BL 恋人みたいなふりをして
Day16 水の お湯に茹でられ、水に揺られ
直(あたい)は、答えが出せずにいた。
先日、妹から「お地蔵さまと仲が良いのか?」と聞かれ答えようと思ったのだが、しっくりする答えが浮かばなかったのである。
以来、ずっと答えを探しているのだが、これといっていいものは出てこない。
直とお地蔵様は、仲が良いのだろうか。良いのだとしたら、それはどういう関係で仲が良いのだろうか。
天国にある宮殿で宴の打ち合わせを終えてから、直の足が自然と猫又喫茶がある方向へと向かう。
喫茶店は相変わらず大盛況で、今も来店予約は抽選式だ。直も、お地蔵様と来店して以来、一度も当てる事ができず、美味しいカフェメニューにありつけていない。
あの時は、メロンソーダーのバニラアイス添えとマーブル模様のマフィンを頼んだ。カフェにある物はどれも美味しそうで、どうしようかと悶々と悩んでいたら「神様に決めてもらったら?」と提案してきたのだ。実際に神様を呼んで決めるのではない。「どちらにしようかな?」と神様に聞きながら、メニューを順番に指差していく。現世に昔からある手遊びの一種だ。
「手遊びで決められるものか」と、直は言い返したのだが「ここは現世ではなく天国だから、何かしらあるかもよ?」とお地蔵様は笑っていた。直をバカにした笑い方ではなく、あたたかく見守る微笑み。
その微笑みを向けられるのは、不快ではなく、嫌悪感も無かった。
むしろ、ほっと息を吐ける安心感がある笑みであった。
直の記憶に居るお地蔵様はいつも笑っている。たまに、心の奥深くを突っついて来る怖い表情を見せる時もあるけど、笑っている回数の方が多い。
直は、お地蔵様の笑顔を見るのは嫌ではない。
だから、仲が悪いという事はない。悪かったら、お地蔵様は直に笑いかけたり、お菓子を持ってきたりしないだろう。
仲良しかと改めて聞かれると困ってしまうけど、悪くはないはずなのだ。
うんうんと唸っていると、からんからんと、猫又喫茶の扉に掛けられたベルが鳴る。
直が足を止めて店の方を見ると、悩みの種となりつつあるお地蔵様が、若い天女と出てくる場面が視界に入った。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
「抽選が当たったら、またお誘いしてね。菩薩様」
若い天女は、お地蔵様の頬に口付けた後、艶やかな絹の衣と天女の目印とも言える羽衣を靡かせて、宮殿へと戻っていく。
一連の出来事を、直は言葉を失った状態で見てしまった。
視線をそらすのも忘れるほど、大きな衝撃が頭から爪先まで襲っている。
お地蔵様から目が離せない。
天女を見送ったお地蔵様が、固まったままの直に顔を向ける。
「やあ、直(あたい)くん。道のど真ん中で突っ立って、どうしたの?」
お地蔵様は、普段と変わらない微笑みを見せて、直に近づく。
「【どうしたの?】は、こっちの台詞である」といつもの直なら言い返せるのに、衝撃がいまだに残っていて、舌が回らない。
「もしかして、さっきのデート見てた?」
見てたというよりも、見せられたに近い。
直は、動きが鈍くなった顔の筋肉を動かして、口を開く。
「抽選……当たったんですか……?」
「うん? ああ…………そうだね。当たったよ?」
「それがどうかした?」と、お地蔵様は表情を崩さずに首を傾げる。
長年の経験から、この人は理解していて訊ねているなと、直は察した。
「どうして…………俺を誘わなかったんです……?」
二人で行ってから、それほど日が経ってないからだろうか。
