に言わないほうがいいから」
そんな事を言われた瞬間、ブザーが鳴り響き体育館が静まり返った。全員の視線が壇上に集まる。
入学式が始まった。
「平成二〇年度。第十五回。入学式を始めます」
アナウンスが流れた。菜々の年齢と同じだけ時間も戻っているらしい。
いろいろなことがありすぎて頭がパンクしそうだ、と、菜々は思った。
家に帰ってすぐ、入学式の後にもらった教科書に名前を書き終わったので今はテレビを見ている。
倶生神たちに怪しまれずに情報収集をするためだ。
『米花町五丁目で殺人事件が起きました。現場に居合わせた、工藤優作氏がみごと解決』
護身術でも習おうか、と、テレビを見ている少女は思った。
トリップ一日目で殺人事件が起こるとは、米花町、呪われすぎだ。
*
菜々がトリップしてから一週間ほど経った。
彼女はひらがなの練習の宿題をしていた。小学一年生らしい字を書くのは意外と骨が折れる。
これくらいの年なら学校が終わると友達と外で遊んだりするのだろうが、中身は中学三年生の菜々はそんなことはしない。というのは言い訳で、ぼっちなだけである。そのため、一人さみしく部屋で宿題をしているわけだ。そのことに気がつかないふりをするため、手を動かしながら彼女は合気道を習う事を検討していた。
トリップした日はやけに冷静だったが、二日目に事の重大さに気がついた。
頭が真っ白になったり、自暴自棄になりかけたが、最近やっと落ち着きこれからの方針を決めた。
最終目標は元の世界に戻ることだが、生きている間に戻ることは無理だろう。
倶生神の監視がある以上不自然な行動はできないし、現世でその方法がわかるとは思えない。つまり、死んで、あの世に行ってから本格的に調べることになる。それになんとなくだが、あの世のほうがそんな感じの内容が書かれた文献が多いような気がする。
あの世に行ってから調べるとなると、地獄行きはもちろんのこと、転生も避けなければならない。
もう一度人生を歩まなければならないのは二度手間だし、転生した際に自分が別の世界から来たことも忘れてしまうかもしれない。
かといって殺されるのも嫌だ。痛いし怖い。
米花町の事件発生率は異常だが、建物の爆破などの大量殺人を除けば、「名探偵コナン」で未成年は殺されない。
つまり、高い建物にさえ近づかなければ未成年の間は殺されない。
その間に護身術を身につけておこう、というのが合気道を習う事を検討している理由の半分だ。
もう半分の理由は、憧れだ。
トリップする前の話だが、電柱にヒビを入れたり、拳銃の弾を避けたりしている蘭の強さの理由を考えてみたことがある。
仮説は二つほど思いついた。
一つは、「名探偵コナン」の世界では空手のレベルがものすごく高く、都大会優勝の女子高生ならそれくらい出来るという説。
もう一つは、「名探偵コナン」の世界の人間の体の作りのレベルが、全体的に高いという説だ。
この説なら、運動すれば身体能力が飛躍的に上がるし、体が丈夫のはずなので、かなりの頻度で麻酔銃を打ち込まれている小五郎が健康体なのも頷ける。
菜々は二つ目の説が有力だと思っていた。
つまり、この説が正しければ、鍛えればかなり強くなれる。
どうせ習うのなら護身術として活用できる合気道がいいだろうと考えたため、合気道を習う事を検討し始めたのだ。
菜々は宿題を終え、クリアファイルにしまってあった、「部堂道場」と大きく書かれたチラシを取り出して読み始める。都合のいいことに今朝、合気道の道場のチラシが配られたのだ。家からも近いようだし、今から見学に行くことにした。まさに、渡りに船だ。
*
この道場に通うことにしたのは阿笠邸の近くだからだったな、と菜々は思い出していた。
阿笠と仲良くなっておけば武器を手に入れられるんじゃないかと思ったのだが、この選択は間違いだったのではないかとまさに今思い始めている。
部堂道場に入ってから一ヶ月。殺人事件が起こった。被害者は道場で菜々に教えている部堂藍木だ。
部堂藍木。財閥の元会長だ。
七十歳になった時から長男に会長の座を譲っていて、今は学生時代に取り組んでいた合気道を趣味で教えている。あくまで趣味なので、生徒が現在一人だけでも、菜々が入るまでの五年間生徒が一人もいなくてもなんら問題なかった。
菜々は、ほとんど宣伝をしていないせいだと考えている。
まったく宣伝をしようとしない祖父をみかねた藍木の孫である貫太がチラシを配っていなければ、たった一人の生徒ですら部堂道場に通っていなかっただろう。
彼は二十歳になったばかりだというのにしっかりしているというのが菜々の評価だ。
一方、藍木は最近両足を骨折し、移動するときは車椅子が必要不可欠になっていた。
お見舞いに行った方がいいだろうと土曜日に出向いた菜々だったが、暇を持て余した藍木の話を延々と聞かされた。
息子である奏と、昔亡くなった奏の妻から誕生日にもらった短刀の話を三時間程聞かされ、話が終わった頃にはお昼になっていた。
お昼ご飯をごちそうになってしまったため、すぐに帰るわけにも行かず、今度は藍木の武勇伝を延々と聞かされ、やっと終わったかと思えば、三階にある藍木のコレクションルームで集めている洋刀の解説が始まった。菜々は話を聞き流すスキルを手に入れた。
百本近くある洋刀の解説が終わると、藍木がエレベーターに乗る様子を見ることとなった。
すでに夕方なので、菜々は今すぐ帰りたかったが、毎回無料で授業後に稽古をつけてくれる藍木に少なからず恩を感じていたので断ることができなかった。
エレベーターは古い物だった。扉は手動らしい。前に藍木たちが住んでいる家は、大正時代に建てられたものだと教えてもらったことがある。おそらくこのエレベーターも家が建てられたときに取りつけられたのだろう。
今までエレベーターは使われていなかったが、藍木が両足を骨折してから使うようになったらしい。
車椅子が動かないように、息子の奏と孫の貫太がエレベーターの床にストッパーをつけてくれたと嬉しそうに話している藍木を見て、菜々はもう少しこの老人の話に付き合うことを決めた。
藍木がエレベーターに乗り込み、菜々が扉を閉める。
ガタゴトという音が止まった数秒後、女性の悲鳴が聞こえた。藍木の妻の夏菜子の声だ。
一瞬何が起こったのか理解出来なかったが、ここは米花町だと思い出して悲鳴が聞こえた方向に向かって走り出す。
菜々がトリップしてから、米花町ではすでに殺人事件が十六件ほど起きている。
やがて警察と救急車が到着したが、藍木はすでに事切れていた。
「警察が来るまで一箇所に集まっていよう」
お互いに監視しあっていた方が疑われにくいだろうし、菜々の面倒を見なくてはならない。
貫太の意見にしたがって、全員がリビングに集まることとなった。
やはり、この中では貫太が一番頼りになる。
リビングで、一人ずつ今までの経緯を刑事に説明することとなった。
一階に到着したエレベーターの扉を藍木の妻である夏菜子が開けた時には、藍木は血だらけになっていたらしい。
また、死因はあごの左側の下部を短刀でひと突き。短刀が頸動脈に刺さったため大量出血。
すぐに絶命したと思われる。
そんな話をぼんやりと聞いていた菜々はうつろな目をしていた。
もし死体を見てもアニメ調だしそこまで怖くないだろうとタカをくくっていたものの、実際は違った。
誰にでも平等に訪れる死の恐ろしさを再確認した。いつか自分もこうなると思うと足がすくんだ。
菜々は蘭を尊敬した。
かなりの頻度で殺人事件に巻き込まれているのに、ほぼ毎日学校に行くことが出来る。また、死体を見つけた時は悲鳴こそあげるものの、すぐに平常心に戻っている。並大抵の精神力ではない。
しかし、新一や平次などの探偵は高校生のくせに冷静な判断ができている。
この世界ではこれが普通なのだろうか。
いや、でも一般人はそうでもなさそうだし……。
そんなことを考えていると、何人かが部屋に入ってきたのに気づいた。
三人いる。全員天然パーマで角が生えている。
