エリート魔女リリー
◇ ◇ ◇
真っ黒な世界のなかで、私だけが真っ白だった。
◇ ◇ ◇
こつこつと鳴らされる、爪が机を叩く音。
一枚の大きな板で出来た机を挟んで、リリーは一人、大きくて真っ黒な魔女と対峙していました。
大きなつばで縁取られた三角の黒い帽子、ドラム缶みたいに大きな身をすっぽりと覆う真っ黒なローブ。指に挟まれた葉巻と同じ太さの指には、黒い石が嵌め込まれた指輪。元々銀色だったであろう輪の部分も、黒い塗料で塗られていました。魔女の唇にひかれた紅も真っ黒な色で、黒以外の色を探すのが大変なほど。その魔女は、真っ黒でした。
黒い色でないのは、薄い毛量の波打った白い髪と、青い瞳くらいなものです。
リリーは、この大きな魔女の青い瞳が大嫌いでした。
リリーを瞳の中に入れる度に「庶民のくせに生意気な」「貴族から魔法を盗んだのだろう」「盗人の分際で」と、ぐちぐちと文句を垂れるからです。
他の生徒には、「ドラム缶」と正面切って言われても笑って許すのに。
机の上に置いてある『魔法学校校長』の札が視界の隅に入り、リリーは顔を歪めました。
校長の名が聞いて呆れる言動です。
仮にも校長先生なのだから、魔力の大きさは生まれつきで、盗んだものではないと理解しているはずなのに。
「(依怙贔屓)」と胸の内で『校長先生』を罵っていると、ばさりと音を立てて、書類が机の上に投げつけられました。
この書類は、リリーの成績が記された物です。
中身は全て合格点で、中には学年で一番良い成績の物もあります。
在学している生徒とは生まれが違うから、せめて成績では文句を言われない物にしようと頑張ってきた。リリーの努力の結晶ともいうべきそれを、この校長先生は投げたのです。
腹が立ちましたが、リリーは気にしたら負けだと、魔女の大きな三角の帽子のてっぺんを見ることにしました。
「ふんっ! 空気の読めない女だっ!」
葉巻を口に咥えていた校長先生は、紫色に染まった煙をふっとリリーの顔に吹きかけました。
「…………!?」
煙独特の臭いにぶどうの香りが混ぜられたそれは、リリーの息を乱すのにそれほど時間がかかりませんでした。
けほけほと、リリーが噎せている間に、校長先生はリリーの名前を呼んで立ち上がります。
「リリー・エリック! お前の成績は確かに一番だが、所詮は庶民。盗んだかもしれぬ魔力の成績なんて、参考記録だよ。よって、今日の卒業式は、一番前の一番目立つ席で、ただ座って【見てるだけ】だ。首席の表彰は、お前の次に成績優秀だった者。卒業証書授与も、お前ではなく、次の子が受けとる。いいかい? 見てるだけだ! 余計な真似はするんじゃないよ!」
リリーは、校長室から追い出されるようにして、部屋を後にしました。
白いローブの裾を揺らして、とぼとぼと肩を落として歩く先は、校舎にある大広間です。
そこには、今日の卒業式を待ち望んでいた生徒たちが集まっています。
もちろん、校長先生に呼ばれるまでは、リリーも楽しみにしていました。
今日の卒業式には、学校に行くお金を出してくれた両親や兄が見に来てくれていたのです。
リリーの成績が学年で一番だったと分かってから、両親と兄はとても……とても喜んで、リリーが壇上で表彰されて、首席のマントを羽織って、三角の黒い帽子を被る姿を楽しみにしていました。
でも、校長先生はリリーが壇上に立つことを許してくれませんでした。
広間へ続く大きな扉の前で、リリーは足を止めます。
扉越しでも聞こえる、広間のざわめき。
中に入ろうとドアノブに手を置きましたが、開けるのを躊躇ってしまいました。
今は、貴族の顔を見たくないな。
特に、成績はリリーよりも下なのに、貴族だからという理由で威張り散らし、突っ掛かって来た奴らの顔は。
重たくなった胸を少しでも軽くしようと、息を吐き出しました。
生まれが違うのだから扱い方も違うのだと、仕方のないことなのだと、受け止めるしかないのでしょうか。
肩を落としたまま、リリーが扉を開こうとしたとき、女性の声がリリーを引きとめました。
