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作品一覧
2022年ポスカカレンダー 7月8月
2022年7月8月 「ずあびしよう!」 「おとうさんがよういしてくれたんだー!」と言って、半袖水着姿で現れたのは、隣に住む幼馴染み。 今日も太陽はサンサン、気温は暑いを通り越したものになっている。 「このくそあついなかで?」と、顔をしかめる俺を無視して、幼馴染みは俺の腕を素早く掴み、自宅の庭へ駆け出す。サンダルをちゃんと履く時間も与えてくれなかった。せっかちすぎる。舗装された地面は熱を集め、足の裏が今にも焼けそうなほど熱い。 経った一分の距離を跳ねるように走って、飛び込んだ先は幼児向けの浅いビニールプール。 プールの水は日差しを受けて、ほどよい温さと冷たさ。熱くなった足の裏が、じんじんと脈打ちながら冷えていく。 「きもちいい……」 しばしの間、日差しの下で佇む。 ざばざばと、ホースの水が降ってきたのはその時であった。
2022年ポスカカレンダー 9月10月
2022年9月10月 ねえ、知ってるぅうー? 現世にね、課長の弟さんがいるんだってー。 それでね、課長に教えて貰ってその子の様子を見てたんだけど、その子は楽しいって思っても楽しいって笑わないし、嬉しいって思っても嬉しいって笑わないの。でもね、嫌だって思った事は嫌だってはっきりと言うの! 照れ屋さんなのか、正直者なのかよくわからないねぇ。 照れ屋さんなところは課長にそっくりだけどね。この間も菩薩さまとギャーギャーやってたなあ。見事な右ストレートが、菩薩さまの顎に入ってたよ。 何したんだろうね、菩薩さまも。顎に入ってもヒビの一つも入らない菩薩さまも怖いね。たんたんが残念そうにしてたよ。 ……なんの話ししてたんだっけ? あ、課長さんの弟さんのお話か。 その弟さんはね、現世で何してると思う? アイドル! やってるんだってー! ちょっと観に行ってみようよ! アヌビスー!
2022年ポスカカレンダー 11月12月
2022年11月12月 画面に映る映像が暗い闇に包まれた。そして始まる、三十秒前のカウントダウン。サンタクロース姿のシマエナガとトナカイ姿の黒いジャッカルが、画面を忙しなく動き回っている。 モニターの向こう側にいる現世の人々は、画面が暗転した事に驚いているだろう。先日行われたライブの様子を届けるという名目で、今日の配信はスタートしたのだから。 カウントダウンが終わりを迎え、黒い背景のステージで、ピアノを中心とした冬の調べが流れ出し、熱いスポットライトが天井から白く降りた。少年が一人カメラに背を向けたまま、ステージに進み出る。ステージには仲間が二人スタンバイ済みだ。 カメラに背を向けた少年が二人の間に入ると同時に、曲に合わせて三人が動き出す。 立ち位置を変え、視線を変え、バラバラだったはずの動きが統一されていく。 中心に戻ってきた少年の視線が、振り向き様に画面の向こう側へ視線を投げる。 形の良い唇の端がつり上げられた。 ーーさあ、扇子を振る準備はできているか。
小鬼は優しいママが欲しい 盛夏の頃
「小鬼は優しいママが欲しい 盛夏の頃」 #文披31題 Day1.黄昏 「いつかの空の向こう側」 Day2.金魚 「ひらひら」 Day3.謎 「小鬼、振り出しに戻る」 Day4.滴る 「細くて小さな角」 Day5.線香花火 「夏休みは遊びたいお年頃」 Day6.筆 「歩けば浮かぶこともある」 Day7.天の川 「意地悪な奴」 Day8.さらさら 「種類の問題ではない」 Day9.団扇 「一分一秒が勝負」 Day10.くらげ 「君の気まぐれに流されるだけの」 Day11.