二章 妖精とうたう少年
アシュレイは、ぱちんと指を鳴らします。
宙に置くようにして浮かんでいた自分の杖を、剣の形に変化させました。
柄を掴み取り、切っ先を男の胸に向けます。
「その呪い、返させてもらおう」
彼の発言に、リリーは驚きました。
「呪詛返しするの……⁉ ただの人間相手に……⁉」
呪詛返しは、かけられた呪いを術者に返すだけではなく、返す側の力も上乗せされます。
力がある者ならまだしも、ただの人では返ってきた呪いをそのまま受けて、怪我をするだけではすまされません。
ましてや、今回の呪いは人も死ぬほどの力を持っている。その呪いを生身で受けたら、命にかかわる。
アシュレイも十分に理解していることですが、彼はやり方を変える気はないようで、剣の向きはそのままに、視線だけはリリーに向けました。
「もちろん、死なせないようにするつもりだよ。だけど、今のまま返せば彼は死んでしまう。……呪いを弱めないとね」
アシュレイはふっと表情を和らげて、言葉を続けました。
「その役目を、君に任せてもいいかな?」
リリーが返答する間もなく、鋭利な刺を持つ蔦がアシュレイに襲いかかります。
剣をふるって魔力の刃を無数に放ち、蔦を粉砕しました。
アシュレイを狙った呪いを返された男の身体に、無数の切り傷ができます。
男の顔に苦悶の表情が浮かびました。
それでも、第二波を放たんという意思の持った目をして、アシュレイを睨み付けます。
男の方も、呪いを止める気はないようです。
リリーは険しい表情を見せました。
「今の術でもあの傷の量……。このまま戦い続けていたら、屋敷の呪いを弱める前に彼が死んでしまうわよ、アシュレイ」
「彼のことは僕が面倒見る。リリー」
「頼んだよ」という視線がリリーに投げられると、リリーの視界が一転しました。
背中を引っ張られるようにして、ぐんぐんと身体が貴族の屋敷から離れていきます。
耳に聞こえてくるのは、びゅんびゅんと通りすぎていく空気の音です。視界に見える物も、瞬く間に流されていきます。
今、何をされたのか考える間もなく、リリーは背中から落ち葉と薄く積もった雪で覆われた地面に背中から落ちました。
地面を抉るように滑った身体は、声も出せないほどの痛みに襲われて、身動きできるまでにしばらく時間がかかりました。
四つん這いになり、痛みを和らげるように幾度か呼吸を繰り返して、リリーは顔を上げます。
目に入ったのは、葉が落ちた木々の群れ。葉を落としたというよりは、枯れたような様子でした。周囲を見回しても同じような景色で、どこまでも続くように感じられます。
アシュレイによって、村の外れにある林まで飛ばされたようです。
「頼み事をしたわりには扱いが雑ね……」
おかげで、コートの上に羽織っていた白いローブが、土と落ち葉と雪で汚れてしまいました。
汚れを払い落としてから、さてどうしたものかと腕を組みます。
アシュレイは『屋敷の呪いを弱めてほしい』と言っていましたが、アシュレイがリリーに頼むのだから、狙いはそれだけではないと思います。
十年も続く、頑固な呪いを弱める方法。村外れに飛ばしたのだから、この近辺にヒントがあるのでしょうか。それとも、力加減をしなかっただけか。
なんとなく後者な気がするぞと、眉間にしわを寄せていると、視界の隅に影が現れました。
太陽は既に沈み、月もまだ昇っていない時間帯です。リリーもまだ照明を出していないので、はっきりとした影はまだできません。
影の方へ視線を向けると、村の中で見かけた少年と少女が、枯れた木の傍からリリーを見ていました。少年の方がやや背が高く、少女の方は生まれた時の幼さがまだ残っています。二人とも冬物のコートとズボンを身につけていて、少女の方は毛糸の帽子からお下げ髪がはみ出ていました。少年の方は帽子を被っておらず、黒い髪をそのまま見せています。表情のない顔は、村で見たときと同じです。違うところがあるとするなら、二人の輪郭をなぞるように淡い光が灯っています。
二人の顔をようやくゆっくりと確認することが出来て、リリーはひとつ気づいたことがありました。
少年の顔が、願いのカケラを持っていた男とそっくりだったのです。むしろ、この少年を大人にした姿が男になるような気がします。
お互いにじっと見つめ合い、幾つか呼吸を数えたところで、幼い二人は手を繋いで動き始めました。
林の奥に向かって歩いていく二人でしたが、リリーから少し離れたところで立ち止まり、振り返りました。
そして、またしばらくじぃっとリリーの顔を見ると、再び前を向いて歩いて行きます。
これを何度か繰り返され、リリーはようやく二人が「ついてこい」と言っていることに気がつきました。
村の方角……アシュレイとあの男がいる方向を一瞥した後、リリーは駆け足で彼らの後を追いました。