BL 恋人みたいなふりをして
Day10 水中花 地獄の華を咲かせましょう
「おーい。地蔵菩薩やーい」
九番目の裁判所を出た時であった。
嗄れた声が、お地蔵様を呼び止める。
お地蔵様は、嫌な予感を胸に抱く。
この声にはとても聞き覚えがあった。五番目の裁判所と冥府を預かる、閻魔大王のものだ。
「面倒な奴に見つかった」と、菩薩は舌打ちをする。
寺子屋での業務を終え、次に転生させる子どもの候補を閻魔の孫である閻魔王太子と閻魔大王の書記官に伝えに来た帰りであり、今から冥府の奥にある五道転輪王の裁判所へ赴くところでもあった。
そして、菩薩の腕は多数の巻物を包んだ風呂敷がある。
最後の裁判所で書記官を勤める獄卒課の課長から、「用もなくふらっと来るくらいなら、明日五道転輪王の裁判を受ける亡者の書類を持ってこい」と先日言われたのだ。これをきっちりと届けるのが、本日最後の仕事だろう。閻魔大王(じじい)に構っている暇はない。構っている暇はないが、相手は自分と対になる存在だ。無下にもできない。
お得意の作り笑顔を顔に張り付けて、お地蔵様は「こんなところで奇遇ですね。何か用ですか? 閻魔大王」と言葉を放った。
声のした方へ視線を向ければ、顔を赤く染め千鳥足で歩く閻魔大王の姿が目に入った。嗄れた声に似合うしわが、目元と口許に深く刻まれている。
五番目の裁判所に立ち寄った時、閻魔大王の姿はなかった。大王は休憩中だと書記官から伺っていたが、書記官と王太子の目には殺意が宿っていたので、休憩と書くサボりなのだろうと察した。
「さっきまで、その辺に居た亡者と孫の話で意気投合してなあー!」
「大王。その亡者はその辺に居た亡者ではなく、地獄あるいは裁判所へ向かう通路から逃げ出した亡者ではないですか?」
「うん、たぶんそれ」
「イェーイ」と、閻魔はどこかのラッパーに似た動きをする。
このじじい。自分が地獄の管理者であるという自覚がないのだろうか。
「で、さっきその亡者と一杯やってきたわけよー。あ、これ菩薩君にあげるー。天国で売ってる蓮印の花氷羊羹(ようかーん)」
「いや、いらないです」
「まあまあ、いいからいいから」
閻魔大王が提げていた小包を菩薩の腕に押し付ける。
じじいめ。亡者と天国まで行って呑んで来たのか。
そして、自分と対となる男に小包を預けて、証拠隠滅するつもりか。
その赤ら顔では証拠隠滅もなにもあったものではないが。
「じゃ、達者でなあー!」
ひらひらと手を振り、千鳥足でその場から立ち去ろうとする閻魔大王の背中を、今度はお地蔵様が引き留めた。
「ここから五番目の裁判所までは距離があります。どうぞ、私の雲に乗って行ってください」
荷物を片腕で抱え直してから、お地蔵様は空いた片腕を渦を描くようにゆるりと振るう。
もこもことした金色の雲が浮かび出て、閻魔大王の傍らへ滑るように移動した。
「おー! これは気が利くな!」
もこもことした雲へ閻魔大王が乗り込むと、再び滑るように移動して五番目の裁判所へと消えていった。
「よい旅を」
◆ ◆ ◆
「なぜ、そこで絞めなかったんですか?」
十番目の裁判所へ向かう道中の話を聞かせ終わるなり、獄卒課の課長は口をへの字に曲げる。
裁判所で働く獄卒から出されたお茶を一口含んでから、お地蔵様は「だってねえ」と、息を吐き出した。
「一応、対になる存在だから。私が絞められてるみたいに感じてしまってねえ」
「私は気にしない。いっそ、二人仲良く絞められるといい」
ツンと言い放って、課長は座っていた椅子に深く座り、背もたれに背を預けつつ、肘掛けを使って頬杖をつく。
「最近のあなた方はやりたい放題ですよ。閻魔大王は直ぐさぼるし、あなたはあなたで現世の神だか仏だかを燃やすし。後処理大変だったんですからね」
「あれは、児童誘拐を企てた方も悪いと思うし、私は灸を据えただけだよ」
反省の色を一切見せず、お地蔵様は言い切る。
「神や仏は、亡者のように裁けないからね」
「裁けるように改革すれば良いんですよ」
「本当にずばっと切ってくるよねえ。まあ、そういうところも好きなんだけどさ」
「気持ち悪い」
「はいはい。君も羊羹お食べよ。滅多に食べれないよー。天国の蓮印羊羹。あそこは個数限定だし、閉まるのも早いから」
課長の赤紫色の瞳が、円卓に並ぶ羊羹に向けられる。