そうだとしても、前回は直が当てた招待券に、お地蔵様は便乗する形で来店したのだ。行くかどうかはさておき「今度は私が当てたから、一緒に来ない?」の一言くらい寄越してくれてもよかったのではないか。
胸の奥がちくちくと痛む。針でしつこく刺されているみたいだ。
これがいわゆる、ショックを受けているというやつだろうか。
直は、お地蔵様に誘われなかったことに酷く驚いて、戸惑って、悲しいと思っている。
それと同じくらい、誘ってくれて当然だと思う傲慢な自分が居たことにも動揺していた。
息が上手く吸えない。吸おうとすると、重たくて苦しいものまで口の中に押し入ろうとしてくる。目が焼けるように熱く、鼻の奥が痛い。
直の「どうして?」という問いに、菩薩は「そうだね……」と、自分の指で顎の線をなぞる。
聞いてはいけない気がする。
耳を塞いだ方がいい。
直感が告げている。
腕を動かすよりも早く、お地蔵様の口が動いた。
「だって私たち、誘い誘われるような親しい仲じゃないだろう?」
お地蔵様の顔が、波紋の広がりに合わせて、ゆらりと崩れる。
息が苦しい。呼吸ができない。全身が熱い。
熱いと自覚して、カッと目を見開くと、赤い灯りがゆらゆらと揺蕩っている。
口を開けば、ごぼごぼと泡が出て、ゆらゆらと揺蕩う灯りの方へ上っていく。
状況を確認するよりも先に、眼球に触れる熱いものに耐えられず、目を閉ざした。
◆ ◆ ◆
「課長ー! 課長しっかりーー!」
バシンバシンと、頬に固い物が当たる気配がする。
瞼を開けようとしたが、ぴりぴりとした痛みに襲われて、薄く開ける事さえできない。このまま開けたら、眼球の膜が剥がれそうだ。
その後で「羽根で叩いたらダメですってー!」と制止する声と、「追加の桃源郷の冷水と薬湯持ってきましたー!」と慌ただしく駆け回る音がする。
ガラガラゴロゴロと物を引っ張る音も聞こえた。この音は大釜を運ぶ車輪の音か。
ぼんやりとしながらも、音だけで事を把握しようとしていると、背中と膝裏に手が回され、身体がぎゅんっと浮き上がった。
「ごめんね、直くん。ちょっとだけ染みるよ」
お地蔵様だ。
名を呼ばれて、直が反応するよりも先に、薬湯に浸けた手拭いが両目に押し当てられる。
続いて、冷たい水がざぶんと身体にかかる。かかるというよりも、浸されたと言った方が正しいだろうか。びりびりとした痛みが全身を駆け回り、直は身体を支えているであろうお地蔵様の腹に拳を一発叩き込む。目が開けられないので、完全に勘頼りの攻撃だ。
「はいはい、落ち着いて。君、自分が現在(いま)火傷してる事に気づいてるかい?」
「(やけど……?)」
「冷やしてる間は大人しくしててね」
「嫌だ」「痛い」と叫んでも、誰も水から出してくれない。出してくれないどころか、ばしゃばしゃと冷たい水をかけたり、冷やした手拭いと薬湯に浸けた手拭いを交互に目に押し当てて来る。
お地蔵様の力も強くて、もがいても腕から抜けられない。
何で、直は火傷をしてるのか。
どたばたという騒がしい足音は、鎮まるどころか増すばかりだ。
「視察してた課長が、脱走した亡者に突き飛ばされて大釜に落ちた!」
「手があいてる者は、冷やすものと手拭い持ってこい! あと担架!」
「ボク、課長の五道転輪王(おとうさん)呼んでくる!」
「ああ! 待ってエナガちゃん! 呼んだらダメ! 知らせるだけにして!」
「脱走した亡者どうしますー? 判決通りの処罰を続ける形でよろしいですか?」
「バカ野郎。傷害罪で逮捕だ」
「救急隊到着しましたー!」
獄卒(ぶか)たちの声が、ドタバタとした足音の中に混ざっている。
