一章 エリートの夢

「これは……!」

「靄(もや)……みたいだね」

 二人を包むように。いいえ。森全体を包むように、白い靄が立ち込め、道の先を見えなくします。
 それだけならまだいいのですが、この靄には魔力を感じられました。
 じわじわと肌を刺激する魔力。
 知らず知らずのうちに、リリーは肌が粟立ち、脂汗が額ににじみ出ていました。
 靄の中に含まれる魔力に反応して、ズボンのベルトに差していた杖がかたかたと震えます。

「杖が畏れてる……」

 こんなに強い魔力と出会ったのは初めてだ。
 杖を握り、リリーは前を見据えます。
 いつの間にか、アシュレイがリリーの隣に移動し、静かに口を開きました。

「鏡に気をつけなよ」

「鏡?」

 どういう意味でしょう。
 答えを言えという目をリリーは彼に向けますが、アシュレイ具体的な答えは言いませんでした。

「鏡に気をつけなよ、リリー。鏡は、人の心を惑わせる。……来たよ」

 アシュレイの言葉に反応するように、靄が晴れます。
 道の先には、今まで無かった物がそこにありました。
 木造の小さな家屋です。煙突からは白い煙が立ち、庭には色とりどりの花が植えられています。
 普通の小屋と違うのは、窓枠にはめられているのがガラスではなく、鏡という所でしょうか。

『鏡に気をつけなよ』

 アシュレイの忠告が頭をよぎります。
 それを振り払うかのように頭を振り、リリーは彼の後に続いて、小屋に近付きました。
 色とりどりの庭を抜け、木製の古びた扉を、アシュレイはノックします。
 しばらくして扉が開き、小屋の持ち主が二人を出迎えました。
 その姿に、リリーは驚きます。
 出迎えたのは、自分より一回り程若い魔女だったのです。
 見た目の歳は、十歳ほどでしょうか。可愛らしいフリルのワンピースを着て、上から黒色のマントを羽織り、髪を左右に分け、首の脇で二つに縛っています。目は、鈴を張ったような目で、とても可愛らしい少女でした。
 この子が、悪魔と契約した魔女なのでしょうか。
 にわかに信じがたく、リリーはアシュレイの反応で、魔女か否か見極める事にしました。

「やあ、お嬢さん。君がここの魔女かい?」

「そうよ」

「どうして、僕たちが来たかわかるかな?」

「さあ? なにをしにきたの?」

「悪魔と契約した反応が、この小屋から出たんだ。……契約したよね……悪魔さん」

 にこにこと笑みを崩さずに、アシュレイは少女と会話を続けます。
 少女の方は、ちらちらとアシュレイとリリーを見比べると、舌をちょろっと出して、可愛らしく首を傾けました。

「てへ。なーんだ、ばれちゃってたのか。しっぱいしっぱい」

「魔女はどこだい? ここに住んでた魔女は、八十歳近いお婆ちゃんのはずだけど? どこに隠したのかな?」

「マミーとあそんでくれたら、おしえてあげるよ」

 直後、少女のマントから蛇が複数飛び出し、牙を剥きだして二人に襲い掛かります。
 防御呪文を使って、リリーは蛇を蹴散らし、少女から離れるように庭へ後退しました。
 アシュレイも同様です。
 杖をベルトから抜き取り、少女に向けます。
 小さな魔女は、マントからぼとぼとと蛇を放ちながら、小屋の中から出て、リリーに視線を向けました。

「おねえちゃんは、しょみんだね。どうしてまじょになったの?」

 質問をしても、答えさせるつもりはないのか、複数の蛇が顎を開いて、リリーに飛びかかりました。
 リリーは杖を振って炎を出し、蛇をこの世から消し去ります。
 小さな魔女はにこにこと笑いながら、その様子を見てました。

「どうしてまじょになったの? いやなことされるってわかってたのに」

 今度は地面から植物の根が飛び出し、リリーに襲い掛かります。
 それを見事に避けながら、リリーは叫ぶように答えました。

「私がなりたかったから、なっただけよ!」

「そうかな? かがみのなかのあなたは、そうじゃないみたいよ」

「え……?」

 少女に言われて、リリーは思わず、小屋の窓枠にはめられた鏡を見てしまいました。
 鏡の中の彼女は、胸から血を流して、泣いていました。
 鏡のリリーが口を開きます。

「どうして、魔女になったの?」

 鏡が真っ白な光を放ち、リリーを包み込みます。

「リリー⁉」

 遠くの方で、蛇と根を相手に戦っていたアシュレイが、彼女の名を呼びますが、リリーは光と共に、鏡の中に飲み込まれました。

「リリー……」

 アシュレイは、鏡を睨みました。
 一部始終を見ていた少女は、アシュレイに向き直ります。

「さあ、つぎはあなたのばんよ」

「…………そのようだね」
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