鎌を携えし者


 ◆  ◆  ◆


「神谷君が迷惑かけちゃったみたいで、ごめんなさい」

 神社の中にある池の畔で事情を聞き、鈴那は二人に頭を下げる。
 まさか自分の留守中にそんな事になっていたとは。
 しょんぼりと肩を落とす鈴那に、神也は「気にしてないよ」と笑いかけた。

「鈴那も大変だなー。次から次へと婚約者が現れて」

 わしゃわしゃと、耳の下を掻きながら白真が口を開く。
 自分も困っているのだと、鈴那は嘆息した。

「父様が次から次へと候補を決めだして。私はいらないって言ってるのに」

 鈴那も子供ではないのだ。結婚相手の男ぐらい、自分で決められるし見つけられる。
 そもそも、婚約者の男たちは出世に目が眩んだ人たちばかりだから、なおのこと一緒にはなりたくなかった。

「あの神谷って男も出世欲があるのか?」

「そうね。昔から仕事の事ばかりよ」

 神谷の仕事振りを思い出し、鈴那は再び息を深く吐き出した。
 仕事熱心なのはいいのだ。疎かにしている者よりは。
 ただ神谷の場合、二つ三つと仕事が重なると、どれかを後回しにする癖がある。最後はちゃんと終わらせてくれるが、寿命を終えた魂の回収は時間との勝負な為、それは由々しきことだ。後になればなるほど、魂は生前の記憶に縛られ、未練たっぷりとなり、あの世に逝くのを拒む。

「前に、本城先輩の事件があったでしょう」

「ああ、あったなー」

 白真が頷く。
 真新しい出来事だったので、神也も白真もよく覚えている。
 本城とは、初日の出の帰りに事故に逢って亡くなった、神也たちが通う高校の先輩の事だ。事故に逢う直前、付き合っていた彼女が自分の見知らぬ男性と車に乗っているのを見かけ、気になって成仏出来ず、彼女の側にいたのである。
 その先輩と神谷にどういう関係があるのか。
 黙っていた神也が口を開いた。

「その先輩と神谷がどうかしたのか?」

「先輩の担当、神谷君なのよ」

「そういえば、先輩の事故があった日、他にも死亡事故があったって言ってたな」

「まさか、その担当……」

 疑問の答えに行き着いて、白真が渋面を見せる。
 鈴那は今日何度目かわからないため息を吐き出した。

「そう。神谷君よ」

 嫌な予感、再びである。




 鈴那から彼の話を聞き、三人は神谷が指定した稲荷公園へと足を運んだ。
 以前は簡素な作りの公園だったが、道の駅を園内に作る事業が決定し半分は工事中でトタン板の柵に覆われている。
 今日の工事は終わったらしく、園内は人がまばらだ。
 山茶花の木が左右に植えられた遊歩道を通り、公園の奥へと足を進める。
 鈴那が言うには、この奥にある林の中に子供がいるそうだ。
 神也の肩に乗り、白真はゆらゆらと尻尾を揺らす。

「その子供は何で死んだんだ?」

「お正月の事故に巻き込まれて、ご家族の方々と亡くなったの」

 神也の先を歩く鈴那が答える。
 比較的、子供の寿命は大人よりも長い。死亡の理由も、病気よりも事故の方が多いと、死神界では言われている。
 突発的に亡くなるのが、子供の死の特徴だった。

「今年も事故死が多そうだなぁ」

「そうねえ。私の担当地区だけでも、五人亡くなってるし」

 まだ梅雨の時期だが、例年にない早さである。
 林の入り口まで来た所で、鈴那は足を止めた。

「ほら、あそこに居るのが例の子よ」

 林の中を、鈴那は指差した。
 小学校低学年位の男の子だろうか。
 季節外れのニット帽を被り、枝を片手に林の中をうろうろとしながら、何かの名前を呼んでいる。

「おーい、ぽんたー。ぽんたやーい」

 少年が名前を呼んでも、名前の主が現れる気配はない。
 鈴那の耳に口を寄せて、神也は質問した。

「あの子、何を呼んでるんだ?」

「犬よ、犬」

 親に内緒で飼ってたトイプードルのぽんた君。
 この林の中に捨てられていた所を彼が発見し、内緒で世話をしていたのだ。
 捨てられていたと聞いて、白真は顔を顰める。
 捨てる飼い主もいれば、死んでからも心配する飼い主もいる。
 内緒で飼っていた事も褒められる事ではないが、途中で責任を投げ出すよりはましか。前の飼い主に、彼の垢を煎じて飲ませてやりたい。
 まあ、あの世に逝ったら捨てた飼い主は、裁判官たちにこっぴどく叱られるだろうが。

