花と愛と


 心地良い風が吹いている。
 肌を撫でるように優しく吹く風だ。
 稲荷神社の池では、側にある木の下で、一人と一柱がひなたぼっこをしていた。
 一柱は白い毛並みが特徴の子狐で、名を白真(はくま)という。
 これでも、この神社に祀られている狐神だ。
 身体を丸め、尻尾をゆらゆらと揺らしながら、目を閉じて風を感じている様は、実に気持ちよさそうだ。
 木の下に座ると虫が落ちて来そうだが、そこはほれ『神』だから。虫除けの術など朝飯前である。
 そんな神様の隣では、今年の四月に高校三年生になった少年、神無月神也(かんなづき しんや)が、風に当たりながら神に関する書物を読んでいた。
 適度な長さまで伸ばされた黒髪が、風に撫でられて揺れる。
 黒い瞳は文字の羅列を追い、風のイタズラで時折目に入る前髪を、鬱陶しそうに手を払っていた。
 通りかかった人が見れば、休日をのんびりと過ごしている至って普通の少年に見えるだろう。
 だがこの少年、普通の人間ではない。
 彼は、三千年生きたといわれる狐神空狐を祖母に持つ少年なのだ。

「なあ、神也。腹減ったよー。何か食いに行こうぜー」

「お前、さっき供物のいなり寿司食べてたろ」

 呆れながら、彼は言う。
 神也がこの神社に来たのは、丁度一時間前だ。
 神社に来ると、白真が必ずと言っていいほど「腹が減った」と連呼するので、来るときは必ず、供物のいなり寿司を持参するようにしている。
 神は信仰心が廃れると力を失い消えるか、力を無くす前にどこかに去ってしまう為、それを食い止める意味もある。
 白真が直ぐお腹が空くのは、信仰心が少なく、なのにも関わらず、虫除けに神気を使って消耗しているせいではないかと神也は思っていた。

「だってよー。減っちまったもんはしょうがないだろー。神通力を使うと、普段の倍の早さで消化されちまうんだからさ」

「じゃあ、使わなければいいだろう」

「使わないと虫が寄って来るだろうが!ダニとかノミとか!蚊に刺されるのも嫌だし!それに、上から毛虫が落ちてきたら恐怖じゃんか!」

 毛虫に刺された時の事を思い出したのか「かゆいかゆい」と、白真は後ろ足で耳の後ろをかく。
 甲高い子供の声で騒がれては読書に集中出来ないと、神也は本を閉じた。

「お!飯買いに行く気なったか!」

 キラキラと目を輝かせて、神也を見る。
 それを、神也は黙殺し、白真に背を向ける形で横になった。

「あー!寝るなよー!」

「うーるーさーいー」

 狐神を無視して寝ようとするも、第三者の気配を感じて、仕方なく起き上がる。
 白真も気付いたのか、騒ぐのを止めて、その場にちょこんとお座りをした。

「鈴那ー!いい所にー!」

「こんにちは、白真君。はい、お土産」

 現れたのは、神崎鈴那(かんざき すずな)。神也と同じ学校に通う、同級生の少女だ。
 肩まで伸ばされた黒髪は、毛先で切り揃えられ、今はさらさらと風に揺れている。着ている私服は黒色のセーラー服だ。白いスカーフが目にまぶしい。セーラーと同色のプリーツスカートは膝より少し上の長さで、動きやすさを重視した長さだ。
 彼女は、手に下げていたコンビニ袋からいなり寿司を取り出し、白真の前に置く。
 食いしん坊な狐神は、ガツガツとそれを食べ始めた。

「今日は仕事って言ってなかったか?」

「その仕事で躓いちゃったから、助けてもらおうと思って」

 神也の隣に腰を下ろしながら、言葉を返す。
 その顔には疲れが出ており、それを体内から吐き出すように、息を長く吐く。
 そんなに大変な仕事なのかと、神也は身構えた。
 鈴那の仕事は、寿命を終えた魂と浮幽霊の回収だ。
 彼女は冥府に仕える死神で、修行と仕事の為に人間界で暮らしていた。
 今は黒い瞳も、死神の力を解放すれば紫色に変わり、身の丈ほどもある大鎌を自由自在に操る。
 単身、人間界に来ただけあって、彼女の実力は同期よりも頭一つ飛び抜けている。
 その彼女が回収にてこずっている魂は、並みの魂ではないなと、少年と狐は悟った。


 ◆  ◆  ◆


「ここに居るのか?」

「そうよ」

「いかにもって感じだな、うん」

 鬱蒼(うっそう)と茂る草木。
 その中に佇む、黒ずんだ建物。
 建物の窓ガラスは長い年月の間、砂と埃を被り、元々あったであろう透明さはない。
 住宅街に囲まれたその建物は、稲荷神社がある地区の小学校、稲荷小学校の旧校舎だ。
 神也は稲荷小学校の生徒だが、当時校舎は新しい物になっており、旧校舎は外から見たことあるだけで、中に入った事はない。
 旧校舎でやる肝試しに誘われた事があるが、嫌な予感がして断った。

「なんか嫌な感じするんだよなー。この校舎」

「おいおい、口に出すなよ孫」

 言葉には魂が宿る。
 力が強ければ、尚更。
 神也は一応神の孫なので、人よりもそれが強い。
 負の言葉は、口に出さない方が吉だ。
 神也は「すまん」と謝り、隣に居る鈴那を見る。
 彼女は、校舎の周辺を注意深く観察していた。

「どうした?」

「浮幽霊が居ない。ここは、霊が溜まりやすくて、神界に送っても直ぐ別の幽霊が出てくるんだけど……」

 今日は居ない。
 否、ここ最近、仕事で浮幽霊を探しても見つからなくなった。

「そう言われてみれば、散歩してても見かけなくなったな。今日の仕事に関係あるのか?」

 白真が問うと、鈴那はコクリと頷く。
 理由は、歩きながら話すと言い、昇降口へと歩き始めた。
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