ひとつひとつ拾って状況を理解したいのに、声はどんどん遠ざかるばかりだ。
直(あたい)は、答えが出せずにいた。
先日、妹から「お地蔵さまと仲が良いのか?」と聞かれ答えようと思ったのだが、しっくりする答えが浮かばなかったのである。
以来、ずっと答えを探しているのだが、これといっていいものは出てこない。
直とお地蔵様は、仲が良いのだろうか。良いのだとしたら、それはどういう関係で仲が良いのだろうか。
天国にある宮殿で宴の打ち合わせを終えてから、直の足が自然と猫又喫茶がある方向へと向かう。
喫茶店は相変わらず大盛況で、今も来店予約は抽選式だ。直も、お地蔵様と来店して以来、一度も当てる事ができず、美味しいカフェメニューにありつけていない。
あの時は、メロンソーダーのバニラアイス添えとマーブル模様のマフィンを頼んだ。カフェにある物はどれも美味しそうで、どうしようかと悶々と悩んでいたら「神様に決めてもらったら?」と提案してきたのだ。実際に神様を呼んで決めるのではない。「どちらにしようかな?」と神様に聞きながら、メニューを順番に指差していく。現世に昔からある手遊びの一種だ。
「手遊びで決められるものか」と、直は言い返したのだが「ここは現世ではなく天国だから、何かしらあるかもよ?」とお地蔵様は笑っていた。直をバカにした笑い方ではなく、あたたかく見守る微笑み。
その微笑みを向けられるのは、不快ではなく、嫌悪感も無かった。
むしろ、ほっと息を吐ける安心感がある笑みであった。
直の記憶に居るお地蔵様はいつも笑っている。たまに、心の奥深くを突っついて来る怖い表情を見せる時もあるけど、笑っている回数の方が多い。
直は、お地蔵様の笑顔を見るのは嫌ではない。
だから、仲が悪いという事はない。悪かったら、お地蔵様は直に笑いかけたり、お菓子を持ってきたりしないだろう。
仲良しかと改めて聞かれると困ってしまうけど、悪くはないはずなのだ。
うんうんと唸っていると、からんからんと、猫又喫茶の扉に掛けられたベルが鳴る。
直が足を止めて店の方を見ると、悩みの種となりつつあるお地蔵様が、若い天女と出てくる場面が視界に入った。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
「抽選が当たったら、またお誘いしてね。菩薩様」
若い天女は、お地蔵様の頬に口付けた後、艶やかな絹の衣と天女の目印とも言える羽衣を靡かせて、宮殿へと戻っていく。
一連の出来事を、直は言葉を失った状態で見てしまった。
視線をそらすのも忘れるほど、大きな衝撃が頭から爪先まで襲っている。
お地蔵様から目が離せない。
天女を見送ったお地蔵様が、固まったままの直に顔を向ける。
「やあ、直(あたい)くん。道のど真ん中で突っ立って、どうしたの?」
お地蔵様は、普段と変わらない微笑みを見せて、直に近づく。
「【どうしたの?】は、こっちの台詞である」といつもの直なら言い返せるのに、衝撃がいまだに残っていて、舌が回らない。
「もしかして、さっきのデート見てた?」
見てたというよりも、見せられたに近い。
直は、動きが鈍くなった顔の筋肉を動かして、口を開く。
「抽選……当たったんですか……?」
「うん? ああ…………そうだね。当たったよ?」
「それがどうかした?」と、お地蔵様は表情を崩さずに首を傾げる。
長年の経験から、この人は理解していて訊ねているなと、直は察した。
「どうして…………俺を誘わなかったんです……?」
二人で行ってから、それほど日が経ってないからだろうか。