天国の蓮印羊羹は、二層仕立てで作られる羊羹で有名だ。こしあんでできた羊羹を土台にして、上部には透明な美しさが魅力的な錦玉羹を乗せている。季節によって、錦玉羹の中に入れられる練りきりの形が変わるので、季節が明確ではない冥府で季節を感じられる品の一つだ。
今は、紅葉の練りきりがこしあんの土台に並べられている。美しい錦玉羹の中に秋を閉じ込めたみたいだ。
羊羹をじっとみていた課長は、何かを閃いた様子で立ち上がった。
「どうしたの?」
「いいこと思い付きました。王太子様に相談せねば」
「私がいるのに?」
「あなたには後でお話します。サプライズです」
◆ ◆ ◆
お地蔵様が五番目の裁判所に足を踏み入れると、獄卒から亡者まで言葉を失った様子で、大広間で立ち尽くしていた。
彼らの視線を辿っていくと、地獄で使われている大鍋の形に似た人間が一人や二人入れる大きさの錦玉羹がどーんと置かれている。
見る者の視線を惹き付ける美しい透け感。これの中身が季節の練りきりだったらさぞよかっただろうに。中に入れられているのは、赤ら顔の亡者と同じく赤ら顔をした閻魔大王だ。申し訳程度に、赤く色づいた楓の葉っぱや黄色く色づいた銀杏の葉の練りきりも入れられている。
唖然とした様子のお地蔵様に、課長が人混みを抜けて歩み寄った。
「今日もおサボりになっていたので、ちょっと詰めてみたんです。冥府は季節を感じられませんし、殺風景だった裁判所も彩りが出来て明るくなりました。それに、亡者にも地獄がどんな所なのか一目でわかるでしょう」
これは良い思い付きだと、獄卒課の課長は胸を張る。
「そうかい」と、お地蔵様は頬をひきつらせたまま、相槌を打つ。
「あとね、大王の胸元を見てください」
彼に言われて、対となる存在の胸元を見る。
金色の地蔵菩薩像が襟からはみ出ている。
「わお…………」
「本当はあなた自身を入れたかったのですが、一度お世話になってる身なので今回は見逃しました。でも、仲間はずれにするのも可哀想なので、仏像を入れておきましたよ。優しいでしょう? 俺」
「うん…………お気遣いありがとね…………」
「次回何かやらかしたら、今度こそ錦玉羹行きだろうな」と、巨大な錦玉羹を満足げに見つめる獄卒を見ながら悟った。
「おーい。地蔵菩薩やーい」
九番目の裁判所を出た時であった。
嗄れた声が、お地蔵様を呼び止める。
お地蔵様は、嫌な予感を胸に抱く。
この声にはとても聞き覚えがあった。五番目の裁判所と冥府を預かる、閻魔大王のものだ。
「面倒な奴に見つかった」と、菩薩は舌打ちをする。
寺子屋での業務を終え、次に転生させる子どもの候補を閻魔の孫である閻魔王太子と閻魔大王の書記官に伝えに来た帰りであり、今から冥府の奥にある五道転輪王の裁判所へ赴くところでもあった。
そして、菩薩の腕は多数の巻物を包んだ風呂敷がある。
最後の裁判所で書記官を勤める獄卒課の課長から、「用もなくふらっと来るくらいなら、明日五道転輪王の裁判を受ける亡者の書類を持ってこい」と先日言われたのだ。これをきっちりと届けるのが、本日最後の仕事だろう。閻魔大王(じじい)に構っている暇はない。構っている暇はないが、相手は自分と対になる存在だ。無下にもできない。
お得意の作り笑顔を顔に張り付けて、お地蔵様は「こんなところで奇遇ですね。何か用ですか? 閻魔大王」と言葉を放った。
声のした方へ視線を向ければ、顔を赤く染め千鳥足で歩く閻魔大王の姿が目に入った。嗄れた声に似合うしわが、目元と口許に深く刻まれている。
五番目の裁判所に立ち寄った時、閻魔大王の姿はなかった。大王は休憩中だと書記官から伺っていたが、書記官と王太子の目には殺意が宿っていたので、休憩と書くサボりなのだろうと察した。
「さっきまで、その辺に居た亡者と孫の話で意気投合してなあー!」
「大王。その亡者はその辺に居た亡者ではなく、地獄あるいは裁判所へ向かう通路から逃げ出した亡者ではないですか?」
「うん、たぶんそれ」
「イェーイ」と、閻魔はどこかのラッパーに似た動きをする。
このじじい。自分が地獄の管理者であるという自覚がないのだろうか。
「で、さっきその亡者と一杯やってきたわけよー。あ、これ菩薩君にあげるー。天国で売ってる蓮印の花氷羊羹(ようかーん)」
「いや、いらないです」
「まあまあ、いいからいいから」
閻魔大王が提げていた小包を菩薩の腕に押し付ける。