緑陰 「昔は青かった」 Day12.すいか 「わいろなすいか」 Day13.切手 「本当の親にはなれない」 Day14.幽暗 「パパの背中」 Day15.なみなみ 「身代わりになったトマト」 Day16.錆び 「錆びつきそうなこの心も」 Day17.その名前 「見ると落ち着く」 Day18.群青 「俺の気持ち届くかな?」 Day19.氷 「この後、子どもに駄々こねられた」 Day20.入道雲 「loveかlikeか」 Day21.短夜 「寝れない小鬼」 Day22.メッセージ 「頑張るか」 Day23.ひまわり 「ひまわりもドン引きする前向きさ」 Day24.絶叫 「あの頃の顔」 Day25.キラキラ 「後ろの方が海がよく見えるのです」 Day26.標本 「実は少し気になっていた」 Day27.水鉄砲 「この後、ちゃんと怒られた」 Day28.しゅわしゅわ「夏が溶けていく」 Day29.揃える 「ねえ」 Day30.貼紙 「君は今、何をしてる?」 Day31.夏祭り 「楽しいこと? それとも、」「嬉しいことをしているよ」
烏が飛んだ先
そのうち電撃引退する男性アイドルと、人生の推しを見つけた少女のお話。 烏が飛んだ先 エピソード0 烏が飛んだ先 エピソード1 烏が飛んだ先 エピソード2
狐神と、秋
#秋という言葉を使わずに秋を一人一個表現する物書きは見たらやる ざっざっざ、と竹箒を動かせば、ざっざっざ、と、黄色や茜色に染まった落ち葉で小山が出来る。まだ少し木にしがみついていそうだったのに、昨晩の嵐で落とされてしまったらしい。ざっざと葉を積み重ね、大きくなる小山の周囲で、茶色と白色のまだらな毛を持つ狐神がぴょこぴょこと跳ねる。少し前までは、茶色の毛だけだった。今は痩せて見えるその身体も、これから先の白く冷える季節に向けて、もこもこと丸くなっていくだろう。 「葉っぱで芋を焼くと美味しいと、隣の町に住む神(せんぱい)が言っておったぞ!」 「はいはい」 「芋はどの芋が良いのだろう⁉ さつまいもか? さといもか? じゃがいもはバターと塩をふりかけるのが好きだなあ! どうせなら、栗や魚も焼いてみないか⁉」 「お供えには何の作物があったかなあ!」と、狐神はぴょこぴょこと跳ねて、倉へと向かった。 竹箒を持つ者は、その小さくもふもふとした背中を見送りながら、短く息を吐き出した。 その食い意地も、この季節ならではだろうか。
狐神と、冬
#冬という言葉を使わずに冬を一人一個表現する物書きは見たらやる 床に無造作に置かれた座布団や小物を片付けて、庭に面した掃き出し窓を開け放つ。夏の間使っていた薄いカーペットを片付けて、部屋の奥からざっざっと箒で掃いていると、白い姿の狐が窓からひょっこりと顔を出した。 「なあ! もうすぐお昼だぞ!」 「まだ朝ご飯を食べたばかりですよ。それに、お昼まであと二時間ほどあります」 白い狐は「ちぇっ」と小さく呟いて、尻尾を揺らして庭へと戻っていく。最近生まれた白い狐神は、人々の願いに応えるよりも、遊びや食べる方に夢中だ。食いしん坊な彼のことだから、世話役の自分が忙しく動き回っているところを突けば、時間を勘違いして食べ物が出てくるかもと考えたのかもしれない。 そんな勘違いなどするわけなく、世話役の自分は黙々と掃除を続けて部屋の埃を掃き出し、最後に掃除機を使って細かい屑を吸ったところでホットカーペットを敷く。その上に冬用のカーペットを敷いて、今か今かと出番を待ちかねていた炬燵を置いた。炬燵布団と毛布、汚れ防止のカバーは昨日干してあったので、直ぐに被せることができた。 「今シーズンもよろしくお願いします」 卓上を撫でながらスイッチを入れると、「任せろ」とばかりに炬燵が輝いた気がした。
狐神と、春のはじまり
