桜の下には



 日は完全に沈み、空の色も闇色になり星が瞬く。
 家の方には、友達と外で食事すると伝えておき、神也は鈴那と「俺も俺も」とついて来た白真と共に、あの桜の下にやって来た。
 教師ももう帰ったのだろう。校舎に灯りは点いていない。
 今この学校に居るのは、恐らく自分達だけだ。
 犯人の教師が、気付いてなければ。
 倉庫近くにある電灯の光を頼りに、神也達は桜の下の地面を調べる。
 立っていると気付かないが、座って地面に触れて見ると、虫が肌を這うようなぞわぞわとした気持ち悪さが襲って来た。
 ずっと地面に触っていると気が狂いそうになり、地面から手を離す。
 鈴那も同じものを感じたのか、不愉快そうに顔を歪め、地面に触れていた指を、服に擦りつけていた。

「大丈夫か?」

「気持ち悪いわ」

 そんなやり取りをする傍らで、白真は地面の臭いを嗅ぐ。
 土独特の臭いが鼻を突き刺すが、その中に僅かながら土ではない物の臭いもする。
 生徒が埋めた大切な物の臭いだろうか。
 試しに掘ってみようかと思った時、聴こえた足音に耳がピクリと反応し、この場に居なかった者の臭いが濃くなる。
 お出ましのようだ。
 神也と鈴那も気付いたらしく、腰を上げてお出ましになった人物を見据える。
 白真は神也の肩に飛び乗り、ニンマリと笑って人物を迎えた。

「ようよう久しぶりだなー、七不思議おばさん。今度はどんな七不思議を流すんだー?」

 『おばさん』という単語に、お出ましになった人物……玉城美鈴の眉が吊り上がる。
 本当は白真を捕まえ、皮を剥ぎ取って、八つ裂きにしたいのだろうが、神也と鈴那を前にしても人間の振りを続けるようで、白真を無視して口を開いた。

「またあなた達なの……!最終下校時刻はとっくに過ぎてます!今すぐ帰りなさい!」

「お言葉ですが、玉城先生。今日はそういう訳にはいかないんです」

 玉城から視線を逸らさずに、鈴那は言う。
 玉城の表情が怒りから、気分を害された表情に変わる。
 それを気にせずに、鈴那は鞄からある紙を取り出し、玉城に突き付けた。

「冥府からの逮捕状です、先生。私に、あなたを逮捕しろと言う命令が出されました。今すぐ、生徒に掛けた呪いを解き、大人しくお縄について下さい」

 玉城は、鈴那の掲げた紙面と彼女の顔を交互に見る。

「あなたのしている事は、冥府の法律違反。逆らうのなら、あなたの手足をへし折ってでも、向こうに連れて行きます」

 鈴那の話を、玉城は黙って聞いていたが、聞き終わるとクスリと笑みを零し、腹を抱えてケラケラと笑い始める。
 事件が明るみとなり、自暴自棄になって襲いかかって来るとばかり思っていた鈴那は驚く。
 話を聞いていた神也と白真も、ついにイカれたかと、顔を見合わせる。
 一頻り笑った玉城は、「あーあ」と残念そうに呟いて、乱れた髪を掻き上げた。

「せっかく、良い狩り場を見つけたのに、もうバレちゃったのか……。それも、半人前の若い死神に気付かれちゃうなんて、私もまだまだだなあ……なんてねっ!言うと思ったっ!?」

 彼女の体から神気が一気に放たれ、爆風となって二人と白真を襲う。
 二人は反射的に腕を上げ、爆風に混じる砂を遮り、目を守る。
 爆風が収まり、腕を下ろして玉城を見ると、長い黒髪が蛇のようにうねり、目が紫色に変わっている。
 玉城はケタケタと笑いながら、二人を見た。

「狩鬼も堕ちたものだ!私を捕まえる為に、人間と連む小娘を寄越すなんてね!私が素直に同行するタイプに見えたかい?お嬢ちゃん。それとも、その人間の魂をやるから、ついて来いとでも言うつもりだったのかい?一人じゃ足りないねえ。全校生徒分は持って来ないと!」

 神也に視線を向けて、玉城はケタケタと笑う。
 舐め回すような玉城の視線を受けて、神也の背筋に寒気が走った。

「さ……差し出すわけないでしょ!」

 言うと同時に、鈴那も死神の力を解放し、武器の大鎌を取り出し構える。
 臨戦態勢の彼女に、残念そうな表情を玉城は浮かべる。
 随分と強気なお嬢ちゃんだ。

「その強気が、ずっと続けばいいのにね!」

 クスクスと笑い、パチンと指を鳴らす。
 二人の背後にある桜の下の地面が、ぼこりと盛り上がる。
 音に気付き、二人がそちらを振り返ると、盛り上がった場所から黒く長い髪が躍り出た。
 被害者の体に巻き付き、寿命を減らしている髪と同様の物だと、鈴那は気付く。
 髪は蛇のように動きながら、素早い動きで二人に向かう。
 鈴那が気付いた時には、神也の体に髪が巻き付き、桜に引き寄せると、幹に縛り付けた。
 髪が神也に巻き付く寸前で、彼により肩から払い落とされた白真は、地面にひらりと着地して、神也の名を呼んだ。

