狐と死神の恋愛事情
◇ ◇ ◇
『ばあさんはなー、とても強くて、美しくて、負けず嫌いな奴でな。でも、寂しがりやな部分もあって。だから、どんなに強い女でも弱さがあるから、守ってあげるんだよ』
幼い頃、祖母の事を聞いたとき、祖父は寂しそうな笑みを浮かべながら、そう言った。
◇ ◇ ◇
林の奥に、狐の鎮座する社が有ることから、狐の林と言うのだそうだ。
林の中を自転車で走りながら、白狐から聞いた。
奥に着いて見れば、確かに狐の石像と、今にも壊れそうな祠が建っている。
狐の神も居るかと思えば、居たのは狐ではなく死神。
男の死神が、倒れている鈴那を蹴り飛ばし、彼女はサイコロのようにコロコロと転がる。
見てられなかった。
口よりも先に体が動き、自転車をその辺に乗り捨て、二人の間に割って入る。
両手を広げ、彼女を庇うように立った。
相手は死神、自分は人間。
力の差は歴然。
彼女の顔は血だらけだ。男に抵抗したのだろう。女の子が頑張ったのに、男が立ち向かわないでどうする。
女を守るのが男だと、祖父に教わった。
負けると分かっていても、退こうとしない自分が居たことに、心底驚いた。
「誰だ」
死神が問う。
神也も男を睨みながら、力強く返した。
「その言葉、そのまま返させてもらう」
二人の間に火花が散る。
分が悪いと理解していながら、退こうともせず、真っ直ぐ死神を睨みつける少年。
度胸があるのか、それとも退くに退けなくなったのか。
嘲笑しながら、男は口を開いた。
「小僧め。そこを退け、そいつは俺の許嫁だ。退かなければ、そいつが好きになった男三人のように、寿命を奪って殺すぞ」
「先輩を殺したのは、あんただって言うのか」
「そうだ。……目を覚まさせるためにな」
死神は、本来人間の寿命を魂を奪う者。
迎える者ではない。
死神が、本来どういう存在で、現在どのような仕事を閻魔大王から任されているのか、神也はここに来る途中までに白真から聞いていた。
口角をあげて語る男に、神也は言葉を詰まらせながらも、口を開く。
「じゅ、寿命を奪っていたのは過去の話だろう……!」
「過去の話だから……なんだ?閻魔大王の支配下にいるからなんだ。お前もそいつが好きな輩か?もしそうなら、寿命を奪ってやろう」
「それは、無理な話だ!」
二人の会話に、祠の屋根から白真が口を挟む。
見下すように、白真は言った。
「お前に神也の寿命を奪う事は出来ない。よく神也を見ろ、そこの少女は直ぐ分かったぞ」
白真に言われ、男は神也に視線を移す。
「なんつって!」
一瞬の隙をつき、白真が男に体当たりをした。
今度は男がコロコロと転がり、池の縁で止まった。
神気を放ちながら、白真は男を威嚇し、神也達の前に降り立つ。
鈴那と対峙した時以上の神気。
彼の毛が銀色に輝き、神気で逆立つ。
牙を剥き出しにし、足の爪が伸びた。
「白真!」
「鈴那を連れて、石像の影に隠れてろ!」
そう言って、白真は男に向かって駆け出す。
神気の渦が、バチバチと火花を散らし、雷となって白真の身を包む。
その状態で男に突っ込み、鋭い牙を肩に食い込ませた。
「こ……っの狐ええええっ!」
死神からも黒い神気が放たれ、白真の神気とぶつかり合う。
爆風が吹き荒れ、池の水面に波を作り出す。
暴れ狂う風は、石像の影にいる神也と鈴那を襲った。
白真の見せる神気に、神也は腕で風を遮りながら、目を見張る。
神だと豪語していただけあって、男の神気を凌駕している。
が、男も負けていない。
どこからか鎌を取り出し、噛み付く白真に向ける。
気付いているのかいないのか、白真は退こうとしなかった。
石像に手をかけ、思わず顔を出す。
その時、石像に刻まれた文字に指が触れた。