じじいめ。亡者と天国まで行って呑んで来たのか。
そして、自分と対となる男に小包を預けて、証拠隠滅するつもりか。
その赤ら顔では証拠隠滅もなにもあったものではないが。
「じゃ、達者でなあー!」
ひらひらと手を振り、千鳥足でその場から立ち去ろうとする閻魔大王の背中を、今度はお地蔵様が引き留めた。
「ここから五番目の裁判所までは距離があります。どうぞ、私の雲に乗って行ってください」
荷物を片腕で抱え直してから、お地蔵様は空いた片腕を渦を描くようにゆるりと振るう。
もこもことした金色の雲が浮かび出て、閻魔大王の傍らへ滑るように移動した。
「おー! これは気が利くな!」
もこもことした雲へ閻魔大王が乗り込むと、再び滑るように移動して五番目の裁判所へと消えていった。
「よい旅を」
◆ ◆ ◆
「なぜ、そこで絞めなかったんですか?」
十番目の裁判所へ向かう道中の話を聞かせ終わるなり、獄卒課の課長は口をへの字に曲げる。
裁判所で働く獄卒から出されたお茶を一口含んでから、お地蔵様は「だってねえ」と、息を吐き出した。
「一応、対になる存在だから。私が絞められてるみたいに感じてしまってねえ」
「私は気にしない。いっそ、二人仲良く絞められるといい」
ツンと言い放って、課長は座っていた椅子に深く座り、背もたれに背を預けつつ、肘掛けを使って頬杖をつく。
「最近のあなた方はやりたい放題ですよ。閻魔大王は直ぐさぼるし、あなたはあなたで現世の神だか仏だかを燃やすし。後処理大変だったんですからね」
「あれは、児童誘拐を企てた方も悪いと思うし、私は灸を据えただけだよ」
反省の色を一切見せず、お地蔵様は言い切る。
「神や仏は、亡者のように裁けないからね」
「裁けるように改革すれば良いんですよ」
「本当にずばっと切ってくるよねえ。まあ、そういうところも好きなんだけどさ」
「気持ち悪い」
「はいはい。君も羊羹お食べよ。滅多に食べれないよー。天国の蓮印羊羹。あそこは個数限定だし、閉まるのも早いから」
課長の赤紫色の瞳が、円卓に並ぶ羊羹に向けられる。
天国の蓮印羊羹は、二層仕立てで作られる羊羹で有名だ。こしあんでできた羊羹を土台にして、上部には透明な美しさが魅力的な錦玉羹を乗せている。季節によって、錦玉羹の中に入れられる練りきりの形が変わるので、季節が明確ではない冥府で季節を感じられる品の一つだ。
今は、紅葉の練りきりがこしあんの土台に並べられている。美しい錦玉羹の中に秋を閉じ込めたみたいだ。
羊羹をじっとみていた課長は、何かを閃いた様子で立ち上がった。
「どうしたの?」
「いいこと思い付きました。王太子様に相談せねば」
「私がいるのに?」
「あなたには後でお話します。サプライズです」
◆ ◆ ◆
お地蔵様が五番目の裁判所に足を踏み入れると、獄卒から亡者まで言葉を失った様子で、大広間で立ち尽くしていた。
彼らの視線を辿っていくと、地獄で使われている大鍋の形に似た人間が一人や二人入れる大きさの錦玉羹がどーんと置かれている。
見る者の視線を惹き付ける美しい透け感。これの中身が季節の練りきりだったらさぞよかっただろうに。中に入れられているのは、赤ら顔の亡者と同じく赤ら顔をした閻魔大王だ。申し訳程度に、赤く色づいた楓の葉っぱや黄色く色づいた銀杏の葉の練りきりも入れられている。
唖然とした様子のお地蔵様に、課長が人混みを抜けて歩み寄った。
「今日もおサボりになっていたので、ちょっと詰めてみたんです。冥府は季節を感じられませんし、殺風景だった裁判所も彩りが出来て明るくなりました。それに、亡者にも地獄がどんな所なのか一目でわかるでしょう」
これは良い思い付きだと、獄卒課の課長は胸を張る。
「そうかい」と、お地蔵様は頬をひきつらせたまま、相槌を打つ。
「あとね、大王の胸元を見てください」
彼に言われて、対となる存在の胸元を見る。
金色の地蔵菩薩像が襟からはみ出ている。
「わお…………」
「本当はあなた自身を入れたかったのですが、一度お世話になってる身なので今回は見逃しました。でも、仲間はずれにするのも可哀想なので、仏像を入れておきましたよ。優しいでしょう? 俺」
「うん…………お気遣いありがとね…………」
「次回何かやらかしたら、今度こそ錦玉羹行きだろうな」と、巨大な錦玉羹を満足げに見つめる獄卒を見ながら悟った。