冬特有の冷たい空気が抜けて、暖かい空気が強い風と共にもたらされる。地獄にはない季節の変化だ。 狐神のお世話係は「今日は一段と風が強いな」と思いながら、ぶわぶわと暴れる前髪を押さえた。 今は買い物に行った帰り道だ。風が強くて、外に出るのは億劫だったが、狐神様の食べ物はもちろん、自分の食べ物も心もとない量になっていたので、覚悟を決めて外に出た次第だ。 手提げ型のエコバッグにパンやお菓子等の柔らかいものを、背中のリュックにお肉や飲料、野菜や冷凍食品等の重たいものを入れて、街中から少し外れた家へと歩みを進める。 狐神と暮らしているのは田舎町にある郊外の戸建て住宅だ。昔ながらの平屋住宅で、大家さんは神社の神職さんだ。その大家さんは冥府のことをよく知る人……というよりかつて冥府に住んでいた鬼である。 新しい狐神を奉るのに丁度良い社は無いかと探していたところ、この大家さんが手を挙げてくれたのだ。なんでも、世話をしていた神様が人の子に悪さをして、神の業務が出来なくなったので困っていたらしい。 その神が何をしたのかまでは詳しく聞かなかったが、お互いに困っているならと意見があって、狐神を連れて冥府から移住したのが、狐神のお世話係だ。 道を歩きながら、すんと鼻を動かす。 あまり嗅いだことがない、春の匂いがする。雪が溶けて、再び姿を現した土の匂いと生えてきた青葉の匂い。 「春の花は柔らかな色が多いって、兄上が言ってたなあ」 その兄上も現世で過ごしたことはないようだが、仕事で訪ねた事はあるらしい。現世の人の子は、春が来ると花の下に集まって、持ち寄ったお酒や食物を食べつつ談笑するのだそうだ。青い空が広がり、柔らかで華やかな花を見ながら物を食べるのはさぞ気持ち良さそうだ。 「花が咲き始めたら、狐神様を連れてやってみようかな。もう少し、暖かくなってから」 食いしん坊な狐なので、花よりも菓子を寄越せと申して来そうだが、きっと楽しいはずだ。瞼の裏で易々と想像できて、笑みがこぼれた。 楽しいことは、多い方がいい。
狐神と、弾けるもの
ぽこんぽこんと、白い花が透明な扉の向こう側で跳ねる音がする。 正確には、電子レンジで温めるタイプのポップコーンだ。 白い毛皮の狐神は、もふもふとした白い尻尾をゆらゆらと揺らして、短い前足を一生懸命電子レンジが乗る台に置いて、「まだできない、いつできる?」と、首も伸ばす。 不安定な二本立ちに、狐神のお世話係は苦笑した。 「狐神様、危ないですよ。倒れたら大変です」 「ちゃんと、四つの足で立ってください」とお願いしたら、狐神は不満そうな表情と声を出した。 「だってえー。どうしても気になっちゃうんだよー」 こうしている間もポップコーンが入った袋は膨らみ、中からぽこんぽこんと跳ねる音がする。バターとしょうゆが絡んだしょっぱい香りが、レンジから漂ってきた。 狐神の丸々とした瞳がキラキラと輝く。 やれやれと、お世話係は肩をすくめた。 スーパーへ買い出しに行ったとき、いつものお菓子コーナーではなく、おつまみのコーナーでうろちょろとしているから何をしているのかと思えば、電子レンジで作るポップコーンを物欲しそうに見ていたのだ。 『あの白い花はなんだ?』と詰め寄られ、『人の子が食べるお菓子です』と答えた時点でお買い上げが決まってしまった。この神様はご飯も好きだが、お菓子もそれ以上に好きだから、時々困ってしまう。見た目は狐でも中身は神様なので、人の子と同じ食事をしても大丈夫だとは言われているが、体重は増えるし、脂肪もちゃんとつくのだ。 「ほらほら、狐神様。そろそろピーって鳴るのでどいてください」 「はーい」 ひらりと狐神様が退くと同時に、ピーピーとレンジが鳴る。 狐神は、お世話係の足元をうろちょろと動き回って、食卓にポップコーンが運ばれるのを待った。 「まだ熱いですよ?」 「へっちゃらだぞ!」 「いいから早く持ってきて」と、お世話係の足に掴まり立ちした。
