BL 恋人みたいなふりをして

小冊子書き下ろし
恋人みたいなふりをして

 現世から吹いてきた夏の風が、寺子屋の軒先に下げられた風鈴を鳴らす。
 チリンチリンと涼やかな音を奏でる風鈴はガラス製で、天国に住まう物作りの神と火の神が、子供たちにこの国の伝統を知ってもらおうと寄付してきた物だった。
 はじめこそは物珍しさに眺める子が多かった。が、今では日常生活の一部として空気のように溶け込み、涼やかな音に耳を傾ける子は皆無である。
「子どもは時として非情だな」と、風鈴の音を聞きながら、お地蔵様は小学校五年生と六年生くらいの子が集まる平屋建てへと足を踏み入れた。
 高学年といっても、お地蔵様から見ればまだまだ子ども。男子も女子もお喋りや遊びに興じて、軒先にある風鈴の音が聞こえないほど賑やかだ。お地蔵様の登場に気づいたのは、扉の近くでトランプをしていた数人だけである。
 お地蔵様はちゃんちゃんと錫杖の遊環を鳴らして、子どもたちの意識を自分へ向けた。

「大切なお話があるので、皆さん口を閉じて私の方へ集まってくださーい」

 渋々といった体で、子どもたちは言われた通り口を閉ざし、お地蔵様を囲むように体育座りをする。寺子屋の教室は畳が敷かれた仕様なのだ。
 お地蔵様も畳の上で正座をし、子どもたちの顔を確認しながら言葉を開く。

「来週から盆の入りで、皆さんも夏休み期間に入ります」

【夏休み】という単語に、子どもたちから歓声が上がった。現世でも冥府でも、夏休みは魅力的で非日常だ。
 いつもより遅く起きれる朝。普段見る事が出来ない、平日のお昼の番組。長期休みだからこそ出される、自由研究とポスター作成。読書感想文の作文用紙を買いに行ったり、工作道具が並ぶ棚を見て工作のデザイン案を考え、習字の墨で指を黒くする。
 夏休み前に決めた一日の過ごし方も、お手伝いの目標も、決めただけでやらないまま友達と遊び歩く、夏。
 冥府の夏休みも現世と似たようなものだ。違うところは、期間が短いところだろう。河原の寺子屋に通う子どもたちの夏休みは、お盆期間だけだ。年によってばらつきはあるが、今年は四日間設けた。

「夏休み中は、現世のお家に帰る子と、お家の事情で帰らず閻魔様のお屋敷にお泊まりする子と別れますが、ただ遊んでいるのも勿体ないので、今年も宿題を出します」

 平等にね。
 お地蔵様はいつもの柔らかでありつつも胡散臭い笑みを見せる。
 宿題という言葉に、子どもたちから反発する声と嫌がる声が上がった。現世でも冥府でも、毎年行われる通過儀礼みたいなものだ。
 お地蔵様が出した宿題は、漢字の書き取りと計算問題、そしてお習字の三つ。
 夏休みのしおりと一緒に配られたプリントを、子どもたちは渋々ながらも受け取った。この程度の宿題なら朝飯前だ。伊達に五年も六年も小学生をしていない。
 だるいけど。
「しょうがないかあー」と諦める子が多い中で、いがぐり頭が特徴的な少年が大袈裟なため息を吐いた。

「死んでからも宿題とかねぇーわぁー」

「どうかしてるぜ!」と、大の字になって寝転がる。
 彼は現世に居た頃も宿題をしない子で、親と教師を悩ませていた子だ。彼は八歳の時に冥府に来た子だが、十二歳になった今も宿題さぼりの常習犯である。以前、見かねたお地蔵様がやらない理由を聞いたら、「面倒なだけ」と返ってきた。
 お地蔵様は、貰った瞬間から試合放棄している少年に息を吐く。
 どうしたら復帰してくれるだろうか。この子が宿題と向き合うにはどう声をかけたらいいか。
 お地蔵様が口を開こうとしたところで、ゆらりと気配が一つ増えた。