「神也!」

「く……っ!」

 神也に巻き付く髪を切ろうと、鈴那は駆け出そうとする。
 が、玉城の大鎌が宙から現れ、神也の首に刃が向けられた。

「動くんじゃないよ、半人前。動いたら、男の首を斬るからねえ。また、お前と関わった男が死んじゃうよー?」

 玉城に言われ、鈴那はびくりと肩を震わせる。
 記憶に思い浮かぶのは、自分の狙った死神に寿命を吸われ、亡くなった大切な人達。
 彼らは鈴那を愛し愛されたから、鈴那を求める死神に殺された。
 その死神は、神也と白真によって倒され、冥府に戻されたが、今回は別の死神によって、殺されかけてる。
 自分が、『桜の呪い』を取り除きに行くと言ったから、彼は心配して来てくれたのだ。
 言わなければ、彼は此処に来なかったはずなのに。
 また……私のせいなの……?
 がくがくと体が震え、全身から冷や汗が流れ、彼女の顔色から血の気が引く。
 自分が動けば、彼が死ぬ。
 が、動かなければ、呪いは取り除けない。
 どうしよう……どうすればいいの……?
 ねえ……神様……っ!

「しっかりしろ!鈴那!」

 白狐の怒声が、鈴那の耳に入る。
 声の方を見ると、白真が神気を出し、真っ直ぐな目を鈴那に向けていた。

「夏に神也にも言ったんだ!『オイラがいる限り、神也も鈴那も幸せだ!』ってな!」

 恐怖に揺れ動いていた紫色の瞳が、白真を捉える。

「だから大丈夫だ!動け!」

 彼に叱咤され、鈴那は大鎌を握り直し、頷く。
 どうしてか。
 白真が大丈夫と言うと、全部大丈夫な気がする。
 この前は彼らに助けられたけど、今度は自分が助ける番だ。

「大丈夫、きっと大丈夫よ。だから動きなさい、鈴那!」

 大切な人を亡くすという恐怖を捨て、白真に背を押され、鈴那は大鎌を握り締め、桜に向かって走り出す。

「このガキ……っ!」

 二人揃って、死んでしまえばいい!

 玉城の表情が鬼の形相に変わる。
 鈴那が桜に着く前に神也の鎌を振り落とす為、指を鳴らそうとするが、銀色の神気を纏った白真が玉城に体当たりをし、玉城は地面に背中から倒れ、タイミングを逃す。
 その間に、鈴那は大鎌で玉城の鎌を払い、神也と桜に巻き付いている髪を叩き斬った。
 髪から解放され、神也は前のめりに倒れるが、鈴那が支える。

「大丈夫!」

「平気だよ。ありがと、助かった」

 ニッと笑って、神也は言う。
 同年代の男の子に真正面からお礼を言われた事がない鈴那は、照れを隠すように彼から顔を逸らし、「別に」と素っ気なく返した。

「呪いの原因は、地面に埋まっている髪よ。掘り起こすの手伝って!」

「了解!」

「クソッ!どけッ!この獣めッ!どきやがれッ!」

 自分の胸に乗って肩に噛みつき、離れようとしない白真を剥がそうと、玉城はバタバタと手足を動かして暴れる。
 子狐など、普段ならどうってことないのだが、この狐の力なのか、時間が経つにつれて石像のように重くなり、息苦しくなる。
 そんな彼女を見ながら、白真は肩から口を離し、言葉を発した。

「お前の敗因を教えてやろう。一つはオイラが居たこと。もう一つは……神也と鈴那が居るこの学校を選んだことだ!」

 白真が言い終えると同時に、神也と鈴那が地面に埋められている髪の束を見つけ、地面から取り出し、鈴那が鎌で二つに切る。
 髪の束に集められていた被害者の寿命が流星のように流れ出し、元の場所へ戻ると、髪の束は空気に溶けて消えた。




 彼女の部屋で漫画本を読んでいた拓は、何かが動く気配を感じて、彼女の方に視線を移す。
 視界に入って来たのは、身じろぎをして寝返りをうつ彼女の姿だった。
 長い眠りから覚めた彼女は、ぼーっとしながら拓を見つめる。
 目の前に居る男性が恋人だと気づき、彼の名前を呼んだ。

「…………!」

 漫画本を投げ捨て、拓は彼女に駆け寄り、強く抱き締める。
 抱き締めながら何度も「ごめん」と謝罪の言葉を繰り返した。

「…………拓君、不思議な夢を見たよ」

 桜の下に、真っ白な毛並みを持った喋る子狐と二人の神様が居てね、笑いあってるの。
 とても幸せそうに、笑いあってるの。
 見ているこっちも暖かい気持ちになってね、一緒に笑いたくなるの。
 拓君にも、見せてあげたかったなあ。

 腕の中で、夢の出来事を話す彼女に、拓は何度も頷いた。




 現世から冥府へと送られてきた死肉噛みのなれの果てを、閻魔王太子こと狩鬼篁(たかむら)は、凍てついた目をして地獄の入り口から見下ろしていた。
 顔に巻いたさらしから覗く瞳は、血で染めたような赤だ。
 獄卒に連行される女は、蛇のように伸びた髪を振り乱しながら、獄卒たちに抵抗する。
 罵詈雑言を浴びさせ、時に犬歯の伸びた歯で噛みつこうとしたり、手足を振り回そうとする。
 その度に、金棒を持った獄卒が女を殴るのだが、女の抵抗は続いた。

「耳障りだな」

 女の声が、鼓膜を必要以上に刺激して非常に不愉快だ。
 屋根から獄卒と女の前に飛び下り、姿を現す。
 腰にある銀色の退魔の剣が、篝火に照らされて妖しく輝いた。
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