蒼原の満月
空を切り裂く音が耳に届いたかと思えば、黒い烏の羽根が頬を掠めた。
顔の上半分を覆う黒い仮面の奥から、黒い瞳が背後に視線を向ける。
赤い仮面に、黒い羽根と髪。修験者を思わせる格好をした者たちが三人、視界に入った。
黒い仮面をつけた者は、一つ舌打ちを打って前方に視線を戻す。
「烏め……っ」
蒼く白い満月が、煌々と輝く夜の山中。
群青色の髪と羽根を持った烏たちが、黒い烏から逃れる為に、木々の中を駆け抜けて行く。
後方から、肉を射抜く勢いで、絶えず黒い羽根が放たれる。
それを払おうと、黒い仮面をつけた烏の右隣を陣取る烏が、葉団扇を使って風を起こした。
黒い羽根が、風で吹き飛ばされる。
それを、先頭を走っていた右目を包帯で覆った青い瞳の天狗が確認し、声を張り上げた。
「相手にするな!もう直ぐ、我等の領域だ!」
「ちぃっ!行く手だけでも塞ぎます!」
再び、葉団扇を一振りして風を起こす。
木々を倒して道を塞いでから、右隣に居た烏は隊列に戻って来た。
仕事熱心な部下だと、黒い仮面をつけた者は微笑む。
後方から、倒れた木々に驚く声が聞こえて来たが、烏たちは無視して走り続けた。
前方にある木々の隙間から、蒼い天狗たちが作った塀が見えた。
一行は、跳躍して塀を乗り越える。
黒い烏の追っ手も、ここまでは入って来れない。
侵入すれば、後戻りの出来ない縄張り争いの火蓋が切って落とされる。
三重に作られた塀の最後の一枚を乗り越えた所で、一行はようやく足を緩めた。
大きく息を吐き出しながら、黒い仮面をつけた者は片手でそれを外し、顔を露わにする。
端正な顔立ちをした青年の顔が、そこにあった。
空気に触れた肌が、夜風に撫でられて心地良い。
適度に短く切られた、青みの強い黒い髪が、風に弄ばれる。
「蒼原(そうげん)様」
男が息を整えていると、先頭を走っていた青い瞳の烏が、声をかけてきた。
「オレと蒼羽(あおば)は、見張りの交代に向かいます」
蒼原と呼ばれた男の、右隣にいる少年に視線を向ける。
先ほど、葉団扇を使って風を操った者だ。
群青色の髪を旋毛の辺りで縛った、まだ幼さの残る顔立ちの齢十六になろうとしている、蒼い天狗の少年である。
蒼原は重々しく頷き、了承した。
「わかった。帰って来たばかりなのにすまんな」
「いいえ。蒼山一族を烏天狗一族から守る為ですから。行くぞ、蒼羽」
「はい。蒼峰(あおみね)様。頭領、行ってきます」
背中にある群青色の羽根を羽ばたかせて、二人は敷地内にある櫓へと移動する。
それを見送る若い頭領に、今度は左隣に居た黒髪の若い天狗が口を開いた。
彼の名を、蒼次(そうじ)という。
「今日は一段としつこかったですね……烏天狗」
「ああ……。殺す気だったな」
肺に溜まってきた息を吐き出し、蒼原は疲れを見せる。
最近、若き頭領の頭を悩ませるのは、隣山を根城にする烏天狗だ。
烏天狗たちは日に日に力を増し、他の天狗一族を吸収して仲間を増やし、蒼原たちの住む蒼山にも勢力を伸ばさんとしている。
何事も力で解決しようとする烏天狗の姿勢を、蒼原は受け入れる事が出来なかった。
蒼山には、蒼原たち蒼山天狗一族の他に、川沿いに住まう川天狗一族。医療に長けている不死一族が住んでいる。
今日は、川天狗一族と烏天狗対策を協議して来たところだ。
その帰りに、蒼原たちは襲われた。
蒼羽の術で事なきを得たが、この先も外に出る度に襲われるだろう。
大きな被害が出る前に、烏天狗を牽制しておきたい。
「不死天狗と話が出来ればなあ……」
