一章 エリートの夢

 ジュースを飲む手を止め、リリーは怪訝な顔をして、アシュレイを見ました。

「何よ急に。ペアの魔法使いはどうしたのよ」

「びびって逃げた」

「これだから、温室育ちの貴族は」と、アシュレイは愚痴をこぼしながら、手鏡で髪型を確認します。彼は自分の身だしなみが気になって仕方ないようです。
 一方のリリーは、男が逃げ出した任務に女を誘うなんてどうかしてると思いました。

「何で、私を誘うのよ。魔法使いは他にも沢山居るでしょう」

「君ほどの実力はそうそういないよ。今回の任務は少々厄介でさ、並みの魔法使いじゃ駄目なんだ」

 言いながら、アシュレイはまた指を鳴らします。
 金髪の髪が、黒髪になりました。髪型は金髪の時のままです。
 アシュレイは手鏡をポケットに戻すと、今度は羊皮紙の紙切れと羽根ペンを取り出し、任務の詳細を書いて彼女に渡します。
 彼女が受け取ったのを確認すると同時に、イスから立ち上がり、カウンターの店員にお金を渡しました。

「君が来るのを楽しみにしてるよ」

 最後にそれだけ言って、彼はその場で姿を消しました。
 リリーは胡散臭そうに鼻を鳴らし、羊皮紙の紙切れを見ます。
 任務の中身は、彼の言った通り確かに厄介です。
 何故なら、悪魔と契約した魔女を捕まえるという任務なのですから。
 このような任務は、受けた魔法使いが相当なやり手でないと回って来ません。
 身だしなみを気にしていたあの魔法使いは、相当強いみたいです。
 彼のレベルに合わせた面倒な任務ばかり与えられて、ペアの魔法使いはさぞかし大変だった事でしょう。
 びびって逃げたのは、任務から逃げたんじゃなくて、彼から逃げたのかも。
 そんな事を考えながら、リリーは羊皮紙をマントのポケットにしまい、ジュースのおかわりを兄に頼みました。

「仕事の話かい?」

 ハウエルは、ぶどうジュースをリリーに渡しながら、問いかけました。

「うん……。手伝って欲しいんだって」

 そう答えると、ハウエルは表情を綻ばせました。
 ハウエルは魔法使いではないですが、リリーを取り巻く環境は人伝に聞いています。貴族出身の魔法使いから、目の上のたんこぶみたいな扱いを受けてることも知っています。
 なので、リリーが貴族の魔法使いから仕事誘われるという出来事は、妹の実力が認められたみたいで嬉しいのです。
 リリーは迷惑極まりないと、ジュースを飲み干しました。

「私が貴族嫌いなの知ってるでしょう? 王子様も遊んでばっかりだし」

「その貴族に助けられたという話も、昔からしているだろう?」

 リリーは、生まれてからまだ二ヶ月も経っていない頃。酷い高熱を出して、死の瀬戸際をさまよったことがあります。
 高熱でぐったりとしたリリーを助けたのは、偶々家の近くを通りかかった貴族の魔女でした。
 名前を名乗ることも、住んでる場所も話さなかったようで、どこの誰がリリー救ってくれたのか、未だにわかりません。
 リリーに意地悪をする貴族たちに、その恩人の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです。

「行ってみれば? リリー。彼は悪い人じゃない」

「どうしてそう言えるの?」

「うーん、それはねえ……」

 ハウエルは焦らすように間をあけてから答えました。

「兄さんのお店の、常連さんだからかな?」


 迷いに迷った結果、リリーはアシュレイの任務を手伝う事にしました。
 元々、正義感の強いリリーは、任務の事を放っておけなかったのです。それに、困ってる人は誰でも助けるが、彼女の心情でもありました。
 愛用の杖を、半ズボンのベルトに差し、任務用の黒いブーツと白いマント、黒い革の手袋をして待ち合わせ場所に向かいます。
 羊皮紙に書いてあった待ち合わせ場所は、リリー達が住む街の外れ、橋の上と書かれてました。橋の先にある森の中で、悪魔と契約した魔女は住んでいるようです。
 リリーが待ち合わせ場所の橋に着くと、彼は既に待っていて、手鏡を見ながら自分の髪の毛を弄っていました。
 着ている服も、全身を包む黒いマントも、上等な物です。
 キラキラとした雰囲気も、会った時と変わりません。
 リリーも、服には気を遣ってますが、彼と比べると自分が地味に見えて、腹立たしい気分になると同時に、惨めな気分にもなりました。
 何で、私がこんな気分にならないといけないのよ。あの人が、身だしなみを過剰に気にし過ぎているだけなのに。
 ムスッとした顔をして、リリーは彼に近付き、声をかけました。

「おはよう」

「やあリリー、早かったね。……どうしたんだい? ムスッとしちゃって」

 無愛想な表情をするリリーを見て、アシュレイは目を丸くします。

「何でもないわよ。さっさと魔女の所に行きましょう」

 そう言って、リリーは歩き出します。
 胸のムカムカは、任務で晴らそう。
 リリーはそう心に決めました。
 一方、アシュレイはというと、リリーの後を歩きながら、無愛想な彼女の態度に首を捻るばかりでした。

「また、苛々してるのか? 会った時もそんな感じだったよね?」

「気のせーーーーよ」

「そうかな?」

「そうよ。私の事より、任務に集中しなさいよ。相手は悪魔と契約した魔女なんでしょう? 普通の魔女とは違うのよ」

「やる気満々だね」

 ケラケラと笑いながら、アシュレイは言います。
 その反面、驚いてもいました。
 この任務にリリーを誘ったのは自分ですが、彼女が待ち合わせ場所に来るまで、絶対に来てくれると思ってなかったのです。
 寧ろ、無視されるだろうなと思っていました。
 でも、彼女は来てくれました。
 誘ったのは、嫌いな貴族出身の魔法使いなのに、彼女は来てくれました。
 それが、とても嬉しくて、知らず知らずのうちに、顔がにやけて、クスリと笑みをこぼしてしまいます。
 彼が笑っている事に気付いたリリーは、訝しげな表情をアシュレイに向けました。

「何よ? にやにやと笑って気持ち悪いわね」

 グサリと、リリーの言葉がアシュレイの胸に突き刺さり、言葉を詰まらせます。

「っ……! 君、可愛い顔して、棘のある言い方するね……」

 アシュレイの言葉に、今度はリリーが言葉を詰まらせる番でした。

「な……! 何言ってんの! 頭おかしいんじゃない!」

 頬を真っ赤に染めて、リリーは言い返します。
 可愛いという褒め言葉を、家族以外の他人はおろか、貴族出身の青年から言われた事が無く、どう反応していいか分からないのです。
 それに、リリーは自分の事を可愛いと思った事がないのも理由の一つでした。

「私は可愛いくないわよ!」

「そうかな。僕は可愛いと思うよ」

「可愛くない!」

「可愛い」

「……見解の相違みたいね」

「そうだね」

 貴族嫌いという所を抜かせば、初めて意見が一致した両者です。
 この先、声を荒げて抗議しても、アシュレイは浮かべた笑みを崩さず、のらりくらりと言葉を返してくるでしょう。
 リリーは馬鹿らしくなって、肺に溜まっていた息を吐き出し、歩く事に集中します。
 その時です。辺りの異変に気付いたのは。
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