BL 恋人みたいなふりをして
お地蔵様と迷子の子 5
この地には、妖怪の里と呼ばれる場所があるらしい。
直はお地蔵様の雲から降りて、コンクリートブロック造りの駅舎を見上げた。西洋の建築様式を取り入れたその建物は、重厚でおもむきある造りであると評され、東北の駅百選にも選定されたことがあるそうだ。
ぽかんとしたまま微動だにせずに居ると、携帯片手に誰かとやり取りを終えたお地蔵様が口を開く。
「珍しいって顔してるね」
「冥府には無い造りをしてるので……」
冥府は広い。移動をするのに徒歩だけで行くには骨が折れる場所もある。昔は馬を使っていたが、現世に居た技術者が冥府に来るようになってから交通網が僅かに発達し、各裁判所と裁判所の間に路面電車が通された。使えるのは冥府の住人と天国行きになった亡者だけで、裁判中の亡者は使用出来ない。駅舎は木造で、売店等もなくバス停に似たこじんまりとした形をしていた。
いにしえの西洋の雰囲気を感じさせる建物から、ゆるりとした時間が流れる駅前に視線を移す。
懐かしい空気を漂わせる、岩手県は遠野市。その地は人の子の間で、妖怪や民話の地として有名な場所だ。
駅前には遠野の観光名所の一つ、カッパ淵が再現された広場があり、鳥の嘴に似た口とすらりと伸びた手足が特徴的な河童の銅像が四体設置されている。この地に住まう者が巻いたのか、河童にはマフラーが巻かれていて上半身何も着ていない姿でもあたたかそうだ。
近くには観光案内所もあり、品揃えの良い売店はもちろん、サイクリング用の自転車の貸し出しやシャワールーム等が用意されている。一口に遠野のいっても、名所は散らばっているため、自動車か自転車を使った観光が推奨されていた。
駅前広場にあるカッパ淵も、本物の方は遠野駅から六キロほど離れており、車では十一分ほど、自転車では四十分ほどかかる場所にある。鬱蒼と繁った緑に囲まれさらさらと流れる清らかな小川にはカッパがたくさん住んでおり、人の子を驚かせていたという。本当にそんな事をしていたら、現世に害を与える鬼を狩る鬼に殴られそうだ。殴られるだけで済めばいいが。
脳裏に鬼を狩る鬼の代表、閻魔の王太子であり閻魔の孫でもある男の姿を浮かべ、直は息を吐いた。
人の子の暮らしが根づいた、一見なんでもないゆるりとした町。
妖怪と伝承で有名なだけあって、ぴりぴりと妖怪の気配が肌を刺している。
直は、粟立ちそうなうなじに手を当てながら、お地蔵様を見た。
「お地蔵様、この町……」
「そりゃあ居るさ。妖怪の里だよ、ここは」
お地蔵様は、ぐるりと広場を確認するように首を巡らせ、言葉を続ける。
それもそうかと納得しかけたところで、直は道を行く一人の婆を視界に入れる。
この寒空の下、薄いパジャマに羽織りを一枚羽織っただけ。病院で使うスリッパを履いて、よたよたと覚束ない足取りで道を歩くその婆は、人の子であって人の子でない気配が漂っていた。
すれ違った観光客は婆に気づかなかったようで、何事もなくこちらも道を歩いている。
直は婆の様子をしばらく見つめてから、お地蔵様に視線を移した。
お地蔵様はもちろん気づいており、にやりと口角をつり上げている。
「あれは……」
「オマクだね。この地に伝わる怪異の一つだよ」
生者や死者の思いが凝り固まって出歩く姿が見えることをいい、オネキとも呼ばれるそうだ。柳田國男の著書にも、オマクの一例として重体なはずの娘が死の前日に光岸寺の工事現場に現れた話があると、お地蔵様は愉しげに語った。
獄卒は平安の中期に生まれ、人の子よりは長く生きてはいるが、現世の知識は一般常識程度しかない。住居も仕事場も冥府で、現世の文化に触れる機会は早々無かった。
現世の文化は変わりやすい。知識が追い付いた頃には新しい文化が始まっている。この間まで二つ折りだった携帯電話も、今では小さなパソコンである。そんな獄卒の乏しい知識を埋めるように、お地蔵様は現世に出向いては新しい知識を植え付けさせるのだ。
「あれは思念だから、迷子になっている魂魄とは違う。やがて消えてしまうさ」
よたよたと、婆は直たちからはなれて行く。
オマクが凝り固まった思念ならば、あの婆も何か強く抱えるものがあったのだろう。それが恋慕によるものなのか、恨み辛みなのかはわからないが、婆の背には哀愁が重く漂っている。
婆の姿が小さくなってから、お地蔵様は口を開いた。
「宿泊先の旅籠さんからガイドさんが迎えに来てくれるそうだ。それまで、近くを見ていようよ」
そう言って指差された先にあったのは、三角の屋根を持った蔵に似た建物だった。
お地蔵様に連れられるがまま、その建物に足を運ぶ。
雪女の像に迎えられつつ中に入ると、地域の特産や工芸品が並ぶ売店を中心に観光案内所やレンタサイクル、シャワールーム等が配置されていた。