同生が彼ら、お迎え課について菜々に説明をしてくれた。
「ここにもいない。多分逃げたんだな」
「この様子じゃ殺人事件だな。こういう場合、亡者は犯人に復讐しようとすることが多いんだ」
「まだ回収しないといけない亡者はたくさんいるし、もう行きましょう。どうせ、近くにはいませんよ」
口々にそう言った後、お迎え課の鬼たちはどこかに行ってしまった。
そのやりとりを見て、菜々は余裕を取り戻した。
この世界にはわりかし楽しげなあの世がある。
死んで終わりじゃない、と思うと凍ったかのように固まっていた体が動くようになった。
顔色が良くなったのを確認して刑事が話しかけてきた。
「菜々ちゃん、久しぶりだね。悪いけど部堂藍木さんを最後に見たときの話をしてくれないかな?」
「久しぶり」ということはどこかで会っているのだろう。しかし菜々は見覚えがない。
トリップする前に会ったことがあるということだろうが、当然菜々には彼が誰なのかわからない。
「この世界の加藤菜々」に自分が憑依するまでの、「この世界の加藤菜々」の記憶がないからだ。
一度も家の中で迷ったことがないし、家族関係が分かったことから、少しは記憶が残っているのだろうと判断し、しばらくすれば今までの「この世界の加藤菜々」のことも思い出すだろうと楽観的に考えていたが、いっこうに思い出せない。
「えっと……」
これくらいの歳なら会ったことがある人を忘れていてもしょうがないだろうと思い、刑事は優しく話しかけた。
「去年あったけど忘れちゃったかな? 加藤文弘。君のお父さんの兄だよ」
伯父が刑事だったことに驚いたが、それ以上に嬉しくもあった。
この世界で生きていく以上、何かしらの事件に関わることになるだろう。その時、警察関係者に知り合いがいる方が安心だ。
そんな考えはひとまず置いておき、忘れてしまってすみません、と一言謝ってから菜々は今までの経緯の説明を始めた。
「先生がエレベーターに乗る時、扉を閉めました。エレベーターの動く音が止まってすぐ、夏菜子さんの悲鳴が聞こえたので階段で一階に向かいました。その後は夏菜子さんの話通りです」
「藍木さんがエレベーターに乗ったとき、誰かいた?」
菜々が首を横に振ると、文弘の顔が曇った。
菜々が話した通り、エレベーターは古いせいか、ガーガーと音を出して動く。
なので、エレベーターに乗った時は生きていて一階に着いた時には死んでいたとなると、エレベーターの中で死んだこととなる。
菜々の証言によると、エレベーターの中に犯人はいなかった。
また、エレベーターの扉を警察で調べてみたが何も異常がなかった。
そのため、自殺の可能性が高いと思われる。
しかし、教え子が家にきている時にエレベーター内で自殺をするだろうか。
ありがとう、と菜々にお礼を言った文弘は難しい顔をしてほかの刑事の元に向かった。
一人の刑事が「目暮」と呼ばれていたが菜々は今は気にしないことにした。
痩せていることに驚きはしたが、彼女にはもっと気になることがあったのだ。
「何やってるんですか、先生」
隣に座っている体が透けている人物に声をかける。
菜々はお迎え課の鬼たちの会話を思い出していた。
「亡者はあの世の裁判を受けなければなりません。現世にとどまっていると罪が重くなりますよ」
同名が藍木に説明するが、藍木が動こうとする様子はない。
「というか菜々ちゃん、わしが見えるのか?」
藍木の問いに菜々は頷いた。
藍木は自分を殺した犯人がわかるまであの世に行かないと言い張った。
そこで、菜々は犯人探しをすることにした。藍木には良くしてもらっていたからだ。
犯人を捜す理由の大半が、「ここで地獄に恩を売っておけば減刑してもらえるんじゃないか」という考えがあるからだったりするが。
犯人を知るため、情報を集めることにした。まずは被害者の証言からだ。
「聞きにくいんですけど、亡くなった時の様子ってどんな感じでしたか?」
菜々は誰も見ていないことを確認して尋ねた。
誰もいないところに話しかける変な子と認識されたくない。
藍木は気づいたら刀が刺さっていて死んでいたと答える。
何か光ったような気がして、上を見上げたら刀が落ちてきたらしい。
「そういえば、エレベーターの天井に穴がありますよね。そこから犯人が刃物を落としたとか?」
しばらく考え込んでいた菜々が他の人には聞こえないように囁いた。
菜々だと入れてもらえないし倶生神は仕事中なので、藍木に確認してきてもらったが、エレベーターの上には埃が積もっていて人がいた痕跡はなかったらしい。
だとすると刀が落ちてくるトリックを犯人が仕掛けた可能性が一番高い。
ややこしくなるので、心霊現象とかは考えないことにした。
何かしらのトリックを仕掛けられそうな人物は三人。
藍木の妻である部堂夏菜子、藍木の息子である部堂奏。奏の子供である部堂貫太。
全員、今日はほとんど家にいたのでトリックを仕掛けることが出来るだろうが、みんな良い人達だと菜々は思っている。
この中の誰かが犯人だとは思えなかった。
「犯人、誰かわかります?」
菜々は倶生神たちに尋ねてみたが、二人とも首をひねっている。
「部外者ではないことは分かるんだけど……」
気まずそうに藍木をチラチラと見ながら同名は言葉を濁した。
「今思いついたんですけど、容疑者全員の倶生神さんたちに聞いたらいいんじゃないですか?」
ポツリと菜々が呟いた。
同名は嫌がったが、菜々に口論で負けて渋々聞きに言った。
そんなに嫌なら同生さんに頼めばいいじゃないですか、と菜々に言われた時同名が青ざめていたことからもわかるように、彼は同生に頭が上がらない。
しばらくすると、げっそりとした同名が帰ってきた。
あの世の住民が、よっぽどのことがないかぎり現世のことに深く関わるのはタブーとされている。
その上、ずっと人間の行動記録をつけていた倶生神はイっちゃってる場合がほとんどだ。
そんな相手と交渉するのはかなり骨が折れる。
「無理だった」
うなだれている同名を見て、菜々は一つ方法を思いついた。
自分が土下座するところを同名の携帯で録画してもらい、その様子を相手の倶生神に見せれば少しは誠意が伝わるのではないか 。
しかし、それだと菜々のほんの少ししかないプライドが傷つく。
結局、その案は彼女の頭の中で行われた会議によって瞬時に却下された。
その頃、容疑者たちは凶器に見覚えがないかを尋ねられていた。指紋は検出されなかったらしい。
「これは父の短刀です。イニシャルが刻まれているでしょう? 昔、僕と妻がプレゼントしたものです」
藍木の息子である奏が答えている。
菜々は思い当たる節があり、覗き込んで見た。
血だらけではあるが刻まれたイニシャルはかろうじて読むことができる。
十五センチほどの長さで、端に十字架がこしらえてあり、その根元には六センチほどの鉄が露出している。
柄がなかったが藍木に三時間も自慢されたため、すぐに分かった。
「この短刀、今日のお昼に見ましたよ」
昼食をごちそうになってからは、先生の洋刀のコレクションルームに連れて行かれたので、それからは見てないですけど、と続けたら貫太から哀れみの目で見られた。
長話に付き合わされたんだな、と目が語っていた。
「だとすると犯人は正午から犯行時刻である午後四時までの間にトリックを仕掛けたことになりますね」
菜々の話を聞いた目暮が呟く。
これは自殺ではないのかという貫太の問いに対し、他殺だと思う理由を目暮が説明していると、文弘が帰ってきた。
菜々の両親に電話で事情を説明したらしい。
「なんで柄がないんだ? 狙いにくいだろうに」
目暮に凶器を見せてもらった文弘も目暮と一緒に考え込む。
しばらく二人は首をかしげていた。
目暮がエレベーターの上に犯人がいたという説を思いつくが、文弘に否定される。
彼はすでにエレベーターの天井に埃が積もっているのを確認したらしい。
「それに格子穴がある。十字架の部分がつっかえると思うぞ。だいたい、人が入り込むスペースなんてなかった」
そのころ、菜々はリビングの隅に移動していた。