「健気な子だなあ。よし、いっちょオイラも手伝ってやろう」

 ひらりと、神也の肩から飛び降りて、地面をくんくんと嗅ぐ。
 臭いを嗅ぎながら、その場を離れていく白真に、神也が注意の言葉を投げた。

「あんまり、遠くに行くなよ」

「おーう」

 気分は警察犬な狐に、神也は若干の不安を覚えつつも、別れて行動する事を了とした。
 神也の声と人の気配に気づき、少年が彼らを見やる。
 二人のうち片方が鈴那だとわかると、ぱあっと表情を明るい物に変えた。

「死神のお姉ちゃん!」

 地面にたまった落ち葉を蹴り散らしながら、二人に駆け寄る。
 少年と目線を合わせるように、鈴那は膝を折った。

「こんにちは、真君。どう?ぽんた見つかった?」

 真(まこと)と呼ばれた少年は、降参の格好をとって首を横に振った。

「ぜーんぜん。1月からずっと探してるのに、ちっとも見つからないんだ。ところで……」

 ちらりと、真は神也に視線を向ける。

「このお兄さん誰?死神?」

「いや、俺は、」

「わかった!お姉ちゃんの彼氏だね!」

 神也の言葉を遮って出たその台詞に、二人はきょとんと一瞬時を止める。
 先に我に帰ったのは、鈴那だった。

「なっ!ち、違うわよ!失礼でしょっ!」

 顔を真っ赤にして否定する鈴那に、真は疑いの目を向けた。

「えー。男女の友情は存在しないって、いとこの姉ちゃんが言ってたよ」

「いとこの姉ちゃんが世界の全てじゃないの!」

 先ほどから、全力で恋人説を否定する彼女に神也は苦笑いを浮かべながらも、一抹の寂しさを抱く。
 俺が彼氏だと嫌なのかなぁ。
 まあ、とにもかくにも、今は真の犬である。
 一月からずっと探してもいないという事は、心ある誰かに拾われたか。
 トイプードルは人気品種だ。その可能性は十分にある。
 あとは、保健所に連れて行かれたか。もしくは……。
 最悪の事態に辿り着き、神也はそれを掻き消すように頭を振った。
 色々と考えを巡らせながら、二人の周囲を散策する。
 その時、落ち葉の中にあった堅いものに、爪先が触れた。
 なんだろうか。
 触れた場所の落ち葉を足で払う。
 葉に紛れていたのは、土で薄汚れた石だった。
 見た目はどこにでも落ちているそれと同じである。
 いつもなら素通りしてしまうその石に、今日は何故か惹かれた。
 手を伸ばして、石を拾い上げる。
 角張った石だ。とても鋭い。
 土を指で拭うと、見覚えのある名前が表れた。

「葛葉」

 口に出してその名を読んだ時、胸の内側がどくりと音を立てて跳ねる。
 胸を鷲掴みにされる感覚に、神也は短い呻き声を口から吐き出した。
 時同じくして、白い狐も何かを発見した。




 地面に残された犬の臭いを追っていた白真は、鉄の臭いに気付き足を止める。

「犬の血……?」

 血の臭いがする辺りを掘り返す。
 葉の中から出てきたのは、真新しい動物の骨だった。
 見たところ、四つ足の動物。骨格からして、小型の犬か。

「むむ……」

 眉の間にしわを寄せる。
 これは、見つけてはいけない物を見つけてしまったかもしれない。
 もしもこの骨が、真の探しているぽんただったら……。

「ぽんたの魂はどこに……?」

 首を傾げたその時、大きな陰が白真を包む。
 生暖かい風が林の中を吹き抜けた。




 風向きが変わった事に気付き、鈴那はハッと顔を上げる。
 時刻は逢魔が時。悪しきものと、出逢う時間。
 太陽の光が届かなくなった林は次第に闇に包まれ、人間の視界を妨げる。
 今日はもう帰らなければ。神也と真の身が危険だ。
 折っていた足を伸ばし、真の右手と自身の左手を繋ぐ。右手には、死神の大鎌を召還した。
 辺りの様子と鈴那の緊迫した雰囲気に、真も緊張の色を見せる。