出来れば、同盟も結びたい。
が、同じ山に住んでいるのに、あの一族とは接点が片手で数えられる程しかなかった。
医薬品で世話になっているが、商売相手という仲だけでそれ以上の強い繋がりがない。
それに加え、不死一族は長きに渡って孤独を貫いてきた一族。
今更、他の一族と繋がりを持つとは思えなかった。
腕を組み、黙り込んでしまった頭領に、蒼次はなんと声をかければいいか悩む。
二人に流れた沈黙を引き裂くようにして、朗らかな少女の声音が響いた。
「繋がりが見つからないのであれば、作ってしまえばいいのでは?」
声のした近くの櫓へと、二人は視線を向ける。
青い生地に烏の羽根の刺繍を施した着物を身に包んだ少女が、男二人を見下ろしていた。
少女は背中の羽根を開いて、空中に飛び出す。
宙で体を一捻りしてから、地上へと舞い降りた。
「良い案でしょ?」
言葉を続ける彼女に、蒼原は首を捻る。
「どういう意味だ?蒼依(あおい)」
「そのままの意味ですよ、殿。ないなら作ってしまえばいいのです。不死一族の誰かと結婚してね」
「結婚……!」
思わぬ単語に、蒼次は目を剥く。
一方で、蒼原は顎に指を沿え、視線を遠くの空へ向けながら考えを巡らせた。
繋がりが無ければ、作ってしまえばいい。
「なるほど……。その手もありか」
「そ、蒼原様!この女の案を受け入れるのですか!第一、不死一族に蒼原様と結婚出来るような身分の姫など居ませんよ!」
どうか考え直し、早まらないでほしい。
その思いを込めて、少年は言葉をまくし立てる。
よくもまあ、そんなに息が続くなあと、蒼依は感心した様子で蒼次を見ていた。
「そもそも、何を考えているかわからぬ一族と御身を犠牲にしてまで繋がる意味があるのですか!烏天狗一族と手を組まない確証もないというのに」
「逆に言えば、手を組む確証もないという事だ。……本気で検討してみようか」
蒼原も二十歳を過ぎてから四年経っている
いい歳だからそろそろ結婚を……と願う一族の老兵たちは多い。
本気で身を固める算段を始めた頭領に、少年は呆れと諦めが混ざった息を吐き出し、少女は明るい表情を見せた。
「では蒼原様に、この蒼依がお薦めの姫をお教えしましょう!」
「だから。つり合う姫など不死一族には、」
蒼次の唇に蒼依は人差し指を当て、言葉を遮らせる。
向ける視線は、何もわかっていないのに知ったふりをする子供を宥めるような物だ。
にたりと口角を上げ、蒼依は口を開いた。
「いるんだなあ、これが。不死一族が必死になって隠しているお姫様がさ。ねえ、蒼原様」
蒼次から、自らの主に視線を移す。
蒼原はその“お姫様”を知っているのか、腕を組んで渋い表情を見せていた。
◆ ◆ ◆
蒼原たち、蒼山天狗が暮らす集落から少し離れた山の尾根に、不死一族の集落はあった。
不死一族の集落は高低差を生かした造りをしており、段々畑の平地に住まいが建てられている。
その建物を隠すように塀が作られ、見張りの櫓(やぐら)から見張りの不死天狗が目を光らせている。
空高く輝く満月と同じ色をした薄い金色の髪を、皆一様に旋毛の辺りで縛り、一つの団子にしている。
顔の上半分を覆う仮面も、髪と同じ色だ。
不死天狗の青い瞳に睨まれながら、蒼原からの書状を預かった蒼依は堂々と門をくぐり抜ける。
骨に近い色をした肌の天狗達が守る集落の奥に、お姫様は隠されるようにして暮らしていた。
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