「はやてくん、宿題やって来ないと鬼に怒られるよー」

 近くに居た女の子の忠告を、少年は一蹴する。

「鬼なんか怖くねえもん。どうせ一回や二回怒鳴っただけでしゅーりょーだろ? そのくらいなら全然余裕だ、」

「言いましたね?」

 冷静ではあるが、いささか尖りのある声音がはやて少年の顔にかかる。
 情けない悲鳴を上げて、少年は床から飛び起きた。
 先程までの威勢も一緒に飛んでいったらしく、近くに居た少年の友人の影に隠れ顔だけ出す姿に、友人たちがケラケラと笑った。

「と、突然現れるなんてずるいぞ! 鬼!」

「突然ではありません。途中からちゃんと居ましたよ」

 鬼は顔にかかる黒髪を払いのけて、しゃんと背筋を伸ばし、教室を眺め見る。
 その鬼は、お地蔵様も子どもたちもよく知る鬼だ。五道転輪王の嫡男で、獄卒課の課長をしている直(あたい)という名の男だ。美男美女と評される両親の血をしっかりと受け継ぎ、美しい顔立ちをしている。口調はやや強いが、子どもと動物には優しく、亡者には厳しい。凛とした彼の立ち姿と性格を、お地蔵様は気に入っていた。
 直は、顔だけ出しているはやて少年に、言葉を投げた。

「夏休み前から何を騒いでるのかと思えば……。お望み通り、一度二度怒鳴った上で、拳骨くらわしますよ?」

「拳骨までは言ってねえよ!」

 ぎゃんと吠えた少年に、直は冷えた口調で淡々と言葉を続ける。

「いいですか、少年。しおりもですが、その宿題は皆さんが有意義な夏休みを送れるようにと、お地蔵様が心を砕いて夜の深い時間まで使って作られたものです」

 子どもたちの視線がお地蔵様に移る。
 お地蔵様は何も言わず、ただただ優しい笑顔を見せてぱたぱたと手を振った。

「夏休み明けはどうしてもだらけて、生活習慣が乱れます。休みが明けた後、みなさんが休みを引きずることなく授業と向き合えるよう用意されてるのが、この宿題です。少年」

 直は言葉を区切り、赤紫色の瞳ではやて少年を真っ直ぐ射抜く。

「あなたが宿題をやらるかやらないか、選ぶのは自由です。ですが、やらない場合は、宿題にこもったお地蔵様の思いも捨てることになりますよ。あなたは人の思いを簡単に捨てられる子なのですか?」

 はやては、唇をぎゅっと引き結び、直の言葉から逃げるように視線を落とす。
 他の子どもたちも、しおりやお地蔵様の顔を眺めてはしょんぼりと肩を落とした。
 宿題を面倒な物だと思っていたのは、少年だけではないのだ。
 お地蔵様は、しんと静まりかえった教室の様子に小さく息を吐き出すと同時に小さく肩を上下させる。

「直君、そんなに怒らないであげてよ」

「お地蔵様が甘やかし過ぎなんです」

 毅然とした態度で言い返す獄卒に、お地蔵様は笑って「ごめんね」と返す。

「これが私のやり方だ。許しておくれ」

 穏やかで柔らかく、心の染み入る優しい声音である。
 お地蔵様の言葉に偽りはない。明るい茶色の瞳は、獄卒とはまた違った真っ直ぐな視線を放って、彼の心を読み解くように射抜く。
 緊張感のある空気の中、子どもたちは固唾を呑んで大人二人の動きを見守った。お地蔵様とこの鬼が繰り広げる口喧嘩は、この寺子屋ではよくあることだ。仲が悪くてやっている事ではないことも、子どもたちはよく知っている。
 美しい獄卒は、しばらくお地蔵様の目と相対してから、大きく息を吐き出し、そっぽを向いた。にらめっこはお地蔵様の勝ちだ。「お地蔵様から、夏休みの注意事項をよく聞くように」と言い置いて、教室の扉に向けて一歩足を踏み出した。
 直の足音が遠ざかるのを待ってから、お地蔵様は子どもたちへ視線を移す。

「さて、どこまで話したっけ?」

 首を傾げるお地蔵様に、女の子の一人が手を挙げた。

「質問です」

「何かな?」

「課長さんは、どうしてお地蔵様が夜遅くまで宿題作ってたこと知ってたんですか?」

 女の子の問いに、お地蔵様は「それはね」と迷うことなく口を開く。

「ちょうど私の部屋に泊まりに来てたからだよ」

「作るの手伝って貰っちゃったー」と笑うお地蔵様に、子どもたちは瞼を三度は瞬かせた。
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