二章 妖精とうたう少年

 あの男の話が妖精の口から出て、リリーは前のめりになりました。
 ひとつも聞き逃すまいと、耳に全神経を集中させます。

 ──アノオトコノコモ、オコッテクレタ。
 ──ボクラノタメニ、イノッテクレタ。

『神よどうか、この声を聞き、届けてください。ノース広場に妖精をお戻しください』

 ──モドレルヨウニ。
 ──カエレルヨウニ。
 ──ズット、ズット、イノッテクレタ。

 でも、祈りは届かなかった。
 否。届いたけれど、理想の形ではなかったのです。
 妖精のために祈り続けた少年は、ある日、通っていた教会の屋根に穴が空いていることに気づきました。
 穴の下には、屋根の瓦礫に潰されて動けなくなった願いのカケラがありました。
 さつまいもに似た胴体に、ひょろひょろとした長い手足。
 瓦礫を退かし少年が拾い上げた途端、解呪をしていないカケラが、なぜか石へと変わったそうです。
 カケラの解呪は、魔法を習った者が自分の魔力をカケラに流し込むことで、カケラに付着している邪な感情を祓い落とすのです。霧散させているとも言えます。
 極論ですが、魔法を習っていなくても、魔力を流し込めれば誰でも解呪はできるのだと、リアーナ教授が教えてくれました。
 元々、この村には妖精の力が満ちていました。その力が満ちた場所で住んでいれば、妖精の力が身体に染みついていても不思議ではありません。
 石を手にして、少年は目を輝かせました。
 これはきっと、天からの贈り物です。
 ずっと祈っていた少年を見ていてくれた神様が、力を石に変えて贈ってくれたのだと、少年は思いました。

『これに祈ればきっと……』

 染みついていた妖精の力がカケラに触れて、自然に解呪された物を手に、少年は再び祈りました。

『妖精をお戻しください。どうか、どうか、妖精たちを《おかえし》ください』

 帰して。
 返して。
 ノース広場を返して、妖精を返して。
 帰して、返して。
 お願いかみさま。
 妖精を帰して、返して。
 少年は毎日祈りました。
 大人たちが貴族に対する悪い言葉を言っている中でも。
 ノース広場で、貴族たちが自由奔放に生きている中でも。
 少年は、祈り続けました。
 でも、どんなに祈り続けても、妖精がかえるどころか、貴族たちも立ち退く気配がありません。
 こんなに祈っているのに、どうしてかえってこないの……。
 どうして貴族(あいつら)はいなくならないの……。
 ただただ、かえってくる事を祈っていた少年の心に、じわりと黒い染みが広がりました。
 カケラについた邪なものを祓って、解呪する必要がある願いのカケラ。
 そのカケラには、魔力にも似た力が込められています。
 少年の願いは呪いに変わり、カケラの魔力に触れて貴族の館を包み込みました。

 ──ボクタチ、カエリタカッタ。
 ──マタ、ミンナト、クラシタカッタ。
 ──オマツリ、タノシミニ、シテタ。
 ──モドリタカッタ。
 ──デモ、モドレナカッタ。

 妖精たちは、肩を落としました。

 ──ノロイガ、ツヨクナッテ。
 ──ムラニ、イラレナクナッタ。
 ──ハイレナクナッタ。
 ──コノママジャ、アソビニ、イケナイ。

 妖精の力は、清いもの。清い心で出来ています。
 呪いの力は、清さとは反するもの。邪な心でできています。
 呪いで穢れてしまった村に、妖精は帰るどころか滞在するのも難しくなってしまったのです。
 モミの木にいた妖精だけでなく、村の何処かでひっそりと暮らしていた妖精たちも村を出ることになってしまいました。
 村から離れて暮らす妖精たちも、中へ入ることは叶いません。
 妖精たちの話を静かに聞いていたリリーは、ふと村の中で見かけた少年と少女のことを思い出しました。

「さっき、村の中に居たわよね?」

 ──《モミノキ》ニノコッテタ、チカラヲツカッタ。
 ──イッシュンダケシカ、イラレナカッタ。

 リリーとアシュレイの訪問に気づいた彼らは、助けが欲しくて、どうしても助けてほしい願いがあって、居られなくなった村に、無理矢理入ったのです。
 それでも長い時間はいられず、リリーの前に姿を見せただけで村を出ました。

 ──モドリタイ。

 少年の隣に立つ少女の口から、言葉が漏れます。

 ──ミンナ、モドリタイ。
 ──タノシカッタ、アノコロニ、モドリタイ。

 戻りたい。
 もどりたい。
 モドリタイ。
 村と林を自由に行き来していたあの頃に。
 村の人たちと仲良くしていたあの頃に。
 モミの木の下で歌を聴いていたあの頃に。
 戻りたい。
 もどりたい。
 モドリタイ。
 妖精たちが願いを口にすると、厚い雲の一部に切れ目が入り、夜の帳に包まれていた空が現れました。
 気づいたリリーは空を見上げます。
 黒いキャンバスに、一粒の星が流れたのはその時でした。
 願いに導かれるようにして現れたそれは、ぐんぐんと大きくなりながらリリーたちを目指して流れてきました。

「あれは、願いのカケラ……?」

 そのわりには、通常のカケラよりも大きい気がします。
 妖精たちもぽかんと口を開けたまま、空を見上げていました。
 横たわっていたいたモミの木が、カケラに反応して枝の先から、葉の先から、黄金色に輝く光の粒を産み出しました。
 カケラはモミの木に引き寄せられるようにして、どんどん近づいてきます。

「んんっ⁉」

 ──コッチクル!
 ──オチテクル!
 ──ブツカルウウウウウウー!

 リリーは目を剥き、妖精たちは飛び上がりました。
 きゃあきゃあと騒ぎながら、小さな妖精はあちらこちらへ逃げ惑います。
 中には、リリーの背後に隠れる子もいました。
 少年と少女の姿を模した妖精も、カケラの大きさと動きに驚いて、身体の形が崩れます。
 ドームで働いている妖精たちに似た顔、似た身体の作りをした妖精たちが、集まって、固まって、幼い二人の姿に化けていたのです。
 この妖精たちが【モミの木には妖精がいる】と噂された張本人たちであると、リリーは察すると同時に杖を引き抜きました。

「みんな、さがりなさい!」
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