「リリー!」
「リアーナ教授(せんせい)……」
ゆるく波打ち、たっぷりと生え揃った赤毛の髪をふわふわと揺らしながら、女性は歩いて来ました。
教授たちの中でも、身分が違うからと差をつけることなく、むしろリリーの魔法の才能を認め、授業以外でも指導してくれた教授です。
真っ黒なローブと、黒い三角の帽子は式典用の物で、普段身に着けているものよりも大きく、ローブは裾が床についています。教授の顔も、下から覗き込んで見ないと、顔がちゃんと見えません。
リリーはリアーナ教授に駆け寄ろうとしましたが、直ぐに思いとどまりました。
こつこつとパンプスの踵を響かせて、リアーナ教授の方からリリーに歩み寄ります。
「校長から連絡が来たわよ、リリー。あなたの成績、参考記録扱いで表彰は別の生徒になったって」
「はい……」
改めて、今の自分の立場を思い知らされて、リリーは俯きました。
「まーったく、あの校長は! 身分アレルギーも行き過ぎると害悪でしかないわね!」
リアーナ教授は本気で腹を立てています。
その証拠に、怒りで溢れ出した魔力で、教授の髪がうねうねと動き出しました。一房、一房が蛇のようです。
あの校長、赤い蛇に絞め殺されればいいのに。
という言葉は、喉の奥に押し戻しました。
大嫌いな相手でも、苦手な相手でも、死を願うのはよくありません。
魔力は魂(こころ)で操るもの。魂が清浄なものでなければ、どんな魔法も上手に使えないし、魔法薬も作れません。
「リリー・エリック!」
リリーが黙ったままでいると、リアーナ教授が大きな声で教え子の名を呼びました。
卒業式で、卒業生の名を呼ぶときみたいに。
ぴしりとした締まった声音に、丸まっていたリリーの背筋が伸びます。
「他の誰がなんと言おうと、身分がなんだろうと、あなたはこの学年で一番の成績優秀者よ。もしかしたら、学校始まって以来の…………一番の秀才かもね! だから、胸をお張りなさい。俯いては駄目、屈しては駄目よ。その白いローブは、あなたを卑しい存在にする為の物じゃないわ。『リリー・エリック』という魔女を顕現させる為の物」
ぽんとリリーの両肩に、リアーナ教授の手が置かれます。
「先生ね。この三月で教授を辞めて、旅に出ようと思うの。どう? 一緒に来てみない? あなたはまだまだ、その才能を伸ばせるわよ。誰にも文句を言われないくらいね」
リアーナ教授の目はとても真剣でした。
リリーが答えを返そうとした時に、卒業式の始まりを告げる鐘が校内に鳴り響きました。
リアーナ教授はリリーの肩を叩き、大きな扉を開けて先に中に入ります。
隙間から見えた広間は、大きな黒い帳が壁を覆い、窓も隠していました。
部屋を照らす光は、柱に括りつけられた松明と、扉の側に立てられた鷲の姿を模した灯籠。卒業生が退場をする時に使う中央の花道には、道に沿うようにして、火を入れられたランタンが等間隔に浮かんでいました。
再び閉じられた扉を前に、リリーは深く息を吸い込み、細く長くゆっくりと吐き出します。
先ほど、リアーナ先生は言いました。
俯いてはいけないと。
屈してはいけないと。
抗えるところで抗わねば、下に見られたままだ。
意を決して、リリーは広間へ通じる扉を開き、足を踏み入れました。
ざわざわとした話し声が鎮まり、幾対もの目がリリーを射抜きます。
貴族だけが着れる黒いローブが大広間を埋め尽くし、白いローブを着た生徒はリリーだけでした。
黒い世界に、白い者が一人だけ……。
ぽつんと一人だけ取り残されたように感じる場所を、リリーは俯くことなく堂々とした歩みで、自分の席に向かいました。
「(卒業式が終わったら、リアーナ教授のところへ行こう)」
そして「旅に出る」というリアーナ教授の誘いにのって、まだ知らない、伸ばせる魔法を……色々なことを教えてもらうのだ。
リリー・エリック、十八歳。
決意の旅立ちを迎えた。
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