「死神のお姉ちゃん……」

「大丈夫よ、私も居るし。神也君も……」

「居るから大丈夫だ」と続けようとした時、鈴那は首を傾けた。
 神也の姿が、視界に入らない。

「神也君……?」

「うわああああああ!」

 狐の甲高い声が、耳をつんざく。
 鈴那と真が声の方を見ると、必死の形相をした白真が、背後に何者かを連れて地面を蹴っていた。
 白真の背後にいるそれは、藍色の衣を纏い、フードを深く被って、死神と同じ大鎌を携えていた。違うのは、はためく衣の中身が骨ばかりで、犬歯が以上に尖っている所。

「鈴那、逃げろーー!」

 白真に言われ、鈴那は真を引きずるように駆け出す。
 白狐の背後にいるあれは、死神の天敵『死肉噛み』だ。
 文字通り、死肉を噛む妖。死肉だけでなく、魂も食べてしまう。
 死神たちが、早急に魂を回収理由は、死肉噛みから魂を守る為でもあるのだ。
 走りながら、鈴那は周囲を気にして神也を探す。

「一体、どこに……」

 徐々に距離を詰め、鈴那と横並びになった白真も、神也がいない事に気付いた。

「鈴那、神也は!」

「わからない。気付いたら、いなくなってたの」

「ったく、あのバカ孫ー!」

「本当に、半妖の分際でなにやってんだか」

 いつの間にか、鈴那の左手にいた太貴が、ため息混じりに呟く。
 鈴那と真は目を丸くし、白真は牙を剥いた。

「てっめぇ!どの面下げて出て来てんだぁ!」

「この面ですが、何か?」

 面倒くさそうに顔を顰め、下がってきた眼鏡を上げる。
 彼の動作の一つ一つが癪に触って、白真はキャンキャンと一人騒いだ。

「元を正せば、こいつが変な気を起こして勝負を持ち掛けるから……!」

「神谷君、神也君見なかった?」

 走りながら、鈴那は問う。
 太貴は首を傾げながら、答えた。

「さあ?僕が異変に気付いて来たときには、既に居ませんでしたよ。獣らしく、尻尾巻いて逃げたんじゃないんですか?」

「そんなはずない!……一人で帰るような性格じゃないもの……」

 神也は、自分たちを置いて帰る人じゃない。
 彼はいつだって、自分や白真の隣に居てくれた。
 危険を省みず、無理やり死神界へ連れ去られそうになった自分を助けに来てくれたし、仕事だって手伝ってくれた。
 置いて帰ってるわけない。ただちょっと遠くまで行ってしまって、目に入らないだけだ。
 頭の中ではそう理解しているのに、じわりじわりと不安が胸に広がる。
 何か、退っ引きならない事態に遭遇してたらどうしよう。
 走りながら表情を曇らせる鈴那の横顔を、太貴は忌々しげに見つめた。

「お姉ちゃんお姉ちゃん!」

 真が鈴那の手を強く引く。

「どうしたの?」

「この道、さっきも通ったよ!」

 少年の言葉を聞き、死神と白狐は瞠目する。
 言われて見れば、林の外に向かっているはずなのに、なかなか木々の間を抜けない。
 この林は広大ではない。5分も歩けば、外に出てしまう。
 いつまでも出られないこの林は、落ち葉を蹴散らしながら移動する自分たちを嘲笑っているようだ。
 舌打ちをして、太貴は後方を確認する。
 死肉噛みは一定の距離を保って、自分たちを追っている。
 体力が尽きるのを待っているみたいだ。狙いは、真だろうか。

「このままでは埒があかない」

 手にしていた鎌を握り直し、太貴は足を止め死肉噛みと対峙する。

「ダメよ、神谷君!死肉噛みは『鬼』だから、死『神』には倒せない!」

 鈴那が警告する。
 鬼は鬼でしか倒せない。神に連なる私たちには倒せない。
 出きることがあるとすれば、冥府の狩り鬼が来るまで逃げるか、封印するかのどちらか。

「ならば、封印するまでです!」

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