花と愛と
◆ ◆ ◆
土埃の溜まった薄暗い廊下を、神也と鈴那は歩く。
白真は、埃で体が汚れると言って、神也の肩に乗っていた。
目指している場所は、体育館の側にある一階の職員トイレだ。
職員トイレまでの道のりの中で浮幽霊を探すが、姿は見えない。
何か居る気配はするが、絶対に姿を見せようとしないのだ。
「闇鬼か……」
ぽつりと、白真は単語を零す。
闇鬼。書いた字の如く、闇に包まれた鬼。魂を吸収し、強く、そして肥大化していく。
鬼は負の感情の塊で出来るが、闇鬼は普通の鬼よりも強く深い負で出来ており、触れた魂はたちまち鬼に変えられてしまう。
闇鬼を討伐すべく、冥府の鬼達が探しているようだが、隠れ方が上手いのか、なかなか見つからないそうだ。
討伐するまでの間、鈴那達死神は闇鬼から浮幽霊を守る為、彼らを冥府に送る作業を行っている。
が、未練の強い霊は強情で、その作業も難儀しているそうな。
今から会う霊もその一人だとか。
こうしている間に闇鬼が討伐されてればいいのだが、冥府が死神界に魂を送るよう要請を出したという事は、長期戦になるのだろう。
討伐を期待するのは、よした方が良さそうだ。
「着いたわよ」
思考を巡らせていた白真を現実に引き戻すように、鈴那の声が耳に届く。
彼女は古びた扉を開けて、女子トイレの中に入り、それに神也も続いた。
「ここに立って」
三番目の扉を指して言う。
言われた通りそこに移動すると、今度は「名前を呼んで」と指示された。
「名前?」
「トイレで呼ぶ名前っていったら、一つしかないでしょう」
「あれって、迷信じゃないのか?」
「いいから、つべこべ言わずに!」
二人のやり取りを聞いていた狐は、「将来、尻にしかれるパターンだな」と、一人ごちる。
すると、聞こえていた神也に肩から払い落とされた。
「ひっでー、こいつ」
無事に着地して文句を言うが、無視をされる。
すっかり拗ねてしまった白真は、鈴那の肩へと移動し、彼女の頬にすりすりと顔をすりよせて甘える仕草をする。
鈴那に神也を叱って貰うときの常套手段だ。
「落としたら可哀想よー」
「いいんだよ。いつも木登りして落ちてるんだから、慣れてるだろ。……はーなこさーん」
鈴那の抗議を受け流し、トイレで呼ぶ名前の定番を言う。
少女の声が扉の向こうから返り、鍵が開く音が、狭いトイレに響いた。
扉が開けられ、六歳ほどの少女が、神也達の前に姿を現した。
肩まで伸ばされた黒髪は毛先で切りそろえられ、着ている服は赤地に白い水玉模様がプリントされたワンピース。フリルのついた白い靴下に、黒い革靴を履いている。顔は血の気がなく青白い。
身体が微妙に透けている事から、彼女が鈴那を手こずらせてる浮幽霊だと、神也と白真は確認した。
少女は神也をじっと見た後、鈴那に視線を向け、眉を顰めた。
「またあなたなの?今日は何の用?」
「こんにちは、花子ちゃん。今日はね、このお兄さん達と一緒にみんなで遊ぼうと思って来たのよ」
逃がさない為に神也の腕に抱きつき、営業スマイルを浮かべて鈴那は言う。
聞いていなかった事に、神也は目を半眼にし、頭一つ下にある彼女の頭を見て抗議した。
「おい」
「話し合わせて」
異論は認めないと言わんばかりに、花子に見えない位置で、彼の腕をつねる。
つねられた場所から鈍い痛みが腕に広がり、神也は表情を歪めた。
「遊ぶわよね?」
「遊びます。全力でお相手します」
「花子ちゃん、お兄さんも遊ぼうって言ってるわよ」
「うーーん」
腕を組み、どうしようかと花子は思案する。
何か企んでいる気配がビンビンにするが、悪い人でもなさそうだ。
丁度、暇を持て余していた所だし、相手をしてもいいだろう。
「分かったわ、遊んであげる。でも、変な事したら呪うからね」
鈴を転がしたような可愛い声で、恐ろしい事を付け足しながらも、花子は遊ぶ事を了承し、二人と一匹と共に外を出た。
「ちょっとあなた!先週、お小遣いあげたばかりなのに、もう使っちゃったの!どういうこと!」
「うるへー!オレが、稼いだ金をどう使おうが、オレの自由だろうがー!」
「自由にされちゃ困るのよ!家には、三十六年分のローンと、車のローンが三年残ってるのよー!」
稲荷神社に程近い稲荷公園。
普段、子供たちの声で賑わっている公園は、今は男女の言い争う……演技をする声が響いている。
女の声は花子が、ダメ男は白真が演技をしていた。
二人、なかなか熱の入った芝居をしている。
シナリオがややリアルだが、考えた花子は楽しそうだ。
「まあ、無理ないか」
「他人と遊ぶの、亡くなって以来だからね……」
二人を見守れるベンチに座って、神也と鈴那は言葉を交わす。
先程まで、二人もおままごとに参加していたのだが、リアリティが無いと花子に言われて降板させられた。
ほのぼのとした二人をよそに、花子たちの演技は徐々に過激なものになっていく。
「このシャツについてる口紅はなんなのよ!?」
「接待してる時につけられたんだよ!」
「嘘おっしゃい!昨日も一昨日もあったわよ!絶対に許さない!毛皮剥いで、売ってやるうううう!」
「わああああああああ!やめろ花子おおおお!」
襲いかかって来た花子から、白真は逃げ出す。
リアルおままごとから鬼ごっこへと遊びは変わり、キャッキャとはしゃぎながら、二人は公園を走り回る。
しばらく、そうしていた二人だったが、白真に疲れが出始め、足を緩めた瞬間、花子が白真に飛びかかった。
「つっかまえたー!」
「あーあ、やられた。花子は鬼ごっこが強いなー」
花子に抱きかかえられた白真が舌を巻く。
彼女は誇らしげに胸を張り、鬼ごっこは大得意なのだと語った。
「次は何して遊ぶ?」
「まだ遊ぶのか!?」
「もちろん!……あ」
遊ぶものを探していた花子の目が、公園の入り口で止まる。
不思議に思った白真が視線の先を辿ると、入り口の前を一人の少女が通り過ぎようとしていた。
肩より下まで伸ばされた黒い髪。赤い生地に、桜の刺繍が施された単衣をまとった少女だ。