BL 恋人みたいなふりをして

Day8 金木犀 丹桂の紙袋

 此方(こち)は、猫又である。なき声は「にゃあ」である。日の本の中心で大きな戦があった頃に生を受け、母猫(かか)は流行り病で亡くなり、四ついた姉弟は黒き鳥によって散らされた。商人の家々を巡るうちに猫又となり、銀杏が並び立つ場所に建立されたどこかの神の祠を根城にして、だらんだらんと過ごしていた所、とても美しい顔立ちをした獄卒に拾われた。
 そして、現在(いま)。美しい顔立ちをした獄卒の腕に抱かれる日々を送っている。


「わぁあ! かわいい!」

「ねこちゃんだー!」

「尻尾が二つあるー!」

 白い装束を身につけた子どもたちが、物珍しい表情(かお)を浮かべて、二本の尻尾を持った猫又を見上げる。
 現世では、猫又を視界に入れる子どもは少なかった故、全ての子どもに認識されるのはおっかなく、少々気恥ずかしくもある。
 猫又は最近主にした獄卒(しゅじん)の腕の中で、「にゃあ」と一度鳴いた。
 キジトラ柄のたっぷりとした毛並みを、獄卒(しゅじん)が優しい手つきで撫でる。どうやら、この御仁は猫又のたっぷりとした毛皮を気に入っているらしい。
 獄卒(しゅじん)に撫でられるのは悪い気分ではない。
 出会った頃。否、あの胡散臭い笑顔の男に何か言われてから、どうも元気がない様子なので、このたっぷりとした毛並みで癒されるなら存分に撫でるといい。
 ごろごろと喉を鳴らしていると、紅葉みたいな手がぬっと猫又の目へ伸ばされた。

「にゃああああ!」

 くわっと顎を開け、尻尾をぶわぶわ膨らませる。
 猫又の反応に怖じ気づいたのだろう。子どもたちはわあわあわめきながら一斉に離れた。
 フウフウと忙しなく息をしていると、しゅじんがぽんぽんと背中を叩いて、猫又を宥める。
 ふむ。此方としたことが、少々大人げない手荒な真似をしてしまった。
 猫又は落ち着き払う仕草を見せてから、獄卒の腕の中で再び丸くなる。
 あの男の声がしたのはその時であった。

「こらこら、顔の前に手を出してはいけないよ」

 しゃらんと鳴る、錫杖の音。
 男の優しさと慈愛に満ちた声は、耳の鼓膜だけでなく心も震わせ、奥の奥まで染み入る。
 この男は好かぬ。
 猫又はふんとそっぽを向いた。
 そして獄卒も、そっぽを向いていた。

「びっくりしちゃうからね。君たちも急に触られそうになったら、びっくりするだろう?」

 男が子どもたちに動物の触り方を教えて居る間、獄卒は緩やかに、でも確実に、男から一歩二歩と後退する。
 どうした獄卒。トイレか? そういえば、此方も最近【猫砂】でトイレをするようになったぞ。今までその辺の砂でしてたから、変な感じーというやつである。
「獄卒よ、トイレに行くなら早めに行った方がよい」と、にゃあにゃあと鳴いていると、説法を終えた男が歩み寄ってきた。

「私の留守を預かってくれてありがとう。最近、外に出てないようだから、心配しちゃった」

「……仕事には、出ていましたが?」

 静かな声音で獄卒は言い返す。
 頑張れ、獄卒。その意気だ、獄卒。
 獄卒にツンと言い返されても、男はけらけらと言葉を返す。

「やだなあ。プライベートでだよ」

「…………疲れてたから寝てただけです。あなたがここに居るということは、十王の会議はもう終わりましたね? 父を迎えに行かねば」

 獄卒が踵を返したところで、男が「まあ、待ちなよ」と引き止めた。

「現世でまた沢山もらってしまってね。ちょっとだけ、お茶でもどう?」

 がさりと音がする。
 猫又と獄卒が視線を下げると、橙色の紙袋が目に入った。【金木犀】という形が、紙袋の中央にある。文字のようだが、猫又には読めない字だ。が、紙袋ががさりと音を鳴らす度に、ぴくぴくと耳と尻尾が動いた。今にも手足が出そうである。

「仕事中です」

「でも、もう休憩時間でしょう? 君の好きな甘いお菓子もあるよ。それに……冥府は見られない場所も多いしね」

 なんの話をしているのかは、猫又にはわからない。
 が、あの〝紙袋〟がとても良いものであることは、猫又にはわかる。
 猫又は、獄卒の腕の中からするりと抜けて、男が持つ紙袋に近づき、二本の足で立ち上がって、がさがさと紙袋を揺さぶった。

「猫又君は、お茶会やる気みたいだね」

「紙袋が気になるだけでしょう」

「この子、名前は何て言うんだい?」

 男の言葉に、猫又と獄卒は顔を見合わせた。
 そういえば、此方はなんという名なのだろうか。獄卒は猫又と呼んでいたが違うのか。そもそも、名とはなんなのか。商人たちは「たま」や「とら」と呼んでいた気がするが、あれが名というものなのだろうか。
 まあ、わからないことは考えてもわからない。それよりも、今はこの紙袋である。
 二本の前足で、紙袋をがりがりしたり、とんとんと揺らしていると、獄卒に抱えられた。
 主よ、今は毛を撫でる時ではない。此方はあの〝紙袋〟というものに。

「丹桂(たんけい)」

 耳に届いた声音に、猫又は動きを止める。

「丹桂です。あなたの名前は、丹桂」

 獄卒の声が、じんわりと猫又の心に染み入る。
 なんだろう、この感じは。久方振りに味わうような、でも初めてなような、ふわふわと宙に浮かぶ感じ。
 ……ふむ、悪い気はしない。もっと呼ぶがいい。
「にゃあにゃあ」と鳴いていると、獄卒が「ここに、三日月模様があるんですよ」と、猫又の腹を見せる。
 おい、待て獄卒。そんなところ、簡単に見せるんじゃない。
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