二章 妖精とうたう少年
「何よ、これ……!」
日中の殆どの時間を馬車で過ごし、日没間際になってようやくニュンフェの村に辿り着きました。
そこで広がっていたものを目にして、リリーは絶句しました。
日没の時間とはいえ、村の中は真夜中に似た闇で包まれていて、空気を吸い込めば肺に鉛がたまるような重さを覚えました。
分厚い冬物のコートに袖を通しながら、アシュレイがリリーの横に立ち、村の様子を視界に入れるなり険しい表情を見せます。
「想像以上だな」
「酷い……黒く染まった魔力がこんなに充満して……」
これが、貴族を襲う呪いなのか。
リリーは魔力を吸い込まないように、コートの袖口で口を覆いました。
ただの魔力ならまだしも、悪意が込められたものだ。こんな物を十年も放置されていたのかと、リリーは信じられない気持ちでいっぱいでした。
「こんな状態で、村の人は大丈夫なの……?」
「魔法使いや魔女でないものにこの魔力は見えない。けど、見えなくても感じ取りやすい者は体調を崩してるだろうね」
首に巻いていたマフラーで口を覆いながら、アシュレイは言いました。
「行くよ、リリー。調べたいことはたくさんあるだろうけど、まずは貴族の屋敷に行かなくちゃ」
薄く積もった雪の上にアシュレイが一歩踏み出し、リリーも彼に続いて踏み出しました。
暗闇に包まれた中なので、裸眼では村の状況を詳しく見ることはできません。
アシュレイとリリーは目に魔法をかけて、夜の中でも昼間と同じように見える魔法をかけました。
魔法をかけたことにより、ようやく見えたニュンフェの村は、三角に尖った屋根が道沿いに並び建ち、小路と大きな通りが交差する作りになっていました。灯りがついている家は少なく、窓に板が嵌められた住宅もあれば、割れたまま放置されている住宅もありました。
生気を感じられない村だなと思いながら、リリーはアシュレイと村の中央にある大きな通りを歩きます。
この通り沿いに、ノース広場……件の貴族の屋敷があるそうです。
村の漂う魔力以外に異変はないかと目を配っていると、右手にある小路の方から視線を感じました。
野菜直売所の古びた建物と、リサイクル品を扱うお店の間にある小路です。
リサイクル店の壁際に置かれた古い箒の影から、十歳ほどの少年とその少年よりもさらに歳が下であろう少女が、リリーたちをじぃっと見つめていました。
顔に表情は無く、目にも光がありません。
リリーは立ち止まり、少年たちをじっくり見ていると、一度瞬きをした間に姿が消えました。
ぱちぱちと再び瞬きをしても、消えた少年たちが出てくる気配はありません。
「あれ……?」
「どうしたんだい?」
リリーの身長一人分先で立ち止まったアシュレイが、声をかけました。
「今、男の子と女の子がいたのだけど……消えてしまったわ……」
リリーの言葉に、アシュレイの眉間に刻まれていたしわが深くなります。
「それは確かなのかい?」
「ええ……」
リリーから、自信があるような、そうでないような曖昧な返事が出ます。
アシュレイは彼女の反応を無下に切り捨てず、小さく頷きました。
「なるほど……この件と関係あることかもしれないね。…………また何か異変があれば教えてくれ」
「わかったわ」
リリーが大きく頷いて返したのを確認して、アシュレイは再び歩き出しました。
大通りにもかかわらず、二人以外は誰も歩いていない寂しい道です。しばらくして、件の貴族の屋敷にたどり着きました。
村の中でも比較的大きな広場だったそこは、今は洋館造りの建物が一棟と馬を繋ぐ用に設けられた小屋が二棟。前庭には芝生が敷き詰められています。が、芝生も今は枯れに枯れ、土がむき出しになっている部分もありました。枯れた葉と土は、うっすらと雪を被っています。
建物にはどんよりとした重たい霧に包まれ、悪意のある魔力が色濃く漂っています。
錆び付いた鉄作りの門を開け、屋敷に続く石畳の道を進んでいくと、屋敷の影から男の声がしました。
「旦那様の……客人ですか……?」
二人は正面扉の手前で立ち止まり、声の方へ視線を向けました。
ふらりとした足取りで屋敷の影から出てきたのは、背は高いものの痩せ細った男でした。
年齢はアシュレイと同じくらいでしょうか。目のまわりは、痩せているせいか落ち窪み、涙袋の下には濃い隈ができています。茶色の髪は肩の辺りで切り揃えてありますがぼさぼさで、着ているシャツやズボンもしわが寄っていました。履いている靴には、爪先に穴が空いています。唯一高価な物に見えるのは、首から下げている黒い石です。黒々としたそれは、光がなくてもきらきらと輝いて、男の胸で自身の存在を主張しています。
男の発言から、貴族の屋敷で働く使用人だなと、リリーは気づきました。この国の使用人は、屋敷の主を「旦那様」か「ご主人様」と呼ぶことが多いのです。主人の名前を表に出すことは滅多にありません。名前を出せば、その貴族がどの程度の実力者で、権力を持っているのかどうかわかってしまうからです。
この使用人は、貴族の使用人にしては姿がとてもみすぼらしいです。多くの貴族は、自分の立場と権力を見せつけるように、使用人にも仕立ての良い衣服を着させているのに。
使用人の衣服も用意できないほど、貴族は困窮しているのでしょうか。それとも、この村全体で貧困化が進んでいる証しなのでしょうか。
リリーが男の姿を観察している間に、アシュレイが口を開きました。
