二章 妖精とうたう少年
◇ ◇ ◇
『ノース広場にあるモミの木には妖精がいる』
イルギール国の外れにある小さな村に、昔からある言い伝えです。
妖精はお祭り好きで、村の行事はいつもノース広場で行い、冬のお祭りでは村の子供達が聖歌を披露するのが恒例でした。
村で育った少年マルコも、聖歌隊の一員として、何度もモミの木の下で歌いました。
モミの木は村のシンボルでもあり、村人達の憩いの場として親しまれていました。
が、ある日一人の貴族が村を訪ね、モミの木のある広場を買い取り、木を伐採して、自分の建物を建てると言い出したのです。
貴族社会のこの国は、どんな事でも貴族の言うことが正しく、優先されます。
庶民ばかりのこの村に、貴族に逆らえる者などなく、モミの木が伐採される所を、マルコは幼い妹リルと一緒に静かに佇みながら、眺めていました。
◇ ◇ ◇
「さあ! どいた! どいた! 道をあけろ!」
大きなノコギリと大きな斧を担いだ男たちが、たった今伐採したばかりのモミの木を輪切りにし、立派な枝も落としてリアカーに乗せ、歩き出しました。
転がり落ちないようにと、縄でぐるんぐるんに巻かれたモミの木に、広場で雄々しく立っていた頃の面影はありません。その代わりに、こうされるしかないのだと諦めたような雰囲気がありました。
敵に囲まれ、渋々白旗をあげたモミの木の最後を、マルコは下唇を噛み締めて見送ります。
この広場にあったモミの木は……あり続けるはずだったモミの木は、ほんの数時間で呆気なく植樹としての人生を終えました。
マルコが生まれるずっと前から生きているモミの木が、片手の指で数えられる時間で儚くなってしまったのです。何事もなければ、この先もずっと広場で堂々とその姿を見せてくれていたはずなのに。
…………とても…………寂しい。
とても………、悔しい………。
なにより、何も出来なかったことが、とてもとても腹立たしい!
ぐるぐると渦巻く感情を抱いているわりには、不思議なことに目から水滴は零れず、目玉の奥が焼けるように熱いだけです。
呼吸も、胸の熱を逃がすように深い息を繰り返していましたが、次第に緩やかなものへと変わりました。
貴族に雇われた屈強な男たちが、モミの木を追って駆けていきます。
リアカーの周囲にいる村の大人たちは、伐採をした男たちとまだ揉めているようでしたが、リアカーが広場から離れるに連れて、言い争う声も遠退いていきました。
ぎっと男たちの背中を睨んでいたマルコは、ぎゅっと裾を掴まれる感覚に襲われ、視線を下げました。
「おにいちゃん……、ようせいさんはどうなっちゃったの……?」
マルコにそっくりな顔をしわくちゃにして、ぽろぽろと目から涙を流しながら、リルが少年の顔を見ていました。
「さあ……お兄ちゃんにはわからない……」
「モミのきも、ようせいさんも、しんじゃったの……?」
【モミの木には妖精がいる】
この村に、昔からある言い伝えです。
村が出来た頃。記念にと植えられたモミの木の周囲でお祭りをしていた時、蛍のようにチラチラと輝く光が現れました。踊るように宙を漂う光は、村の人たちがお祭りを楽しめば楽しむほど、呑めや歌えやと賑やかになればなるほど、光も楽しそうに宙を漂いました。
お祭りが終わると同時に光は姿を消しましたが、しばらくの間、畑の土が豊かになったり、荒れていた天候が落ち着いたり、森からも川からの恵みも増えたのです。
そんな年が何年も続き、村の人たちは、お祭り好きな妖精がモミの木に住み着いていて、村のお祭りで楽しませてくれたお礼に豊作をもたらしてくれていると考えはじめたのでした。
マルコもリルも、その言い伝えを信じています。
実際に、マルコは冬のお祭りで聖歌隊をしていた時に、ちらちらと輝く光を目にしたことがあります。
マルコはリルの頭を優しく撫でながら、口を開きました。
「だいじょーぶ。モミの木も妖精さんも、きっと帰って来る。居ないのは少しの間だけだよ。だから、帰って来たら『お帰り』って言ってあげような」
「うん……うん……」
ぽたぽたと流れる涙を、服の袖で拭いながら、リルは頷きます。
そんな妹の様子を見ながら、マルコは決意しました。
絶対に、あの木と広場を取り返す。
妹の為に。そして、モミの木の妖精の為に。
翌日から、マルコは熱心に教会に通い、神に祈りました。
「神よどうか……。この声を聞き、届けて下さい」
ノース広場にモミの木を……妖精達をお戻し下さい。
少年が祈ると同時に、村の天井を横切るように光が流れました。