BL 恋人みたいなふりをして

Day19 クリーニング屋 一番先に

「最近、よく通っているらしいな」

 お地蔵様は、閻魔大王の裁判所を訪ねて早々に、低い声によって足を止められた。
 声の方を見れば、墨染色の狩衣に身を包んだ男が視界に入る。
 頭の形に沿ってざんばらに切られた黒い髪。履き物も墨色だ。色があるのは、顔についた赤い瞳だろうか。血の色に似た色をしていて、灯りの下でもないのにぎらぎらと輝いて見える。背丈はお地蔵様と変わらない。
 お地蔵様は男の顔を確認してから、顔に微笑みを貼りつける。

「これはこれは、閻魔王太子様。今日は冥府の方でお仕事ですか?」

【王太子様】と呼ばれた男は「その表情(かお)やめろ」と言って、一歩二歩と距離を詰める。
 閻魔王太子は閻魔の孫だ。普段は現世にある神社で神職として働き、現世を騒がせる鬼を狩る仕事も兼任している。直も一時期、この男の下について鬼を狩る仕事をしていた。出世街道の関門みたいなものだ。
 お地蔵様は表情を変えぬまま、自分の頬を指差した。

「トレードマークなんですけどね、この表情(かお)」

「阿呆め。女を拾うのにうってつけだからだろう」

「……いつのお話でしょうか?」

「さあな、忘れた。直の所に行くなら、ついでにこの符を持っていけ。そろそろ交換する頃合いだろう」

「さっすが王太子様、仕事が早い。ありがとうございます」

 今日の見舞いを終えたら取りに行こうと思っていたところだ。
 符が包まれた和紙を受け取り、お地蔵様は丁寧に頭を下げる。
 王太子はお地蔵様の左手に視線を落とし、鼻を鳴らした。

「その気になれば、容易く切れるだろうに……。いつまで繋げておくつもりだ?」

 血の色に似た瞳が、お地蔵様を射抜く。
 彼の下に居る者であれば、ひやりとしたものが背筋に落ちていた。お地蔵様は下に居るものではないから、王太子の視線に怯むことはない。むしろ、立派に育ったなと褒め称えている。
 男の問いに、お地蔵様は微笑みだけを返す。が、視線だけは男の小指へと向けられた。

「王太子様も、糸にはお気をつけて」

「余計なお世話だ」

 男は衣を靡かせて踵を返す。
 瞬きを一つしている間に、墨色の姿は見えなくなっていた。

 ◆  ◆  ◆

「王太子様から新しい符を貰って来たよ」

 お地蔵様の声に反応して、直の肩がぴくりと揺れた。
 膝に乗せていた丹桂から、お地蔵様が居るであろう寝台の側に置かれた椅子へ、ゆるゆると頭を動かす。
 療養を始めてから二週間ほど経った。視覚を封じられている都合で、気配を頼りにどこに誰が居るのか察して、彼は動いている。怪我の治りは良好で、あと数日もすれば、閉じた瞼も開くだろうと聞いていた。
 お地蔵様は、毅然とした態度をみせることが多い彼の辿々しい動きに、頬を緩める。
 いつもならここで一発拳が振り下ろされるか、キツい言葉の一つや二つ飛んでくるところである。が、今の直にはそれができないので、存分に緩ませた。
 お地蔵様が椅子に腰かけると同時に、直が口を開いた。

「ありがとうございます」

「交換して良い?」

 直が戸惑ったように、身じろいだ。

「あなたがやるんですか?」

「この二人しかいない状況で、私以外に誰がやるのさ」

 お地蔵様の問いに、直は言葉を詰まらせた。
 むむっと唸って少しの時間悩んだ割りに出てきたのは、変化球も何もない一番身近な人物である。

「父とか母とか……」

「今から呼ぶの? 二人とも忙しいでしょう」

 ばっさりと却下され、うぐっとまた言葉を詰まらせる。
 包帯が無ければ、左右に忙しなく動かしている目が見えたに違いない。
 お地蔵様が「残念だな」と思っている間に、直が言葉を発した。

