BL 恋人みたいなふりをして

Day5 秋灯 秋の日の

「もうすっかり、秋だねえ」

 黄色い落ち葉を踏みしめながら、地蔵菩薩は頭を動かして天を見上げる。
 広がるのは、鮮やかな黄金色に色づいた銀杏の葉だ。扇形の葉が、か緩く吹いた風に揺すぶられ、時おり枝に別れを告げて舞い落ちる。
 植物の変化は、季節の移ろいを感じ取りやすい。
 秋の空気を吸い込みながら、てくてくと道を歩いていると隣から不満げな声が上がった。

「なぜ、あなたと現世に出ねばならないのか……」

 視線を下げると、現世の服に身を包んだ細身の男が視界に入る。
 美しい顔が歪み、今にも舌打ちをしそうだ。

「そんなに嫌そうな顔しないでよねえ。この間送りつけた野菜のお詫びも兼ねてるんだから」

「どこが詫びになっているです? どこが」

「私と一緒に居る所じゃないかな?」

 げしっと、腰に中段の蹴りが弱めに入る。鬼にしては弱めなので、普通の人間が受けていたら、痛みで悶絶していただろう。
「素直じゃないなー」と口に出すと「うるさい」と返される。

「全く、あなたという方は、」

「あ、直(あたい)君。あそこに猫の霊がいるよ」

 ぴたりと足を止めて、美しい鬼の視線が銀杏の根本に向けられる。
 尻尾が二本に別れた猫が、菩薩と獄卒にじっと視線を向けていた。
 鬼灯の形に似た火の玉が、猫の周囲に漂っている。

「この辺を根城にしている猫又さんでしょうか?」

「もふもふする?」

 口角をつり上げて問うと、今度は下段に蹴りを入れられた。

「本当、素直じゃないなあ。君の方から、私に声をかけてきたのにさ」

「いつの話をしてるんです?」

「関ヶ原で戦があった頃」

「忘れろと言ったでしょう」

「忘れられないよ」

 あんなに可愛いお願いをされては、忘れたくても忘れられない。

 ◇  ◇  ◇

 冥府の奥へ進めば進むほど、夜の色が濃くなっていく。
 現世に近いあの世とこの世の境目は、この世の昇る天照と月読のおかげで昼夜がはっきりとしている。が、境目から離れれば離れるほど、冥府の奥へ進めば進むほど、天照と月読の光は届かなくなり、変わりに底で燃え滾る地獄の業火の揺らめきが、闇に包まれる世界をほわほわと照らす。
 地獄の底からも遠ざかり、業火の明かりが届かない場所は灯籠が等間隔で配置され、舗装された道の目印となっていた。
 舗装から外れたら、広がるのは夜闇とごつごつとした岩場である。ただの人間であれば歩くのにとても苦労して、転んで怪我をすることもあるかもしれない。
 そんな場所を錫杖を持った長身の男が、足をもつれさせる事なくさくさくと進み、闇の奥を進んでいく。
 しばらく進んでから、優しい顔立ちにある明るい茶色の瞳が、闇の中で揺れた影をとらえた。
 墨色の着流しに身を包んだ背中が、息を殺して佇んでいた。

「やあ」

 片手をあげて朗らかに声をかけると、着流しの肩がぴくりとはねる。
 細身の身体がゆっくりと振り返り、今しがた来た錫杖の男と向かい合った。
 美しい顔立ちに、美しい色をした瞳がのっている。
 ややつり目がちの目が錫杖の男を視界に入れると、ゆっくりとした動作で腰を僅かに折り、頭を下げる。

「突然お呼び出しして申し訳ありません。──お地蔵様」

 かたい口調で切り出され、【お地蔵様】と呼ばれた男はゆるゆるとあげた手を振る

「いいんだよ。君は確か、五道転輪王の、」

「嫡男の直(あたい)と申します。平安の中頃に生まれた鬼です」

 下げた頭を上げて、【直(あたい)】という名の細身の男は、再び美しい顔立ちをお地蔵様に見せる。
 五道転輪王の長男の話は、現世と冥府を行き来するお地蔵様の耳にも入っていた。
 口は強いが、とても美しい顔立ちをした獄卒であると。
 獄卒は、特に衆合地獄で働く獄卒は美しい姿をした鬼が多い。五道転輪王の妻はその衆合地獄で働いていた獄卒で、結婚前は大層美しいと皆がちやほやとしていた程だ。
 目前にいる鬼は、母の美しい血をしっかりと受け継いだわけだ。慇懃な口調は、五道転輪王に似たのだろうと察する。
 そんな美しい鬼が、現世の境目からも地獄からも離れた場所にお地蔵様を呼び出した。用件は聞いていない。おそらく、これから話すのだろう。
 にこやかな笑み顔に浮かべながら、お地蔵様は「今日はどうしたの?」と本題に切り込むと、直は口調を変えずに言葉を放った。

「恋人のふりをしてくれませんか?」

 ◇  ◇  ◇
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