走る茄子
走る茄子 その夜。真金(まがね)という名の獄卒は、己の目を疑った。 時刻は丑三つ時。妖怪などと呼ばれる妖しいものたちが出歩く時間帯。百鬼夜行が開かれる刻。 人の子が昔から畏れ怖がる時間帯だが、真金が住まうこの冥府において、丑三つ時などは時刻の一つでしかなく、なんなら今も働き者の鬼たちは湯を沸かし、山を崩し、金棒などを振るって亡者たちに呵責を与え、亡者の苦しみ呻く声が地獄の底から響いている。 真金はこの春から獄卒になった鬼だ。平成の半ばに生まれたまだ若い鬼だが、現世と比べ冥府がいかに異常で異様な国かは理解している、つもりだった。 真金は足を止めて、目をごしごしと擦る。 今日は遅番の仕事で、これから社宅に戻ろうとしていたところだ。 疲れは確かにある。が、目眩があるとか、今にも倒れそうだという疲れではない。現代っ子特有の、液晶画面の見すぎで目がしぱしぱするとかそういうことではない。 目を擦っていた手を下げて、今一度、視線を道の先へ向ける。 紫色の茄子が走っていた。 茄子の側面から、異様に筋肉の付きが良い人間の腕が二本と足が二本生えている。走っている時の型も、陸上選手のそれかと思うほど綺麗な型だ。身体が茄子ではなく、腕と足に合った胴体であれば、称賛していただろうなと思う。 なぜ茄子から手足が。 そもそも、なぜ走っているのか。 真金の心情などお構い無しで、茄子は冥府の夜道を行ったり来たりと走っている。 何度目を擦っても、茄子が消えることは無い。 真金は一度深呼吸をしてから「よし」と腹を括った。 「何も見なかったことにしよう」 関わると面倒なことになりそうなので、来た道を引き返し、違う道から帰ることにした。
象に乗りし菩薩
象に乗りし菩薩 「ふーむ」と、麗しい男は天を仰いだ。 ここ数日、ある場所を目指してゆるゆると移動しているのだが、いっこうに着く気配がしない。 「おかしいな……道は合っているはずなのに……」 ふむふむと首を傾げつつ、懐から一枚の紙を取り出す。 紙に描かれたのは、みみずがのたくったような線が幾筋も描かれている。家を出る前に、男自ら描いた目的地までの地図だ。 再び懐に手を突っ込んで、懐中時計を取り出す。時刻だけでなく、日付も表示されているやつだ。時刻は昼を過ぎた頃。頭上にある日の神が頂点で神々しい光を降り注いでいる。 「まずい」と、男は顔をしかめる。 集まりは今日だったはずだ。司会をする奴が夕方からと言っていたからまだ猶予はあるが、このまま迷い続ければ遅刻してしまう。 「くそぉおー。これだから、見知らぬ土地は嫌なのだ」 これまでと同じく、浄土に集まってひっそりこっそりとやればいいものを。気分転換をしたかったのかなんなのか、地獄にある温泉街ですると言い出したものだから、出席する立場のこちらは一から場所から道順やらを調べねばならぬ事になった。 むむむと唸っていると、男を背に乗せていた白い象が「ぱおーん」と不安げな鳴き声を上げる。白い象は六つの牙を持ち、垂れた目は優しげだ。 男は「うん」と頷いてから、象の頭に手を伸ばし、安心させるように動かした。 「なあに、大丈夫だ。問題ない。我は、普賢菩薩だぞ。普く賢い者の我が道に迷う等あり得ぬ」 「こっちの道に進めばよい」と、象の耳裏を軽く叩いて、ゆるゆるゆらゆらと歩ませる。 この時、象はとてもとても大きなため息を吐きたくて仕方なかった。 かれこれこの数日、同じ場所を歩いている気がする。 石造りの建物がずらずらと並び建つ場所ばかり視界に入るし、道行く者たちが珍しげに小さくて平べったい箱を向けている。その箱からたまに強い光が出て、象はできるだけ早くこの場から移動したくなる。背中に大事な主人が居るから走れないが、象一頭だけなら今ごろ走り出していた。 「主人よ……」 「お、あそこに居るのは日の本の神ではないか? 白よ、ちと寄ってみてくれ」 「うう……」 西より来る仏の散歩は、迎えが来るまで続いたという。