見ればそれは、名前だった。
刻まれた名は『葛葉』とある。
祖母の名前と同じものだ。
「これは……」
刹那。
どくんと、鼓動が一瞬大きくなると同時に、体の内側が熱くなった。
どくどくと、血が管を駆ける。
頭の内側から、金槌で骨を打つような音が響く。
心の臓を掴むように胸元を握り、駆ける血を落ち着かせる為に深く息を吐き出していると、遠くから狐の鳴き声がする。
白真に視線を移すと、白い体に鎌が刺さり、真っ赤な血が流れ出していた。
鎌が抜かれ、血が更に噴き出す。
狐の尾を掴んだ男は、神也の方へと放り投げた。
頭よりも先に体が動く。
石像から飛び出し、狐を体で受け止める。
着ていた制服や手、己の顔に血が付き、真っ赤に染めた。
「白真!」
「死ねッ!」
血が滴り落ちる鎌を振り上げて男は言う。
神也は近くにあった石を男に蹴りつけ、男が怯んだうちに石像の影に戻った。
白真の口から、空気が漏れ出る音がする。
自慢の白い毛並みは、赤い液体でべったりとしていた。
着ていたシャツを脱ぎ、白真の体に巻いて止血をする。
下に着ていたタンクトップにも血が染みていて、肌に纏わりついた。
気持ち悪かったが、今はそんな事を言っている場合ではない。
この場で唯一動けるのは自分だけなのだ。
なんとかして男を足止めし、ここから逃げなければならない。
こっそりと、男の様子を窺う。
蹴った石は目に当たったのか、男は目を押さえて呻いていた。
ふと、神也は疑問に思う。
何故男は、石像に近付かないのか。
こちらはこんなにも隙だらけで、無防備なのに。
「何でだ……」
「しん……や……」
白真が目を覚まし、神也を呼ぶ。
血は止まっていない。
喋るのもしんどいくせに、へらりと白い狐は笑ってみせる。
目で「喋るな」と訴えたが、知って知らずか、白真は言葉を続けた。
「なあ……。お前の家族にさあ……。葛葉(クズハ)って名前の人、いるだろう……?」
「だからなんだ。今は、関係ないだろう」
その言葉を聞き、白真は破願した。
ああ、やっぱりそうか。
懐かしい顔立ちが、脳裏を過ぎ去る。
五十年も前の事なのに、まるで昨日の事のように思い出せる。
“葛葉さま”
“この少年が、あなたの遺した者なのですね”
身体が悲鳴を上げている。
痛い痛いと、転げ回って泣いてやりたい。
なのに出会えた事が嬉しくて、笑ってしまう。
ふらふらとしながら、白真は足に力を入れ起き上がる。
立ったのは、伝えたい事があるから。
伝えなければ。
この少年に。
目の前で、不思議なものを見る目で白い狐を見下ろす、あの人の遺した者に。
「白真……?」
鬼気迫る白真の様子に、神也は狼狽える。
白真は気にせず、真っ直ぐな視線を彼に向けて、しっかりとした声音で告げた。
「よく、聞くがいい。この場所は、この祠は、葛葉様が育ち、崇め奉られた祠。三千年生きる空狐様の、神通力が宿る場所……!神也、お前は、その空狐様の孫だ!」
神也は目を丸くする。
「神の神気を目の当たりにしても平然としているのが、何よりの証拠」
白真は神也の右膝に、左足を置く。
そして、痛みを堪えながら、言葉を続けた。
「お前は、家族の中で一番葛葉様の血を継いでいる。この場所が、お前に力を与えてくれる。奴がここに近付けないのは、空狐の力が邪魔をしているからだ」
さあ願え、祖母に。
願えば、力を貸してくれる。
風を読め、空気の流れを感じろ。
葛葉は、天気を自在に操る。
「幸い、冥府の扉は池に開いたままだ。オイラの言うとおりにすれば、あいつを追い返せる。信じろオイラを」
神の力の源は、人間の強い思いだから。
「信じれば信じる程、神は力を増すんだ!」
オイラは白真、白狐の白真!
幸運をもたらす、狐の神だ!
