BL 恋人みたいなふりをして

Day12 坂道 下り坂のしゅじん

 此方(こち)は、猫又である。名前は丹桂(たんけい)。獄卒(しゅじん)が名付けてくれた、やんごとなき名前である。今日は獄卒の腕に抱かれて、家の外に出た。いわゆる、散歩というものだ。
 初めて此方と会う者に紹介しよう。こちらが此方のしゅじん、獄卒課の課長殿だ。名前は【直】と書いて【あたい】と読むらしい。彼の家族が、直とよく呼んでいるのを耳にする。とても美しい顔立ちをしていて、立ち姿もぴんとしている。あまりにも真っ直ぐなので、腰が痛くならないのだろうかと、此方は心配している。黒い毛は、此方の姉弟を散らした黒き鳥に似ているが、お目は何に似ているかよくわからない。まあいっか。お目が何に似ていても、此方の獄卒である事に変わりない。
 そんな獄卒は、先日上機嫌で見慣れない衣装に着替えて、薄くて四角い箱を見ながらにまにまとしていた。きりりと、緊張感のある表情を浮かべる事が多い獄卒故、ちょっとだけ気味が悪かった。
 その後、急な用もないのに訪ねて来た胡散臭い男とどこへ出掛けていたようだが、帰ってきたら此方とは違う猫又(やつ)の臭いがしたので、脱いだまま床に放置されていた衣装の上をゴロゴロと転がってやった。きっと、此方ではない猫又に襲われたに違いない。獄卒に変わって、此方が成敗してくれる。
 獄卒は「困ります」と言って、此方を衣装から離そうとしていたが、残念だったな。きっちりと成敗しておいたぞ。そして、尻を叩け。

「まだ拗ねてますか? 猫又さん」

 獄卒が、此方の尻に辺りをぽんぽんと叩きながら言葉を投げてくる。
 ふむ、なんのことだろうか。此方は拗ねた覚えなどないぞ。
 でも、獄卒がそういうのなら、そういう事にしておいてやろう。
「にゃあ」と一言返して、獄卒の腕に顔を擦り付ける。
 自分で歩く散歩も好きだが、歩かない散歩というのも楽でいいな。
 獄卒の腕の中から、外を覗き見る。
 冥府の景色は現世と違う。ごつごつとした岩場が広がって、大きな坂道を上ったり、下ったり。人が串刺しになっているとげとげの山があって、『獄卒の母君は、あのとげとげとした山を極めし女』であると、不喜処で働く白き鳥から聞いた。そして夜しかない。現世と冥府の境目に行けば、朝と夜がちゃんと来るらしい。寺子屋の子どもたちは、朝と夜が来る場所で過ごしているそうだ。
 獄卒は今、どこへ向かって歩いているのだろうか。
 今朝からうんうんと唸っては、此方の背を撫でていた気がする。
 上機嫌になったり、うんうんと唸ったりと忙しい人だ。獄卒の心は、冥府の坂に似ている。今の気分は下り坂というやつだろうか。

「連絡先……連絡先……どうしましょうね……」

 ぶつぶつと、先ほどから同じことを呟いている。

「まさか、コーヒー代と一緒に置いて帰るなんて、思わないじゃないですか。あの菩薩、変なところでいい加減な癖に、変なところできっちりしてるんですよ」

 菩薩とは、あの胡散臭い男のことだろうか。
 全体的に胡散臭い男だとは思うが、どの辺りがきっちりとしているのだろうか。

「連絡先、知ってたら都合がいいかなとは思いましたが、入れたら入れたら楽しみにしてたみたいだって思われそうだし。かと言って、このまま無視しておくのも気が重いし…………」

 獄卒は、大きな息を吐き出す。

「レシートと一緒に捨てとけばよかったって後で気づいたんですけどね、その時は捨てられなかったんですよ。変なの……」

 あの男も変なところ多いけど、俺もきっと変だ。
 しょんぼりと、獄卒の眉と肩が下がる。
 ふむ、なるほど。
 此方の獄卒は、落ち込んでいるというやつだな。
 ぴんと閃いて、此方はうんうんと頷く。
 とりあえず、獄卒よ。此方、顔洗っていいか?
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