狐神と、大好きなもの
狐神と、 【大好き】 食卓の上に広がるのは、きらきらと輝くお寿司。そして、狐神が大好きなたまご焼き。お世話係用にいなり寿司も並べられているが、狐神はたまご焼きの方に釘付けだ。 狐神は、お寿司と同じくらい瞳をきらきらとさせて、食卓のお寿司を視界に入れていた。その様子を、お世話係は微笑ましく見守る。 実をいうと、この狐と現世へ越してきてから、なんでもない日にこんなに豪華な食事を用意するのは初めてだ。引っ越してきた初日はお蕎麦で、その後は煮物とか魚料理が続き、途中から中華や洋食を入れてきた気がする。クリスマスにはケーキとチキン、お正月はお節とお餅を用意したが、平日のなんでもない日に並ぶご馳走は、季節の行事とはまた違った特別感がある。 こんなに人の子が食べるようなものを食べさせて大丈夫だろうかと、同居が始まった頃は心配したものだ。狐神は神様……特に五穀豊穣を司る神様なので、人の子と同じものを食べても問題ないのだが、見た目が狐なので、やはり心配にはなる。 「体重管理気を付けないと……塩分にも……」 ぶつぶつと呟くお世話係の声に、狐神は首を傾ける。 それも一瞬の出来事で、ふさふさな尻尾をふりふりと振りながら、狐神は自分用のお味噌汁を準備しているお世話係を見上げた。 「ぜんぶたべていいのか?」 「全部はだめです。狐神様のは今から取り分けてあげるので、少々お待ちください」 そう言って、お世話係は「よいしょ」と腰を下ろしてから、狐神のお皿にたまご焼きを多めにしてマグロとサーモンのお寿司をのせていく。 「どうぞ」と顔の前に置いてあげると、狐神はたまご焼きからかぶり付いた。 「おいしい、おいしい!」と尻尾をふりふりしながら、むしゃむしゃと平らげてく。 一方で、お世話係は噛み締めるようにお寿司のマグロを咀嚼する。 お世話係もお寿司を食べるのは久しぶりなのだ。最後に食べたのはいつだったかと、少々頭を使わないと思い出せないくらいには久しぶりだ。 「ちょっと奮発して正解だったな」 このお寿司だけで、二日分の食費を使った気がする。手痛いとまではいかないが、今後の食費の配分に気を遣わねば、今月は赤字になってしまうだろう。 サーモンに箸を伸ばしたところで、にゅっと狐の小さなお手がお世話係の手に乗せられる。 「どうしました?」 「たまご、おかわり」 「え?」 ぎょっと目を開いて、狐神のお皿を見る。 先ほど取り分けてあげたたまご焼きは跡形もなくなくなり、大皿に残っていた分もなくなっている。残っているのは、お世話係用に残していた分だけだ。 狐神は目をきらきらとさせて訴える。 「残っている分を寄越せ」と。 食べ過ぎ、そして早食い。 これには、お世話係も心を鬼にするしかない。 「だめです」と言い切って、お皿を遠ざける。 狐神は断れないと思っていたのか、あからさまに衝撃を受けた表情を見せた。今にも目が飛び出そうなほど瞼を開いて、顎が外れそうなほど口を開いている。 このまま黙っている狐神ではない。 お世話係は一度箸を置いて、自分の耳を塞ぐ。 子狐の口から大音量が響いたのは、その直ぐ後だった。 「いーやーだーーーー! いやだ、あまねーーーー! たーまーごーーーー!」 「だめなものは、だめです」 「そんなこというと、もうにくきゅうさわらせないぞっ!」 「え⁉」 今度は、お世話係の方が驚く番だった。 狐神の言葉はまだ続く。 「おなかのけも、すわせないぞっ!」 「それは困ります!」 狐神のお腹の毛は、お日様に似たいい匂いがするのだ。落ち込んだ時や、疲れた時に吸うと、気持ちが和らいで落ち着くのである。 子狐のくせに、お世話係の弱い部分を握って、的確に突いてくる。 「一体、どこで覚えたんだ…………?」 狐神にたまご焼きを与えながら、お世話係は首を捻った。