「エレベーター、見てみたいです。警察の人に見つからずに見る方法ってないですか?」
藍木にこっそり尋ねてみる。
「屋根裏から行けば簡単に見れるぞ」
そう言われたので、トイレに行くと嘘をついて菜々は屋根裏部屋に向かった。
警察がいない三階の部屋の押入れの中の天井を外せば、小柄な小学生の体は簡単に屋根裏に入ることが出来た。
倶生神の携帯であたりを照らして進んでいく。あまり見通しが良くないがこの際仕方がない。
埃っぽく、薄暗い屋根裏を進んで行くと床から光が漏れているところがあった。
しゃがんでよく見てみると床板が少しずれていたし、その板に印がつけられていた。
藍木によるとその印は、昔家族でつけたものらしい。長話が始まりそうな予感がしたので、菜々は理由を尋ねずにその板を取り外してみる。その真下にエレベーターの天井の穴があった。
その穴は鉄の棒で四つに区切られている。文弘が言ったように、ここから短刀を落とそうとしても、十字形の鍔がつっかえるだろう。
エレベーターの箱と屋根裏部屋の床との間は十センチほどだった。
誰かが屋根裏部屋に登って床板を取り外せば、その下にエレベーターの箱の天井にある穴があるし、そこへ手を届かせることも出来そうだ。
エレベーターから視線を外して、何かないかと歩き始めた菜々は何かにつまずいた。
「これって……」
足に当たったのは凶器である短刀の柄だった。
倶生神に頼んで照らしてもらうと、柄に縄が結んであるのに気がついた。
縄を目でたどってみると縄の端が近くの柱に結んであるようだ。
菜々が柱に結び付けられた縄をほどいた。しっかりと結んであり、器用な方である菜々でも簡単にはほどけなかった。
縄と短刀の柄をハンカチに包んでひろう。
「この縄、どこかで見たような……」
菜々は記憶の糸をたぐった。
確かあれはお昼のことだった。
「すみません。ご飯ごちそうになちゃって」
「いいのよ。旦那の長話につきあってもらっているんだから」
そんな話を菜々と夏菜子がしていたとき、鍵を開ける音と、「ただいま」という声が聞こえた。
奏が買い物から帰ってきたのだ。
奏は家族が集まっている食卓には寄らず、自分の部屋に荷物を置きに行った。
好奇心から、何を買ったのだろうと菜々は廊下に出てビニール袋を見た。
ビニール袋が透明だったため、黄色と黒のものが入っていることを確認した。
菜々が拾った縄は黄色と黒が交互になっている。
だとすると、犯人は奏の可能性が一番高い。
「この縄、お昼に奏さんが買ってきたやつじゃないですか?」
菜々の言葉でしばらく沈黙が続く。誰も信じることができなかった。藍木と奏はとても仲がよかったからだ。
「トリックがわかったわ」
沈黙を破ったのは凛とした同生の声だった。
同生が話したトリックに全員が納得した。
しかし、犯人は本当に奏なのか。
短刀に結んである縄は奏が買ったものと同じものである証拠はどこにもないし、同生が話したトリックは誰にでもできそうだ。
もしかしたら別の人物が犯人ではないか。そのようなことを四人は思った。
また、もしも犯人が奏だった場合自首してほしいという藍木の願いにより、一度奏と話してみることとなった。
リビングに戻った菜々はお腹の調子を心配され、家に送られた。思っていたよりも長く屋根裏にいたらしい。
次の日。
菜々は奏の部屋にいた。夏菜子は同窓会、貫太は大学のサークルの集まりに行っているのでこの家に人間は二人しかいない。
「昨日の事件の犯人がわかったんです」
菜々がそう告げた途端、奏は一瞬目を見開いたがすぐに表情を取り繕った。
その様子から菜々担当の倶生神は奏が犯人だと悟ったが、藍木はまだ信じられないようだ。
「なんでそれを警察じゃなくて僕に言うの? もしかして僕が犯人だと思ってる?」
菜々は緊張のあまり声が出ないのでうなずいた。
緊張しているのは殺人犯を説得しなければならないかもしれないというのもあるが、観衆が多い。
倶生神たちや藍木はいいが、興味本位で集まってきた浮遊霊が多すぎる。同生はお迎え課に連絡をしている。
なんとか声を絞り出して同生の推理を話す。
「私はトイレに行くと嘘をついて、屋根裏部屋に行きました。決してお腹の調子が悪かったわけではありません。というかトイレにすら行ってません」
「菜々ちゃん、話ずれてる」
同名に注意され、話を戻す菜々。
「えっと、トリックですけど、先生の短刀を盗んだ犯人は丈夫な三メートルくらいの縄を用意したんです。それから屋根裏に上がって、エレベーターの真上の床板のすぐ近くにある柱に縄の端をくくりつけて、もう一方の端を外した床板から下に垂らして、エレベーターの天井にある穴に入れます。
この時一度、短刀の柄を外しておきます。力が加わったら柄が抜けるようにしておかないといけないからです。
その後犯人は人目につかないようにエレベーターに入って、格子穴を通して下がっている縄で短刀の柄を強く縛ります。柄にナイフで傷をつけてくくった縄が抜けないようにしたかもしれません。
そしたら犯人はまた屋根裏に上がります。上から縄をひっぱって、短刀の柄が格子穴から出るようにして、十字架の形をした鍔が下から格子穴の鉄の棒にしっかり当たるまでひっぱります。つまり、縄の上部を結び直してぴーんと張るんです。
夏菜子さんが『旦那の長話』って言っていたんで先生はいつも話が長いことがわかりました。だから、お昼ご飯を食べ終わってからしばらく先生の話が続くとわかった奏さんは、先生の短刀を盗んでこのトリックを仕掛けたんです」
ついに菜々は犯人のことを「奏さん」と呼び始めた。話が進むにつれ、どんどんと奏の顔色が悪くなっていることから、犯人が彼だと確信したのだろう。
「後は、先生がエレベーターに乗って下の階のボタンを押せばいいんです。短刀の刀のほうは、鍔が格子穴の下側につっかえているので下に引っ張られます。でも、柄は柱に結びつけてあるので止まります。しばらくすると柄が抜けて、その勢いで、刃が真下に向かって勢いよく落ちます。その刀が先生のどこかに刺さるっていうトリックです」
菜々は唾を飲み込んだ。話すぎて喉が渇いたのだ。
「柄と縄はすぐに回収するつもりだったんでしょうけど、貫太さんが『一箇所に集まっていよう』って言ったとき、賛成しないと疑われると思って柄と縄を回収せずにリビングに行ったんですよね?」
カンペを見ながら話す菜々に奏が笑いかけた。ついこの間まで幼稚園児だった子供が相手なら言い逃れることができると思ったのだろう。
「確かに筋が通っているね。でもその方法なら僕の家族の誰にでもできる。僕がやったという証拠がないよ」
「屋根裏部屋の柱に結んであった縄、しっかり結んでありました。ほどくのに苦労したんで、素手じゃないと奏さんは柱に縄を結べなかったと思います。だから、縄には指紋がしっかりとついていると思いますよ。縄と短刀の柄は私が死んだらすぐに警察に届くようになっています。一応、奏さんが落としたレシートも」
レシートは本当に奏が縄を買ったのか確認するために藍木に盗んできてもらったのだが、落ちていたことにする。
「あのトリックだとどこに刺さるかわからないので、殺せない可能性もありました。本当は先生に死んでほしくなかったんじゃないですか?」
菜々は疑問に思っていたことを尋ねてみた。
奏は大きなため息をついてから、観念したかのようにポツポツと話し始めた。
「僕の妻が死んでいることは知っているだろう? 妻は病気だった。気の持ちように病状が左右される病気だったんだ。だいぶよくなってきて、退院し、自宅に戻った頃だった。家事もできるくらい回復していたよ。でもある日、父さんが大事にしていた皿を壊してしまい、こっぴどく怒られてから、病気がぶり返してしまった。それからすぐに死んだんだ。あのとき父さんがあんなに怒らなければ……。僕は父さんを恨んだ。でも、父さんが大好きだった。だから不確実な方法を取ったんだ。判断は天に任した」
