蒼原の満月


 集落の奥のそのまた奥。
 塀に囲まれた小さな寝殿造の邸。
 彼女の住まう寝殿と、使用人が住まう対屋しかない。必要最低限の物しか用意されていないこの場所で、不死一族が隠す者はひっそりと暮らしていた。
 寝殿の前面には、庭が申し訳程度に作られ、窮屈そうにしている小さな池を四季折々の花が囲む。
 手入れをしているのは、この邸の主だ。
 主は今日も庭をいじる為に、階(きざはし)を降りて、花の中に立つ。
 一族の誰よりも明るく輝く銀色の髪は、くるぶしよりも長く伸ばされ、見た目からして重たそうだ。
 邸と外界(おさのやしき)を唯一繋ぐ渡殿から迷い込んできた風が、主の透き通った肌をなでる。
 花の中で主は微動だにせず、静かに佇む。
 その姿は、何かを待っているようにも見えた。
 風が迷い込んでから間を空けずに、渡殿を一人の女性が忙しなく走り抜け、寝殿の簀子(すのこ)に移動すると、主に声をかけた。

「満華(みつか)様!」

 満華と呼ばれた主は、振り向かずに口を開いた。

「どうしました、不二(ふじ)。風が穏やかではありませんね」

「はい……!実は先程、蒼山天狗の蒼原様から、長宛てに文が届きまして……!」

「それで」

 途切れた声音に、その先を伝えるよう促す。
 主に仕える女房の不死天狗は、戸惑いながらも意を決した口調で、言葉を続けた。

「姫様を、満華様を、嫁にくれないか……と」

 ようやく、満華が不二に振り向き、顔を見せる。
 空よりも深い色をした青い瞳が、驚いた色を見せていた。




 庭から室内に戻り、自分の円座に腰を下ろす。
 脇息に右肘を置き、長宛てとは別に送られてきた文に、満華は目を通した。
 蒼山天狗の蒼原から、満華に直接届けられた文だ。
 一言も発する事なく、満華は読み進める。
 満華の前では不二が頬を膨らませて、ぷりぷりと怒っていた。

「全く、なんて不届きな若者なのでしょう!烏天狗に対抗する為に、姫様を同盟の道具として利用するなんて!」

 最初こそ突然の申し入れに慌てていた女房だが、ようやく隠された事情に気づいたらしい。
“同盟を組んだ礼として、姫を貰いたい”
 蒼原の文を要約すると、この内容だ。
 今まで、不死一族の方から一族の姫を貰ってはくれないかと幾度か打診しては、ことごとく断っていたのに。今更どの面下げて、頼みに来たのか。
 蒼山天狗に対する恨みつらみを、不二がまくし立てている最中、満華は片手を上げて制した。
 主の動作に、不二は片眉をつり上げ、進言する。

「姫様!無礼な求婚など、きっぱりはっきりはねのけてくださいな!なんならこの不二、塩もつけて代わりに断りの文を、」

「わかりました。行きましょう、嫁に」

「そうですとも!行きましょう嫁に……今なんと……?」

 思いがけない言葉に、不二は目を点にする。
 瞼をしきりに瞬かせる、齢百は越える女房に、満華は言葉を繰り返した。

「嫁に行くと言ったのです。今回は、本当に困っているみたいだから」

「し、しかし」

「そうとなれば、返事は早い方がいいわね。紙と筆を用意してくれる?」

「ひ、姫様、不二は」

 縋るような思いで言葉を発しようとした不二を、満華は視線を一つ鋭い物にして黙らせた。
 固まる彼女を確認してから、柔和な視線に戻す。

「お父様たちは良い顔をしないだろうけど、厄介払いをするには丁度良いでしょう」

 確信のある笑みを見せて、満華は言う。
“厄介払い”という言葉に、不二の顔からざっと音を立てて血の気が引いた。

「ずっと邸に籠もっているよりは、全然良いわ」

 かくして、不死一族が隠してきた長の一の姫満華と、蒼山天狗一族頭領の結婚は、滞りなく進められたのだった。


 ◆  ◆  ◆


「その髪は満月のごとく光り輝き、その佇まいは夜の草原に咲く一輪の華。ついた名前が、満華」

 幼名は、満月姫。
 満華の輿入れの行列を、蒼次は櫓(やぐら)の屋根に降り立って観察する。
 主が決めた結婚とはいえ、蒼次の心は未だに納得できないでいた。
 ずっと隠されていた深層の姫君。
 頭領と同じく、数多の求婚をはねのけていたらしいが、蒼原の申し入れは迷う事なく是と応えた。

「何を企んでいるのだろう……」

 蒼次の頭上で、烏が三羽舞っていた。


 ◆  ◆  ◆


「この度は、急な申し入れにも関わらず、引き受けてくれた事に感謝する……満華姫」

 自分の部屋に入り、腰を落ち着けた満華のところへ、蒼原は顔を出した。
 新しい夫婦の、初めての顔合わせだった。
 蒼原の後方には、満華の女房役に選ばれた蒼依が鎮座している。
 不死の邸で女房をしていた不二は、不死一族に必要な天狗だからと長に言い含められて連れて来れなかった。
 満華は単身で、蒼山天狗の敷居を跨いだのだ。
 柔らかく微笑んでから、新婦は口を開く。

「いいえ。私も、身を固めねばと思っていたところですし、丁度良かったです。同じ山に住む者同士、お互い仲良くしましょう」

「そう言ってもらえると、こちらとしてもありがたい。何か必要な物があれば、蒼依に言ってくれ」

 蒼原が控えている蒼依を見る。
 蒼依は居住まいを正すと、背筋を伸ばして口を開いた。

「この蒼依、しっかりとお世話させていただきます!」

 はっきりとした口調で宣言し、拳を握って自身の胸を軽く叩く蒼依である。
 満華は蒼原に向けていた視線を、蒼依に移した。

「頼もしい女房ね。よろしく、蒼依」

 向けられた美しい柔和な笑みに、蒼依は頬を赤らめた。


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