狐と死神の恋愛事情
お喋りな狐と出会った翌日。
いつも通り学校に登校し、今は昼休み。生徒たちは、それぞれのグループでお弁当を食べたり、一人で食べたりしている。
神也も友人二人と机を並べ、昼食にしていた。
男子の会話も他愛もないもので、今は女子のパンツの話をしている。
先程、友人二人が階段を上っていた時、ふと上を見たら、女子の下着が目に入ったらしい。その色が想像と違っていたらしく、二人とも顔が死んでいた。
「下着は夢が壊れるから、見るものじゃない」
「まさかのベージュ……」
二人の話を聞きながら、食べ終わった弁当箱を片付ける。
一息吐いてから、何となくベランダの方を見ると、昨日神社で出会った狐が、柵の上を歩いていた。
それだけではない。あろうことか、逆立ちをしたり、宙返りをしたり、落ちそうになる振りをしたり、道化師かと思うほどの動きをした。
唖然としながらベランダを見つめる神也に、友人の拓が気付く。
「どうしたんだ?」
「いや……、あれ」
神也の指さす方を、拓は見る。
その先にはベランダがあるだけで、他には何もない。
が、神也には狐が逆立ちをし、左前足一本で立つ姿が見えていた。
「何もないけど?」
「嘘だ。ベランダに狐がいるじゃないか。今、逆立ちしてる」
神也の言葉を聞き、拓は苦い笑いを顔に浮かべた。
「いないって。気のせいだよ、気のせい。お前、疲れてるんだよ」
「ベージュ……」
「おい勇翔、まだ言ってんのか?神也、次移動教室だから行こうぜ」
「あ、ああ」
渋々うなずきながら、神也はベランダを一瞥しつつ、友人と共に机を元に戻す。
教科書を机から取り出し、再度ベランダを見ると、何もいなかった。
気のせいか……。
拓の言う通り、疲れがたまって見えないものが見えてしまっているのかもしれない。
それとも、失恋の衝撃が胸から抜けきっておらず、不安定なのかもしれない。
失恋した事を思い出して、神也の胸に鉄の塊が複数落ちた気がした。
脳裏に焼き付いているのは、一つ年上の男と幸せそうに笑いながら並んで歩く、好きな女性の姿。
落ち着け、俺。深呼吸だ、俺。
地学の授業中も狐の事が気になり、失恋の衝撃も相まって身が入らないまま、今日の学校は終わった。
廊下を歩きながら、神也は物思いに耽る。
自分は見えるのに、どうして友人はあの狐が見えなかったのか。
あの神社には何度も足を運んでいるが、白い狐が見えた事は一度だってない。
なぜ急に、見えるようになったのか。
昨日は突っ込むのを止めたが、一番気になっていた事だ。
『オイラは白真、白狐の白真だ』
狐の神だと名乗った。
神なら、何故自分の前に姿を現した。
神様は、見えない所で見守ってるのが普通じゃないのか。
それとも、見える自分が異常なのか。
「いや、あいつが異常なんだ」
「何で、教えてくれなかったんですか!」
結論を出した矢先、自分の言葉と被さるように、女子生徒の声が廊下に響く。
誰もいない教室からだ。
聞き覚えのある声に、神也は身を固くした。
口から、胃そのものを吐き出しそうになる。
一つ二つと息を大きく吸い吐き出してから、教室を見る。
一人の女子生徒が学年が一つ上の生徒会長に詰め寄っている。
あの女子生徒は、神也が思いを寄せている生徒だ。
肩に付くか付かないか程の黒髪で、前髪は瞼辺りで切りそろえられている。目は少しつり上がり気味ではあるが真ん丸で、茶色混じりの瞳には困った表情を浮かべる会長が映っていた。
生徒の名は神崎鈴那(カンザキ スズナ)、会長の恋人。
男子生徒からも人気のある同級生。
それなのに、男共が寄り付かないのは、上記の理由から。
校内では有名な話なのに自分は知らず、好きになってしまった娘。
なんだか、聞いてはいけない話のようだ。
が、気になってしまい、足が踏み出せない。
その時だった。
「おうおう、何だ?痴話喧嘩かあー?」
足下から、かなり聞き覚えのある声がする。
恐る恐る下を見ると、あの白い狐がそこにいた。
狐は「修羅場だなー、大変だなー」と、他人事のように言い(まあ他人事なのだが)、行儀よくお座りをすると、首の後ろを後ろ足で器用に掻いた。
「まっあれだなー。あの男は不憫だなー。寿命が殆どないじゃないか。相当、取られたな」
「は……?」
何を言っているんだ、コイツは。
会長の寿命が殆どないだと?
取られた?