この世界の神様に重要なことを任しちゃだめだろ、と菜々は白澤を思い出しながら思った。
「いや、あのときほとんど怒らなかったけど……」
弁解するように言う藍木に菜々は疑わしそうな目を向けた。あんたの話は長すぎるだろ、と目が言っていた。
「一言注意しただけじゃ」
藍木がブツブツ言い始めてうるさかったので菜々が奏に伝えることにした。
「前に先生から話を聞きましたけど、あの様子だと三分くらいしか怒らなかったみたいですよ」
藍木の一言はだいたい三分くらいだ。
「そのあと、体調を崩したから一時間くらい休ませたが」
「説教が終わった後、体調を崩した奥さんは先生に三時間ほど休ませてもらったらしいですよ」
藍木にとっての一時間は一般人にとっての三時間くらいだ。
「たしかに妻は呼び出されてから三時間後に戻ってきた……」
奏は糸が切れた操り人形のようにがっくりとうなだれた。
菜々が帰ってすぐ、奏は自首した。財閥の会長の座は親戚に譲り、道場は貫太が継ぐこととなった。
この世界では殺人事件なんてよくあることなので、前会長が殺人犯でも特に問題は起こらないだろうと言われている。
菜々は両親に「もう殺人事件に巻き込まれるような歳か」とほのぼのと言われ、この世界のヤバさを再確認した。
また、今回のお礼として、事件が起こった夜から菜々の家に居候している藍木に必殺技を教えてもらうこととなった。
すべてカッコいい名前の割には卑怯な技だった。
おまけだった関節の外し方が一番使い道があるのではないかというのが菜々の正直な感想だった。
修行に耐え、藍木があの世に旅立った後、菜々は同名の言葉で凍りついた。
「あなたは何?」
「はい!?」
思わず聞き返してしまった自分は悪くない、と菜々は自分を納得させる。
「入学式あたりからおかしいと思っていたんだけど、殺人事件の時に確信したわ。あんなに冷静に対応できて、推理力がある六歳児なんていない」
新一とかはどうなるんだ、と現実逃避をしかけてしまったが、気を取り直して必死に頭をまわす。
「……入学式の日に前世の記憶が戻りました」
それから、トリップする前のことを前世のように話した。
この後あの世の裁判の様子を正確に言うことができたので、菜々は追及を逃れることが出来た。
まだ何かがひっかっているが、それが何なのかが分からず倶生神たちは質問をやめることにした。
「中三の夏休みの終わりに死んだのね?」
同生の目が怪しい光を放っていることに、必死に気づかないふりをしながら菜々は頷いた。
「じゃあ、勉強しなさい」
「え!?」
自分の顔が引きつるのを感じる。
「学校とは別に、中三レベルの勉強をしたほうがいいわ。何にもしないとどんどん忘れていっちゃうんだから。私、教員免許持ってるから大丈夫よ。……はい、か喜んで、以外の答えを言ったらあなたの悪行でっち上げるわよ」
菜々は何が大丈夫なんだとか、そもそも地獄の免許は現世で適応されないんじゃないかとかは突っ込まずに、「はい」と答えるしかなかった。
「そうだ。普通の勉強もするから地獄のことも教えてください」
今度は倶生神がど肝を抜かれる番だった。
「転生する前に舌抜かれたんですよ。もうあんなことされたくないんで、地獄の法律の抜け道を探します。それがだめなら地獄に就職して罪をチャラにしてもらいます。秦広王の補佐官さんみたいに」
確かに舌を抜かれるのは嫌だが、菜々がこんな提案をした一番の理由は、地獄で雇ってもらいたかったからだ。
元の世界に戻る方法を調べるには獄卒になるのが一番手っ取り早いと考えたのだ。
地獄行きはもちろんのこと、転生も避けるとなると、天国行きと獄卒の二択になる。
ただし、逃亡生活を送るとかいう確率がかなり低いものは考えないこととする。
欲が少ない人が多い天国の住民の中で、情報を集めるためにしょっちゅう出かけていると目立つだろう。
すると、獄卒一択となるのだ。
いきなり「獄卒にしてください」と頼み込んでも相手にされないことは容易に想像がつくので、少しでも知識をつけておくことに越したことはない。
いいわよ、と同生に許可をもらって喜んでいた菜々は、同生の授業がスパルタだとは知る由もなかった。
菜々はベッドに寝転び、漫画を読んでいた。
明後日は始業式。夏休みはあと二日。
今さっき課題を全て終わらせ、残り少ない夏休みを満喫している。
残り少ないとはいえ今は夏休みであり、課題も全て終わらしているので遊び放題だ。菜々はこの時期を毎年満喫しているが、今年は憂鬱だった。
中学三年生のため、進路を決めなければならない。この時期は人生の分かれ目だとよく言われる。
しかし、彼女には、たいして行きたい高校もなければなりたい職業もない。
──担任が殺せんせーだったらこんな事考えなくて良かったのかな。
──どうせ就職するなら地獄がいいな。
職場で起こった、おもしろおかしい出来事を記録して出版すれば、けっこう儲かりそうだし。
鬼灯様に止められるだろうから無理か。
そんなとりとめのない事を考えながら漫画を読んでいた菜々だったが、睡魔に襲われ、やがて意識を手放した。
*
「おはよう。朝だよ。ピピピピ。ピピピピ。おはよう。朝だよ。ピピ……」
そんな陽気な声が耳に届く。
菜々は反射的に腕を伸ばし、赤いキャラクターの頭についているボタンを押した。
「今日も、一日、がんばろう!」
そんな声が部屋に響きわたったとき、菜々の意識は覚醒した。
──なんで、コ○ショの目覚まし時計がある!?
某教材のキャラクターである、ランドセルの妖精の目覚まし時計は、昔捨てたはずだ。
第一、 菜々はもうチャ◯ンジの教材を取っていないし、小学四年生から某妖精は登場しなくなった。
彼女は疑問を抱いたものの、まあいいか、とすぐに思い直した。
今日は夏休み最終日だ。そんなささいな事を気にしている暇はない。
二度寝したいところだが、あいにく目がしっかりと覚めてしまったため遊ぶことにした。
一般論だと勉強するべきだろう。朝は頭が働きやすいし、菜々は受験生だ。
しかし、彼女にはそんな考えは毛頭なっかた。
あるとすれば、ありったけゴロゴロして新学期に備えなければならないという自論だけだ。
とりあえず昨日の続きを読もうと、昨日まで読んでいた漫画を探したが見つからない。
初めは頭だけ動かして探していた菜々だったが、なかなか見つからないのでベットから出て探すことにした。
ベットを出ようと布団をめくった時、違和感を感じた。
いつもより部屋が大きく感じたのだ。
──目を覚ましたら体が縮んでしまっていた。
某名探偵のセリフが脳裏をよぎる。
そんなはずはない、と頭ではわかっているものの、菜々はフラフラと洗面所に向かいはじめた。
まるで何かに取り憑かれたようだ、と彼女は思った。頭で考えていることと行動が全然伴っていない。
やはりいつもより大きく感じられる自分の部屋の扉を開け、廊下を横切って、洗面所の扉を開ける。
足をせわしなく動かして洗面所の奥にある、手洗い場の上についている鏡に向かう。なぜかいつもよりも遠いような気がする。
手洗い場もいつもより大きく感じられる。これはどういうことだろうか。
そう思いながら鏡を覗き込んでみた菜々は、鏡の奥から見つめ返している人物を見て絶句した。
見慣れた顔ではあったが、自分とは似ても似つかない顔だったからだ。
その顔は、彼女が昨日読んでいた漫画に出てくる地獄アイドル、ピーチ・マキにそっくりだった。
思わず叫びそうになったが、驚きのあまり声が出ない。
しばらく、菜々の頭が真っ白になった。
やっとフリーズしていた頭が動き出し、真っ先に出てきた答えは「これは夢だ」だった。
顔がアニメ調になっているなんてありえないというのが主な理由だ。
こんなことはありえない、と菜々が自分に心の中で言い聞かせていると、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。
隠れた方が良いかと思案するも、これは夢なのだから関係ないとすぐに思い直す。