「お、弟とか妹とか……」

「包帯ぐしゃぐしゃにされるよ?」

「また巻き直すことになるでしょう」というもっともな意見をぶつけると、直はまた黙ってしまう。
 俯く彼に「そろそろ諦めれば」と笑っていると、思い出した様子で勢いよく頭を上げられた。

「たんけ、」

「猫は論外」

 ぺしんと、彼の額を指先で弾く。
 彼の不意を突いた攻撃は、しっかりと彼の額を射抜いた。
「そんなに、私にされるのは嫌なの?」と悶絶して丸まった身体に問いかければ、忌々しいと言わんばかりの声音が返ってきた。

「あなた、絶対変な事するから……!」

 心外である。
 長い付き合いなのに、まだ信用されてないのかなと、苦い笑いが込み上げた。

「しないって。この前も言っただろう? 【お地蔵様(わたし)を信じて】と」

 数珠を使って、子どもたちの声を届けた時に、同じ言葉を与えた。
 直も覚えているのか、罰が悪そうな表情を見せて、顔をそらす。
 しんとした静けさが二人の間に流れる間、お地蔵様は直の様子を観察しながら、口を開いても良い機会を伺った。
 そらされていた顔が僅かに動く。
 包帯を巻いていて見えないが、見えていたら綺麗な赤紫色が、おずおずと向けられていたことだろう。
 一つ二つと数を数えてから改めて問う。

「交換しても良いかい?」

 まだ不服そうではあるけれど、駄目とは言わない。控えめだが、ゆっくりと首が縦に動いたことを確認して、彼の後頭部にある結び目に手を伸ばす。
 しゅるしゅると解いていけば、王太子様が用意した古い符が現れる。目の治癒を助ける符だ。それも外すと、いつも見ていた彼の素顔が露になった。違うところがあるとすれば、少し赤らんだ肌と瞼を閉ざしているところか。
 お地蔵様は、閉ざされた瞼の上に新しい符を貼りつける。

「ちょっとだけ赤みがひいたね」

「そうですか?」

「さすが、陰陽師をやっていた人の符だ。効果が凄いや」

 あの王太子は、今でこそ冥府で暮らす鬼だが、生まれは平安時代中期頃の現世で、人間であった。母親の屋敷で、下級貴族のはしっこにぶら下がるような暮らしをしながら、内裏にあった陰陽寮で働いていたと聞く。
 閻魔の孫なのに現世で生まれて生活していたのは、彼の父親が冥府での仕事を放棄して、現世で暮らしていたからだ。ちゃらんぽらんな父親だったらしく、結構苦労することが多かったと、いつかのお正月の宴会で本人が愚痴っていた。
「あとでお礼をしなければ」と悩む直の両頬を、お地蔵様は自身の手で包み込んだ。ぴくりと彼の身体が動いたが、無視を決め込む。

「あまり気にしなくても大丈夫だよ」

「そういうわけには……相手上司だし、年上だし……」

「きちんと治して復帰する方が、王太子様への一番のお礼になると思うな。私は」

「でも、」

 まだ言い連ねようとした彼の額に、こつんと、己の額を当てて黙らせる。

「おわかり?」

 言葉が返らない。
 額をくっつけたまま、顔を引き寄せる。鼻が触れ、唇と唇も触れそうな距離だ。目が見えずとも、自分のおかれている状況がわかるだろう。
「返事は?」と、促す。
 彼の口から、戸惑いが混じる声音がようやく出た。

「は、い……」

「よくできました」

 彼の頬にある手を外して解放してやると、大きなため息を吐かれた。
 疲労に襲われた彼を視界の片隅に入れつつ、お地蔵様は椅子から腰を上げる。そろそろ、寺子屋へ戻る時間だ。

「それじゃ、私はもう行くとするよ。次に来れるのは明後日かな。明日は現世の方に行かないといけないから」

「そんな頻繁に来なくても……」

「私が来たいだけだよ。ああ、そうだ」

 振り向き様、肩にかけた錫杖の遊環がちりんと揺れる。

「その包帯が取れて、また見えるようになったら、一番最初に君の視界に入りたいな」

「じゃあね」と最後に言い置いて、お地蔵様はふっと姿を消した。
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