混乱する神也の脇で、白真は冷静な口調で言った。
「あの娘、死神だな」
◆ ◆ ◆
「ぐぇっ!」
狐の首根っこを掴んだ神也は、学校裏にある自転車置き場へと走って行く。
周りに誰もいない事を確認し、狐を地面へと落とした。
背中を打った白真は間抜けな声を出し、「背中折れた!」と意味の分からない事を抜かす。
それを一切無視して、神也は狐に詰め寄った。
「お前、神崎が死神ってどういう事だ!どう見ても、人間じゃないか!」
「オイラは神だぞ。神と人間の区別くらいつく。さっきも言ったが、あの娘は死神だ。死神は、人間の獲物を見つけては寿命を魂を吸い取る」
それを繰り返した死神は、やがて死肉噛みという妖へと変貌する。
「って、昔から大人に聞かされて育っただろう。“悪い事すると、死神に連れて行かれちゃうよー”なんて。まっ、今の死神は冥府にいる閻魔大王の支配下で管理されてるし、死神局には死神の仕事をしてる鬼もいるし、死肉噛みになる奴なんて早々いないけどな」
今の死神の仕事は、天命を迎えた魂の回収と冥府への案内だ。
言われた言葉についていけない。
が、それ以上に頭に来た。
コイツは、俺を怒らせたいのか。
怒らせたくて、こんなふざけた事を言っているのか。
その手には乗らない。
怒りたい衝動を何とか抑え、狐を睨む。
白真もじっと神也を見ると、ニマッと笑みを浮かべて口を開いた。
「一つ一つ、暴いていこうか」
じゃりっと、靴が地面に擦れる音がする。
神也が足をズラした音では無い。
ピリッと、首筋に得体の知れない何かを感じる。
自然と背筋に冷や汗が流れ、寒気が襲う。
背後を振り返った直後、喉笛に草刈り鎌の切っ先が当てられた。
鎌の切っ先が目に入り、神也は動きを止める。
ちょっとでも動けば、コイツは首を切りに来るだろう。
鎌の切っ先から、相手の顔へと視線を移す。
紫色の瞳が目に入る。
瞳の色は違えども、先程会長に詰め寄っていた顔が、そこにあった。
「神……崎……」
「今すぐ神也から離れろ死神」
神也の背後で、狐の神気が解放される。
銀色の神気が風を起こし、神也の髪や鈴那の髪を翻す。
鈴那はニヤリと笑みを浮かべると、鎌を更に喉笛へ押し付けた。
「離れろと言っている」
「ならば神気を抑えろ、白狐」
相手の要求に、応えるか否か迷う。
抑えた直後に、神也の首が切られないか。
狐の考えがわかったのか、鈴那は「安心なさい」と一言言う。
渋々ながらも、白真は神気を抑え、鈴那もそれを確認し、鎌を引いた。
「お前、死神だろ。何故、こんな所に居る?冥府の仕事はどうした?」
寿命を終えた魂の回収をするのが、冥府から死神に与えられた仕事だろう。
白狐の問いに鈴那は答えることなく、唇を三日月の形にしたままだった。
「白狐に言われたくないわ。あなたこそ、お社に居なくていいの?ごめんなさい、神無月君。驚かせちゃって」
狐の気配がしたものだから。
鎌をしまい、ぺこりとお辞儀をして神也に謝る。
神也は多少困惑しながらも、鈴那の行動を許した。
それが面白くないのか、白真は二人に背を向け、へそを曲げた。
しばらく間があいた後、恐る恐る、神也が鈴那に訪ねた。
「……本当に死神なのか?」
こく。
「コイツが見えるのか?」
こく。
「コイツ言うな!」
コイツ呼びが嫌だったのか、今までへそを曲げていたくせに、神也に跳び蹴りを食らわす。
背中を蹴られ、神也は声にならない呻きを出した。
このクソ狐、後で池に落としてやる。
そう心に決めた時、校内から鈴那を呼ぶ声がした。
切羽詰まった声だ。どうかしたのだろうか。
自転車置き場に面している窓が開き、鈴那の友人未来(ミライ)が顔を出す。
鈴那を目に入れると、早口で言葉を紡いだ。
「鈴那大変!会長が!」
未来に連れられ、鈴那と神也は二階から三階へと続く階段の踊場に来る。
噂を聞き、部活から抜け出して来た生徒が集まり、踊場を見ていた。
その中心はぽっかりと空いていて「会長が倒れてる!」と、生徒達は騒いでいる。
保健医や教師が会長を囲み、騒ぎから離れた所で、教頭が救急車を呼んでいた。
人混みを掻き分け、鈴那は騒ぎの中心に入る。
目に入ったのは、血を流して倒れている恋人の姿だった。
鈴那の足から力が抜け、その場に崩れる。身体ががくがくと震え始め、噛み合う歯が音を立てた。
「違う……違う……っ!私は、私は、吸っていない……!……先……輩……っ!」
絞り出した声は、先ほどの威勢のいいものとは打って変わって、弱々しく、心が締め付けられるような声音だった。