そうだとしても、前回は直が当てた招待券に、お地蔵様は便乗する形で来店したのだ。行くかどうかはさておき「今度は私が当てたから、一緒に来ない?」の一言くらい寄越してくれてもよかったのではないか。
胸の奥がちくちくと痛む。針でしつこく刺されているみたいだ。
これがいわゆる、ショックを受けているというやつだろうか。
直は、お地蔵様に誘われなかったことに酷く驚いて、戸惑って、悲しいと思っている。
それと同じくらい、誘ってくれて当然だと思う傲慢な自分が居たことにも動揺していた。
息が上手く吸えない。吸おうとすると、重たくて苦しいものまで口の中に押し入ろうとしてくる。目が焼けるように熱く、鼻の奥が痛い。
直の「どうして?」という問いに、菩薩は「そうだね……」と、自分の指で顎の線をなぞる。
聞いてはいけない気がする。
耳を塞いだ方がいい。
直感が告げている。
腕を動かすよりも早く、お地蔵様の口が動いた。
「だって私たち、誘い誘われるような親しい仲じゃないだろう?」
お地蔵様の顔が、波紋の広がりに合わせて、ゆらりと崩れる。
息が苦しい。呼吸ができない。全身が熱い。
熱いと自覚して、カッと目を見開くと、赤い灯りがゆらゆらと揺蕩っている。
口を開けば、ごぼごぼと泡が出て、ゆらゆらと揺蕩う灯りの方へ上っていく。
状況を確認するよりも先に、眼球に触れる熱いものに耐えられず、目を閉ざした。
◆ ◆ ◆
「課長ー! 課長しっかりーー!」
バシンバシンと、頬に固い物が当たる気配がする。
瞼を開けようとしたが、ぴりぴりとした痛みに襲われて、薄く開ける事さえできない。このまま開けたら、眼球の膜が剥がれそうだ。
その後で「羽根で叩いたらダメですってー!」と制止する声と、「追加の桃源郷の冷水と薬湯持ってきましたー!」と慌ただしく駆け回る音がする。
ガラガラゴロゴロと物を引っ張る音も聞こえた。この音は大釜を運ぶ車輪の音か。
ぼんやりとしながらも、音だけで事を把握しようとしていると、背中と膝裏に手が回され、身体がぎゅんっと浮き上がった。
「ごめんね、直くん。ちょっとだけ染みるよ」
お地蔵様だ。
名を呼ばれて、直が反応するよりも先に、薬湯に浸けた手拭いが両目に押し当てられる。
続いて、冷たい水がざぶんと身体にかかる。かかるというよりも、浸されたと言った方が正しいだろうか。びりびりとした痛みが全身を駆け回り、直は身体を支えているであろうお地蔵様の腹に拳を一発叩き込む。目が開けられないので、完全に勘頼りの攻撃だ。
「はいはい、落ち着いて。君、自分が現在(いま)火傷してる事に気づいてるかい?」
「(やけど……?)」
「冷やしてる間は大人しくしててね」
「嫌だ」「痛い」と叫んでも、誰も水から出してくれない。出してくれないどころか、ばしゃばしゃと冷たい水をかけたり、冷やした手拭いと薬湯に浸けた手拭いを交互に目に押し当てて来る。
お地蔵様の力も強くて、もがいても腕から抜けられない。
何で、直は火傷をしてるのか。
どたばたという騒がしい足音は、鎮まるどころか増すばかりだ。
「視察してた課長が、脱走した亡者に突き飛ばされて大釜に落ちた!」
「手があいてる者は、冷やすものと手拭い持ってこい! あと担架!」
「ボク、課長の五道転輪王(おとうさん)呼んでくる!」
「ああ! 待ってエナガちゃん! 呼んだらダメ! 知らせるだけにして!」
「脱走した亡者どうしますー? 判決通りの処罰を続ける形でよろしいですか?」
「バカ野郎。傷害罪で逮捕だ」
「救急隊到着しましたー!」
獄卒(ぶか)たちの声が、ドタバタとした足音の中に混ざっている。
ひとつひとつ拾って状況を理解したいのに、声はどんどん遠ざかるばかりだ。