狐神と、春のはじまり
冬特有の冷たい空気が抜けて、暖かい空気が強い風と共にもたらされる。地獄にはない季節の変化だ。
狐神のお世話係は「今日は一段と風が強いな」と思いながら、ぶわぶわと暴れる前髪を押さえた。
今は買い物に行った帰り道だ。風が強くて、外に出るのは億劫だったが、狐神様の食べ物はもちろん、自分の食べ物も心もとない量になっていたので、覚悟を決めて外に出た次第だ。
手提げ型のエコバッグにパンやお菓子等の柔らかいものを、背中のリュックにお肉や飲料、野菜や冷凍食品等の重たいものを入れて、街中から少し外れた家へと歩みを進める。
狐神と暮らしているのは田舎町にある郊外の戸建て住宅だ。昔ながらの平屋住宅で、大家さんは神社の神職さんだ。その大家さんは冥府のことをよく知る人……というよりかつて冥府に住んでいた鬼である。
新しい狐神を奉るのに丁度良い社は無いかと探していたところ、この大家さんが手を挙げてくれたのだ。なんでも、世話をしていた神様が人の子に悪さをして、神の業務が出来なくなったので困っていたらしい。
その神が何をしたのかまでは詳しく聞かなかったが、お互いに困っているならと意見があって、狐神を連れて冥府から移住したのが、狐神のお世話係だ。
道を歩きながら、すんと鼻を動かす。
あまり嗅いだことがない、春の匂いがする。雪が溶けて、再び姿を現した土の匂いと生えてきた青葉の匂い。
「春の花は柔らかな色が多いって、兄上が言ってたなあ」
その兄上も現世で過ごしたことはないようだが、仕事で訪ねた事はあるらしい。現世の人の子は、春が来ると花の下に集まって、持ち寄ったお酒や食物を食べつつ談笑するのだそうだ。青い空が広がり、柔らかで華やかな花を見ながら物を食べるのはさぞ気持ち良さそうだ。
「花が咲き始めたら、狐神様を連れてやってみようかな。もう少し、暖かくなってから」
食いしん坊な狐なので、花よりも菓子を寄越せと申して来そうだが、きっと楽しいはずだ。瞼の裏で易々と想像できて、笑みがこぼれた。
楽しいことは、多い方がいい。