BL 恋人みたいなふりをして


「仕事だと聞いていたのですが」

 問いかけながら、青年は正面に座る男を睨めつけた。
 睨まれた男は、ふわふわとした微笑を見せながら「仕事だよ」とあっけらかんと返す。
 青年は、盛大なため息を吐いた。
 青葉がわさわさと繁り始めた、初夏の入り。青年は目前の男に誘われて、地獄から現世にある古都のカフェへと足を運んでいた。
 青年は地獄で働く獄卒でもあり、冥府に十ヶ所ある裁判所のうち、十ヶ所目の裁判所で書記官もしている。裁判長は青年の父親だ。そのうち父に代わって、青年も裁判長をやらされるんだろうなあと思っている。
 対する男は、あの泣く子も黙る閻魔大王と対になる存在、子どもたちのヒーロー地蔵菩薩だ。穏やかな雰囲気とふんわりとした微笑みは、道端で見かけるお地蔵様そのものである。天国でも地獄でも大人気の存在。仏頂面と硬い口調が特徴的な青年とは正反対である。欠点があるとするのなら、誰彼構わず口説くところだろうか。青年も、この男に関ヶ原で大きな戦があった頃から言い寄られている。
 口説くきっかけを与えたのは青年ではあるけれど。

「恋人のふりなんて、頼むんじゃなかった」

 数百年前の出来事を思い出して頭を抱えたくなる。
 見合い話を断る為、この男に縁切りを頼んだ過去の自分を恨んだ。
 不機嫌な表情でウーロン茶を啜る。ここの店主(おかみ)のオススメだ。

「そんな男の誘いに乗ってくれるんだから、直(あたい)君も良い男だよね」

「断ったら、あなたがまた一段と鬱陶しくなるからです」

「酷い言いようだなあ」と、お地蔵様は苦笑を見せる。
 だってその通りではないか。
 どうしようもない男の手元には、コーヒーと、手のひらよりやや大きい玉子のサンドイッチとエビカツサンドが置かれていた。「小腹が空いていたから」と言っていたが、小腹どころではないと思う。
 お地蔵様から直(あたい)と呼ばれた青年は、裁判所の食堂で昼を食べたばかりなので飲み物と本日のオススメ、草餅を頼んだ形だ。
 のんびりとカフェのメニューを楽しむお地蔵様に、こっほんと咳払いをする。

「それで……何の仕事でここへ?」

 問われたお地蔵様は「ああ」と本来の用件を思い出した様子を見せ、懐から封筒を一枚取り出す。
 ふっくらと盛り上がりをみせるそれは、便箋ではなくお札が入っているそうだ。

「これをおかみさんに渡しに来たんだよ」

「口止め料を払うような真似をしたんですか?」

「最低ですね」と吐き出す直に、お地蔵様は慌てた様子で「違うって」と否定した。

「ここのおかみさんに、冥府の仕事を手伝って貰っているんだ。これはその仕事のお給料と経費だよ」

 おかみが営むこのカフェは、人間はもちろん、妖怪や鬼もやって来る。値段のわりにボリュームがあるメニューが特徴で、わざわざ冥府から足を運ぶ者もいる。神仏も素性を隠してやって来るらしいが、お地蔵様はまだ遭遇した事がないと話した。
「お地蔵様が仕事で来ているから、神仏側が邪魔をしないように配慮しているのでは」と、直は思い至った。が、教える義理はないので、指摘は控える。
 お地蔵様は視線だけを移して、カウンターを見るよう促した。
 カウンターには、着物の上に割烹着を重ねたおかみの姿がある。その正面に、くたびれた様子の女が座り、ぜんざいを口にしていた。

「あれは、迷子になっている魂だよ。おかみには、迷子を保護して山へ送る仕事を任せているんだ」

「魂の回収なら、死神課に任せているはずですが?」

「その死神が人手不足だって、閻魔様のお孫さんが嘆いていたよ」

「あなたの化身を全国各地に置いていた気がするのですが……。石で出来た、あなたの像が」

 じっとりとした視線で、お地蔵様を見る。
 お地蔵様はコーヒーを口に含み、質問に答えることなく流した。

「おい、じじい」

「ここで保護される魂は歩き疲れている者が多いからね。おかみはカフェのメニューを食べさせてから、冥府に通じる山に送っているんだ」

 迷子の魂は三途の川を渡る以外の金銭を持たない。その為、迷子の魂が食べた分は閻魔大王の予算から捻出していると、お地蔵様は言う。

「因みに、今日は仕事で来てるから、このお代も経費だ」

「それは無理です。自力で支払ってください」

 閻魔の予算も無限ではない。
「えー」と不満げなお地蔵様に「当たり前でしょう」と自分で払うよう念を押す。

「直くんが言うなら、しょうがないかあ」

「私じゃなくても、納得してください」

 予算を無心するとは、本当にかの有名な地蔵菩薩なのだろうか。賽の河原に居る子どもたちが知ったら、蔑んだ目で見そうだ。
 肺にたまった息を吐き出していると、十歳ほどの少女がミドリフグ柄の風呂敷包みを席に持ってくる。
 少女は、風呂敷の緑に負けず劣らずの緑髪を内巻きにして、風呂敷と同じ柄にワンピースを着ていた。白いエプロンはおかみとお揃いだ。

「お待たせしましたー! 閻魔様用の草餅ですー!」

「ああ、ありがとうドリー。ちょうどいいや、この封筒をおかみさんに渡してくれる?」

「はーい!」と元気よく返事をして、少女はカウンターへと駆けていく。

「…………あの子どもは、おかみさんの子ですか?」

「おかみさんが育てているけど、子どもはないかな? どちらかというと、ペットに近いかも」

「今からドリーの仕事が見れるよ」と、お地蔵様は微笑む。
 ドリーは、どこからかたっぷりと水が入ったバケツを持ってくる。そして、迷うことなくバケツの水を頭から被った。
 びちゃびちゃと水の跳ねる音が室内に届く。
 彼女が居た場所を見ると、小さなミドリフグが床の上でピチピチと跳ねていた。

「ミドリフグ!」

 冥府はもちろん、この国の海でも見かける事がない熱帯魚に、直は目を見開く。
 興奮した様子は隠せなかった。鬱陶しいと思っているお地蔵様の前でも、だ。
 目をキラキラとさせる直に、菩薩は柔らかな笑み声をもらした。

「驚くところそこかあー」

「何を言ってるんですか! ミドリフグですよ! 私、生きてる子はまだ水族館でしか見たことありません!」

「亡くなった子は?」

「三途の川で手厚くお世話しています。川を渡る亡者をがぶがぶしてもらっていますよ」

「ねえあなた、大きくなったら地獄で働きませんか?」と、引き抜き行為を始めた直に、お地蔵様の腹筋が大きく崩れた。

「草餅を食べさせたかっただけなのになあ」
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