日中の殆どの時間を馬車で過ごし、日没間際になってようやくニュンフェの村に辿り着きました。
そこで広がっていたものを目にして、リリーは絶句しました。
日没の時間とはいえ、村の中は真夜中に似た闇で包まれていて、空気を吸い込めば肺に鉛がたまるような重さを覚えました。
分厚い冬物のコートに袖を通しながら、アシュレイがリリーの横に立ち、村の様子を視界に入れるなり険しい表情を見せます。
「想像以上だな」
「酷い……黒く染まった魔力がこんなに充満して……」
これが、貴族を襲う呪いなのか。
リリーは魔力を吸い込まないように、コートの袖口で口を覆いました。
ただの魔力ならまだしも、悪意が込められたものだ。こんな物を十年も放置されていたのかと、リリーは信じられない気持ちでいっぱいでした。
「こんな状態で、村の人は大丈夫なの……?」
「魔法使いや魔女でないものにこの魔力は見えない。けど、見えなくても感じ取りやすい者は体調を崩してるだろうね」
首に巻いていたマフラーで口を覆いながら、アシュレイは言いました。
「行くよ、リリー。調べたいことはたくさんあるだろうけど、まずは貴族の屋敷に行かなくちゃ」
薄く積もった雪の上にアシュレイが一歩踏み出し、リリーも彼に続いて踏み出しました。
暗闇に包まれた中なので、裸眼では村の状況を詳しく見ることはできません。
アシュレイとリリーは目に魔法をかけて、夜の中でも昼間と同じように見える魔法をかけました。
魔法をかけたことにより、ようやく見えたニュンフェの村は、三角に尖った屋根が道沿いに並び建ち、小路と大きな通りが交差する作りになっていました。灯りがついている家は少なく、窓に板が嵌められた住宅もあれば、割れたまま放置されている住宅もありました。
生気を感じられない村だなと思いながら、リリーはアシュレイと村の中央にある大きな通りを歩きます。
この通り沿いに、ノース広場……件の貴族の屋敷があるそうです。
村の漂う魔力以外に異変はないかと目を配っていると、右手にある小路の方から視線を感じました。
野菜直売所の古びた建物と、リサイクル品を扱うお店の間にある小路です。
リサイクル店の壁際に置かれた古い箒の影から、十歳ほどの少年とその少年よりもさらに歳が下であろう少女が、リリーたちをじぃっと見つめていました。
顔に表情は無く、目にも光がありません。
リリーは立ち止まり、少年たちをじっくり見ていると、一度瞬きをした間に姿が消えました。
ぱちぱちと再び瞬きをしても、消えた少年たちが出てくる気配はありません。
「あれ……?」
「どうしたんだい?」
リリーの身長一人分先で立ち止まったアシュレイが、声をかけました。
「今、男の子と女の子がいたのだけど……消えてしまったわ……」
リリーの言葉に、アシュレイの眉間に刻まれていたしわが深くなります。
「それは確かなのかい?」
「ええ……」
リリーから、自信があるような、そうでないような曖昧な返事が出ます。
アシュレイは彼女の反応を無下に切り捨てず、小さく頷きました。
「なるほど……この件と関係あることかもしれないね。…………また何か異変があれば教えてくれ」
「わかったわ」
リリーが大きく頷いて返したのを確認して、アシュレイは再び歩き出しました。
大通りにもかかわらず、二人以外は誰も歩いていない寂しい道です。しばらくして、件の貴族の屋敷にたどり着きました。
村の中でも比較的大きな広場だったそこは、今は洋館造りの建物が一棟と馬を繋ぐ用に設けられた小屋が二棟。前庭には芝生が敷き詰められています。が、芝生も今は枯れに枯れ、土がむき出しになっている部分もありました。枯れた葉と土は、うっすらと雪を被っています。
建物にはどんよりとした重たい霧に包まれ、悪意のある魔力が色濃く漂っています。
錆び付いた鉄作りの門を開け、屋敷に続く石畳の道を進んでいくと、屋敷の影から男の声がしました。
「旦那様の……客人ですか……?」
二人は正面扉の手前で立ち止まり、声の方へ視線を向けました。
ふらりとした足取りで屋敷の影から出てきたのは、背は高いものの痩せ細った男でした。
年齢はアシュレイと同じくらいでしょうか。目のまわりは、痩せているせいか落ち窪み、涙袋の下には濃い隈ができています。茶色の髪は肩の辺りで切り揃えてありますがぼさぼさで、着ているシャツやズボンもしわが寄っていました。履いている靴には、爪先に穴が空いています。唯一高価な物に見えるのは、首から下げている黒い石です。黒々としたそれは、光がなくてもきらきらと輝いて、男の胸で自身の存在を主張しています。
男の発言から、貴族の屋敷で働く使用人だなと、リリーは気づきました。この国の使用人は、屋敷の主を「旦那様」か「ご主人様」と呼ぶことが多いのです。主人の名前を表に出すことは滅多にありません。名前を出せば、その貴族がどの程度の実力者で、権力を持っているのかどうかわかってしまうからです。
この使用人は、貴族の使用人にしては姿がとてもみすぼらしいです。多くの貴族は、自分の立場と権力を見せつけるように、使用人にも仕立ての良い衣服を着させているのに。
使用人の衣服も用意できないほど、貴族は困窮しているのでしょうか。それとも、この村全体で貧困化が進んでいる証しなのでしょうか。
リリーが男の姿を観察している間に、アシュレイが口を開きました。