地面に靴が擦れる音がし、目を押さえていた男は顔を上げる。
石像の影から、少年が出る。
狐の血を服に滲ませた少年。
その後方に、先程鎌を刺した狐が立っていた。
祠の方から風が吹き始め、草木や池の水面を揺らす。
先程と、様子が違う。
やり合う決心をしたか。
男は気味の悪い笑みを浮かべ、鎌の刃をペロリと舐めた。
風が変わった事に、白真は気付く。
風に葛葉の神通力が紛れているのが分かった。
「葛葉様」
この光景が見えているのならお願いです。
どうか、神也を助けて下さい。
力を貸してあげて下さい。
オイラも手伝うから。
頑張るから。
怪我をしてても、守ってみせるから。
あなたから譲り受けたこの土地と、あなたの遺した者を。
「行くぞ、神也!」
「おう!」
地面に落ちていた頑丈そうな木の枝を拾い、男に向かって神也は駆け出す。
男も鎌を構え、神也を待ち構えた。
近付いて来た所で、鎌を振り下ろす。
が、躱された。
「何!」
「体育で剣道習っといて良かったぜ!」
言い終わらないうちに、相手の腕を叩く。
鎌が手からこぼれ、それを池に蹴り飛ばした。
獲物を失った死神の腰を掴み、敵の後方にある池へと推し進める。
「そろそろ終わりだ」
祠から吹く風に白真が出す神気が混ざり、神也と男を池へと後押しする。
神也にとっては追い風だ。
風に乗って、徐々に池へと近付く。
男も押されてばかりじゃない。
体勢を崩しながらも、神也の鳩尾を足で蹴る。
動きが鈍った所で、今度は頭に。
唇を噛み締めながら、
人間が死神に勝つのは無理か。
力の差が広すぎる。
人間では。
『お前は、空狐様の孫だ!』
ふと、白真の言葉を思い出す。
祖母は三千年生きる空狐なのだと。
信じられないが、神が言うのだから本当なのだろう。
空狐なら、死神に勝てるだろうか。
狐の神白真を、祖母を信じてみよう。
男の足が視界に入る。
身を転がしてそれを避け、間合いを取り、震える足に力を入れながら立ち上がった。
「勝てないと知りながら、何故何度も立ち上がる。あの娘を渡せば、楽になれるのに」
石像の影で眠っている鈴那に一度視線を向ける。
その質問は愚問だ。
ニヤリと笑みを浮かべながら、答えた。
「大切な女を守るのが、男の仕事だ」
神也の言葉に合わせるように、風が一層強くなる。
この風は、祠から鳥居に向かって吹いてる風。
祖母の神通力が宿っている場所の風。
自分の中に祖母の血が流れているのなら、この風を操る事が出来るのではないか。
「試しに、やって見るか」
一か八か、やって見ようと決意した。
どうなるか分からない。
とりあえず、コイツを池に落とせれば、何でも良い。
男を突き放し、息つく間もなく両手を彼に向ける。
そして、会った事もない祖母を思った。
さあ願え、祖母に。
願えば力を貸してくれる。
「あなたが本当に空狐なら、俺の願いを聞いてくれ。俺の願いはただ一つ…………この男を倒したい!」
願いを言った直後。
狐の石像が銀色に光り出し、風が更に強くなる。
台風の暴風域と同じか、それ以上の風。
向かい風なら、目も開けていられない。飛ばされないように、足に力を入れる。
男は顔の前で腕を交差させ、風を遮る。
風が強すぎて、迂闊に動けば池に落とされる。
「狐どもめ……っ!」
白真も風に堪えながら、力を貸していた。
光っている石像を横目で見る。
あれにも、葛葉の神通力が宿っているのか。
男はまだ諦めていない。
もう一押し。
「力を、力を貸してあげて!葛葉様ー!」
白真が、天に向かってそう叫ぶ。
雷雲など無いはずなのに、雷鳴が轟き、銀色の稲妻が男の体に落ちた。
体が痺れ、力が抜ける。
死神が動きを止めたところで間合いを詰め、神也が男の腹を強く蹴りあげる。
風に押され、男は池に背中から落ち、冥府へと戻って行った。
風が止み、祠の辺りに静けさが戻る。
男はいない、池に開いた冥府の扉も閉ざされた。
ほっと息を吐いた神也も、頭から地面に倒れたのだった。