この地には、妖怪の里と呼ばれる場所があるらしい。
直はお地蔵様の雲から降りて、コンクリートブロック造りの駅舎を見上げた。西洋の建築様式を取り入れたその建物は、重厚でおもむきある造りであると評され、東北の駅百選にも選定されたことがあるそうだ。
ぽかんとしたまま微動だにせずに居ると、携帯片手に誰かとやり取りを終えたお地蔵様が口を開く。
「珍しいって顔してるね」
「冥府には無い造りをしてるので……」
冥府は広い。移動をするのに徒歩だけで行くには骨が折れる場所もある。昔は馬を使っていたが、現世に居た技術者が冥府に来るようになってから交通網が僅かに発達し、各裁判所と裁判所の間に路面電車が通された。使えるのは冥府の住人と天国行きになった亡者だけで、裁判中の亡者は使用出来ない。駅舎は木造で、売店等もなくバス停に似たこじんまりとした形をしていた。
いにしえの西洋の雰囲気を感じさせる建物から、ゆるりとした時間が流れる駅前に視線を移す。
懐かしい空気を漂わせる、岩手県は遠野市。その地は人の子の間で、妖怪や民話の地として有名な場所だ。
駅前には遠野の観光名所の一つ、カッパ淵が再現された広場があり、鳥の嘴に似た口とすらりと伸びた手足が特徴的な河童の銅像が四体設置されている。この地に住まう者が巻いたのか、河童にはマフラーが巻かれていて上半身何も着ていない姿でもあたたかそうだ。
近くには観光案内所もあり、品揃えの良い売店はもちろん、サイクリング用の自転車の貸し出しやシャワールーム等が用意されている。一口に遠野のいっても、名所は散らばっているため、自動車か自転車を使った観光が推奨されていた。
駅前広場にあるカッパ淵も、本物の方は遠野駅から六キロほど離れており、車では十一分ほど、自転車では四十分ほどかかる場所にある。鬱蒼と繁った緑に囲まれさらさらと流れる清らかな小川にはカッパがたくさん住んでおり、人の子を驚かせていたという。本当にそんな事をしていたら、現世に害を与える鬼を狩る鬼に殴られそうだ。殴られるだけで済めばいいが。
脳裏に鬼を狩る鬼の代表、閻魔の王太子であり閻魔の孫でもある男の姿を浮かべ、直は息を吐いた。
人の子の暮らしが根づいた、一見なんでもないゆるりとした町。
妖怪と伝承で有名なだけあって、ぴりぴりと妖怪の気配が肌を刺している。
直は、粟立ちそうなうなじに手を当てながら、お地蔵様を見た。
「お地蔵様、この町……」
「そりゃあ居るさ。妖怪の里だよ、ここは」
お地蔵様は、ぐるりと広場を確認するように首を巡らせ、言葉を続ける。
それもそうかと納得しかけたところで、直は道を行く一人の婆を視界に入れる。
この寒空の下、薄いパジャマに羽織りを一枚羽織っただけ。病院で使うスリッパを履いて、よたよたと覚束ない足取りで道を歩くその婆は、人の子であって人の子でない気配が漂っていた。
すれ違った観光客は婆に気づかなかったようで、何事もなくこちらも道を歩いている。
直は婆の様子をしばらく見つめてから、お地蔵様に視線を移した。
お地蔵様はもちろん気づいており、にやりと口角をつり上げている。
「あれは……」
「オマクだね。この地に伝わる怪異の一つだよ」
生者や死者の思いが凝り固まって出歩く姿が見えることをいい、オネキとも呼ばれるそうだ。柳田國男の著書にも、オマクの一例として重体なはずの娘が死の前日に光岸寺の工事現場に現れた話があると、お地蔵様は愉しげに語った。
獄卒は平安の中期に生まれ、人の子よりは長く生きてはいるが、現世の知識は一般常識程度しかない。住居も仕事場も冥府で、現世の文化に触れる機会は早々無かった。
現世の文化は変わりやすい。知識が追い付いた頃には新しい文化が始まっている。この間まで二つ折りだった携帯電話も、今では小さなパソコンである。そんな獄卒の乏しい知識を埋めるように、お地蔵様は現世に出向いては新しい知識を植え付けさせるのだ。
「あれは思念だから、迷子になっている魂魄とは違う。やがて消えてしまうさ」
よたよたと、婆は直たちからはなれて行く。
オマクが凝り固まった思念ならば、あの婆も何か強く抱えるものがあったのだろう。それが恋慕によるものなのか、恨み辛みなのかはわからないが、婆の背には哀愁が重く漂っている。
婆の姿が小さくなってから、お地蔵様は口を開いた。
「宿泊先の旅籠さんからガイドさんが迎えに来てくれるそうだ。それまで、近くを見ていようよ」
そう言って指差された先にあったのは、三角の屋根を持った蔵に似た建物だった。
お地蔵様に連れられるがまま、その建物に足を運ぶ。
雪女の像に迎えられつつ中に入ると、地域の特産や工芸品が並ぶ売店を中心に観光案内所やレンタサイクル、シャワールーム等が配置されていた。
29/29ページ