-Vent de Rafale-きらきら光る青よりも
爆音と共に火花がばっと伸び上がる。 白い光がチカチカと目に眩しいその向こう側で、三人分の人影がゆらゆらと揺れる。 耳に痛いほど響くのは、周囲から上がる悲鳴にも似た声援。それに紛れるようにして、少年と大人の間の、高くも力強い歌声が、会場の空気を震わしている。 学校でよく聞いた歌声だ。音楽の授業や合唱祭以外で三人の歌を聞くことになるとは。 ステージに居る三人のことは小学校の頃から知っている。中学校まで一緒で、クラスも一緒だった。同級生というやつである。三人の中でも、下手側に居る金髪の彼とは委員会も同じだった。 ステージに立つ彼は昔と変わらず格好よく、背筋もピンと伸びて、立っているだけでも様になる良い男だ。優しい眼差しも、記憶にあるものと同じである。 序盤の二曲を歌い上げて、メインステージからセンターステージまで伸びた三本の花道に、一人一本ずつ足を踏み入れる。歌いながらも周囲のファンの様子を確認しつつ、「ファンサして」と書かれた扇子を見つけては、手を振ったり、視線を飛ばしたりとアイドルらしい事をしていた。 そう。三人は、ちょっと見ない間にアイドルになっていた。背丈も伸びて、大人の男へまた一段近づいたなと思う。 他に変わったところがあるとするなら、もう気軽に会える同級生ではないのかなという点だ。 彼らはステージ。こちらは……今日はスタンド席。 少し前までは隣に居られる距離だったのに、すっかり遠い存在になってしまったと、ちょっとだけ肩を落とした。
ふわふわ卵
【ふわふわ卵】 夕方の地方番組は、お料理のコーナーがある事が多い。 生まれたばかりの子狐神と、そのお世話をするお世話係の弥(あまね)が引っ越してきた先も、夕方の番組でお料理のコーナーを用意していた。 外はしとしと雨。買い出しに行ける気温でもなく、お世話係はテレビを流したまま、卓上に広げた新聞をのんびりと眺める。 「今日の夕飯はどうしようかなあ……」 新聞を眺めていても、頭の中は献立の事とご飯が終わったあとの片付けとお風呂の段取り。 あの狐神様は、もふもふの毛を持ちながらお風呂が大好きなのだ。先に入れると浴槽に抜けた毛が浮かぶので、お世話係が先に入り後から狐を入れている。 狐神が眠くなる前にご飯を食べて、さっさとお風呂に入らねば。その為にはささっと作れる夕飯が良いのだが、この天気なので食材を買い足しておらず、作れる物も限られている。 一度冷蔵庫の中身を確認してみるかと、新聞を畳んだところで狐神のお世話係を呼ぶ声が耳に響いた。 「あまね! あまね! これ食べたい!」 「はい?」 白い子狐は、ふさふさとした尻尾をゆらゆらと揺らして、テレビにへばりついている。 「そこに居たら見えません」と言うと、素直に身体をずらした。見えたのは、金色の卵に包まれる瞬間のチキンライス。赤く染められたお米と、そこに混ざる白くてふにふにとした鶏肉に、ふわふわとした卵がとろとろと覆うように流れていく様は、何度見ても「美味しそう」という言葉が口から漏れ出てしまう。 「オムライスか……」 でも、オムライスはこの週の頭に作ってるんだよなあ。 「もう一回食べるんですか?」と聞けば、狐神は元気よくうなずいた。 「このまえのは、つつんだだけだった!」 