頭では大丈夫だと思っていても緊張は感じる。自分の心臓がかつてないほどの速さで脈打っているのを感じながら菜々は扉に目を向けた。
現れたのはきれいな女性だった。
黒くてまっすぐな肩までの髪。くりっとした大きな青い目。
一見、二十代に見えるが三十代前半だろうと菜々は判断した。自分の母親だからだ。
実物よりもかなり美化されているが、自分もそうだと思ったので突っ込まないことにした。
それより、この夢では人間関係がわかるらしい。
感心したが、大抵の夢はそんなものかと思い直した。
それにしても、と菜々は目の前の女性を盗み見て、今度はコナン風か、と心の中で呟いた。
"夢の中"の母親の顔は「名探偵コナン」の画風だったのだ。
「菜々、早くに起きれたね。さすが小学生」
この後、母親が話した内容によると、菜々は小学校一年生で、今日が入学式らしい。
菜々は素直に入学式に行くことにした。
夢の中とはいえ、名探偵コナンの登場人物に会えるかもしれないからだ。
玄関で靴を履きながら、前に立っている人物に視線を向ける。
男性特有の少しとがった目。太い眉。左側で自然に分けられてる前髪。
自分の父親のようだ。またもや実物とはかけ離れた美形である。
自分の顔のデザインが家族と違うことは気にしないことにして、外に出てからふと、「加藤」と書かれた表札を見た菜々は凍りついた。
夢の中でも名前は一緒なのか、とぼんやりと思うと同時に、これは夢ではないと気がついたのだ。
夢の中では文字が読めない。
トリップ。それ以外の理由を探そうとしたが、見つけることが出来なかった。
気がついたら小学校の前にいた。先程襲いかかってきた大きな衝撃のせいか、家を出てからのことをまったく覚えていない。
「ていたんしょうがっこうに ようこそ」
六歳児にも読めるように、看板にひらがなで書かれている文字を見て、菜々は自嘲気味に笑った。
入学式の会場である体育館に入り、教師の指示にしたがって席に着く。どうやら保護者と児童は別々に座るらしい。
辺りを見渡したが、小太りの男の子も、そばかすがある男の子も、カチューシャをつけた女の子もいない。コナン達とは同年代ではない事が確定した。
夢だと思っていた時は会いたかったが、現実だとわかった今は心底ホッとしている。
死神と同年代とか絶対に嫌だ。
また、名探偵コナンの主要キャラクターらしき人物は見当たらない。
だいぶ落ち着いてきたので、周りが見えるようになってきた。
──で、誰だ? この人達。
菜々の目の前には、絵本の中から飛び出してきたかのような生き物がいた。
小人。ドワーフ。妖精。
そんな表現がピッタリな見た目だ。
十センチほどの背たけで、背中からは布のようにも見える羽が生えている。帽子をかぶり、手には紙とペンを握っている。
誰だ? と思った菜々だったが、彼女は彼らが小人でも、ドワーフでも、妖精でもないことを知っている。
自分の今の顔を思い出した時からわかっていた。倶生神だ。
倶生神がいるということは、この世界は「名探偵コナン」と「鬼灯の冷徹」が混ざった世界らしい。
これはどういう事なのか考えこもうとした時、いきなり話しかけられて菜々は飛び上がった。
「私は同生。こっちは同名。地獄の従業員で、あなたの行動を記録しているからよろしく」
「えっ!? それってストー」
「仕事だよ!」
ストーカー、と言おうとした菜々の言葉をさえぎり、同名が叫んだ。
「えっと、加藤菜々です。同名さんって男性ですよね? 私がトイレやお風呂に入っている時ってどうしてるんですか?」
ここぞとばかりに、漫画を読んでいた時、気になっていた事を尋ねてみた。
「外に出てるからね!?」
憤慨する同名をよそに菜々はそれとなくあたりを確認する。
周りが騒がしいため、自分の話し声を聞いている人間はいない。
入学式早々、変人のレッテルを貼られずに済みそうだ。
「霊感に目覚めたみたいね。この事、あまり人に言わないほうがいいから」
そんな事を言われた瞬間、ブザーが鳴り響き体育館が静まり返った。全員の視線が壇上に集まる。
入学式が始まった。
「平成二〇年度。第十五回。入学式を始めます」
アナウンスが流れた。菜々の年齢と同じだけ時間も戻っているらしい。
いろいろなことがありすぎて頭がパンクしそうだ、と、菜々は思った。
家に帰ってすぐ、入学式の後にもらった教科書に名前を書き終わったので今はテレビを見ている。
倶生神たちに怪しまれずに情報収集をするためだ。
『米花町五丁目で殺人事件が起きました。現場に居合わせた、工藤優作氏がみごと解決』
護身術でも習おうか、と、テレビを見ている少女は思った。
トリップ一日目で殺人事件が起こるとは、米花町、呪われすぎだ。
*
菜々がトリップしてから一週間ほど経った。
彼女はひらがなの練習の宿題をしていた。小学一年生らしい字を書くのは意外と骨が折れる。
これくらいの年なら学校が終わると友達と外で遊んだりするのだろうが、中身は中学三年生の菜々はそんなことはしない。というのは言い訳で、ぼっちなだけである。そのため、一人さみしく部屋で宿題をしているわけだ。そのことに気がつかないふりをするため、手を動かしながら彼女は合気道を習う事を検討していた。
トリップした日はやけに冷静だったが、二日目に事の重大さに気がついた。
頭が真っ白になったり、自暴自棄になりかけたが、最近やっと落ち着きこれからの方針を決めた。
最終目標は元の世界に戻ることだが、生きている間に戻ることは無理だろう。
倶生神の監視がある以上不自然な行動はできないし、現世でその方法がわかるとは思えない。つまり、死んで、あの世に行ってから本格的に調べることになる。それになんとなくだが、あの世のほうがそんな感じの内容が書かれた文献が多いような気がする。
あの世に行ってから調べるとなると、地獄行きはもちろんのこと、転生も避けなければならない。
もう一度人生を歩まなければならないのは二度手間だし、転生した際に自分が別の世界から来たことも忘れてしまうかもしれない。
かといって殺されるのも嫌だ。痛いし怖い。
米花町の事件発生率は異常だが、建物の爆破などの大量殺人を除けば、「名探偵コナン」で未成年は殺されない。
つまり、高い建物にさえ近づかなければ未成年の間は殺されない。
その間に護身術を身につけておこう、というのが合気道を習う事を検討している理由の半分だ。
もう半分の理由は、憧れだ。
トリップする前の話だが、電柱にヒビを入れたり、拳銃の弾を避けたりしている蘭の強さの理由を考えてみたことがある。
仮説は二つほど思いついた。
一つは、「名探偵コナン」の世界では空手のレベルがものすごく高く、都大会優勝の女子高生ならそれくらい出来るという説。
もう一つは、「名探偵コナン」の世界の人間の体の作りのレベルが、全体的に高いという説だ。
この説なら、運動すれば身体能力が飛躍的に上がるし、体が丈夫のはずなので、かなりの頻度で麻酔銃を打ち込まれている小五郎が健康体なのも頷ける。
菜々は二つ目の説が有力だと思っていた。
つまり、この説が正しければ、鍛えればかなり強くなれる。
どうせ習うのなら護身術として活用できる合気道がいいだろうと考えたため、合気道を習う事を検討し始めたのだ。
菜々は宿題を終え、クリアファイルにしまってあった、「部堂道場」と大きく書かれたチラシを取り出して読み始める。都合のいいことに今朝、合気道の道場のチラシが配られたのだ。家からも近いようだし、今から見学に行くことにした。まさに、渡りに船だ。
*
この道場に通うことにしたのは阿笠邸の近くだからだったな、と菜々は思い出していた。
阿笠と仲良くなっておけば武器を手に入れられるんじゃないかと思ったのだが、この選択は間違いだったのではないかとまさに今思い始めている。
部堂道場に入ってから一ヶ月。殺人事件が起こった。被害者は道場で菜々に教えている部堂藍木だ。
部堂藍木。財閥の元会長だ。
