BL 恋人みたいなふりをして

Day22 泣き笑い

 お地蔵様に呼ばれた気がして、うたた寝から目を覚ました。
 直は寝台に沈めていた身体を起こして、眠気を払うように頭を振る。
 寝ている間に肺に入った息を深い場所から吐き出すと、休養の疲れもどっと押し寄せた。
 膝を抱えて、額を押し付ける。
 視界に入るのは、墨に似た闇だ。
 息を殺し、自室の中にある気配を辿るが、お地蔵様らしき気配はない。呼ばれたように感じたのは気のせいだった。

「一瞬だけ期待した私が馬鹿みたいだ」

 お地蔵様が現れない数日の間に、包帯の下で瞼は開けるようになった。「もう解いてもいいんじゃない?」と母に言われたが、「念のためもう少しだけ」と我が儘を言って、解かずにいる。王太子様から渡される符も、現在貼ってあるので最後だ。

『一番最初に君の視界に入りたいな』

 なんて事を言い置いて行ったから、解かずに待っているというのに、お地蔵様は約束の日に姿を見せぬどころか、連絡も寄越さない。
 私だって一番に見たいから待っているのに。
 もう解いてもいいだろうか。待つのも疲れるのだ。一番最初に視界に入れなかったのは、約束を破ったお地蔵様の自業自得である。
 後頭部にある包帯の結び目に手を伸ばす。が、解く勇気が出てこず手をおろした。

「自業自得なのは、お互い様か」

 恋とも愛とも言えない、どうしようもない寂しさをどうする事もできず、鬱々とした日々を送る。
 ため息を吐くと、壁に掛けていた鳩時計が午後六時を知らせた。
 丹桂の夕ご飯の時間だ。
 部屋から出してやらねばと名を呼ぶが、いつもなら直ぐに返る鳴き声が今日は無い。もう一度呼んでも返事はない。

「丹桂?」

 気配を辿ってみるが、部屋にはないようだ。寝ている間に猫用の扉から出て散歩にでも行ったのか。それにしては帰りは遅い気がする。頭の良い子だから、散歩に出てもご飯の時間までには帰ってくるのだ。家族の誰かが気を遣って連れ出したのかとも思ったが、その様子も感じ取れない。
 居ないことに気づいて、次第に心細さと焦りが募る。

「いったいどこへ……」

 散歩の途中で友達と出会って、世間話が長引いているだけならいいが、怪我をして動けなくなっていたら大変だ。
 お地蔵様も来なくて、さらに丹桂まで居なくなられたらと考えたら、ずしりと胸が重くなった。

「丹桂……」

 ぽつりと飼い猫又の名をこぼす。
 あるはずの無い気配が現れ、もふもふとしたあたたかい毛が顔を覆ったのはその時であった。

「探し物はこれかい?」

 穏やかな声が、部屋の空気を震わせる。
 直の息が詰まり、肩がぴくりと跳ね上がった。
 この男が唐突に現れるのはいつもの事なのに、今日はやけに心臓が早鐘を打つ。
 動揺を悟られないよう、いつもの平然を装いつつ顔に張り付くもふもふの腹を掴み、膝へ下ろす。
 うにゃうにゃと膝で丸くなったり、くるんと腹を見せたりするのは先程まで行方を心配していた猫又だ。全身を使って主人の膝を堪能している。
 直は飼い猫又の腹をくすぐりながら、ゆっくりと言葉を吐き出した。

「お地蔵様のくせに、来るのが遅かったですね」

 つんとした言い方をしたにもかかわらず、ほけほけとした声音が返る。

「ごめんごめん。山の宴が長引いちゃってね。まだ続きそうだったから、途中で抜け出して来ちゃった」

 包帯で見えないが、きっといつもの腹が読めない微笑みを浮かべているのだろう。
 包帯の下からきっと睨めば、「ごめん」ともう一度穏やかな声音で返り、左の頬にそっと手がのびる。
 お地蔵様の親指が包帯にかかり、他の指は耳とその周辺にかかる。
 くすぐったさに身を捩ると、お地蔵様がさらに笑む気配がした。

「包帯まだ解いてなかったんだね」

「もう解いてやろうと思っていたところです」

「私が解いても良い?」

 お地蔵様の問いに、再び胸の内側が跳ねる。
 ぐっと返答を詰まらせてから、控えめに首を縦に振った。
 彼の手が結び目がある後頭部に伸ばされる。
「駄目」と言っても、この男は聞かないだろうから了承したんだと言い聞かせつつ身を委ねていると、包帯の締め付けが緩くなった。
 お地蔵様は、慣れた手つきで包帯を巻き取っていく。

「手際が良すぎでは?」

「君の符を幾度か変えてるし、子どもたちの手当てとかもしてるからね」

 お地蔵様はそう言いながら、瞼の上に貼られた符も剥ぎ取った。

「瞼開けそう?」

 ぴくぴくと瞼に力を入れ、ゆっくりと開いていく。
 一度、二度と瞬かせて、ぼんやりとした景色を徐々にはっきりとさせると、包帯を解いた男の顔がよく見えた。
 やはり、いつもの柔らかで腹の底が見えない笑みを見せていた。その表情がたまらなく懐かしく、じわじわとあたたかいものが目の奥に広がる。
 お地蔵様は見られている事に気づくと、満足そうに頷いて直の瞳を覗き見るように顔を近づけた。

「久しぶり」
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