「まあそうですけど」 包んだオムライスだけ知っていればよかったものを。運が良いのか悪いのか、ふわとろオムライスの存在を知ってしまって、食いしん坊のレベルが上がってしまっている。 「まあオムライスなら、家に残っている材料でも作れるからなー」 玉ねぎも半分残っているし、冷凍のミックスベジタブルもある。お肉は鶏肉が無いので豚肉の細切れで代用しよう。卵も狐神分はあるはずだ。お世話係はふわとろを我慢する。あとは、残っている野菜を使ってコンソメスープを作れば、食いしん坊のお腹も満足するはず。 「じゃあ、今から作って来ますね」 「やったー!」 ぴょんぴょこと跳ね騒ぐ姿は引っ越した頃と変わりなく、「しょうがない狐だな」とお世話係が肩をすくめるのもまた、引っ越した頃と変わりない。
狐神と、お迎え
自転車に乗って、出前のお皿をお迎えに行く。 それが、まだ高校生で料理が下手な私が出来るお手伝いの一つだ。他に出来るお手伝いは、お店に来たお客様への配膳や片付け等だ。 私の実家は、昔ながらのお寿司屋さんだ。出前もやるし、二階にある座敷では宴会も受け付けている。お料理はお寿司メインだが、うどんやそば等の麺類や天ぷら等の揚げ物も提供している。 食べに来てくれているのは、ご近所の方が多い。次いで多いのは、近くにあるビジネスホテルの宿泊者。そして、ちょっと離れた所に住む町内の人だ。 今日はその町内の人の宅へ、お皿を迎えに行く。最近(と、言っても数ヵ月前だけど)引っ越してきた、若い男の人だ。 〝人〟と表現していいのか、私にはわからない。 なぜなら、その人は──。 「こんにちは、お邪魔します……」 控えめに一声かけて、引き戸型の玄関前に置かれているお皿に手を伸ばす。 その時、若い男の声が耳に入ってきた。 「──様。お買い物に行ってくるので、お留守番お願いします」 誰かに声をかける言葉が投げられている。 その後で、子どもの甲高い声音が聞こえた。 「一緒に行くぞー」 「だーめです。今日は奥さま激安デーで混んでる日なので」 「大人しく、お留守番お願いします」という言葉と共に、がらりと玄関戸が開かれる。 お皿に手を伸ばした状態で聞き耳を立てていた私は、咄嗟に動けずぴたりと固まったまま、その男を視界に入れた。 少年と青年の狭間にある若い顔立ちで、肩よりも少し長く伸びた髪を首の裏で一つに括った男。着ている服は、灰色のパーカーと暗い色のジーンズ。瞳は茶色でも黒でもなく、菫の色に似ている。カラーコンタクトでも入れているのだろうかと思ったが、作り物ではなく自然な色をしているので、本人の色なのだろう。〝人〟と表現して良いものかと戸惑うほど、彼の纏う空気は清らかで、美しい。 私が固まっている間、男の方もぎょっと目を開いて動きを止めている。 な、何か言わねば。 重くなった空気が二人の間に沈む前に口を開きたいのに、彼から視線が外せない。声帯が、人間離れした雰囲気に絡めとられたらしく、唇を動かそうとしても言葉が出てこない。 「あ、えっ……と……」 「…………お寿司屋さんの子?」 首を傾げて問われたので、ぶんぶんと首を縦に強く振る。 「お、皿を、さげに来ました」 ようやく声帯が仕事をして、言葉が出てくる。 彼は私の言葉を聞いて合点がいったらしく「ああ」と優しく頷いた。 「ありがとうございます。ごちそうさまでした」 再び、ぶんぶんと首を縦に動かす。 彼は、慣れた動作で一礼してから、私を追い越して私道に出た。 すれ違い様に見えた横顔。菫色の瞳がある目を囲うまつげは長く、幼さが残る顔立ちながらも、すっとした鼻筋ときりりとした視線の向け方は大人のそれだ。 人と呼ぶには、あまりにも美しすぎる。 私は、塀の影に彼の姿が消えていくのを、ぼんやりと見送ってしまった。