七十歳になった時から長男に会長の座を譲っていて、今は学生時代に取り組んでいた合気道を趣味で教えている。あくまで趣味なので、生徒が現在一人だけでも、菜々が入るまでの五年間生徒が一人もいなくてもなんら問題なかった。
菜々は、ほとんど宣伝をしていないせいだと考えている。
まったく宣伝をしようとしない祖父をみかねた藍木の孫である貫太がチラシを配っていなければ、たった一人の生徒ですら部堂道場に通っていなかっただろう。
彼は二十歳になったばかりだというのにしっかりしているというのが菜々の評価だ。
一方、藍木は最近両足を骨折し、移動するときは車椅子が必要不可欠になっていた。
お見舞いに行った方がいいだろうと土曜日に出向いた菜々だったが、暇を持て余した藍木の話を延々と聞かされた。
息子である奏と、昔亡くなった奏の妻から誕生日にもらった短刀の話を三時間程聞かされ、話が終わった頃にはお昼になっていた。
お昼ご飯をごちそうになってしまったため、すぐに帰るわけにも行かず、今度は藍木の武勇伝を延々と聞かされ、やっと終わったかと思えば、三階にある藍木のコレクションルームで集めている洋刀の解説が始まった。菜々は話を聞き流すスキルを手に入れた。
百本近くある洋刀の解説が終わると、藍木がエレベーターに乗る様子を見ることとなった。
すでに夕方なので、菜々は今すぐ帰りたかったが、毎回無料で授業後に稽古をつけてくれる藍木に少なからず恩を感じていたので断ることができなかった。
エレベーターは古い物だった。扉は手動らしい。前に藍木たちが住んでいる家は、大正時代に建てられたものだと教えてもらったことがある。おそらくこのエレベーターも家が建てられたときに取りつけられたのだろう。
今までエレベーターは使われていなかったが、藍木が両足を骨折してから使うようになったらしい。
車椅子が動かないように、息子の奏と孫の貫太がエレベーターの床にストッパーをつけてくれたと嬉しそうに話している藍木を見て、菜々はもう少しこの老人の話に付き合うことを決めた。
藍木がエレベーターに乗り込み、菜々が扉を閉める。
ガタゴトという音が止まった数秒後、女性の悲鳴が聞こえた。藍木の妻の夏菜子の声だ。
一瞬何が起こったのか理解出来なかったが、ここは米花町だと思い出して悲鳴が聞こえた方向に向かって走り出す。
菜々がトリップしてから、米花町ではすでに殺人事件が十六件ほど起きている。
やがて警察と救急車が到着したが、藍木はすでに事切れていた。
「警察が来るまで一箇所に集まっていよう」
お互いに監視しあっていた方が疑われにくいだろうし、菜々の面倒を見なくてはならない。
貫太の意見にしたがって、全員がリビングに集まることとなった。
やはり、この中では貫太が一番頼りになる。
リビングで、一人ずつ今までの経緯を刑事に説明することとなった。
一階に到着したエレベーターの扉を藍木の妻である夏菜子が開けた時には、藍木は血だらけになっていたらしい。
また、死因はあごの左側の下部を短刀でひと突き。短刀が頸動脈に刺さったため大量出血。
すぐに絶命したと思われる。
そんな話をぼんやりと聞いていた菜々はうつろな目をしていた。
もし死体を見てもアニメ調だしそこまで怖くないだろうとタカをくくっていたものの、実際は違った。
誰にでも平等に訪れる死の恐ろしさを再確認した。いつか自分もこうなると思うと足がすくんだ。
菜々は蘭を尊敬した。
かなりの頻度で殺人事件に巻き込まれているのに、ほぼ毎日学校に行くことが出来る。また、死体を見つけた時は悲鳴こそあげるものの、すぐに平常心に戻っている。並大抵の精神力ではない。
しかし、新一や平次などの探偵は高校生のくせに冷静な判断ができている。
この世界ではこれが普通なのだろうか。
いや、でも一般人はそうでもなさそうだし……。
そんなことを考えていると、何人かが部屋に入ってきたのに気づいた。
三人いる。全員天然パーマで角が生えている。
同生が彼ら、お迎え課について菜々に説明をしてくれた。
「ここにもいない。多分逃げたんだな」
「この様子じゃ殺人事件だな。こういう場合、亡者は犯人に復讐しようとすることが多いんだ」
「まだ回収しないといけない亡者はたくさんいるし、もう行きましょう。どうせ、近くにはいませんよ」
口々にそう言った後、お迎え課の鬼たちはどこかに行ってしまった。
そのやりとりを見て、菜々は余裕を取り戻した。
この世界にはわりかし楽しげなあの世がある。
死んで終わりじゃない、と思うと凍ったかのように固まっていた体が動くようになった。
顔色が良くなったのを確認して刑事が話しかけてきた。
「菜々ちゃん、久しぶりだね。悪いけど部堂藍木さんを最後に見たときの話をしてくれないかな?」
「久しぶり」ということはどこかで会っているのだろう。しかし菜々は見覚えがない。
トリップする前に会ったことがあるということだろうが、当然菜々には彼が誰なのかわからない。
「この世界の加藤菜々」に自分が憑依するまでの、「この世界の加藤菜々」の記憶がないからだ。
一度も家の中で迷ったことがないし、家族関係が分かったことから、少しは記憶が残っているのだろうと判断し、しばらくすれば今までの「この世界の加藤菜々」のことも思い出すだろうと楽観的に考えていたが、いっこうに思い出せない。
「えっと……」
これくらいの歳なら会ったことがある人を忘れていてもしょうがないだろうと思い、刑事は優しく話しかけた。
「去年あったけど忘れちゃったかな? 加藤文弘。君のお父さんの兄だよ」
伯父が刑事だったことに驚いたが、それ以上に嬉しくもあった。
この世界で生きていく以上、何かしらの事件に関わることになるだろう。その時、警察関係者に知り合いがいる方が安心だ。
そんな考えはひとまず置いておき、忘れてしまってすみません、と一言謝ってから菜々は今までの経緯の説明を始めた。
「先生がエレベーターに乗る時、扉を閉めました。エレベーターの動く音が止まってすぐ、夏菜子さんの悲鳴が聞こえたので階段で一階に向かいました。その後は夏菜子さんの話通りです」
「藍木さんがエレベーターに乗ったとき、誰かいた?」
菜々が首を横に振ると、文弘の顔が曇った。
菜々が話した通り、エレベーターは古いせいか、ガーガーと音を出して動く。
なので、エレベーターに乗った時は生きていて一階に着いた時には死んでいたとなると、エレベーターの中で死んだこととなる。
菜々の証言によると、エレベーターの中に犯人はいなかった。
また、エレベーターの扉を警察で調べてみたが何も異常がなかった。
そのため、自殺の可能性が高いと思われる。
しかし、教え子が家にきている時にエレベーター内で自殺をするだろうか。
ありがとう、と菜々にお礼を言った文弘は難しい顔をしてほかの刑事の元に向かった。
一人の刑事が「目暮」と呼ばれていたが菜々は今は気にしないことにした。
痩せていることに驚きはしたが、彼女にはもっと気になることがあったのだ。
「何やってるんですか、先生」
隣に座っている体が透けている人物に声をかける。
菜々はお迎え課の鬼たちの会話を思い出していた。
「亡者はあの世の裁判を受けなければなりません。現世にとどまっていると罪が重くなりますよ」
同名が藍木に説明するが、藍木が動こうとする様子はない。
「というか菜々ちゃん、わしが見えるのか?」
藍木の問いに菜々は頷いた。
藍木は自分を殺した犯人がわかるまであの世に行かないと言い張った。
そこで、菜々は犯人探しをすることにした。藍木には良くしてもらっていたからだ。
犯人を捜す理由の大半が、「ここで地獄に恩を売っておけば減刑してもらえるんじゃないか」という考えがあるからだったりするが。
犯人を知るため、情報を集めることにした。まずは被害者の証言からだ。
「聞きにくいんですけど、亡くなった時の様子ってどんな感じでしたか?」
菜々は誰も見ていないことを確認して尋ねた。
誰もいないところに話しかける変な子と認識されたくない。
藍木は気づいたら刀が刺さっていて死んでいたと答える。
何か光ったような気がして、上を見上げたら刀が落ちてきたらしい。
