first stage ワタリガラスの止まり木

#ヴァンド

「あの……! 大変申し訳にくいのですけど、何しに来たのかわからないし、聞く気もないのですけど、繭さんは家に居た方がよろしいのでは…………⁉ この先、裁判とかもあるのでしょう…………⁉ ここでふらふらして、変な噂を立てられたら、心証が悪くなると思います! …………たぶん!」

 並べた言葉は、ぱっと頭に浮かんだ思い付きのものだ。
 後輩の様子に危機感を抱き、ちょっとでも後輩から意識を逸らせようと思い至った行動だった。
 何を考えているか読めぬ美しい女を前にして、両の腕を目一杯広げている姿は、小さな生き物が身体を大きく見せながら天敵を威嚇する姿に似ていることだろう。
 幼い頃から生き物が好きな隣人の少年を思い出して、頬をが緩みそうになるのを引き締める。
 動物園で、今の自分のように、目一杯両腕を広げて力説する姿が可愛らしかった。高校生になった現在は、そんな真似もうしないだろうけど。やりかねない気配はあるけれど。
 ぐっと目に力を入れて、繭を見据える。
 目前の女は、瞼を二度ほど瞬かせてから、泉の瞳を覗き込んだ。

「あなた……私の目を見てもなんともないのね」

「…………なんの事ですか?」

 言われた言葉の意味がわからず、首を傾ける。
 美しい女は、一度はきょとんと首を傾げた後、表情をぱっと嬉しいものへ変える。瞬きを二度は要する変化だ。そして、愉しげに肩を揺らした。からからと、笑い声が夜の駅構内に木霊する。

「平気だった人の子を見るのは久しぶり! ねえ、もっとお話しない? そこにいる女のことも気になるでしょう? 〝何でここに来た〟とか、ね?」

 繭の流された視線が、舞の方へ向かう。
 追いかけるようにして同僚を見れば、苦々しげな表情で唇を噛んでいる。
 繭は、舞が来た理由を知っている。
 泉と夕陽には、歯切れ悪く辿々しい返答をしていたが、あれは本当の理由を誤魔化していたのだろうと察した。
 泉の背後で、正気を取り戻した夕陽が舞の名を心配を含めた声音で呼ぶ。
 舞は呼応せず、泉と夕陽から顔を背けたままだ。

「ねえ、いいでしょう? なんなら、昴の事も教えてあげるわよ! 〝あなたも〟あいつのファンなのでしょう? あの男とは芸能界に入った頃からの付き合いなの!」

 泉は女優の発言に眉根を寄せる。
 今どれかの単語が耳に引っ掛かった。
 何が引っ掛かったのかと考えたくても、からからと笑う女の空気に気圧されてそれどころではない。
 先ほどまで妖しく笑い、心の奥底を見せようとしなかった女が、ころりと表情を変えて構ってくれと尻尾を振る。飼い主におやつをねだるペットのようだ。
 じっと見ていると、金色のふさふさとした尻尾が視界に入って、思わず目を瞬かせた。見えた尻尾は気のせいだったらしく、何でもない女優の姿に戻る。
 泉が繭の豹変ぶりに言葉を無くしていても、目前の女は構わずぐいぐいと圧をかけてくる。ひとつひとつの言葉が蛇の身体のように連なり、泉の喉や手足へ絡み付いて、動きを止めているようだ。発言したくても、直ぐに繭の言葉にかき消されてしまう。
 自分語りが激しい、質の悪いセールスに捕まってしまった気分だ。ただのチンピラならまるっと無視するか警察呼ぶかできるが、できれば穏便に事を収めたい。
 どうしたものか。
 泉の背後にいる夕陽も、繭の変わりようについていけずぽかんとしたままだし、舞も黙りこくっている。
 どうしよう、どうしようと脳みそをフル回転させて浮かんだのは、弟のマネージャーだ。ふるりと頭を振って、その考えを消去する。
 先ほど、泉の勝手で電話をかけたばかりだ。おまけに、繭に切られたせいで変なところで会話が終わっている。
 かけ直したら何を言われるかと、遠い目をしそうになった時、ぐいぐいと背中に垂れた毛先を引っ張られる。
 次は何だと、多少うんざりしながら振り返ると、よく知った少年の顔の脇で両の手がひらひらと振られていた。

「ばあ」

「直哉ぁあ⁉」

 すんとした表情と声音で、顔に似つかわしくないおちゃらけた挨拶をしたのは、隣の家に住む少年、直哉だ。先ほどまで、泉の弟とステージに立っていた、アイドルの練習生。
 顔がよく見えるようにと、伸びていた前髪やらをきれい整えられていたが、今は普段と変わりなく髪の分け目で二つに分かれ、毛先がすとんと垂れている。
 この少年がこの場にいるなら残りの二人も……と探すまでもなく、直哉の後方から慌てつつも呆れた様子を滲ませる弟の樹と、呆れ顔だけの大が小走りで構内に入って来るのが見えた。
 高校生とはいえ、ここで身内が来てくれるのは心強い。
 家族の顔を目に入れた途端、ほぅと肩の力が抜けて情けない声が出る。

「大丈夫⁉」

 問われて直ぐに頷く。

「姉ちゃんちょー困ってたあー」

「だよな」

 同意するように大が頷き、女四人の顔を一つ一つ確認した。
「俺も心配してたー」と直哉も主張する。
 少年三人の登場に、舞はぎょっと目を開いて、夕陽は驚いた声が出ないようにと口許を自分の両の手で覆っている。繭は先ほどまでの勢いを潜め、苦々しく顔を歪めていた。
 泉が深くゆっくりと息を吐き出していると、にゅっと直哉が顔を覗き込んでくる。

「もう大丈夫だよ。最強の助っ人持ってきたから」

「俺(こども)だけじゃ、どうにもできないもん」と、繭の後方へ少年の視線が飛ぶ。
 不機嫌な低い声音が空気を震わせたのは、髪一筋の間も空かない時だった。

「物みたいに言うな」
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