「そういえば、エレベーターの天井に穴がありますよね。そこから犯人が刃物を落としたとか?」
しばらく考え込んでいた菜々が他の人には聞こえないように囁いた。
菜々だと入れてもらえないし倶生神は仕事中なので、藍木に確認してきてもらったが、エレベーターの上には埃が積もっていて人がいた痕跡はなかったらしい。
だとすると刀が落ちてくるトリックを犯人が仕掛けた可能性が一番高い。
ややこしくなるので、心霊現象とかは考えないことにした。
何かしらのトリックを仕掛けられそうな人物は三人。
藍木の妻である部堂夏菜子、藍木の息子である部堂奏。奏の子供である部堂貫太。
全員、今日はほとんど家にいたのでトリックを仕掛けることが出来るだろうが、みんな良い人達だと菜々は思っている。
この中の誰かが犯人だとは思えなかった。
「犯人、誰かわかります?」
菜々は倶生神たちに尋ねてみたが、二人とも首をひねっている。
「部外者ではないことは分かるんだけど……」
気まずそうに藍木をチラチラと見ながら同名は言葉を濁した。
「今思いついたんですけど、容疑者全員の倶生神さんたちに聞いたらいいんじゃないですか?」
ポツリと菜々が呟いた。
同名は嫌がったが、菜々に口論で負けて渋々聞きに言った。
そんなに嫌なら同生さんに頼めばいいじゃないですか、と菜々に言われた時同名が青ざめていたことからもわかるように、彼は同生に頭が上がらない。
しばらくすると、げっそりとした同名が帰ってきた。
あの世の住民が、よっぽどのことがないかぎり現世のことに深く関わるのはタブーとされている。
その上、ずっと人間の行動記録をつけていた倶生神はイっちゃってる場合がほとんどだ。
そんな相手と交渉するのはかなり骨が折れる。
「無理だった」
うなだれている同名を見て、菜々は一つ方法を思いついた。
自分が土下座するところを同名の携帯で録画してもらい、その様子を相手の倶生神に見せれば少しは誠意が伝わるのではないか 。
しかし、それだと菜々のほんの少ししかないプライドが傷つく。
結局、その案は彼女の頭の中で行われた会議によって瞬時に却下された。
その頃、容疑者たちは凶器に見覚えがないかを尋ねられていた。指紋は検出されなかったらしい。
「これは父の短刀です。イニシャルが刻まれているでしょう? 昔、僕と妻がプレゼントしたものです」
藍木の息子である奏が答えている。
菜々は思い当たる節があり、覗き込んで見た。
血だらけではあるが刻まれたイニシャルはかろうじて読むことができる。
十五センチほどの長さで、端に十字架がこしらえてあり、その根元には六センチほどの鉄が露出している。
柄がなかったが藍木に三時間も自慢されたため、すぐに分かった。
「この短刀、今日のお昼に見ましたよ」
昼食をごちそうになってからは、先生の洋刀のコレクションルームに連れて行かれたので、それからは見てないですけど、と続けたら貫太から哀れみの目で見られた。
長話に付き合わされたんだな、と目が語っていた。
「だとすると犯人は正午から犯行時刻である午後四時までの間にトリックを仕掛けたことになりますね」
菜々の話を聞いた目暮が呟く。
これは自殺ではないのかという貫太の問いに対し、他殺だと思う理由を目暮が説明していると、文弘が帰ってきた。
菜々の両親に電話で事情を説明したらしい。
「なんで柄がないんだ? 狙いにくいだろうに」
目暮に凶器を見せてもらった文弘も目暮と一緒に考え込む。
しばらく二人は首をかしげていた。
目暮がエレベーターの上に犯人がいたという説を思いつくが、文弘に否定される。
彼はすでにエレベーターの天井に埃が積もっているのを確認したらしい。
「それに格子穴がある。十字架の部分がつっかえると思うぞ。だいたい、人が入り込むスペースなんてなかった」
そのころ、菜々はリビングの隅に移動していた。
「エレベーター、見てみたいです。警察の人に見つからずに見る方法ってないですか?」
藍木にこっそり尋ねてみる。
「屋根裏から行けば簡単に見れるぞ」
そう言われたので、トイレに行くと嘘をついて菜々は屋根裏部屋に向かった。
警察がいない三階の部屋の押入れの中の天井を外せば、小柄な小学生の体は簡単に屋根裏に入ることが出来た。
倶生神の携帯であたりを照らして進んでいく。あまり見通しが良くないがこの際仕方がない。
埃っぽく、薄暗い屋根裏を進んで行くと床から光が漏れているところがあった。
しゃがんでよく見てみると床板が少しずれていたし、その板に印がつけられていた。
藍木によるとその印は、昔家族でつけたものらしい。長話が始まりそうな予感がしたので、菜々は理由を尋ねずにその板を取り外してみる。その真下にエレベーターの天井の穴があった。
その穴は鉄の棒で四つに区切られている。文弘が言ったように、ここから短刀を落とそうとしても、十字形の鍔がつっかえるだろう。
エレベーターの箱と屋根裏部屋の床との間は十センチほどだった。
誰かが屋根裏部屋に登って床板を取り外せば、その下にエレベーターの箱の天井にある穴があるし、そこへ手を届かせることも出来そうだ。
エレベーターから視線を外して、何かないかと歩き始めた菜々は何かにつまずいた。
「これって……」
足に当たったのは凶器である短刀の柄だった。
倶生神に頼んで照らしてもらうと、柄に縄が結んであるのに気がついた。
縄を目でたどってみると縄の端が近くの柱に結んであるようだ。
菜々が柱に結び付けられた縄をほどいた。しっかりと結んであり、器用な方である菜々でも簡単にはほどけなかった。
縄と短刀の柄をハンカチに包んでひろう。
「この縄、どこかで見たような……」
菜々は記憶の糸をたぐった。
確かあれはお昼のことだった。
「すみません。ご飯ごちそうになちゃって」
「いいのよ。旦那の長話につきあってもらっているんだから」
そんな話を菜々と夏菜子がしていたとき、鍵を開ける音と、「ただいま」という声が聞こえた。
奏が買い物から帰ってきたのだ。
奏は家族が集まっている食卓には寄らず、自分の部屋に荷物を置きに行った。
好奇心から、何を買ったのだろうと菜々は廊下に出てビニール袋を見た。
ビニール袋が透明だったため、黄色と黒のものが入っていることを確認した。
菜々が拾った縄は黄色と黒が交互になっている。
だとすると、犯人は奏の可能性が一番高い。
「この縄、お昼に奏さんが買ってきたやつじゃないですか?」
菜々の言葉でしばらく沈黙が続く。誰も信じることができなかった。藍木と奏はとても仲がよかったからだ。
「トリックがわかったわ」
沈黙を破ったのは凛とした同生の声だった。
同生が話したトリックに全員が納得した。
しかし、犯人は本当に奏なのか。
短刀に結んである縄は奏が買ったものと同じものである証拠はどこにもないし、同生が話したトリックは誰にでもできそうだ。
もしかしたら別の人物が犯人ではないか。そのようなことを四人は思った。
また、もしも犯人が奏だった場合自首してほしいという藍木の願いにより、一度奏と話してみることとなった。
リビングに戻った菜々はお腹の調子を心配され、家に送られた。思っていたよりも長く屋根裏にいたらしい。
次の日。
菜々は奏の部屋にいた。夏菜子は同窓会、貫太は大学のサークルの集まりに行っているのでこの家に人間は二人しかいない。
「昨日の事件の犯人がわかったんです」
菜々がそう告げた途端、奏は一瞬目を見開いたがすぐに表情を取り繕った。
その様子から菜々担当の倶生神は奏が犯人だと悟ったが、藍木はまだ信じられないようだ。
「なんでそれを警察じゃなくて僕に言うの? もしかして僕が犯人だと思ってる?」
菜々は緊張のあまり声が出ないのでうなずいた。
緊張しているのは殺人犯を説得しなければならないかもしれないというのもあるが、観衆が多い。
倶生神たちや藍木はいいが、興味本位で集まってきた浮遊霊が多すぎる。同生はお迎え課に連絡をしている。
なんとか声を絞り出して同生の推理を話す。
「私はトイレに行くと嘘をついて、屋根裏部屋に行きました。決してお腹の調子が悪かったわけではありません。というかトイレにすら行ってません」
「菜々ちゃん、話ずれてる」
同名に注意され、話を戻す菜々。
「えっと、トリックですけど、先生の短刀を盗んだ犯人は丈夫な三メートルくらいの縄を用意したんです。それから屋根裏に上がって、エレベーターの真上の床板のすぐ近くにある柱に縄の端をくくりつけて、もう一方の端を外した床板から下に垂らして、エレベーターの天井にある穴に入れます。
この時一度、短刀の柄を外しておきます。力が加わったら柄が抜けるようにしておかないといけないからです。
その後犯人は人目につかないようにエレベーターに入って、格子穴を通して下がっている縄で短刀の柄を強く縛ります。柄にナイフで傷をつけてくくった縄が抜けないようにしたかもしれません。
そしたら犯人はまた屋根裏に上がります。上から縄をひっぱって、短刀の柄が格子穴から出るようにして、十字架の形をした鍔が下から格子穴の鉄の棒にしっかり当たるまでひっぱります。つまり、縄の上部を結び直してぴーんと張るんです。
夏菜子さんが『旦那の長話』って言っていたんで先生はいつも話が長いことがわかりました。だから、お昼ご飯を食べ終わってからしばらく先生の話が続くとわかった奏さんは、先生の短刀を盗んでこのトリックを仕掛けたんです」
ついに菜々は犯人のことを「奏さん」と呼び始めた。話が進むにつれ、どんどんと奏の顔色が悪くなっていることから、犯人が彼だと確信したのだろう。
「後は、先生がエレベーターに乗って下の階のボタンを押せばいいんです。短刀の刀のほうは、鍔が格子穴の下側につっかえているので下に引っ張られます。でも、柄は柱に結びつけてあるので止まります。しばらくすると柄が抜けて、その勢いで、刃が真下に向かって勢いよく落ちます。その刀が先生のどこかに刺さるっていうトリックです」
菜々は唾を飲み込んだ。話すぎて喉が渇いたのだ。
「柄と縄はすぐに回収するつもりだったんでしょうけど、貫太さんが『一箇所に集まっていよう』って言ったとき、賛成しないと疑われると思って柄と縄を回収せずにリビングに行ったんですよね?」
カンペを見ながら話す菜々に奏が笑いかけた。ついこの間まで幼稚園児だった子供が相手なら言い逃れることができると思ったのだろう。
「確かに筋が通っているね。でもその方法なら僕の家族の誰にでもできる。僕がやったという証拠がないよ」
「屋根裏部屋の柱に結んであった縄、しっかり結んでありました。ほどくのに苦労したんで、素手じゃないと奏さんは柱に縄を結べなかったと思います。だから、縄には指紋がしっかりとついていると思いますよ。縄と短刀の柄は私が死んだらすぐに警察に届くようになっています。一応、奏さんが落としたレシートも」
レシートは本当に奏が縄を買ったのか確認するために藍木に盗んできてもらったのだが、落ちていたことにする。
「あのトリックだとどこに刺さるかわからないので、殺せない可能性もありました。本当は先生に死んでほしくなかったんじゃないですか?」
菜々は疑問に思っていたことを尋ねてみた。
奏は大きなため息をついてから、観念したかのようにポツポツと話し始めた。
「僕の妻が死んでいることは知っているだろう? 妻は病気だった。気の持ちように病状が左右される病気だったんだ。だいぶよくなってきて、退院し、自宅に戻った頃だった。家事もできるくらい回復していたよ。でもある日、父さんが大事にしていた皿を壊してしまい、こっぴどく怒られてから、病気がぶり返してしまった。それからすぐに死んだんだ。あのとき父さんがあんなに怒らなければ……。僕は父さんを恨んだ。でも、父さんが大好きだった。だから不確実な方法を取ったんだ。判断は天に任した」
この世界の神様に重要なことを任しちゃだめだろ、と菜々は白澤を思い出しながら思った。
「いや、あのときほとんど怒らなかったけど……」
弁解するように言う藍木に菜々は疑わしそうな目を向けた。あんたの話は長すぎるだろ、と目が言っていた。
「一言注意しただけじゃ」
藍木がブツブツ言い始めてうるさかったので菜々が奏に伝えることにした。
「前に先生から話を聞きましたけど、あの様子だと三分くらいしか怒らなかったみたいですよ」
藍木の一言はだいたい三分くらいだ。
「そのあと、体調を崩したから一時間くらい休ませたが」
「説教が終わった後、体調を崩した奥さんは先生に三時間ほど休ませてもらったらしいですよ」
藍木にとっての一時間は一般人にとっての三時間くらいだ。
「たしかに妻は呼び出されてから三時間後に戻ってきた……」
奏は糸が切れた操り人形のようにがっくりとうなだれた。
菜々が帰ってすぐ、奏は自首した。財閥の会長の座は親戚に譲り、道場は貫太が継ぐこととなった。
この世界では殺人事件なんてよくあることなので、前会長が殺人犯でも特に問題は起こらないだろうと言われている。
菜々は両親に「もう殺人事件に巻き込まれるような歳か」とほのぼのと言われ、この世界のヤバさを再確認した。
また、今回のお礼として、事件が起こった夜から菜々の家に居候している藍木に必殺技を教えてもらうこととなった。
すべてカッコいい名前の割には卑怯な技だった。
おまけだった関節の外し方が一番使い道があるのではないかというのが菜々の正直な感想だった。
修行に耐え、藍木があの世に旅立った後、菜々は同名の言葉で凍りついた。
「あなたは何?」
「はい!?」
思わず聞き返してしまった自分は悪くない、と菜々は自分を納得させる。
「入学式あたりからおかしいと思っていたんだけど、殺人事件の時に確信したわ。あんなに冷静に対応できて、推理力がある六歳児なんていない」
新一とかはどうなるんだ、と現実逃避をしかけてしまったが、気を取り直して必死に頭をまわす。
「……入学式の日に前世の記憶が戻りました」
それから、トリップする前のことを前世のように話した。
この後あの世の裁判の様子を正確に言うことができたので、菜々は追及を逃れることが出来た。
まだ何かがひっかっているが、それが何なのかが分からず倶生神たちは質問をやめることにした。
「中三の夏休みの終わりに死んだのね?」
同生の目が怪しい光を放っていることに、必死に気づかないふりをしながら菜々は頷いた。
「じゃあ、勉強しなさい」
「え!?」
自分の顔が引きつるのを感じる。
「学校とは別に、中三レベルの勉強をしたほうがいいわ。何にもしないとどんどん忘れていっちゃうんだから。私、教員免許持ってるから大丈夫よ。……はい、か喜んで、以外の答えを言ったらあなたの悪行でっち上げるわよ」
菜々は何が大丈夫なんだとか、そもそも地獄の免許は現世で適応されないんじゃないかとかは突っ込まずに、「はい」と答えるしかなかった。
「そうだ。普通の勉強もするから地獄のことも教えてください」
今度は倶生神がど肝を抜かれる番だった。
「転生する前に舌抜かれたんですよ。もうあんなことされたくないんで、地獄の法律の抜け道を探します。それがだめなら地獄に就職して罪をチャラにしてもらいます。秦広王の補佐官さんみたいに」
確かに舌を抜かれるのは嫌だが、菜々がこんな提案をした一番の理由は、地獄で雇ってもらいたかったからだ。
元の世界に戻る方法を調べるには獄卒になるのが一番手っ取り早いと考えたのだ。
地獄行きはもちろんのこと、転生も避けるとなると、天国行きと獄卒の二択になる。
ただし、逃亡生活を送るとかいう確率がかなり低いものは考えないこととする。
欲が少ない人が多い天国の住民の中で、情報を集めるためにしょっちゅう出かけていると目立つだろう。
すると、獄卒一択となるのだ。
いきなり「獄卒にしてください」と頼み込んでも相手にされないことは容易に想像がつくので、少しでも知識をつけておくことに越したことはない。
いいわよ、と同生に許可をもらって喜んでいた菜々は、同生の授業がスパルタだとは知る由もなかった。